ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

オレは正気に戻った

さて、昨日のトチ狂った記事を読んで、心配される読者の方ももしかしたらいるかも知れないので、一応、補足説明しておこう。

 

まあ、ハイテンションで、いろいろぶっ飛んだ記事を書くのは割といつものことのような気がするが、昨日の記事は後から読み返すと、「うわあ、俺、キモいことを書いているな。これ、どうしようか?」と頭を抱える内容だった。

 

ちなみに、普段の記事で理想としているのは「面白くて、ためになる」内容と、「熱いハートと、クールな視点と、コミカルなノリの融合した」心意気である。

失敗した文章だと感じるのは、この逆で「つまらなくて中身のない」「冷ややかなハートと、論理性欠如した視点と、陰鬱な雰囲気の融合した」駄文である。

 

ただ、昨日の記事は、何というか、そういう失敗している文章ともまた違うんだよな。

自分が書いた文章じゃなければ、「マッドぶりを笑えるし、中身は相応にあるし、いつも通り説教臭いとは言え、勢いはいつもよりあって情熱的だし、論理性はトチ狂った割に筋が通っているし、陰鬱な雰囲気を吹っ飛ばすジェットコースター並みの爽快感」と評価できる。まあ、方向性だけなら間違っちゃいないけど、異次元の彼方に吹き飛んじゃった内容で、不条理(常識の枠を飛び越えた)と申しましょうか。

でも、自分の書いた文章と考えるなら、やっぱキモい。ララァ・スンは私の母になってくれたかも知れない女性だ」と告白して、アムロと映画を見たファンをドン引きさせて、その後、30年以上もマザコンぶりをネタにされ続けるシャア総帥の如し、である。

 

狂気の入り混じった妄想とはいえ、「恐怖に怯え、幼児退行を起こして、自分の娘設定の精霊少女にママとすがりつく、いい年したおっさん」というキャラは、後から読み返して、強烈に恥ずかしい。

憧れとするハードボイルド台無しだ。

10代の若者なら許されて同情される描写も、いい年したおっさんのやることなら、ドン引き事案である。

 

最悪だ。

削除して、なかったことにしたいぐらいだ。

気分は、エボルトに憑依された後、自爆を決意した戦兎の如し、である。

 

だが、「主観的なアレンジが内在するにしても、事実はありのままに。自分に都合が悪いからってなかったことにする、という改竄行為は禁じ手」という自分の信念に基づくなら、これを削除するのは忍びない。

そう、たとえ、狂気に陥ったように見せても、最後には自分の信念に殉じる姿を見せた(らしい)内海さんを、俺は見習うべきではないのか。

 

書き手としては恥ずかしくても、誰にも迷惑をかけず、インパクトのある文章というのは、残す価値があるものである。

「ああ、NOVAの奴がトチ狂うと、ここまで変態なキャラと化すんだな」と読者に思わせても、それで同時に「変な奴、だけど勢いがあって面白いギャグだ」とウケてもらえれば、芸人冥利に尽きるというものだ。ウケれば勝ちな自虐ネタって奴である。これぞ、体を張った、難波のお笑い芸人魂って奴である。

うん、そういうことにしておこう。

 

まあ、問題は読者にウケているのか、ドン引きさせているのかは、自分では判断が難しいということだが。

ええと、自分の客観的な読後感は、「この作者、頭は大丈夫か? このネタ、笑っていいのか? 本気で頭が逝っているなら同情するが、ギャグでやっているならブッ飛んでいるな。どっちだろう?」ってもの。

さあ、どっちなんでしょう?(オイ)

 

★不条理ギャグと、ハイテンションと、人格憑依

ここでNOVAの正気を確かめるために、自己分析してみよう。

とりあえず、夏の暑さと湿気ムンムンと、セミの声に邪魔される環境で、勢いのままに記事書きしていると、気分は「怪しうこそ物狂ほしけれ」と吉田兼好先生の書き記した状態になるよな。
まあ、長々と時間の経つのも忘れ、記事書きしていれば(休みの日だからできること)、自分でも意識しない間に疲労も蓄積し、ナチュラルハイにもなるでしょう、と。
そうなる前に休めよ、一服しろよ、と昨日の自分にツッコミ入れたくなるわけだが、過酷な状況下だからこそ生まれる魂の叫び、というものもあるわけで。
いや、「幼児化して、翔花ママに飛びつく」のが魂の叫びなのか、と考えると、否、と応えたいが。
ええと、頭の中のケイP成分が混じって出てきた?

