ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

ドラクエの主人公の話

@勇者と魔王の歴史

 

 

アスト「ドラクエと言えば、『勇者VS魔王』という構図をファンタジー界に定着させたゲームとして名高いわけだが」

 

ダイアンナ「主人公が勇者で、敵のボスが魔物たちの王で魔王という構図だな」

 

アスト「勇者という単語が出てくるのはドラクエ1からだが、魔王はドラクエ3の魔王バラモスが初出。さらに、その黒幕として大魔王ゾーマがラスボスとして君臨している。それをモチーフに、魔王ハドラーと黒幕の大魔王バーンが存在するのが『ダイの大冒険』の構図だな」

 

リバT『ドラクエ1では竜王、2では大神官ハーゴンと破壊神シドーがラスボスでした。その後、4では地獄の帝王エスタークと、魔族の王デスピサロ。5では魔界の王ミルドラース。6では魔王ムドーと大魔王デスタムーアと、魔王の系譜が受け継がれていますね』

 

アスト「7では魔王オルゴ・デミーラ。8は暗黒神ラプソーン。9は堕天使エルギオス。11は魔王ウルノーガと邪竜ウルナーガ、そして邪神ニズゼルファがそれぞれラスボスと言えるな。裏ボスなんかは割愛」

 

ダイアンナ「11は竜と邪神と魔王か。つまり、1、2、3のボスへのオマージュということだな。ところで10は?」

 

アスト「プレイしていないものは知らねえよ」

 

リバT『ネットで調べると、ver1では冥王(冥獣王)ネルゲルというそうですね。その後、シナリオの追加配信ごとにいろいろなボスキャラがいるようですが、調べた範囲では……』

 

アスト「おっと、ネタバレはしない方がいいんじゃないか」

 

リバT『そうですね。では、記事の最後におまけとして付けておきましょう』

 

アスト「他には、ドラクエヒーローズの闇竜シャムダとか、ヒーローズ2の魔王ザラームとか、作品ごとにいろいろなラスボス枠がいるが、総じて竜、神、そして魔王という称号が付けられているな」

 

ダイアンナ「9の堕天使というのが珍しいか」

 

アスト「9は主人公からして、人間に転生した元・見習い天使という設定だからな。天使の世界では、上位の者に逆らうことができないという理があるので、悪堕ちして人間世界を滅ぼそうとした元・最高位天使には抵抗できないために、主人公は天使である自分を捨てて人間の立場で挑むことになる。なお、エルギオスが闇堕ちした原因の一つに、暗黒皇帝ガナサダイという『魔の力で世界征服を企む悪の人間』というドラクエでは割と珍しい設定があったりするんだがな」

 

リバT『9は創造神グランゼニスと、その娘の女神セレシアが天使たちの背景にあって、一説によると、その未来が10の物語とのことですが、そう考えると壮大な神話体系があると推察されます』

 

アスト「ただ、それらの背景設定が配信クエストとか、宝の地図に基づく断片的な情報で示唆されているだけだったので、あまり全貌が知られていないようだな」

 

ダイアンナ「まあ、分からない部分は置いておいて、分かる部分の話をしたらいいだろう。ラスボスとか、魔王の話もいいが、主人公勇者の話を今回は希望する」

 

@勇者じゃなくなった主人公


アスト「さて、4までのドラクエ主人公は勇者、あるいは勇者の子孫という設定だったが、5以降はいろいろと変化球を投げている。5の主人公は勇者の父親であり、勇者の血筋は妻を経て息子に受け継がれた設定だ。また、6と7は転職によって勇者になるシステムであり、特に7の場合は王族とも関係ない漁師(その出自は伝説の海賊王の子)という設定だ」

ダイアンナ「海賊=海の勇者と考えることはできないのか?」

アスト「大地の精霊ルビスに祝福されたロトの勇者、天空の勇者に続いて海の勇者という構想もあったのかもしれないが、7では勇者とは別に海賊という職業があるからな。物語に従うなら、主人公は船乗りと盗賊を経由して海賊に転職するのが筋だと思うし、6と違って主人公だから勇者になりやすいということもない」

