ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

粉杉翔花の帰還に際して

@久々の記事だ

 

NOVA『……と言うことで、ゴールデンウィークの間にようやく翔花が帰って来たんだ』

アスト「そうか。これでオレの、いやオレたちの念願が叶ったんだな。粉杉翔花ちゃん、粉杉翔花ちゃん、粉杉翔花ちゃん……とノートに100回書いて、帰還を願い続けた甲斐があったってもんだ」

NOVA『お前、そんなことをしていたのか』

アスト「粉杉翔花ファンクラブの会員ナンバーXとしては当然だろう」

NOVA『会員ナンバーXって何だよ』

アスト「仕方ないじゃないか。一時期のストーカー行為がキモいと言われて、アッキー様にファンクラブの会員ナンバー資格を剥奪されたんだからな。そう、あれは忘れもしない2年前の秋のこと。オレがここで初めて、主役級の破格な扱いを受け、アッキー様を認識して今に至る記念すべきエピソードだ」

NOVA『ああ、もうそんなにもなるのか。ともあれ、好きな相手のためにノートに100回、名前を書きつらねるというのは創作愛情行為の基本だからな。最近は、カシワモチカシワモチカシワモチ……という表現を見て爆笑したほどだ』

アスト「カシワモチワルドか。だったら、差し詰め、このブログ時空は花粉症トピアだから、もしもトジテンドにギア化させられたら、花粉症ワルドが誕生して、登場人物全員が涙目鼻水状態になってクシャミしまくりになる花粉症」

NOVA『……想像するだに、イヤな世界だな。いくら俺が花粉症ガールの父だからって、そんな世界には住みたくない』

 

@新型コロナに関してネタ的に思うこと


アスト「だが、地上のそっちは、新型コロナトピアになってるんじゃないか? 新型コロナワルドが猛威を振るい、せっかくのコングの映画までもが公開延期になって、みんなが苦しんでる新型コロナ」

NOVA『……想像するまでもなく、イヤな世界だぜ。しかも新型コロナ変異株とか、インド産ダブル変異株とか、どんどん新しいのが出てきて、まるで新型コロナファイト、レディーGO!な事態だぜ。ネオイングランド代表とか、ネオインド代表とか、いろいろな新型コロナが発生して、そのうちアルティメットなデビル新型コロナが出現して、全ての新型コロナが地球を守るために一致団結して最終決戦を展開、最後は愛の力で浄化される希望の未来へレディーGOな話になるんじゃねえか』

ダイアンナ「すると、あながちマスターアジアの仕事は、『新型コロナこそが地球を救う』とか言って、自己進化・自己再生・自己増殖の新型コロナ3大理論を元に、新型コロナを活性化させるために暗躍しているんじゃないか」

NOVA『俺のマスターアジアはそんなことをしねえ。どんなに暴れ回っても、その体は新型コロナに一切蝕まれておらず、きれいな身で暁に死すんだ。そう、それこそが東方不敗よ』

アスト「何にせよ、一時は武漢ウイルスと地名を付けて呼ぶのは差別だ、とマスコミも言っていたのに、今ではイギリス株、インド株と当たり前に地名付きで呼んでいるのは矛盾してるな」

NOVA『忖度してるのか何なのかは知らんが、「新型コロナの起源は我が国だ」と主張する国は流石に出ないな。世の中で流行しているものにいろいろ乗っかりたがる、お隣の国がこの件に関しては消極的というか』

アスト「さすがに、それを言ったらバカ丸出しだろう。せいぜい『新型コロナワクチンの起源』を強引な屁理屈で主張して、歴史捏造に奔走するぐらいで」

NOVA『それが笑い話になるぐらい事態が収まってくれたらいいが、とりあえず今度のオリンピックが将来、新型コロナオリンピックと揶揄される未来は予測できる』

ダイアンナ「オリンピックと言えば、仮に夏に開催できても、年が明ければすぐに冬の北京オリンピックがあって、同じ年度内に2回のオリンピックが開かれる稀なイベントになるのかもな」

NOVA『個人的には、オリンピックが抜本的なコロナ対策の足を引っ張っているような気がして、ここまで国民の多くが希望を見出せないオリンピック開催前も珍しいな、と思う』

アスト「主催者側は、オリンピックを通じて今の暗い世相に少しでも明るいニュースを、と真面目に言っているみたいだがな」

NOVA『気持ちは分かる。ただ、俺はスポーツで盛り上がるよりも、特撮映画で盛り上がるタイプの人間だからな。コングの映画が延期になったのに、オリンピックはやります、という空気の方に何だかなあ、という気分だ。まあ、コングの映画をきちんと見た後なら、少しぐらいオリンピックもできたらいいね、って気分にならなくもない。日米怪獣王決戦の方が、スポーツの祭典よりも俺のツボを突く。オリンピックは4年に1度だが、ゴジラとコングの対決は、ほぼ60年ぶりの大イベントだからな』

ダイアンナ「とにかく、コングの映画が延期になったことで、ダディーがいろいろ不寛容になっていることは分かった」

NOVA『……ゼンカイジャーに登場しないかなあ。コングワルド』

アスト「ゴリラだらけの世界か」

NOVA『DCヒーローのフラッシュなら、そんな世界もあるんだがな。そう思うと、溜まってるフラッシュのDVDも見たくなってきた。第3シーズンの途中で見るのを中断してしまったけど、また追っかけ再開したいな、と思う』


