仕切り直したはずの作品が……
さて、前回はうちのFFゲームブック攻略記事の10作め『サイボーグを倒せ』までをおさらいしました。
そして、新たな幕開けとなる記念すべき11作めが、本邦最後のFFと呼ばれた33巻『天空要塞アーロック』です。
いやあ、この作品はなかなか凄いですよ。2022年6月から翌年4月まで、コツコツと攻略記事を書いてきたNOVAが、この作品の攻略を終えた後は、しばらくFFゲームブックをプレイするのもイヤ、というぐらい気力がガタ落ちになった作品ですから(苦笑)。
その後は、7月に入って『FFコレクション3』が発売されて、収録作の『アランシアの暗殺者』をプレイするまでは、もうFFゲームブックはいいや、と3ヶ月ほどのゲームブック断ちをするまでに至ったトラウマ級作品です。
いや、ホント。
冗談抜きに、この作品がFFコレクションに収録されたら、確実に展開が終わってしまうとさえ思い込んでいるほどの酷い作品です。
ええと、FF史上稀に見る究極の『トンデモ本』に該当するとでも言っていいのではないでしょうか。
ええ、トンデモです。
たぶん、SF作家の故人が、仮にこのゲームブックをプレイして紹介するとしたら、ト本に分類するのは確実だろう、と思ってさえいます。
中身はSFなんですけど、それまでのFFゲームブックのSF作品って、割とハードシリアスな世界観でした。ロボット物でいうなら、リアルロボットのガンダムとかの方向性で、マジメな作風。
しかし、アーロックは……無理やりロボット物に当てはめるなら、ヤッターマンなどのタイムボカンシリーズの傾向でしょうか? 要するにギャグSFの方向性なんですよね。
FFシリーズって、それまでは、多少ともユーモアファンタジーな要素があったり、クスッと笑えるシーンがあったりしましたが、基本はマジメな作風です。ドジを踏むキャラがいても、世界観はまともに作られている。
しかし、アーロックと、それからシナリオ集の『謎かけ盗賊』は何かが違う。ユーモアとは違う、おふざけギャグで、何それ? とツッコミ入れさせる要素と、プレイヤーを小バカにするブラックジョークがあって、TRPGシナリオならともかく、ゲームブックだとどうも頂けないなあ、と感じました。
自分は、ユーモアは好きですけど、アーロックのノリは苛つきましたね。
記念すべき11作めがこういう作品を引き当てたために、それまでの盛り上げが一気に萎えた感じです。
今だからこその告白ですが。
で、この作品だけは悪い意味で別格として、総括しておきたいと思います。
2023年春の攻略分(11作め)
11.天空要塞アーロック(33):全7話(3月9日〜4月17日)
そもそも、どうしてこの作品をプレイしようと思ったか?
10作めの『サイボーグを倒せ』が、たっぷり時間をかけて派手に遊んだ感じなので、11作めはあまり小難しいことを考えずに、軽くて、それでいて少しは盛り上がれそうな感じの作品をチョイスしてみたんですね。
で、アーロックの表紙はこれです。
一目見て思ったのは、バカッぽい、と。
でも、これ、『雪の魔女の洞窟』の表紙絵のLes Edwardsなんですよね。
しかも、彼は自分のサイトで、「この絵が自分の描いたFFゲームブックの表紙絵で1番のお気に入り」とまで書いてます。
何でも、他にないコミカルなノリが気に入ったとか。
うちは、彼の美麗なゴシックホラーみたいな絵とか、格好いい宇宙船とか、幻想的なファンタジーアートが好きなんですけどね。
まあ、そういう絵を普段からいっぱい挙げている御仁だから、珍しいコミカルな絵が楽しく描けて、思い出深く気に入っているのかもしれません。
そして、中身の物語は、この絵が的確にイメージを伝えているのですね。
要するに、B級のおふざけSFワールドだと。
うん、タイトル(原題のSky Lordも、邦訳も)は格好いいですけど、中身はFF空前絶後のおふざけはちゃめちゃSF(すごくふざけた)物語です。
それまでのSFゲームブックの流れから、ガオガイガーみたいなのを期待したらゴルドランだったとか、ウルトラマンを期待したらキン肉マン(初期)だったとか、仮面ライダーを期待したらノリダーだったとか、そんな感じですな。例が古くてすまん。
今だったら、こういう脱力感は何になるかなあ。
