ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

ゲームブックの面白さ振り返り(その5、プレイ後の満足感)

これで最後の振り返りになるはず

 

 自分の好きなゲームブックを極力、「客観的な面白さ」で数字評価してみようというチャレンジで、ずいぶん長々と書いて来ましたが、最後に一つの難関が。

 名作『盗賊都市』の面白さを、NOVAは評価していないという盲点が発覚。

 いや、この作品の歴史的意義や魅力は分かっているつもりなんですが、「ラスボス戦などのクライマックス」「どんでん返し」的なストーリーが面白いわけでもなく、主人公が個性的だとか、システムが新鮮とか、目を引く要素があるわけでもない。

 ただ、冒険の舞台としてのポート・ブラックサンドのFF代表的都市としての魅力、の一点に尽きますね。

 FF初のシティ・アドベンチャーとは言いますが、通りがあって、広場があって、買い物できる店や宿があって、多くの住人たちの営みがそこにはある。こういう物語の舞台の魅力については、自分のここまでの点数計算では反映しづらいということになります。

 それにしても、ブラックサンドって、都市冒険の基準にするには特殊すぎますね。入るのも出るのも大変というか、『バルサスの要塞』並みに厳重な悪の砦って感じが濃厚で、初出では都市型ダンジョンって感じのゲームの舞台。

 だからプレイヤー側も、ダンジョン探索ゲームみたいな振る舞い方が問題なくできる。つまり、ハック&スラッシュですな。自由と暴力の支配する冒険者好みの街というか、これがアランシアだって象徴みたいな街。

 で、自分が最初に『盗賊都市』をプレイしていた時に、楽しさがよく分からなかったのは、「真面目ないい子ちゃん学生」だったので、善人プレイしかできなかったから。要するに、ダンジョン並みの自由と暴力の許される街だって割り切りができずに、ただの正義のヒーロー感覚で臨んでいたから、品行方正なプレイスタイルしかイメージできず、ブラックサンドの多くのイベントをスルーしていたことになります。

 そして、冒険のメイン舞台は「ザンバー・ボーンのダークタワー」であって、ブラックサンドは情報収集と冒険の準備をするための前座的なイメージで考えていたから、実は前座と見なしていたのが本編で、ダークタワーが終盤のミニダンジョンでしかない、という構図に初見では???を感じていたのだと思う。

 当時は、ファンタジー世界の街での冒険のイメージもあまり持っていなかったですしね。何もかも素人でした。ソーサリー2巻のカーレの方が先にプレイしていたと記憶するけど、あっちはカーカバード(当時はカクハバードと訳されてた)の荒野に面した危険な街で、あくまで「旅の中継地点で、冒険のための場所」という認識があって、危険なカーカバードの一部だから、そこに人が暮らす生活空間って印象はなかったですね。

 カーレとブラックサンドのどちらが危険かって印象で語るなら、カーレの方がデッドリーで、先にそちらをプレイしたものだから、「ブラックサンド? 言うほど大して危険じゃないよな」って感覚だったのも大きい。じっさい、好奇心に駆られて、わざわざ危険を冒さなければ、前半は楽にクリアできるのが『盗賊都市』で(選んだルートにもよる)、逆に後半は3つのアイテム探しのほかに、〈銀の矢〉と〈刺青〉のための資金稼ぎもしないといけなくて、ハードルは上がるけど。

 そしてクライマックスのダークタワーは、それなりに即死トラップがあって危険な場所だけど、普通に選択肢の選び方次第で簡単にかわせるものばかりで、しかも根本的にボスのいる部屋を除けば、途中イベントはスルーしまくりで、あっさりクリアできる。

 この簡単さゆえに、『盗賊都市』は思ったより呆気なくて、つまらないという初見の印象があったのですが、その原因が作品そのものにあるのではなく、自分の個人的な受け止め方(先にもっと刺激的なカーレをプレイしたものだから、相対的にブラックサンドのインパクトが薄れた)にもあったんだな、と今さらながら納得。

 考えてみれば、先にソーサリーをプレイしたから、『火吹山の魔法使い』を(初見では)あまり面白いと感じなかった、というのもありますね。

 でも、まあ、リビングストンさんの上手なのは、インパクトの塊のような『死の罠の地下迷宮』も、ソーサリーを除く初期FFで自分の一推しの『トカゲ王の島』も、ファングやオイスター・ベイの地理的環境がどちらもブラックサンドを始点として、その北、あるいは南に位置していて、積極的に世界を少しずつ開拓する試みが為されている点。

 必然的に、ブラックサンドのことが何度も反芻されて、その度に印象が深まるじゃないですか。おかげで、カーレはあまり観光スポットにはならないのに対し、ブラックサンドは(あれだけ出入りが大変なのに)FFゲームブックではお馴染みの観光スポットとして発展した印象がある。

 ワールドガイドまで出版されるぐらいには。

 『盗賊都市』というゲームブック単体の魅力だけではなく、アランシアの世界観の中心として、代表的都市にまで成長したブラックサンドの原典として、評価に加える価値があるな、という話です。

 

エンディング評価

 

 FFゲームブックのエンディング・パラグラフ(多くは400番)には、いくつかのパターンがあります。物語の最後にあって、読後感を決定する大きな要因にもなりますので、改めて分析してみましょう。

 

①ハッピーエンド(安全なところに帰還して宴エンド)

 

 おそらく、一番多いと思われるパターンです。

 自分が初めて経験したのは、ソーサリー1巻で、マンティコアの洞窟から村長の娘を助けて脱出して、トレパーニの村で人々の喜びに接したとき。

 そこで体力その他の能力を回復して、村長から次の目的地に入るための〈カーレの鍵〉をもらうなどのボーナスがあるのですが、4部作最初の巻のエンディングは、主人公の活躍を褒めたたえる人々という形でめでたく終了。

