ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

真のドルイ道

★相変わらずPBP会話

 

さて、前回でクラシックD&Dのドルイド呪文については、一通り語り終えたわけだが、ハイラスはどう思った?

 

ハイラス「NOVA殿は、完敗を宣言したのではなかったのか?」

 

お前はああいう勝ち方で満足するような小さな男だったのか?

 

ハイラス「何だと?」

 

あそこは記事にオチを付けるためと、お前の成長に花を持たせるために、形式上の勝ちをお前に譲ったに過ぎん。

それに、俺はげんとくんと違って、勝ち負けなんぞにこだわる男じゃないからな。

表面的な勝ち負けではなく、実利を取る男だ。

 

ハイラス「つまり、負けてはいないと?」

 

だから、勝ち負けにこだわってないと言っただろう?

もちろん、ゲームでこういうことを言ってしまうと白けるから、そういう場ではわざわざ口にはしないが、基本的に俺はゲームでは結果よりも過程の楽しさを重視する男だ。負けてる状況なら、自分が楽しめるように場を掻き回すように行動する。SNEの安田社長に言わせれば、そういうやり方は邪道らしいが、いたずらにプレイ時間を長引かせるだけで慎むべきと言われたが、自分が楽しめずに何のためのゲームか、その上で周囲を楽しませるように努めることを主張したら、どうも「NOVAはゲーム勘が分かっていない」という趣旨の言葉を頂いた、と。

 

そのことも、俺にとっては長年のしこりになっていてな。

社長の言う「ゲーム勘とは何か?」が一つの課題になっていたわけだ。

 

ハイラス「それで答えは出たのでござるか?」

 

ああ、俺なりにだがな。

要は、そのゲームの局面を意識する力というか。

 

序盤、中盤、終盤と考えればいいのだが、終盤に入っているのに、勝ち負けを放棄して、ただ遊び半分で場を掻き回すプレイは美しくないということだな。そういう掻き回し方は、もっと早い時期にやっておいて、勝ち負けの見えた終盤は速やかに、綺麗に終わらせるように協力すべし。プレイ時間は有限なリソースなんだから、ってことだと思う。

とりわけ、テストプレイの段階ではな。そういうTPOの空気が読めていないために、「もう終盤に来ているのに、それを察しない=ゲーム勘が分かっていない」と判断されたんじゃないかな。こちらはもちろん終盤ということを承知で、残り時間を楽しむための行動に出たわけだが、社長のゲーム観では「それは定石をわきまえていない」ということになるから、やはり「ゲーム勘が、あるいはゲーム観が分かっていない」ということになる理屈だ。

まあ、社長の主観的なゲーム観、あるいはゲーム勘が全て正しい、絶対だとは言わないが、当時の俺にとっては重い言葉でな。「そうか、俺はゲーム向きじゃないのか」とまで思い詰めたこともあった。

 

実際のところ、社長はそこまで重い意味合いで言ったのではなく、ゲーム中の感想をポツリと思いつきみたいに口にしただけなのを、俺の方が勝手に深刻に受け止めて引きずっただけなのかも知れん。言った本人にとっては軽い一言が、聞いた人間によっては重く受け止められることもよくあることだし、逆のケースもしばしばだからな。

 

ただ大事なのは、社長の真意はどうあれ、俺にとっては大事な言葉になったということだ。

自分のアイデンティティーに動執生疑を突きつけられたし、そこでゲームへの興味を失う危険すらあったが、まあ俺はそれを乗り越えた。誰が何を言おうと、俺がゲーム好きなのは変えようがない。「ゲーム勘がない? それがどうした。それでも俺は自分のゲーム道を貫いてみせる」って感じの想いの強さを構築できた。

まあ、それをどう表現するかでのためらいはあったがな。それももう吹っ切れたのが今のブログ記事だ。

 

ハイラスよ、お前のドルイ道にそれだけの強さはあるか?