@ウルトラマンの話


NOVA『ところで、鉄太郎さんに代わってくれないか?』

アスト「鉄太郎さんは今いないぞ。行方不明のユリアン王女の捜索に駆り出されてな。ここで観測していても、そっち方面の情報が入って来ない、ということで、ここでの監視任務はオレとダイアンナだけで十分だろうという判断だ」

NOVA『そうか。ゼロさんは、Zの世界とティガの世界に手がかりがないか探しているみたいだけど、最近は観測範囲を広げて、オーブの世界とかまでチェックし始めているからな。まあ、俺の観測でも新しくトリガーの世界とか、グリージョダークネスというものまで見つかったので、もしかしたら鉄太郎さんから詳しい話が聞けるかな、と期待したんだが』

アスト「どうして、鉄太郎さんが、トリガーとか、グリージョダークネスのことまで知っていると思うんだ? 住んでる世界観が全然違うじゃないか」

NOVA『いや、住んでる世界の壁なんて、容易く乗り越えるのが恒点観測員ってものじゃないか? あの人は風来坊だし、オーブの世界にだって登場したし、昭和ウルトラ最多ゲスト出演回数を誇る御仁だし、グリージョダークネスのことで、俺の知らない情報をいっぱい持ってそうな気がしてな』

アスト「トリガーのことはいいのか?」

NOVA『それはそのうち、ゼロさんが解説してくれるだろう。そんなことよりもグリージョダークネスだ。俺の頭はグリージョダークネスでいっぱいだ』

アスト「花粉症ガールでいっぱいにしておけよ、親父。グリージョダークネスのことを考えている暇があるなら、少しでも翔花ちゃんのことを考えて、記事書きするのが父親ってものじゃないか?」

NOVA『いや、さすがに四六時中、娘のことを考えて頭がいっぱいの父親ってのも気持ちが悪いだろう』

アスト「グリージョダークネスで頭がいっぱいと言っている父親が気持ち悪くないとでも?」

NOVA『うっ、マジレスすると、いっぱいというのはただの誇張表現で、他にも考えていることはいろいろあるが、それ一色ということは決してないが、それでも大いに注目して、少しでも情報が欲しいという気持ちなわけだよ。もしも、ゼンカイジャーにグリージョダークネスワルドという怪人が出現して、グリージョダークネストピアという世界が観測されて、いろいろ妄想全開にさせてくれれば、俺はゼンカイジャーを世界初のグリージョダークネス戦隊と認定するグリージョダークネス』

アスト「意味が分からねえよ。分からねえが、とにかく凄いハマり方だ。オレも粉杉翔花ファンクラブ会員ナンバーXとしては負けてられねえな。よし、ゼンカイジャーに翔花ワルドという怪人が出現して、翔花トピアという世界が観測されれば、ゼンカイジャーを翔花戦隊と認定する翔花」

NOVA『つまらねえことで、人の娘の名前を連呼してるんじゃねえよ。おまけにネタが俺のそのままパクリだから、面白くもねえ……って、おい、アスト、横を見ろ』

アスト「何だ?」

ダイアンナ「この浮気者がーーーッ」

アスト「グフッ。いい夢を見させてもらったぜ(ガクッ)」

NOVA『……一体、どんな技をくらったのか、俺にはちっとも見えなかったが、まあ、結婚してる男が妻の横で、別の女の子に夢中になってる姿を見せたら、大抵こうなるな。俺だって、グリージョダークネス愛を全開で披露するたびに、娘二人からW花粉症バスターを浴びせられて、反省させられているのによ』

ダイアンナ「それで、ダディーはグリージョダークネスとやらの情報が欲しくて、こっちに連絡を寄越したのか?」

NOVA『いや、それもあるが、一番の理由は当然、翔花を無事に助けたよって報告だな。それで、翔花を連れて、そっちの基地に遊びに行こうって話もしていたと思うが、娘が2人になって、いろいろ新しい日常にてんやわんやで少し落ち着くまで、遊びに行けそうにない。だから、リモート連絡だけで今は勘弁してくれって話をしたかった』

ダイアンナ「まあ、ダディーもいろいろあって忙しかったのは、こっちの記事書きがないことからも察する限りだが、たまには記事がないと、寂しがる読者もいるだろうな」

NOVA『ネタがないわけじゃないんだがな。この本も買ったわけだし』




@新雑誌の話


NOVA『この雑誌、俺も最近気づいたんだが、友野さんが編集の中心にいたんだな。前のウォーロックマガジンは違う編集長がT&Tマガジンからの引き継ぎでやっていて、それから柘植さんにバトンタッチしてから、新雑誌は誰が編集長になるかと思ってたら、編集体制はGMマガジンの引き継ぎで、よくよく見ると、そっちも中心は友野さんだったということに最近ようやく気が付いた次第』

ダイアンナ「友野さんと言えば、世紀末の一時期、ダディーの世話を焼いてくれた先輩作家という御仁か?」

NOVA『まあ、俺だけじゃなく、90年代の多くの新人の世話を焼いてくれた熱血・クール・お笑いの3大芸を兼ね備えた才人だ。俺の記事書き芸の原型は、この人にあると言ってもいい。いつでも陽気な特撮マニアのモデルケースとも言える。いろいろ叱ってくれて、説教もしてくれて、うん、この人がいなければ、特撮中心のサイトを立ち上げようとも思わなかったんじゃないか。その場合、メインがスパロボになるか、必殺になるかは知らないけれど、もっと陰性ダーク寄りな方向性になっていた可能性大』