 事件解決、めでたしめでたし。

 みんな幸せになって、主人公も努力が報われて祝ってもらえる王道エンドです。

 FFシリーズでは、第3作の『運命の森』で初めて、この手のエンディングになります。王のハンマーが戻ってきて、祝祭気分のドワーフたち。この後は、トロールとの戦争が待っているのですが、ハンマーさえ取り戻せば勝ったも同然、とそこを深く掘り下げたりはしません。

 まあ、世界にハマりこむプレイヤーは続きを気にするものでしょうが、逆にマニアックなプレイヤーをハマらせるには、きれいに終わらせるのではなく、想像の余地ある含みを持たせるのがいいのかもしれません。

 

 その後、『盗賊都市』『死の罠の地下迷宮』『トカゲ王の島』までがこのパターンで続きます。ザンバー・ボーンの脅威から解放されたシルバートン、初の迷宮踏破者の誕生に拍手喝采するファングの住人たち、そしてトカゲ王の軍隊との戦争に勝って解放された鉱山奴隷たちの祝宴など、主人公(プレイヤー)を称える人々という構図で、きれいに盛り上がって物語は終結します。

 最後はこうでなくちゃ、と満足度も高いですな。

 

 『死の罠の地下迷宮』については、主催者であるサカムビット公の表情もいいですね。

 生還者が出たことで、すごく驚く。最初は素直に状況を受け止められずに、悔しさもあってか、主人公に冷ややかな視線も向けたりするんですが、人々の喝采の声に後押しされて、約束の報酬を与えることを公然と宣言する幕引き。

 この冷ややかなツンモードだった領主が、自分の感情を押し殺して、人々の反応に敏に振る舞い、公明であろうとし、約束はきちんと果たそうとする姿勢を示したところが良いですね。

 なお、自分にはサカムビット公が主人公の勲しを受け入れて、デレたようにも見えたのですが、とにかく「約束を守る政治家」「人々の求めている声に応える領主」というのは、立派に名君してると思うんですね。

 

 報酬額の大きさは(じっさいのゲームでは使えないので)置いておいて、民衆に喝采されて、都市の領主に武勲を認められるエンディングは、王道で満足感も高いです。

 

②ハッピーエンド(1人で勝利に満足する使命達成エンド)

 

 迷宮の奥とかでボスを倒した。

 まだ、安全なところに脱出するまでは至っていないけど、とりあえずは任務達成おめでとう、という形。

 最初の『火吹山』は、ラストでザゴールのお宝を入手。財宝いっぱいの宝箱のイラストも描かれて、しかも大魔術師の呪文書までゲットして、もしかすると火吹山の次の主人になれるかも……と野心まで匂わせて、終わりと。

 これはメタ的には、「プレイヤーとして楽しんだんだったら、次はダンジョンマスターをやってもいいかもね」という示唆かな、とも思っているのですが(『火吹山』の最初の企画案はD&Dへの入門書だった)、ともあれボスを倒して、自分が新たなボスに……というトゥルーエンドは『奈落の帝王』にも反映されたかな、と。

 悪堕ちバッドエンドなら、『運命の森』でも『トカゲ王の島』でもあったりするのですが、正規エンドで倒したボスの後釜として君臨する系はなかなか珍しい。

 なお、D&Dだと、廃城跡のダンジョンをリフォームして、自分たちの拠点にするというのは、割と定番の遊び方だったと思いますが(青箱エキスパートルールで、自分の城を作るルールがあるのだけど、ゼロから城を作るのは手間も金も掛かるので、既にある城のマップの破損箇所を直して拠点に作り替える方が効率いい)、せっかくあるダンジョンの再利用は結構いいな、と思いました。

 まあ、拠点じゃなくても、今だと『ダンジョン観光ツアー』なんて企画スポットにしてもいいかと思います。有名ダンジョンの次期マスターなんてやると、先代の悪評を聞きつけた冒険者が侵入してきて、誤解から攻撃されるという可能性もありますので。「悪辣なダンジョン主を倒して、今は平穏な観光地として再出発」という売り文句にすれば、変な誤解も避けられるかも。

 

 変わり種は『さまよえる宇宙船』。

 無事に故郷の地球に帰還できてのハッピーエンドなんですが、船員たちが設定されているので、その場で自動的にみんなで盛り上がる宴エンドに突入できるとは思います。だけど、文章中にそういう描写は特にないので、プレイヤー的には(仲間がいる物語なのに)一人で満足しているしかない過渡期な作品。

 これが後世なら、船員たちの名前や性格などをキャラ付けして、もっと皆で盛り上がるシーンを描写できたろうにな。

 

 もう一つの変わり種は『天空要塞アーロック』。

 これもラスボスの代わりに、アーロック領主の座に君臨するラスボス後継者エンドなんですが、冒険中に主人公が王になるようなことを何もしていないんですね(苦笑)。

 そもそも、元々の任務は、アーロックを守る完璧な防空システムのせいで宇宙艦隊を派遣しても被害が大きくなるだけだから、主人公の優秀な小型宇宙船でこっそり侵入して、アーロックの中から防空システムを司るコンピューターを破壊して、本隊がアーロックを制圧する段取りを構築せよ、という侵入工作スパイみたいなお仕事。

 でも、終盤で分かるのは、「お前の侵入はとっくにお見通しだから、コンピューターはすでに移送済みだ。お前の使命は失敗したのだ、ハハハ」NPCに煽られたと思ったら、ボスは下剋上を受けて一緒の牢獄に捕まっていて、敵側が勝手に内紛で組織崩壊という二重のどんでん返しオチ。