ドラゴンボールを期待したら、ハリウッドの実写版だったとかかな。例えとして適切かは分からないけど、何かが違う感。ええと、日テレがコミック原作でドラマを作ったらどうなるか、に例えると、こちらが「アーロック」に感じるふざけるな(呆)の感覚が伝わるかもしれません。
いや、まあ、そこまで毛嫌いしているわけでもないですけど、ただ作品として褒めるところがほとんど見つけられなくて(無理やりプラス思考で褒めることはできる)、ともすれば悪口言ってる方が楽で、スッキリできて、FFシリーズファンとしては、そういう自分がイヤになる悪循環ですな。困ったものだ。
ゲームブックは、ゲーム的観点と、ストーリー的観点で語れるけれど、どっちもツッコミ点がいろいろとあって、それでも何とかプラス思考で書いてみよう。
ゲーム的には、いろいろとアイデアに満ちています。
とりわけ、宇宙船を中心とした乗り物戦闘が作者のお気に入りなのか、FF本来の戦闘システムよりも、こちらを使った戦闘シーンが数多い。どちらかと言えば、ジャクソンやリビングストンの構築したシステムよりも、自分のルールを使えとばかりに、FF本来の基本システムを軽く扱っている感がある。
ただ、この乗り物戦闘システムは機体の性能が全てで、キャラの持っている技術点とは関係なく、搭乗機の性能だけで戦わされる。加えて、多くの場合、敵の機体の方が強かったりします。辛うじて先手を取れば、多少は有利に立ち回れるにせよ、また戦闘で負ったダメージは戦闘終了後にフル回復する仕様にせよ、1回1回の戦闘が命がけなため、乗り物戦闘のリスクがあまりに高すぎる。
海外の攻略サイトを読むと、戦闘ごとにセーブするようにして初めて、まともに進められるとのことで、要するに乗り物戦闘で死んだら、その場でリセットして戦闘の最初からやり直すことを勧めているんですね。
最初からやり直すのではなく、負けた戦闘の最初からやり直す。そんなことはルールには書いていないけど、それぐらい融通を利かせて考えないと、まともには解けないバランスの悪いゲームだと。
実プレイした者の実感だと納得です。この作品はバランスが悪すぎて、チート推奨です。
他にも、数々のミニゲームがありますが、総じてつまらないですな。多彩なアイデアを出すのは一見美徳だけど、まともなテストプレイをしたのかと言うぐらい、ゲームとして機能しておらず、ミニゲームとは関係なく、パラグラフ解析頼りに進行ルートを決めることに。
一方のストーリーは、B級SFのおふざけ感覚満載なのは、そういうジャンルとして受け入れたとして、やはり主人公のやっていることがバカなのがどうしようもない。
ゲームブックの主人公はプレイヤー自身なのに、この作品の主人公は勝手に動いて、勝手に騙され、勝手に罠にハマり、プレイヤーの制御を受けつけない面が多分にあります。行動を制御するための選択肢ではなくて、不幸な目に合うか、より不幸な目に合うかを選ぶとか、自分からどんどんトラブルにハマって、そのトラブルに右往左往している主人公を見て楽しめ、と言わんばかり。
これで難易度が低いとかなら、まあ波乱万丈の分岐小説ぐらいの気持ちで、他人事のようにおバカな主人公の軽妙なドタバタ騒ぎを楽しめばいい。主人公の主語を「きみ」ではなくて、「おれ」とかに書き換えると(FF以外だと、そういうゲームブックもある)、プレイする方のストレスを過剰に溜めなくてもいいかも。
ええと、ジャクソンの『モンスター誕生』をお手本にしているような面も感じられて、序盤の知恵なき本能だけのモンスター主人公を、ほぼ全編に渡って使わされているような感覚ですな。FFシリーズでこの作品ほど、自分と主人公キャラの一体感を損なわれた話はなかったと思います。それぐらい主人公に主体性がなく、作者のオモチャとして右往左往させられているのを、プレイヤーが尻拭いさせられている感があって、自分で事件を解決しているような達成感が得られない作品です。
ゲームバランスがとれてなくて、分岐小説という観点では、分岐を選ぶことがあまり面白くないというか、一応は最適解を選んで進める必要はあるのですが、選んだ結果がどっちも損という選択肢も多く、少しでも被害の少ない選択肢を選ぶという形になりがち。
地震で崩れた家から出ずに瓦礫の下に押しつぶされるか、外に出た瞬間に上から降ってきた屋根瓦が頭に当たって小ダメージを受けるかを選べって感じかな。せめて、外に出たなら運だめしで瓦を避けさせろよ、幸いにして無傷って選択肢はないのかよ、とか、他のゲームよりも選択肢を選ぶたびにストレスが溜まる、稀に見るゲームブックですな。
