ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

モンクの話

@修道士の道

 

 

アスト「今回は忍者から派生して、モンクの話だ」

 

リバT『モンクとは修道僧と訳されますが、元来の意味はキリスト教修道院で、世俗を離れて戒律に基づいた隠遁生活を営む人たちを表します。ただ、ゲームの世界では、少林寺などの仏僧、香港映画などからイメージされた中国武術や空手などの格闘技で戦う武闘家、拳法使いを融合させた職業で、忍者や侍と同様の東洋風職業の代表と言えますね』

 

ダイアンナ「西洋本来の修道士は、D&Dではクレリックに統合された感じだな。本来、宗教者が戦闘職というのは考え難いが、冒険活動を行うクレリックには修道騎士、本来の意味での西洋風ウォリアーモンクの属性が付与され、鎧を身に付け、刃の付かない武器に制約されながらも前線で戦える職業として設定された」

 

アスト「ファンタジー世界の神官職は、回復・防護系の呪文の専門家という役割が第一義で、ただそれだけだと受け身的、ゲームバランスとしては面白くないだろうという判断から、戦士に比べると控えめながら一応の武器戦闘力を与えられた形だ」

 

リバT『その後、D&Dでは本来のキリスト教聖職者のイメージを越えて、もっと汎用的な多神教世界を網羅するようになり、戦神の神官は戦士並みの武装をできるようになった一方で、知識神の神官は武器戦闘よりも情報収集系の技能に長けるなど、多彩な聖職者イメージが表現できるように、ゲームが進化していったわけですね』

 

アスト「D&Dでは、アドバンストの第2版から、従来のキリスト教的世界観に基づくクレリックと、もっと広い意味での聖職者一般を表すプリーストに用語が分かれ、プリーストの中にクレリックドルイド、その他の多神教系神格の神官が自由に構築できるよう、ルールが設けられたんだ」

 

ダイアンナ『第2版ってことは89年からだな。それ以前は多神教を表現できなかったのか?』

 

アスト「多神教を表現するには、その世界における神さまを設定しないといけないだろう? D&Dは80年代半ばまでは背景世界を固定するのに熱心ではなくて『何となく西洋ファンタジーっぽい雰囲気のD&D世界』で回しているうちに、まず発表されたのがD&D原作者のゲイリーさんがイメージして、後に小説を書くために設定を固めたグレイホーク世界。その後、ドラゴンランスのクリンや、クラシックD&Dのミスタラ、そして現D&Dの定番であるフォーゴトン・レルムなどが83年から85年ぐらいに次々と発表されて、多様な神さまのいるファンタジー世界を表現するための追加ルールも後付けで提示された末の第2版だ」

 

リバT『オリジナルな神話体系を持つ、オリジナルなファンタジー世界の構築が80年代のTRPGの一つのムーブメントだったんですね。詳細な背景設定を持つグローランサ世界で人気を博したTRPGルーンクエスト」の影響も大きくて、単にモンスターを倒してキャラを成長させるだけのゲームから、世界を構築することが楽しい遊びに進化していって、世界構築のための資料としてのサプリメントが出版される流れです。80年代は、ファンレベルで物語の世界観について考えるようになった黎明期と言えるかもしれません』

 

アスト「アメリカではスターウォーズ、日本ではガンダムのSFジャンルからの影響も大きいだろうがな。ともあれ、ファンタジー世界でも、多神教設定が当たり前になったのが80年代の流れで、ただ日本では西洋ファンタジーの受容期にややこしい宗教問題を忌避する都合から、多神教設定を前面には出さず、分かりやすい光の神と闇の神の二元論から始まって、神話をもっと掘り下げるようになったのは90年代からって感じだな。ロードスやソード・ワールドRPGフォーセリア6大神が明確になったのも80年代末だし、そこから世紀末のオカルトブームとか、コンピューターRPGの浸透とか、湾岸戦争とか、宗教について真面目に考える雰囲気が高まったとも言える」

 

ダイアンナ「さっきから西洋の多神教世界が日本のゲーム界に受容され、確立される話をしているが、モンクは東洋風で別の背景を持つんだよな。そろそろ話を戻すべきだと思うんだが」

 

アスト「そうだな。だったら、次はオリエンタルな話に移ろう」

 

