最初は軽くまとめるつもりが
ずいぶんと長く総括めいたことをしておりますな。
我ながら、熱の入りように驚いている始末。
まあ、やり始めた以上は、最後まで走り抜けたいとは思っておりますが。
今回はリビングストン。
『運命の森』『盗賊都市』『死の罠の地下迷宮』『トカゲ王の島』『雪の魔女の洞窟』の5作品を振り返ってみたく。
①運命の森
FFシリーズ3作めで、初の野外冒険です。
前2作では、敵ボスが魔法使いや魔法戦士でしたが、今回は初の善き魔法使いが登場します。
老魔法使いのヤズトロモさんは、本作で主人公剣士にマジックアイテムを売ってくれたり、目的の〈ジリブランのハンマー〉が盗まれた経緯を語ってくれます。
後にFF14巻『恐怖の神殿』で再登場し、以降は善の勢力の代表として、アランシアの危機を解決するために主人公に冒険を依頼し、助言や助力を与えるパトロン役の常連としてお馴染みとなります。
ドワーフの村ストーンブリッジが、火吹山と縁があるように後から設定されて*1、火吹山の南西にストーンブリッジ、その南にダークウッドの森が広がり、さらに南にヤズトロモの塔がある地理的設定です。

ジャクソンのゲームブックは、何かの使命に突き動かされるような切迫感があるのに対し、リビングストンのゲームブックは、どこか観光旅行の趣きがあります。
もちろん、トロールとの戦争前夜のストーンブリッジとか、不死の王の脅威にさらされたシルバートンのために使命を果たすという動機の部分は欠かせないのですが、それでも『運命の森』はダークウッドという舞台でいろいろなイベントを楽しむ作品であり、続く『盗賊都市』もブラックサンドという街の散策を楽しむゲーム。
その舞台で果たすべき探索ミッションは当然あるのだけど、主人公の冒険剣士は世界の各地を巡って、気ままな冒険生活を楽しんで来たキャラクターで、「今度は森か。面白そう」とか「悪名高い盗賊都市か。腕だめしにはちょうどいいかもな」って感じで、とにかく冒険したいからするって気楽な人物造形に思えます。
これは、前作バルサスの主人公が、「王国の危機だ。何としても邪悪なバルサスを倒さねば」と強烈な使命に突き動かされているのと対照的。ジャクソンのゲームブック主人公にあるのは、使命感とか任務、切迫感だと考えます。まあ、そういうことを考える理性もないモンスターさんは例外として。
リビングストンの主人公は冒険を求める風来坊で、ダークウッドも、ブラックサンドも物見遊山の気持ちで豪胆に踏み込んで行くキャラクターという設定。
それはつまり、「冒険したいからゲームブックを遊ぶ読者、プレイヤー」の心情と変わらない。そこに山があるから登る登山家と同様に、そこに森があるから探検する、そこに街があるから散策するというのが本質だ、と。
さすがに、バルサスの主人公が、そこに悪の城砦があるから物見遊山に入ってみる……ってキャラではないでしょうし、『さまよえる宇宙船』の船長が「何だかブラックホールの影響で、違う宇宙に飛ばされたんだが、ちょうどいい。こんな冒険がしたかったんだ。ちょっとした冒険だな、オラ、ワクワクしてきたぞ」という冒険バカでは絶対にないでしょう。普通に考えるなら、深刻に「船員諸君。本艦は未知の宇宙に飛ばされたが、帰る術は必ずある。私は艦を預かる身として、何としても元の宇宙への帰還の方法を見つけ出し、みんなといっしょに地球に帰ることを決意する。そのために、みんな協力して欲しい」と宣言するようなキャラのはず。
その意味で、ジャクソンの物語は「何としても◯◯しないと」ってストーリーで、リビングストンの物語は「冒険を楽しもうぜ」ってノリがメインかな、と。
「おっと、森を歩いていたら洞窟発見。何だか面白そう。もしかすると、例のハンマーがあるかもしれないし、ちょっと覗いてみるか」
「おっと、下水道の入り口発見。こんなところに好き好んで入るような奴はいないと思うが、もしかすると、重要な品物が見つかるかもしれないな。ものは試しだ、入ってみるか」
何というか、物好きで好奇心旺盛な冒険バカが、リビングストン流なんだと思っております。
もっとも巻数が進むと、状況が変わって来ます。
具体的には『雪の魔女の洞窟』に至って、「世界を凍らせようと企てる雪の魔女」の話を聞いて、世界を守るための冒険に突入。
その前段階として『トカゲ王の島』を挙げることも可能ですが、そちらは「親友マンゴへの義理人情」が優先して、オイスター・ベイの村人を始めとする奴隷解放が目的。
世界の平和よりは、自由の闘士という印象の方が大きいです。
ただの腕だめし、好奇心を満たすための冒険から、人々を脅かす邪悪を倒す英雄譚にシフトしていき、その延長で旧知のヤズトロモさんが善の守護者として、主人公に冒険を要請する役割に昇格したのが『恐怖の神殿』。
つまり、リビングストンのゲームブックは、1ケタの時期が一介の風来坊冒険者が英雄として成り上がる過程を描き、10巻を越えた段階で実績のある英雄がパトロン役のヤズトロモさんに世界の危機を伝えられて、使命を帯びた旅を開始する英雄譚にステップアップするわけですな。
この辺のリビングストン主人公の段階を重ねた変遷が、巻を重ねると面白いと考えます。
