ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

AD&Dとマスタールールの背景(その2)

前回は、スタートレックとトラベラー、スターウォーズとD&Dという対照的なSF映像作品とTRPGの関係性について語ってみました。

まあ、元々は、スターウォーズとAD&Dの同時代性および共通点を語りたかっただけで、スタートレックやトラベラーにまで踏み込むつもりはなかったわけですが。

 

ここで、前回はまとめ損なったそれぞれの作品の対比点を挙げると、

スタトレとトラベラーは「架空の未来世界において、成長を果たしたベテランの大人たちが繰り広げるリアル風味のSF冒険ドラマ(バトル要素もあるけど、それがメインというわけではない)」であるのに対し、

スターウォーズとD&Dの方は「我々の世界とは違う古風ファンタジーな社会体制を持つ異世界において、未熟な若者が試練を経て世界を救う英雄に成り上がる夢と冒険、光と闇の対決ドラマ(バトルとキャラの成長がメイン)」という違い。

ティーンエイジャー向けのスターウォーズと、より大人のファンを惹きつけたスタートレックという70年代末から80年代のSF映画2大作の構図は、そのままD&Dとトラベラーの対比とつながってきます。

 

なお、自分がスターウォーズを初めて見たのは、83年のTV放送の時。

71年生まれなので、スターウォーズの映画が日本に上陸した79年はまだ小学校の低学年で、映画館に行く習慣はできていなかった。

その時期は東映まんが祭りを見に、連れて行ってもらったり(名作ものの『龍の子太郎』と『森は生きている』と『白鳥の湖』が記憶にある)、

78年のスーパーマンを親に連れられて劇場で見たけど、字幕なので子供にはストーリーがさっぱりだったり。

まあ、ジョン・ウィリアムズ作曲のスーパーマンのテーマ曲が印象的だったり、幼少期から怪力を示すスーパーマンに凄いと思ったり、世界の危機は救ったものの恋人のロイスを死なせてしまって、号泣しながら地球の周りをぐるぐる回って時間を戻して、恋人の死ぬ前の状況からやり直して、今度は無事に彼女を救出。リセット芸というものを知ったのは、自分にとって、これが初めてだったり。

タイムマシンという存在を初めて知ったのは、75年のタイムボカンからだけど、未来とか過去とかよく分かっていなくて、それぞれの時代が「お話の中の別世界」という認識。まあ、当時は時間移動も、空間移動も、別世界への転移もみんな同じようなものという考えだったのでしょうね。

ともかく、小学生時代は自分の意思で自由に映画を見に行けるわけでなかったし、そうするようになったのは中学生になってから。そして、お小遣いも映画を趣味にするには十分ではなかったので、ほとんどはTV放送を待つのが80年代でした。名作も1、2年すればTVで放送する時代だったわけだし。まあ、それにしてもスターウォーズは83年が初放送なので映画公開から時間が掛かった方だとは思うけど。

 

結局、小学生と中学生で大きく世界が広がって(83年)、さらに高校になって広がって(86年)、大学時代にはアルバイトでさらに広がり(89年)、その後はワープロ通信で広がり(90年代頭)、仕事関連で広がり(90年代半ば)、インターネットで広がり(2000年前後)、それ以降は物理的にはそれほどではないけど、ネット世界の情報収集力、発信力で自分なりに広げたり、深めたりしてきたつもり。

そして、時々こういう形で回顧しながら、自分と周りの世界の広がり方の確認、経緯を見つめ直すことが趣味みたいになっているわけですな。

 

スターウォーズ補足

スターウォーズに関する思い出話をもう少し続けます。
日本上陸は70年代後半だけど、自分の方がそれを受け止める準備ができていなかったので(存在は認知していたとは言え)、先にガンダムビームサーベルや、宇宙刑事のレーザーブレードを知ってから、元ネタであるジェダイライトセーバーを後から見たわけで、自分がスターウォーズの映像を見て初めて凄いと感じたのは、「3作目のジェダイの復讐(現エピソード6、ジェダイの帰還)のスピーダーバイクの高速戦闘シーン」。
それまでは「どこかで見たような映像を懐かしく見る程度」。 まあ、先にスターウォーズが見せたものを、日本の映像やゲームの製作者が取り入れて、ぼくらに見せてくれていたからですけどね。

