ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

マウ連合君主国のワールドガイド初め

★トレラーニの先駆隊(トレイルブレイザーズ)

 

 

リバT『それでは、先週に引き続き、マウ連合君主国の研鑽会を始めるとしましょう』

 

ダイアンナ「パグマイアの犬たちに比べて、マウの猫たちは独立志向が強く、各キャラがバラバラの思惑で動きがちなため、初心者がガイドするには難しいって話だったな」

 

リバT『ええ。ですが、一応は犬たちの「王立開拓団」に相当する組織として、猫たちは「トレラーニの先駆隊」という組織を結成しています。トレラーニとは、バラバラだった猫たちの君主国を巧みな外交的手腕と理想でまとめ上げた連合君主国の前盟主。彼女の死後は、各君主国の代表から成る統治評議会が連合君主国の瓦解を抑えていますが、現状維持が精一杯のようですね』

 

アスト「暗黒皇帝ベルド亡き後のマーモ帝国みたいなものか」

 

リバT『たとえがあまりよろしくないと思います。それでは、猫たちが闇の勢力みたいではないですか』

 

アスト「猫は闇じゃないのか?」

 

リバT『違いますよ。猫は猫なりの名誉や誇りを重視しており、邪霊を称えたり、弱者を踏みにじったり、暴力で物事を解決してよし、とする種族ではありません。D&D的に言うなら、自由主義のケイオティックではあるけれど、イーヴィルではない。王家とヒトの神の権威に忠誠を誓うことを重視する犬たちに比べて、己の信念や誇りを追求するのが猫。己の道を探求する求道者にして、研ぎ澄まされた本能のままに邪を断つ精神を鍛えんとするのが「素晴らしき猫」の理想像なんです』

 

ダイアンナ「他律的ではなく、自律的に生きるわけか」

 

リバT『国に従うのが正義と考えがちな犬と、正義は己の中にあると考えがちな猫ですね。だけど、それだけだとプレイヤーたちがバラバラになって、ゲームが進めにくいので「トレラーニの先駆隊」が設定されました。要は、故トレラーニさんの理想とした「君主国どうしの協力、連合君主国全体の発展」を目指す冒険者チームということで、プレイヤーキャラはその組織の一員として扱うことを推奨されています』

 

ダイアンナ「王立開拓団とは何が違うんだい?」

 

リバT『王立開拓団は公務員的な組織で、みんなが憧れる明るい便利屋の方々のイメージですね。一方、先駆隊は新撰組的なところがあって、血生臭い汚れ仕事を引き受ける胡散臭い裏稼業みたいな目で見られています。一応、各君主国がそれぞれ出資しているのですが、表で対処しにくい厄介な仕事や、各公家の牽制のために自家の若者を構成員として差し向けるなど、決して社会的に光の当たる組織ではない。

『王立開拓団なら「明るい明日のために、君たちの手を貸してくれ。団員募集中」って張り紙をしていても納得ですが、先駆隊はそういうのが似合わない』

 

アスト「だったら、どういうのが似合うんだ?」

 

リバT『「所詮、俺たちはゴロツキよ。表で裁けない悪を、裏で始末するだけの仕事だ。名もなく、地位なく、姿なし。されど、自分の中の誇りと先君の理想? 夢? 何でもいいが、守りたいものがあるなら、歓迎するぜ。ただし感謝の言葉とか、他者からの称賛が欲しければ、お門違いだ、他所に行きな」って感じ?』

 

アスト「本当にそういうハードボイルド時代劇っぽい世界観なのか?」

 

リバT『多少とも偏見混じりなのは否定しませんが、ヨーシャ王女自らが参加しているパグマイアの王立開拓団に比べて、マウの先駆隊が政治的対立と駆け引きに翻弄されがちな「連合としての仲間意識と、各君主国の陰謀が入り混じった複雑なチーム」であることはルールブックの記述から、ほぼ察する通りです。もちろん、中にはトレラーニさんの理想に賛同した仲良しさんチームをプレイしてもいいのでしょうけどね』

 

