ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

ドラクエの聖戦士の話

@ドラクエ話もこれで終わり

 

 

アスト「ドラクエ寄り道話も、今回で終わりだ」

 

ダイアンナ「元々は、D&Dのパラディンの話をし始めようと思ったら、FFとかドラクエの話に突入してしまったからな」

 

アスト「だから、最後は聖戦士とか神官戦士系、ドラクエ世界における信仰観の話をして締めくくろうということだ」

 

リバT『宗教の話なら「自由の女神像」の化身である私めにお任せを』

 

アスト「まあ、ファンタジー世界について考えるなら、神々についても考えないといけないってことで、そこから善悪の価値観やら、文化に対する影響を汲みとることも大切になってくる」

 

ダイアンナ「分かりやすいのは善神と悪神の2つがあって、後者は悪魔、魔神とも呼ばれて人々を堕落させたり、文明世界を破壊しようとさせる。一方で、善神は創造的な神で、人々に秩序と道徳規範を与え、守護してくれる」

 

アスト「これが一神教だと、神が創造と破壊の両方を司るので、人々の神への忠節を求め、堕落した人間が増えた文明は滅ぼすという堅苦しさが描かれたりもするわけだが」

 

ダイアンナ「堕落=自由な快楽志向なので、個人の自由を尊重する現代的な価値観では、一神教の神の教えそのものが洗脳と見なされ、倒すべき悪だと考える主人公も出てきたりするほどだ」

 

アスト「神が世界の破壊者になるなら、世界の住人としては抗わざるを得まい。少なくとも、神さまが世界に滅びろと言うなら、それに従うのが正義と考えて従う者は、物語の主人公とは言えないだろうしな」

 

ダイアンナ「主人公なら、定められた運命に反抗して、より良い理想、未来を模索するのが物語の筋というものだからな。もちろん、創造の神が破壊に転じた理由とかがあれば、それを解消することが目的となろうし、神というものの立ち位置が物語の方向性を左右することにもなる」

 

アスト「でも、ぶっちゃけファンタジー物語の読者って、神そのものの話を読みたいのではなくて、あくまで主人公たち俗世の人間の価値観や行動方針なんかを下支えする根幹要素として、背景設定として、その世界の神話に接するものだろう? もちろん、そこには書き手の信仰観とか宗教知識のバランス感覚が求められるし、現実世界への配慮が必要になるんだけどな」

 

リバT『それをごちゃ混ぜにしたのが「女神転生」シリーズですね。全ての神を「悪魔」と称し、特に「真・女神転生2」では、一神教の主神でさえ倒すべきラスボスとして描き、いろいろ物議をかもした作品です』

 

アスト「そっちに寄り道すると、また長くなりそうだが、少しぐらいならいいか」

 

@寄り道メガテン


アスト「真メガテン2では、主人公がロールートを辿ると、メシア教徒の道を歩むことになるんだが、ラスボスはやはり主神なんだよな。厳密に言えば、主神の威光を笠に着た狂信的な天使が自分の信じる神のコピーを勝手に創造した紛い物らしいんだが。一応、本物の神ではなく、神の名を騙る偽物だから、神を信奉する設定のロー主人公が倒す理由となるわけだ」

ダイアンナ「そもそも『女神転生』というタイトル自体、キリスト教とは異なる世界観だろうさ。キリスト教の神は女神じゃないんだから」

アスト「原点は、日本神話のイザナギイザナミの転生体が主人公とヒロインという設定なんだよな。で、コンピューターの力を活用して悪魔召喚プログラムを開発し、その闇世界にヒロインが飲み込まれたから、悪魔の力で悪魔を倒す的な神力を行使する主人公って形だったと思う。
「そこにキリスト教っぽい要素が絡んできたのは、『真・女神転生』がもっとリアルな世界を追求するようになってからだ。キリスト教的な世紀末思想を背景に、北欧神話ラグナロクと組み合わせることで、雷神トールが核戦争の起因キャラとなったり、外国の神々が日本を食い物にするのに対して、カオス側が国家神道っぽいキャラ付けを為されて、右翼思想丸出しのイメージで、洋のローVS和のカオスという対立構造を提示。主人公がどちらに与するか、あるいは神に縛られ過ぎない人間らしい中立ルートを選ぶかで、話の大筋が変わって来て、さらに続編の2につながる、と」

ダイアンナ「2は完全に未来世界の話なんだな」

アスト「だから機械もいっぱい出て来て、サイバーっぽい世界観で構築されつつ、ロー陣営に統治された巨大都市、TOKYOミレニアムを舞台に、地下勢力のカオス教団や、迫害された異教の神々との関係性なども描きながら、やがては天使VS悪魔の最終決戦的な話に展開していく。その中で主人公は天使側の欺瞞を見出して、神の真実のために戦うか、神そのものを否定するかなどの立ち位置を選択していく流れだな。その後の3は時代をまた戻して、TOKYOミレニアムとは違う未来世界を生み出そうとするガイア側の暗躍を描き、2とは並行世界の切り口で話が展開する」