中学時代の自分といえば、ツクダのボードシミュレーションゲームが切っても切り離せない趣味の一つなんだけど、そちらでも82年にスターウォーズの第1作「デススター」が出ております。その後、2作目の「ホス」、3作目の「エンドア」が出ていたことは、カタログ知識で知っていましたが、当時はガンダムの追っかけが中心で、スターウォーズを積極的には追いかけてはいなかったので、ホスやエンドアが戦いの舞台だということは知っていたものの、それぞれが氷の世界とか森林の世界というイメージすら持っていなかった。
つまり、映画本編を見ることよりも先に、ゲーム関連で間接的に用語なんかの知識を貯めて行って、後から映画を見て、ああ、そういうことだったのね、と補完する時期が80年代だった、と。
何せ、インターネットもなく、レンタルビデオも80年代の半ばから徐々に普及していった時代なので、情報を得る手段は書籍かTV放送がメインで、まあ積極的に映画を観に行く友人の話を聞いたりしながら想像を深める日々。まあ、それだからこそ、その時期に得た情報は自分の中で大事な記憶に残っているんですけどね。


★そしてスピルバーグ映画の世界へ


最初のスターウォーズジョージ・ルーカス監督作品ですが、スピルバーグ監督は当時、『未知との遭遇』を撮影しており、この2つがハリウッドにSFブームをもたらしたと評価されています。
それ以前には、SF映画は子供か一部のマニアの見るもので、あまり一般にはヒットしないと思われていたのが、77年から78年に時流が大きく変わった、と。
スターウォーズが映像技術に与えた影響は大きく、ルーカスは監督としてよりも、CGを初めとする映像技術や映画音楽の発展を促した映像製作会社ルーカスフィルム(1971~)の設立者、映像技術のプロデューサーとして評価されることが多かったりします。ルーカスフィルムのCGアニメ部門が、1986年にスティーブ・ジョブズに買収されてピクサーに発展するなど、現在のアメリカのデジタル映像の本流の一つが、ルーカスのスターウォーズを起源に持つわけで。

一方のスピルバーグの方は映画監督として、また製作総指揮として、現在もアメリカ映画界の重鎮と言えるわけですが、ルーカスを製作総指揮として、自らが監督となったインディー・ジョーンズの第1作『レイダース』(1981年)がTRPGとの関連が大きいですね。
「考古学者のジョーンズ教授がトラップだらけの迷宮を突破して、失われた伝説の秘宝を探し求める」という根幹設定は、そのままD&Dの基本プロットになりますし(もちろん中世ファンタジーと、ナチスが悪役として活動していた1930年代という時代設定の違いはありますが)、この物語がTRPGと相互に与え合った影響は大きいな、と。
悪の帝国と対立する冒険好きの考古学者(トレジャーハンター)、求める宝は神々の伝説に起源を持つ力の秘宝であり、オカルトめいた魔力が背景に宿っている。こういう物語要素はそのままRPGの冒険物語に流用できますし、事実、スピルバーグの提示した映画のストーリーがそのままRPGのシナリオのイメージソースになったりもします。

もちろん、そういう秘境探検物語はスピルバーグ以前にも存在しました。有名な作品では、ヘンリー・ライダー・ハガードの小説『ソロモン王の洞窟』(1885)を原作にした映画が1938年に作られ、その後、1950年にリメイクされるなど、インディー・ジョーンズ以前の映画の探検家といえばアラン・クォーターメンの名前が挙げられるほどの有名キャラクターでした。ただ、50年代や60年代の娯楽映画やSF娯楽映画は、ルーカスやスピルバーグに影響を与えていたにも関わらず、70年代のハリウッドではしばらく忘れられていたんですね。
一応、ハリーハウゼンの特撮探検映画が70年代にも数本作られて、彼の特撮技術はルーカスやスピルバーグその他のエンタメ映画人、また日本の特撮界にも大きな影響を与えていますが、最盛期はやはり50年から60年代。70年代のアメリカ映画は、ベトナム戦争に影響されて「個人の厭世と絶望、不条理な破滅などをテーマにした内省的なアメリカン・ニューシネマ」の時代で、そこから『ロッキー』や『スターウォーズ』などの陽性サクセスストーリー、SFや痛快アクションの復権に当たるのが70年代後半だったわけです。
そういう「アメリカンドリーム再び」の時代の牽引力となった映画監督、製作者がスピルバーグであり、TRPGが流行するのも、そういう映画界の背景事情もあってのこと。ともかく、スピルバーグおよびTRPGが50年代や60年代のエンタメ冒険物語を70年代後半から80年代に蘇らせて、一つの時代の潮流を築いたというのが本記事の趣旨です。