 いや、ヒーロー物で「ピンチから一転、チャンスに切り替わる」という展開はありますが、それは敵側のドラマを伏線として見せているからこそ、納得できる話になるんですね。プレイヤー視点で、伏線もろくに見せないまま、結果だけをサプライズで示されても、そんなご都合主義な……となる。

 敵の下剋上が発生するのなら、プレイヤーとしては、その反乱勢力の情報を前もって聞くなり、むしろスパイとして潜入するなら、反乱を焚きつけるなりすることで、自分の目的達成に利用するぐらいして然るべきなのに、主体性を奪われたまま、こちらは単に現場に居合わせただけということになります。

 王になるには当然、既存勢力との人脈作りとか、有能な人材獲得とか、ややこしい折衝が必要になるのは「大人なら分かる」わけですね。ただ悪い奴らを壊滅させたら、その後釜に自分がそのまま就いて、領主でござい、と振る舞えるわけでもない。

 ファンタジー世界でよそ者の英雄が王になるセオリーとしては、「神さまから神託が下された」という上位存在からのお墨付き(王権神授説)を除けば、地元の反乱勢力に協力して、組織運営などの細かい作業は彼らに任せて、自分は旗頭として戦いを主導する神輿になるというのが一つの定番かな、と。

 主人公は「優秀なスパイにして冒険家の宇宙貴族」という設定ですが、宇宙貴族の割に所領を持っている節がないということは、下級貴族になるのか。徳川幕府で言うなら、大名じゃなくて、旗本もしくは御家人、あるいは御庭番の家系かもしれん。

 そんな主人公が、アーロックのル・バスティン勢力を結果的に殲滅させた後、何とか宇宙艇を奪取して、宇宙艦隊を率いて帰ってくる。地元の悪党勢力を圧倒的な武力で制圧して、皇帝から統治権を与えられて王になる。

 ……ということが最後のパラグラフにあっさりダイジェスト気味に書かれているわけですが、アーロック統治って非常に面倒な作業なんですね。

 「王さまになった。おめでとう」と言われても、ロードスの暗黒の島マーモの統治を託されたスパーク君と同じで、手放しに喜べない。

 どこまで苦労させるんだ、この皇帝は! としか思えないこき使われっぷり。

 まあ、パフィンブックスの想定読者である児童層なら喜んでいたかも。「英雄が宇宙のマッドサイエンティスト(悪の魔術師みたいなもの)を倒して、その根拠地の悪徳惑星に自らの王国を建てました。めでたしめでたし」なんてのは、ファンタジーだといいのかも。

 でも、都市一つの統治権ならまだしも、星一つの統治権なんて、規模が大きすぎてイメージが湧かないですね。

 ゲームブックの冒険よりも大規模な物語の後日譚が、雑に記されても、自分でプレイした冒険ではないから、何だか作者の物語を押しつけられたような気がして、最後までスッキリしない稀有なハッピーエンドだと思いました。

 

③冒険は終わらないエンド

 

 ソーサリーのような続編ありきの作品は、1巻が終わると2巻に続く、という形で、物語は続きますね。

 最後のマンパン砦からの脱出については、バードマンと知り合いであれば、空の旅で故郷まで無事に連れ帰ってもらえます。

 新訳だと、最後に助けてもらったミニマイトのジャンも無事に連れて行ってもらうので、一応は仲間との凱旋という形になります。

 魔法封じのオーラさえなければ、悪い奴ではないですしね。

 

 さて、空から脱出という意味では、FF2巻の『バルサスの要塞』も印象深いです。

 ボスのバルサスを倒した後、要塞から《浮遊》の呪文を使えば、安全に塔から飛び降りて脱出を果たせます。

 問題は《浮遊》が残っていなかった場合。要塞内部の来た道をふたたび突破しないといけません。一応、ここまで来た知恵と機転、それに運が味方すれば、脱出も可能だろう、と示唆されますが、ここはバルサスの残した呪文書やアイテムの中に《浮遊》の効果を発動できるものがあって、脱出を助けてもらえるぐらいの処理でも良かったかな。

 ともあれ、うまく脱出できたにせよ、できなかったにせよ、サラモニス王国と柳谷は戦火の危機を免れることができて、めでたしめでたし、と。

 

 すっきりしない系のエンドとしては、『サソリ沼の迷路』の邪悪ルートも、きれいには終われません。

 グリムズレイドを倒したにせよ、金だけもらって退散したにせよ、邪悪に協力したことを反省しながら、次の冒険に向かって旅立つ、と。

 邪悪ルートの結末は、ちょっぴり苦めなのです。一応、邪悪推奨ってわけではない、というスタンスですね。

 

 次に『雪の魔女の洞窟』。こちらは魔女の仕掛けた《死の呪文》から解放されて、それ自体はすっきりハッピーエンドなのですが、最後の最後で別れたドワーフ仲間のスタッブの安否を気づかって、『運命の森』への冒険を示唆するような終わり方。

 これで続く『恐怖の神殿』にスタッブが登場してくれば、ああ、ビッグレッグは死んだけど、スタッブは無事だったんだな、と補完できたのでしょうが、そんなこともなく、スタッブの死は確定した事実と受け入れざるを得ない、と(『運命の森』の冒頭で、瀕死のビッグレッグが仲間の死を告げている)。

 こういうモヤモヤしたものを余韻として残すのも、シリーズとしては必要なテクニックなんでしょうな。

 

 次に巻数が飛んで、英ジャクソンの最終作だった『モンスター誕生』です。

 ザラダン・マーの鏡を破壊すると、マランハの効果も消えて、主人公は元の人間の姿に戻って、一応のハッピーエンド。

 ただし、敵に奪われたガレーキープの中ですので、ここから命がけの脱出劇か、あるいはガレーキープを奪い返して元の船長に返り咲くかの物語が……語られることなく、幕引きとなります。