@東洋の宗教


アスト「プリーストは多神教と言っても、崇拝する神格がいて、そこから奇跡や神聖魔法を授かって行使するキャラであることには変わりない。まあ、ドルイドの場合は、自然そのものを祭る原始宗教、シャーマニズムの方向性になるので、D&D的には別格として扱われるわけだが、東洋風の宗教はまた別物扱いだ」

リバT『仏教系は、神さまを崇めるのではなくて、自ら仏になるための修行が本義ですからね。その過程として、仏らしい慈悲を会得するための人への奉仕、自然との調和、自己研鑽、破邪の誓いなど、行動そのものは西洋宗教と通じるものもありますが、ゲーム的には「神を信仰して奇跡を授かるのか、自己の鍛錬によって内面のパワーを会得するのか」という違いがあります』

ダイアンナ「つまり、西洋は自分の外に神さまを求め、東洋は自分の内にある仏の力を呼び覚ますってことか?」

アスト「もちろん、同じ東洋でも日本の八百万の神道系や、中国の仙術関連の道教系はまた違った信仰観なんだが、神道は和風プリーストあるいはシャーマン系で、仙術の方は修行によって仙人を目指すという意味では仏教に近い方向性ってことだな」

リバT『西洋のキリスト教的世界観では、人は絶対に神さまにはなれず、どんなに修練しても神に仕える聖人止まり。一方で東洋だと仏という超越者になることを目指すわけですから、ゲーム的にはイモータル(神)になれる方向を採用した時点で、D&Dも東洋の信仰観を採用したことになります』

ダイアンナ「人が英雄になり、その先に神話的存在になることが、ゲーム世界では指向されていく流れだな。もちろん、簡単になれるわけでは当然ないんだが、神というものの定義が『世界を創造し、そこに住まう人間その他の生命を創造し、時に見守り守護し、時に試練を与えて成長を促し、世界の外で大いなる力を振るい得る存在』と定義したなら、ゲーム世界の神がGMであり、物語世界の神は作者であり……というメタ構造も成立するんだな」

アスト「だから話が余計にややこしくなるんだが、それゆえに深みがあって面白いという考え方もある。世界の多重構造や、多元世界という概念が浸透したり、並行世界とか、二次創作が一般化したのは90年代からだと思うんだが、おかげで神という言葉が安くなったのが現在だと。ゲームの世界では、ラスボスが邪神とか破壊神だというのは当たり前で、神さまをやっつけて人類の世界の平和を守ろうとか、神さまがしゃしゃり出て来たら人間社会では迷惑なので引っ込んでおいて下さいって結末になるのが昨今の風潮だな」

リバT『すごい力は欲しいけど、神さまみたいに人の生き方を縛るのは勘弁して欲しい。人の自由までは奪うな、と叫びながら、自分が暴走せずに制御できる程度の力を身に付けて、平和に生きたい、ささやかな願いだけ叶えられたら満足で、過ぎたるは及ばざるが如し、というのが現状でしょうか』

アスト「で、東洋の宗教になると、娑婆世界(この世)は仏道修行の場だから、精神と肉体の調和とか、自己の『気』を外界と通じ合わせて、己心の小宇宙(我)と全宇宙(梵)を一致させる境涯を目指すとかの教義になったりするわけだ」

ダイアンナ「小宇宙か。まるで聖闘士だな」

アスト「そう。聖闘士星矢ギリシャ神話に基づきながらも、キリスト教的要素と、仏教的要素を最初から融合させた世界観なんだな。女神(アテナ)は神さまだけど人の身に転生したわけで、小宇宙を燃やせば、手強い神さまさえ倒せるほどの力を会得できるのは、仏教的な世界観でもある。仏教は、神仏習合的な考えで、仏を守護する諸天善神、護法神的な言い方をして、仏道修行する人の心が神さえも動かすと主張するわけで、人が神を倒す、あるいは改心させるという今風の物語には都合がいいわけだな」

リバT『もちろん、たかが人間ごときが神を凌駕するなどとは、何たる傲慢。そこまでのぼせ上がるとは、おこがましいわ。愚か者には天罰をもって戒めねばならぬようだな、と神サイドの敵キャラのセリフもセットですね』

アスト「人が読む物語だから、人を縛るだけの神は対立相手なんだな。まあ、神に帰依する宗教物語の方向性もあるんだが、エンタメ読者は神の操り人形の話を読みたいわけじゃないから、理不尽な神や権威権力に反抗する主人公に、少年的シンパシーを感じるわけで」