なお、スピルバーグが世に出るのと同時期ぐらいに、ホラー小説の分野で新時代を築いたのがスティーブン・キングになるわけですな。
彼の作品もしばしば映像化されて、しかもスピルバーグが映画『レディ・プレイヤー・ワン』の中で持ち上げていたのが印象的でした。『レディ・プレイヤー・ワン』は80年代に少年期、青年期を過ごした者には懐かし要素いっぱいの絶賛作品なんですが、原作小説ではスピルバーグ関連の素材もいっぱい散りばめられています。だけど、スピルバーグ監督自身が映像化するに当たって、「自分の作品については気恥ずかしいので、最小限度の扱いにしてもらった。代わりに、他の素晴らしい作品の映像を引用したので、十分楽しめると思う」という趣旨で応じている。
そして、実際の映像は、ゲーム好き、日本好きであるスピルバーグ監督の映像趣味に合わせたラインナップがいろいろ。まあ、これはこれで原作とは違った角度で楽しめるわけで、原作のマニアックすぎる素材の選択よりも、より大衆向け、一般向けに楽しめる映像作品なわけで。そして、スピルバーグ監督が80年代を代表する映像作品として選んだのがスティーブン・キング原作の『シャイニング』ということです。
『シャイニング』の映画監督はスタンリー・キューブリックで(SF界では『2001年宇宙の旅』で有名)、1999年に亡くなるまではスピルバーグ監督も映画作りの先達として尊敬しながら親交を重ねていたと聞きます。そりゃ、スピルバーグが敬意を向ける映画監督の作品だから、映画で引用するのも納得するわけで。原作小説では『シャイニング』なんて触れてもいないのに、どうして映画で採用されたのかは鑑賞時には分かっていなかったのですが、スティーブン・キングが時代を代表する作家だし、そういう縁かなと思っていたら、実はキューブリック監督の映像を再現したかったから、ということのようです。


スピルバーグとゲームの関係


日本では、映画とゲームは別物。
ゲーム会社が映像化を目指して興行的に失敗したファイナルファンタジーの例もあって、仮にゲームがアニメ化される際も、ゲーム会社→出版社→映像化という段取りを踏んで、出版社の発言力が大きいのが現状。
あるいは、バンダイナムコが玩具コンテンツを映像コンテンツとゲームのコンテンツに流用したり、カプコンバイオハザードアメリカに渡って実写映画化されたりすることはあっても、ゲームはまだまだ一段下に見られていて、映像監督の方がゲーム好きを表明して、積極的にゲーム関連の技術を支援する方向性は考えにくいです。
今のところは、俳優さんや声優さんがゲーム好きをアピールするぐらい。

一方で、アメリカはゲーム業界の裾野が広く、ゲームを知らない=エンタメ分野で若者にアピールできないと受け取られるのか、どういうゲーム機を所有しているのか、アピールする監督もそれなりに目立つな、と。
スピルバーグ監督がその典型的な例で、デジタル関係の最新の映像技術に関心を寄せる一方で、自身も熱心なゲームプレイヤーとして知られているそうな。スピルバーグは1946年生まれで、現在71歳。82年公開のET撮影時に、子供たち相手にD&Dのダンジョンマスターをしてあげた逸話も最近知ったので、そっちのジャンルの知識もあるらしい。