世界の広がりとともに、シリーズを追いかける読者も冒険の知見を重ね、それに合わせて、主人公も歴戦の英雄として物語で扱われるようになっていく。
これこそがD&D的というか、リビングストンが紡ぎ上げてきたアランシア冒険譚の醍醐味ということになります。
ジャクソンは『ソーサリー』で連続4巻のキャンペーン(連続シナリオ)を展開しましたが、リビングストンは1巻1巻は独立させながら、それでも世界観やNPCの継続、過去の事件を踏まえたうえでの新たな物語を描き続けています。
その始まりが『運命の森』であり、それを受けて14巻の『恐怖の神殿』はストーンブリッジから物語がスタートしますし、〈ジリブランのハンマー〉が大きな役割を果たして、後日譚であることをはっきり明言。そこから、旧作のその後の未来……というアランシアの世界の歴史が少しずつ紡がれていく様が面白い。
ジャクソンの『ソーサリー』は長編キャンペーンですが、その後のアナランドやカーカバード、マンパン砦がどうなったかは続きが紡がれていません。『ソーサリー』の世界観はそこで閉じてしまったんですね。
しかし、リビングストンはジャクソンがゲームブックを書き終えた後も、アランシアの物語の続きを書き続けた。ザゴールは復活しては何度も倒され、ザンバー・ボーンも復活し、ブラックサンドのアズール卿も、ファングのサカムビット公も今なお健在。
そして続編が今なお構築されるなか、ザゴールの遺産の巨人の襲撃で、ストーンブリッジが壊滅した? アランシア世界の住人としては、そこが一番気になるわけで(苦笑)。
そんなわけで、『運命の森』のストーリーについて語る場合は、ゲームブック単品だけでなく、舞台となったダークウッドやストーンブリッジの続編の動向も含めて、想像力が湧き上がる。
シリーズとして継続して話題に挙がってなければ、「ストーンブリッジの状況が心配」なんて感情にはならないわけで。それだけ、印象的な舞台として歴史を紡ぎ上げて来たってことですな。
この継続性、地理や歴史の設定が受け継がれていく様が、リビングストン作品通じての魅力なのでしょう。
で、話を作品に戻して、評価を試みることにします。
まず、ラスボスがいなくて、クライマックスが盛り上がらない作品の一つ。やはり、この作品のクライマックスを飾るには、「トロールとの戦の顛末を、後日譚的に語るべき」なんでしょうな。
どんでん返しもなく、段階的な盛り上がりもない、ストーリー評価の難しい作品です。
イベントはいっぱいあって、「腕ずもう男」とか「変化(へんげ、シェイプチェンジャー)」とか「炎の魔人(ファイアデーモン)」とか、出会うのが難しい「ネコ娘」とか、ラスボス?な「盗賊」とか、いろいろな森の住人がいます。このゲームの醍醐味は、数多くのイベントに対して、アイテムや判定を駆使しながら、どんどん切り抜けていくことです。ここでのイベントをノートに写しとって、森でのランダムエンカウント表を作るのも、TRPGでは汎用的に役立つと思います。
このゲームの楽しいのは、森という屋外ダンジョンの中に何ヶ所か洞窟とか、屋内ダンジョンがあって、探索ポイントが「入れ子構造」になっている点です。大きなダンジョン(みたいな作りの森)に、小さなダンジョン(洞窟)があって、奥の深い印象があったりします。
野外を探索中に、洞窟を見つけて入ってみる。中は思ったよりも広くて、探検し甲斐がある……という形式がいくつかあって、初見ではなかなかワクワクできます。こういう旅の途中にダンジョンを見つけて入ってみるって経験は、自分はソーサリーで初めて体験しましたが、最初から屋内ダンジョンの『火吹山』や『バルサス』ではできない体験ですね。
ダンジョンから始まるゲームでは、ダンジョンから出てきて広がる屋外世界に接する瞬間が劇的ですし、野外ゲームではダンジョンを見つけると、どんな秘密が隠されているんだろう、とワクワクしました。
ドラクエなんかでも、フィールドを歩いていて、洞窟や塔を見つけると、テンションが上がります。
要は、世界が切り替わるってことですね。
ダンジョンがあったら、中に入りたくなる、それが冒険者ってものです。
本作の場合、ハンマー探しという目的があるのだから、目についた場所は念のため調べてみる、が正解のスタンスだし、調べられる場所があったら、とりあえず調べるのが冒険者の道です。
ドラクエだったら、人さまの家のタンスだろうが本棚だろうがツボだろうが井戸だろうが、とにかく調べまくって、アイテムゲットするのが勇者の道ですからね。
こういう調べられる場所がいっぱい隠されているのが、『運命の森』の面白さですね。割とRPGの原初の楽しみ方ですよ。ドラマはなくても、ゲームとして楽しい+1。
ストーリー面を語って評価する際に、どうしても全体構造がどうこう、ドラマ的盛り上がりがどうこうという点を重視しがちですが、こういう観点で発展してきたゲームと、それ以前の「執筆当時のゲーム性をストーリーに盛り込んで、イベント散発や探索そのものが楽しいゲームらしいゲーム」とで比べると、『運命の森』は初心者向き探検ゲームとして非常に面白く、ドラマがないからつまらない、ということは決してない作品だと考えます。
