ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

アドバンストD&D(その1)

さて、今回はようやくにして、アドバンストD&Dの記事を書いてみる。

 

まず、前置きとして、日本におけるアドバンストD&Dというものがどういう位置付けか語ってみよう。

新和社から日本語版D&Dの赤箱ベーシックセットが85年に発売された時をもって、仮に日本のD&D暦元年としておく。ジャパニーズD&Dを省略してJD元年となるかな。

 

それ以前にコンピューターゲームの雑誌記事やゲームブックの後書きなどを通じて、RPGの大元であるD&Dそして上級版のAD&Dなるゲームの存在は少しずつ認知されていった。

言っておくが、80年代はインターネットが一般的でない時代である。D&Dと検索キーワードを入れれば、いろいろと関連情報が仕入れられる現在とは全然違う。情報を得るには、ゲーム関連の専門誌を読むなり、ゲーム界に詳しい人間の口コミに頼るなり、ゲームブックの後書きなんかの紹介記事で知るなりしかなかった。

 

自分の場合は、D&Dの予習教材として一番有効だったのは、コンプティーク誌の連載リプレイ『ロードス島戦記』で、JD2年、すなわち86年の秋。これで概要はつかめたので、年明けすぐにプレイを始めることができた。

それ以前だと、86年5月からドラクエが発売していたのも大きい。おかげで、ファンタジーRPGのイメージを友人たちと難なく共有できた。それじゃなければ、RPGを試しにプレイするよう友人を説得するのも困難だったろう。

もちろん、ゲームブックのFFシリーズのブームがあったのも大きい。RPGのルールとしては、アドバンストじゃないファイティングファンタジーRPGも85年末には出版されていて、それを読んでいる友人もいたわけで、ゲームマスターとの会話というシステムを説明する苦労さえ省けた。

つまり、NOVAが友人とD&Dをプレイできる周囲のお膳立てが、しっかり整えられていたわけである。加えて、自分自身が中学時代から、ボードのシミュレーションゲームで「サイコロ振って命中判定を行い、敵と戦う類のゲーム」に馴染んでいて、そこそこの分量のあるルールブックを理解する素養を培ってきたのも大きい。

こういうのは全て巡り合わせだと思っている。

 

そして、話はアドバンストD&Dに移る。

日本で初めて、アドバンストD&Dと名の付く商品が出たのは、富士見ドラゴンブックと呼称されたゲームブックである。85年12月に出版されたタイトルは『パックス砦の囚人』。AD&Dのドラゴンランス小説を原作としたゲームブックになる。

アドバンストD&Dの情報は、D&Dを出版していた新和よりも、富士見ドラゴンブックのゲームブックや、87年から邦訳されていった小説『ドラゴンランス戦記』の方が精力的に紹介していた。つまり、SNEの安田社長関連である。「RPG→物語を創作するストーリーゲーム」という紹介に、自分はストレートにハマり込んで行った。

まずは、ゲームブックの後書きから「AD&Dというゲームから、ドラゴンランスという世界が構築され、面白い小説が誕生した」と先行紹介されたものの、肝心のドラゴンランスとやらが登場するのに若干のタイムラグがあり、そして、自分が高2になった頃に、ようやく噂のドラゴンランス登場という流れ。たちどころに影響を受けまくりました。高2の夏休みに国語の自由課題としてファンタジー小説を書いてしまうぐらい(苦笑)。

 

その後、JD6年、すなわち89年辺りにコンピューターゲームの『プール・オブ・ザ・レイディアンス』が出たりして、それから、ようやくJD8年、つまり91年に満を持して『アドバンストD&D 第2版』の邦訳版ルールが出たーっと喜んでみたら、それから間も無く展開終了。シクシク。

つまり、AD&Dというゲームは、日本でJD元年から伝説のゲームと語られ継いで来て、8年目にようやく上陸したなと思ったら、10年目ぐらいには消えてしまったという、正に伝説的なエンディングを迎えたのでありますよ。まあ、英語版をプレイしていた人たちはいたんだろうけどさ。日本では、ゲームブックや小説、コンピューターゲームがメインの展開だったわけで。

 

なお、アドバンストの名を捨てたD&D3版以降は、実質AD&Dの後継者として順調に展開が進んで、TRPGとしての全貌が紹介されたのは、21世紀に入ってからであります。

よって、今のD&D5版も、AD&Dの最新バージョンということになります、念のため。

 

★AD&Dの多元世界観

さて、ハイラスはD&Dの世界観とはどういうものか説明できるか?