そうなんだよな。
創作家ってのは、複数キャラを描写する都合から、頭の中に常時、いろいろなキャラの属性ストックを蓄えていて、それを適切にコントロールしながら描き分けて行くのが当たり前なんだよな。
そのコントロールを失ってしまえば、いろいろごっちゃになって「本来、そのキャラが言わないはずのセリフ(別のキャラなら言い得る)が飛び出して来る」こともあり得るわけで。これが、いわゆるキャラ崩壊の原因の一つである。
例えば、ルパン三世が「フ~ジコちゃん」とスケベ面で飛びついて、ドアをバタンと閉められて、激突するギャグは許されるが、同じことを次元や五右衛門がやったりしたら、ドン引きだろう。
ドラえもんの道具のアベコンベとか、入れ替えロープとか、トッカエ・バーのように、キャラ属性を反転させたり、別のキャラと内面を入れ替えたりすれば、いろいろと不条理なギャグになるだろうし。

つまり、キャラの描き分けというコントロール感覚を失ったNOVAが、自分自身とケイP、その他の幼児的内面を露出させてしまったのが、例の怪現象と診断すれば、まあ、自分的には納得できるというものである。
酒飲んで酔っ払ってしまえば、自分が何を口走っているか、分からなくなる時もないわけではないし。常時そういうことがあるわけではないが、疲れて脳内麻薬でも分泌して、ほろ酔い気分になってしまえば、キャラの描き分け機能に異常が生じても納得できるというもの。

ここで自分の中でも不思議なのは、前回の記事は「ハイラス(次元ドルイド)」名義なんだよな。
ええと、芸コマというか、どうやったんだろう、自分という認識。

とりあえず、疲れた脳が、自制できなくなって、ケイPその他の幼児性人格が噴き出したところまでは納得。
普通なら、そこで眠くなったりして、文章書きを一休みするものなんだけど、ちょっと脳が異常活性化してナチュラルに人格の切り替わり現象が起こった?
この部分の切り替わりが、自分には曖昧というか、確かに自分で書いた文章のような気もするし、だけど、違うような気もする。
つまり、自分にとって不可解なのは、幼児退行したキモい妄想部分ではなく、その後のハイラス名義の完結編である。

脳内ハイラスさんが勝手に出てきて、記事を完成させてくれた?
仮面ライダー電王的に言えば、宿主の良太郎の意識が朦朧となっても、イマジンのモモタロスたちが勝手に戦闘を続行してくれて、目前の敵を倒してくれていたって感じ?
うん、不思議だ。不可思議現象発生だ。こういう状態が常々発生して、生活に支障をきたすようであれば、大天空寺に行って、タケル殿に相談しないといけないが、さすがにリアルにタケル殿はいないだろうから、誰に相談するかは考えないと。
まあ、今回は生活に支障をきたしたのではなく、自分の記事を勝手に完成させてくれたわけで、靴屋小人さん状態。そう言えば、前も別ブログで似たようなことがあったな。
あれは、遠い春の日の出来事。


ちょっと昔の記事を探してみたけど、すぐには見つからなかったので、また、そのうち。
とにかく、「もう少しで記事が完成するんだけど、今の自分では力尽きてしまった。それでも、何とか完成させたい」とギリギリまで頑張って、ギリギリまで踏ん張って、その飽くなき執念が結実したとき、自分の中の花粉症ガールや次元ドルイドが発動して、何とか記事を完結させてくれるって経験を、今年は二度したわけだ。
まあ、そこまで無理してブログ記事を書いたがための奇跡って奴?
そういうことにしておこう。