そんな作品を、ストレスと戦いながら、楽観的にツッコミ入れつつ、頑張って解き進めている記事です。
まあ、この攻略記事ばかりは、変に感情移入せずに、他人事のようにNOVAが苦労して攻略しているのを、お疲れさん、ぐらいの上から目線で読むぐらいが楽しく読めるんじゃないかな。
でも、まあ、自分はGM経験からか、敵ボスに感情移入して記事書く癖が付いているようです。とりわけ、本作は主人公に感情移入しにくいもので。
異色作といえば、作品そのものが最大級の異色作だったという感想ですな。少し懲りたというか。
2023年夏から秋の攻略分(12作と13作)
12.アランシアの暗殺者(68):EX込みで全7話(7月16日〜7月25日)
『FFコレクション3』が発売されて、自分的に大本命の作品です。
自分にとっては、正式な仕切り直しとなった作品。
『危難の港』を堪能したこともあり、その次回作みたいな宣伝もされたこともあり(実際はスロムの生死的に『危難の港』の前というのが公式っぽいですが)、リーサン・パンザの物語の第2弾として書きました。
主人公の続投は、うち的に初めてで、13人の暗殺者から逃れつつ……と思ったら、実は13人全員を見つけて始末するのがゲームの目的だったという逆転構造が面白かったです。
ジャクソンのソーサリー3本め『七匹の大蛇』(7体の蛇退治)を倍近く膨らませた作品で、リビングストンお得意のアイテム探しゲームの感覚を、暗殺者ハントに移し替えた感じもあり(もちろんアイテム探しの必要もありますが)、個性的な13人の暗殺者との出会いを、プレイヤーとして数えながら心待ちにしていたプレイ体験です。
そして、全員うまく仕留めると、暗殺者を派遣したボスキャラのアズール卿に、「なかなかやるな。だったら、褒美に余の名代として〈死の罠の地下迷宮〉に挑む権利を与えてやろう。貴様は果たして生き延びることができるかな?」とお褒めの言葉と挑戦状を賜った次第。
いやあ、有名なブラックサンドの支配者にして、〈闇の王〉の下僕だったという衝撃の事実が『危難の港』で明かされて、ええっ? と思いきや、今作では「〈闇の王〉など我がアランシア支配のための道具だったに過ぎん」とか言い放ち、それでこそアズール卿だ、と感じ入った記憶もあります。
もう、1作ごとにサプライズを示してくれるのですな、リビングストン先生は。
ちょっと最近、社会思想社版の最後のリビングストン作品である『甦る妖術使い』の後書きを読んだりしまして、
訳者にして初代ウォーロック編集長の故・多摩豊さんが、(80年代当時の)日本で米英のジャクソンに比べてリビングストンの評価がパッとしないのは、彼がレビュアー泣かせの書き方をするためだと喝破しておりました。
ジャクソンは斬新なシステムが面白く、そこを説明すれば紹介できる。
しかし、リビングストンはシステムを大きく変えずに、ストーリーで魅せてくる作家だ。そして、ストーリーの紹介は読者に対してネタバレで興醒めになりかねないので、序盤の触り程度しか紹介できず、リビングストン作品が真に面白くなる後半の物語のうねりまでが表しにくいのだそうです。
なるほど。だから、直接解いた者にしかリビングストン作品の面白さが語りにくかったのか、と納得。
当時の自分(高校生)は、その作家性の違いなどあまり深く考えずに、ただ面白そうなゲームブックを立ち読みしたり、立ち読みで解けないFFシリーズや創元社の伝統ある(と言っても、新ジャンルなので1、2年の先行に過ぎない)老舗作品を中心に買い求めていたなあ、と(あとブレナン)。
で、安田社長の『FFゲームブックの楽しみ方』をバイブルにもしてみたりして、ここでの一連の記事を書いている次第ですが。
ともあれ、〈闇の王〉を倒して世界を救った英雄リーサン・パンザが、次から次へと襲いかかってくる影の刺客たちを、ばったばったと返り討ちにする剣豪小説みたいなイメージも抱きながら(元々は情けない残飯漁りで、いつ死んでもおかしくないと思っていたのに)、コミカルだけど格好いいヒーロー物語を味わえた気分です。
でも、最後に『死の罠の地下迷宮』へ行け、と強要されたよ。
この始末、どう付ける? と考えた結果が、娘に丸投げ、という形に。
13.モンスター誕生(24):準備編やEX込みで14回(8月4日〜9月9日)
これにて『FFコレクション1』の攻略記事コンプリート。
いやあ、この作品の攻略は難産になると思ってました。
