ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

コンパニオンDMの道(その1)

さて、前回で次元ドルイドのハイラスさんとの「ドルイ道トークタイム」も一旦まとまり、次の記事に移ろうか、と考えたりします。

方向性は、大きく3つ。

 

●1.私的D&D史の話の続き

 

これはAD&Dの2版とか、少し遡って、1版とか、D&Dのもう一人の生みの親であるデイブ・アーネソン氏に関して書こうかな、と考えています。ちょっと、この辺の版権問題はまたややこしいのですが、例のゲイリーさんの伝記本その他の限られた記事から、自分なりに思うことを少々書いていきたいな、と。

 

ゲイリーさんに比べると、デイブさんは同じオリジナルのD&Dの生みの親でありながら、裏街道を歩む形になりましたが、それでも世界最初のRPGの誕生に際して、独自のアイデアによる多大な貢献を為したことに変わりはないので、当ブログで彼のことを書かないのは片手落ちもいいところだと考える次第。

なお、ゲイリーさんが2008年に亡くなったことに次いで、デイブさんの方も2009年に逝去されており、10年ほど前に世界のゲーム界の偉人2人が相次いで亡くなったことになります。今のD&Dはもちろん、2人が制作した昔のD&Dとは随分様変わりしたルールになっていますが、ロールプレイングゲームという根幹のアイデアを違えるものではないので、ルールブックの裏表紙を見ても「オリジナルD&Dのデザイナーとして2人の名前が挙がっている」ことは、やはり元祖に対する敬意を表明していて好ましいと思います。

仮面ライダーとかプリキュアじゃないけど、初代の2人に敬意を示すシリーズはファンとして素直に嬉しいですからね。

 

ともあれ、AD&D話に展開すれば、そこからドルイ道に関係した話につなげられるのですが、今は少しドルイ道ばかり書いてきて気分転換もしたいので、一先ずは他を優先する形。

 

●2.コンパニオンルールのDM編

 

今回の記事からスタート。

前回までで、ドルイド呪文の話を(マスタールールも含めて)終わらせたので、ようやくプレイヤー用からDM用ルールの内容に突入できるようになりました。

とりわけ、本命は多元宇宙の話です。

 

●3.ソード・ワールド2.5とか、日本のゲーム界の流れ

 

7月にルールブックが発売されるので、その辺りのチェックぐらいはしたいな、と。

まあ、夏は仕事が忙しい時期なので、じっくり記事書きはできないと思いますが、触れる程度は書いておいて、秋以降に改めて、じっくり書くつもり。

 

★領主の道

コンパニオンルールのDM用ルールは全部で64ページ。
そのうち、3ページから16ページまでの内容は、領地経営と大規模戦闘に関するもの。まあ、約4分の1に当たりますな。
これらのルールは、プレイヤーキャラクターが領地経営に興味を持たなければ無用の長物になりますし、日本の場合、80年代のティーンエイジャープレイヤーが、君主になって領土の安全と拡張に興味を持つようなプレイにどれほど興味を持つことができたろうか。実際、領地獲得競争がしたければ、ボードのシミュレーションゲームをすれば良いのであって、TRPGはもっと個人レベルの冒険(ダンジョン探検とか、荒野の旅とか、モンスターとの対決とか)を楽しむためのものだと、少なくとも自分の感覚ではそういう認識でした。
ロードス島戦記を例に挙げても、パーンのような世界中を旅して事件を解決する自由騎士のようなスタンスが一般的で、カシュー王のように一国の政治を執り行ったりするのは、あくまで背景のお偉方の仕事と捉えられていたと考えます。

