ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

多元宇宙概論(その4)

さて、多元宇宙概論は今回で終了するつもりです。

基本は、D&DやドラクエなどのRPGが日本の創作に影響を与える80年代に至る背景をマルチジャンルで語ろうかな、と考えておりました。

テーマとしては、その1がクロスオーバー、その2がリメイク、そして前回のその3が「単独作品の中で、異世界に渡ったり、異世界からこっちに来る異世界交流譚の一ジャンルとしてメジャーなエブリデイマジックもの」を中心に語ってみた流れ。

 

この続きを語るなら、4つめのテーマは「こっちから異世界に行く異世界転移もの」となり、その代表がタイムボカンシリーズだったり、ポールのミラクル大作戦だったり、それなりに語ることもできます。

これらの作品は、タイムマシンなり、魔法で作られた不思議な扉なり、さまざまな手段を使って、毎回違う別世界へ行って、そこで冒険の末にトラブル解決するという、まあ映画版ドラえもんのような冒険のミニサイズを毎週TVで展開しようって作品群なんだけど、毎回訪れる異世界のイメージが童話パロディだったり、勧善懲悪のために作られた単純な世界観だったり、言わばステロタイプな量産型異世界って感じ。

ただ、このタイプの物語って「時間旅行もの」「異世界冒険もの」というジャンルで、割とそれぞれが独立していることから、系譜としては語りにくいかな、と思ったり。

もちろん、前述のタイムボカンシリーズなら、系譜を語ることも可能だけど、タイムボカンシリーズの魅力って多元宇宙だからどうこうよりも、歴代主人公の変遷とか、歴代メカの変遷とか、歴代3悪の変遷とか、そっちの方に流れていきそうなんですね。

 

ちょっと趣を変えると、銀河鉄道999もその手の異世界転移ならぬ異世界旅行ものに分類されるかもしれません。

この場合の世界とは、999が毎回停車する個々の惑星ということになります。

999の物語は旅人の少年・星野鉄郎が個々の惑星に立ち寄り、その星の一日という限られた停車時間の中で、それぞれのドラマを抱えた住人たちと交流して、彼らのトラブル解消を手伝ったり、巻き込まれてピンチになったり、彼らの陥った不幸を解決できずに涙を流したりして(ハッピーエンドにならないビターな結末も多い)、SFという枠内で理不尽さも突きつける大人向きの寓話として展開します。

その中で、いろいろな出会いと交流、喜びと悲しみを経験して来た少年の成長がテーマというわけで、旅の相方の大人の女性メーテルは、鉄郎の母親代わりの保護者として、また名前の由来の劇作家モーリス・メーテルリンクに起因する「青い小鳥」のテーマ性を象徴していて、物語全体を母親が子供に語る心の成長のための寓話のように彩っております。

メーテルは、母親のようにも位置付けられる(でも母親その人ではない)珍しいタイプのヒロイン。青春の幻影とも称される神秘的な大人の女性として振る舞ってきた彼女ですが、クライマックスで機械化帝国女王プロメシュームの娘である事実が判明した時点から、成長した鉄郎との保護被保護関係のドラマに逆転現象が生じます。母に対しては娘として葛藤し父親との間で板挟みとなり無力化してしまったメーテル。そんな家族を捨てきれない娘だった彼女を、物語当初で母を失い孤児となった鉄郎が叱咤激励して立ち直らせる展開は、少年の一人の男としての成長、精神性において鉄郎がメーテルに追いつき追い越したことを象徴し、親離れして自立した少年が母代わりだったメーテルと別れるシーンにまで至る、感動的なドラマだったと、今、改めて振り返ってもみるわけで。

 

メタ的に言うなら、鉄郎とともに様々な物語に接してきたメイン視聴者の少年たちに、心の成長を促した作品だったな、と40年近くを経て思い出してみる次第。

正に、目を閉じて思い出すメーテルの思い出。遠く離れた青い想いよ、と振り返りつつ、

メーテル、また一つ物語が終わるよ(ビルド)。

夢が散らばる無限の宇宙さ。

時空の架け橋、渡っていこう。

EDからOPにバトンタッチして、新たな物語に歩き続けるだろう、と今の自分の心情をちょっくらポエミーに示してみる。

 