90年代初めのアナログゲーム評論では、「ハック&スラッシュは古臭い。ゲームにもっとドラマ性を。ストーリーゲームの面白さは云々」という話が主流で、リビングストンのゲームブックに見られる戦闘志向、ゲームとしての単純な、だけど盛りだくさんなイベントのアイデア群を軽視する傾向がありました。
だけど、その後のゲーム業界はTCGに見られるように、「バトル重視のゲーム性」「シンプルなくり返し性と、勝つための戦術研究」が流行し、一方でFEAR社の方が「ドラマの類型をテンプレート化して、クライマックスに至るストーリー形成を基軸としたTRPG」を目指し、ゲーム性とストーリー性の融合を志した経緯があります。
この辺は時代ごとの流行り廃りがあるので、個人的な好みと関係なく、評価基準が変わって来ることもあるのですが、『運命の森』の場合、大筋のドラマ性よりも、イベントの多い探索ゲームとしての価値は非常に高く、その難易度の低さも相まって、『火吹山』同様の初心者向き入門ゲームとしては、トリッキーなジャクソンの諸作よりも安心してお勧めできるという効用があります。
そして、背景世界という観点から考えると、広がる世界の端緒という意味で、歴史的価値の大きな作品であることは間違いないか、と。
いわゆる、『火吹山』と同様の原点ってことですね。後の発展の土台と言ってもいい。
リビングストンの作風は、戦闘志向というよりも、探検志向なんだな、というのが自分の評価ですね。
そして、このゲームの特長の一つに、「探索に失敗して、ハンマーが見つけられずに森を出ても、運だめしに成功すれば、もう一度、森で入手したアイテムや資金を持って、再スタートできる」という点があります。
ヤズトロモさんが、食料やポーションという消耗品を売ってくれるというハウスルールを付け加えれば、延々と森の中の探索を続けることができる。『火吹山』では鍵が合わずに泣いてしまうバッドエンドでしたが、こちらでは1回の攻略で目的を果たせなくても、死にさえしなければ、キャラを継続して別ルートの探索を続けることができる。
このくり返し遊びを堪能できるシステムが、ブレナンの「14へ進め」からの再スタート(入手したものは持ち越せる、一度倒した敵は幽霊なのでスルーしていい)と同様に、失敗からの再挑戦をゼロからではなく、コンティニューって形で続けて行ける点がいいなあ、と思っています。
これと同様のルールを『さまよえる宇宙船』でも実装していれば良かったのになあ、と思わなくもない。
ダミー情報や、情報が手に入らなかった場合など、無理にワープを敢行して、宇宙の藻屑に消えてしまう悲劇は、その後のキャラ作り直し(複数キャラなので、作り直しの手間がFFシリーズ最高峰)の労力もあって、再プレイの意欲を萎えさせる。
情報が不十分な場合は、同一キャラでもう一度、プレイを最初から続けられる選択肢があれば良かったのになあ、と昔は思ったものです。今は、「そういうシステムがいいなら、自分でハウスルールとして好きに実装すればいいジャン」と普通に割りきれるんですが、自分好みでルールを改変するという発想は、リアルタイムでは持ち得なかったなあ。
『さまよえる宇宙船』は自力では解けなかったので、後年、安田社長の公開したフローチャートなんかを頼りにしながら、ようやく最適解に至れたという記憶が。
ともあれ、『運命の森』と『さまよえる宇宙船』は同時期の作品で、共通部分も見られる作品ですが、初心者対応の王道探検譚と、上級者向きの凝った(凝りすぎて歪にまでなった)実験作という印象。
そこに両作家の資質の差も見え隠れしている形なので、いずれ改めて比較記事にしたいか、と思っております。
まとめると、『運命の森』は、「ルート分岐が非常に多く錯綜しているので、多数のイベントや見つけにくい隠しイベントがあって、非常に盛りだくさん+1」「くり返しゲームを楽しんで欲しいという作者リビングストンの希望が感じられる大らかさ+1」の合計2点。◯評価です。
②盗賊都市
『運命の森』が長くなりましたが、この後はテンポよく進めたいです。
森に続いて、今度の舞台は都市です。翌年の84年にジャクソンがソーサリー2巻の都市冒険『城砦都市カーレ(罠の都カーレ)』を発表しているので、いずれ両者を比較してみるのも一興だと考えているのですが、ずいぶんと先の話ですな。
ともあれ、FFを代表する悪徳交易都市ポート・ブラックサンドです。不死のザンバー・ボーンを退治する方策を求めて、盗賊都市に住む奇矯な魔術師ニカデマスを訪ねに行った主人公が、都市を散策して回り、最後にザンバー・ボーンの闇の塔に乗り込んで、罠をかい潜りながら決着をつける話です。
この辺りから、リビングストンの持ち味である「ストーリー中盤での、劇的なドラマ転換」が発生するようになります。
「ブラックサンドに侵入し、ニカデマスさんを探す」→「ニカデマスさんから、ザンバー・ボーンを倒すための3つのアイテム*2を探すように助言を受けてのアイテム探し」→「ブラックサンドを脱出して、ザンバー・ボーンの闇の塔にて決着」の大きく3章構成。
ストーリーの進展に合わせて、目的が人探し→アイテム探し→ボス打倒というように切り替わっているのが、段階的な盛り上がり演出になりますな。+1。