まず、モンスター役を誰がプレイするかで、最初はカニコングがいいだろう、と思ってたら、ゲームブック初心者のカニには荷が重いということで、アシスタント・モンスターのリバTかな、と思ったら、紆余曲折を経て、リバTの兄のケイPがプレイヤー、リバTはGM(ディレクター)役として、記憶喪失のモンスターをリードしながら、本作の仕掛けや謎解きをいろいろ解説する役どころとなって、何とか攻略記事の体裁を整えた、と。
ともあれ、解くのも難解なら、攻略記事を書くのも難解だった当作ですが、年末に『FFコレクション4』のジャクソンセットで、新作『サラモニスの秘密』が登場予定で、しかも、その内容は『バルサスの要塞』と『モンスター誕生』にリンクするって噂されていた以上は(安田Xポストおよび海外攻略サイトのチラ見情報)、『モンスター誕生』を避けて通るわけにはいかない、と頑張って記事書きした覚えがあります。
夏の忙しい時期でしたが、お盆休みを見据えて、それから夏休み終わりから秋口に。
ええと、自分は職業柄、夏期講習の時期が忙しく、まあ、これから書き込み頻度も下がることを予告しておきますが、最近はうちの地元は大体、8月の最終週辺りから新学期に突入するということで、お盆の前後と、8月末に多少の時間の余裕ができる(夏バテで気力が激減していなければ)。
で、『モンスター誕生』は、『FFコレクション3』の熱気と、同4への期待も相まって、その勢いで書けた攻略記事です。
うん、何をするにしても一念発起の勢いは大事だね。
あと、昔、解いた作品はどんな内容か分かっているので、アーロックの時みたいな事故は起こらないので、ある程度、計算して書ける。攻略に行き詰まっても、安田解説本にフローチャートもあるから、保険も用意されている安心感もあるし。
そして、ケイPが喋れないモンスターを熱演してくれたり、それを通訳サポートしてくれるリバTとのアシモン兄妹コンビで、他にない面白い攻略記事が書けたと自画自賛しています。
この場合、「他にない」というのがポイントで、面白いは読む人の主観次第ですので、書く方としては自分が面白いと思うように書くしかない。
で、プレイヤーが自分ではない場合は、プレイヤーの個性がゲームブックの主人公に噛み合っているかがポイントかと思ってます(まあ、カニコングみたいなおっさんが萌えヒロインをプレイするというミスマッチもギャグとして機能しますが)。
でも、ギャグはやはり、アストみたいなツッコミ役がいないと、書いてて面白くないね。
直接のプレイヤーではなくても、アストの役割は大きいと思ったり。
2023年末〜2024年冬の攻略分(14作と15作)
2023年末には、『モンスター誕生』を最後のゲームブック作品にしたジャクソン御大の、40周年復帰作『サラモニスの秘密』が来る。
そういうワクワク感で心の準備をいろいろ整えていたわけですが(ずっとFFだけだと飽きも来る可能性もあるので、充電および変化球的な意味でFT書房の作品も入門しつつ)、あろうことか『FFコレクション4』の発売が年末から2月に延びようとは。
で、この満たされなさをどう埋めるか考えての結論は、『FFコレクション2』最後の一本の『死の罠の地下迷宮』に挑戦するか、と。
14.死の罠の地下迷宮(6):準備編やEX込みで9回(12月22日〜1月24日)
リーサン・パンザの娘、リサ・パンツァのシリーズ第一弾です。
自分がプレイ済みのFF旧作は、NOVA以外がプレイするという縛りのために、NOVAのキャラであるリーサンは使えない。いや、別に使ってもいいのですが(アスト辺りに代役プレイヤーになってもらうとか)、結局、リーサンは「謎かけ盗賊に拉致されて、南のカラメールに飛ばされた」「娘のリサが代役として、アズール卿に捕まって、迷宮探検を強要された」という衝撃の展開で、新たなヒロイン、リサ・パンツァの物語の開始です。
うん、一番のツッコミどころは、いつの間に娘を作ったんだ、リーサン!? そもそも、時間軸はどうなってるのか、という永遠に解明されないであろう謎ですけど、運命神ロガーンや謎かけ盗賊のキャラ性を考えるなら、そんなのは小さな問題です。
で、創作の鉄則の一つ。「大きなウソをついた後は、他の設定はウソをつかずに、丁寧にリアリティを積み上げる」です。話を面白くするためのウソはあって然るべきですが、ウソの上にウソを積み重ねて何でもあり、にしてしまうと、読み手も白けるし、書き手にとっても決してよろしくない。