ダイアンナ「それでも、精霊の祝福を受けているんだろう?」

アスト「まあな。ドラクエ7は、それまでのシリーズよりも地水火風の4精霊という要素が明確化され、その点もファイナルファンタジーを意識しすぎ、と言われたものだ」

リバT『FFシリーズは、地水火風の4つのクリスタルが世界の中心にあるという設定を提示していましたからね』

アスト「もちろん、ドラクエ7が出た時点で、FFはもはやクリスタルの設定を捨てて、その先を模索していたんだがな。ドラクエの方が後追い的にFFの遺産を拾っていたように思われていたわけだ、2000年代初頭は」

ダイアンナ「だけど、8で盛り返したとアストは考えるんだろう?」

アスト「ドラクエ8は、実写化志向のFF進化に対して、アニメ化という形で違うビジュアルの王道RPGスタイルを提示。そして、主人公が『竜の力を受け継いだ勇者であり、敵の呪いを受けつけないという神秘性』を描いてみせた。物語としては、正に勇者復活の王道であり、呪いで馬に変えられた姫を助ける方法を求めて、各地を旅する冒険譚なわけだ」

リバT『ただし、ストーリーの引きが、「邪神復活のために封印を施した七賢者の子孫を殺して回る、悪役のドルマゲスを追いかける」という流れに縛られちゃっているのが問題ですね』

アスト「自由に世界を探検して、いろいろ発見して欲しい、という作り手の思惑に反して、ストーリーの強制力が強すぎると思うんだな。急がないと人が次々と殺される、と思えば、のんびり世界を探検するというゲーム性に感情移入できないわけで。
「これが似たような流れのFF5だと『急がないとクリスタルがどんどん壊されていく』という引きなんだけど、それは第一世界だけの話で、第二世界に入ると急かされることなく、未知の世界を自由に探検する感覚が鮮明になる。また、誰かを追いかけるストーリーだとドラクエ3『父親の痕跡を追う』とか、ドラクエ4『勇者が導かれし仲間の痕跡を追う』とか要するに追いかける対象がポジティブなんだ。FF5でも壊されたクリスタルのかけらから新しいジョブが得られるので、それも追いかけるモチベーションになる。一方で、ドラクエ8のメインストーリーである殺人鬼追跡には、ポジティブなモチベーションが得られにくい。自分から好き好んで追いかけたいのではなく、追いかけないといけないと強制されてしまう物語構造なんだな」

ダイアンナ「基本的にドラクエって、街から街へ冒険を重ねるストーリーだけど、そのためのモチベーションをどこに置くかが問題だな」

アスト「1は簡単だ。竜王が世界を闇に包もうとして、王女さまも誘拐した。だから、王女を助けて、悪の竜王を倒せ。そのために戦って強くなり、各地の街で情報を集めて、王女の行方や竜王の島へ渡る手段を探せ』という物語」

ダイアンナ「2は?」

アスト「『悪の大神官ハーゴンが、ムーンブルクを滅ぼし、邪神を復活させようと動き出した。ローレシア王子は、盟友のサマルトリア王子と合流して、行方不明のムーンブルク王女を見つけ出し、世界中を旅して、ハーゴンの居城のあるロンダルキアへの旅を成し遂げ、邪神復活を阻止せよ』という感じか。3は、そこに父親探しの要素も絡んでくるけど、基本は世界を旅して、ボス敵バラモスの居場所を探す形だ」

リバT『仲間探しと、アイテム探しと、倒すべきボスの拠点探しの3つがポイントのようですね』

アスト「それこそがクエスト(探求)ってことだからな。後は、王女とか敵に捕まった一般人とかを助けるというのもあるし、訪れた街で誰かの依頼を引き受けたり、巻き込まれた事件を解決したり、道中を彩る物語を堪能するわけだ。そして、4から7にかけては、重要なポイントとして『世界を救う勇者探し』『主人公の出自探し』という要素が加わる」