ハイラス「当然でござる。剣と魔法のファンタジー。文明レベルはヨーロッパ中世をイメージ。神々は存在し、科学はあまり発展していない。大体はこんな感じでござろうか」

まあ、間違えてはいないな、基本としては。
クラシックD&Dも、大体そんな感じの世界観だし、和製ファンタジーの代表であるロードス島戦記もそれに準じている。アドバンストD&Dも1版はそんな感じだった。

ハイラス「2版は違うのか?」

ああ、一気に世界観が広がった。
ワールド設定だけで、ざっと10種類も出版されていて、日本ではその一部しか知られていない。代表的なのは、伝統的な「グレイホーク」、小説がメインの「ドラゴンランス」、小説やコンピューターRPGなどで広く展開した「フォーゴトン・レルム」、それにクラシックD&Dの世界を取り込んだ「ミスタラ」、それと現在もメジャーなのがゴシックホラーを題材にした「レイブンロフト」といったところか。

ハイラス「それでも5種類か。残りの5つとは?」

俺も詳しくは知らないが、以下の通りだ。


●アル・カーディム:アラビアンナイト風の世界観。地理的には「フォーゴトン・レルム」に含まれる。

●スペルジャマー:多元宇宙の世界観。星の海を魔法の船で渡るレトロ感覚なイメージ。

●ダークサン:文明崩壊後の過酷な荒野を舞台にした冒険世界。日本では、「北斗の拳」のイメージか。バイクなどの乗り物はないだろうけど。他には「猿の惑星」とか?

●バースライト:王侯貴族の称号を持つ古代英雄の子孫が、国家運営や大規模戦争をメインに遊ぶのに特化した世界観。

●プレーンスケープ:D&Dの標準的な多元宇宙世界観。第3版、および5版では、この世界観がD&Dの基本世界設定に取り入れられている。


あとは、1版の時に出た東洋風の世界観でプレイできる「オリエンタルアドベンチャー」があったな。2版では、その要素はフォーゴトン・レルムに取り込まれ、東方世界の「カラ・トゥア」と呼ばれることになる。ただし、3版ではまた違う世界観の「ロクガン」に置き換えられるなど、なかなか設定が安定しない。
まあ、忍者とか侍とかは結構な人気があるので、ルールだけ買って、西洋ファンタジーの世界に「東洋の武術を学んだキャラ」として投入するのが普通だったんじゃないかな。よほどの東洋オタクの集まりでない限り、東洋世界そのものをキャンペーンワールドでプレイしたいグループは少数派だと思う。DM個人がそういう東洋オタクで、自分たちのメンツに東洋世界観を本気で流布しようとするならともかく。

他にも、世界設定ほどではないが、追加データ集的なもので「バイキング世界」「フランスのシャルルマーニュ騎士世界」「ケルト世界」「大航海時代」「ローマ帝国」「ギリシャ神話」「十字軍」などの、まるで歴史の教科書かよ、的な内容のサプリメントも出ていて、よりどりみどりなのがAD&D第2版だったりする。
おそらくは、汎用RPGを謳ったGURPS(1986年出版、邦訳は92年)なんかに対抗して、AD&Dでもこれだけいろいろできると示したかったんだろうが、最初から汎用ルールとして作られたGURPSに比べると、D&Dは古いシステムになっていたし、固定ファンがポンポン新しい世界観に飛びついて来たとも思えない。大体、ゲーマーのプレイ時間にも限界はあるわけで、AD&D第2版の展開時期(1989年からTSR社倒産の97年)までの10年足らずの間に、10本もキャンペーン世界を提示しても、きちんとサポート展開できるはずがない。何というか、世界設定をいっぱい出して、物語の材料をいっぱい与えれば、ファンは尻尾を振って付いてくるって馬鹿な思い込みにでも駆られていたのかね。