★キャラの居場所としての異世界・補足(平成ライダーの世界観を俯瞰)

結果的に、多元宇宙について考えるのは、それぞれの物語世界に生きてきたキャラクターをあれこれ自分の脳内で組み合わせてみる作業なのかな、と考えつつ。

この辺は、5月にロードスの水野さんのインタビュー本で読んだ話なんですが、彼にとっては「キャラクターは世界観と切り離せない存在だけど、ハルヒ以降(21世紀と言い換えてもいい)はキャラだけ世界観や物語から切り離して提示する宣伝手法をメディアが確立して、時代の変化を強く実感した」的なことを述べておりました。
これに対して、自分は特撮ジャンルの視点からまた違った意見を持つのですが、昔はヒーローがキャラ立ちしていて、それで十分。世界観なるものを意識するようになったのは近年になってからかな、と。
水野さんはおそらくアニメを念頭に、物語から切り離された二次創作的なキャラ関係を構築する遊びが蔓延する状況に、創作家としては「物語性から切り離されたキャラはイメージしにくい」ってことなんだけど、
実写のヒーロー物では、世界そのものをきちんと構築するのが、本当にここ十年から二十年ほど、という自分の観測によるもの。

例えば、仮面ライダーWは「風都探偵」というタイトルでコミックが出版されるぐらい、「風都という架空の街」と切り離せない存在となっています。
平成2期の中でも、物語世界と密着度が高いのは、天ノ川学園高校を舞台にしたフォーゼ、沢芽市を舞台にした鎧武、警視庁の特状課管轄が活動範囲のドライブ、大天空寺周辺の不可思議現象を追うゴースト、聖都大学付属病院周辺のゲーム病患者を専ら診るエグゼイドなど、物語のローカル色を高めながら各ライダーの存在するミニマムな世界を丁寧に描写。
こういう世界にきちんと自分の居場所を定めて、職業も含めて日常の生活を営んでいる平成2期のライダーたちは、逆に自分の管轄の外にはあまり干渉せず、まあ、その点がリアルに地に足付いている感じです。例えば、エグゼイドは医療とゲームの専門家であり、それ以外の方面にわざわざ出張して、世界の平和を守るという発想にはなりにくい。そのため、エグゼイドが他のライダーとクロスオーバー出演しようと思えば、物語の方も医療やゲームと絡めることを考えるようになり、必然的にライダーと世界観が不可分になる、と。

これが従来の昭和ライダーなら、主演物語が終わると日常を捨てて旅立つエンドなので、他のライダーを応援に駆けつけるのも簡単。「世界の平和と人類の自由のために戦っている君を応援に来た」というセリフ一つで十分。
だけど平成1期だと、仮面ライダーの定義からして番組ごとに違っているし、そもそも番組内では仮面ライダーと名乗っていない連中もいる(クウガ、アギト、555、響鬼、電王、キバ)。名乗っていても、個人的な欲望のために戦う龍騎のミラーワールドライダーは、従来の正義漢に満ちた主人公こそが「仮面ライダーとしては異端扱い」されて、ライダーバトルが当たり前の世界観に翻弄されることに。

クウガが敵の殺人ゲームを止めるヒーローなら、龍騎ゲームマスター神崎士郎の「欲望を餌にした世界改編ゲーム」に巻き込まれたライダーという名の競技者が織り成す物語。
一応、人々を襲うミラーワールドのモンスター退治というヒーロー要素を加味しているけど、ライダーがモンスター退治をする理由は基本的に自己の戦力強化のためであり、言わば人助けと異なる経験値稼ぎのため(従来の人助け正義感で動いているのは主人公のみ)。
また、平成ライダーの世界観には、時代を反映してコンピューターゲームや対戦カードゲーム要素が混じることが多いため、複数ライダーも強化アイテムやカードの争奪戦を展開することも頻繁で、その「ゲームの舞台としての世界観」を平成1期のライダーは提示してきた印象も。