ダイアンナ「4は自分が勇者じゃないのか?」

アスト「勇者の物語を始める前に、勇者の仲間たちの物語が描かれるからな。少なくとも、商人のトルネコ以外は、各人の物語のラストで『勇者を探すための旅に出る』形で締めくくられる。トルネコだけは、『世界一の商人になるという夢』のために旅立つんだが」

ダイアンナ「勇者以外が主人公のドラクエって、4が初だったわけだな」

アスト「もちろん、仲間たちの物語を経て始まる勇者の物語では、勇者視点で仲間と合流する流れになるんだが、それと同時に勇者の出自である天空城や、それまでに名前が挙がった仇敵デスピサロ探しが加わる。物語の進展につれて、探すものが段階的に変化していくわけだな。そして、勇者探しと自分探しのテーマが7までずっと形を変え、品を変え、継承されていくわけだ」

ダイアンナ「でも、8は自分が勇者だから、勇者探しにはならないのか。自分探しの方は?」

アスト「これは、ボスのラプソーンを倒した後の隠しダンジョンで示されるんだが、結果的におまけストーリーということになるな。8では、自分ではなく、世界そのものが探求対象という形だけど、ストーリーの大筋は『七賢者の末裔を殺して回るドルマゲスを追いかけているうちに、邪神復活の機運を感じた主人公と仲間が、それぞれの因縁から邪神を倒す』というシンプルなもの。そう、大筋において、ドルマゲス追跡の挙句、七賢者の末裔が皆殺しになって、仕方なく後始末のために復活した邪神を倒すだけの話なんだな。演出は進化したが、ストーリー構造は単純化した。勇者たる主人公と、ヒロインのミーティア王女のロマンスももう少し描かれてもいいと思ったんだが、その辺は割と淡白だったと記憶する」

リバT『それでも最後は、主人公と王女の結婚式なんですよね』

アスト「取って付けたように、バカ王子のチャゴスから奪う形のエンディングイベントになるんだな。で、エンディング後の隠しダンジョンをクリア時に、主人公の出自がチャゴスの従兄弟(サザンビーク国王の失踪した兄の忘れ形見)であることが分かる。母親が竜神族の娘という点では、王家と神族のハイブリッドという形だけど、そういう設定は本編での物語にはほとんど関係しない。本編ではむしろ第三者として、仲間のゼシカククールのドラマを見る脇役じみた立ち位置に収まっている印象が強い。ドラクエでは、主人公がプレイヤー自身という位置付けでドラマが演出されているが、演出が強化された8ではむしろ仲間たちの方にドラマの焦点が当たっているわけだな」

ダイアンナ「勇者としての主人公は復活したけど、ドラマの中心は勇者ではなく、仲間たちの方だった、と」

アスト「主人公の目的は、呪いをかけられた主君のトロデ王とミーティア姫を助けて、亡国を復興させるため。そのために呪いを掛けたドルマゲスと、その背後にいるラプソーンを成敗すること。そこには一本の筋が通っているけど、最初から最後まで変化のないまま一つの目的で続くわけだ。一方、ゼシカドルマゲスに殺された兄の仇を、ククールは育ての親の敵討ちと野心家の兄マルチェロとの関係がドラマの中心となり、七賢者に関わるのは彼ら二人となる。
「言わば、自身ではなく、他人のために労をとるお人好し主人公の物語であるため、劇中で感情を発露するのもアクションを取るのも仲間たち。ドラクエ特有の『主人公は寡黙であり、受け身で、そのリアクションはプレイヤーに委ねられている』という演出のために、主人公は勝手に動くわけにいかず、アニメ風の演出が強化された分、かえって主人公の動かしにくさ、ドラマシーンでの脇役っぽさが目立ったとも言える。これはドラクエのナンバリングの構造上の問題と言えるな」