二度あることは三度ある、と言うが、今度は冬休みの時期になるかな?
ともあれ、自分の代わりに記事を書いてくれる別人格って存在は(文章の中身にもよるが)、害がないと思われるので、無理にお祓いする必要もないですな。もし、そういう人格を消してしまえば、記事書きに支障が出るかもしれないし。


★メールと、キモい駄文、ネガティブ論評への戒め

これで、ブログじゃなくて、メールで変態的な人格が勝手に機能して、キモい怪メールを友人に手当たり次第に送りまくっているという現象が発生しているなら、そういう被害に見舞われている送り主には同情するが、
むしろ、そんなメールを読まされた被害者はこちらなので(吐き気その他の実害はあったし)、余程の納得できる弁明でもなければ、関係修復は不可能かな。

いずれにせよ、トチ狂った文章も、変態めいた文章も、実験的に書いてみることもあるし(公表はしないが、あくまで練習程度で)、自分で読んでドン引きする文章だって、疲れているときは書いてしまったりする(今回のが実例だ、としておこう)。
ただ、自分の場合は、あくまで自分の中で処理できるブログ内の話だし、本気で恥ずかしくなって削除しようとすれば、いつでも消すことだってできる。
しかし、メールという知人に送りつけて、読むことを強要させるものがキモくて、変態的かつ破滅的な要望を突きつけるのでは問題が大きい。

あと、自分の場合は、「後から読み返してキモい」文章をどうするか、まあ、自分なりにいろいろ検討して、アフターケアに努めているつもり(この文章が実例だ)。
ここで大事なのは、書き手が自分の作品を「やっちまった。こいつはキモいな。読者はドン引きしないだろうか」と懸念している姿を示し、自己分析して反省して、今後の自分の内面の考察材料として、冷静に分析する姿勢を示した上で、まあ自分自身の人格フォローを示せるかである(と、言い訳しておく)。
まあ、ここまでしても「NOVAは気持ちの悪い人格破綻者だから、近付くのはよそう。書いている文章もつまらないし、役にも立たないし、付き合うことにメリットもないしな。付き合うこと自体、不愉快だ」と思われたりしたら、「すみませんね、こういう奴で。でも、これが俺なんで。今まで、お付き合いありがとうございました。また、何かの縁があれば、その折はよろしく」と、おとなしく引っ込む所存。
それが大人の取るべき態度と思っているからである。別れるときも、さわやかでありたいと思っている。

ネガティブな人格も、それなりに改善しようと思えばできるとNOVAは信じているが、それでも「変え難い自分」というのがあるのも事実である。
「NOVAの文章は、理屈っぽいし、妄想まみれで、訳分からんから読みたくない」と言う人に、「いや、それを改めるから付き合いを絶たないで。ぼくを見捨てないで」と訴えて、無理にしがみ付くつもりはない。改善できる要素はあるにしても、文章は自分の人格も体現しているし、それが合わない人には本当に合わないのだろう。そういう人に自分の文章を読ませたい、とは思わない。
まあ、それでも、NOVAは自分らしく、自分の場所で、自分の文章を書くだけだし、誰が読まなくても、自分一人の満足のために文章を書き続けると思う。
そういう自分に共感してくれる人がいれば、ラッキーと思うし、建設的な意見をもらえれば相応に反映できることもあるだろう。
結局、文章も人格も、合う合わないは誰にだってあるし、その上で、読ませたい人の許容範囲に収まる文章を披露できるかである。ぼくの読ませたい人は、自分と同じ趣味を持つ人なので、対象は明白だ。