ダイアンナ「ああ、単純な続編じゃないんだな。2がロー側に沿った世界観で、3がカオス側に沿った世界観になる、と」

アスト「その後は、世紀末に世界が滅びるという世界観が現実にそぐわないという話もあって、より現代風のオカルトサイバー活劇を題材にしたデビルサマナーからソウルハッカーズなんかに通じるシリーズとか、悪魔の力をカードに宿して憑依という形で学生が駆使するペルソナシリーズとか今では外伝派生型のシリーズがメインになっている」

リバT『近未来を舞台にすると、シリーズが長く続いた場合に、現実世界との矛盾が大きくなって、どこかで仕切り直しを図らないと継続不能になりますね。だから、ターミネーターみたいに「未来が書き換わった」とか新作ごとに理屈をこじ付けたりするのですが……』

アスト「結局、ターミネーターは2を土台にいろいろと並行世界をその都度、作ることになったな。リアル世界の歴史の変化に応じて、作品の世界観をアップデートするのは、制作ペース、執筆ペースの兼ね合いなんかもあって、なかなか難しい。だから、現実のタイムスケジュールとは違う時間の進み方をする異世界の方が扱いやすいとはNOVAの弁。
「80年代や90年代に始まった物語が、今なお話題になって続編が作られるのは、最近、話題になっているシン・エヴァなんかもあって、作り手の人生観とか視点なんかにも多少なりとも変化が生じるし、当然、受け手のそれも変わってくる中で、青春時代をエヴァにハマって過ごした90年代の若者たちの思い入れの強さは一種の宗教とも言えるな」

リバT『少年よ、神話になれ……ですからね』

ダイアンナ「アストは、エヴァにはのめり込まなかったのか?」

アスト「世紀末のオカルトブームには距離を置いていたなあ。こういうのは、リアルから距離を置いているから、フィクションの素材として楽しめるんだよ。現実がそのままオカルトっぽくなっちまったら、物語として純粋に楽しめないなあ、と思った。もちろん、エヴァは90年代を代表する作品だけど、あの世界観はガンダム宇宙世紀なんかと違って、碇シンジと周辺人物の狭い心象風景から広がらないセカイ系で、個人的には魅力を感じない。否定はしないけど、自分のツボじゃないんだな。まあ、碇シンジの後継キャラでもいれば、世界観も広がったんだろうけど、結局はシンジの生き直し、再生の物語に結実したみたいだし」

リバT『過酷な世界に囚われた主人公が、その世界の心残りに全て決着をつけて、重荷を振り払って、すっきりした気持ちで、新しい自分の過去を生き直すという終わり方みたいですね』

アスト「それが主人公にとって救いなのかどうかは知らんが、結局、世界そのものの未来を描くのではなく、個人の心象風景での救いとやり直し、生き直しで締めくくる形。まあ、エヴァにハマったファンにとっては、それで救われたのかどうかはともかく、一区切り付けたことで、リアルの生き直し、日常に還れってことなんだろうな。神話の終結というか、神話になった少年が現実に帰還する物語なんだろう、と見ていないのに語るわけだ」

ダイアンナ「見ていないのに、よくそこまで語れるな」

アスト「見ていなくても、ネットでの評判から、あらすじぐらいは分かるだろう。で、結論を出すなら、オレ向きじゃないと思うわけだ。もちろんシーンを切り取っていけば、ここのシーンは熱く盛り上がったとか、ここのシーンは感じ入ったとか、そういう要素はあるんだろうけど、そういう語りはエヴァを愛する多くのファンに任せた。現物を見ていない分際で、ファンの思い入れに水を刺すような無粋な批判はしないよ。ただ、オレにとってのエヴァは、風呂敷をいっぱい広げても、最後は碇シンジ個人の中で収まる陰鬱な過程のドラマと、そこから現代に戻って自分の居場所を見つけて、おめでとうな話で、最初のTVシリーズの放送最終話の焼き直しに収まったな、という結論だな。あとはスパロボの題材として、どう魅せてくれるかってことだ」

リバT『まあ、庵野監督からすれば、エヴァという作品で引っ張っているうちに、ゴジラ作れて、ウルトラ作れて、願いが叶ったし、商業的実績も獲得できて、コロナ禍の逆風の中でもよく頑張ったってことですね』

ダイアンナ「ダディーにとっては、エヴァの想いの一部は、シンカリオンに受け継がれたってことで、そっちのクロスオーバーとか、継承されたストーリーという点で、感じ入るための素材扱いみたいだがな」

