ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

お盆休み総括(その3)

NOVA「さて、寄り道ばかりで、なかなか進まない総括記事だが」

 

ハイラス「NOVA殿。ここは一つ、私が総括のメインに回るというのはどうだろうか?」

 

NOVA「そりゃまた、どういう風の吹き回しだい?」

 

ハイラス「うむ。この数日のNOVA殿の言動を見ていると、お盆休みとやらで時間ができたのはいいが、仕事疲れと、メール絡みの鬱屈が溜まっているのもあって、気合が空回りしているように思えてな。説教モードが自制できていない暴走状態になっているのを懸念する次第だ。正直、他人の不安定さがNOVA殿の心理状態にも悪影響を及ぼしているように見える。そういう鬱屈を吹き飛ばそうとする余り、過剰に攻撃的にもなっているようだが、どうだろうか」

 

NOVA「なるほどな。確かに、そういう面はあるかもしれん。だから、不安定な俺に代わって、お前が総括してくれると?」

 

ハイラス「NOVA殿は2日前に、こう言ってあった。総括記事は時空魔術の修行の一環だ、と。すると、私の修行のためにも、ここは私が試しに総括してみるというのもありなのでは?」

 

NOVA「確かに、そいつは道理だな。だが、お前に総括なんて重要な仕事ができるのか?」

 

ハイラス「フッ、私とて次元ドルイドと呼ばれし男。TRPGや多元宇宙の知識はNOVA殿には及ばんかもしれんが、この場の過去記事を振り返ることぐらいなら、やってみせよう。NOVA殿はそこでくつろいで、買ってきた雑誌やルールブックでものんびり読みながら、私の話を聞いていればよろしい。時々、気になる点があればコメントを入れるぐらいで、メインの進行は私に任せてくれればいい」

 

NOVA「ほう、ハイラス。なかなか言うようになったじゃないか。お前もこの数ヶ月で、無駄に時間を過ごしてきたわけじゃないんだな。成長する人間を見るのは嬉しいぜ。では、よろしく頼む」

 

ハイラス「おお、ここより次元ドルイド、ハイラスのスーパー総括タイムだ。多元宇宙を渡り歩いたドルイ道の真髄を見せてやる」

 

0.前の総括以前の記事(5月23日、26日)

6月期の総括記事は、最終的に「クラシックD&Dの思い出のモジュール」と称して、5月21日までの記事内容を復習したのであったな。
そして、5月29日から総括タイムが始まっていたわけであるが、実はその間に2つばかりの記事が抜け落ちていたことが、この度の私の調査で発覚した。

この抜け落ちた箇所がそのまま忘れ去られてしまえば、後世において、それは黒歴史と称されたり、ミッシングリンクとなったり、改めて「完全版・お盆休み総括」なるものを発表したりしないといけなくなって、歴史研究にも支障をきたすことになりかねんので、ここで拾い上げておくことにする。

そう、総括に関しても、そこに至る伏線があるわけで、物事の背景事情を解き明かすうえでも、こういう伏線的な前段階について考察するのが、有能な研究家の態度と言うべきであろう。

さて、ミッシングリンク第1弾のタイトルは「拍手コメントについて」
この記事を今、読み直すと、NOVA殿のケアレスミスと、そういうミスに気づいた際に真摯に修正しようとする丁寧な性格が垣間見えると思うが、どうだろうか。
人間だから、ミスをするのは当たり前。しかし、そのミスに当たって、どのように向き合うかが、その人間の誠実さ、対応能力の良し悪しを測る姿だと、私などは考える。

当人を前にして、これ以上、過剰に持ち上げるのもわざとらしいので、これ以上は控えるが、ミスに際して即座に手を打ち、しっかり公表する謙虚な姿勢さえあれば、教育上の多くの問題も解決するのではないか。
ただし、そのことに憤りを示したワイドショーかぶれの誰かさんも、自分のミスに対しては、掲示板絡みで謙虚に謝らず、隠蔽工作を施した経緯がはっきり分かるので、「お前が言うな」とNOVA殿に代わって、叱りつけておく次第。人には厳しく、自分には甘い態度というのは、かように信頼を失うことを我々も心したいものである。


次に、ミッシングリンク第2弾のタイトルは「〈事象の分岐点〉にて」
そう、我々が多元宇宙観察の拠点にしているターミナル。私が待機して、現在はNOVA殿に管理の任を託されている、この仮想空間の施設である。元々は、花粉症ガールの物語にちらっと登場した用語であるが、ここで再登場させるに当たって、設定を少しずつ膨らませていった経緯がある。
こういう考えた設定を何かに記録して、少しずつ世界観を構築していく段取りは、TRPGのそれを応用した手法だと考えるが、どうだろうか。