ラスボスについては、バッドエンド率の高いダークタワーが盛り上がりどころですが、1階層1イベントのミニダンジョンで、おまけ感が強く、クライマックスの盛り上げが弱い、と感じます。
ザンバー・ボーンとの対決も、トラップをうまく回避して、敵の正体を見極めることさえできれば、後は手持ちのアイテムの組み合わせを当てるだけ。ダイスを振ってのバトルにならないという点で、初プレイ時には白けた印象なので、それは点数になりません(これに1点を与えるなら、『モンスター誕生』のザラダン・マー戦にもあげないと)。
どんでん返しについては、「3つ集めたアイテムのうち、本当に必要なのは2つだけだった」というネタぐらいで、最後のザンバー・ボーン戦に3択の選択肢を付け加える程度でしたが、そこまで来て選択ミスったのを(ヒントなしなので、完全に運まかせ)、たぶん多くの読者はチラ見して外れだったら、当たりが出るまで選び直すことにするでしょう。
あまり効果的な仕掛けだったとは思いません。
この辺りで、リビングストンさんもゲームとしての盛り上げどころをきちんと演出する手腕はまだ未熟で、歪なところがあったことは否めませんが、その歪さが逆に「耄碌じいさんのニカデマス」とか、「ボスにしては姑息で小物っぽいザンバー・ボーン」「それに対して、暴走馬車を駆る謎の領主アズール卿の黒幕っぽさ」というファンの反応を生み出すことになったのだと思います。
つまり、作品としてのツッコミどころ(未完成ぶり)が続編を出すことで、馴染み深さ、親しみやすさを生み出して、世界観の完成度を高めていく、新ジャンルならではの盛り上がりに寄与していく、と。
そして、ブラックサンドでのイベント群は、ここが盗賊都市だけに、主人公が家に置いてあるアクセサリーをこっそり盗んで行っても、店や屋敷の主人と戦いになっても、いや衛兵ともめごとになっても、他の街と比べて、物語が成立する自由さを示しています。
しょせんは外から来たごろつき剣士と考えて、トラブル上等の押し込み強盗になることもできるし、やはり悪いことはしたくないと消極的かつ無難に振る舞うこともできる。
それでも後半は、海賊船荒らしとか、下水道に隠れ住む魔女の殺害とか、庭園荒らしをしないと必要アイテムが入手できないし、ブラックサンドの流儀に染まって、いろいろ好奇心と欲望のままに探索しまくるのが正解なゲームですな。
もちろん、他の街で同じように振る舞うことは、あまり推奨されませんが(苦笑)。
街の裏の治安を守る盗賊ギルドの設定が、FFではまだ作られていない時期の作品だったから、主人公は傍若無人に振る舞えたのでしょうな。
ゲームブックにおける都市描写のあり方について、一つの実験作になったのが本作で、それが比較的暴力的で、文明が後退して野蛮な傾向があるアランシア北西部(だからこそ冒険のネタが豊富にある)の印象を強めることにもなった、と。
ともあれ、名前のある各種の「通り」(ダンジョンの通路に相当)と、「店や家」(ダンジョンの部屋に相当)で構成された迷宮都市として最初に示されたブラックサンドのイベントは、他の作品ではさほど見られなかった猥雑さが魅力ですね。+1。
やはり、街中をトロールの衛兵が闊歩し、店主が武装したハーフオークとかで、海賊が堂々と大手を振っているし、混沌なんだけど、アズール卿の罪人処刑と晒し物の恐怖政治があるために、完全な無秩序ではなく、そこそこの自制が保たれている独特のイメージが成立しているのが面白い。
この80年代世紀末っぽい乱世の中の秩序が、リビングストンのファンタジーセンスかな、と。中世以前の、英雄コナンめいた古代の都市と荒野の時代ってことで。
まとめると、「冒険のミッションが切り替わり、段階的に進展するストーリー+1」「都市という新環境で発生するイベント群+1」「自由と暴力の支配する(領主が暴力で街の支配を勝ち取った設定の)盗賊都市という、冒険向きの舞台を構築した作者のセンス+1」の3点です。◯評価。
足りないのは、ラスボスのクライマックス盛り上げと、サプライズ的などんでん返しドラマですが、それは次作以降でクリアできる、と。
③死の罠の地下迷宮
ブラックサンドの次は、〈迷宮探検競技〉というテーマで新たな都市ファングと、迷宮マニアのエンターテイナー領主サカムビット公という新キャラを用意。
長らく謎の支配者とされてきたアズール卿に対して、サカムビット公は、FFシリーズで初めて公然と姿を見せた領主と言えます。
それまでは、サラモニスのサラモン王、ストーンブリッジのドワーフ王ジリブラン、シルバートンの町長オーエン・カラリフといった、冒険の始め、もしくは終わりに少し顔見せしたりする程度の領主キャラでしたが、ほぼ個性が描かれていませんでした。何だか事件が起こって困っているから、主人公がそれを解決する契機程度の扱い。
しかし、サカムビット公は、「街の発展のためのスペシャルイベントとして、名物のデストラップ・ダンジョンを作って、エンタメ競技として成立させて、年に1度のお祭りとして盛り上げた名君」として、際立った個性を持って登場。