 印象的なエンディングであることは確かなのですが、これで最後なんだから、すっきり終わらせましょうよ、と思ったのも事実。

 小説としては良くても、ゲームブックとしては、続きもないのに、モヤモヤが残るのは楽しくないなあ、と自分的には減点対象でした。

 ただ、こういう不満材料って、2次創作的に補完するネタとしては、いい切り口になるんですよね。だから、今の攻略記事を書き続けている身には、「不完全だからこその魅力がある」とも言えます。

 

 そして『火吹山の魔法使いふたたび』では、宴エンドでありながら、倒したはずのザゴールのさらなる復活を示唆しての幕引き。

 本国では、その翌年の1993年に続巻でザゴールは復活し、こちらのコレクション版でも4年後に復活した形です。

 続くリビングストンの『危難の港』は、ヤズトロモ、ニカデマスと、魅力的な相棒ハカサンの参加した豪華な宴エンド。

 会話も充実していて、個人的に歴代ベストなエンディングと考えています。

 その後の、「アズール卿への吉報」とか、次は『死の罠の地下迷宮』への挑戦を軽口混じりで示唆するハカサンとか、続編への匂わせも十分。

 

 そして、原本では2年後、翻訳版は1年後に登場した『アランシアの暗殺者』。自分のFFゲームブック経験では最も衝撃的なラストシーンと言えます。

 大体は、ハッピーエンドできれいにまとめるエンディングで、たまにハッピーさが不十分だったり、過剰さにノリきれなかったりしますが、それでも、ここまで過酷な「一難去ってまた一難」なエンディングがあったか、と言う。

 でも、今までセリフを発したことのないアズール卿が、主人公相手に声をかけて、その力量を認めたうえで、名代に指名するというのは、長年のファンにとってはご褒美でもある。

 個人的には、アズール卿とサカムビット公の揃い踏みだけでも尊い。前作もそうですが、この両雄は夢の共演ですからねえ。

 

 そんなわけで、思い出のエンディングシーンを振り返ってみましたが、改めて今回の読後感に関する数値評価の基準を考えましょう。

 

読後感を判断する指標

 

 まずは、「感じ入ったエンディング」ですね。これで1点。

 ただし、「感じ入る」というのが、かなり個人的な主観ですので、単純なハッピーエンドではダメです。何か感じ入る理由が欲しい。

 

 次に、作品の歴史的意義。

 この名作をプレイして良かったとか、FFを語るのに『火吹山』や『盗賊都市』を知らずして、ファンだとは言いにくい、という作品に付けます。

 これは、他の作品ともリンクしている作品がポイント高い。

 また、初のSF作品とか、唯一のスーパーヒーロー作品とか、そういう明確な特徴を持つものには1点を加算します。

 

 この両方を満たせば、◎で2点。1つだけなら◯で1点。どっちも満たしていなければ、残念ながらXです。

 エンディングはつまらないけど、途中までは面白かったので、総じて当たりだったという作品に対しては、どうしようかと思いましたが、それは今までの評価で点数をあげていますので、ここではあくまでエンディングの、しかも初見時のインパクトを思い出して、統計にしたいと思います。

 

最初の10作品

 

  1. 火吹山の魔法使い(◎):宝箱のイラスト演出も含めた達成感に+1。記念すべきFF第1作ということで、関連作も多いことで+1。
  2. バルサスの要塞(◯):FFで初めて魔法ルールを採用した記念作で+1。英ジャクソンのアランシア物としても重要な立ち位置にあります。
  3. 運命の森(◯):ヤズトロモ、ストーンブリッジ、ジリブランのハンマーというキーワードで、重要作品+1。
  4. さまよえる宇宙船(◯):初のSF作品という意義づけ+1。
  5. 盗賊都市(◯):ブラックサンドという都市の重要度に対して+1。
  6. 死の罠の地下迷宮(◎):ただのハッピーエンドではなく、領主サカムビット公の驚きと、冷ややかな視線、しかし威厳を取り繕いながらの迷宮踏破者への褒賞という、複雑な心情の反映されたエンディングにドラマを感じた+1。もちろん、続編もいろいろと描かれた作品の歴史的意義も+1に値する。
  7. トカゲ王の島(◯):戦争に勝って、奴隷を解放し、英雄としての勲しを亡き親友マンゴに報告する高揚感は+1。作品の歴史的意義は、残念ながら高くない。最近、再評価の機会を得始めているようだけど、客観的にはまだまだ浸透しきれていないと思う。
  8. サソリ沼の迷路(◯):エンディングは割と凡庸ながら、米ジャクソンの初ゲームブックとして、名作という評価は固い。+1。
  9. 雪の魔女の洞窟(◎):死からの再生を描写した印象的なエンディング+1。さらにアランシアのこれまでの冒険を振り返り、最後は『運命の森』に再び引き継ぐようなリンクぶりが、シリーズの最初の総括作品として意義深い+1。
  10. 地獄の館(◯):最初のホラー作品として意義深い+1。

 

FFコレクション収録作

 

 1巻から10巻までは、コレクション5集まででコンプリートしましたので、ここから先はその他のコレクション収録作を収録順に。巻数順ばかりだと飽きるので。

 