ええと、読者に対しての誠実さ云々と固い話を抜きにしても、自分の作品がウソだらけ、妄言でしかないと思ってしまうと、それこそ書いてて虚しくなってしまう。この点はウソだけど、それ以外はしっかり資料を調べて、辻褄合わせもあれこれ考えたよ。最初の大ウソ(これが根幹設定、作品の柱ともなる)を除けば、後は荒唐無稽にならないよう、しっかり根拠づけて設定構築したよ、と言える程度の内容の補完をしておきたい、と。
まあ、ギャグでそこまで考える必要はなくて、作風にもよるのですが、リサについては「リーサンの娘にして、運命神に選ばれた英雄候補」という根幹設定で、細部のあれこれも考えました。
まさか、その後にプレイする『サラモニスの秘密』でも、「運命神に選ばれた英雄候補の少年主人公」が登場するとは思いもよらず(海外サイトでも、事前にそこまで細かくはチェックせず、興醒めにならない程度の流し読みだったもので)。
そんなわけで、リサ・パンツァについては、もうそれで小説が書けるほどの設定を考えました。たかがゲームブックのプレイキャラのためにそこまでするか、と思いながら、考え始めると次から次へとイメージが膨らんでくる。
娘が演じる娘キャラというだけでも、合わせ鏡というか、イメージをつなげやすいけど、そこまで考えたキャラが難易度の高いゲームブックであっさり死ぬのは悲しすぎるので、保険として父親から攻略を助けるチートアイテムを最初に与えられたという設定です。
ちょうど、『アランシアの暗殺者』で「時間歪曲の指輪」が登場していたので(ゲームブック本編での扱われ方はつまらなかったですが)、その効果で未来視ができるとか、死んでもリセットでやり直せるということにして、攻略記事でのIFルートにも整合性を持たせたりしました。
で、これを活用すれば、リーサンがいつの間に子どもを作ったんだ、という最大のウソも、「時間歪曲の指輪」の副作用、と言ってしまえば、ゴマカしになるのでは、と(笑)。
要は、読み手が納得する程度には、作者が真面目にしっかり設定を考えている姿勢を見せればいい。作品本編か、あるいはこういうメイキング後書きとかでも。
後は、便利設定を考えたあとの使用上の制限とか、反作用ですね。
リサの場合は、運命神の使徒に染められてしまいましたし、リーサンの場合は32巻『奈落の帝王』でもっと酷い状況に陥ります。これってどう辻褄合わせしたらいいんだ、と今も考え中で結論は出ていません。
アーロックほどではありませんが、謎だらけでややこしい奇々怪界な話です。
閑話休題。
『死の罠の地下迷宮』に話を戻しますと、リビングストンの初期の最高傑作との呼び声も高く、その難易度の高さと、〈迷宮探検競技〉というデスゲームのアイデアの斬新さ(原作は84年です)、そして中盤で発生するNPCとの出会いと協力と悲しい別れのドラマ性で、もう〈迷宮探検競技〉というキーワードはリビングストンと切っても切れない関係を紡ぎました。
そして、彼の今秋発売予定の新作(シリーズ累計72巻)も、『死の罠の地下迷宮』のさらなる続編みたいですしね。どんな作品になるか、今から楽しみですよ。
攻略記事としましては、迷宮を隅から隅までチェックして、個人的に堪能し尽くすとともに、小説風味の描写でリサ・パンツァの心情まで掘り下げて、続編にもつなげる流れを明示。さらに、人気キャラのスロムを、実は生きていたとすることで、後の22巻『迷宮探検競技』の主人公として扱うオリジナル展開を予告。
まあ、他のゲームのNPCを、続編の主人公にするというアイデアは、『危難の港』のハカサンで……と思ってたのが、こっちで勝手に作った娘のリサに発展したという経緯がありますが、今度はスロムの息子ではなくて、スロム自身(しかし、誰も生存を信じてない)という設定で、遊んでみようか、と思いつきを描いた次第。
それには、アストがNPCスロムを演じた流れがありますので、知られざるスロムの物語として、描ける日が来ることを。
15.サラモニスの秘密(70):準備編やEXなどを入れて13回(2月17日〜3月5日)
そして、本来なら年末にプレイする予定だったのが、年度末にズレ込んだ『FFコレクション4』の新作です。
もう、ジャクソンさんの36年ぶりの新作ということで、ファンの間では大盛り上がりですよ。そして、ついに念願の邦訳版が……ということで、早速、喜び勇んでプレイしたら、思わぬ事故のエラッタが(苦笑)。