しかも、サカムビット公自身は、この競技を強制参加させていない。後からカーナス卿やアズール卿が名代という形で、奴隷や犯罪者を参加させたりしていて、非人道で残酷な卑怯者という印象が付きましたが(もちろん領主自ら迷宮探検競技に参加するのもリアルじゃないとは思います。アランシア人に人権という概念があるとも思えませんし)、サカムビット公は競技参加者に対しては過酷な運営者ではあるけれども、ファングの街の民に対して圧政を強いている悪徳君主ではない。
つまるところ、公はゲームのプレイヤーに対する理想的なダンジョンマスターの立ち位置なのですな。過酷な罠やモンスターは配置するが、裁定そのものはフェアであり、試練を突破したキャラに対しては、きちんと経験点と報酬を与えるうえ、時には迷宮攻略のヒントをくれることもある。
また、サカムビット公のモデルとして考えられる有名キャラは、ウィザードリィの狂王トレボーがいますが、迷宮そのものの主は魔法使いのワードナであって、トレボー自身が作った迷宮ではない。
一方、サカムビット公は自らがダンジョンを設計し、その運営は競技監督に任せていますが、どうも競技監督は迷宮の秘密を守るために、外に出さないような制度があるようです。自由意志で迷宮に挑戦する競技参加者よりも、競技監督の人生の方が苛酷な気がしますが、どうでしょうか。
さておき、ストーリー評価をしてみると、クライマックスがいまいち盛り上がらないというリビングストンのこれまでのストーリー上の欠点を克服するべく、本作のラストは「競争相手の忍者(技11、体9)」「表紙絵のブラッドビースト(技12、体10)」「ソーサリー1巻で脅威を示したボスのマンティコア(技11、体11)」の強敵3連戦を経た後で、キーアイテムの宝石をきちんとサファイア、エメラルド、ダイヤモンドの順番で壁の穴にはめ込む作業をして終了。つまり、数多くの難関が最後まで待っている。
技術点11とか、12とかって、これまでのリビングストン作品に出たっけ? と考えると、火吹山のザゴールと、盗賊都市のムーンドッグの一頭が技術点11で、技術点12は皆無だった。つまり、技術点12はジャクソンのバルサスや、ソーサリー1巻のマンティコアが初出で、どちらも魔法で対処する手段が用意されているのに対し、こちらは戦士のガチ対決で倒すしかない。最初の能力値が低いと、どうしようもないので、技術、体力、時の運までほぼ最高峰の勇者でないとクリアできない最凶ダンジョンなわけですな、これ。
FF10巻までだと、ソーサリーを除いて、『バルサス』『死の罠』『地獄の館』の3作が難易度トップ3で、だけど『死の罠』以外は、能力値が多少低くてもクリアできる正解の一本道が用意されていて、パラグラフ選択とボスへの弱点適用で何とかなる。プレイヤーのバトルでのダイス目も味方しないとクリア不可能なのは、『死の罠』ぐらいで、ここからリビングストンさんは殺意に目覚めたと言ってもいいです。
「ゲームブックは難しい方が喜ばれるようだ」とは、リビングストンさんの87年の来日時の有名セリフで、ここからリビングストン作品を解くには、技術点が最低でも10〜11が必要、できれば12が望ましい、と言われ、それに対するように、リビングストンさんは技術点を減らすような罠や仕掛けを頻繁に出してくるようになって、いかにリソースに重点を置くかというゲーム性、運だめしの多用など、FF基本ルールのフル活用が特徴にもなっていく、と。
ともあれ、クライマックスの難関が、それまでの迷宮の試練よりもいっそう激ムズにすることで、英雄のガチな力で粉砕することを要求する衝撃インパクトで+1。
サカムビット公のデストラップ・ダンジョンは、バルサスや地獄の館の悪魔よりも、恐ろしいぜって思えて来ます。
それでもまあ、続編の『迷宮探検競技』や、リビングストン最ムズ作品と語られる『甦る妖術使い』に比べたら、ゲームとしてフェアで破綻していないと考えられるのですが。
で、どんでん返しは、ない。最初から最後まで、「迷宮をいかにクリアするか」の単純明快なストーリー。罠やルート選択で悩むことはあっても、迷宮探索の物語が急に目的が切り替わって、迷宮の奥に封印された古の魔王を倒せとか、〈迷宮探検競技〉の裏で仕掛けられた貴族の陰謀を暴けとか、途中で迷宮に侵入してきたゴブリンの軍団を迎え撃てとか、そういうレベルのストーリー変化球はありません。
〈迷宮探検競技〉の直球勝負ですね。むしろ、続編の方が、競技前の予選めいた過酷な振るい落としや、競技後の残酷貴族への復讐という添加物が混ざって、変化球になってるわけで。
段階的な盛り上がり演出といえば、スロムを始めとするライバル競技参加者の死の場面に遭遇することで、ドラマや緊迫感を高める手法です。+1。
自分を除くと、5人の競技参加者。そのうち3人とは、死の場面に直接、接することになります。スロム、女エルフ、そして忍者ですね。スロムとは望まぬ形で対決を余儀なくされ、女エルフは大蛇に絞め殺される場面に遭遇して、助けようとするも手遅れ。忍者は最終決戦の幕開けに通じます。
他の2人、蛮人の片割れ(後にスロムの兄クロムと名付けられたり、クロムとは別人というパラレル展開になったり)、そして鎧兜の騎士については、迷宮の罠にはまって既に死んでいる状態を目撃したりもする。
ライバルそれぞれの顛末も、自分一人じゃないドラマを感じさせてくれて、物語の雰囲気に貢献してくれたわけです。