こだわりを持ったファンほど、自分たちの確立された世界の足しになるものを求めているのに、次から次へと新しい世界を与えられても、飽和状態を起こすだけだったろうな。一応、「多元宇宙」という概念を提示して、「ドラゴンランスの世界から、フォーゴトン・レルムの世界へ自由に行けますよ。ダークサンの世界から、アル・カーディムの世界へ行きたい人もどうぞ、ご自由に」的にアピールしたかったのかもしれないが、実際のゲームプレイの場で、そんなにポンポン次元間移動を繰り返すような腰の定まらないプレイを望むファンがどれだけいたか。あるいは、公式がそういうプレイの例示を示せていたのか。まあ、俺の知る限りは否定的な答えにしかならない。
どちらかと言えば、下手な鉄砲、数撃ちゃ当たるを狙ってみたけど、ほとんどは無駄玉を撃つだけで終わったんじゃないかな、と結論する。まあ、この時期、日本の富士見書房も汎用を謳ったMAGIUSなる代物を粗製乱造して、TRPGの裾野を広げようとしたものの空撃ちに終わったわけで、D&Dだけがミスを犯した訳じゃないんだけどな。

ハイラス「NOVA殿は、こういう試みに反対の立場でござるか」

いや、実のところ、90年代当時はここまでの拡張政策にワクワクしてはいたんだな。今でも、イケイケドンドン的なやり方は、基本賛成だし。
その代わり、自分の土台を見失って、無闇に拡張を続けるようなことは、禁じ手だろう、と。俺のサイトでいうなら、「特撮ヒーロー好き」という土台を見失って、「ゲームにひたすら集中する」ってのは、客人を失いかねんと。ゲームのことを書くにしても、サイトの根幹である特撮ヒーローと絡めようとか、スパロボに絡めようとか、要するに「自分の根幹がどこにあるか」を示しつつ、改めて「実はTRPGだって根幹なんだよ」って主張しているわけで。
多元世界とか多元宇宙は確かに魅力的だと思うけど、足元を見失って腰が定まらずにフワフワ浮きまくっているのは、どうなのかなあ、と考えるわけだ。

これが特撮ヒーローとかの場合、いろいろと新しい試みを提示して、そこから発展することもあるし、失敗することもある。まあ、それは仕方ないんだが、そこで失敗しても原点回帰という手段がある。まあ、しょっちゅう原点回帰されても分野としての発展性が疑わしくなるわけだが、「新ヒーローを旧ヒーローが叱咤して、成長を見届けて、頑張れ、負けるなと励ます展開」は、旧作ファンも気分がいいし、新作ファンも自分たちが認められた気分になる。WinWinってことだな。
だけど、D&Dの場合、原点であるゲイリーさんを切り捨ててしまったことで、原点回帰という手段が取れなくなったために、前のめりに突き進むしかなくなった。もちろん、膨れ上がった資産はいっぱいあるし、それを使ってファンを喜ばせるものを作れば良かったんだが、どうも何をすればファンが喜んで付いて来てくれるのかを見失っていたらしい。

まあ、クリエイティブな業界の場合、創り手とファンの間の密なコミュニケーションが求められる傾向があって、そもそもTRPGがコミュニケーションゲームである以上、「創り手がこういうことを考えてゲーム関連の商品を創っている」とアピールすることは大事だし、それに対してファンが「こういう要素もあれば嬉しい」とか訴えて、創り手が「分かった。考えておこう。いいアイデアをありがとう。大いに刺激になった」ぐらいのリップサービスでもあれば、活性化するような世界だ。
少なくとも、女帝はそういうゲーマーに対するアピールのできる人間ではなかったようだし、自分の作る商品の良し悪しを判断できる人間でもなかった。次から次へと工業商品のように生み出す世界観、これじゃファンが見限るのも当然かな、と。
もっとも、俺は実際の商品を見ずに、結果論と風評だけで語っているのだが。女帝擁護の意見があれば、聞きたいところ。

ハイラス「そもそも、D&Dという商材の賞味期限が切れていたのではないだろうか。時代はトレーディングカードゲームに移っていて、もはやTRPGというジャンルが時代遅れになっていたのでは?」