もちろん、それだけでなく、人類の進化の末の怪物化とか、戦いの先に未来の夢を見据えるとか、仲間との絆やライバルとの確執と和解、怪物異種族との対決から和解に至るドラマの構築など、昭和の勧善懲悪ストーリーとは異なる物語性を平成ライダー1期は展開。
ライダー単体よりも、その周辺の登場人物との関係性を描いた世界観こそが物語の本質となって、お約束の怪人退治が必ずしも絶対に必要とは限らなくなった。それでもライダー自身を怪人と見なすことで、番組目玉のバトルアクションシーンもライダー同士の戦いで十分成立する、と。
もう、仮面ライダーというヒーローブランドを残しながら、どれだけ仮面ライダーのイメージを振り切って新しくするかが、平成1期の過激な実験スタイルだった、ということですな。

そして、あまりに「正義のヒーローとはかけ離れた私闘のライダーバトルが繰り返された」ために、仕切り直しが行われたのが、電王をきっかけにして、ディケイド以降の平成2期。
ここでは主人公に、世界観に合わせた職業や行動動機をこれまで以上に明確に定義して、「探偵だから依頼者のために事件を解決する」「みんなとダチになりたい学生だから学校のトラブルをタイマンバトルで解決する」など、職業・属性的な物語ジャンルと組み合わせることで、各話のフォーマットをうまく定着させる手法が取られています。
さらに、力の源が変身ベルトに装填するメモリスティックだったり、メダルだったり、スイッチだったりなどなど、敵と味方が同種のアイテムを使うことも多く、世界観に合わせた各種コレクションアイテムを展開することで、商業目的だけでなく、そのライダーの設定そのものが世界観との関わりを濃厚に示すようになった、と。

そして、世界の破壊者と呼称されたディケイド以降の平成2期は、もっぱら年末映画のためのクロスオーバーが定着し、共通の背景世界内に共存するローカル都市や学園というミニマム世界が物語舞台として与えられることになりました。
また、クロスオーバーの際は、世界全体で暗躍する財団Xという黒幕なんかを追って自分の街から外に出たライダーが、他の街で活動するライダーと出会って共闘するなど、かつての昭和ライダーと同じように同一世界で戦う設定が取り入れられました。これは、外国に旅立った先輩ライダーが応援に駆けつけるパターンと同じですが、70年代や80年代よりも交通・通信の便が発達した21世紀において、外国が距離的に近くなったため、いろいろと不自然になった設定を、「ライダーの活動範囲をグローバルではなくてローカルに位置付ける」と定義し直し、身近な等身大人物としての親しみやすさと、よりリアルに日常生活を描ける方向性とを組み合わせることで、クロスオーバーは「いつもと違う街に出張する話」として再構成。
結局、「街一つを一つの異世界として成立させる仮面ライダーWの手法」が平成2期の特徴とも言えるわけです。まあ、これはアメコミヒーローのテンプレートでもあるわけですが、従来の日本のヒーローでは基本、関東のどこかという以外の街の細かい設定は用意されていなかったことを考えると、一つの発展形かと考えます。
もちろん、オーズやウィザードの場合は従来の無職な自由人ヒーローに近い描かれ方で、最後も一人旅エンディングになるので、シリーズの全てが何もかも変わったということもないのですが、細かく揺り戻しを経ながらも、大きな方向性として定住・職業人ライダーを浸透させる流れがあったんだな、ということが伝われば。

そしてまた、W、オーズ、フォーゼ、ウィザード、鎧武、ドライブ、ゴースト、エグゼイドまでは「仮面ライダーは助け合いでしょ(オーズ)」とか「俺は全ての仮面ライダーともダチになる男だ(フォーゼ)」といったセリフに象徴されるように、互いに番組の枠を越えた交流が番組終了後も描かれるようになり、結果としてディケイドは世界ではなく、世界の壁を破壊して自由に行き来できるようにした、と見なすことも可能です。
それぞれのライダーたちは、ローカルヒーロー的に自分たちの住む小世界だけを守り、たまに他所の街に出張する形で共演を果たす。普段の活動範囲が狭い分、そこでの日常生活や人間関係は濃密に描かれるようになり、ライダーだけでなく、その周辺の脇役の日常やキャラクター性までも丁寧に描かれ、ライダー以外の人々も事件に関与して解決のために奔走することも多くなった、とまとめる次第。