リバT『ドラクエ8はアニメ絵の形で、FF7以降のビジュアルで魅せるRPGを提示したのですが、その結果、映画みたいに主人公も積極的に動き、話し、自己主張するFFと、主人公はプレイヤー自身であるから能動的に動かさないドラクエのストーリーの違いが見えたってことですね』

アスト「それを克服するために、主人公も積極的に会話し、アクションするようにした作品がドラクエヒーローズであり、主人公の代わりに相方が代弁し、主人公の行動を促すように演出したのがモンスターズであり、主人公は単に依頼を聞くだけの寡黙な職人に徹したのがビルダーズであり、ナンバリング以外の外伝作品でも各自のスタイルを模索しているが、ナンバリングでその問題をきちんと解決した例が11かな、と」

ダイアンナ「9や10は?」

アスト「それらは8からの正当進化と言えないので、後回し。8の路線を発展させたのは11だとオレは主張するから。11は最初から主人公が勇者であるという定義が為されるが、同時に『勇者は悪である』と序盤で王さまにレッテルを貼られ、罪人のように追われるという既存のドラクエのアンチテーゼな物語が提示される。つまり、主人公は勇者だけど、世界から敵対されて、自分が何かを追うのでなく追われるという形だな。田舎の故郷から王都に出たら、いきなり牢屋に捕まって、相棒のカミュと共に脱出したはいいが、故郷は滅ぼされ、自分は逃避行を余儀なくされる。その中で勇者とは何か? 勇者を弾圧する王国から逃げつつ、その背景にある理由をいろいろ探り、その中で仲間と出会い、自分の出生の秘密や敵の正体が次第に分かってくる。
「あえてFF的に言うなら、4とか6のような『悪の帝国と戦う少数のレジスタンスの物語』となって、とりわけ、敵の義理堅い将軍が寝返って味方になったり、仲間の少女が自己犠牲的に命を落としたり、ドラマが極まって世界崩壊したり、そこからの再興劇で盛り上がったりなど、似たようなシチュエーションを感じつつも、タイミング的には20年以上も前の物語だから、後追い、パクリというよりは時効となった定番物語の流用、再利用といった方がいいだろうな。言わば、90年代の物語を2015年にリサイクルしたんだから、斬新とまでは言わないが、古い酒を新しい器で飲む的な作品? 実際、ドラクエ11は序盤こそ新鮮に見えるけど、物語が展開するにつれて、懐かしさが込み上げてくる作品となっていて、そういう昔話っぽさがドラクエの魅力なんだと思う」

ダイアンナ「7はFFの真似をしたと酷評しながら、11はそれを許容している。それって、ダブルスタンダードじゃないか?」

アスト「タイミング次第だと思うぞ。5年から10年以内の物語で、似たようなことをすれば、ああ、真似しだな、パクリだな、と思われても仕方ない。とりわけ、日本のRPGの先達と言われたドラクエが、後続のFFに準じたことを仕出かせば、ドラクエFFどっちがいいか論争に火を付けることは間違いない。90年代からゼロ年代初頭は、それぞれの作品のファンがそれぞれの良さをネット上で大いに主張しながら、仲良くケンカしていた時代だったんだ。だからこそ、各シリーズの良さや特徴、欠点を分析する論調もあって、大いに首肯できたものだ」

ダイアンナ「なるほど、5年から10年だと記憶に新しいから、真似をすると露骨に分かるわけか」

アスト「真似をした結果、さらに面白くなったのなら、発展進化の系譜に位置づけられるんだけど、劣化コピーに思われてしまったのではなあ。そして、ドラクエ7の失点の直後で、ドラクエエニックスとFFのスクウェアが合併して、FFとドラクエの両方の資産を使えるとなったら、果たしてどうなったか、というのがゼロ年代の半ばから10年代の流れだな」