やはり、競技ものと銘打つからには、ライバルとの直接対決や、間接的に振るい落としに合うモブ参加者の描写があって欲しいですからね。
もちろん、デストラップと言うからには、道中イベントでも罠の数々が必要となります。
その辺も、サカムビット公の名を借りて作者リビングストンが読者を苦しませようと、楽しませようと数々の仕掛けを用意してくれています。
罠やモンスターと、それを突破した際の報酬(キーアイテムになる宝石とか、アイテムとか)がいろいろと配置されて、時には「お宝に誘い込まれて罠に陥るケース」とか、「落とし穴の底に見つかる通路」とか、おお、そう来たか、と感心させられる仕掛けも。
こういう仕掛けを見ると、自分のTRPGにも採用したくなるダンジョンマスターも多かったのではないでしょうか。
そう、ゲームブックがプレイヤー入門だけでなく、ゲームマスターへの生きた指南書になったりもするわけですな。
数多いイベントアイデア集に+1。
なお、これがただの意地悪が過ぎると、TRPGに流用しにくくなるので、自分がトラップにハマった時の感情を、採用の目安に考えることも大事。トラップには、適度な加減というものが必要だし、それを乗り越える手法もセットで考えるべき、というのは、クイズやパズルと同じです。解法のない問題は出すべきではないでしょう。
その点で、サカムビット公の考案したトラップはお見事。ただ『迷宮探検競技』はフェアとは言えない、理不尽な作りになっていますし、カーナス卿が新作ゲームブックでどんなダンジョンを用意したかも気にはしつつ。
リビングストンの作家センスについては、本作が頂点……とは申しません。
本作で覚醒したセンスを土台に、さらなるエンタメを示してくれて、今なお新作を書き続けてくれていることに、敬意を示しつつ+1。
継続性という観点では、最高のゲームブック作家であり続けています。
まとめると、「ルールの範囲で最強クラスの強敵とガチ3連戦、続いてキーアイテム(宝石)集めと使用手順による正解を求めてきて、最終試練の激ムズさによるクライマックス・インパクト+1(デストラップの名は伊達じゃない)」「スロムとの中盤ドラマと、他の競技者の動向も見え隠れする、競争ストーリー性を帯びた段階的な構造+1」「全編を通して、設置された罠や仕掛けの数々を一つ一つ乗り越えていく、巧みなイベント群+1」「迷宮エンターテイナーである領主サカムビット公を通した、作者リビングストンの挑戦状に畏れ慄くプレイ体験+1」の合計4点で、◎です。
④トカゲ王の島
最初に言っておくと、自分は『トカゲ王の島』をFF10巻までの冒険ゲームブックで最高峰の傑作だと考えています。
しかし、この作品の完成度については、世間では思いきり過小評価されています。理由は、傑作『死の罠の地下迷宮』と同じく傑作『サソリ沼の迷路』に挟まれて、地味なポジションに見られがちなのと、
FFシリーズの評論家として第一人者の安田均社長が『盗賊都市』の不完全さを魅力的と持ち上げる一方で、この作品については「話がうまくまとまり過ぎて、スケールの小ささを露呈した感」的な批評を加えた挙句、『雪の魔女の洞窟』を持ち上げる一方で、本作については、まともに論評を加えていないから。
初期のリビングストン作品で過小評価されたのは『運命の森』と『トカゲ王の島』ですが、前者に比べて、後者はまだ再評価もコレクション版での解説においても為されていない(島という閉鎖環境は、ロードス島もそうだが、初心者向きがどうこう……という話で、中身についてはさほど触れられていない)ので、こればかりは自分のひいき目で熱量たっぷりに語っておきたいです。
まず、本作はワールドガイドの『タイタン』を宣伝すべきウォーロック誌での解説記事において、周囲から孤立した閉鎖環境においては、売りが少ないという背景事情がありまして、確かに「火山島という場所」や「トカゲ王という奴隷上がりの異種族にして、ゴンチョンの傀儡」はアランシアでは小物ですな。
アイランド・ミニキャンペーンという呼称が為されていましたが、このミニとは大作ソーサリーと比べての評価であり、また次回作の『雪の魔女の洞窟』がアランシアの大陸各地をつなげる旅を描いたということで、そこに至る過渡期の『トカゲ王の島』は進化の本筋から外れた寄り道作品のように見られたのかもしれない。
しかし、ここでは「リビングストンの冒険ファンタジーゲームの集大成、一つの完成形」という評価を付与します。
先に結論すると、以下の評点になりますね。
- ラスボスのトカゲ王は、弱点を突かなければ、技術点12、体力点15の強敵であり、その前座の黒ライオンも技11、体11という前作のマンティコア並みの手強さ。この2連戦は、ガチで戦うなら結構な死闘である。さらに、相手の肩書きは異種族の王である。この時点(84年)では、ソーサリーが完結していないために、王と名乗るラスボスはトカゲ王が初である。これでクライマックスが盛り上がらないはずがない。+1。