以下、自分にとって印象的な作品群を挙げてみると、

●激突!(72年):無名時代にTVドラマとして撮影して、スピルバーグの名前を知らしめた記念すべき作品。殺人トレーラーに追いかけ回された男の決死の逃亡とサバイバルを描くカーチェイスアクション。自身の監督作品として、巨大な敵に襲われるアクション演出は後の『ジョーズ』や『ジュラシック・パーク』にも受け継がれる他、同様のシチュエーションは『ターミネーター』などにも継承される定番となった。
あと、英語題のDuelは、現在カードゲームの対戦を指す用語として定着しているし、カーチェイスアクション自体をゲーム化した『カーウォーズ』(81年、邦訳は87年)にも影響が。
さらに、そこから2007年の実写版『トランスフォーマー』につながる流れも見出されなくもない。一応、同シリーズはスピルバーグの製作総指揮作品でもあるので。

ジョーズ(75年):平和なビーチを襲う巨大な人食いザメの恐怖と、人々の戦いを描いたモンスタームービー。この映画でスピルバーグの名前が世界に知れ渡ることになった。
この作品でアカデミー作曲賞をとった音楽担当のジョン・ウィリアムズが以降のスピルバーグ映画の常連作曲家になったり、『スーパーマン』『スターウォーズ』など数々の名曲を生み出したりすることもトピックに挙げられる。また、以降、動物パニックムービーが乱立したり、ジョーズ=サメという誤用が定着したり、多くの影響を与えた。
ゲーム的には、モンスターと戦うのは定番だけど、海上海中戦が割と特別なシチュエーションなので、直接影響を与えた作品はなさそう。むしろ、ジョーズの亜流の動物パニックムービーが、いろいろなゲームの演出に影響を与えてそう。ジェームズ・キャメロンの『殺人魚フライングキラー』(81年)とか。あと、目に見えないところからじわじわ忍び寄るモンスターの影というサスペンス演出は、79年の『エイリアン』にも通じるものがありますな。

77年の『未知との遭遇』、81年の『インディー・ジョーンズ』シリーズは既述なので飛ばして、

E.T.(82年):宇宙人の子供と少年の交流を描いたファンタジー映画の傑作。ここからスピルバーグの子供への優しい視点とか、家族向け映画の方向性が提示される一方、TRPGで遊ぶ子供たちを映像化したり、大人とは違う子供の世界を映し出そうとしたり、「宇宙人や異生物を迫害する大人と、守ろうとする子供」の構図が鮮明化。

グレムリン(84年):ここから自身の監督だけでなく、製作総指揮に回ることにも。
グレムリンは狼男映画『ハウリング』(1981)のジョー・ダンテ監督作品で、そういう観点で見ると、可愛い小動物のギズモが醜悪な魔物のグレムリンに増殖・変容するところなどは、狼男の変身に通じるものがあるわけで。
グレムリンの映画の魅力は、ギズモの可愛さと、ルール違反によって怪物のグレムリンが出現するギャップ萌えなところがあり、ある意味、西洋風ペットモンスターの元祖を提示するとともに、可愛さが一転、バトルモードへの切り替わりめいた変容、今風に言えば、ネコ娘っぽいところとか、仲間モンスターの系譜になるのかなあ、と。
あと、この映画で初めて「グレムリン」という飛行機事故にまつわる新種の妖精イメージが定着したこともトピックかも。ドラクエにも2でグレムリンが出て来るし、ソード・ワールドにも無印時代から悪戯好きの小鬼として登場しているなあ。この映画がなければ、そこまでメジャーな存在にはなっていなかったと思う。
そして、グレムリンは、ゴーストバスターズと並んで、84年の復活ゴジラと3G対決を行った作品としても印象的。まあ、頭文字が同じモンスター映画というだけで、全然作風が異なるんですけどね。可愛さはグレムリンというかギズモの圧勝で、おっさんヒーローのコミカル&クール&ノリの良さはゴーストバスターズ、そして政治&スーパーXのメカニック成分はゴジラとなりますか。