ダイアンナ「若い時期に、どういう人間と知り合うかで、その人間の人生が決まるということか」

NOVA『そりゃ、誰をモデルケースとするかが、その人間の人生観にも通じるからな。TRPGの師匠と言えば、まず安田社長が挙げられるし、小説という意味では水野さん、そして友野さんの場合はより近い距離での先輩という形でアドバイスをいただいたり。
『もちろん、作家の人たちとは、作品を通じて擬似的に会話したりもできて、文体を真似したりしながら自分の血肉にしたり、いろいろ学べることもあるんだけど、若いときはいろいろ貪欲に吸収しようとして、その中で自分らしさを確立したり、逆に強烈な個性に触れて萎縮して自分を見失ったり、自分で一体、何をしたいんだろうって悩んだり、現実との壁にぶつかって寄り道脱線をせざるを得なかったり、だけど自分の中ではその都度筋を通そうとしている面もあって、それは後から振り返れば、こういう筋だったとまとめることもできるんだろうけど、道半ばでは見えていないことも数多し』

ダイアンナ「人生を一冊の小説、あるいは何巻にも及ぶ大河小説になぞらえるなら、山あり谷あり、感慨深しってところかな」

NOVA『50歳になったら、自分の器もある程度、見えてくるからな。がむしゃらに夢を追ってた20代。地に足ついて自分を固めようとした30代。それが惰性になっていることに気づいて、もう一度、一念発起しようと頑張った40代。それで実ったこと、実らなかったこと、あれこれ整理しながら、もう10年頑張ろうとしている今ってことかな。40代は自分を広げ直そうとしたけど、この数年は広げることよりも深める方向に視点が変わった』

ダイアンナ「広げるのと深めるのは、両方同時にはできないのか?」

NOVA『できる人もいるかもしれないが、例えば、広げるということは自分にない個性に出会ったら、それが好きか嫌いかに関わらず、受け止めてみようという考えが必要になる。何にでも挑戦ということで、外向的な振る舞いが求められる。フットワークは軽く、可能なかぎり外へ外へと興味の幅を大きくしていく。いわゆる全力全開な方向性だな』

ダイアンナ「深めるのは?」

NOVA『自分の道をひたすら追求する。好きと嫌いをはっきりさせ、これは良い、これは悪いという自分の価値観できちんと峻別し、自分の決めた道をどんどん掘り下げていくことで、一心不乱になる。これは内向的な振る舞いで、じっくり足場を固めて、己の信念に身を捧げる形だ。時として頑固だ偏狭だと批判されても、そんなの関係ねえ、俺は俺の道を行く。邪魔をするな、という方向性』

ダイアンナ「つまり、広げるのと深めるのでは、根本的な生き方が変わってくるわけか」

NOVA『まあ、何にでも飛びつくか、自分の目指す道に叶うもののみ受け入れるか、の違いだな。広く浅くか、狭く深くの二種類? そして、大抵はどちらかで評価されれば、人として需要があるわけだ』

ダイアンナ「あの人は何でも知っていると思われる人は?」

NOVA『一般人よりは詳しいってことで、マニアック未満だけど、いろいろな話の聞き手にもなれるし、語り手にもなれる。社交的な人間ってのは話題の種類に限らず、一定レベルの応対はできるんだな。優秀な営業マンに必要なスキルだ』

ダイアンナ「顧客の趣味を察して、応じられるってことか」

NOVA『その逆が専門家だな。何でも知っているわけではないけど、本人の得意分野においては、常人が軽々しく手を出せないほどの知識を有していて、素人がはあっと溜め息をつくほどのこだわりを示す。本来、小説家になれる見識というのはそれぐらいのレベルだけど、大衆小説、エンタメ作家を目指すなら、同時に大衆受けという営業マンセンスを求められることにもなる。普通は、編集さんが営業センスを備えて、作家に依頼する。それに作家が自分のこだわりを混ぜて、商品となる作品を完成させる。少なくとも、新人作家というのはこういうもので、編集さんの要望に合わせられない作家に仕事は来ない』

ダイアンナ「編集主導、作家が従ってことか」

NOVA『そう。作家が主になれるのは、その作家に好きに書かせた方が読者のニーズにも合うし、編集さんの求めるツボをしっかり押せるという、「空気の読める作家」「自己プロデュースの才覚を持てる作家」に限られたことで、それができる人間なら、自分で企画を立てて、自分で優秀な編集さんに声をかけて、マルチクリエイターの道を目指すこともできる。と言うか、業界トップの人ってそれをしているだろう? 友野さんとかもそうなってるわけで』

ダイアンナ「ああ、そういう風に話が戻ってくるわけか」

NOVA『いや、実は最近、友野さんの名前を雑誌記事でもあまり見なくなったな、と思いながら、そのレアな記事を好んで追っかけたりもしていたんだが、あの人は昔、膨大な文章を書ける人という売りがあったのに、その力量はどうなったのかなあ、と思って気にしてたら、何のことはない。編集の裏方でいっぱい記事書きしていたんだ、と納得。作家としての友野詳とは別名義で、あれこれ書いていたことをようやく気づいて、やっぱ友野さんだ、凄えと感じ入ったという話』

