マリクが遺したもの(前段)
我が敬愛する師匠マリク・オム=ヤシュの葬儀が厳かに執り行われたのは、あの巨人との対決から半年ほどが経った秋のことだった。
この私、ハーメリンの街を救ったドラゴン勇士団の団長として知られるフォーティ・ジャイアントスレイヤーが、義兄弟のウィラード・ホンク(グースとして知られる)と共に凱旋した翌日、マリク師匠は相棒のハロルド・ホゲットに伴われて、ハーメリンに帰還した。
師匠は重傷を負って、あの〈ゴルゴンの墓所〉で永遠の眠りに就く覚悟を定めていたようだったが、旧友のハロルドが駆けつけて、【癒しのポーション】を与えることで、かろうじて命を取り留めたらしい。
私は師匠は死んだものと感じていたのだが、友の絆がそれを押し留めたのだという話を聞いて、心より感動するのだった。あの日の涙は、決して花粉のせいばかりとは言えまい。
その日から半年ほど、師匠が患っていた病のために静かに息を引き取るまで、私はマリク・オム=ヤシュの正式な弟子、後継者として、屋敷に寝泊まりさせてもらい、師匠の世話をするとともに、少なからずの学びを得ることとなった。
半年とは決して長い期間とは言えないが、ハーメリンの祭りとその後の探索行、および巨人との死闘に匹敵する濃密な時間であった。
その学びの幾分かを、この拙文に書き記そうと思う。
まず、マリク師は卓越した剣客であり、冒険者であるとともに、優れた著述家、冒険伝承の研究記録者であった事実を、銘記しておきたい。
サラモニスのアカデミックな家柄の出だった師匠は、若い日に訪れた漁村でトカゲ人の襲撃に巻き込まれて、鉱山奴隷の身を経験したという。そのときに自らを解放してくれた戦乙女に感化されて、古代の遺産や伝承に強い関心を抱くようになったそうだ。
その後、火山島で知り合った農夫のハロルドやドワーフ鉱夫のヒグリーを伴って、故郷のサラモニスに帰還し、共に冒険者ギルドに所属して、さまざまな冒険を行うことになった話は長いので割愛する。このハーメリンで後に妻となる籠売りのヴェルマさんと知り合ったり、彼女の不幸な死によって冒険者生活を完全に引退して、隠者同然の生活を営むに至った話も興味深くはあるが、ここで記すべきはその後の話である。
街の有名なガイドであるビニー・ブローガンによれば、マリク師匠は「引きこもりの変人にして、鋭い眼光で人を寄せ付けない偏屈な老いぼれ」と見なされていたらしい。冒険者時代の貯えがあったので生活に不自由はしていなかったが、彼の過去を知る時計職人、墓場の供え物の花を配達している親切な令嬢など一部の住人を除けば、ハーメリンの人間はマリク師のことを「陰気な墓場の管理人にして、落ちぶれた貴族の末裔」として距離を置いていたようだ。
街の市長からは「墓守りのマリク爺さん」として、わずかながらの給金で陰鬱な仕事を黙々と務めてくれる人物と見なされていたし、奥さんの墓にぼそぼそ話しかけて気味悪がられたりしながらも、共同墓地の掃除や施設の手入れなどの作業はマメにこなしていたそうだ。
街の暗い部分を管理する仕事は大切であるが、陰鬱さと穢れに対する意識から、決してチヤホヤ持ち上げられる職種ではないし、マリク師匠も生前は決してそういう華やかな扱いを望んでいなかった。
私やグースが「巨人殺しの英雄」として称賛される際に、私が「密かにハーメリンの街を守り続けた真の英雄にして、ドラゴン勇士団の団長の師」として、師の死後に銅像を追加で建立するよう申し立てたことで、今後は師の業績も正しく知られるようになるであろう。
拙文が、師の偉大さを遺すための助けとなれば、幸いである。
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