  1. 火吹山の魔法使いふたたび(◯):1集に収録。50巻。エンディングは宴エンドに、次作への伏線。これが最後のFFになっていたかもしれないと考えると、最後はすっきり終わらせるよりも、何やら思わせぶりな終わり方をさせたくなるのかも。ともあれ、続編は無事に出たので、きちんと話はつながったと思う。癖のある終わり方だけど、あまり感じ入ることはなかったかな。それより、10周年記念とか50作記念とか、こちらとしてはFFコレクションの目玉作品としての意義づけが大きい。+1。
  2. モンスター誕生(◎):1集に収録。24巻。思わせぶりなラストシーンが記憶に残り、続きが読みたい(ガレーキープの船長の後日譚が知りたい)という気にさせられました。印象的に感じ入ったラストなので+1ですが、それよりも英ジャクソンの次のゲームブック作品を読みたい、解きたいという感覚がずっと続いて、それが去年に満たされた、と。よって、彼の最後のゲームブックという意義づけは減ったけど、『バルサスの要塞』『トロール牙峠戦争』『サラモニスの秘密』に通じるシリーズ重要作品の位置づけは変わらない。+1。
  3. サイボーグを倒せ(◯):2集に収録。17巻。エンディングは普通に、事件解決おめでとうエンドなので特筆することはなし。だけど、作品としてはスーパーヒーロー物として特筆すべきジャンルと、4パターンのストーリー展開で非常にヴァラエティ豊かな、パズル感覚に満ちた楽しい作品で、これぞ英ジャクソンという傑作だと考えます。それで+1。
  4. 魂を盗むもの(◯):2集に収録。34巻。エンディングは、ボスを倒して異空間から脱出して、島で帰りの船を待つという凡庸な使命達成エンド。作品としての意義づけは、日本語版だと、キース・マーティンの初紹介作品という点と、33巻で途切れたパフィン版の続きの巻数という点で、35巻以降も期待していいのかな、と思わせた点。今後のコレクションの展開に期待を持たせたという点で+1。
  5. 危難の港(◎):2集に収録。66巻。エンディングは、宴エンドの中でも最高の豪華さで、ファンとしても至福の気分になれました。+1。作品としての意義づけは、リビングストンの5年ぶりの新作で、前作『ゾンビの血』(65巻、2012)がウィザード・ブックス最終作だったことを考えると、スカラスティック社の新展開を象徴するような作品。言わば、リビングストンさんのFF再々出発となる作品なわけで、シリーズを追っかけてきたファンとして面白くもあり、意義深くもある。+1。
  6. アランシアの暗殺者(◎):3集に収録。68巻。ハッピーエンドとは異なる衝撃的な展開なのに、シリーズのファンとしてはご褒美にも思える超変化球エンディング。他の作家がうかつに真似をすると大失敗しそうな幕引きながら、シリーズを長年牽引してきた大御所リビングストンだけに許されるトリッキーさ。いや、普段は割と王道直球型の作風の作者なのに、こんな球を投げられるんや、と感じ入った次第。+1。意義づけとしては、前作の善の魔法使いコンビに対して、今回は悪役領主コンビの初共演ということで、見事に対照的な作風を楽しませてくれるな、と。近年の作品の方が、総じてストーリー性が豊か、かつアイデアの妙を強く感じます。+1。
  7. 巨人の影(◯):3集に収録。71巻。エンディングは比較的凡庸なハッピー宴エンド。まあ、王道と変化球を代わりばんこに見せてくれるのでもいいかな。それより、40周年記念で、ジャクソンの新作と同時発売というインパクトが大きいですね。ジャクソンの話はアランシアの過去を描き、こちらは未来を描く対称性を示していますが、『火吹山の魔法使い』でつながっているのもポイント高いです。+1。
  8. サラモニスの秘密(◎):4集に収録。70巻。エンディングは普通にハッピー宴エンドながら、冒険者志望の少年が王子を助けて国家レベルの英雄に成り上がるという成長ぶりが快挙。冒険者が普通に使命を果たしただけでなく、少年が夢を叶えて……というジュブナイル成長譚としての結末が印象的。+1。もちろん、40周年という記念作もさることながら、ゲームブック作家として実に久しぶりの英ジャクソン復活作品というのが何よりも意義深い。+1。
  9. ソーサリー(◎):4集に4冊まとめて収録。別レーベルなので巻数はなし。83〜85年作で、4巻『さまよえる宇宙船』から17巻『サイボーグを倒せ』の間に位置する、英ジャクソンの代表シリーズ。全体のエンディングは、マンパン砦から故郷アナランドへ向けた空の旅で、長大な冒険の最後として感慨深し。+1。当然、ゲームブック史における金字塔として名高い。+1。

 

FFコレクション未収録作

 

 昔、社会思想社から出ていた作品を、発掘プレイしたもの。

 