えっ、それって、どうしようかと思いながら、そういうリアルタイムのトラブルも、ブログの記事ネタとしては美味しいってことで、遠慮なくプラス思考で楽しませてもらいました。
よって、新作の攻略としては、多少ともチートできたって気分ですが、ゲームのルールについて、同好の士と意見のやり取りを交わすきっかけにもなったと思えば、それも悪くなかったかな、と。
いつもは大体、創作キャラの陰に隠れてる形ですが、この機に作者としての本音を書いてもいいですね。
いつも、いいねをいただいている人とか、コメント欄で書いて下さる方とか、改めて感謝申し上げます。
まあ、今後のプレイ予定とかは、他所のコメントよりも、ご自分のブログ記事での展望という形で書く方が、そっちのお客さんも喜ぶのでは? とか思ったり。
うちは、コメント欄でレスしたように、定期的に読んでますので、それで十分伝わりますし。そういうきっかけがある方が、コメント入れに行きやすい。
あえて、そちらの感想を申しますと、記事がパラグラフごとに区切って小出しなので、一通り完成してからでないと、コメント付けにくい、という、こちらサイドの問題がありまして、また機を見て、遊びに行く所存ですが、とりあえず『雪の魔女の洞窟』でのコメント挨拶は嬉しく受け取ったということで。
必死に書いている途中で、別の話をされると、ムッ? と思った一瞬もありましたが(すみません)、気持ちに多少余裕ができた段階で、改めてよろしく、と思っていただければ。
そちらのお仕事が何をなさっているかは公開情報でなさそうなので、忙しいと言っても察しがつきにくい状況ですが、まあ、無理をなさらずに、楽しめて行ければ、とは思いますね。
自分も後書き書いたら、ここでは少し休む予定。
ともあれ、冒険を夢見る少年(おじさん世代の冒険者としては青春時代を思い出す)が、運命神に誘われたりして、文無し小僧から待望の冒険者になって、税金という世知辛い状況に悩まされつつ(タイミング的にリアルだった。確定申告が〜^^;)、懐かしい思い出と、将来の展望と、大人の冒険者とのやり取りで英雄への一歩を踏み出す物語でしたね。
一言で言えば、懐旧と、大人視点から見えるNPCの想いとかを、じんわり味わえた作品だった、と。
システム的にも、昔のジャクソン健在って感じで斬新な綴り魔法やら、単純な1本道ではないパズル感覚に満ちた作品。
サラモニスの税金制度とか、ワールドガイドの『タイタン』には触れられているのに、ゲームブックではあまり描かれて来なかった市民生活を実感させてくれるとか、冒険者と一般市民の金銭感覚の違いとか、この一作でサラモニスという文明都市の解像度がずいぶん上がったと思います。
それ以前のサラモニスって、山本さんのAFFリプレイのイメージが強かったからな。そっちでも、やっぱり赤貧冒険者の世知辛さを感じたりして。
そして、サラモニスの解像度が上がったことで、例えばストーンブリッジみたいな田舎の村(一応、部族の王さまがいるわけですが、国ではないよね。王村と呼ぶべきか)とは文化産業が全然違う。
それを描写したのが、先日挙げた『雪の魔女・運命の森』のコラボ小説ですが、サラモニスのような派遣の便利業者みたいな冒険者ギルド(日本のソード・ワールドやゴブリンスレイヤーの感覚)と、既存FFゲームブックに数多かった旅の自由人冒険剣士(今のソード・ワールド的にはヴァグランツに分類される)の視点の違いとか、表現できたと思います。
これも、ジャクソンが今の時代の冒険者観(多分にTRPGの今の定番的な設定)を見せてくれた影響。
なお、サラモニスはジャクソンの90年代の小説『トロール牙峠戦争』でも描写されていますが、その時には冒険者ギルドなる設定はなかったと思う。それこそ、30年以上前のイギリスゲーム界ではあまり一般的でない設定なのかな、冒険者ギルドって。『タイタン』にも記載されていないと思うし。
いずれにせよ、自分の中の子ども心と、年を重ねた大人心の両方を満たしてくれた、40周年記念作の一本です。
ロガーンが見せる夢の中の〈火吹山〉イベントも良かったですしね(パラグラフの水増しと言うなかれ)。
2024年春〜夏休み前の攻略分(16作と17作)
16.トカゲ王の島(7):準備編やEX込みで12回(3月13日〜4月4日)
『地獄の館』に次ぐ、聖闘少女(セインティア)キャサリンの冒険譚。