- どんでん返し。トカゲ王の評価を下げている原因の一つである寄生虫ゴンチョン。厳密には共生関係にあって、ゴンチョンの魔力でトカゲ王はパワーアップしている設定で、意志を持たずに操られているわけでもないのだが、どうも、そう見られがちなのは、弱点のサルに怯えているのを、ゴンチョンに叱咤されて戦いを強要されるシーンがあるからだろう。とにかく、ボスの後ろに真のボスがいるという展開は、FFでは本作が初である。+1。
- 段階的に盛り上がる構成。奴隷解放から、反乱戦争に続くストーリー。『運命の森』で描かれずに終わった戦争という背景が、ここで実を結ぶ。+1。
- イベントの数々。海岸→ジャングル→沼地や山岳地帯→鉱窟(ダンジョン)→火山のふもと→トカゲ王の本陣(ダンジョン)と、野外の様々な地形とダンジョンを組み合わせた多彩な舞台。ソーサリー4作の多彩な屋外冒険を1冊に凝縮した密度の濃い探検行。+1。
- 作者リビングストンの冒険ストーリーの王道がここに集約される。+1。これ以降は、しばらく変化球の模索が続く。
というわけで、5点満点の◎です。
ここまで、『運命の森』2点、『盗賊都市』3点、『死の罠の地下迷宮』4点と続いて、この作品で見事に完成となるわけですな。
野外冒険としては『運命の森』の拡張発展版であり、『盗賊都市』『死の罠の地下迷宮』にまつわるエピソードも語られて、『雪の魔女の洞窟』を待たずとも、広がる世界のつながりを感じさせてくれる作品です。
この作品に欠点があるとするなら2点。
1つは、主人公の相棒マンゴの早すぎる死、です。背景と序盤のお喋りから、マンゴが主人公の親友であり、主人公と同様の正義感と冒険心を持つ船乗りであることが語られる。そして、マンゴの故郷の漁村オイスター・ベイが、トカゲ王の奴隷狩りにあって若者たちが火山島に連れ去られたことから、打倒トカゲ王の冒険が始まるわけですが、島への上陸まもないタイミングで、大ガニか海賊と戦ってマンゴが致命傷を受けて、主人公に後事を託す退場劇。
前作では、蛮人スロムとの出会いと、つかの間の交流、そして競技監督の采配で互いに殺し合いをさせられて、無惨にも主人公自ら葬ってしまう結果となる。競技の勝者を決めるには、いつか戦うことになるにせよ、それまでは共闘できる間柄だったのに……と惜しまれての死が話題になりました。
同じように、「親友の死と、無念を晴らすドラマ」が盛り上がるだろう、とリビングストンさんは考えたのかもしれませんが、マンゴは序盤で押しつけられた親友設定です。プレイヤーがそれを実感するには、共に同じ危険を乗り越えて、ある程度、話を進めたうえで、「マンゴはいい奴で、いっしょに冒険するのは楽しい」という物語の中での共通体験が欲しいわけですが、そういう溜めもなく、いきなり死んだ。
同じ死ぬにしても、せめて共にジャングルを乗り越えて、これから山岳地帯だってところで、主人公をかばって命を落とすとか、もっと見せ方はあったろうに、と思います。序盤で死んで、エンディングで突然、思い出す。作者にとっては、親友マンゴのことはプレイヤーも忘れないだろう、と思っていたのでしょうが、少なくとも自分はきれいさっぱり忘れていました(苦笑)。
マンゴのポジションは、スロムというより、『運命の森』の頼み人、ドワーフのビッグレッグや、『雪の魔女の洞窟』の序盤でイエティに殺された猟師と同様に、冒険の誘い役でしかなく、同行者には届かなかったと考えます。
この辺はまあ、リビングストンさんの試行錯誤が見られるところ。
もう一つの欠点は、最近になるまで後の作品で言及されることがなかったという不遇さかな。
例えば、次の『雪の魔女の洞窟』では、リビングストンの既作である『火吹山』『運命の森』『盗賊都市』『死の罠』までとつながる引用シーンがあるのに、当作だけは直前の作品だからか、特に振り返ることなくスルーされた。
自分の知るかぎり、当作に関する言及が為されたのは、『危難の港』『巨人の影』など最近のことである。その際は、「おお、トカゲ王のネタじゃん。やっと日の目が当てられたか! マンゴが生きてるなんて……(感涙)」と感じ入ったものです。
なお、トカゲ王のネタは、山本さんの『暗黒の三つの顔』の旧世界編でも採用されていますな。ゴンチョンと、炎の剣とか。そちらも今月には続きを書く予定。
とにかく、近年に言及されるまでは、リビングストン作品で後から顧みられる機会の少ない、閉じた作品であったことも事実。
ただ、トカゲ人と戦争というキーワードだと、FF31巻、マーク・ガスコインの『最後の戦士』がより大規模なトカゲ帝国の侵攻という背景設定で、本作にオマージュを捧げているようにも思える。じっさい、自分が学生時代にプレイした最後のFFになった作品なわけで。
後の2作(『奈落の帝王』『アーロック』)は最近にようやくプレイした積ん読ゲームブックだったわけで。

まあ、何はともあれ、FF29巻の『真夜中の盗賊』が『盗賊都市』オマージュであるのと同様、『最後の戦士』は『トカゲ王の島』のオマージュ作品とも見受けられるので、そういう観点から攻略記事を書くのも一興と考えています。
で、近年は『トカゲ王』について語られる機会も増えて、本作が決して「閉鎖環境でスケールの小ささを露呈した魅力の薄い作品ではない」という自分の積年の主張が伝えやすくなったわけで。