NOVA「ああ、その通りだ。頭の中のイメージを、とりあえず文章に起こしてみる。俺の場合はビジュアルよりも、先に言葉だな。言葉で設定をいろいろ付与しているうちに、だんだん脳内に映像が映し出されてきて、そこからさらに物語の可能性がいくつか見えてきたなら、ストーリーに絡めてみる。まあ、言葉だけで中身がない張りぼてになることもあるが、大切な部分を肉付けせずに描写が甘い物語は、イメージ構築においてつまらないので、結局は作者がどういう世界観イメージで物語を描きたいのか判断する要素にもなるな。
「一方、批評において問題になりがちなのは、これこれこういう要素が足りないから、この作品はダメだという論調。それはたいてい主観の好き嫌いによるものなので、重要なのはその欠如した要素が物語において不可欠な根幹なのか、枝葉に過ぎないのか、批評者が自覚しているか否かという点だな。作者が重要視する要素と、批評家が重要視する要素に食い違いがあれば、それは批評家が作者および作品を正しく受け止めていないことになるので、作品の問題ではなくて批評家の認識の甘さ、低脳さに帰結するだろうし、作者の方が根幹要素で手抜きをしていると証明できるなら、作品の問題と言える。
「だから、俺はクリエイター相手の対話なら、その人が何に力を注いでいるかを確認した上で、話を進めるようにしている。そこを取り違えると、話が噛み合わないどころか、こいつは見る目がない、と判断される元だからな。プロにせよアマチュアにせよ、三流批評家というものは根幹を外した枝葉の粗探しばかりをしがちだし、三流クリエイターというものは自分が力を注いだ箇所を語れない、あるいは語っても、作品がそれを反映できていないということだ。情緒的には『こういう悲劇を描きたいんです』と作者や脚本家が語っているのに、『作品を見ても悲しめない、むしろギャグにしか見えない』って作品は自分には合わないだろうけど、そういうものをトンデモ本として、作者の意図と違う楽しみの仕方をするのはありだろうな。ただ、そういうのは批評の王道でないことは自覚して欲しいし、そういう歪んだ批評しかできないようでは、たかが知れている。
「まあ、その気になれば、王道的な真っ当な批評のできる人間が、それだけじゃ芸がないので、変化球を投げてみるのはありだが、変化球しか投げられないで、しかも自分が投げている球が変化球だと自覚できていないようでは、ダメだということだ」


なるほど。
力の入った長文解説、クリエイター論と批評論の融合話は、まことにもって結構だが、NOVA殿は今の自分の記述が、思いきり暴投した変化球であることは自覚できているのであろうか?


NOVA「……すまねえな。王道総括の邪魔をしちまって。最初の一段落以外は、飛躍しすぎて、しかも元の話に戻って来ない大暴投だ。総括記事という観点では、ボツ内容ということだ。今の俺は確かに、まともな総括ができない男らしい」


大切なのは、欠如部分を批判するのではなく、目の前にある大事な部分をしっかり見据えた上で、優先順位を考えるべし、ということでござるな。


NOVA「そういうことだ。今の優先順位は、何かに対する批判モードではなくて、過去の自分の記事を振り返ること。そこに尽きるんだな」


しかし、これがNOVA殿の直感的センスの凄いところだが、「〈事象の分岐点〉にて」記事の中身は、今のNOVA殿が語ったようなクリエイター論とか、世界観の構築についての薀蓄、洞察に満ちているんだな。
話の脱線具合も含めて、特定個人への説教モードから、一般的な創作論に展開しているらしきところまで、内容は違えど、概要は相通じるものがあるのでござる。


NOVA「つまり、的を外しているように見えて、総括内容としては、うまく並行したことを俺は言っていたことになるのか?」


要は、5月26日の記事を書いた時のような心理状態に、今のNOVA殿は陥っているということでござろう。だからこそ、とっ散らかった頭の中を整理するために、次の回から総括記事を書こうと判断したのではござらんか?
これがミッシングリンクの実態ということで。


NOVA「すげえよ、ハイラス。よく、俺の心理状態を昔の文章記事と照らし合わせて、探り当てたな。その調子で、続きも頼む」


了解でござる。
しかし、本記事は、ミッシングリンクの解明ができたところで一旦、筆を置くとしよう。
(『次元ドルイド・ハイラスによる、NOVAの過去記事解明記』は、次回に続く)