ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

AD&Dとマスタールールの背景(その3)

前回は、70年代後半から80年代のスピルバーグ映画の成功が、D&Dの持つ冒険要素やSF的センス・オブ・ワンダーの精神とうまくマッチングして、一つの流行と伝統を形作っていった流れを書いてみました。

 

ここにコンピューターゲームの動向と、ファンタジー小説の動きを付け足せば、TRPGの背景としては十分だと思うので、今回はまずその辺をざっくりと。

 

コンピューターゲーム業界の話

 

アメリデジタルゲームの大きな動向は、まず1972年に設立された世界初のビデオゲームのための会社アタリから始まり、1977年に初のロムカートリッジ方式の家庭用ゲーム機「アタリ2600」を発売。しかし、1982年末から83年にかけてのアタリショックで、急速に発展していたアメリカの家庭用ゲーム機市場が衰退することに。

 

一方、パソコン分野では、74年にスティーブ・ジョブズがアタリ社に入社した後、そこでの経験を足がかりにして、77年にアップルコンピュータ社を設立。この辺の年代タイミングがD&Dの誕生と発展にちょうど重なり合い、なかなか面白いなあ、と思います。D&Dのゲイリーさんが自分の作ったTSR社から追い出されたのが86年である一方、ジョブズも一年早い1985年に自分の作ったアップル社を追い出される羽目になっており、創業者すら企業内権力闘争では安泰でいられないのがアメリカンなのかと感じ入ったり。

ここに75年設立のマイクロソフトと、電子計算機分野の老舗のIBMの話を絡めると、70年代からのアメリカ・パソコン業界の興隆期も語れそうですが、細かく調べる気力がないので、今はパス。

 

ともあれ、アタリショックによって、家庭用ゲーム機市場が一度崩壊したアメリカは、その後、ゲームはパソコンで行う文化が定着。

 

そのころ日本の方は、83年に発売されたファミコンの興隆によって、アメリカとは対照的に家庭用ゲーム機市場が花開くようになります。その勢いで85年に海外用ファミコンとして発売されたNESが『スーパーマリオブラザーズ』の力で、アタリショック以降、崩壊していたアメリカのビデオゲーム市場を再活性化。

結果として、80年代は日米ともに家庭用ゲームは任天堂の一人勝ち状態になるわけですね。80年代といえば、日本車を中心に日米貿易摩擦問題が加熱していた時期ですが、ゲーム機などのサブカルチャー方面でも、日本企業の進出が目立っていたということですな。

 

 

本記事のテーマであるAD&DとクラシックD&Dマスタールールの背景としては、78年前後から80年代なので、今回はこれで十分かな、と。

 

★SFファンタジー小説の話も大雑把に


まずは、何をおいてもトールキンの『指輪物語』ですよね。
最初の出版は1954年から55年ですが、その後、60年代にアメリカで指輪ブームが起きて、異世界を舞台とした壮大な伝承物語風のハイ・ファンタジー小説の流行がここから70年代にかけて。

一方で、1930年代にパルプ・マガジンで一世風靡した『蛮人コナン』シリーズなどのヒロイック・ファンタジーの名作も、戦時中の紙不足が解消された後の50年代から60年代に復刻して、ファンタジーブームの一翼を担うことに。

日本では、70年代にそれらの古典的作品の翻訳が行われ、60年前後から紹介されてきたSF小説の後を追うようにフィクションの一ジャンルを形成。
70年代辺りは、SFと異世界ファンタジーのジャンル的融合も模索されたりして、SF作家A・C・クラークの名言「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」も73年に発表されております。
そしてSFファンタジーの70年代の一つの頂点が、『スターウォーズ』ということになるのですな。

50年代終わりから60年代は米ソの宇宙開発競争も盛んで、東宝SF映画も盛んに作られたり、ロボットやサイボーグなど未来科学SFへの刺激も多かったわけですが、それに対して日本のファンタジーブームは一部の児童文学や神話伝承を除けば、遅れてやってきた印象があります。
リアルっぽいSFに比べて、おとぎ話的な要素が年長のファンを獲得するには至らなかったのが、SFとファンタジーのジャンルの融合(いわゆるサイエンス・ファンタジー)をきっかけに、流行する流れ。
日本におけるファンタジーの定着は、やはり80年代のゲーム内の異世界を待つことになるのでしょうが、それ以前だとTVアニメの影響が大きくて、「魔法の国からやって来た女の子が主人公の魔法少女もの(魔法使いサリー、66年)」とか「擬人化された動物たちの世界を描いたメルヘン(ジャングル大帝、65年)」とか「古典的な童話モチーフ(悟空の大冒険、67年)」なんかがファンタジーの典型と見なされていました。