★ミスの修正


リバT『さて、話を進める前に、前回の記事で2つばかりのミスが見つかりましたので、訂正しておきます』

>リバT『背景については、マウもパグマイアと同じ8種類ですが、違うのは宗教関連の侍祭(アコライト)が入信者に、商犬が商猫に置き換わっていることぐらいでしょうか』

リバT『もう一つ。自由犬が流浪者(アウトサイダー)に置き換わっていますね。まあ、些細な記述漏れですが』

>雑誌掲載の公式リプレイでは、パグマイアのパーティー依頼人としてマウのキャラ一人を交えて、マウの世界観における陰謀劇を見せていました。

リバT『犬3猫1のパーティーのつもりの発言でしたが、改めてリプレイをチェックすると逆で、猫3犬1のパーティー構成でした。マウのパーティーに依頼者としてパグマイアのキャラが交じっていた、と』

アスト「それで何が変わるんだ?」

リバT『冒険の舞台もそうですが、やはりゲームが目指すものも変わってくるようです。改めてルールブックのイントロダクションの記述を比較すると、パグマイアのテーマ関連は「協力性による救済」「未知の謎」「探求と冒険」であるのに対して、マウのテーマ関連は「本能VS社会」「謎めいた陰謀」「世界と自己の探求」とあります』

ダイアンナ「つまり、犬たちは『みんなで力を合わせて冒険しよう』であるのに対して、マウは『陰謀あふれる社会で、自己の本能との葛藤を抱えながら、どう折り合いをつけるか』がテーマってことかな」

リバT『ええ。パグマイアでは王立開拓団と王国の目的は、ほぼ同じと言えますので、開拓団としての活動がそのまま国のためと言えます。一方のマウでは、先駆隊と各君主国の目的が微妙にズレて来ることも考えられます。先駆隊のメンバーとして事件解決を目指す一方で、自分の属する君主国から秘密の指令が舞い込んだり、事件の黒幕が自分の属する君主国の重鎮だったりして、その事実を暴露するための証拠固めが必要になるなど、プレイヤーキャラが秘密を抱えたり、他者の秘密に巻き込まれたり、立場によってややこしい物語になりそうですね』

アスト「そのための背景設定なんだな」


★マウの国訓


リバT『パグマイアの犬の戒律は以下の7点でした』

1.善き犬であれ
2.主人に従え
3.危害を加える存在のみを噛むべし
4.家を守れ
5.正しき者には忠実であれ
6.見えざる者からみなを守るべし
7.残されし聖なる遺物を取るべし


ダイアンナ「犬にとっての理想像だな。まあ、全部が全部、杓子定規に守る必要はなくても、一応の行動の指針にはなるわけだ」

アスト「猫にもこういうのがあるのか?」

リバT『猫の場合は、以下の4つですね』

1.常に本能を信じよ
2.常に見えざる者の眷属に飛びかかれ
3.常に忠義に報いよ
4.常に正当なる決闘の結果を尊重せよ


アスト「見えざる者(邪霊とか)は犬猫共通の敵だけど、犬は守りを重視し、猫は攻撃を重視する感じだな」

ダイアンナ「決闘って何だ?」

リバT『犬たちは基本的に上官の命令には従い、和を尊んで内輪揉めをしないのが、善き犬とされるのですが、猫の場合は個の名誉が重視されますので、「仲良く振る舞え」という押し付けはしない。その代わり、意見が衝突するなら、正々堂々と決闘という形で白黒つけて、納得いく形で収めよ、という文化習慣なんですね』

ダイアンナ「つまり、腕っぷしの強い者の意見が通る?」

リバT『必ずしも、武力に訴える必要はありません。カードゲームとか、コイントスとか、双方の納得できるやり方であれば、何でもいいみたいです』

アスト「お前はオレのプライドを傷つけた。決闘だ!……とか言って、その結果、勝ったら相手に謝罪させる。負けたら、仕方なく相手の不作法を大目に見てやる。決闘の作法に従うことでプライドを維持できるって文化なんだな」

リバT『決闘に応じないとか、決闘の結果に従わないという態度の方が、誇りに反した振る舞いですからね。もちろん、決闘のルールについては、一方的な押し付けでなく双方の納得できるやり方を個々に話し合えって意味もあるのでしょう。また、決闘に応じた相手が負けても、それを侮蔑したりしないのも大事ですね。「お前は正々堂々と決闘に応じたのだから、見上げたものだ。勝者として、一杯おごらせてくれ」とか、キザな振る舞いもできれば、ガイドからフォーチュンが得られそうです(笑)』

ダイアンナ「ルールを上から押しつけるのではなく、トラブルは自分たちの間で、納得できる形で収めよ。それが文明猫のマナーだって国訓なんだな。あと、忠義というのは猫も大事にするのか?」