バック・トゥ・ザ・フューチャー(85年):これも制作総指揮がスピルバーグで、ロバート・ゼメキス監督の作品。
この映画と前年の『ターミネーター』の影響で、宇宙とは違うSF未来観を自分は刺激されたと思います。もちろん、ドラえもんタイムボカンシリーズなどもあるのですが、当時はアニメが子供チックに受け止め、実写がリアルに感じていたもので。時空というキーワードだと、この翌年に『時空戦士スピルバン』も製作され、スピルバーグについて語る際に名前の元ネタとして触れないわけにはいかないな、と。
タイムマシンとして機能する主人公の愛車デロリアンは、映画『レディ・プレイヤー・ワン』の主人公の愛車になったり、自動車と時間旅行設定で『仮面ライダードライブ』の夏映画(2015)の元ネタになったり、主人公のライバルのビフの元ネタがトランプ大統領だったり、近年もこの作品を思い出す機会はやたらと多い。
それと、昔、創元推理文庫で出たゲームブックにも同タイトルがあり、作者が安田SNE社長とTTG。要するに、この辺りから自分のRPG趣味にも関わってくる作品ということです。

グーニーズ(85年):スピルバーグの製作総指揮で、78年版スーパーマンリチャード・ドナー監督作品。
この監督が同年に撮ったファンタジー映画『レディホーク』も好きな映画の一つで、ドラクエ3の「バラモスの呪いで動物に変身する男女」の元ネタだったり。
で、グーニーズですが、海賊の宝をめぐって、少年グループとギャングの陽性お宝争奪冒険話といったところですか。ファミコンゲームにもなっていましたな。
そして、21世紀になると、この作品の主人公の少年を演じたショーン・アスティンが『ロード・オブ・ザ・リング』のサム役を演じるなど、TRPG者としてはトピックに挙げざるを得ない。
さらに、このショーンの誕生日が1971年2月25日と今、知って驚いています。NOVAの誕生日の1日前、まあ実際にはアメリカでは時差があって、こちらより遅いものだから、ほぼ自分と同じタイミングで生まれた俳優ということが判明。そうか、NOVAはロードのサム役と同じぐらいの生まれなのか。おかげでますます、サムが好きになった。
ともあれ、「洞窟の中で海賊のお宝を探して大冒険」ってストーリー・プロットだけで十分D&D的だと思います。

●ロジャー・ラビット(88年):アニメキャラ(トゥーン)と実写キャラの共存する街(トゥーンタウン)で、トゥーン嫌いの探偵と、事件に巻き込まれたトゥーンのロジャー・ラビットが口論しながらの協力ぶりで、事件を解決するバディ物探偵ストーリー。
アニメキャラと実写キャラの掛け合いという方向性は、現在のディズニーCG映画への方向性に通じるし、架空のCGキャラが跋扈する『レディ・プレイヤー・ワン』との共通点から考えても、興味深いものを覚えます。実写とCGの融合という観点では、93年の『ジュラシック・パーク』や2007年の『トランスフォーマー』というスピルバーグ・プロデュース作品の有名シリーズにつながることにもなるし、その端緒と考えれば歴史的意義が大きいのかも。
このロジャー・ラビットはディズニーも関わった作品であり、94年にスピルバーグがドリームワークス社を設立するきっかけにもつながるわけで(主に人脈面で)、実写畑のスピルバーグがCGアニメに密接に関わるようになった起因の一つでもあったり。


まあ、80年代半ば以降のスピルバーグは、エンタメ作品に限らず、非常に多様なジャンルの作品(実話に基づいた『シンドラーのリスト』など)を提供することになるのですが、80年代前半を生きた者には、「スピルバーグ=童心を刺激してくれる夢と冒険のSFファンタジーの提供者」というイメージがあるわけです。これは日本の宮崎駿監督にまた『天空の城ラピュタ』(86年)のような冒険ファンタジーを創って欲しい気持ちと同様、スピルバーグ監督にも80年代のような作品を提供して欲しいと思うわけですな。
そして、スピルバーグさんは実際に今でもその手のエンタメ作品を創り続けてくれているのが、嬉しいところ。


ともあれ、80年代にスピルバーグ監督が映画を通じて蒔いた種が、子供たちに冒険への憧れ、異世界交流への憧れを膨らませてくれて、RPGとの相乗効果で今の自分なんかを構築していったのは間違いないわけで、そのことが時代を越えて、改めて再評価を受けているのが、ここ近年の流れだと受け止めています。(完)