ダイアンナ「でも、敵が強大であれば、それに対抗するだけの力が必要だな」

アスト「主人公側が敵の力を備えた裏切り者というのが一つの定番で、もう一つの定番は敵勢力に対抗する勢力が主人公をスカウトするとかだな。逆に、敵の方が組織を裏切って、邪悪な禁断の力を会得して暴走したケースも考えられるし、どういう対立軸で物語を構築するかがバトル物の基本だが、宗教系の場合は、守るものと戦うべき敵が明確になりやすいので、話を作りやすいというメリットがある」

ダイアンナ「仏教の敵って何だ?」

アスト「そりゃあ、地獄とか、餓鬼とか、畜生とか、修羅とか、三悪道、四悪趣ってのは明確に定義されているみたいだが、悪魔って言葉も元々は仏教用語で、今度のリバイスも悪魔の力で悪魔を制すって設定なんだが、ではあの世界の本来の悪魔の敵である神とか、それに類する対魔キャラは存在するのかって気にはなるな。全ての悪魔は人類の敵ですと宣言するようなライバルキャラが出る可能性も示唆しておこう」

リバT『名護さんみたいなキャラですね。悪魔がいる世界観なら、天使とか神の使徒が出ても不思議ではありません』

ダイアンナ「神の力で悪魔はみんな粉砕だぜ、ヒャッハーって叫んで、それって本当に神なのか? と視聴者のツッコミを呼びそうなキャラを希望する。うん、傲慢な神キャラってのは面白そうだな。自分が遭遇したいとは思わないが」

リバT『クイーンは吸血鬼属性ですからね。問答無用で退治されてしまいそうです』

アスト「東洋だと、仏教系の対魔僧と、神道系の宮司や巫女と、道教系の陰陽師と、日本では大きく三系統かな。あとは妖怪そのものの力を駆使する召喚系の術師もいて、オリエンタルファンタジーも突きつめるといろいろだが、さすがにD&Dではそこまで網羅していないと思われる。そういうのがやりたければ、和製のRPGがいろいろあるので、そちらを学ぶべきだな」


リバT『時代劇とか、現代対魔ものとか、平安時代とか、一口に和風ジャパネスクと言っても、ジャンルはいろいろですね』

アスト「D&Dは、あくまで西洋ファンタジーに東洋風の拳法家キャラとしてモンクを採用したルールであって、本当の意味で東洋を追求したいのなら、そういう背景を持つ専用ゲームをプレイした方がいいってことだ。鬼になったり、妖怪になったりできるゲームもいろいろあるしな」


@D&Dのモンク


アスト「さて、D&Dにおけるモンクの扱いだが、どちらかと言えば異色な職業であるにも関わらず、その歴史は長く、オリジナルD&D時代の75年、2つめのサプリメント『ブラックムーア』において暗殺者アサシンといっしょに採用されたのが最初だ。つまり、基本ルールで戦士、魔法使い、僧侶(クレリック)が、第1サプリメントの『グレイホーク』で盗賊とパラディンが採用された次だから、レンジャーやドルイド、吟遊詩人よりも歴史は長いということになる」

ダイアンナ「忍者や侍よりも早いわけか。やるな、モンク」

アスト「その後、AD&D1版の基本職になって、またクラシックD&Dの黒箱マスタールールでも、ミスティックという名前で似たような能力のキャラが採用されている。それについては、この記事で紹介されているので、興味があれば参照したらいいだろう」

ダイアンナ「なるほど。その記事内でダディーが昔、こういうことを書いていたわけだが……」

>「AD&Dのモンクを語るついでに扱おう」と考えていたのですが、それがいつになることやら

アスト「よもや、3年近く経つとは思わなかったわけだな」

リバT『それに実のところ、AD&Dのモンクについては、手持ちの資料的に語れないんですね。と言うのも、AD&Dの第2版においては、アサシン、ハーフオークと共にモンクは基本ルールから抹消されてしまったのです。よって、日本語で読めるルールでは、モンクは第3版に復刻した際に、初めてお披露目になったわけですよ。モンク不遇の時代は長かった』