ダイアンナ「で、そのダディーを感じ入らせたという作家兼編集さんがプロデュースした雑誌の感想はどうだ?」

NOVA『実は、まだ全部をゆっくり読んでいないんだ。さっと流し読み程度で、今はもっぱら、こっちを読むのに時間を費やしている』




@クリエイターの話

ダイアンナ「その本はどういう代物だ?」

NOVA『アメリカのTRPGデザイナーたちのゲームデザインをテーマにしたエッセイ記事集と言ったところか。日本のTRPGデザインは、専門雑誌で結構、分かることも多いが、海外のそれはなかなか知る機会が少ないからな(英文サイトを漁れば見つかるだろうけど手間が掛かる)。この本を読めば、D&Dの3版以降とか、新世紀に入ってからの向こうのTRPG情報なんかも断片的に分かるし、システムだけでなく、面白いシナリオの作り方とか、奇抜な世界観をどうゲームにアレンジするかとか、海外の実例も含めて、いろいろ勉強になる本だ。で、内容が深いので、まだ半分ちょっとしか読めていないんだけどな』

ダイアンナ「海外のTRPGか。国内とは違った、何か際立つ特徴はあるのか?」

NOVA『これは俺の主観だが、国内RPGはストーリー主導、キャラ主導の方向性で、海外RPGはバトル主導な面と、センス・オブ・ワンダーを重視していて、GMは予定調和なストーリーよりもプレイヤーにサプライズを提供しろ、と訴えているような感じだな。いや、まあ、GMじゃなくて、デザイナー向きの文章かもしれないが、GMだってシナリオ作りとか、半分デザイナーに通じるものがあるからな。要はゲームデザイナーの仕事って、GMに飽きさせることなく、衝撃を与えて、その衝撃を自分の卓のプレイヤーに伝えたいと思わせることだ、というメッセージ。クリエイティブな商品を作るプロとしての心構えみたいなことが書かれてある、と思ってもいい』

ダイアンナ「プロとしての心構えか。プロレベルの人たちの書いた指南書ということなら、ちょっとした奥義書みたいなものだな」

NOVA『もちろん、奥義なんてものは、一冊の本で全て語り尽くされるようなものでもないし、本を読んでイメージを深めて、自分で実践経験をあれこれ積みながら、ああ、これはこういうことね、とか、ここは自分の経験や感覚とは違うな、一体どういうことだろう? とか、あれこれ模索したり、うおっ、こういう考え方もあるのか、知らなかった、凄え、と感じ入れてこその価値だと考える』

ダイアンナ「なるほど。それは奥義書に限らず、あらゆる本や映像作品についても言えることじゃないか?」

NOVA『そうだな。登場人物の感情がスッと入ってくるとか、ん? こいつは何でこの場面でこんな振る舞いをするんだ?(後まで読んで)ああ、そういうことか、なるほどな、と納得するとか、うおっ、こいつは凄いアイデアだ、こんな展開、よく考えたな、面白い、と感じ入れてこその作品鑑賞だ』

ダイアンナ「ダディーはいつもそういうことを考えて、作品を追っかけてるのか?」

NOVA『当然だろう? 作品製作者が「こいつは面白いぜ。俺の感じてる面白さをお前たちも味わってくれ」って気持ちで仕上げるのが、人に読ませる、見させる作品であって、そういう面白さが自分でも見えていないものは「習作」でしかない。プロじゃないなら習作をいくつも重ねるのが当然だが、人に読ませたいなら、その人間が感情移入できるとか、ドキドキする謎と、正解が示されたときの納得度とか、巧みなアイデアとか、いろいろと投入して、「俺の書いたものはつまらなくない。ここが売りだ。これをつまらないと思うなら、それはあんたの見る目がないからだ。こういう知識を持ってる人間なら、この面白さは分かるはずだ」という信念ぐらいは欲しいな、と俺は考える』

ダイアンナ「人に読ませようとするなら、つまらない物を見せるなってことか?」

NOVA『まあ、それは受け手の傲慢って奴だけどな。面白いか、つまらないかは、作者と読者の琴線とかフィーリングにも関わってくる。例えば、ラブレターなんて私文は、恋愛に興味のない人間には本当につまらない代物だが、当事者や当事者に縁ある者には大変、興味があるものだ。要は、その作品の対象読者に自分が入っていて、自分の感情をダイレクトに、ポジティブ方向に刺激してくる作品なら大抵面白いし、作品ジャンルや、作者の物の考え方や、登場人物の価値観が自分に合わないとなれば、こんなにストレスの掛かる読み物はない。読んでも文句しか出ない代物だ』

ダイアンナ「読むという作業にも、こだわりのある人間ほど、読まない自由というものも求めるってことか?」

NOVA『「この人は俺のツボを分かっているな」って感じる人の作品は何回でも読みたくなるし、楽しい作品を探していて偶然、ツボを突くようなものに出くわしたら、ラッキーだと思うし、誰かの作品評価を聞いて面白そうだと思えば、読んでみたくもなる。ただ、「これはつまらない」と思われてしまったら、そういうネガティブ感情を乗り越えて読むというのは甚だハードルが高いぜ。
『「友だちだから読んでくださいよ」「つまらないものを押し付けてくるような奴は、友だちと呼べん。友だちと言い張るのなら、せめて相手のツボぐらい理解して、普段から怒らせないようにしろ。おお、まともに勉強しているな、と感じ入らせてこそ、書いたものの面白さを保証できる」ってことかな。やっぱり、普段からの付き合いで、不勉強が露呈している人間が、書いたもので人を感じ入らせることは難しいと思うよ。絵とか音楽とか、違うセンスの芸術作品ならともかく、文章で呆れられている人間が文章で挽回するのは不可能に近いと思うんだけど?』

