ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

多元宇宙概論(その1)

さて、クラシックD&Dのコンパニオンルールという足枷を振り切ったところで、改めて多元宇宙について考えてみます。

 

まず、今後はD&Dの多元宇宙について考える基本資料として、3版時代に邦訳された『次元界の書』(Manual of the Planes)を使うことを宣言。要するに、古いルールじゃつまらないので、新世紀の要素を取り込もう、と。

 

コンパニオンルールが発売された80年代半ばは、そもそも多元宇宙という概念そのものが21世紀の現代に比べて浸透していないし、現代のように幅広い概念で用いられていない。ぶっちゃけ、この世とあの世ぐらいの認識に、少し理論的な裏付けをしようって程度のものでしかないわけで。

じっさいにコンパニオンルールでは、「幽霊の世界であるエーテル界」と「エレメンタルの世界である精霊界」の二つしか紹介されていなくて、その後は「魔力の源であるアストラル界の海」について何となく触れてみた程度。

その後、神さまのいる天国とか、デーモンのいそうな地獄とか、そういうものが何となくありそうだけど、そこまではクラシックD&Dでは触れないようにしている。宗教に関するネタは危険なので、極力避けて通りたい編集方針になっていたみたいですし。

 

21世紀現在だと、多元宇宙の解釈も、「複数の物語世界のクロスオーバー」とか、「ゲームの世界などのヴァーチャルワールド」とか、「自分と同じ人物がいる並行世界的解釈、IF世界物」とか、「リアルから物語世界に転生する異世界召喚物」とか、いろいろな要素が入り混じっていて、

それに比べると、クラシックD&Dの80年代は、多元宇宙の意味合いが大きく限定されていました。ソード・ワールドを始めとする90年代のTRPGではデフォルトで提示されているような世界観が、80年代半ばでは「世界の隠された秘密」ってな感じで重々しく語られているのですね。

80年代と90年代を比べるだけでも、異世界ファンタジーというものに対する世間の浸透具合が全然違っており、ファンタジーゲームの世界観としても、どこまで濃密に踏み込んだらいいのかに関する試行錯誤があってこそ、まあ90年代に一種の定番的な記述が構築されていって、それが今に至るんだろうな、と考える次第。

 

だから、現代の視点でコンパニオンルールの多元宇宙観を改めて見ると、「この程度か。踏み込みが甘い」と言わざるを得ないわけで。80年代は「エーテル界とか精霊界とか、何だかすげえ」と自分の無知さもあって、素直にわくわくできたんだけどなあ。

現在のありふれた、食傷されたとも言える物語要素が、80年代当時は非常に斬新だったということですね。

 

 

ともあれ、本記事としては、多元宇宙という概念がいかに浸透していったかの歴史を、ゲームに限らず、広く浅く、それでもじっくり総括していきたいな、と。

一応、話としては、「コンパニオンDMの道(その2)」を補完する続きということで。

 

RPG以前の多元宇宙観

そもそも多元宇宙(マルチバース)という言葉の起源を考えると、1895年にウィリアム・ジェームズというアメリカの心理哲学者が最初に言い出したそうな。元々は生理学者だったのが、「人間の心を解き明かすには科学だけでは不十分」と考えて、宗教や哲学、オカルトの方向を研究した人なんだけど、人間の認知する世界(ユニバース)以外に多重構造になった世界観を仮定してみたらしい。

そこに宇宙物理学や量子力学の考えを加えて発展していったのが20世紀で、コンピューターの構築するヴァーチャル世界というイメージが浸透していったのが21世紀という大雑把な理解。


それとは別に、複数の物語の主人公が共演してどうこうってクロスオーバーの流れは、古くは神話伝説の文化的統合というところに起源があるような。
封神演義』に登場した哪吒や二郎真君(楊戩)が『西遊記』の孫悟空と戦ったりするエピソードもクロスオーバーだと思うけど、これ、時代背景は西遊記の方が後でありながら、物語の成立時期は西遊記の方が先なので少しややこしい。どっちを先に読むかで受け取り方が変わってくるのは、クロスオーバー物でありがちだけど、両方知っていると、より深く味わえるってことで。

近年のクロスオーバーヒーロー物を考える上で、アメコミヒーローは欠かせないのだけど、これはマーベルとDCの二大派閥があって、『アベンジャーズ』がマーベルで、『ジャスティス・リーグ』がDCと考えると、今なら分かりやすいと思う。
実写映画では2012年のアベンジャーズが先行して、ジャスティス・リーグは去年2017年にようやく公開という後塵を拝した形だけど(TVドラマ『アロー』を基軸とするアローバースは2012年からで、2014年の『フラッシュ』との共演エピソード以降、毎年着実にクロスオーバー展開を発展させている)、歴史が古いのはジャスティス・リーグの方。