アスト「今後、シンジとは関係ない新世代のエヴァが、庵野監督の手を離れたところで作られる可能性もゼロじゃないだろうけど、まあ、それは別の話。何にせよ、メガテンエヴァの共通点は、90年代の世紀末に描かれた神話ということだな」

リバT『敵に天使モチーフの使徒がいるとか、世界が一度壊滅して、未来世界に目覚めた主人公がいろいろと過酷なめに合う物語とか、類似点を抽出するのも楽しそうですけどね』


@そしてドラクエの信仰観


アスト「オカルト方面への寄り道話は終了して、ここから本題だ。FFにしても、ドラクエにしても、宗教観は極力、現実世界からは距離を置いたファンタジー風に設定されている。特にFFは、クリスタルと幻獣が宗教の根幹を為して、そこに現実宗教っぽさはほぼ感じられない。だから、海外に移植しても、まったく問題にならないんだよな」

ダイアンナ「ドラクエは?」

アスト「十字架モチーフがダメみたいで、その辺はいろいろと海外版でアレンジされているようだ。最近の作品では教会などの宗教シンボルがΨとかにアレンジされているな」

ダイアンナ「それにしても、ドラクエをプレイする者は、セーブする際に必ず『お祈りをする』ことを強要されるが、あの世界の神さまは『冒険の書』の管理でもしているのだろうか?」

アスト「ドラクエで、教会がセーブをする場所になったのは4からだな。ロト3部作におけるセーブは王さまの役目で、教会は『毒の治療』『呪いを解く』『生き返らせる』だけの施設だった。天空シリーズから、教会の役割がより重要になったということだな」

リバT『ドラクエの信仰観は、初期は大地の精霊ルビスがアレフガルドを創造したという設定があるために精霊信仰の面が強いですが、それとは別にドラクエ2のサブタイトルが「悪霊の神々」となっていて、ラスボスの破壊神シドーの他に、アトラス、バズズ、ベリアルの三柱の中ボス神が登場します。シリーズでは、味方側よりも先に敵側の神にスポットが当たったわけですね』

アスト「その後、ドラクエ3でルビス以外にも『天の神』が存在し、教会やパーティーメンバーの僧侶の信仰対象になっているが、当初は詳細不明だった。リメイク版で隠しボスの神竜として登場するようになって、『天の神=竜の神』という構図が、ロト三部作でも成立したわけだ」

ダイアンナ「ダイ大の世界観でも、人の神、魔族の神、竜の神の3つの神が背景設定で存在しているみたいだな」

アスト「竜の神はマザードラゴンともされ、またゴメちゃんの正体が、願いを叶える『神の涙』というアイテムがダイの願いで友だちモンスターに化身したという設定が終盤で描かれる」

ダイアンナ「おい、ネタバレするなよ。こっちは、ダイ大を毎週、楽しみにしているんだから」

アスト「おっと、悪い悪い。とにかく、ドラクエ世界では、天の神、大地の精霊、竜の神、邪神なんかがいる多神教ワールドなのが確実。そしてアレフガルドというネーミングや、世界樹という設定もあることから、世界観の土台は北欧神話などのゲルマン系神話に、ギリシャ神話やキリスト教の要素などを混ぜたごった煮感覚だな」

リバT『ドラクエ3アレフガルドでは、上の世界から降臨した勇者の一行が大魔王ゾーマを倒して、世界に光をもたらしたということで、神の使徒みたいに称えられる後日譚もあるようですが、そこから世界の複層構造が生まれて、天空シリーズに続くようですね』

アスト「マスタードラゴン=ゼニスが天空城の主として君臨している世界観が天空シリーズで示され、ドラクエ5で魔界の王ミルドラースを神と仰ぐ自称・光の教団(教祖イブール)が表舞台で活動しているなど、素朴な精霊信仰風味だったアレフガルドよりも、宗教色が増している感じだな」

リバT『ドラクエ5が発売されたのは1992年。当時は世紀末ということで終末思想を持った宗教がリアルでも活動を活性化し、後の1995年に地下鉄サリン事件という宗教テロに至る時期でした』

アスト「ファンタジーゲームの信仰宗教がリアルを反映し、社会に影を落とすようなイメージがあるな。厄介なのは、ドラクエ2ハーゴン教団は明確に邪神を崇める悪認定されていたのに対し、ドラクエ5の光の教団は表向き邪悪な素顔を隠して、暗躍していた点。ここから世界の裏で密かに活動している敵の正体とか、世界の隠された秘密、主人公の正体を見つけるための物語がドラクエの主流になっていくわけだ」