逆に、自分と同じ趣味嗜好なのに、そういう人を怒らせてしまうような文章を書いてしまうと、そこは反省しないとな、と思う。
昔、自分がガンダムOOでロックオンが好きなあまり、主人公の刹那を蔑ろにするようなことを書いて、刹那のファンを怒らせてしまったのは失敗だったと思うし。その時以来、キャラへの批判は極力慎んだ方がいいな、と考えた次第。
とりわけ、幻徳と内海さんと紗羽さんの最新話の関係性を考えると、セクハラ云々のつまらない批判をきちんと取り消さない限りは、いつまでもしこりが消えないことは覚えておいたほうがいい。
まあ、掲示板上で、こういうことを書くのは公私混同なんだけど、ここは私的な想いをつづるブログなので。幻徳が格好良く散る前に、きちんとそこへのこだわりを主張しておくのが強いファン心理ってものだし、そこのところを読み誤って、対処を間違えて修正しない人間の主義主張や立場なんて歯牙に欠ける必要もないというのが自分のスタンス。
あ、これは今さら謝れとか、謝って済むって話じゃなく「俺の好きなキャラをバカにすると、俺はここまで根に持って、しつこくキャラ愛を主張し続ける面倒くさい、こだわりを持ったマニアだからな」という自己主張。自己のアイデンティティーの確認であり、感情論ではなく体面の問題。本気では怒ってなくても、演技としてでも怒ってみせなければ、幻徳ファンとしてのポリシーが許せない、示し得ないということで(子供への教育でも、そうせざるを得ない局面はあるわけで)。

今後、こだわりを持ったマニアと付き合う上での要注意ポイントを餞別代わりに書いてみた。

まあ、何だかんだ言って、幻徳って「熱くてクールでコミカルな素晴らしい芸人」だと思うわけよ。そして、この件で俺の最大の過ちは、件のメール主の覚醒を期待して、「幻徳に似た人なんて褒め言葉」を示したことなんだよな。それ、見誤ったので取り消すわ。幻徳に俺が感じる格好良さと面白さは、どうやら持ち合わせていないようだ。世間知らずなボンボンってところは似ているんだけど、何が違うかといえば、潔さと成長性と、何よりも機を見て敏な聡明さになるのかな。
あと、幻徳って必要ならば、公然と土下座しちゃえるんだな。自分のささやかなプライドよりも実利をしっかり見据える男って感じで、組織の長の器を持っているなと感じる大器。しっかりとした参謀さえいてくれれば、将になれる男とこの機に持ち上げておこう。キャラ愛は、こういう論評で示しておかないとね。


★今後のスケジュール

さて、総括記事で、最後に書き残したこと。こればかりは、ハイラスさんに任せるわけにはいきませんからね。

大きくテーマを分けると4つ。
「AD&D」「クラシックD&Dマスタールール」「多元宇宙概論」「ソード・ワールド2.5」。
この4つのテーマを、順次ローテーションで記事書きしていくつもりだけど、そこにロードス他のRPGが絡んでくる可能性もあるだろうし、別ブログの記事との兼ね合いなんかもあって(現状、ソード・ワールドは花粉症ガールと絡めている最中)、細かい中身はいろいろ流動的。

一応、マスタールールと、多元宇宙概論は、さっさと終わらせてしまう目処が付いているけど、それでも夏休み明けの話かな。

お盆休みの残りは、別ブログの方に専念して、ここは当面、放置気味になるのは、昨日、ハイラスさんの記事で書いたとおり。まあ、来週は忙しくなるだろうし、のんびり書けるのは9月になってからってことですね。
ジオウが始まれば、多元宇宙ネタで、また違う切り口を書きたくなるかもしれませんし、当面は書きたいネタをいろいろ熟成する期間かな。記事書きを白けさせる要素は、振り払ったので、今後は軽やかな気分を目指すつもり。(完)


PS.「何かを得るためには何かを捨てなきゃ」byバスコ・タ・ジョロキア
まあ、捨てるというか、一段落して終わらせなきゃって、ところですね。潮時って、そういうこと。
総括反省して、次につなげる。つながらないもの、つなげても無意味なものには未練を残さない。
損得踏まえて、きちんと清算しようってことです。
限られた人生の時間は、いいものを取捨選択して愛でたいところ。
格下だったら、日々是修行してニキニキに高みを目指して、学び、変わりながら生きないと。
まあ、自分は臨獣殿流の厳しい道と特撮愛に生きるハードボイルダー志望ということで。