ダイアンナ「ここを追い出された特定個人当ての文面だと思うけど、本筋に関係あるのか?」

NOVA『むちゃくちゃ関係あるんだよ。コボルドRPGデザインのエッセンスだからな。取捨選択は読者に委ねられていて、デザイナーも作家も読者のニーズを読み誤ると痛い目に合う。それでもチャンスを与えてくれる相手がいるなら、それに甘えるのではなくて、自分を徹底して磨いて信頼に応えようとするのが人の道。それができないなら、この道には向いていない……って話だ。まあ、大抵の指南書には似たような趣旨が書いていて自己研鑽を奨めているわけだが』

ダイアンナ「それはプロを目指す者の心得であって、趣味の創作まで関わってくるものなのかな?」

NOVA『まあ、趣味なら趣味でいいんだけど、一人で自己満足していればいい趣味ならともかく、ネットという開かれた場所での公開を目指すなら「場を弁える」という判断が求められる。所構わぬ自己主張はリスクが大きいし、他人が管理する場所では当然、管理人の管理ポリシーがあるわけで、うちに関して言えば、掲示板の管理方針として、これが参考になるだろうな。
『ページの下の方に「NOVAにとって不愉快な書き込み」が挙がっているので、何が問題なのかチェックするのがトラブルを未然に防ぐ最低限のコツかもしれん。もちろん、ブログと掲示板は性質が違うこともあるだろうけど、管理する人間が同じである以上、関連してくることはあるはずだ。と言うか、トラブルメーカー君は、メールで長らく付き合いがあって、その都度、注意されてきたにも関わらず、「NOVAの不愉快スイッチ」を押し続けるという体たらくだからな。創作家としての共感がなければ、とっくの昔に決裂していたと思うよ』

ダイアンナ「創作家としての共感とは?」

NOVA『今年の冬に、キラメイジャーでもテーマになっていたな。「ひらめきの才」「キラキラの追求」「自分のこだわりを深く掘り下げること」の3つかな、と考える』

ダイアンナ「『ひらめき』『キラキラ』『こだわり』かあ」

NOVA『ひらめきはアイデアだし、自分で思いつくこともあれば、他の人のアイデアに触発されたり、とにかく面白いこと、役に立つことを思いついたり、感じ入ったりして、自分も使ってみたくなること。時には、他人のアイデアをパクるというのもありだけど、どんなにアイデアをパクっても、そもそも技量が身に付いていなければ良い作品は作れないわけだし、発表されたアイデアは、それが自分の作品に流用可能かどうかを見極めて使いこなすセンスも、創作では大事。
『まあ、アイデアのパクリというのは、著作権とかに抵触しない範囲で、うまく調理するならご自由に、というのが俺のスタンス。二番煎じ、三番煎じだからつまらない、というのは個人の感想としてはありだけど、「画期的なアイデア」が一つあれば、他が既存作品の流用であっても作品としては成立するし、あれがパクリ、これがパクリと発見して、バカにして悦に入るのは、せいぜい20代までにした方がいい。30代を過ぎると、物を見る目が深まるので、世の中にはアイデアの流用がいっぱいあって、そのアイデアの使い方の上手下手かで評価できるようになるはずだから。
『自分では「画期的なアイデア」と考えていたものに前例があれば、クリエイターはがっかりすることもあるけど、その場合は「この画期的なアイデアを自分が継承して、新たに世に問うてみる」ということを天啓としてひらめいた、という気持ちになれば、先人をリスペクトしつつ一皮むけたと言えるかも。今はどちらかと言えば、「こんな元ネタを引っ張ってくるとは、この作家は何てマニアックなんだ」と読み手の目が肥えて来ているので、パクリ云々という方が物を知らない、とバカにされるわけで』

ダイアンナ「ダディーは、パクってもいいけど上手くパクれ、というスタンスなんだな」

NOVA『それが快盗ってもんだろう?』

ダイアンナ「同感だ。世の中には、せっかくのアイデアを上手く使えていない作品もあるので、その作品を自分がブラッシュアップして、もっと良い評価が得られたときに、『実はこのアイデアは、この○○という作品から着想を得たんです』と埋もれた先達をリスペクトするのは、盗まれた作家としても冥利に尽きるな」

NOVA『「ひらめき」というのは、何らかのきっかけとなる刺激が必要だからな。まあ、いろいろパクってきても、それを一つの作品の中で整合性を持ってつなげられなければ、所詮はつぎはぎだらけで見てられない作品になるわけで、接合技術が必要になるわけだが。
『次に「キラキラ」だが、これは簡単だな。エンタメなんだから、読んでて楽しい。人をキラキラさせる。まあ、何にキラキラするかは人それぞれだから、客層を決めるわけだが。「自分の人生はキラキラしてる」と思える人は、自伝や自撮りしているだけでキラキラ作品になるだろうけど、そういう人間はよほどの陽キャやナルシスト、成功者でない限り、稀だし。そもそも、そういう人種はあまり他人のつまらない小説など読まないだろう?(偏見)。自分の人生の方が面白いって感じるんだから。
『そこで、仮に客層をキラキラしてないオタクに絞る場合、何を楽しいと感じるか? 他人の自慢話ではなく、自慢ばかりのいけ好かない奴が痛い目に合うことであり、そこには作者自身も含まれる。つまり、作者が自虐ネタを披露することで、読者が作者をネタの素材に考えて、愛着をもってキラキラできる』