元々は、カニコングというキャラクターと、火山島の序盤で遭遇する大ガニを戦わせるのが、一発ネタとして面白いなあ、というアイデアでした。
それと、トカゲ王はゴジラ、カニコングはカニであり、コング。しかもトカゲ王の弱点は猿だし、何となく『ゴジラVSコング』の映画に絡めると面白いかも、と思ったり。
コング映画だと、南洋の島のジャングルも定番ですしね。
でも、当初の想定では、カニコングに別のキャラを作ってもらって、普通に始めるつもりだったのに、何故か、『地獄の館』からアランシアのオイスター・ベイに異世界転移したキャサリンが、マンゴに拾われて、2人でトカゲ王退治に乗り込んでみたら……というオープニングも思いついて。
思いついたら即実行……ではなくて、思いついたらアストにツッコミ入れさせて、それでも揺るぎなかったら、考えて検討して実行するという段取りになる。
自分の変な思いつきにツッコミ入れてくれるキャラを脳内に住まわせていると、適度にブレーキ踏んでくれますが、たまに疲れているときには、ブレーキの代わりにアクセルを踏んで、暴走することに(苦笑)。
この暴走した文章を、自分でもう一回読み直して、プックスクスと思わず笑えたら、本文として採用。
暴走した文を読み直して、訳分からんとか、冷静になって読んだら笑えなかったということなら、ボツです。
そして、このトカゲ王の島は、暴走が何もかも上手く運んで、カオスの転がりようを非常に楽しめた作品でした。
キャラが一回死んで、カニ座のデスマスク師匠のおかげで帰還できたとか、『勇気爆発ブレイバーン』みたいなオマージュというか、そのままパクリ的な展開も含めて、いろいろ暴走したけど、一番、書きたかったこともきれいに書けたし。
一番、書きたかったこと。
ゲームブック本編では、序盤であっさり死んだ主人公の親友のマンゴを、印象的に活躍させること。死んだけど、魂か何かになって主人公を助けてくれる。
そう、実はマンゴをどう扱うかが、最大のテーマだったんですな。『危難の港』で彼と再会してから、『FFコレクション3』で本作が復刻する前に、社会思想社の旧訳版を使って、フローチャートを書いたりしながら、アイデアだけは練っていたんですな。
そして、霊と交流するなら、主人公は霊媒師的なキャラがいいなあ。おお、ちょうどいいことに、カニ座の聖闘少女がいるじゃないか。よし、彼女をどうアランシアに連れて来るかで、う〜ん。
そう言えば、『地獄の館』には、悪魔の名前の中にバルサスの名が紛れ込んでいるな。つまり、『地獄の館』はアランシアとつながっていて、と、おあつらえ向きに、こういう要素が欲しいな、と思ってみたら見つかる見つかる。
何というか、生まれるべく生まれた作品? と自分的には思えた当攻略リプレイです。
ネタが一つ二つつながることはあっても、こうも芋づる式につながるケースは稀で、それでもつなげたい時には思いきり屁理屈をこねたりもするわけですが、パズルのピースがハマるように、カチッと何もかも定められたかのように一つの神話伝承のように、タイムリーに書けた話でした。
この作品に関しては、産みの苦しみを経験せずに、収まるべきところに収まった感覚が強いです。
あ、強引に考えたのは、終盤でトラを引き連れた少女ですな。
で、彼女とキャサリンの絡みではなく、マンゴの親友のキウイに惚れさせてみたり、後半のトカゲ王に対する反乱軍に関しては、原作を膨らませて自由にキャラを構築してみました。リビングストン先生の(当時はまだ)素朴だった原作文章から、見えて来る(描きやすい)キャラ像をGMやってる感で、即興で組み上げたり、ゲームブックとは違う創作遊びをできたと思います。
ヴァルハラの角笛とか、イメージを膨らませるアイテムも原作にありましたしね。どうして、アランシアに北欧神話ゆかりのアイテムがあるんだ? まあ、それがあるならギリシャ神話が紛れ込んでも文句ないだろうとか、ええと、キャサリンの設定って、北欧神話の戦乙女ワルキューレにつながらない? 聖闘少女って自称も、戦乙女と解釈すれば、それほど荒唐無稽でもないし。
で、転生ネタで、行方不明のカニ子が、キャンサー・ガール→サーガ→ソグに変わったとか、コニカが猿になってとか、自分でもサプライズな設定をよく思いついた、自分……って、この時期の自分を褒めてあげたい。
きっと、この瞬間だけ、第七感(セブンセンシズ)に目覚めていたのでしょう。
きみは小宇宙(コスモ)を感じたことがあるか。