リバT『物語で信仰要素の強いナンバリング作品だと、以降は7、8、9となるでしょうか』

ダイアンナ「6は?」

アスト「夢の世界と現実世界の2つに分かれた舞台だからな。一応、『幸せの国』という謳い文句で人々を誘い込んだジャミラスの描写なんかが、宗教っぽいと言えなくもないが(目的は人々から希望を奪って、その魂を大魔王デスタムーアの生贄にすること)、6は宗教だけにこだわることなく、もっと広く心理学めいた心のドラマを全体的なテーマにしているとも言える。そのため、世界観を考える上では地に足ついていないというか、フワフワしているところが多分に見られる。一応、精霊ルビスが存在していて、天空城の誕生話にもなってはいるんだが、既存作品の集大成的な要素と、そのために全体的な統一感の薄さみたいなものを感じるな」

リバT『一応、6ではゲント族という神に仕える部族が登場していて、仲間キャラのチャモロが部族の一員、長老の孫で次期後継者という肩書きなんですが……物語上の影が薄いですね』

アスト「名前のある神官戦士の仲間キャラだと、4のクリフトに次ぐ重要キャラなのにな。まあ、6の僧侶系魔法の使い手だと、先に出る占い師のミレーユの方が印象的で、チャモロ自身には大したドラマもないからかもしれないが、ハッサンやテリーに比べても、チャモロの影の薄さは気の毒すぎるわけで。ルビスの神託を受けるとか優秀そうなんだが、転職システムのおかげで、僧侶系魔法を素で覚えるという彼の特性もあまり意味がなく、対ムドー戦でのみ光ることもある、というイメージか」


ドラクエ僧侶呪文と神官戦士の系譜


アスト「前に勇者=神に選ばれたパラディンという観点で話を進めたが、6以降は転職できる職業でパラディンが実装されて、両職を区別する必要も出てきた」

ダイアンナ「元々、TRPGでのパラディンは戦士+僧侶の複合職だけど、僧侶もそれなりの物理戦闘力を持てるので、能力的な区別が難しいこともあるな」

アスト「ドラクエの場合は、勇者は2を除けば、イオラのような攻撃魔法やルーラのような移動魔法、ベホマのような回復魔法を持って、戦士、魔法使い、僧侶のハイブリッドであるのに加え、ライデインベホマズンのような独自の呪文を覚えることができるキャラだ」

リバT『もっとも勇者がベホマズンを使えるのは、3、4と8、11に限られるみたいですけどね。他は仲間モンスターやモンスター職、そして9の僧侶など勇者以外のキャラが使えるようです』

ダイアンナ「勇者といえば、ライデインとかギガデインだろう? ライデインストラッシュとかギガブレイクとか……」

アスト「まあな。ギガブレイクは8以降、ダイ大から逆輸入されて勇者の技になっていたりする」

リバT『勇者はともかく、僧侶系と言えば、バギ系とベホマラー、そしてザオリクフバーハが特徴でしょうかね』

アスト「バギ系と言えば、ドラクエ2でデビューした初の範囲攻撃呪文だな。風系、真空系、竜巻系の呪文で、バギマバギクロスに昇格する。その後、2006年のドラクエモンスターズ・ジョーカーから、バギムーチョが加わって、ドラクエ9以降のナンバリングにも登場するようになったが……いつまで経っても慣れんな、バギムーチョってネーミングは」

ダイアンナ「2006年ということは、今年でバギムーチョ15周年か」

アスト「それを言うなら、メラガイアーイオグランデマヒャデドスも15周年になるんだがな。どうして、バギムーチョだけは、こうも脱力する名前なんだ? 風系の呪文だったら、バギブルーンとか、バギドリーンとか、バギキキューンとか、そういうのでも良くないか?」

ダイアンナ「それだと、いかにも秘密のパワーって感じで、違う物議を醸すと思うが、とにかくバギクロスが十字形のイメージで僧侶っぽいネーミングだな」

アスト「そこから、パラディンの特技であるグランドクロスに発展したと考えると、ちょっと格好良くないか?」

ダイアンナ「グランドクルスではないのか?」

アスト「それはダイ大のヒュンケルの闘気技で似ているけど違う。とにかくバギクロスドラクエ5の主人公の最強攻撃呪文として輝いた時代があったが、攻撃呪文の中では、やや不遇な立ち位置にもなっている」

リバT『9でリストラされたギラ系と、どちらが不遇でしょうかね』

アスト「ギラ系最強のギラグレイドは2010年のジョーカー2がデビューなので、他の最強呪文よりも遅れての登場なんだな。まあ、ギラ系はともかく、今は僧侶系の話だ。ドラクエ5では、主人公が勇者ではなく、息子が勇者なので、いわゆる勇者系の呪文と僧侶系の呪文を親子で分け合う形になっている。主人公は僧侶系呪文の他にイベントで遺失呪文のルーラを習得したりするんだが、ザオリクベホマラーフバーハといった僧侶系上位の呪文は息子勇者の担当となっていて、他の勇者よりも補助役に回る機会が多い」