ダイアンナ「自虐の勧めかあ」

NOVA『一種のお笑い芸だな。新人芸人は、ベテラン司会にイジられて、うまい返しができる人間が生き残って、お茶の間の人気者になって、やがて一本立ちできたりもする。リアクションがつまらない芸人は、振ってくるネタも大抵はつまらん。
『まあ、自虐は他人から攻撃される前に、自分で自分にツッコミを入れることで、他者の攻撃意欲を逸らせるというガード手段でもあるのだが。自分でもおかしなことを言っているのは分かっていて、ジョークで言っているのでツッコミは無用ですよ、というメッセージでもあるし、他人にツッコまれる前に自分でツッコミ入れる方が受ける精神ダメージが少ないわけで』

ダイアンナ「ロールプレイ的には、わざとザコを演じる負けロールプレイという技もあるらしいな」

NOVA『これは「ダメな奴と見下されたキャラが、ここぞというところで活躍する」と、快哉を浴びるという効果もあって、俺的には中村主水効果とも呼称するんだけど、「偉そうな奴が負ける」「バカにされた奴が隠していた爪を見せて雪辱を晴らす」というのはフィクションの王道パターンでもある』

ダイアンナ「日常ではドジキャラなのに、修羅場では秘めた才能を発揮する、というのはセーラームーンなんかでもあるな」

NOVA『変身ものの魅力かもしれん。他にも、エンタメの王道定番「キラキラ」パターンはいろいろあるけれど、物語として自分はどんなタイプの王道に則るかを考えるのはありだろうな』

アスト「……なるほど。つまり、オレが演じた負けロールプレイも、これから雪辱を晴らすための前フリという奴か」

NOVA『おお、アスト。ようやくお目覚めか』

アスト「フッ、あんなことで死ぬオレと思うなよ」

NOVA『いや、あれで死んでる方がおかしいだろう。と言うか、いつまで寝ているか、と思ったぞ。ちゃんと話は聞いていたか?』

アスト「もちろんだ。要するに、翔花ワルドという怪人が登場して、日常ではドジキャラなのに、修羅場では秘めた才能を発揮する、セーラームーンみたいに『キラキラ』してるってことだな」

NOVA『気絶する直前と、起きたタイミングの話を無理やりつなげてるんじゃねえ』


@こだわりの光と闇


アスト「……なるほど。創作家としての共感は『ひらめき』『キラキラ』『こだわり』の三要素あるって話をしていたのか」

NOVA『言いかえれば、「アイデア」「グッドセンス(快感)」「蘊蓄知識」の3要素だな。逆に、新鮮味のないありきたりな物語で、内容がどうも不愉快で、しかも書いていることが嘘だらけという小説は、読むに耐えない。まあ、ファンタジーや架空世界は多少とも現実離れしていることもあるんだが、それでも、その世界観でのリアリティや定番はあるわけで、作者の知識が世界観に反映されるのは間違いない』

アスト「『ひらめき』『キラキラ』は褒め言葉だってのは分かるが、『こだわり』と言うのは良くも悪くも聞こえるな」

NOVA『ほう。さすがはアスト、鋭い指摘だ』

アスト「お前に褒められると、何だか気持ちが悪いが」

NOVA『俺は基本的に、褒めて伸ばす教育方針だぞ。妥当なことを言っていれば、それは素直に認める。逆に、非常識なダメ発言を連発されると、苛々してツッコミ欲が刺激されて仕方ないんだが。とにかく、世間一般では「こだわり」はネガティブ用語としても使われる。「そんなつまらんことにこだわっても仕方ないだろう」とか「いつまで昔のことにこだわってるのよ。ウジウジしすぎ」とか、「こだわり=陰キャ属性」のように扱われる』

アスト「まあ、小説書くのが趣味ですって人間は、陽キャよりも陰キャが多いだろうがな」

NOVA『そいつは偏見だと反論したいが、別に俺は今さら陽キャというものに憧れるわけでもなく、陰キャを自認しているからな。まあ、俺が若いときはそういう言葉じゃなくて、根明(ねあか)、根暗(ねくら)という呼称だったし、TVゲームは根暗の遊び、という偏見もあったのが昭和時代だ』

ダイアンナ「根明は何して遊んでいたんだ?」

NOVA『そりゃ、健全にアウトドアでスポーツやったり、キャンプをやったり、盗んだバイクを乗り回したり、ディスコで踊り狂っていたんじゃないか? あと、楽器を鳴らして、ロックンロールなんて叫んでいたり』

ダイアンナ「根暗は?」

NOVA『絵を描いたり、小説を書いたり、シミュレーションゲームをしていたり、模型を作ったり、コンピューターいじりをしてプログラムを組んでいたり……』

アスト「大雑把にまとめると、スポーツ系とアウトドア系と音楽系が根明で、美術系と文学系と工作技術系が根暗の趣味ってことか」

NOVA『みんなで集まったり、体を動かしたり、騒いだりするのが根明の遊びで、一人で静かにじっくり取り組むのが根暗趣味。ただ、コンピューター関連はスマホとかがコミュニケーションツールとなって、生活の必需品になると根明の必須アイテムにもなるし、音楽系がオタク趣味的に見なされることにもなって、時代によってイメージが変わった面もある』

アスト「インターネットの発展によって、家の中にいてもオンラインで人と交流できる時代になって、インドア系で社交が苦手と見なされたオタク層が、共通の趣味を持つ者同士で密接な関係性を紡ぐというケースも新世紀の特徴だったりもするな」