 

★道へのこだわり

ハイラス「NOVA殿は、私のドルイ道を疑っておいでなのか?」

ああ、お前のドルイ道なんて、大した想いじゃないと考えた。
と言うのもだ。お前は前回の記事でこう言ったんだ。

>『いや、私はアレクラスト出身にして、D&D5版でコンバートされた次元ドルイドであるため、そもそもクラシックD&Dとは似て非なる存在だからして』

何なんだよ、この言い草は。
俺は今回のバトルに先立ち、こう言ったはずだぜ。

>お前はドルイドの名誉を掛けて、俺に立ち向かうがいい。
俺は「クラシックD&Dのドルイドは欠陥ルール」という信念に基づいて、言葉で応酬する。


つまり、お前がクラシックD&Dの擁護を放棄した時点で、欠陥ルールであることを間接的にせよ認めたことになるし、バトルの目的としては、お前の負け。お前は少なくとも、クラシックD&Dに関しては、愛も名誉も持ち合わせていないことが判明したわけだ。
勝負事のルールとしては、その後は茶番。

どちらかと言えば、俺の方がクラシックD&Dへの愛を表明していたことになる。「欠陥ルール」という評価は崩していないにも関わらずな。
そのことの意味合いが、お前には分かるか?

ハイラス「つまり、本当に道を追求しようと言うなら、その道に愛を示そうと言うなら、たとえ欠点を指摘されようとも、それでも自分はそれが好きなんだ、追求してやまない想いの強さがあるんだ、ってことを語り続けるべし。そういうことでござるな」

正解だ。
そういう想いの強さ、愛情、こだわりこそがマニアの心意気って奴だし、
ちょっと欠点を指摘されたからと言って、あっさり迎合して自論を翻して転向するような奴は、道を追求しているとは言えない。
もちろん、指摘された欠点、自分で気付いた欠点に目を背けて盲信に陥る人間は柔軟性に欠けるが、それはそれで愚かしいが一途であることには変わりない。少なくとも信者としてのこだわり、信頼には値するな。

一番ダメなのは、多少批判されたからと言って、あっさり宗旨替えするような信念のなさを露呈するような奴。こういうのは自分に自信がないのみならず、「誰かに指摘された欠点を理由に、それまで自分が擁護してきた作品や人間、主張を調子づいて叩き始める」から極端な変節漢、卑怯なコウモリになり兼ねん。それまで好きだと言ってきた作品に対して、「だけど欠点がある」と指摘されると、「ああ、そうですね。だったら好きなのやめた」って言い出す奴。
要するに、そいつが好きになるのは、それが流行しているからであって、それを応援しているうちは自分が安心できるからであって、逆にそれを擁護することで自分が不利に立たされるとなれば、あっさり放棄する、自分の想いを語って守ろうともしない。
そんな奴の主張を誰が信用する?

ハイラス「確かに、守るべきものを持たない、立場を示さない人間の主張は身勝手で、信用には値しないでござるな。少なくとも、その人間の信念がどこにあるか見えない段階では。ただ、周囲の動きに敏感で、バランスを維持しようと考える中立志向の人間もいるわけで、強固な持論を表明しないタイプの奥ゆかしい御仁だったりするのでは?」

ああ、確かに、そういう人間もいるな。
俺もそういうポジションに身を置いたこともあるし、そういうポジションが好きな人間も知っている。
世間の動向に機を見て敏といえば聞こえがいいが、実際のところ、本当に機を見て敏な人間は、時流は変化するものだと分かっているから、何かを批判することは極力避けようとしながら客観的なポジションを維持しようとするものだ。ある程度は大局とか、物事の大きな流れを見据えた上でのタイミングを見計らうのが上手なんだな。そういう人間は、冷静な判断力で信用に値する。

逆に、今の世の中がこう動いているからとか、誰かがこんな主張をしたからと言って、後からそっちに迎合したり、調子づいた流れで何かを批判したり、あるいは思いつきで暴言を吐いてみたり、その癖、その暴言や失言を誰かに諌められたりすると、自己保身のためだけに引っ込める。そういうのじゃ信念の欠如した風見鶏もいいところだ。
安全な立ち位置で議論に口を挟みたい若手に多いが、議論慣れしていないのに一家言あるつもりの勘違いした大人にも時折見かける。まあ、自分を省みることのできる人間なら、すぐに恥ずかしい自分に気づいて主張をブラッシュアップできるので、ちょっとした「はしか」のような物だと思うが、たまにブラッシュアップする機会から逃げて、「はしかをこじらせたままで徘徊する」懲りない輩もいるから厄介だな。
そういう人間の言動は塵芥も同然で、軽々しくて信用ならんというのが実際だろう。少なくとも、物語では主役に決してなれず、ザコのモブキャラもいいところ。それでも大人しい一般市民なら害はないが、信念もなしに批判や暴言を繰り返すようなのは、人、それをチンピラ、小悪党という。それでもせめて自己の言動を省みて、相応の仁義でも示せれば、ヘルブロス兄程度の評価は得られるかもしれないが。理想はモグラ獣人だと考えるんだけどな。コミカル方向に転じて、美味しいところで男を示すとか。