ダイアンナ「未成熟な少年勇者よりも、勇者の父親の方が強いというのはダイ大みたいだな」

アスト「確かに、原作でバランにスポットが当たった時期と、ドラクエ5が発売された時期はかぶっているからな。ダイ大の旧アニメが打ち切り最終回を迎えたのが1992年9月24日で、ドラクエ5の発売が9月27日。当初はパパスという主人公の父にバランのイメージを重ねてプレイしていた者もいただろうし、その後、主人公自身が父親となって、息子や娘を引き連れて冒険を続けるドラマに感じ入った者もいたろう」

ダイアンナ「ああ。ダイ大とドラクエ5が物語的にリンクするように感じるわけか」

アスト「もちろん、ドラゴンの騎士とか紋章というダイ大要素は5にはまだなくて、それらは8とか11などに断片的に受け継がれていく感じだな。ともあれ、5は仲間モンスターというシステムも含めて、ダイ大の物語と同時代の作品としてリンクしている要素が多いわけだ」

リバT『勇者の物語が受け継がれている一方で、神官戦士の系譜としてはクリフト→チャモロメルビンククールという流れになりますかね』

アスト「声優だと、緑川光高山みなみ千葉繁細谷佳正とつながる流れだな」

リバT『え? チャモロって名探偵コナンなのですか?』

アスト「ドラクエ・ライバルズというネット配信型カードゲームではな。クリフトとククールはヒーローズで声が入ったが、他の2人はライバルズで初めて声入りとなった。今後、別作品に出て来るかどうかは不明だが」

ダイアンナ「声が入ることで、キャラのイメージが変わることもあるからな。悪名高いキーファに、ゼロさんの声が入ったみたいに」

リバT『ところで、神官戦士の系譜だと、その人たちになりますが、他に僧侶系魔法の使い手だとミネア→ミレーユ→セーニャという女性キャラの系譜もありますね』

アスト「ミネアは4の占い師、ミレーユは6に出た夢占い師グランマーズの弟子、セーニャは11に出た賢者セニカの生まれ変わりの双子の妹(姉のベロニカは魔法使い系)で、それぞれが宗教者というよりは、強い霊感で神のお告げを聞くことができる才能の持ち主みたいに描かれているな」

ダイアンナ「巫女とは違うのか?」

アスト「ダイ大で言うなら、占い師のメルルに相当して、お淑やか系のヒロインになるな。4では武闘家のアリーナや魔法使いの踊り子マーニャ、6では魔法都市カルベローナ出身の大魔法使いの末裔バーバラ、11では武闘家のマルティナと魔法少女ベロニカという女性キャラがいて、彼女たちは活発系のキャラ付けが為されているのに対し、僧侶系魔法の使い手は控えめだけど芯は強い抑え役という感じだけど、宗教色は男性キャラに比べて高くない」

リバT『神に仕えるシスターというよりも、天啓を聞ける霊感を備えている感じですね』

ダイアンナ「ドラクエのパーティーでは、神職に就いた女性キャラというのはいないのか?」

アスト「意外にも少ないんだな。街にはシスターが普通にいるし、5のマリアはNPC、7ではフォズ大神官は一時的な助っ人で、正式なパーティーメンバーだと、5のフローラが一応、修道院生活を経験している僧侶系魔法の使い手だけど、彼女は同時に魔法使い魔法も使える賢者的な立ち位置だからな。転職システムで女僧侶的なキャラは作れたり、職に就いたりはできるけど、基本設定で神に仕える女性キャラというパーティー仲間はいないようだ」

リバT『ドラクエでは、主人公がまず僧侶系の呪文を覚える作品が多いので、それを補佐するヒロインは魔法使い系の呪文を覚えるみたいですね』

アスト「逆に言えば、主人公が魔法戦士だったら、ヒロインは僧侶系になるのかもしれないが、FFだったら多い巫女とか白魔道士系のメインヒロインが、ドラクエでは少ない感じだな。とりわけ聖職系の女性キャラは非常に稀ということが分かった。意外な発見だな」

ダイアンナ「だけど、ダイ大だと、逆に女性の魔法使いの方が皆無なんだが? レオナは賢者だけど、もっぱら回復担当だし、魔法使いの役どころはポップに一任されて、いわゆる攻撃魔法を派手にブッ放す女性キャラが出て来ない」

アスト「90年代の少年マンガだと、男よりも戦果を挙げそうな女性の攻撃呪文の使い手キャラを登場させにくかったのかもな。ラノベだと、スレイヤーズリナ・インバースが当時は斬新な設定だったし、強力な攻撃魔法でモンスターを一気に薙ぎ払う女性キャラというイメージがまだ一般的に定着していなかった可能性が大きい。ドラクエとかFFとかのファンタジーRPGが、そういうキャラを定着させたのかもな。SF方面でも、女艦長とか、防衛チームの女隊長とかが登場するのも90年代になってからだろうし」