ああ、そういう考え方はあったな。TRPG冬の時代と言われた、90年代終わりの世紀末だ。

ただ、それならWofC社がD&Dの権利を買い取った後の、第3版の盛り上がりが説明できなくなるんだよ。
まあ、それまでD&Dを精力的に紹介し続けたSNEの安田社長が、TSR倒産以降はRPGだけにこだわるのを辞めて、ドイツ製ボードゲームの追っかけをメインにすることで、若干、国内でのD&Dの動向は見えにくくなっていたがな。ホビージャパン社の翻訳になって、マニア御用達のゲームになっていったわけだが、21世紀のアメリカは「またD&Dを中心にした汎用d20システムが主流に返り咲いた」形になる。
翻訳RPGよりも、トレーディングカードゲームや、ソード・ワールド新生や、FEAR社と富士見書房の蜜月による和製RPG業界の立て直しなどもあって、若干、海外の情報が入りにくい状態でもあった。まあ、俺自身がアナログゲーム業界に対して、以前よりも距離を置くようになっていた個人的事情もあるがな。
調べようと思えば、インターネットも使えるようになったんだから、調べることは可能だったんだろうが、興味の対象がパワーレンジャーとか、自分のサイト構築とか、やや後ろ向きになっていたせいもあって、最新の海外ゲーム情報は疎かったのが、21世紀のゼロ年代だったわけで。
一応は付かず離れず、最低限の追っかけはしていたつもりだったが、以前ほど精力的にというわけには行かず、自分の足場の立て直しなどに時間と気力を割いていた、という事情もある。よって、穴も相当あることは宣言していて、この機会に3版以降の話も概説しておくとするか。


★新世紀D&Dの多元世界観

2000年に出版されたD&D3版(邦訳は2002年末以降)の世界観は、基本的に「グレイホーク」と「フォーゴトン・レルム」の二本柱だ。つまり、下手に手を広げることを良しとせず、伝統と安定を重視した形だ。
これは、TSR社からWofC社に版権が移ったことで予想される混乱を避ける意味合いが一番大きいのだろうが、従来のAD&Dの路線をしっかり守り通して、自分たちはファンの想いを大切にしますよ、だって自分たちだってD&Dを大切にしたいという想いは同じなんだから、という明確なメッセージになったんだな。

念のため、女帝がD&Dを大切にしなかったわけじゃない。
察するに、彼女の考えは「高貴なるD&Dブランドを守るためには厳正な管理が必要よ。同人誌や2次創作のような偽物がはびこるようであってはいけない。毎年の流行はしっかり発信していくから、ユーザーは安心して付いて来なさいね」的な上意下達型のローフル志向。
こういう考え方は、シャネルやグッチなどのファッション業界なんかでは常識だったのかもしれない。ただ、ダイスを振って戦いに興じるゲーマーの多くは、ちょっとしたギャンブラー的なところもあり、ケイオティック寄り、反権力な自由を愛するハン・ソロ気質なところがあって、強権的に振る舞う女帝時代のTSRには馴染めなかったのだろう。
元々、D&Dは自分の冒険世界を自分で創造し、自分たちの物語を生み出せる自由さを売りにしたゲームである。しかし、自分たちの創った物語を同人活動などで発表すると、「それは公式じゃないから認めない。裁判に訴えますよ」などと脅してくる会社のゲームを誰が安心して楽しめるだろうか。

これは実際に、『ロードス島戦記』や漫画の『バスタード』なんかがそう脅されたエピソードからも分かっていることで、ロードスの場合は「D&Dのルールを使って、TSRの公式じゃないオリジナル世界を宣伝しているからダメ」と言われたらしく、バスタードの場合は「D&D由来のモンスターであるビホルダーを勝手に使ったからダメ」という話。
まあ、ロードスの場合は、ゲームの翻訳権が新和にあって公式世界が使えないことと、AD&D小説などの翻訳権は角川系列の富士見書房が押さえていて、どちらにも強い発言権を持っていた角川歴彦氏の肝入りで動いていた企画なのに、そのローカル事情を解しない女帝の横暴でリプレイ第3部からD&Dと異なるオリジナルシステムを使わざるを得なかったと自分は理解している。
ここは多少の邪推も交えるが、女帝がそこまで日本の事情を細かくチェックしたとは思えないから、彼女の判断基準は両作品のイラストにあったのではないだろうか。バスタードは読者なら分かるように、エロティック路線丸出しなコミックだし、ロードスの場合はそこまでストレートではないものの、出渕さんの日本アニメ調のイラストがアメリカ文化の女帝には「高貴なるD&Dブランドに相応しいと映らなかった」のではないか、と。
ちなみに、この場での自分の女帝イメージは、『ドラゴンランス伝説』に登場するパラダインの聖女クリサニアである。端的に言えば、理想主義的で融通が利かず、自分の信奉する価値観以外の許容範囲が狭く、本人は善意で正しいやり方と信じながら、思い込み過多で破滅的な選択を取りがちな高慢キャラ。海を隔てた日本にも、そこまで縛りつける方針を示して来たのだから、本国アメリカでは相当ひどいやり方をして来たのだろうな、と推察できるわけで。