リバT『犬は、王国や自分の組織に忠誠を見せます。しかし、猫は忠義の対象を自分の意思で決めていいのですね。軽々しく相手を信用しようとしないけど、一度、相手が忠義に値すると知ったなら、「お主のその心根に惚れた」とか言って、個人的に信頼を寄せる、それが猫。そして、他猫からの忠義を得たいなら、その忠義に報いる姿勢を君主は示すべし、ということですね。自分は主君だから我儘勝手に振る舞っても、部下が付いて来るというものではない。
『これは友人関係についても同じこと。一度、友人になったから何もかも受け入れてもらえるなどと甘いことを言ってるな。自分自身を磨き、友誼に値する存在であろうと常に振る舞ってこそ、友は付いて来る。マウの猫は常に自分を磨き、誇らしい自分であることをもって、「素晴らしき猫」の栄誉を得られるのです』

ダイアンナ「つまり、パグマイアが他者との関係や規範で『善き犬』たらんとするのに対し、マウは自己の精進で『素晴らしき猫』たらんとする、と言ったところか」

アスト「自由で個性尊重を美徳としつつ、それは何でも好きにしていいというわけじゃないんだな。自己の精進あっての振る舞いだし、尊敬に値しない振る舞いを戒める社会文化は厳然としてある。それが犬の外部規範ではなく、猫の内面道徳といったところか」

リバT『周りが気にしないことでも、オレは自分の行動が許せない。償いはきっとする、とか、そういうのをポリシーにしたりしながら、猫らしい自主尊重の意味を考えたいところです。そして、猫の道徳観にはもう一つあって、それは所属する家によって違っています。
『ここでようやく、それぞれの君主家について、紹介しましょう。6つの君主家は、ルールブック記載順にアンゴラ家(知力)、キムリック家(魅力)、コラット家(筋力)、マウ家(判断力)、レックス家(敏捷力)、サイベリアン家(耐久力)、シャドウ・ブロック(自由)の7種類の主家があって、その家ごとのロールプレイ・スタンスもあるわけですね。パグマイアでは犬種で決まっていたことが、マウの場合は家ごとの生き様を重視するため、生家と所属する主家が違うこともあります』

ダイアンナ「知力重視のアンゴラ家に生まれたけど、勉強がイヤになったので、パワー勝負のコラット家に自分らしさを求めに行ったというのもありなのか」

リバT『そういうのもありでしょうね。その場合、キャラ名が「○○・アンゴラ・フォン・コラット」になるみたいですけど。各君主家に所属した場合、仔猫秘奥として《主家教育》か《世俗の猫》を選択できます。シャドウ・ブロックの場合は《世俗の猫》のみですが』

アスト「仔猫秘奥ってのは、パグマイアの背景芸みたいなものだったか。確か、関連NPCとの間にコネを結ぶことが可能な」

リバT『そうですね。商犬の《こんなこともあろうかと》のように、コネ以外の便利な使い方をできる芸もありますが、もっぱらキャラのロールプレイを物語背景から補強するためのルールです』

ダイアンナ「あたしのキャラは天命こそ魔工師だけど、背景が犯罪者なので、アカデミックな知り合いよりも裏社会の方に顔が利くわけだ」

リバT『パグマイアのルールでは、基本的に兼職ができないけど、天命と背景の組み合わせで魔法使い像にもヴァリエーションが出るようになっていますね。ヨーシャ姫は貴族出自の魔工師ですし、他にも魔法商犬とか、元兵士の軍人魔工師もできなくはない』

ダイアンナ「マウの場合は、そういうのはありなのか?」

リバT『マウの場合、パグマイアと同じことをしようと思えば、《世俗の猫》という秘奥で背景重視のキャラを作ることは可能です。だけど、職業背景よりも君主家とのコネを重視するのが《主家教育》ということになりますね。《主家教育:アンゴラ》を選べば、アンゴラ家の知人がいたり、公家が運営している巨大図書館に自由に出入りできたり、アンゴラ家の裏情報を入手しやすくなったり、世間一般の職業よりも家門としての恩恵あるいは、しがらみができたりするわけです』

ダイアンナ「家に縛られるか、自分の職業背景に縛られるか、ということか」

リバT『これはネットも含む人間関係の教訓なんですけど、人は誰かとの縁を保つために、敢えて縛られた関係を望んで自らの習慣としたり、お互いの便宜を図ったりする関係を構築しなければならないわけです』