ダイアンナ「どうして、2版でモンクは採用されなかったんだ?」

アスト「さあ。アサシンやハーフオークは邪悪なイメージがあるから、きれいなD&Dのイメージ向上を目指したらしい2版からは抹消されたそうだが、モンクについては理由不明だ。東洋の聖職者を採用することで、キリスト教関係者がクレームを付けたんだろうか? とにかく、モンクは伝統的な職であるにも関わらず、21世紀になるまで日本語版D&Dでは扱われない幻の職業だったんだ」

リバT『先にファイナルファンタジーや、ドラゴンクエストの武闘家、それに対戦格闘ゲームなどで格闘家系のキャラが大きく取り上げられることになったんですね』

アスト「ダイ大のマァムも、僧侶戦士から武闘家に転職したからな。まあ僧侶と言っても、回復呪文が使える以外の宗教っぽさは一切見られないんだが」

ダイアンナ「アバンの使徒とか言って、まるでアバン先生が神さま、聖人みたいな扱いをされたりしているからな。竜の神さまは語られても、人の神というのがどういうものか、その辺の信仰観は一切不明というか」

アスト「90年代頭は、フィクションでも宗教の話題をすることは奇異な感覚だったようだ。せいぜい、ドラゴンボールぐらいか。フィクションで神話云々を堂々と語れるようになったのは、聖闘士星矢、それに、もしかするとエヴァンゲリオン効果かもしれない。オウム事件で宗教に無知だと危ないという風潮が一般になり、一部のマニアはオカルト面での理論武装を始めたらしいし、世紀末は神と悪魔ってテーマが盛り上がって、その時代の風潮が今また戻って来たという感覚もある」

ダイアンナ「でも、モンクと神さまは関係ないんだろう?」

アスト「神さまは関係ないが、北斗神拳というつなげ方はできるぞ。それに、AD&D第2版でも、『ファイターハンドブック』というサプリメントに、マーシャルアーツを使う素手戦闘の専門家(武道家)が示唆されているし、未訳の『プリーストハンドブック』にはファイティングモンクというキット(職業オプション)があったそうだが、それでもモンクの本格的な時代は3版を待つか、他のゲームをするしかなかったわけだ」

ダイアンナ「他のゲーム?」

アスト「『ガープス・マーシャルアーツ』とか格闘家キャラをプレイできるゲームは、いろいろあるんだよ。最近では、こういうのもある」



リバT『90年代よりも、21世紀の方がプレイできるゲームの選択肢は増えていますからね』

アスト「大体、ソード・ワールドでも武闘家キャラのグラップラーが出来るわけだからな。無理にD&Dでモンクを選ばなくても、格闘アクションはいろいろ楽しめるわけだ」

ダイアンナ「って、そんなことを言ってしまうと、この記事の意味がなくなってしまうではないか」

アスト「おっと、こいつは失言だ。それにしても、3版でモンクの時代キターって喜んでいたら、4版になって基本職から抹消されて、短い夢だったなあ、とがっかりしたり」

リバT『一応、プレイヤーズハンドブックIIIに登場してるんですけどね』

アスト「だから、3冊めなんてハードル高すぎだろう。ドルイドがPHBIIに採用で、基本ルールから抹消されたって嘆く者もいたぐらいなのに」

リバT『4版のモンクは、こちらのページを参照』

https://hobbyjapan.co.jp/dd_old/news/phb3_4th/index2.html

https://hobbyjapan.co.jp/dd_old/news/4th_psp/index4.html


アスト「4版は、各職業がパワーの源を何に置いているかがルールで定められていて、例えばファイターやローグは武勇のパワー、魔法使いは秘術のパワー、クレリックパラディンは信仰のパワーとなっている。ここで大事なのは、ドルイドやモンクは信仰のパワーじゃなくて、宗教としては別格であることがルールとして明確という点だ」

ダイアンナ「信仰のパワーってのは、神さまに祈って奇跡の力を授かるということだな。ドルイドやモンクのパワーの源は、神さまじゃないので信仰とは見なされていない、と。だったら、何なんだ?」

アスト「ドルイドは、バーバリアンと同じ原始のパワー。つまり、野生とか自然そのものを源とするわけで、D&D4版的には、自然崇拝は神さまを祀っているわけじゃないから、別物だという認識になる」