RPGっぽい「剣と魔法の冒険ファンタジー」は79年の『燃えろアーサー』が嚆矢かな、と自分は考えます。
いや、まあ、『リボンの騎士』(67年)や『海のトリトン』(72年)なども冒険ファンタジーには違いないのですが、D&Dなんかに出てきそうな重装甲の甲冑を着た騎士のイメージだと、やはりアーサーでしょう。
日本の場合、重装甲の鎧って、人間が着込むよりも、巨大ロボットのモチーフとして扱われてきた流れがありますし、鉄人28号とかマジンガーとかライディーンとか、初期のロボットには鎧のモチーフがデザイン化されている。人間が着込む鎧だと、中世風の文化を持つ敵キャラが身にまとったり、テッカマンみたいなSFパワードスーツの方向に走ったりして、大きく遠回りした後で、ようやく「鎧をまとった主人公騎士の物語」にたどり着いたのがアーサーだと。


ともあれ、ゲーム的なファンタジーと、従来のファンタジーの違いというものもありまして、それは「魔法が論理的かどうか」ということですな。例えば「MP切れで魔法が使えない」とか「その魔法はレベルが足りなくて、まだ覚えていない」とか、そういう発想はゲーム的という奴ですね。
あと、日本の魔法使いイメージは、ディズニーの映画が構築したというのもあります。白雪姫とか、シンデレラとか、まあ、いろいろ。
……って、日本におけるファンタジー観なんて話を展開すると、「多元宇宙」テーマにはかなっていても、本題のD&Dの背景とは食い違うので、これぐらいにしておきます。


大切なのは、D&Dが流行する背景で、日米ともにファンタジー世界を受け入れる土壌が時間をかけてじっくり熟成されていったことです。何事においても、それが生まれ、受け入れられる足場固めが整ってこそ、流行にもつながるわけで。


★AD&DからクラシックD&Dへ

最初のAD&Dは、ゲイリー・ガイギャックスさんの物で、コアルールの発売が77年から79年にかけて行われた後は、背景世界グレイホークを中心に展開していったのが80年から83年にかけて。
この83年のときに、ゲイリーさんは「D&Dのアニメ化計画」のためにハリウッドで新会社を設立し、D&Dのさらなる飛躍のために忙しく働いていたわけですが、その際に後を任せたTSRの本社が経営難という状況に。

クラシックD&Dは、そういう混迷期の産物なんですね、実は。
デザイナーのフランク・メンツァー氏には、そういう意図はなかったと考えられますが、TSR社の共同経営者のブルーム兄弟は、この時期、ゲイリーさんとの仲が芳しくなくなっており、ゲイリーさんを追い出す目的でハリウッドに出向させた説もありまして。
したがって、クラシックD&DはゲイリーさんのアドバンストD&Dと切り離した別ゲームとして展開し、またグレイホークと異なる別世界ドラゴンランスを84年にスタートする。
日本では、そういう背景事情が知られていなかったので、「どんどん発展するD&Dの世界。すごいなあ」と受け止める状況だったのが、裏ではそういうトップの内紛劇があったのが、ゲイリーさんがスピルバーグのようにメジャーになれなかった大きな要因かな、と。

その後、84年には緑箱のコンパニオンルールが発売されたのですが、その際は露骨にゲイリー外しが表面化して、ゲイリーさんもブルーム兄弟の経営失敗と自分への悪意に気づいて、急いで本社に帰還。ブルーム兄弟の責任を追及して、追い出してから経営改善に乗り出します。
翌85年に出版されたクラシックD&Dのマスタールールと、ゲイリーさん渾身の一作であるAD&Dの追加ルール『Unearthed Arcana』はTSRの経営状態を大いに改善したようですが、その際に経営改善に協力した女帝ローレン・ウィリアムズを軽視したために、クーデターを受けて会社を乗っ取られることに(その影で、女帝に持ち株を売って、ゲイリーさんへの遺恨を晴らしたブルーム兄弟の陰謀あり)。
その結果、86年から女帝時代に突入。イモータルルールが出たのは、この年ですね。

なお、日本では、そういう背景事情を知らずに、めでたく85年からD&Dの邦訳版が登場しました。
85年に赤箱ベーシックが、86年に青箱エキスパートが出て、その後88年に緑箱のコンパニオンルールが出ます。