ダイアンナ「どうなったんだ?」

アスト「FFはさらなる未来を求めて迷走しながら、開発がどんどん遅れるようになっている。12以降のFFは、それ以前のFFとは明らかに違うシリーズだし(作り手が変わったのだから当たり前だが)、『FFらしさとは、変化すること。最新のビジュアルと映画みたいなストーリー』という定義にはかなっているからいいんじゃないか? それが自分の好みであるかは別問題だし。若者向けのビジュアル系な方向性だと言われたら、納得できそうだ。
「一方で、ドラクエは伝統的な昔話というのが基本なんだな。若者に古臭いと言われようが、その古臭い昔話を現代(80年代)に復活させたのがドラクエであり、変に最先端を追いかけてノスタルジーを失ってしまえばドラクエじゃないんだよ。90年代からゼロ年代ドラクエはFFを意識するあまり、自身のスタンスを見失っていく流れだったけど、10年代から今になって『90年代の昔話』をリバイバルさせる流れで、かつての少年や若者を懐かしがらせているのはいいことじゃないかな」

ダイアンナ「ドラクエおっさんホイホイで、FFは若者向けのビジュアル系か。見事に住み分けができてる感じだな」

アスト「まあ、FFも90年代とゼロ年代以降は別物だしな。PS以前の90年代FFの良さを継承したシリーズは、『ブレイブリーデフォルト』とかで、要するにFFの遺伝子を持った子どもみたいなものか。今、目の前にあるのと似たようなものを作るのは真似し(パクリとは言わない。今は同じ会社だから)と言えようが、90年代のものを10年代に復刻させるのは真似しとは言わない。
「もちろん、真似した結果がつまらない駄作になったというのなら、批判されるべきと言えようが、批判するためには『自己の批判スタンスを明確にする』ことが求められるし(それが不明瞭だと、ただの感情論、難癖でしかない)、オレは『自分が昔、好きだった酒の味を、新しい器に入れて今風に売り出してくれるなら大歓迎』ってスタンスだからな。そして、その味が今の若者にも受け入れられることを願うわけだが、同時に若者が自分たちの好きを追求するのも自由だし、そうでないといけないと思う」


@ドラクエの方向性とFFの関係


アスト「で、オレ個人はドラクエ懐古主義者だと思うが、それじゃあダメだ、ドラクエは進化しなければ、という急進派と、ドラクエは古臭い老害作品であると主張する反ドラクエとは対立する立場となるわけだな」

ダイアンナ「ドラクエ老害作品なのか?」

アスト「それなら、FFだって老害だし、ポケモンだって、遊戯王だって、あと5年ぐらいすれば老害認定されかねないが、ドラクエの場合は『3至上主義者』と『5派』が論陣を張っている印象があって、老害認定されたのはファミコン世代らしいんだな。で、3は『88年当時で最高峰のRPGで(一部のパソコンRPGマニアの批判はあったにせよ)、後の日本のRPG界に大きな影響を与えたゲーム』という歴史的評価は変わらず、当時の人間にとってはファーストインパクトみたいなものだったが、当然、古いゲームなので『今の若者にとっては、時代遅れでつまらない』となるのも分かる話だ」

リバT『歴史的意義と、今の時流に適うのは別の話ですからね』

アスト「だけど、時代遅れだからと言って、歴史的評価まで否定するのも愚かしいけどな。まあ、シリーズが長く続けば、伝統と革新のせめぎ合いが起こるのも分かるし、逆張り的なアンチ勢が発生するのも分かるし、匿名まとめ掲示板はそういう発言のレスバトルや過激な暴言を切り取って、扇情的なタイトルに仕立て上げる傾向があるのも納得だ。で、たまに、そういう場所のコンセンサスが世の中の一般論と思い込む輩とか、一部の過激な論調を妙に気にして反論したい勢とか、いろいろな感情を生み出す元になる。まあ、この手の論争は、ガンダムファンの中でもよく見たが、今年はドラクエ35周年ということもあって話題を見かけることも多く、逆張りアンチ発言も増えたような感じだ」