俺は文章を書きつづりながら、たまにある、と思ったり。
17.雪の魔女の洞窟(9):準備編やEX、コラボEX込みで16回(6月17日〜7月15日)
『トカゲ王の島』は、ネタから始まって、何だか自分でも分からないぐらい、上手く話がつながって書いてて感動できた。その感覚は、どこかで既視感があるなあ、と考えてみたら、FEAR社の菊池たけしさんのリプレイを読んだときに何度か感じたノリだ。
そんなことを思ったタイミングで、山本弘さんの訃報に接したり、それから続いて6月にソード・ワールドのシナリオデザインとかもしてたSNEの川人忠明くんの訃報を聞いたりして、割とガーンとなった時期もあったりして、
その悲しい気分と、『雪の魔女』の〈赤速〉の死がかぶったりもしながら、今なら書けるかも、と始めた次第です。だから、この『雪の魔女』の攻略記事は、個人的に山本弘氏や川人忠明氏に捧ぐ的な想いなんですね。
まあ、山本さんについては、『トカゲ王の島』を書きながら感じる部分もあったと思いますが。
ともあれ、この『雪の魔女』については、楽しく書けたというよりは、哀しく書けたって感じです。
そして、自分のテーマとしては、主人公と雪の魔女シャリーラを、原作以上に対比して向き合わせるぞ、と。
主人公のリサ・パンツァが、雪の魔女の背景とかを知って、誘惑にいかに抗って自分らしさを貫くかをイメージしてみたら……あっさりシャリーラを嬉々として演じるダイアンナ。
作者としては、想定外も良いところでした(汗)。
お前が書いたんだろう!? ってツッコミは、確かにその通りなんですけど、本当にままならないんですよ、こればっかりは。
キャラが、作者のプロットを容易く乗り越えて来る瞬間。
それで、イメージが膨らんだ部分を、会話リプレイよりもシリアスが描きやすい小説調に切り替えて、シャリーラの想いとか、リサの想いとか辿ってみた。
なお、この想いについては、ブログで清書する前に、創作ノートに試し書きした文章がありまして、大学ノートにびっしり3ページほど。
思ったよりも長くなったので、そのまま使えずに、要所要所を切り取りながら、もう少しエンタメらしく笑えるネタを投入したのがブログでの清書版です。
いつもの攻略リプレイよりも、手間が掛かってますな。
イラストレーターのスケッチ帳じゃないけど、職場で手隙の時に、頭に思い浮かんだシーンがあれば、試しに文章化して膨らむかどうかを判断してみる。途中で何を書くか見えなくなったら中断。ボツになる。
あるいは、違う展開を思いついたら(ゲームブックで違う選択肢を選んだみたいに)別ルートで書いてみる。
最近はそこまで手間をかけずに、会話のノリで気ままに書くことが多かったので、久々に昔の手法で書いてみた次第。
昔とった杵柄を再現したくなったのも、この時期に読み直したこの本の影響かもしれません。
あとは、ダイアンナというキャラが、吸血鬼に感情移入しやすいというか、吸血鬼設定そのものなので、まあ、雪の魔女と化学変化を起こしてしまったということですな。
だけど、〈赤速〉とああいう関係になったり、死んだ〈赤速〉(赤ツバメ)が自然に回帰して、赤いアマツバメに転生したりしたのは、自分の書いた言葉の雰囲気に引きずられて、こうなったのだと思います。
頭で考えたお話じゃなくて、言葉の紡ぎ出した流れに乗って浮かび上がったお話、ということになります。
自分の頭では、男女の愛なんて甘ったるいことは書けないですけど、ダイアンナだったら愛とか、そういう思考が自然にできるってことですね。つまり、「このキャラだったら、こういう発想をするだろう」と想定すると、素の自分では思いつかない発想が出やすくなる。そういう思考の切り替えスイッチをどれだけ持っているかが、書き手の武器になる、と。
まあ、心の中のシャリーラではありませんが、自分の中の別人格キャラの思考に引きずられすぎることもたまにあって、制御できない自我の暴走も稀にあるわけですが(分かりやすく言うなら、酔っ払い状態。自分の紡いだ言葉に酔うとか)。
本作品は、そういうトランス状態の助けもあって、書けた作品ということになります。
自分でも久しぶりにハマり込んで書けた話です。
精神力の消耗が激しい書き方なので、しばらくはこういうモードでは書けないな、と。
(当記事 完。次回は、今後の展望について、書きたいものを連ねてみます。すぐには書けないけど、いずれまた機を見て準備しておくつもりで)