それに合わせるようにSNE関係では、86年にロードス第1部のリプレイが連載開始して、D&Dを大いにサポート。87年はグループSNEが会社として設立される年(グループ名義での活動は86年秋から)ですが、87年末には文庫版RPGのT&Tを社会思想社から出版。
87年はロードス第2部のリプレイ連載が行われていますが、88年に入って小説版の『ロードス島戦記』が角川から刊行されます。
また、87年は富士見書房からAD&D小説の『ドラゴンランス戦記』も出版され、この年のD&D展開は非常にややこしいことになっていますね。元のゲームを出版したのが新和で、リプレイ連載は角川のコンプティーク誌で行われ、翻訳小説は角川系列ながら別会社の富士見書房より刊行。ゲームと書籍とで翻訳権を獲得した会社が異なり、さらに角川系も複数の会社が入り乱れていたことが原因。
そして、問題の88年です。D&Dがロードスリプレイに使えなくなり、第3部では急ごしらえのオリジナルルールを使用。この原因が新和とのトラブルかと長年、思っていたのですが、実は女帝率いるTSR本社の横暴さによるものとは自分は今年まで知らなかったわけで、30年目にして判明するこの事実。まあ、ロードス30周年ということで、いろいろと当時の裏話が公開されたからなのですがね。

ともあれ、85年から88年のD&Dの展開って、日本でも複数企業が入り乱れてカオスな状態だったのですが、それが逆に「いろいろな会社が競ってD&Dをサポートしている。すごいなあ。ドラクエとか、FFとか、ウィザードリィとか、世の中はRPGブームだし、俺も将来はこの道で生きるんだ」と一人の高校生を感じ入らせたわけで。
世間と同様、まさにD&Dバブルが盛り上がっていたのが80年代後半だったな、と。


★クラシックD&DからAD&D2版へ

本国のクラシックD&Dは、86年にイモータルルールが出版されて、そこから新たな展開に突入します。
それが、ガゼッタシリーズと称される背景世界サプリメントの出版。これが90年代に「ミスタラ」と呼称されて、AD&Dの背景世界の一つにも組み込まれる話は、7月9日の記事で触れました。

一方、AD&Dでも87年から「フォーゴトン・レルム」の展開を開始。つまり、本国ではドラゴンランスの展開を一区切り終えて、女帝体制での新展開を示すために新たな背景世界を全面的にアピールしていった時期なんですな。

それに対して日本では、背景世界の紹介がいろいろ重なった影響で、87年から89年にかけて、ドラゴンランスも、ミスタラの当時の呼称であるガゼッタ・ワールドも、フォーゴトン・レルムもほぼ同時に紹介されて、そこにロードスを初めとするフォーセリアも絡んできたりして、混迷状態の盛り上がりを見せたりしていました。
混迷状態といえば、89年から元号も平成に変わった時期で、自分自身も受験に合格し、高校を卒業してめでたく大学生になった年。いろいろと新しいワクワク感が盛り上がった時期だったわけですよ、個人的にも。

そんな89年の春に出版された文庫RPGの傑作が『ソード・ワールドRPG』ですな。
これが版権問題でD&DをサポートできなくなったSNEが、ロードスの受け皿として提示した新世界&ゲームシステム。
まあ、この時期にはD&Dとは別に、角川お家騒動絡みでややこしくなっていくわけですが、おかげでフォーセリアも背景世界が三分裂して、富士見書房の「アレクラスト大陸(ソード・ワールド)」、老舗である角川書店の「ロードス島」、そしてロードスから避難した民の移住先である神獣世界の「クリスタニア」の三つの物語世界が同時期に展開されることにも。
このフォーセリアを中心に、90年代前半のSNEは、多数のRPGシステムや世界観を次々と翻訳紹介し、最初の最盛期を迎える流れなんですが(D&Dの版権も角川がゲットして、新和に代わって一時的にサポートするようにもなりますし)、95年の阪神・淡路大震災を機に、いろいろとバブルが弾けるようになるのは、また別の話。
ともあれ、89年には、国内のTRPGで結果的にD&Dの後継者として「日本一の座を獲得したソード・ワールドが生まれた」ことをトピックにすればいいな、と。

一方、89年といえば、D&D史的にもトピックがあって、それが黒箱のマスタールールが邦訳された年であり、またAD&D2版が本国で出版された年ということです。
そう、本記事のタイトルで「AD&Dと、マスタールールを絡めた」のは全て、この89年につなげるためだったんですよ。そこからソード・ワールドにもつながるし、来年2019年に向けてのワクワク感を、平成開始の89年の思い出と通じ合わせることもできる。
なお、どうでもいい語呂合わせだけど、この記事を書き始めた日付けが8月7日で、完成予定が8月9日。自分の中では89つながりということになっています。

1989年の背景といえば、ざっと当ブログに関係ありそうなことを調べると、次のトピックが挙げられます。

●マンガ家の手塚治虫の死去(2月9日)
任天堂携帯型ゲーム機ゲームボーイの発売(4月21日)
●ディズニー・ハリウッド・スタジオの前身であるディズニー・MGM・スタジオがオープン(5月1日)
セガアメリカ版メガドライブGenesisを発売。任天堂SNESアメリカ版スーパーファミコン)としのぎを削り、セガの中でも一番善戦したハードに(8月14日)
ベルリンの壁崩壊(11月10日)
●マルタ会談で冷戦終結を確認(12月3日)