コミックにおけるジャスティス・リーグの成立は1960年で、中心メンバーはスーパーマンバットマンワンダーウーマンの3人。そこにフラッシュやアクアマンが常連として参入して、後は時期によって加入したり離脱したり。
DCヒーローの最古参であるスーパーマンが最初に登場したのは1938年のことで、今年で生誕80周年というメモリアルイヤー。バットマンは39年で、ワンダーウーマンは41年。
フラッシュは40年初出だけど、それは初代のジェイ・ギャリック。現在活躍中のバリー・アレンの2代目フラッシュの登場は1956年ということで、ジャスティス・リーグ成立の1960年では期待の新人扱いとなります。
一方、アローバースの方では、バットマンの代わりにグリーンアローが、スーパーマンの代わりにスーパーガールが出ている世界観で、ワンダーウーマンの代わりこそいないけど、他にもいっぱいサブヒーロー連中がいるので、クロスオーバーになった時のヒーロー・ヒロイン総数は、映画のジャスティス・リーグどころかアベンジャーズにも匹敵するくらい多彩だったり。TVドラマとしては破格の大イベントになっていて、今年も楽しみにしております。

って、現在のアローバースまで語ると、もはやRPG以前ではなくなってしまいますね(苦笑)。

一方のアベンジャーズの成立は1963年。
こちらの主要メンバー3人は、最古参のキャプテンアメリカ(初出は1941年)、マイティソー(1962年)、アイアンマン(1963年)で、他に離脱したメンバーとしてハルク(1962年)、初代アントマンのピム博士(1962年)などがいる。ヒーローの誕生時期とチーム結成時期がほとんど変わらないのを見ると、最初からジャスティス・リーグの好評に合わせて、ヒーローチームを結成することが規定路線だったことが分かります。
スパイダーマンは1961年初出で、アベンジャーズの初期メンバーでこそないものの、コミックでの関わりは割と深い。ただ、映像化版権の問題で単独主演映画の時期が長く、近年ようやくアイアンマンのスカウトによってアベンジャーズ参加が決まった、と思ったらサノスの力で消失した。果たして、どうなるかな? ってのがマーベル映画の現状。
キャラ配置的には、DC映画版のフラッシュと、マーベルアベンジャーズ版のスパイダーマンが対比すると面白いと思うので(どちらも人懐っこい若手ナードキャラ)、来年にはうまく噛み合って欲しいと思ったり。


さらに、コミックでのクロスオーバーということになると、日本では同じ作者が違う物語のキャラを出会わせる遊びが時々見られました。
水木しげるしかり、手塚治虫しかり、横山光輝しかり、石ノ森章太郎しかり、藤子不二雄しかり、永井豪しかり。
ただ、それらはあくまで作者のお遊び要素だったり、特別なイベント編だったりするだけで、本格的な世界観まで構築しての多元宇宙要素を取り入れたのは、松本零士のSF宇宙観が最初だったんじゃないかな、と考えますね。
70年代後半に、キャプテンハーロッククイーンエメラルダス銀河鉄道999の世界が映画でつながっていることを知ったときは感じ入ったし、その後、1000年女王まで999の前日譚ストーリーだったと知るに及んで、松本零士時空が凄いな、と。
元々は、宇宙戦艦ヤマトの古代守がキャプテンハーロックになるという裏設定もあったみたいだけど、そちらはTV番組の途中打ち切りと、その後の版権問題とで実現しなくて、むしろ幸いだったかな。
松本零士さんの最近のインタビューによれば、「ハーロックはヤマトに登場しなくて、むしろよかった。おかげで、東映さんが単独でアニメ化してくれたし、より注目が当たるキャラクターになった」的なことを言っていましたし。

コミックからアニメに展開するなら、松本零士時空の次にサンライズ富野由悠季時空が80年代に発生したり、
その後、ガンダム時空から永井豪ワールドと絡み合って、スパロボ時空というゲームのクロスオーバーが90年代に発生したり、
ガンダム時空は今なお膨張中という21世紀だったりもしますが、もはやRPG以前じゃなくなっているので表面をさらっと流す程度に留めておく、と。


★実写映像作品のクロスオーバー

さて、クロスオーバー作品を生み出そうと思えば、その元になる個々の魅力的な作品が必要なわけで、日本のテレビ番組の黎明期である60年代は、まだ特別これといったクロスオーバーは見られません。