  1. 真夜中の盗賊(◯):29巻。エンディングは、普通にミッション達成のおめでとうエンド。盗賊見習いの一夜の冒険試験という点で、いつもの冒険と比べてもスケールが小さいが、『盗賊都市』の世界観の続編として、裏社会の住人たちの姿をじっくり描写した佳作で、ブラックサンドの物語として重要な位置にある。+1。
  2. 奈落の帝王(◯):32巻。エンディングは、人から神に昇格した歴戦の英雄という最上級の冒険譚。クラシックD&Dにおけるコンパニオンレベルからマスターレベルの冒険を手軽に楽しめる。師匠から剣技を教わるのも、マスターレベルに実装されたウエポンマスタリー(武器習熟)の再現だと思えば納得できる。とにかく、クライマックスの、王国の興亡を賭けた神レベルの対決は、シリーズ随一のスケールの大きさになる。その超展開だけでも+1。そして、本作のポイントは、FFRPGのシナリオ『謎かけ盗賊』の物語ともリンクしていて、FFゲームブックの中では異色作ながら、当時(88年)の主流の方向性を意図していたとも考えられる。惜しむらくは、日本のゲームブック業界がブームを終えて、その流れに乗ることなく、異なるTRPGの発展に進んで行ったこと。88年から95年までのパフィンブックス26作品中、コレクションで翻訳された作品は現在『魂を盗むもの』『火吹山の魔法使いふたたび』『火吹山の魔法使いの伝説』の3作のみである。この後、残り23作の何が邦訳されるのかにも注目したく。
  3. 天空要塞アーロック(X):33巻。エンディングのダメさ加減は、すでに前述しているので、繰り返す必要も感じない。そもそも、この記事は「面白さ振り返り」というタイトルなのに、この作品について語ると、「いかに面白くないか」という話になってしまうので、不毛である。もしも、山本弘さんがこの作品をプレイしていたら、『FFゲームブック随一のトンデモ本認定していたのではないか、と思うが、生前にそういう質問で確認する機会が持てなかったのが残念である。いずれにせよ、この作品が社会思想社最後のFFゲームブックとなり、また「FF最後のSFゲームブックになってしまったので、何だかいろいろな戦犯として吊るし上げられつつも、レア商品として値段だけはバカみたいに高騰しているのが事実である。そして、こう言っては何だが、日本で一番、この作品について長文でダラダラ語っているのが、このブログだという自信がある。今、「アーロック」でブログ内検索をしたら、69記事も引っ掛かった。まあ、「火吹山」だったら127記事だったので、別にアーロック推しってわけじゃないんだからね、と安心したんですが(ツンデレ風味)。推しの「ソーサリー」だと88記事なので、まだ推し足らん。また、作者名だと「リビングストン」で144記事、「ジャクソン」で152記事ということで、さすがは御大2人ということに(まあ、ジャクソンには米ジャクソンも含まれるので、その分が水増し勘定されるのだろうけど)。ともあれ、「アーロック」について語るぐらいなら、ジャクソンやリビングストンの作品について語る方が建設的ってことで。
  4. 王子の対決(◯):1986年に出た2人用FFゲームブック。時期的には19巻から24巻の間で、日本では『迷宮探検競技』と『ロボット・コマンドゥ』の間に出たことになります。なお、作者の「チャップマン」はまだ8記事しか書いていない。この作品を攻略している別ブログでも8記事なので、合計16記事。一方、片割れのアーロック作者こと「マーティン・アレン」はこちらで14記事、向こうでも10記事の合計24記事なので、今後は頑張って、チャップマンが上になるように書いていきたい。3作分のネタはありますのでね。ともあれ、『王子の対決』に話を戻すと、エンディングは試練を乗り越えて、王位を獲得エンド。主人公が王子という設定なのは、FFでは本作と『最後の戦士』ぐらいか。一応、『悪霊の洞窟』の主人公も、ゴラク王国の初代国王タンクレッドの末裔という設定で、王子ではないけど王位を継げる英雄ということになっている。85年以降のFF(10巻越えた辺り)は、主人公の来歴がただの無色透明から特殊性を帯びていく流れが興味深い。王族の冒険譚はFFでは珍しい部類ですが、世の冒険ファンタジーでは普通にありふれているので、その点では凡庸に映る。もっとも、この作品のポイントは「2人用ゲームブック」という独自性に尽きる。それで+1。

 

『奈落の帝王』とイモータルな話

 

 結果的に、+2点のボーナスを最後に得たのは、『火吹山の魔法使い』『死の罠の地下迷宮』『雪の魔女の洞窟』『モンスター誕生』『危難の港』『アランシアの暗殺者』『サラモニスの秘密』『ソーサリー』の8作品ってことですね。

 他は、1作を除いて◯だらけ。

 

 個人的にポイント高いのは『奈落の帝王』なんですが、何しろ直後に国内展開が終了してしまったので、大きな話題になることもなく、主流になるわけでもなく、王道とは言えない異色作という扱いで止まってしまっている。

 しかし、FFシリーズが「D&Dの入門書からの発展」という歴史的経緯で考えると、クラシックD&Dの赤箱ベーシック(ダンジョン中心)、青箱エキスパート(ダンジョンから外の世界に出て、野外冒険や都市冒険を経て、英雄を目指す)までが対応していましたが、緑箱コンパニオン以降の上級冒険者の物語はレアだった。

 念のため、コンパニオンルールだと、世界に認められた有名な英雄(ネームレベル)になって以降の冒険を扱います。定住生活ではなく、永遠の冒険者として未知なる世界に挑戦し続けてもいいですし、その先には多元世界(マルチバース)という異世界、異次元への旅路が待っているのがコンパニオン。あるいは、この世界の若き重鎮として、王侯貴族と肩を並べる存在となり、所領を持って経営する領主、君主への道を目指してもいい(戦士の場合)。

 『奈落の帝王』の物語では、国家でも名高い英雄として、序盤から軍を率いて国の危機に対処する役割を求められますので、やはりD&Dにおけるコンパニオンレベル相当ですね。だけど、敵が軍隊では対応できない相手なので(一般人は魔界の虫に操られて敵軍の中に飲み込まれてしまう)、軍事活動ではなく、個人の調査活動で敵の正体を突き止めることを優先しないといけません。軍隊を率いることに固執すると、想定外の敵に対処しきれずにバッドエンドですから。

 軍隊で対応できないから、身一つの冒険者として外なる敵の侵略者も、内なる敵の陰謀者もしっかり調査するストーリー。そこに神々が関わってきたり(謎かけ盗賊を通じたロガーンの干渉)、ドルイド風の大魔法使いの助言を得たりして、やがて異世界に赴く流れもコンパニオン風味。そこで思いがけず神の力を得た結果、敵を倒したはいいものの、強大な力の代償として人間の世界に戻れなくなってしまう。

 神の力を宿したまま、人間の世界に赴くのは大量の魔力を必要とします。敵ボスは、その魔力を獲得するために、多元世界各地からアーティファクトを集めて破壊しながら魔力を収奪するとか、人々の魂を捕らえて資源に活用するとか、そういう描写で〈奈落〉の壮大な、しかし他者を犠牲にする奴隷化プランテーションを構築していました。