なお、TV番組や映画を振り返るとキリがないような気もしますが、映画のタイトルだけでも挙げると、

魔女の宅急便
ゴジラVSビオランテ
インディ・ジョーンズ最後の聖戦
バットマン
バック・トゥ・ザ・フューチャー2

まあ、89年がどういう年だったか思い出したり考えたりする機縁にでもなれば、と。

それで、89年に邦訳されたマスタールールですが、本国では「マスタールール」→「ガゼッタ」という順番だったのに対し、日本では「ガゼッタ」→「マスタールール」という順番だったので、一部のルールの取り扱いの難しさが露呈。
「マスタールール」の目玉の一つが「武器スキルともいうべきウエポンマスタリー」なんですが、これはそれまで職業ごとの特殊能力だった技に、新たにスキルというキャラ育成の個性を反映したルール。ただ、マスタールールの段階では、あくまで戦闘能力の補完でしかなかったスキルが、もっと一般的に活用されるようになったのがガゼッタで紹介された一般技能ルール。
つまり、「武器の専門化」から「一般技能のスキル化」という形で進化したルールの流れが、日本では逆に「一般技能のスキル化」→「武器の専門化」という段取りを踏んだので、取り扱いに迷う局面も。

じっさい、日本ではウェポンマスタリーを扱ったプレイガイドやリプレイも見られないまま、クラシックD&Dの展開がAD&Dに一気に切り替わりましたし、自分自身もメディアワークス版で遊んでいたときに、ウェポンマスタリーのルールを混ぜてみたりもしましたが、デフレクト(受け流し)の使えるソード系の武器が非常に有利で、特に剣を使ったデミヒューマンは1対1の接近戦ではほとんど傷一つ負わないという状況が発生し、ゲームバランス的にどうなんだろう、と考えたりもしたわけで。
これについては、後日マスタールールの話を掘り下げる際に、改めて考察したいと思っております。

一方で、ガゼッタで取り入れられたスキルルールは扱いやすくて、その後もメディアワークス版のルール(ルールサイクロペディア)やAD&D2版では正式なルールとして採用されるに至っています(一応は選択ルール扱いでしたが)。
ルールの進化の流れとしては、「バランスの悪いウェポンマスタリー」→「洗練された一般スキル」→「その後のD&D諸作で正式採用」ということですが、日本では「洗練された一般スキル」→「未洗練なウェポンマスタリー」の順に紹介されて、しかも後者はその後、省みられなくなった感じで終了してしまった、なかなか不遇なルールと言わざるを得ません。
一応、AD&D2版にも武器専門化のルールはあるのですが、そちらはウェポンマスタリーほど複雑ではなく、扱いやすいものとなっていますね。

ともあれ、89年に出版されたマスタールールですが、その後のイモータルルールは邦訳出版されることなく、これで新和のクラシックD&Dの流れが終わってしまうので、打ち切りマンガを見るようなほの悲しい気分になることも。
そして、時代はAD&Dにうまく切り替わればいいのですが、本国で89年に出版された第2版。日本でも91年に満を持して登場したわけですが、コアルールブックが出揃って、これからだと思った時に、ふと気づけばいつの間にやら終わってしまったのですな。
こっちが、卒論の準備とかで忙しくなっていた時に(苦笑)。

そんなわけで、日本で一番プレイされたAD&D関連商品は、TRPGではなく富士見書房ゲームブックや、『プール・オブ・レイディアンス』『バルダーズ・ゲート』といったパソコンゲームだったろう、と主張してみたりも。
まあ、91年にもなると、D&D以外にもいろいろとTRPGのルールブックは出ていてアドバンストの方に新規ファンが付くわけでもなく、また熱心なD&DファンがクラシックD&Dを切り捨て、よりマニアックなAD&Dに舵を切った新和に付いて行けなかったのも事実なので(NOVAのように、AD&Dにワクワクした人間は少数派だったということで)今の目から見ると、いろいろと複雑な気分です。

あ、AD&Dの新和邦訳サプリメントは、あまりにも数が少ないので、自分は全部買いましたし、今でも持ってます。だから、それをネタにして記事書きもできるわけですが、後に続かないのがあまりにも不毛なので、結局は3版とか5版と絡めざるを得ないわけで。
クラシックD&Dと違って、プレイ経験もほぼなくて、ルールブックを読んでワクワクしていただけなので、どう記事書きしていっていいのやら、考え中なのが現状。

とりあえず、こんな種族や職業があって、こんな特殊能力なんかを持っているよって記事を続けていくだけでも、いいのかな。
(方針を模索しながら、本記事は完)