NOVA『80年代にアニメブームが起こって、マスコミがいろいろと取り上げるだろう? すると、「大人なのにアニメから卒業しない若者」というのを一部の大人が、変わった人種として取り上げて、そこでオタクという言葉で珍獣扱いするわけだよ。その結果、90年代には社会の中で鬱屈したオタク層の犯罪という形で、いろいろ面白おかしく取り上げる。オタクはキモいという言葉も、マスコミが盛んに喧伝したのもこの時期で、それを経験しているかどうかが、今の若者とおっさん世代の価値観の大きな違いと言える』

ダイアンナ「90年代以降に生まれた子は、マスコミによる社会挙げてのオタクバッシングを経験していないから、オタクという言葉にあまりネガティブなイメージを持たないらしいな」

NOVA『その辺の世代だと、物心が付いた時には、世の中にアニメやゲーム、インターネットが普通にあって、80年代以前の人間(昭和生まれ)がサブカルチャーとかアングラ文化と呼んでいたものがメインカルチャーに変わって行ったわけだ。マスコミの方も、オタクを重要な客層として認識を改めるようになり、21世紀になるとイケメン俳優の特撮ヒーローやら、声優のアイドル化やら、ゲーム業界のメジャー化などで、かつてはマニアックな趣味と呼ばれたジャンルが一部の若者文化の最先端と評価されるようにもなる』

アスト「つまり、昭和生まれの人間と、平成生まれの人間では、その辺の価値観が大きく違うわけだな」

NOVA『ああ、今年50歳の俺なんかはメディアミックス戦略の発展期に青春を過ごした人間で、平成生まれはメディアミックスがほぼ完成した時期に育っている。初めてプレイしたTVゲームがファミコン(あるいは携帯ゲームのゲームウォッチ)なのと、プレステ2(あるいはDS)なのでは、それだけで感性さえもが全然変わってくるわけだ』

アスト「つまり、お前は自分が年をとったと言いたいわけか?」

NOVA『俺だけじゃねえ。いわゆるメディアミックス戦略下で生まれたラノベというジャンルの読者層もだよ。今現在、ラノベのライバルは何だと思う? スマホでできるソシャゲだという意見だ。ラノベの読者層の高齢化も進んで、それに応じてラノベの主人公も男子高校生から「冴えないサラリーマンが女子高生と知り合って云々」という話に需要が生じたり、この10年で大きく変質するようになった』

ダイアンナ「別に中高生が主人公のラノベだって消えたわけじゃないだろう?」

NOVA『ああ、その辺の需要はあるだろうな。ただ、昭和生まれの人間は教師とか特別な職業でない限り、あるいは余程丁寧に取材しない限り、今の学生をリアルっぽく書くのはなかなか難しいだろうな。今の高校生はスマホを持つのが当たり前で、スマホに乗り遅れているおっさん世代は、それだけでリアルな若者が書けない。つまり、悲しいことだけど、若者の方がおっさんよりも最新情報機器に対する順応性が高いので、現代日本の学生を感じ入らせる学園ものを書くのは、昭和の若者センスの人間にはハードルが高すぎるということになる』

アスト「昭和の学校生活と、平成の学校生活と、令和の学校生活はそれぞれ変わって来るんだろうなあ」

NOVA『令和の学校生活は、新型コロナのせいで、行事日程がいろいろ不安定だな。特に、遠足や修学旅行、文化祭、体育祭なんかが延期とか中止みたいで、クラブ活動もままならない。ある意味、普通に学校生活を営んでいるというだけで、ファンタジーの世界になっているわけで』

アスト「緊急事態宣言という言葉に、もう慣れました、というだけで、いかに今が異常な状態か分かるってもんだ」

NOVA『で、若者とおっさんの世代感覚のズレというものを語っているわけだが、「おっさんが若者よりは知識があると思って、下手な若者向け小説を書いても、よほどブラッシュアップできていなければ、若者の感覚からズレたものにしかならない」という話だ。とりわけ現代ものではな。その点、異世界ファンタジーは世界観的にあまり古びないのがメリットだ』

アスト「それで『こだわり』の話はどこに消えたんだ?」

NOVA『「こだわり」ってのは、陰キャの美徳だな。陽キャは頭がライトなので明るく軽い。これはプラスでもマイナスでもあって、一つところにこだわるよりも、その場のノリで何にでも飛びつくフットワークの軽さを武器にするわけだ。「アイデア」と「勢い」だけでも秘めたる文才とセンスさえあれば、パーっと楽しい作品が書けたりする。そして、暗さを感じさせない気楽で楽しい読み物……というラノベファンの需要にはその方が適うわけだ。下手なこだわりなんて、一切ない方がラノベらしいラノベは書ける』

アスト「それって、バカでもラノベは書けるってことか?」

NOVA『本当のバカじゃ書けないが、書きたいという強い気持ちと人並み以上の国語力、それに陽キャが得意とする世間知を武器にすれば、ノリのいい爽やかな青春ラノベを書くことは難しくない。ただし、それはどうも俺好みの物語とは言えなさそうだ』

ダイアンナ「どうしてだ?」

NOVA『だって、俺は基本的にライトな人間じゃないからな。重厚な方に興味を持つ人間で、そもそもラノベ作家を目指していたわけでもない。蛮人コナンよりはメルニボネのエルリックの方が好きだし、水戸黄門よりは必殺シリーズの方が好きだし、陽よりは陰好みのキャラという方向で間違いない。つまり、軽くて明るい自分よりは、重くて暗いヘビー&ダークな自分の方が自然体なわけだ』