だって、わずか1作で、物語に詰め込んだ内容が凄くない? 冒険物語として、ものの見事に完成してるじゃん、これ。何で、これがリビングストンの代表作になってないの? と思わせるぐらい学生時代に感じ入ったわけで。
『雪の魔女の洞窟』が本作の一部要素をさらに発展させた面があるにせよ、どちらかと言えば、変化球的な作品だったのに対し、リビングストンの直球王道精神の完成形がこれだな、と自分的には考えているわけです。
〈癒やし手〉ペン・ティ・コーラの原型とも言える呪術師とかもいるし、冠に擬態して相手を乗っ取るゴンチョンって、〈灰色の魔女〉カーラのサークレットに似てなくね? とか、いろいろつなげて考えていた学生時代も懐かしい。
まあ、考えていただけで、誰かと話したり、どこかで発表したわけじゃないから、この機会に吐き出しているんだけどさ。
とにかく、自分にとって『トカゲ王の島』は、インディー・ジョーンズの映画を連想するぐらい、波乱万丈の一大冒険譚だったわけで、一作で見事に完結した名作だったのですよ。
隠れた名作であったとまで言える作品に日の目が当たる時代になったのは、感慨深し。
⑤雪の魔女の洞窟
本記事のラストです。
『トカゲ王の島』プッシュという本記事の最大の目的が果たせたので、サクッと行きます。
- ラスボスの雪の魔女は、倒しても倒しても、後から何らかの形で甦ってくるしつこさがポイント。洞窟内で1回倒した後は、魂を水晶玉に移して再度、襲撃してくる。1回倒して、後は洞窟を脱出するのみ、と思ってたら、また出たお化けって感じ。その後、洞窟を脱出して、少しして分かるのは〈死の呪い〉。ラストは呪いの解除、という変化球でバトルにはならないけれども、火吹山を舞台に美しい死と再生のドラマを感じさせてくれるので、ゲームブックで描けるドラマへの挑戦、と。この〈死の呪い〉を自分は雪の魔女の仕掛けた再生儀式の一環として2次創作気味に解釈したけど、「中盤で倒された残念ボス」の一般的評価を、「それでも復活しようとする恐ろしい不死の魔女」という認識で話を続けようってことです。これこそ自分の本作への作品愛ってことで、ラスボス+1。シャリーラ萌えです。
- どんでん返し。まあ、中盤でボスが倒されて……という時点で、意外な展開なのは間違いありませんし、+1でしょう。主人公がラスボスに乗っ取られるというのは、うちの暴走解釈として。
- 段階的に盛り上がる構成。再プレイで実感したのは、『トカゲ王』で描かれた奴隷の反乱が、本作でも引き続き採用されていたんですね。雪の魔女の魔力が絶たれたおかげで、奴隷を縛る首輪の魔力が無効化されたことを赤速たちが伝えに来る。奴隷たちが反乱で暴れているうちに、洞窟の奥から脱出を……という展開に。そこからさらに……と畳みかけるようなストーリー展開で、洞窟脱出後の緩やかな旅路での開放感を経て、ストーンブリッジから呪い発覚の緊迫感に突入。この「一度緩めるというドラマ手法」が本作の独自性かもしれません。それだけに、一度助かったと思わせて、呪いで仲間を死に追いやるものな。しかも、その呪いに巻き込んだのは主人公自身という皮肉な展開に多少の罪悪感も。そりゃあ、強い印象を残しますわ。伏線の張り方もお見事、と。+1。
- イベントの数々。雪山での野外エンカウント、洞窟内部の侵入劇、雪の魔女を倒した後は脱出途上に2人の仲間との交流劇、第2次決戦はパズルめいたバトルで単純な殴り合いにはならない。とにかく、テンポよく展開を切り替えて、話をダレさせないのが、ほぼ一本道シナリオとは言え、その一本道の面白さが生きています。ゲーム性を重視して、ややこしいルート分岐で正解を見つけ出すやり方を避けて、ストーリー性の方を重視した作品。だから、イベントの密度も大変濃くて、これまで以上にストーリーゲームの新展開を感じさせてくれます。+1。
- 作者のセンス。『トカゲ王の島』で冒険物語の完成品を示した後、次なる挑戦は仲間との交流を深めるとか、ドラマ性の強化。および世界をつなげるという、ストーリーの面白さの追求ですな。ジャクソンの方向性とはまた違う、背景世界の強化、および起伏に富んだドラマ性への実験精神に+1。それが、今なお円熟して続いているものなあ。
そんなわけで、5点満点の◎です。
王道直球な豪快英雄譚の『トカゲ王』に対して、こちらは変化球ながら中盤の仲間との交流劇に力を注ぐとともに、アランシアの大陸観光ツアー的な側面を強調。ここまでシリーズを追いかけ続けたファンへの大サービス的な記念作仕様にもなってます。
言わば、「つながる絆、つながる世界」というキャッチフレーズで表せそうな作品ですな。まあ、絆の方は運命と呪いのせいで絶たれてしまう悲劇も込みなんですが、それだけに印象深い。
スロムが人気になった要因を、冒険中での「出会い」「交流」「別れ」の3拍子にあるとすれば、「出会い」と「交流」をショートカットして「旧友」「マンゴの一方的なお喋り」で片付けてしまったのが欠点になるだろうし、そこを改めて、しっかり3拍子を固めてきた本作が、ドラマ的には改善されたことは明らか。
こうやって、進化発展が論じられるシリーズの追跡は本当にいいものです。
次は、その進化の行き着く先のリビングストン後編の前に、他の作家の作品に移りたいと思います(変化球ながら、時系列的にそうなるわけで)。
(当記事 完)