ダイアンナ「ダイ大効果もあるのかもしれんな」

アスト「で、NOVAなんかは50歳の誕生日を迎えたせいか、『老害』という言葉に過敏に反応して、『老害にならないためには、どう心掛ければいいのか?』を考えているらしいぜ」

ダイアンナ「『害ある老人』とは、『上から目線で、若者に接する反面、若者に負担を負わせ、古臭い伝統しか認めず、新しい価値観を頭ごなしに否定して、世間の価値観から相容れなくなった存在』ということでいいのかな」

アスト「最近では、オリンピック関連で、女性蔑視だとかで役職を辞めさせられた元総理というのが話題になったが、『1964年のオリンピックにこだわりを持って、その素晴らしさよ再び』的なノリもあったんだな。まあ、57年も前の話だから、そこにこだわりがある世代って、もう60歳以上なんだろうけど、それでも日本がそれで元気になるのなら歓迎って風潮はあって、それが新型コロナのせいで吹っ飛んで、さあ、今年はどうなるのか? というのが現状だな」

ダイアンナ「ドラクエとオリンピックは、年季が全然違うだろう?」

アスト「平成生まれにとっては、どっちもどっちだろう? そこにこだわるのは全部老人認定するような、想像力の欠如した人間が少なからずいるのも間違いない。まあ、この場合、自分の知らないものを探究するのではなく、受け入れずに否定する思考スタイルだから、それが何十年か経てば自分が老害認定されてしまう『将来の老害予備軍』で、自分の発言がしっぺ返しをくらうことになるのは目に見えているわけだが」

ダイアンナ「そんな人間だらけになってしまえば、将来が心配だな」

アスト「そういう愚かしいことを言うのは、一部のマイノリティであることを願うぜ。ともかく、ドラクエは最初からウィザードリィウルティマの影響を受けて、若年層向けに構築し直した換骨奪胎RPGだったから、必ずしも斬新さを武器にしたわけじゃない。一方で、FFはコンピューターRPGよりも、むしろTRPG的な世界観(具体的にはD&D)を元に、よりマニアックなゲームに仕立て上げた経緯があって、後からドラクエが国外ではなく国内のFFの要素を取り込んだり、21世紀のTRPGがFFの世界観を再現できるように進化したり、『究極のファンタジー』の名に違わない頂点に達したのも、90年代からゼロ年代になるのかな」

ダイアンナ「10年代は?」

アスト「ドラクエの方がフットワークが軽く、FFの方が動きが鈍いように感じるな。まあ、これは両者の目指す方向が『最先端を目指すFF』と『幅広い浸透を目指すドラクエ』というのがあって、一時期はドラクエが後追いになったと思われたが、その反面、ドラクエは派生作の方で幅広く種を蒔いてきたわけで、これはナンバリングだけを追っていたのでは分からない傾向だ。つまり、FFは最先端を目指すブランドで、ドラクエは流行をポンポン乗り継ぐ手軽さ、分かり易さを旨とする。マニアックなFFと大衆化ブランドのドラクエと言ってもいいかな」

ダイアンナ「よく意味が分からんのだが?」

アスト「例えば、世の中でポケモンが流行ってるな、となれば、その流行を追うようにモンスターズを生み出す。無双系のアクションゲームがウケているとなれば、ヒーローズを生み出す。マインクラフトが流行れば、ビルダーズを送り出す。要するに、ナンバリングではできないことを手軽に派生作で行うフットワークの軽さがゼロ年代から10年代のドラクエなんだな。流行の最先端では決してないが、誰かが開拓した道を大手を振って歩き、初心者向きの王道として浸透させるのがドラクエシリーズの道と言える」