ダイアンナ「どういうことだ?」

リバT『例えば、趣味を通じた人間関係を維持したいなら、「趣味に関する研鑽」をアピールしながら、「趣味愛とか、こだわり、趣味に縛られている自分自身」を演出して、「同じ趣味仲間として話が分かる」ことが最低でも必要。その中で互いに通じ合える共通の接点があるからこそ、話も弾むということですね』

ダイアンナ「ああ、その趣味に関しては価値観の共有が最低限できていないと、まともに趣味話はできないな。ゲームの話をしたければ、『いかに自分がそのゲームが好きで、今、その話を盛り上がって楽しめるか、相手と楽しみたいか、あるいは一人でも楽しんでいるか』を語って、そこのところをブレずに示せるかが大事ということか」

リバT『趣味に限らず、アンゴラ家の魔法研究や知識の探究にコミットするなら、自身も研究者であり、相手の研究内容に興味を示し、かつ自身の研究内容についても話し、互いの情報交換で信頼性を培い、しかも互いの不利益にならないことをしないという最低限の信頼性が必要になります。逆に、情報を重視する価値観を持つ者からすると、「こいつの情報は当てにならない。自分の過ちを指摘されても修正しない」と思われると、「付き合うに値しない奴」となってしまいますね。趣味人は自分の趣味の研鑽を、研究者は自分の研究を通じて自己実現を図っているために、そこを理解しない相手との付き合いは、他に得るところがなければ成立し得ないとなるわけです』

アスト「『情報は提供してやるが、お前には何を提供するんだ?』と問われて、相手の益になる何かを提供できてこそ、そのWinWinを通じて、人は付き合えるということか。これがTRPGの場合は、ちょっとした謝礼のこともあるし、PCは冒険者という何でも屋とか、事件解決のプロとかだから、相手の困っていることを解消したり、求めているものを入手する過程がそのまま冒険や仕事のネタにもなる」

リバT『TRPGのコネは総じて、「一方的に頼み事をする関係ではなく、相互に求める何かを提供し合える関係」を意味しています。人との絆についても、相手の求めるものと自分の提供できるもの、また、その逆が上手くかみ合った時に末長く続くものですし、そこが破綻してしまえば、関係性の維持など不可能かもしれませんね』


★ここから寄り道話


アスト「人間関係にもコスト(時間や関心含む)は必要で、そのコストに無頓着になってしまえば、あるいは双方ともに支払うコストをどちらかが無駄と思うようになれば、そこで関係性は終わらせる方がいいのかもしれないな」

ダイアンナ「『コストに見合う価値を提供する』というのは、社会人として生きる上での常識だからな。そういう意識を持たずに、無償の好意を求めがちな人間は、いつ切り捨てられても不思議じゃないのが今の世の中かもしれないわけで」

リバT『もちろん、趣味は遊びですから、仕事と違ってコスト云々を考えるものではない、という意見もあります。ですが、趣味という行為の最大の収穫は「楽しいこと」という心理的充足にあります。よって、趣味仲間というのは「楽しむこと、同好の士を楽しませること」で結びついた関係性であり、そこには知識欲や収集欲とその披露表明、それを受け入れて共感し称えてくれる同士の存在、新鮮な情報交換の醍醐味などなど、いろいろありますが、何よりも大切なのは、「あ、この人は自分のやってることを理解してくれる同好の士なんだ」って感覚ですね』

アスト「確かに、『自分の好きなものを平気で否定・批判する相手』『自分のやっていることに理解や興味を示さない相手』と趣味話をしたいとは思わないな。まあ、本当に好きな物へのこだわりが強すぎて、周りが見えていなくて、自分の語りたいものを語って、仲間から相手にされず、一人でしくしく泣いているような奴も時には見かけるが(チラッ)」

触手キング「一体、誰のことを言っているでごわすか? 吾輩は一人でも触手の研鑽をしているゆえ、いちいち引き合いに出さなくても結構だ。一人になって、誰も聞く者がいなくても、語っていること自体が楽しい。それが趣味の道というものでごわす」

ダイアンナ「ある意味、ダディーもそういうところがあるみたいだからねえ。その意味では、研究者気質なわけだが、それでも自分の趣味の聞き手が欲しいと思うことはあるし、『そこにコミットしてくれる相手なら、話に応じるのもやぶさかではない』という気持ちもあるわけで」