そんな女帝の先導するTSR号は、果てしない大宇宙の海原へ出航したのはいいけれど、帰るべき故郷の星を見失い遭難してしまったところを、新造船の「湾岸の魔術師(ウィザーズofザ・コースト)」丸に救出される形になったのが、世紀末のドラマ。日本では衝撃的な事件だったけど、海外のゲーマーにとってはむしろ拍手喝采だったのかも。
TSR号に積まれた最大の資産「地下牢と竜の巻物」はこうして、故郷のグレイホークに持ち帰られ、多くのゲーマー冒険者たちに解放されたのである。

とまあ、女帝時代に上からの抑圧と過剰な秩序統制に苦しめられた後の新体制で当初はどうなるかと心配もされてはいたんだが、蓋を開けてみると「デイヴ・アーネソンとの版権問題の解決」とか「伝統重視のグレイホークと、ゲーマーに馴染んだフォーゴトン・レルムの二つに絞った、安定したサポート」に加え、さらなるゲーマーにとっての福音は、「D&Dの基幹システムであるd20システムオープンソースとして、誰でも自由に無償で使ってもよい」という21世紀のインターネット社会に対応した非常に開放的、ユーザー重視な宣言。
つまり、D&Dゲーマーやアメリカのゲーム業界にとっては、実に好都合なやり方に大きく切り替わったんだな。

ハイラス「確かに。それまでは自分たちのものとして囲い込んでいたD&D資産を、無料で全面開放したのだから、そういうやり方で企業としてはやっていけるのでござるか?」

TSR社にとっては無理だったろうな。D&Dが最大の主力商品なんだから。
しかしWofC社は、すでにTCGのマジックという主力商品を有していて、別にD&Dがなくてもやっていけるわけだ。
だからと言って、D&Dでボランティアをしたわけではない。D&Dを一社で独占しても、どうせ展開できる世界観を一社でまかなうことはできない。これはTSR社が2版時代に10本もキャンペーン世界を提示しても扱いきれなかったことを見ても明らかだ。だったら、自社では2本に絞って、その他のキャンペーン世界は他社やユーザーに任せる、というやり方だ。

D&Dのd20システムは基本的に無料で使っていいが、「グレイホーク」や「フォーゴトン・レルム」の版権は相変わらずWofC社が持ち続ける。つまり、ゲームシステムは無料、背景世界は版権料を要する仕組みに切り分けた。この辺は、実は日本のソード・ワールドを参考にした面もあるように見える。何せ、D&D3版のシステムは、ソード・ワールドに近い「職業別レベルアップシステム」を採用していて、「ファイター5レベル、プリースト2レベル、総合7レベル」といったマルチクラスが容易に行えるように変わっているぐらいだし。もちろんAD&D時代から兼業とか転職というルールはあったが、結構制限が大きかったりする(レベル上限が低いとか、兼業できる種族が限られているとか、転職の移行期間中は元の職業の能力が使えないとか)のを、割と自由に育てられるようになった。

さらに、d20システムの使用は無料だけど、「それでは皆さんの作る商品の著作権も守られないよ。だから、著作権を守るための『公式d20システム登録商標ロゴ』の使用権を、希望する企業には売ってあげる。ロゴの付いた商品の版権は、法律で守られることになるよ。それ以外の非公式使用に対しては黙認するけれど、法律からも守られないので、営利目的でない同人活動向きじゃないかな。そっちはご自由にどうぞ。ともあれ、D&Dのシステム使用はユーザーの皆さんの自由だ。ゲイリーさんの生み出したゲームは、ゲーマー全ての資産なんだからね」という形をとった。
この時期なら、「D&Dシステムで、ロードス島戦記の物語を展開することも自由」になっていたのだろうが、もう今さらって感じだな。まあ、うまくやれば、かつての「D&Dシステムによるリプレイを単行本にまとめて商品化」ということもできそうだけど、往年のファンのためのおまけ特典にしかならないだろう。とりあえず、そうしたければ、現在D&Dの翻訳権を持つホビージャパンとの交渉が必要だろうけど、そこまで手間を掛ける価値があるかどうかだな。
ともあれ、「システムのフリー素材化、ただし著作権保護の権利をWofC社から買う」って方針は、結果的に大成功を収めた。D&Dと同じシステムで、自社のゲームを独自に展開できるのは非常に美味しいので、『クトゥルフ』や『トラベラー』を初めとするライバルゲームも、それぞれd20版を出したりして、21世紀のアメリアナログゲーム業界はd20システムが席巻するようになった。つまり、一社ではサポートできないD&Dのマルチバース化を、他企業の参入と協力によって、それこそ無数に成し遂げたのが新世紀のD&Dということだ。