ハイラス「最後は、格好良く散ればいいってことでござるか?」

そうしたければな。
まあ、黙ってフェードアウトって道もあるが、また再登場して、場をかき回すだけのゲスト出演ってのは勘弁だな。ギャグ漫画調で笑わせてくれるゲストならそれでもいいが、シリアスに場をかき回すようなのは、ただのザコ怪人でしかないので、特撮ヒーローを愛する場ではしつこい再生怪人のようにしか見えない。そういうのは、次第に扱いもぞんざいになるだけだろうな。
ライダーコミックのデッドライオンさんみたいなのは、どんなにボロボロでも、元いた組織ブラックサタンへの仁義みたいなのを感じて好きなんだが。まあ、いてもいなくても物語の大勢には影響しない、ただのザコキャラポジションなのは変わりないのだが、妙に味があってな。

それはさておき。

結局、マニアってのは、「誰が何を言おうと自分はこれが好きなんだし、欠点も含めて愛しているんだ。だからこそ、それを責めるような輩とは徹底交戦するつもりもあるが(要・時間や気力などのリソースとの相談)、相手の言葉が正論なら、それはそれで聞き入れてもいい。それでも、自分の愛情は簡単には揺るがないがな。俺の想いそのものは止められない!」という強いこだわりを内包しながら、そのこだわりを発露する機会があれば、ついつい語ってしまいたくなる。
もちろん、そういう話題がふさわしい状況か空気を読む人間もいるし、読めない人間もいるが、まずは好きを徹して語ることのできる人間、これこそが真のマニアとか良い意味でのオタクの道じゃないか、と俺は考える。

好きな物を語ることで8割のエネルギーを費やし、残りの2割程度がまあ勢いづいて他を叩いたり(それで思いがけずに敵を作ってしまう人間もいる。口は災いの何ちゃら)、逆に一つの好きから関連事項を広げて「こっちも好き。さらに広げて、こっちも好き。好きが多すぎて、話が止められないよ。何とか話をまとめないと」って書き込み暴走したり、まあ、いろいろなタイプがいるが、総じて「ああ、この人はこのジャンルに関してはこだわりがあるから、話を深められそうだ。自分もこのジャンルは好きだからもっと話を聞きたいし、できれば自分の好きを伝えて意見を交わしたい。うまく話が弾んだら、いい酒が飲めそうだ」と感じられる語り手、論者とはお付き合いしたいし、一定以上のこだわりを示せない相手の話はつまらない。そして、こだわりを示そうとして方向を誤り、何かを批判することに夢中になる人間の言動は、理にかなっていれば勉強にもなるが、いたずらに感情論を振りかざす主張の場合(しかも、自分がその感情に共感できない場合)、あまりにも痛くてストレスにもなる。
理屈の押し付けは知的好奇心を刺激するが、感情の押し付けはポジティブなら楽しくもなるが、ネガティブなら受け入れたくはない。だから、ネガティブな感情論は、しばしば人間関係を破綻させる元になる、と自分は考える。自覚のない人間は注意されたし。

俺も自覚して、注意しないとな。
さて、何の話だっけ?

ハイラス「真のドルイ道とは何か、でござる」


★真のドルイ道とは

ハイラス「さて、NOVA殿。真のドルイ道とは、何でござるか?」

おい。
それを語るのは、俺じゃなくて、お前の仕事じゃないのか?
お前は前回、覚醒して、何かを悟ったんじゃないのか?
俺はマニア道がどうこう、オタクの真髄がどうこうって俺視点の話をしたんだから、それを汲んで、ドルイ道の話をするのが自分の使命だとは思わないのか?
自分の大切な想いを、人任せにするんじゃない。せめて、お前がきちんと自己主張した上でないと、他人の意見を求めようとするなよ。お前のドルイ道は、お前にしか分からないんだから、自分をしっかり示さないとダメだろうが。