 主人公が敵のそういうシステムをそのまま活用して、世界侵略の後継者になるのか、それとも別の方法で魔力を得ることで、真の神として生きる術を考えるのか、あるいは自らを神の力から分離する方法を見つけて再び人の世に戻るのかは、いろいろな今後の選択肢が考えられるわけですが、まずは神の世界の理を学ぶための修練と、多元世界の高次元の冒険に赴く可能性を示唆して、物語が終結する、と。

 これらはD&Dのコンパニオンから、イモータルレベルに至る黒箱マスタールールの冒険イメージを、FFゲームブックの形で表現してみたと考えられますな。なお、『奈落の帝王』の発刊は1988年。クラシックD&Dのマスタールールは1985年に登場、それに続く金箱イモータルルールは86年に登場したので、『奈落の帝王』はそれらを受けての壮大な神話レベルのファンタジーの最先端を目指したのだと思います。

 ただ、日本では当時、そこまでのTRPG環境が成立していなかった。マスタールールは89年、『奈落の帝王』は90年に翻訳出版されましたが、それらを関連づけて紹介した人は寡聞にして知りません(ラストのネタバレにもなりますし)。神々への道というのは、当時のTRPGでもかなりのハイブロウな概念でもありました。

 人が神になる道をシンプルに描いたTRPGは、国産では90年に出た『ブルーフォレスト物語』が「悟り70に達したキャラクターは亜神に昇格し、現世からは姿を消す」というルールがあって、「神みたいな存在にはなれるけど、もはやゲームの扱う範囲を越えた」と見なされるわけですね。

 もっと曖昧なルールなら、それ以前にも『ローズtoロード』のシリーズでも転生による神化昇格の概念*1はあったと記憶しますが、どちらかと言えば、東洋風の昇仙的なユルセルーム世界独自の幻想世界観がありました。

 昇仙という意味では、94年の『央華封神』が東洋仙人ワールドを表現したファンタジーRPGで、仙人が天界の役人である神よりも格上という道教世界観を元に、西洋の神話観と異なる神のイメージを示しました。

 一口に神と称しても、土台とする神話背景によってイメージがまちまちですが、80年代末から90年代のフィクションは総じて、擬人化された神というキャラを量産して(ドラゴンボール聖闘士星矢などなど)、人と神の距離感を縮める(親近感を伴うとともに矮小化させる)傾向がありました。そういう背景で、TRPG界でも神という概念を表現できるシステムの模索もいろいろと行われていたわけですね。

 

 一方で、もっと早いアプローチとしては、「モンスターの一種としての神」という扱いも、D&Dのサプリメントで70年代後半から既にあったわけですが、その系譜はコンピューターゲームの『女神転生』シリーズ(1987以降)がリアル神話伝説の体系化を目指して踏襲し、そちらからTRPGに継承された流れもありますな(1993以降)。

 ここまでざっと振り返って来て、RPGにおける「神という概念、もしくはキャラクターの扱い」については、作品独自の世界観、宗教観、オカルト要素と絡み合って、結構、奥深いテーマになりますので、これ以上に掘り下げるのはまた別の機会にするとして、

 ここでは、FFシリーズのエンディングにもう一度、話を着地させます。

 最後のゴールとして主人公が王になるゲームブックは、出自が王子だったり、貴族だったりすると、それもありかと思いますが(それでもFFシリーズではレアな部類ですけど)、

 最後のゴールがイモータル、神に近い存在にまで達する作品は、『奈落の帝王』が今のところオンリーワンだな、と(未訳分で他にある可能性はありますが)

 もちろん、国産ゲームブックでは、最初から神の子である女傑を主人公にした『ワルキューレの冒険』3部作(初作は1988年)とか、探せば関連する作品はいろいろあるとは思いますけどね*2

 ただ、普通の冒険者(英雄)が異世界で神パワーを身につけて、新たな領域に達するD&Dイモータル的な結末として、『奈落の帝王』は凄かったぞ、とプッシュしておく次第。知られざる名作だということで。

 

面白さ総括

 

 まとめに入ります。

 ここまでの点数計算では以下のとおりになりました。

 

  • 9点:雪の魔女の洞窟、モンスター誕生、危難の港、サラモニスの秘密、ソーサリー
  • 8点:死の罠の地下迷宮、サイボーグを倒せ、アランシアの暗殺者
  • 7点:バルサスの要塞、トカゲ王の島、真夜中の盗賊、奈落の帝王、王子の対決
  • 6点:火吹山の魔法使い、サソリ沼の迷路、地獄の館、魂を盗むもの、巨人の影
  • 5点:運命の森、火吹山の魔法使いふたたび
  • 4点:盗賊都市
  • 3点:さまよえる宇宙船
  • 1点:天空要塞アーロック

 

 9点の作品は、ここではトップレベルの楽しい作品で、最後まで解いて、非常に感じ入った傑作だらけ、となります。

 7点から8点は、最後が割と予定調和のありきたりで、感動するまでには至らなかったけど、普通に達成感は得られた楽しい作品がほとんどです。ゲームとしては楽しいけど、ドラマ性がやや薄いとか、NPCが物足りないとか、そんなところ。

 まあ、『アランシアの暗殺者』や『奈落の帝王』は別の理由(同行者とのドラマがないとか)でトップに至らなかったわけですが、十分傑作の範囲ですね。

 

 5点から6点は、FFシリーズの基本だと考えます。ゲーム色が強くて、ドラマは割とありきたり。散発的なイベントを楽しむ普通のゲームで、感動とは無縁の作品たちですが、それでもクリアしたときの達成感で満足できるでしょう。

 