ハイラス「なるほど、一人で全てやろうとして破綻したのが2版とするなら、みんな、協力してD&Dを盛り上げようぜ、とオープンマインドになって成功したのが3版ということでござるな。素晴らしい」

結果的に新世紀のD&Dは、本流では「グレイホーク」と「フォーゴトン・レルム」の2本柱に注力しつつ、他企業が版権料を払いながら、他の無数の世界観を構築する形を実現してみせた。
これで、ファンタジー中心だったD&Dも、同じシステムで現代ものホラーや宇宙SF、サイバーパンクなど、あらゆる物語に対応することが可能になり、逆に言えば、20世紀に見られた「システムの多様化」はメインではなくなった。d20という一つの統合されたシステムに基づき、「世界観の多様化」という方向で21世紀のアメリカは動いたわけだ。まあ、これは日本のゲーム業界とはずいぶん異なる道ということになる。

その後、D&Dは2003年にマイナーチェンジを施した3.5版になり、日本でも2005年からそちらに合流した。3版と3.5版の大きな違いは、「ボードを使ったミニチュアゲームを志向するようになった」ことと、新たな独自世界「エベロン」の登場だ。このエベロンは、簡単に言えば、「魔法機械工学を内包したファンタジー世界」で、要するにファイナルファンタジー風味。魔導列車とか飛空艇の存在する世界で、古代文明の遺跡を探検するゲームということになる。
日本では、アルシャードというRPGが似たような世界観を2002年から発表して、また、ソード・ワールドの2.0版もそういう要素を取り入れて行った。ファンタジー物語のスタンダードが、単なるヨーロッパの古代中世風味ではなく、魔法と機械を組み合わせた異世界TRPGでも移行していったのが21世紀初頭というわけだ。

ハイラス「ドルイドという立場では、機械化という流れは自然に反するものとして、あまり望ましくないのでござるが」

だから、機械傾倒派と、半機械派という物語の基軸が生まれるわけだ。これは、古くはサイバーパンク物にもあったテーマだな。人間の体そのものを機械に置き換えることで能力は強化されるが、それで人間性が失われるのではないか、とか、新しい技術の台頭によって旧世代の人たちがどう考えるか、とか、そういった割と普遍的な物語要素が描ける下地にもなる。
自然と機械工学の融合と対立なんてテーマは、それこそ仮面ライダーの70年代からすでに語られてもいるわけだし、
精神的・魔法的な力と、メカニックを内包した世界観は、スターウォーズだってそうだ。
まあ、RPGはまず中世風の魔法ファンタジーからスタートしたし、機械の活躍する未来文明SFとは別ジャンルということで、両者を同時に扱うにはデータが多くなり過ぎるから、なかなか浸透しなかったわけだし、例えば「魔法使いと、全身メカのサイボーグが戦ったら、どっちが強いか」というゲームバランスの問題もある。
こういうテーマで、フィクション史やRPG史を語るのも一興だが、ここでは「D&Dという伝統ゲームがようやく、魔法と機械文明を融合させた架空世界を構築するに至ったのが21世紀初頭」というのがトピックだ、と。ドラゴンランスのノームの機械工学とか断片的にはそういう要素もあったのだけど、それらはあくまで例外的な存在で、世界の根幹に位置するものではなかったしな。

D&Dの次なる発展は、4版の登場した2008年で、日本もすぐに追随している。
これは、伝統重視だった3版に比べて、「急進的な改革」を成し遂げて、もはやD&Dではなくなったと言われた作品。もちろん改訂されたd20システムを採用してはいるのだが、「ボードを使ったミニチュアゲーム志向」がさらに進んで、もはやボードなしではプレイ不可能な作品となっているのが一点。まあ、これはD&Dと一緒にミニチュアフィギュアを売ろうぜ作戦の意図もあったみたいだが、その年に始まって翌年の影響を及ぼしたリーマンショック絡みでフィギュア業界が大ダメージを受けたそうで、あえなく撤退して空回りした結果に終わる。
一方、プレイシステムとしては、「武器を使った技と、魔法の呪文などの特殊能力が同じものとして扱われ、D&Dの特徴の一つである回数制魔法ルールが呪文に限らず、全職業それぞれが同等に持っている特技と化した」ことが大きい。