リバT『セーラームーンが始まったのも92年ですからね。派手に攻撃技を撃つ女の子のイメージは、その辺りから市民権を得ていく流れだったのでしょう』

アスト「その前の時代だったら、『うる星やつら』のラムちゃんの電撃とか、『ダーティーペア』みたいなヒロインアクションSFもないわけじゃなかったが、その辺のジェンダー観の変遷まで語り始めるとキリがないので、今回はパスだ」


@神の世界の変化


ダイアンナ「ともあれ、クリフトは武闘家お姫さまのアリーナに付き従うお供の神官戦士で、チャモロは神に仕える部族の長の孫、メルビンは神に仕える老戦士で、ククールは不真面目でナンパな聖堂騎士ドラクエ4から8にかけて、何らかの形で神という要素が語られていく流れがある、ということだな」

アスト「世紀末だったら、やはり神という要素に懐疑的な世の中の雰囲気もあって、次第に信仰教団というものの欺瞞を取り入れたストーリーがメジャー化したのかもしれない。ゲームの表現力が高まるにつれて、ただの子どものお伽話的な世界観だったドラクエも、リアルな寓話、風刺要素を取り組む流れがあって、それはFFにも見られた道だけど、ゲームとリアルのドラマのバランスをどう取っていくか、試行錯誤が行われているのが6以降のドラクエかな」

リバT『6では夢と現実の二つの世界を対比する物語を描き、7では過去と現在の二つの時代を対比する物語を描き、その中で真実と虚構の曖昧さを感じとらせる。それが引いては、ファンタジーってことかもしれません』

アスト「宗教に限らず、信じていたものが真実でないことを知ったとき、人がどう感じ、どういう反応を示すかを追求した物語。これは90年代のゲームですでに提示されていたわけだ。だから、映画のドラクエYSでそれを突きつけられた時、あまりにも遅いというか、少なくともドラクエを追っかけていたファンは6や7ですでに経験しているようなテーマを突きつけられて、どう感じると思う?」

ダイアンナ「ああ、この監督はドラクエのことを分かっていないな、ということか?」

アスト「ドラクエ5のテーマは、父から子、孫への想いの継承、家族の絆みたいなものだろう? それを映画で描いてから、『それは虚構なんだ、現実に還れ』と言った場合、どうなると思う?」

ダイアンナ「素直に受け止めるなら『家族の絆』を否定しちゃうことになるな」

アスト「夫婦の恋愛も幻想、親子の絆も幻想、世代を経て受け継がれた想いも幻想……と、創り手の意図はそこまでじゃないにしても、ドラクエ5というゲームのテーマが家族愛だから、それを幻想呼ばわりしてはダメなんだ。まあ、最終的な結論としては、ゲームに注ぎ込んだそういう想い、感性は幻想なんかじゃない、本当の気持ちだ、という主人公の啖呵でバグを粉砕するのがドラクエYSなんだろうけど、そこまで伝わる前に映画は鑑賞者に拒絶された形だな」

リバT『シリーズの中で虚構をテーマにした作品は6や7だから、5を期待して見に行ったら、テーマは6や7だったということですか?』

アスト「それを狙って作ったならマシなんだろうけど、20年前に原作者の堀井雄二が描いた答えを、そうと知らずに自分が初めて思いついたかのように、ドヤ顔で監督がインタビュー記事で語っている点で、まあ、その程度の理解なんだろうな、と思った。ゲームの世界が幻想だってことは、小さい子ならともかく、大の大人は知っていて当然なんだ。その上で楽しんでいる。ドラクエ5を見に行く層は、幻想を見たくて見るのに、『お前の見ているドラクエ映画は、全部嘘っぱちだ。現実に還れ』なんて説教はされたくないわけだし、そもそもファミリー向けの映画だから、5の主人公みたいに結婚して、子どもを連れて、青春時代の懐かしい思い出目当てに見に行く人も少なからずいるわけだろう? そういう家族連れのお父さんが『お前の家族への想いは幻想だ』などと言われて、楽しめるだろうかって話だな」