ダイアンナ「それってズルくないか?」

アスト「でも、世の中の王さまってそういうものだろう? 自分から先陣を切る大将もいるかもしれないが、誰かが開拓した場所に、悠然と部隊を派遣してジャンルを定着させるのが役割であって、ドラクエブランドというのは先鋭的なFFに比べても、安定感を重視したブランドじゃないかなあ。安定感のドラクエと、ビジュアル最先端のFF。ただ、FFはドラクエほど多角的な動きが取りづらいように見えるのが、この10年だ。最先端を進もうとして、尖り過ぎて広がらないというか、それなのに動きが鈍く感じられるのは、往年の勢いを知る者にとってはFFらしさを削がれているようにも思える。試しにFFのナンバリング史を並べてみるか」


●1987:FF1(FC)
●1988:FF2(FC)
●1990:FF3(FC)
●1991:FF4(SFC
●1992:FF5SFC
●1994:FF6SFC
●1997:FF7(PS)
●1999:FF8(PS)
●2000:FF9(PS)
●2001:FF10PS2
●2002:FF11(オンライン、PS2Windows
●2003:FF10ー2(PS2
●2006:FF12PS2
●2009:FF13PS3
●2010:旧FF14(オンライン、Windows
●2011:FF13ー2(PS3
●2013:新FF14(オンライン、PS3Windows、後にPS4、5、MacOS
   ライトニングリターンズFF13の完結編、PS3およびXbox360
●2016:FF15PS4Xbox One


アスト「念のため、最近作は昨年の春に出たPS4FF7リメイク版だが、今後はPS5が主流になると言われている」

ダイアンナ「同じナンバリングでも、続編のー2とかを入れると、2、3年に1作のペースは維持できているようだな。まあ、PS4以降は開発に時間が掛かるようになっているようだが」

アスト「こう並べると、それほど遅れているわけでもなさそうだな。昔みたいに毎年シリーズ新作が出ていた時代の感覚で考えると、まずいのだと思う。スマホゲームやオンラインゲームで定期的に細かく稼ぎ、そして数年に一本の大作ソフトで大きく稼ぐビジネススタイルが今の時流なんだろうし。それと今のFFの開発が遅れがちという印象は、FF7のリメイク版の製作発表が2015年に行われてから、発売まで5年かかったということが大きいかも」

ダイアンナ「とは言え、FF15の次がまだ出ていないということは、今のナンバリングの発売ペースは5年に1本ほどと考えてもいいのかもな」

アスト「何にせよ、オレはFF13以降のシリーズを追いかけていないし、最も愛着のあるのがジョブチェンジシステムの5という世代だから、現在のFFの動向をあれこれ批判する資格もないんだがな。そもそも、ドラクエとFFを2大RPGのライバルとして語る考え方も、10年以上前の硬着した老害センスであって、今の時代にそういう比較論は無意味なのかもしれないな」

ダイアンナ「どういうことだ?」

アスト「かつてのライバルではあったが、今は共に同じ会社の作品で、対象ファンの住み分けも行われているのではないか。仮にFFの武器が最先端のグラフィックとするなら、ライバルはモンハンとかバイオハザードなどになるのかもしれんし、ドラクエのライバルもそれこそポケモンとかアニメ調にデフォルメされたライト層や若者向け作品かもしれん。古い時代の枠組みで、両者を比較して語ることに意味があるのか、と今さら思った次第だ」

ダイアンナ「ここまで語っての結論がそれかよ」

アスト「いろいろ語るために、あれこれ調べ直して、整理して初めて気づくことだってあるんだよ。自分で語ってみて、自分の思考の偏りに気づける程度には、オレの頭もまだまだ柔軟だってことさ。老害で硬直した頭の人間は語るだけ語っても、自分の認知の歪みにも気づかないまま、何の発見も得られないわけで、若者であっても、そういうタイプの人間は時たま見かけられると思うな」

ダイアンナ「で、いつの間にか、ドラクエからFFの話になったみたいだがドラクエ9や10の話はどうなったんだ? 8からの正当進化じゃないから後回しと言っていたようだが」