ハイラス「つまり、どういうことでござるか?」

魔法使いや僧侶の呪文と同じルールで、戦士の攻撃技も扱われるようになったということだよ。つまり、ルールの一元化ということだな。それぞれの職業は、無限回使える基本技と、戦闘時に1回使える中レベル技と、1日に1回使える大技を組み合わせてキャラを作り、チームで連携して戦闘を切り抜けるバトル中心のゲームになったんだ。もちろん、レベルが上がれば、技の使用回数も増えて、より派手なバトルができるようにもなる。
技のデータは、無数にあって、どの技を組み合わせるかのコンボだって楽しめる。これはある意味、トレーディングカードゲーム的だな。「戦士が前に立って足止め技で周囲の敵を引きつけておくから、後ろから援護してくれ」とか、「回復役が相手を殴りつつ、味方のHPを回復する特技を持つ」とか、「回復しつつ、仲間の戦闘能力を鼓舞する技」とか、これまでのD&Dのルールと比べてもシステマチックで、曖昧さを排除したルール構造で、仲間同士の連携を重視したゲームになっている。
その反面、ストーリーゲームとしては抽象化した形になって、ロールプレイよりもバトルに比重を置いた、コンピューターのオンラインゲーム要素の大きいシステムになった。まあ、無限回特技のおかげで、呪文を使い果たした魔法使いが何もできなくなるということはなくなったわけだけど。
つまり、D&Dの名前を借りながらも、トレーディングカードゲームとコンピューターのオンラインゲームの要素を大きく取り込んだバトルに特化したボードゲーム。それがD&D第4版というわけだ。

ハイラス「それはまた、既存のD&Dを愛するファンには、賛否両論であろうな」

だから、従来の3版から3.5版を重視するファンたちが、d20システムのフリー素材を利用して作った3.75版とも呼称されるゲームが『パスファインダーRPG』ということになる。2009年に展開がスタートして、2017年末に正式に邦訳版のベーシックセットが発売された。一応、有志による邦訳がネットでも読める。以下のサイトだ。

http://prd.qga.me/core/getting-started.html

なお、パスファインダーにも公式世界はあるのだが、俺は詳しくないのでパス。機会を見て勉強しておく。

一方、第4版の世界は、「ネンティア谷」という名の一地方を舞台に自由に広げる形式をとった他、従来の「グレイホーク」や「フォーゴトン・レルム」を使えるようにしたのはいいのだが、ここでフォーゴトン・レルムに大変動を起こしてしまったわけだな。詳しくは以下のホビージャパン公式サイトを参照。

http://www.hobbyjapan.co.jp/dd_old/fr/

ハイラス「簡単にまとめると、どういうことでござるか」

まず、時代背景が従来の1374DRから、およそ100年が経過した1479DRになっている。
そして、1385DRの年に、魔法を司る女神ミストラが殺害され、「呪文荒廃」と呼ばれる大災害が発生して、世界が大きく変貌したわけだ。まあ、そういう理由づけで、D&Dの4版ルールへの大きな変革を説明しているんだな。
ともあれ、神さまが何柱も消えちゃったり、その影響で魔法国家が滅びてアンデッドの巣窟になったり、古代帝国が復活したり、地下世界のアンダーダークの広い範囲が崩落したり、次元界にも変化が生じたり、ルール改編の余波が至るところに波及して、新たな冒険の舞台を提供した、と。
こういう変化を刺激的だと歓迎するか、従来の世界の方が旅慣れていて愛着があったのに、と反対するかは、プレイヤー次第だが、まあ、公式に合わせずに「うちのフォーゴトン・レルムでは呪文荒廃は起こらなかった」という設定で、変わらずに3版などをプレイし続ける人も多かったんじゃないかな。
大体、俺自身が4版は基本ルールしか持っていないので、手持ちのフォーゴトン・レルムの資料は3版のものだ。4版の知識は、出版されたリプレイと、ネットでの公式サイトに基づくものしかない。だから、詳しくはないけど、一応、大雑把に知っている程度の知識と言っておこう。