ダイアンナ「ドラクエYSはともかく6や7のゲーム本編では、徹底して幻想と現実の境界線を追求したということでいいのかな?」

アスト「物語として究極の幻想は神話でもあるわけだから、神ですら幻想であり、虚構であるというテーマを突きつめたのが7とも言えるな。物語の中の冒険のほろ苦さを味わって、その果てに現実に還るのが7だし、一方で6は夢と現実が切り離されることによる別離を描いたエンディング。どちらも、幻想を愛するゲーマーにとっては、歓迎できないエンディングだ。だからこそ、この世界でまだ遊んでいたいゲーマーはやり込みプレイに専念するし、現実に戻ることを是とする大人なプレイヤーは、遊びの時は終わったと満足して、エンディングを見て納得したりもする。これがドラクエ3なら、『そして伝説へ……』というループで、また1をプレイしたくなるのに対し、6も7も、次の物語への受け継ぎは考えない、物語は所詮、物語でしかなく、別れはいずれ来るよ、という締めくくりだ。それを是としないなら『神さまを倒すぐらい強くなれ』という道もあるわけで」

ダイアンナ「それでも、続編の8が作られるわけだな」

アスト「7と8は単純に続編とは言えず、その間にいろいろと仕切り直しがある」

リバT『2000年の7の時にはまだエニックスでしたが、2004年の8の時にはスクウェアエニックスに合併していました』

アスト「それも重要だけど、7の製作時期は世紀末で、8の製作時期は世紀明けという時代の変化も忘れてはいけない。世紀末の閉塞感は、今で言うところのコロナ禍で閉塞した時代に該当し、世紀明けは令和元年のちょっとしたお祭りムードだったと言えば、その違いが分かるだろうか?」

ダイアンナ「そこまでの違いがあるのか?」

アスト「95年から99年の間に作られたフィクションをチェックしてみると、おそらく時代の暗さが想像できるんじゃないかな? ドラクエ6から7はそういう時期に作られた作品だから、どこか陰鬱なムード、寂寥感に覆われていると言っても過言ではない。疑うなら、フィールド音楽を聞けばいい。6の下の世界の音楽とか、7の石板の世界の音楽なんかは、8の雄大なフィールド音楽に比べて、冒険のワクワクとは縁遠いから」

ダイアンナ「つまり、ドラクエ8は明るいドラクエと言いたいわけか」

アスト「人は死ぬし、仲間は呪われて闇堕ちするし、ストーリーだけ書けば暗いんだけどな。でも、虚構とか、冒険そのものが虚しいとか、そういう気分にはならない。理由は、世界が分裂することなく、雄大な世界が広がっているから。素直に探索することが楽しい広がる世界を構築しているのがドラクエ8。世界を駆け回るのが楽しいという感覚は、8と11、そしてヒーローズやビルダーズに共通するところがあって、7までの世界とは明らかに違うプレイ感覚と言ってもいい」

リバT『9は違いますよね』

アスト「そっちは、レトロ風味だからな。まあ、7と8の違いは、時代性と、世界の広がりと、それから、その間に堀井雄二がリメイク作品の4や5を作ったことで、冒険の楽しさを思い出したからというのもあるんじゃないかな? PSの4とか、PS2の5を作って、広い世界を探検する楽しさを再体験することで、6や7の陰鬱さを脱却したようにも見える。ある意味、ドラクエ8は5以前のドラクエに回帰したところがあって、世界そのものも決して暗くはない……というか、時々発生する個人単位の殺人事件を除けば、いろいろと平和なんだよな。主人公たちは危機感を持って旅をしているけれど、ドルマゲスを除けば、大きな事件が起こっているわけじゃない」

リバT『冒険が楽しいというのは、ゲームをプレイする上での必須事項ですからね』

アスト「で、虚構をテーマにした6や7に比べて、8はアニメ絵世界としてのリアリティに溢れている。ゲームという世界で生きてるって感じを味わえて、その中での教会は腐敗した権力闘争で妙に生々しい。他にも、妾の子とか、結婚式を破談にさせるエンディングとか、度重なる殺人事件とかファンタジー世界の物語っぽくないよね。リアルだよねって思える。人間ドラマは妙にリアルなんだけど、それで疲れたら……雄大な世界を走り回ったり、練金釜でものづくりしたり、ゼシカにコスプレさせて目の保養をしたり、要するにゲームの中で味わったストレスを、ゲームの中で解消できる。8はそれだけ作り込まれた世界なんだよな。おそらく、10をずっと続けているプレイヤーもそうかもしれない、と思いつつ」

ダイアンナ「で、神さまの話はどうなったんだ?」

アスト「8は、教会がテーマになっているのに、神さまとか信仰そのものはテーマじゃないんだよな。あくまで、教会という組織の中の人間模様がテーマで、勧善懲悪って話でもない。悪と言えば、殺人鬼のドルマゲスとその背後にいる暗黒神ラプソーンぐらいだが、それを除けば、人間関係におけるトラブルでドラマを築いている。神さまの話を描くのではなく人を描いた話がメインだから、8の世界の神話体系はこうだってのがいまいち見えない。一応、隠しダンジョンは竜神族絡みで、主人公の出生の秘密に通じるエピソードだが、そこでの竜神が教会の人たちが崇める神なのかも分からないし、暗黒神ラプソーンも単に邪神というだけの存在で、その背景事情もほとんど見えず。昔、封印された邪悪な神が封印を解いて復活したけど、主人公たちに倒されておしまい、という単純な話に過ぎないわけだ」