ハイラス「分かったでござる。まずは己の過ちから一つ。アレクラスト出身で、D&D5版にコンバート。ここまでは自分の出自を語る上で問題ないものの、そこでクラシックD&Dを自分には関係ないと切り捨て、学習意欲も示さなかったのが問題だったでござるな。ここは何としても『これも一つのドルイ道。一世代前の旧き時代の産物ゆえ、欠点も見受けられるが、そこから現代に至る変化の歴史を概観するのも、ドルイ道研鑽においては必定。温故知新の知恵を大切に考えるべき』と主張すれば良かったのであるな。ドルイドと名が付けば、それに興味を示し、少しずつでも追求する精神。それこそがドルイ道探求の志と言うなれば、『欠陥ルールだと? 確かに今の目から見れば、さもあろう。だが、それがどうしたでござる? 過去の礎があればこそ、そこから発展した現在があるゆえ、未来のドルイ道に至る希望も見出せよう。欠点があれば、それすら研鑽の材料として分析し、時代背景を考察し、今に至る流れを知見し、そうして新しい光を志すことこそ真の道。だからこそ、欠点や失敗からも目を背けることなく、自己の糧として成長の起因とする。これが我が生きる道』とまあ、これぐらいは語れば良かったのであろう」

正解だ。
お前は、次元ドルイドという「あらゆる次元のドルイドを探究できる運命や宿命を帯びた」のだから、それを「呪いではなく、自己の強みと見なして、多元宇宙のドルイド知識を包括することが使命じゃないか」と、俺は考える。
いたずらに自分を小さな枠に貶めるのでなく、出来ること、目に入ることからコツコツと、その上で様々なドルイドの道を毛嫌いすることなく考察を続ける先に、ドルイド theドルイド、すなわちDドルイドに到達できよう。それこそ、次元ドルイド、ディメンショナル・ドルイドの道なんだろうぜ。

ハイラス「おお、これぞ『ドルイド武闘伝Dドルイド』ということでござるな。デビル・ドルイドではなく、デス・ドルイドでもなく、ディバイン・ドルイドに至る道。正にディーヴァの悟りそのもの」

まあ、そういうことにしておこう。
それで、お前が幸せに、建設的に歩めるのならばな。
迷妄断ち切る、言霊の神髄を示せた気分だぜ。

ところで、アレクラストの地、すなわちソード・ワールドのルールでドルイドの能力を再現するためには、精霊使いのシャーマン技能と、野外活動用のレンジャー技能を習得すればいいのだが、ここに一つ見逃せぬ問題があってな。
現行の『ソード・ワールド2.0』および7月から刊行が開始される新ルール『2.5』においては、同じやり方でドルイドは再現できないんだ。

ハイラス「何ですと? それは一体なぜでござるか?」

これはまあ、2.0のプレイヤーには常識なんだろうが、要するに精霊使い(シャーマン)の技能が消えたんだ。代わりに妖精使い(フェアリーテイマー)の技能に置き換わったんだが、似て非なるものだからな。シャーマンとフェアリーテイマーで、何がどう違うか比較するのも一興だが、今はその時じゃない。
それより、俺は2.0は熟知しているわけではない。具体的には、文庫版のルールと一部の大型サプリメント、それに文庫リプレイの7割程度はチェック済みだが、未チェックのものも多く、全てを見た男ではないので、断定には至らないわけで。それでも俺の見た範囲では「2.0の世界やルールには、ドルイドと呼称されるキャラや文化は存在していない」ということなんだ。
いや、「存在していない」ことを証明するのは非常に困難で、全てをチェックしないと不可能というのが論理学の基本と言える。この場合、「存在している」ことの証明の方が楽で、「どこそこの地方や、何々のサプリメントに、ドルイドはいますよ。あるいは、ドルイドに相当する文化がありますよ。確認してみては?」と教示いただければ、近いうちに事実確認することを約束する。紹介されたサプリメントなどの購入も含めてな。
だが、「存在していない」ことの証明は、「関与していない」ことの証明同様に「悪魔の証明」と呼ばれ、この場合、立証責任は「存在している」「関与している」と主張する側にあることは法学の知識の上からも常識なのだが、一部の扇動政治家やマスコミにとっては、そういう常識が欠如しているようでな。勝手に難癖を付けておいて、有罪証明もろくに果たせないのに、「無罪であることを、疑われた側が証明しろ」というような論理が罷り通っている。愚かしいことこの上ないと考える次第だが、まあ政治的意見は、ただの脱線だからな。控えておこう。