ハイラス「それでも、何も知らないよりはマシでござる。私は5版に基づくキャラということだが、5版ではどのようになったのか」

そうだな。
今回の記事では、そこまで世界観を説明して終わりにしよう。
5版が登場したのは、本国では2014年のこと。何だか版上げのペースが5年とか6年になっているのが気掛かりなんだがな。これで、来年か再来年に6版が出ると言われたら追いかける方も大変だ。長らく、英語版以外は出さないとWofC社が言ってきたのが、まあ何とか日本語版も出版できるように交渉が成立して、昨年末から展開がスタートして、この一連のD&D記事を書く契機にもなったわけで。
あと、ホビージャパンの公式サイトが、最近、ベーシックルールブックを無料で読めるように公開していたので、紹介しておこう。

http://hobbyjapan.co.jp/dd/support/pdf/dnd_pl_br_ver2.pdf
http://hobbyjapan.co.jp/dd/support/pdf/dnd_dm_br_ver2.pdf

そして5版は、またも伝統回帰の方向性を強く打ち出している。
例えば、ルールブックでキャラクター作りの例に挙げられているのが「ドワーフのブルーノー」。ええと、フォーゴトン・レルムの有名キャラですな。ええと、パスファインダーに対抗して、本家D&Dの資産をフル活用して、「懐かしい世界観とキャラ」をたっぷり見せていくルールブックの仕様なわけで、ドラゴンランスのティカ・ウェイランとか、ソス卿とか、ドラコニアンとか、主人公ではないけど、マニア心に響くキャラがちらほらと。
つまり、5版の魅力は、バトルゲームに特化したシステマチックな仕様から切り替わって、物語性を重視したロールプレイ志向なスタイル。そのため、ダイスを振るだけで、キャラの性格類型まで決まり、人生の目的とか長所・短所まで決まってくるのは、ハイラスを作ったことで証明済み。いや、次元ドルイドという設定までは、こっちが想像力を働かせた結果だけど。
念のため、ハイラス誕生の記事は5月8日分のこちらだ。

http://white.ap.teacup.com/wngjob/63.html

ハイラス「アドバンストとタイトルでは銘打っておきながら、いきなり5版に飛んだ記事でござるな」

ああ、あれから随分と遠回りをしたけれど、ようやく、ここまで漕ぎ着けた気分だよ。
自分にとって、「アドバンストD&D」って、それだけ重い、思い入れのあるタイトルなんだよ。何せ、最初にゲイリーさんが名付けたタイトルなんだぜ。それに、女帝時代がどうこう言っても、実は2版時代も結構長い。1版は78年から89年の11年間。2版は89年から2000年の11年間におよぶ。手持ちのルールやサプリメントは3版が一番豊富だが、5版はこれから増えるのが楽しみなんだが、やはり感受性が一番豊かな10代に出会ったクラシックD&D、そして成人年齢に達したときにゲットして束の間の光を見せてくれたアドバンスト2版こそが、割と自分の原点っぽい感じで。
3版以降は、現役バリバリというよりも、どこかノスタルジーが混じる接し方で、若干の心理的距離がある。無我夢中で飛び込んだ青春時代のゲームがTSR時代とか、ロードスとか、ソード・ワールド旧版で、21世紀のゲームは研究者視点で見ているなあ、と。
だから、ドルイドについて語るのも、後にとっておきたかった次第。

ハイラス「思い入れのほどはよく分かった。だが、今はひとまず記事を締めくくらねばなるまい。5版の世界観に触れて、終わるとしよう」

そうだな。
前述のとおり、5版は世界観について原点回帰なところがある。
一例として、4版で殺されたミストラ女神が復活したそうだし、まあ、いろいろと3版の時代の雰囲気を取り戻そうとしているらしい。
今、邦訳を期待しているサプリメントは、フォーゴトン・レルムの最新情報が載っているらしい「ソード・コースト冒険者ガイド」。まあ、まずは8月に発売予定のシナリオ集「魂を喰らう墓」待ちだし、できれば、その後の邦訳出版スケジュールを公表して欲しいところだが。英語版サイトの動向もチェックだけはしつつ、さすがにそちらに投資すると、ソード・ワールドやロードスに回す金と時間がなくなるので、あくまで邦訳版に重点を置く次第。

http://dnd.wizards.com

(完)