アスト「じゃあ、9や10の話をして、当記事完を目指すか」


@新しい主人公観


アスト「まず、ドラクエ9の世界には、勇者がいない」

ダイアンナ「何だと? 主人公は勇者じゃないのか?」

アスト「主人公は人界に降りた天使で、4の勇者の母親とかルーシアみたいな天空人に近いキャラ性を持っているが、劇中で勇者という呼称は登場しない。また、3や6、7のようにダーマ神殿で転職するシステムになってはいるが、転職できる職業の中にも勇者はない。ということで、数多いドラクエナンバリングの中で、唯一、勇者と全く縁のない異色作ということになる」

ダイアンナ「う~む、勇者のいないドラクエかあ。じゃあ、どういう話なんだ?」

アスト「田舎の村の守護天使の主人公が、人々を守る役割を果たしていたところ、天界の神に捧げる『女神の果実』が事故によって、地上にばらまかれてしまい、その超パワーで各地で事件が勃発。そこで主人公が『女神の果実』集めの旅に奔走するんだが、その途上で師匠の天使が天界に反逆するような行動をとっていたり、『女神の果実』の力を悪用して世界征服を企む魔帝国ガナンの野望を知ったりする中で、人と天使の間の哀しい関わり方を目の当たりにすることとなる。
「ただ、まあ、そういうメインストーリーよりも、クリア後の地図探しやDSの通信機能によるマルチプレイヤー遊びに夢中になったプレイヤーが多くて、携帯機ならではの方向性を探った実験作という趣きが強い」

ダイアンナ「複数プレイヤーによるドラクエか」

アスト「ある意味、オンラインゲームのドラクエ10に向けた準備編みたいなところのある作品だな。ともあれ、最終的に天使から人間に転生する主人公の物語であって、この転生という概念が10にも受け継がれる。10では最初、人間だった主人公が故郷の村ごと冥王に壊滅させられ、異種族に転生するところから始まるらしい。やがて、覚醒前の勇者姫と知り合いになって、勇者の介添役『導きの盟友』として偽の魔勇者を倒したり、幻の世界の謎を解いたり、自分の人間の姿を取り戻したり、いろいろあって冥王を倒すところまでがVer1の内容みたいだ。
「結局、10では勇者の介添え役というのが主人公の立ち位置だけど、その後、勇者以上に波乱万丈の冒険生活を送ることになるようだ。まあ、マルチプレイヤーのゲームでは、プレイヤー=勇者という特別扱いはできないのだろうな、と察する」

ダイアンナ「9には勇者はいなくて、その代わりに元・守護天使が人間の世界を守る。10には勇者がいるけど、勇者の介添をする導かれし者が主人公。ある意味、ドラクエ4の延長にある作品世界に思えるな」

アスト「で、その後、大魔王と戦ったり、竜の神と戦ったり、時を操る神と戦ったり、いろいろな話がおよそ2年ごとにバージョンアップして展開しているらしい。最新のエピソードだと、魔族の世界で自分が魔族の姿になって活動するような話らしいし」

ダイアンナ「それって、どこかの『魔神ハンター』の物語っぽくはないだろうか?」

アスト「ああ、蛮族の姿になった人族が蛮族の地下都市で冒険を行なっているという……」

ダイアンナ「偶然にせよ、似たような時期に似たような冒険をしているようで、タイムリーなところが面白いな」

アスト「別に狙っているわけではないにせよ、つながりを感じると興味が出てくる感じだ」

(当記事 完)


PS.ドラクエ10の各Verごとのラスボスの名前を下に挙げておきます。ネタバレを気にしない人のみ、どうぞ(by リバT)













★ネタバレ:ドラクエ10バージョン2以降ののラスボスリスト

Ver2:大魔王マデサゴーラ→創造神マデサゴーラ
Ver3:邪竜神ナドラガ
Ver4:時元神キュロノス