ここでのテーマとしては、2.0の世界では、NOVAの知る範囲において、ドルイドというキャラないし文化は見つけられていない、という事実だ。寡聞にしてな。
もちろん、妖精使い技能を代用に、作ればある、と主張すれば可能だ。TRPGなんだから、ハウスルールやオリジナルデータを作ろうと思えば、いくらでも作られる。
問題は、公式ですでに存在しているかどうか。
アリアンロッドにはサブクラス名としてあるが、ソード・ワールドの現行版にはネット検索してもなさそうだ。
さらに「森の民のエルフの文化はドルイドに近いのでは?」という意見に対しては、「2.0のエルフは森の民ではなくて、水の民だ。水野さんのスイフリーとは関係なくな。まあ、むしろ一部の獣人系種族とか、蛮族系種族の方にドルイド文化に近いものが観測されるかもしれん」程度には答えておく。

他にも、「ドルイドを語るなら、このゲームや作品は大切ですよ」とか教えて下さるコメントは歓迎だ。まあ、D&D系は普通に記事書きするが、他のゲームでもリクエストがあれば、ハイラスが喜ぶ。なあ、そうだろう?

ハイラス「もちろんでござる。真のドルイ道に目覚めた今となっては、あらゆる次元のドルイ道を探求することこそ、我が本分。そのための助言なら、我が導き手として重宝に考える所存。来たれ、ドルイ道の同志よ。共に探求の道を歩もうではないか」

いや、歩む必要まではないだろうが、道しるべ程度の示唆でもあれば、この男は勝手に歩み続けると思うぞ。
ちなみに、ドラクエにもドルイドは敵モンスターにいて、きめんどうしの色違い下位種だ。3、8、10、11に登場していて、10だけが例外的に上位種扱いだが、風系のバギ使いという特徴がある。ドラクエモンスターズなら、仲間モンスターとして使うことも可能だ。
他にも、カードゲームだったり、コンピューターゲームのタイトルになっていたり、「ドルイド ゲーム」で検索するだけでも、割と掘り出し物はありそうだが、さすがに俺自身はドルイドマニアというわけではないからな。ドルイドオンリーで延々と記事書きするつもりもない。まあ、あくまでD&Dを始めとするテーブルトーク界隈に軸足を置かせてもらう。
それでも、「ドルイド関連だったら、これは傑作で、これこれこういう感じなので、是非ともチェックしてネタにしてみて下さい」という真面目な訴えなら本当に歓迎だ。1988年に出て今年30周年を迎えるジャレコ製のアクションRPGドルイド 恐怖の扉』とかな。ファミコンディスクシステムなんて懐かしすぎる。

下記のサイトで紹介されているので、興味があればどうぞ。

http://www.sara-net.jp/?p=15019

いやあ、ドルイ道もなかなか奥が深いってことが分かったので、ハイラスの修行もまだまだ終わらないんじゃないかな。

ハイラス「果たして、修行を終えて、故郷に帰る日はいつになる事やら」

ソード・ワールドの2.0版とか2.5版対応のフォーセリア・ワールドガイドでも出たら、確実に帰れるんだろうけどな。まあ、そのうち、いいタイミングでアレクラスト大陸がリバイバルブームになったり、ロードス30周年の余波で道がつながったり、適当に星辰がうまく巡り重なったりで、帰れるタイミングもあるだろうさ。
その間に、お前さんの気持ちがブレブレで、不意に転移してしまい、真のドルイ道から外れたりしなければな。

帰れる時が来るのを信じてドルイ道の探索を続け、故郷に帰ったら誇りとともに遠い異国の土産話をたんまりと持って、旅が無駄じゃなかったことを明るく朗らかに語って聞かせてやったらいいんじゃないかな。
そして、森の若者にこう言ってやるといい。「いろいろ世界を回ったが、やはり故郷が一番でござる」って。

ハイラス「そうしたいものだな。NOVA殿、道を示していただき、かたじけない。ふつつか者だが、今後とも御教示よろしく頼む」

いいってことよ。この間、翔花を助けてもらったからな。
今後も何かあれば、頼りにしているぜ、ハイラスさんよ。

(完)