ダイアンナ「ルールデザイナーの信仰認識が表れているようで面白いな」

アスト「そして、モンクの場合は、サイオニックのパワーということになる。彼らは『気』の力を使うというのはD&Dの伝統なんだが、4版においては、『気』とサイオニック(心的超能力)は本質的に同じパワー源という解釈だ。これは3版や5版とも違う解釈で、4版では仏僧というのは超能力の修行をしているというイメージになっている」

リバT『でも、コミック版のゲッターロボ號やアークに登場したメシア・タイールは、超能力を持った修行僧キャラですから、一部のフィクションでは仏教と超能力は通じるものと見なされても不思議はないか、と』

アスト「レインボーマンとか、オウム真理教とか、ドクターストレンジとか、仏教系の修行と、オカルト超能力を絡めているフィクションや教団もあったりするし、戦隊でもマスクマンとかダイレンジャーは気力という超能力系のトレーニングを武術と組み合わせていたりするし、東洋のよく分からん修行のイメージを超能力や武術と組み合わせて神秘っぽいものとして描く西洋人の感覚が、4版には濃厚に表れているように思える」

リバT『まあ、仏教に比較的馴染みのある日本人は、90年以降、エジプト方面にオカルト超能力のイメージを求めるようになったみたいですね。ピラミッドパワー然り、遊戯王然り、ジョジョのスタンド然り』

アスト「ああ、その辺はオーレンジャーの超力だなあ」

リバT『その時期、インド系の超能力者は、仏教よりもむしろヨガの秘法とか言って、火を吐いたり、手足を伸ばしたりしていましたが』

アスト「ヨガ(正式にはヨーガ)は古代インドの呼吸法、精神修養の座禅法などを組み合わせた修行で、仏教の釈尊も採用したわけだが、別に仏教独自の手法ではなく、インドではバラモン教から発展したヒンドゥー教でも広く取り入れられ、一方、日本には仏典での研鑽が中心で、ヨーガを取り入れたのは主に禅宗など限られた宗派のみ。その後、仏教とは関係なくインドで独自の発展を遂げたのが現代ヨーガとして受け伝えられたりしていて、一部の超能力イメージの源泉として扱われたりしているわけだ」

ダイアンナ「つまり、仏教とヨーガは起源を一つにして、決して無関係ではないが、それぞれが独自の発展を遂げて、現代では関連性が薄いということか」

アスト「もちろん、いろいろ取り混ぜて、独自の組み合わせで新しい修行法に再構成している教団もあって、その一つがオウムだったという話なんだが、本来の仏教は別に超能力の獲得を目指しているものでもなく、そういうオカルト系のものはあくまでフィクションであり、ファンタジーであると考えるのが現在の世間一般の常識ということになるな。そして、仮にフィクションやファンタジーであっても、そういう文化の研究をするのが楽しいと考える趣味人と、そういうオカルトを真面目に信じているオカルティストに分かれて、ゲームと現実、魔術や信仰と現実の区別をどう付けるかで、人それぞれの差があるわけだ」

ダイアンナ「ともあれ、D&Dの中でも4版だけは、モンクの精神修養で習得する『気』の力をサイオニクスと規定し、東洋の仏教をオカルト的な超能力と解釈したわけだな」

アスト「そして、モンクの宗派は『心的エネルギーの充実を目指す凝息心央派』と『武術の鍛錬を一義とする練拳比石派』に二分され、さらに追加ルールとして『武器に気の力を注ぎ込んで強化する心鉄鍛魂派』といったスタイルが採用。また、いろいろな伝説の道が提示されて、上級職のヴァリエーションもいろいろだ」

リバT『基本だけで、ドラゴンの力、ゴーストの力、堅忍な山の力、光の拳の力が用意され、追加ルールではさらに、影の力、魂剣の力、虎爪拳の力、蛇の呪縛の力、肉体解脱の力、風の力といった感じに、様々なモンクの成長パターンが示されているんですね』

アスト「そして、中でも影の力を習得した上級職アンシーンハンド(無影凶手)が、忍者風モンクの道というわけだ」

ダイアンナ「一口にモンクと言っても、精神重視と肉体重視で変わってくるし、どんな拳や獣の力を宿すか、いかなる悟りを目指すかで、多彩な成長の道が用意されている、と」

アスト「まあ、4版のモンク関連は、ルールを持っていないため、細かいデータは分からないから、公式サイトにある概要を紹介しただけだが、次は3版や5版のD&D定番のモンクを見て行きたいと思う」

(当記事 完)