 さて、4点の『盗賊都市』は、できれば5点ぐらいの評価はあげたかったのですけどね。でも、ゲームとしては凡庸というか、ここが面白いとは言えない作品なんですな。この作品の魅力は、ブラックサンドという迷宮都市の散策の楽しさであって、ストーリーを味わうというよりも、舞台の雰囲気や世界観を味わうタイプの作品。

 派生作の一つとして、山本さんのAFFリプレイで『盗賊都市ふたたび』がありましたが、あれは一部のイベントがブラックサンドではなく、ソーサリーのカーレから取ってきており(危険な宿屋とか)、最初のブラックサンドは意外とおとなしいというか、都市の魅力をまだ十分には描ききれていない。

 例えば『盗賊都市』では一晩も過ごしていないんですね。酒場で情報を聞いたりはしたけど、宿に泊まるシーンはない。滞在時間の短さもありますし、夜のブラックサンドの危険は『真夜中の盗賊』で初めて描写されたことになります(夜中に、地下からグールが広場に出没したり、屋根の上には盗賊除けのガーゴイルが設置されていたり)。

 『運命の森』も『盗賊都市』も、後の作品で再登場した時の方が危険度が向上しておりますが、考えてみれば、火吹山もそうですし、冒険の舞台ももしかして登場するたびに経験点を貯めてレベルアップするものかもしれません。アランシアは生きているって感じで(笑)。

 

 次に『さまよえる宇宙船』ですが、個々のイベントのヴァリエーションはいろいろあって面白いのですが、この作品の欠点は「情報を重視するゲーム性に関わらず、正解ルートに入るための情報が与えられない点」も挙げられます。

 正解の惑星であるジョルセンやテリアルへのルートは隠されていて、事前に他の惑星で情報を得ることはありません。これが例えば、同作者の後の作品である『地獄の館』『サイボーグを倒せ』『モンスター誕生』では、「ある場所で情報を入手して、それを活用することで、正解ルートが現れるというゲーム性に進化」しましたが、『さまよえる宇宙船』は正解ルートに限って事前に情報を入手して見つけることができない。たまたま運よく正解に当たった場合を除けば、パラグラフ番号を記録しておいて、まだ通っていないところをしらみ潰しに探って行くしか正解を発見できない構造です(まあ、フローチャートを作れば簡単なんですが、初プレイの時はそういう攻略テクニックも持っていなかった)。

 他の惑星の情報は物語途中でいろいろと与えられるのですが、正解ルートだけは関連情報がなく、他の星々とは関わりのないストーリー上は孤立した扱いになる……ということは、逆に言えば、「正解を知ってしまえば、他の星をスルーしても最短ルートで攻略できる」という味けない物語になってしまう。

 さらに言えば、この作品は戦闘を一切しなくても解けますし(だから戦闘ルールは、パラグラフ341、342、343に特別記載されていて、いつものように巻頭もしくは巻末の基本ルールには掲載されていない)、ルート選択によっては「宇宙船戦闘」が全く発生しないケースもある。というか、宇宙船戦闘の機会はパラグラフ135、143、235、335のわずか4回。このゲームは後述のアーロックと逆に、宇宙船戦闘で負けてゲームオーバーという可能性が非常に低い。

 つまり、せっかく用意したルールがほとんど活用されないまま終わるわけで、ゲームとしてももったいなく感じます。

 結論として、情報関係でも、戦闘関係でも、ゲームとしては巧く機能していない未成熟な作品ということになります。

 単にパラグラフ選択だけで解ける、用意された多くのルールが活用されない勿体ない作品だな、という感想。

 

 最後に、悪評散々のアーロックですが、フォローしておくと、一つ一つのイベントは楽しくもあるし、ヴァリエーションも豊富。だから、物語として読む分には、楽しめる面もあるわけですな。

 ただ、やはり有機的に結びつかない断片的なイベントが多数で、ゲームとして面白いとは感じにくい。自分がストーリーゲームで楽しく感じるのは、「ある場所で入手したアイテムや情報が、別の場所のイベントを解決するのに有効に活かせる」というつながり方で、本来は面倒な戦いをしないといけないのが上手く回避できたり、優位に戦えるようになると、快を感じたりもする。

 バラバラのパラグラフに分割された物語の断片が、巧みな伏線でつながったり、入手アイテムや情報などで関連づけがはっきりしたり(「ああ、この情報はこういうことを意味していたのか」「おお、あそこで入手したアイテムが役に立った」とか)、話が上手くつながると快を感じます。

 『モンスター誕生』は、背景ストーリーのあれこれが探索中のイベントに伏線として上手くつながることが繰り返し生じて、また『危難の港』のデッドリーなスカルクラッグ・ダンジョンも、背景ストーリーで描かれた宝の地図に攻略ヒントがきちんと載ってあるのに気づくと、そういうことかあ、と感じ入った。

 下位のゲームブックには、そういうつながり方が物語的にもゲーム的にも感じられなくて、面白いゲームは、NPCを通じたつながり、入手アイテムや情報を通じたつながり、そしてゲームシステムが物語に上手く噛み合ったつながりなんかがあって、だからこそ面白く感じるのだなあ、と再発見した形です。

(当記事 完)

*1:ダイス目でランダムに決まるので、路傍の花になったり、精霊になったり、神の眷属になったりしますが、いずれにせよプレイヤーキャラとしては失われる。

*2:実のところ、ゲームブックワルキューレの主人公は、ワルキューレ本人ではなく、ワルキューレに憧れる若者がワルキューレの後を追う形で展開されます。ワルキューレ自身が主人公の原作ゲームと混同していました。なお、ワルキューレシリーズのゲームブックは、東京創元社以外でも双葉社から出たものもあり、そちらはワルキューレ自身が主人公となります。