アスト「ヘビー&ダークか。やはり、お前の中には妄魔時王が潜んでいやがったのか」

NOVA『まあ、本性をさらけ出すとそうかもしれんが、ヘビー&ダークが悪なのか、というと必ずしもそうではない、とある時、ふと気が付いた。ちょっとした発想の転換って奴だ。ヘビーというのは軽々しくない、じっくり腰を据えて慎重に考えることだし、時にはそれが重宝されることもあるし、経験をいろいろ積み重ねることで重要な役割を果たすことだってある。マスコミや世間が軽く明るいことを推奨する中で、そういう振る舞い方をそれなりに学びはしたし、役割演技として作法を身に付けたりもしたが、本質は重くて暗い。そっちが本性で、陽性のShiny NOVAの方が虚構の幻ということになる』

アスト「ヘビー&ダークが本性で、だからライト寄りな人間じゃないということか」

NOVA『だからと言って、世界を闇に包むとか、重々しい空気が好きとかそういうことじゃねえぜ。陰鬱さも理解できるし、自分の後付けキャラである軽さ明るさも必要に応じて演じ分けられて、明るいとか重いとか関係なく、熱いものが好き、クールなものも好き、コミカルで面白いものも好き。未熟から成長する話が好き。それを支えるベテラン親父も好き。女の子は……生々しい人間よりも、現実にいなさそうな属性の方に萌える、と言ったところか』

アスト「まあ、ハードボイルドが好きとか、時代劇が好きとか、ホラー映画が好きとか、並べてみると軽薄短小よりも重厚長大な方に魅力を感じるわけだな」

NOVA『そうそう、「こだわり」ってのは「拘泥」すなわち一つところに拘束し、泥に沈めて封じ込めるという漢字で、そこだけに終始するってことだ。まあ、融通が利かない、頑固って意味でもある。フットワークが重いとか、専門バカになり兼ねない方向性ってことだな。でも、たった一つしかこだわりがないというのでは、いくら専門家でも生きていけないのが現実なので、今の時代は「こだわるにしても、マルチにこだわること」を推奨されている。一本足だと自分を支えられないので、二本、できれば三本とスキルを磨いて、自分の使える武器を増やす程度のことは求められている。自分のこだわりは、これとこれとこれの3つですねと肉付けしていくのが、その人間の味わいということになる』

ダイアンナ「これしかできないというこだわりではなく、できる範囲で広げていくこだわりか」

NOVA『そう。マルチなこだわり、それこそ自分を広げ、かつ深めることだと、人生50年、寄り道脱線も経験しながら俺が身に付けた生き方よ。そして本質はダークながら、そこから光に向かって手を伸ばす。闇のままでは終わらない。ダークに始まり、不完全な良心回路に葛藤しながら、みんなの心の光に支えられながら、グリッターに進化できたらいいなあ、と夢見てる。我ながら酔狂なことをほざいていると思うが、闇だって別に嫌いじゃない。それがなければ物語は面白くならないし、闇の美学も味わえない。ただ、俺の好みは光と闇の交錯だから、闇は構成要素の一つでしかない。そこだけにこだわっても、俺という人間は完成しないってことだ』

アスト「だから闇堕ち、または光への浄化が好きなんだな」

NOVA『そこでグリージョダークネスなんだ。グリージョはハッピーな心の集合体だろう? それが闇化したらどうなるんだ?』

アスト「アンハッピーな心の集合体じゃねえか?」

NOVA『そもそも、ウルトラマンという存在が光の戦士なんだが、新マン以降、人間ウルトラマンという路線が加わって、人の心の光と闇をテーマとして内在するようになる。それをストレートに語るようになったのが、ティガ以降の平成ウルトラで、元は仏教起源だったウルトラも、Aとティガでキリスト教テーマを付与されるようになる。まあ、ティガはそこにクトゥルフ神話なんかも混ぜて来るが、ウルトラマン自身の闇堕ちを描くようになったのはゼロとベリアルからだな。
『他にも、ネクサスが進化したノアと、闇の化身であるダークザギの対立軸も、その前のコスモスとカオスヘッダーの対決も、光と闇のウルトラ史の進化の過程として興味深かったが、そこにハッピーが闇に染まれば、それはどういうキャラか? という問題提起が今は非常に興味深いわけだ』

アスト「結局は、グリージョダークネスに帰結するわけか。全くお前って奴は……」

NOVA『どうだ、こだわっているだろう?』

アスト「こだわり過ぎだよ。まあ、俺も闇に堕ちて、光をつかんだ男だから、お前の考えは理解できなくもないが、グリージョダークネスの話ばかりでなく、翔花ちゃんやアッキー様のことも大切にしろよ」

NOVA『ああ、お前もダイアンナのことを大事にな』

アスト「お前に言われなくても、お前の見ていないところで大事にしているさ。なあ、アニー」

ダイアンナ「なっ(赤面)。と、突然、こっちに話を振るな。どうリアクションしていいか、困るだろう」

NOVA『はいはい、二人がパートナーとして仲良くやってるなら、それでいいさ。長々と話しちまったようだな。じゃあ、今回の光と闇のテーマはまたここでの研鑽テーマにもしておいてくれ。闇堕ちしたパラディンなんかも話題としては面白そうだしな』

(当記事 完)