しかし、70年代になってから、シリーズ化によるヒーロー共演劇が展開するようになります。
まずは、71年の『帰ってきたウルトラマン』にウルトラセブン、そして初代ウルトラマンが登場し、ウルトラ兄弟、次いでウルトラファミリーを構築。
次に71年の『仮面ライダー』が怪我による役者交代から2号ライダーを登場させ、やがて帰ってきた1号とWライダーを結成。さらに73年、続編の『仮面ライダーV3』に至って、3人ライダー登場。その後も、先輩ライダーが応援に駆けつける展開を重ね、ついには75年の『仮面ライダーストロンガー』で栄光の7人ライダーと呼ばれる伝説を残すまでとなります。
ウルトラマンも、仮面ライダーも、この時期にまいた種が、40年以上を経た現在でも新規のファンや、当時子供だったオールドファンを引き込む材料になっているわけだから、伝統を大切に考える温故知新はそれだけでパワーだと考えます。継続は力なり、とも。


それでは、日本初のシリーズ・クロスオーバー作品は、これらの2大ヒーローかと考えると、映画の方にさらなる大物がいました。
そう、今に至る日本のエンタメ・クロスオーバー作品の元祖は、ゴジラシリーズということになります。
1962年の『キングコング対ゴジラ』が、アメリカVS日本の怪獣対決ものとして日本のクロスオーバー史に残る元祖的な作品であることを、ここで主張してみますね。すげえ、アベンジャーズより1年早いぜ。
いや、ゴジラキングコングは戦っただけで、チームを組んだわけじゃないけどね。
地球防衛のための怪獣チーム結成は、1964年の『三大怪獣地球最大の決戦』まで待たないといけません。それでもアベンジャーズ結成のわずか1年後という快挙。キャラ配置的には、ゴジラがスーパーマンで、ラドンバットマンで、モスラワンダーウーマンってところかな。あ、それはアベンジャーズではなくて、ジャスティス・リーグだった。

ともあれ、それらの日本のクロスオーバー史に残る2作を、モンスターバースという形でアメリカさんが作ってくれるのだから、期待するなという方がおかしいわけで。2019年春にキングギドラと、2020年春にキングコングと戦う映画が予定中なので、そちらも楽しみにしつつ。


で、ゴジラに続いて、パワーレンジャーの元ネタに行きましょう。
日本におけるヒーローチームVS映画を初めて描いたのが、1978年の『ジャッカー電撃隊VS秘密戦隊ゴレンジャー』。いや、今のルパパトとかと違って、戦ったりはしていませんが。
しかし、この作品によって、石ノ森原作ヒーロー時空が成立したという歴史的意義もあるわけだし、この作品のおかげで「スーパー戦隊は75年以降、毎年必ず映像作品が作られた」と言い張ることも可能。一応、78年はジャッカーとバトルフィーバーの谷間になっているわけで、TVオンリーだと一年欠けちゃうことになりますが、映画も含めれば継続していることに。
え、映画を含めるのはズルい?
そんなことを言ったら、仮面ライダーZOとJと、それから何よりもウルトラマンゼロさんを敵に回すことになってしまいますよ。特撮ヒーローマニアを名乗るなら、映画を捨て置くわけにいかないのが現在なわけで。
どっちにせよ、ウルトラもライダーもTV放送のブランクが長い時期があったんだから、総作品数では戦隊に勝てないのも事実だし、パワーレンジャーのことも考えると、戦隊こそ日本を代表するヒーロー作品と言ってもいいんじゃないですかね。
個人的には、一度、ウルトラヒーローの誰かと、仮面ライダーJと、戦隊ロボのどれかと巨大戦で戦わせてみたいものですが。


まあ、そもそも78年は和製スパイダーマンの年で、マーベルと東映の提携とかでも、もっと持ち上げてよろしいんじゃないでしょうか。今年は、レオパルドン登場40周年のメモリアルイヤーでもあるわけだし。
伝説のロボット、レオパルドンを巡るギャングラーの陰謀を、ルパンレンジャーとパトレンジャーが協力して粉砕する話とかね。
あのビッグボディさんが勝利したんだから、そろそろ次鋒レオパルドンにも日の目を……って、そのレオパルドンじゃないですな。
でも、レディ・プレイヤー・ワンの映画でも、原作では出ていたレオパルドンが出て来なかったのが残念に思うわけで、ここは本家の東映さんがレオパルドンに愛を示してほしいものです。