アスト「逆に、『わざわざブログ記事にコメントを付けているのに、その記事内容に触れずに、自分の語りたいことだけを語る相手』というのは、『自分の書いたものを露骨にないがしろにされている』と感じて、それだけで非常に不愉快になるわけだ」

ダイアンナ「この辺は、相手の求めているものが『自分の話を聞いてくれる都合のいい友人』であり、ダディーの求めているものが『自分のしている話にそれなりに理解を示してくれる共通の趣味仲間』であることから、ズレているんだな。少なくとも、ダディーの方は相手の理解力や知識、リアクション能力も含めて、『自分の話し相手として満足できない』と考えているのだろうし、相手側としては(ダディーの記事を読んでいるかどうかは分からんが)『読んだというリアクションを示すのが下手だし、たまに読んだようなことを言っても、タイミングを外していたり、誤読が多くて伝わっていないと思わせるレスが多い』し、打てば響くようなやりとりとは到底言えないわけだ」

リバT『もちろん、100%完璧な理解を他人に求めることは不可能ですし、グランドマスターNOVAは、その辺の満たされない自分の感覚を、脳内人格との会話を通じて代償行為的に吐き出している面もあるようです』

アスト「創作活動って、満たされない現実への憧れや主張を作品の形で昇華している一面もあるよなあ。現実ではないから、余計に好きなことを思う存分、書いて妄想が暴走してイマジネーション大爆発したり、だけど、その表現テクニックが一定レベルに達して誰かの琴線に響いたり、そういう個人の脳内幻想をどういう形で他人と共有できるエンタメとして構築できるかが肝心。まあ、作者の妄想願望が巧みな筆致や絵柄、ストーリー展開などで、『それが分かる』あるいは『誰かのツボを新たに刺激する』ことでファンを生むわけだ」

ダイアンナ「だけど、そのイマジネーションが陳腐だったり、テクニックが稚拙だったり、主義主張に共感できなかったり、いろいろな事情で『鑑賞してつまらない』作品もあるわけだし、そういうつまらないと見なした作品や作者に対して、どう接するかは人それぞれ。まあ、普通は『この点では気に入らないけど、この点で独特のセンスがあって、そこを伸ばせば云々』という形にフォローするわけだし、ダディーは自分も物語の創り手の端くれ、文章の書き手という意識があるから、作品そのものよりも作品のメイキング手法とか、創作時の想いの吐露とか、そういうものに強い関心を示しがち。つまり、作品に対する作者の想いやこだわり、工夫などを話題にしたがる。決して、『面白かった。感動した』で話を終わらせたくないみたいだね」

アスト「創作研究者として話をしたい人間が、『子供のような感想や悪口めいた批判』で満足できるかってことだな。そういうレベルの会話なら、ツイッターとか、まとめブログの匿名コメントなんかで見飽きているし。わざわざツッコミを入れる価値もない一過性の話題ネタに、忙しい人間を付き合わせようとする意義がどれほどの物か考えてみた方がいい」

リバT『気心の知れた友人レベルなら、発言レベルが相互の影響で平均化してくるものですし、双方の作品への入れ込みようが等質なら、互いに意見の切磋琢磨なども行われて、またお互いの話のツボも理解が進んで、互いの意見が高まり合う。こういうのは、剣術の練習相手みたいで心地よい関係性ですね。逆に、会話を通じて、話題にしているものへの研鑽作業を通じて、自分に磨きをかけているという意識がなければ、ただの無駄話でしかない。「前は分からなかったことが、今だと分かる」とか、そういう自分を振り返っての成長具合を自覚して、言葉にできると、聞いている人間も心地よいのかもしれません』


ダイアンナ「マウという猫の社会が、自己の精進や修練の道をテーマにしていることもあって、何だか違う話にズレ込んだ気もするねえ」

リバT『TRPGのルールブックに込められた思想性から、違う話が喚起された結果と言えましょうか。理想的なキャラクター=英雄性の描写は、現実を生きる指標にできる要素もあるのでしょうし、「遊びの中に修行あり」という激獣拳の精神なんかも、マウというゲームの中にあります。とは言え、今回、話そうと考えていたマウの主家の紹介話は中途半端に流れたので、そこは次回に続く、ということで』

(当記事 完)