ここで「冒険の舞台としての異世界」「パワーソースとしての異世界」に次いで、「登場人物の日常生活のための異世界」という意義付けが為されるようになったというのが、当面の結論なのですが、あえて、昭和と平成のライダー史という形で、「キャラの居場所としての異世界」の成立過程を追ってみました。
実際には、戦隊やメタルヒーロー、またアニメ作品を絡めて、「登場人物の戦い以外の日常生活を丁寧に描く作風」がどう発展していったかを論じる余地はありますが、それはまあ80年代から90年代のRPG発展史と絡めてじっくり確認したいな、と。


まあ、今回はビルドからジオウへの移行期間なので、それに応じて平成ライダーの世界観の変遷を多元宇宙テーマから振り返ってみたわけですが、現状はビルドがまた変化球を示したとも言えます。
というのも、ビルドは、平成2期では初めて他のライダーとは異なる「スカイウォールで分断された架空世界」を提示し、他のライダーとの共演を図る際にも「2つの異世界」という多元宇宙概念を、ディケイド以降久々に持ち込んだ作品。そして、この終盤に「スカイウォールの存在しない世界との融合」を物語に持ち込んで、分断された世界の統合を行おうとしています。
「 破壊から創造が生まれる」という弁はディケイドでもテーマになったことですが、何となくディケイドがキバから託された世界の破壊者の仕事を、ビルドが継承して、ジオウに託すようにも感じます。
平成2期は、世界観の統合と物語舞台のローカル化を通じて、複数の物語の交流を加速して来ましたが、ビルドで世界を改めて分断。まあ、ディケイドが壊した壁をもう一度設置して、分断してみせた後で再統合する物語なのかな、とも。

さらに分断国家の内乱による戦時中という世界設定のために、平成2期が推奨した「日常生活の舞台としての世界」とは異なる、電王以前の平成1期にも似た過酷なシリアス世界観を提示。久々にマクロ視点にも立った作風であるため、昭和の悪役っぽさを感じさせる難波重工とか、改造人間設定とか、強大すぎる宇宙からの敵とか、物語規模も大きいな、と。

ともあれ、ビルドがどのような新世界を創造して、次の王につなげるかを見届けつつ、またいずれ考察材料として深めていきたいな、と。


★後書き雑談

ハイラス「今回のテーマは、前半が『999を中心に異世界への冒険の話』について触れ、後半は『平成ライダーを中心に世界観の変遷』について語られたでござるが、正直まとまりを欠いたようにも思えるな」

NOVA「間の80年代から90年代を一気に飛ばしたからな。そこは、ゲームにおける多元宇宙概念の浸透で補わないといけないし、昭和と平成のライダーの違いの一つに『ストーリーゲームが現実に浸透しているかどうか』というのがある。つまり、世界観という用語を広めたのもTRPGの流れが大きく、そこをスルーしたのだから、当然まとまりを欠いているわけだ」

ハイラス「そういう状態で、多元宇宙概論を終えるのでござるか?」

NOVA「概論だからな。そこから詳細を詰めていくのは、また別の機会ということになる。とりあえず、80年代に入って日本のTRPG前夜までの動向を踏まえて、そして、現在はどうなっているか大まかに語れば、概観にはなっていると思うぞ」

ハイラス「つまり、ここから先は、D&DなどのTRPGを中心に多元宇宙概念の浸透の歴史を追って行くということでござるか」

NOVA「まあ、そういうことになるな。それと気になるのは、魔法少女の系譜がまだ不十分ということだが、それはここではなく、翔花と語る方がいいんじゃないかな、と思う。おっさん2人で魔法少女について語るのも絵的に厳しいので、やはり現役魔法少女的な精霊少女とのトークの方がふさわしいテーマだろうし」

ハイラス「了解した。それでは、無事に仮面ライダーの引き継ぎ儀式が行われるのを祈って、本記事を締めくくるとしよう。私も、白いパンドラパネルに祈ればいいのだな」

NOVA「ああ、世界の安定を維持するためにはな。時空魔術の研鑽のためには、当然、ジオウの動向も観察対象となるのだから」(完)