リバT『その辺の設定が細かそうなのは9ですね』

アスト「何しろ、主人公が神に仕える天使だからな。9の世界の主神はグランゼニスと言われ、創造神であり破壊神の側面も持つ。人の心が善良なら祝福を与え、悪意に満ちたなら失敗作と断じて滅ぼそうと考えていたらしい。天空シリーズマスタードラゴンをもっと苛烈にしたようなキャラ付けとも言えるが、その娘である女神セレシアが地上の人間を擁護して、世界樹に身を変えて大地を祝福するよう願ったので、世界樹に仕える天使を創造し、地上の人間の暮らしを見守る役目を与えて数千年……という神話らしい」

ダイアンナ「らしい、と言うことは、はっきり分かってないのか?」

アスト「この辺は、本編終了後の配信クエストでやり込みプレイヤーのみが断片的に知ることができる情報らしいからな。現在は配信も為されていないし、さらにドラクエ10の世界に受け継がれている要素も多くて、オレなんかじゃ、まだ全貌を把握できないんだ。とにかく、9と10では、天空シリーズの設定をさらに膨らませた神話観が構築されているみたいなんだが、同時に多元世界の要素が加わって、どこまでのストーリーがつながっているのか分かりにくくなった。
「大雑把に言えるのは、主神ゼニスと、それに仕える大地の精霊なり、世界樹なりが絡んで、ギリシャ、キリスト、北欧のハイブリッドな神話観があって、そこに敵対する魔族の神、あるいは大魔王がいて、たまに竜が絡んできて、自身が神さまになったりならなかったり、最近はドラクエ3ラーミア神鳥レティスと呼ばれたりしながら、多元世界の壁を突破して各作品世界をクロスオーバーさせたり、いろいろ混ざり合いつつも、ドラクエ10で神を名乗るラスボスがどんどん増えていく最中だな」

ダイアンナ「つまり、作品世界によって、神話観がブレているということか」

アスト「ドラクエ世界でも、神を僭称する輩がやたらと増えているのが今だからな。おおよその共通要素はあっても、作品タイトルが変われば、細部はいろいろと変わってくるし、全ては追いきれない。10ではバージョンアップごとに神を名乗るボスが生まれているし、11の裏ボスである邪神ニズゼルファはメカニックなボディーを持った闇の神で、いわゆるファンタジーを超越した存在と言える。最近の作品は、神話体系を読み解くのも難しそうだし、そもそもオレは表ボスの魔王ウルノーガ&邪竜ウルナーガのコンビしか倒していない。一応、11の光サイドの創造神は聖竜と呼ばれ、その聖竜の遠い子孫がドラクエ3のマザードラゴンらしいことが示唆されて、シリーズがリンクしているらしいが、オレ自身がプレイした話じゃないからな」

ダイアンナ「まあ、ややこしい形而上学はそれぐらいにして、本題であるパラディンの話に戻らないか?」

アスト「パラディンと一口に言っても、6や7と、9以降は違うキャラ性を持っている」

ダイアンナ「と言うと?」

アスト「6や7のパラディンは僧侶+武闘家をマスターすると、転職できる素早さ重視の職業。だけど、9以降は防御に長けた重騎士の方向で、11の仲間キャラ、グレイグもパラディンに相当するキャラとしてデータ設定されているんだ。それと、9以降は僧侶であることが必須ではなく、信仰キャラというイメージもなくなった。総じて軽装備の神官戦士と、重装備のパラディンというイメージが強くなっているな」

ダイアンナ「それだけ?」

アスト「まあ、それだけだが。習得できる特技とか、いろいろ語ってもいいが、とにかくパラディンは味方をかばったり、回復魔法を使える頼りがいのあるキャラということで、グレイグ曰く『勇者の盾』という立ち位置だ。そして、バトルマスターと組み合わせると、ゴッドハンドと呼ばれる物理系最強職になれるのがドラクエ7の仕様」

ダイアンナ「ゴッドハンドか。それだけで必殺技って感じの職業名だな」

アスト「ストーリー面ではいろいろと不平を言ったけど、ゲームとしてのやり込み要素では、豊富な職業を極めることを楽しめるという点で、ドラクエ7は楽しくもあると言えるだろうな。ストーリーを味わうのと、ゲームのバトルを楽しむのは別とも考えられるし」

ダイアンナ「最後にフォローして終わりか」

アスト「7のことを悪く言ったまま終わったのでは、後で特訓させられそうだからな」

(当記事 完)