もちろん本国アメリカでは、日本より10年前からTRPGが浸透していて、コンパニオンルールが販売されたのはオリジナルD&Dから10年後。すなわち、ティーンエイジャーから大人になっていても不思議ではない。すると大人のゲーマーにとっては、フリーターではなくて、地に足ついた企業経営に従事している者もそれなりにいて、あるいは将来そういう道に憧れている若者、あるいはファンタジー小説などで中世の封建君主に憧れを持つようになった人間も圧倒的に多かったと考えられます。
よって、ゲーマーの成熟度が当時は全然違っていたため、日本の多くの若手プレイヤーにとっては、コンパニオンルールの領地経営のやり方については、あまり需要がなかったのではないか、と考えますね。正直、今、改めてルールを読み返してみましたが、「こういう領地経営なんかをプレイしていて楽しめただろうか」と自問してみると、答えはノーと言わざるを得ません。一言で言えば面倒くさい(苦笑)。
いや、一応、自分は40代の自営業で、名目上は経営者になっているのですが(現場で生徒を教えるのが専らの業務ながら)、自分のキャラのデータ管理ならともかく、自分の国に何人の人口がいて、税収がどれぐらい入って来て、どんな資源がとれて、他所の君主を招いて競技大会を開いて、軍隊を養って云々ってルールに、全くもってワクワクを感じられずにいます(爆)。
そんなことをするぐらいなら、辺境の塔かどこかに引きこもって、失われた古代の書物や、呪文や、魔法の物品の研究をしている方がよほど楽しいと思いますな。うん、やはりNOVAはマジックユーザー向きだ(笑)。

なお、これはD&Dのような個人キャラの冒険を扱うゲームで、領地経営という視点を広げることに興味が薄いという意味合いであって、他のシミュレーションゲームなら楽しめる、とは思っています。例えば、光栄の『信長の野望』とか『三国志』といった領地経営戦略シミュレーションゲームなら楽しめることは間違いありません。
だから、D&Dのコンパニオンルールで領地経営するぐらいなら、そちらがメインのコンピューターゲームなりボードゲームなりをする方がよほど楽しめる、というのが現代の発想。そもそも、コンパニオンルールが登場した84年には、それらのゲームはまだ出ていないか、出たばかり。すなわち、『信長の野望』で83年で、『三国志』で85年。つまり、ゲームジャンルというものがまだまだ過渡期だった時期なんですな。

さらに、クラシックD&Dの領地経営ルールって、とにかく洗練されておりません。例えば、「領地で鉄鉱石が採れるということが決まっても、それでどういう影響があるかは、ルールとしては明文化されておらず、あくまでDMが考える材料を示唆している程度のもの」だったりします。
この辺は「想像力を働かせて自作せよ。コンパニオンルールまで来た熟練のゲーマーなら、それぐらい簡単にできるはずだ」ってメッセージが濃厚に読み取れますね。だけど、日本ではそんな熟達したゲーマーなんて、ほとんどいねえよ。まあ、ルールを直接使わずに、DMが自分のNPC君主をロールプレイする際に、背景事情などの知識やイメージを深めて、プレイヤーの冒険者に対する冒険ネタに活用するぐらいですかね。

王様「うちの特産物は鉄鉱石なんだが、最近、鉱山を荒らすモンスターが出没するようになっての。このままだと、国の経済にも大打撃なので、諸君の協力を求めたい。いや、わしが親衛隊を率いて、雑魚モンスターなどちょちょいのちょいで倒してもいいのだが、国の仕事は他にもいっぱいあるのでな、昔みたいに自由気ままに暴れるわけにもいかんわけだよ。国王のわしが城を留守にすると、それだけで周りに迷惑を掛けまくるらしい。諸君への妥当な報酬だけで、事が済むなら、わしの不在で予想される損失よりもはるかに望ましいとの大臣の弁だ。もちろん、諸君らの腕で解決できないようなら、他のもっと熟練した者を雇うことになろうが、わしの経験から来る勘だと、今回の事件には諸君らこそ正にうってつけの人材。よろしく頼まれてはくれんか」