スーパーロボットのクロスオーバーと、メディアミックス

で、ロボット話の流れで、マジンガー話なんかにも展開してみるわけですよ。
これは、73年の『マジンガーZデビルマン』から始まる一連のシリーズなんですが、ここでは「TV本編とは並行世界」という点も、多元宇宙を考える上では興味深いな、と。

つまり、TVで登場する紅の翼ジェットスクランダーを映画で先行登場させているわけですが、そのためにTVの話と、映画の話は別時空という解釈になることに。

この辺は現在、仮面ライダーの劇場映画を鑑賞する際も、毎回、気にするところなんですが、映画はTVの話とつながっているのかどうか。
最近は、割とつなげて来ることが多いのですが、以前はTVとつながらないIF物とか、似ているけどパラレルだったり、あるいは登場人物が異世界や異なる時代に迷い込む話だったり、作品ごとに本編とのリンク度がまちまちでした。

そして、映像作品だけならまだしも、コミックの原作版と、TVアニメ版が主人公の性格や設定が異なっていたり、ストーリー展開が随分と違って原作漫画版の方がハードかつバイオレンスな内容だったり、で、メディアミックスによってパラレル時空が発生してしまうパターンも、70年代から見られるようになったなあ、と。
具体的には、デビルマンゲッターロボなどですな。

映画とTVシリーズとで多元宇宙を形成しているという意味では、75年の『宇宙円盤大戦争』と『UFOロボ グレンダイザー』というケースも面白いです。
どちらも故郷の星のフリード星を敵に滅ぼされた王子デューク・フリードが、地球名・宇門大介を名乗り、円盤スペイザーから分離する巨大ロボットを駆って、悪と戦う話なんですが、ロボのデザインも含めてマジンガー世界に取り込まれたのがTVシリーズのグレンダイザーです。
なお、その前年には、故郷の星を敵に滅ぼされた戦士が、地球名・おおとりゲンを名乗り、円盤から変形する巨大生物と得意の空手で戦ったりするヒーロー物が作られていたのですが、これは東映さんも設定を参考にしたのかな。何となく、この時期辺りから、宇宙からの亡命者を主人公、あるいはその身内に設定する話が多くなってきた感じですが。グロイザーXとか、ボルテスVとか、ザンボット3とか。

あ、ついでに、98年の『パワーレンジャー・イン・スペース』のレッドレンジャー・アンドロスも、故郷の星を滅ぼされて、生き別れの妹が洗脳されて敵幹部になっていて、しかもUFO型の船が変形する巨大ロボを操ったりしながら、地球人の友と友情を育んだりする物語だったのですが(そこにスターウォーズ的な要素を組み込んだり)、これは坂本浩一監督の作品で、しかも本人は後年、レオ好きとかマジンガー好きを公言しているじゃん。
監督がストーリー設定にどこまでタッチしていたかは分かりませんが、ええと、レオとかグレンダイザーの要素がパワーレンジャーに意図的に仕込まれていた可能性は、十分に考えられますな。初視聴の21世紀初頭は坂本監督のこともあまり知らなかったので、「ただの偶然か、アメリカ人のスタッフに日本アニメのマニアでもいたのだろう」ぐらいに思っていたのですが、実は坂本監督の仕業だったと考えれば、いろいろ辻褄が合うことに今、気づいた次第。
まあ、クロスオーバーの話をしていて、坂本監督が話題に挙がるのも必然ですしね。

で、思いがけない発見に興奮したりしつつ話を戻して、
ザンボット3が来たら、次は79年のガンダムに至るわけですな。
ええと、TVと映画の細かい違いはさておき、ここではメディアミックスというテーマで、漫画版のガンダムと、それから富野御大の書いた小説版ガンダムと、安彦さんのORIGINとで、それぞれ違うストーリーになっていることを触れておきたい。
つまり、同じアムロ・レイが初代のガンダムを駆って、ジオンと戦う『機動戦士ガンダム』という物語にも、作者や媒体が変わることで、いろいろなヴァリエーションが発生するということです。


ともあれ、結論すると、70年代はTVアニメや特撮などが盛り上がっていて、そこを中心にシリーズ化やメディアミックス戦略などが展開していく中で、後に多元宇宙と総称される土台が出来上がっていったというわけですな。
ここから70年代の終わり頃からリメイクブームがあって「過去の作品とは同じ作品タイトルでも別の時間軸」とか、80年代に入るとコンピューターゲームという新しいメディアの登場で、多元宇宙がますます広がる流れがあるのですが、そういうのはRPGの歴史とリンクしたりもするので、また次の機会に語ることにします。
今回はこれにて。

(完)