つまり、領地経営に関する諸情報を、シナリオソースとして活用する方向性です。
なお、80年代当時は熟達していなくても、それ以降、年季の入った今の視点でルールを眺めると、「このルールを実際に運用するなら、各種のデータを記述するための領地経営シートが不可欠なんだけど、ルールブックのどこにもそんな物は用意されていない。おいおい、DMが自作しないといけないのかよ。不便だなあ。もしかすると、別売りで領地運営シートなんかが市販されていて、そっちを買えっていう腹積もりか? セコい商売をしやがって」と思い、いろいろサプリメントを探してみたら、一応は手持ちのキャラクターシート集のおまけに領地運営用のシートも付いておりました。
ただ、いずれにせよ、大規模な軍隊を管理するためのシートは別に自作しないといけないようで。
結局、このレベル帯のルールをしっかり運用するためには、DMの方も相応の自作能力が必要になるわけで。正に、Do It Yourself!(それがなければ自分で作れ。欠陥ルールと文句を言う前に、自分でクリエイトしろ)の精神ですな。何せ、DMにはキャンペーンワールドの創造を求められているのですから、必要なシートの自作ぐらいできなくてどうするのよって感じ。

自分も若いときは、面倒くさがらずに、というかワクワクしながらマップを描いたり、ルーズリーフに「オリジナルのエルフ語とかドワーフ語とかのリスト」を(トールキンに影響されて)適当な語感で作ったりしていたなあ。最近、そういうリストが見つかって、「風の精霊フィエス・フィアラ」とか、「風の精霊王シェス・フィエーレ」とか、それっぽい造語でオリジナルのファンタジー世界を、自作小説用にこしらえていた自分を再発見できて感慨深かったり。
さすがに今、同じことをやれと言われて、どこまで情熱を燃やせることやら。若いときだからこそ、好きなことには時間も忘れて、打ち込めるってものですな。今はまあ、昔の一途ながむしゃら一直線魂を、適度に分散させながらマルチにやりこなすぐらいの器用さを習得するに至ったかな。その分、あれもこれもと注意力散漫になっている気がします。

ともあれ、もしも今、領地経営とか、大規模戦闘をRPGでやりたいなら、『グランクレスト』とか『アリアンロッド』とか、もっと現代風味に洗練されてプレイアビリティーの高くなった作品をプレイしますな。
まあ、自分が現在もゲームクリエイターだったり、D&Dの売り手で宣伝のための記事を書く立場なら、もっと領地経営のルールやら、大規模戦闘のルールの楽しさをじっくり紹介するところですが、趣味としてファン視点の懐古記事を書く身にとっては、無理にヨイショするものでもないので、以下の結論になります。

クラシックD&Dの領地経営ルールは洗練されておらず、扱いにくくてDMの熟練を要するものの、後の同種のRPGルールの参考資料として有用で、多くのアイデアの欠片が散りばめられている。古い時代の意欲作と言えよう。
もちろん、TRPGにおける冒険者の人生の目標の一つとして、封建領主として国を治める王道、覇道を提示したこと、また領地経営のイメージソースを構築してきたことは大きい。


なお、ロードス島関連においては、リプレイに基づく小説『ロードス島戦記』が88年から93年まで展開され、その後は過去の魔神戦争の時代を描いた『ロードス島伝説』が94年から98年まで展開。で、伝説は4巻と追補編の『永遠の帰還者』までで一旦、終結していたのですが、その後2002年に5巻となる『至高神の聖女』が出版。六英雄の魔神王打倒の物語はこれで幕。
一方で、本記事に関係する「領主の道」に関しては、マーモ公になったスパークを主人公にした『新・ロードス島戦記』というタイトルで、99年から2006年まで展開。暗黒の島マーモの不毛な土地を何とか領地経営しようと頑張る不幸なスパークの姿は、ある意味、クラシックD&Dのコンパニオンルールの領主リプレイを小説にしたら、こんな感じになるのかな、と思わせてくれました。

それから12年を経て、今年復活予定のロードスが果たして、どの時代を展開するのかを気にしつつ。
まあ、その前に昔のアニメのブルーレイとか、ルールブックとかいろいろ楽しみはあるのですが。

(D&Dの話からロードスに切り替わるのは、やはり自分の中では両者が根強くつながっているからですね。まあ、次回は精霊界などのクラシックD&D多元宇宙観についての話を予定。ひとまず完)