ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

モンクの話2

@中国拳法と東洋文化の話

 

 

アスト「今回はD&Dのモンクの話の第2弾だ」

 

ダイアンナ「モンクと言えば、東洋武術をイメージした武闘家キャラで、神さまを中心にした西洋宗教とは異なる東洋哲学を体現したクラスということだな」

 

リバT『聞くところによりますと、アメリカの70年代には香港映画のブームがあって中国拳法に注目が当たり、80年代にはその流行を受け継ぐように忍者ブームがあって、70年代に各地で設立された中国拳法道場が忍者道場に看板を変えられたケースも多かったとか』

 

アスト「その前の60年代には東宝の黒澤映画や怪獣映画が多く輸出された縁で、サムライやゴジラなんかが流行した時期もあったみたいだがな」

 

ダイアンナ「日本は戦争で負けた後の復興期、そして高度経済成長期に、改めて欧米文化の影響を強く受けるようになっていたが、アメリカの方も逆に日本や中国の影響を受けるようになっていたんだな」

 

アスト「文化交流というのは一方向ではなくて、当時の日本が幕末明治期と同様、アメリカ文化を見習うべき先進国として吸収したように、アメリカ人もまた極東政策やベトナム戦争などの背景から、東洋研究を積極的に進めていった経緯がある。と言うか、日本人は戦争する際に、相手の文化や思想を研究することを忌避する傾向があって、敵のことを知らずに作戦を立てがちなのに対し、アメリカ人は合理的というか、相手のことを徹底的に研究して戦略を立てるみたいだな。孫子によるところの『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』を、太平洋戦争でアメリカは実践し、日本は実践できなかったことになる」

 

リバT『ただ、現在のアメリカはどうでしょうか? 日本は太平洋戦争で敗れたことで、アメリカの当時の戦略を分析して、自国の稚拙な戦略を反省する反面、変にアメリカを美化する傾向がありましたが、70年代のベトナム戦争、90年代の湾岸戦争、そして現在のコロナ戦争において、アメリカがそこまで賢明な国には見えないという意見もあります。いえ、自由の女神の化身である私めが批判するのは筋違いだと心得ておりますが』

 

ダイアンナ「国のトップが決める戦略面と、他国の文化思想を研究して判断材料にする合理性は別物だと考えるけどな。政治と文化の異なる傾向をごっちゃにして話すのは本質を見失うことになりかねん。ここで重要なのは、物事を判断する上で、好き嫌いの感情論で敵味方の優劣や作品評価を短絡的に決めてしまうのは個人の感想文であっても、分析にはなっていないということだな」

 

アスト「我らに勇気さえあれば、敵がいかなる策を講じようと恐るるに足りず……と言ってしまうのは、猪突猛進なだけだしな。まあ、主人公側の勇気はしばしば不可能を可能にするが」

 

リバT『ここで大切なのは、その物語の世界で「勇気という感情」がどうして力に変わるか、という合理的説明ですね。「勇気が魔法を生み出すマジレンジャーの物語」とか、「勇気という感情を力に変えるGストーンというデバイスが存在するガオガイガーの物語」とか、「臆病者が勇気を出したときに、それまでの修行や才能が具体的な知恵や技能を開花させて、状況打開の鍵になるダイ大のポップ」とか、勇気はあくまでキーワードに過ぎず、その勇気がどういう段階を踏んで勝利の鍵につながって行くかの理論的説明がはっきりしていることです。つまり、勇気は一種の起爆装置であり、それ以外の仕掛けを踏まえていなければ、爆発は起こらないわけで』

 

ダイアンナ「ああ、そういう納得できる仕掛けの構築がストーリーテラーの真骨頂ということだな。そこを分析せずに『勇気と言ってるだけで安易に奇跡が起こる』ようにしか読み取れていないと、そういう書き手の紡ぐ話はつまらない、と」

 

アスト「勇気……モンクの『気』に通じるパワーソースの一種だな。そもそも、『気』って何なんだ?」

 

リバT『人間の身体と大宇宙の力を通じ合わせる呼吸法……と言ったところでしょうか』

 

@「気」と東洋思想の話


アスト「そもそも、漢字の『気』という文字は、いろいろな概念を含んだ幅広い言葉なんだよな。気分や気持ちといった人間の精神、感情を表現して、元気や気合いといった精神パワーがそのまま肉体パワーに転化されるし、気象や天気、空気といった外界、環境的な言葉にも通じるし、気が合うという形で人間関係にも影響する。言わば、心と体、自己と人間社会、もっと広い世界までが『気』という概念でつながっているのが東洋哲学の基本的理念なんだ」

リバT『その概念を、独自の用語に変えたのが聖闘士の小宇宙(コスモ)であり、ジョジョの波紋であり、他にもオーラパワー、プレッシャー、プラーナ、フォースなど、精神力が物理的効果に転換されるサイキック系の用語はフィクション界でいろいろありますね』

アスト「西洋哲学では、心と体は別々の物として切り分けるのが主流で、時には心と魂と体の3つの概念で分けたり、心が霊的に神に通じる清浄なもので、一方の肉体は不浄なもの。魂が肉体に引きずられて汚れないように心の理性で制御することが神の御許へ行く道だとか、そういう考え方が中世のキリスト教哲学だったのが、ルネサンスを機に肉体の美しさも芸術だと見直す流れもあって、それでも心と体の対立概念はずっと尾を引いたわけだな」

ダイアンナ「体が不浄のものだと、生身の肉体を捨てて、機械の体になって魂だけ移し替えたら、神に近づけるという理屈にもなるな」

アスト「そういうSF作品もあるな。真のユートピアは電脳世界にあるという思想もあって、それに対して、『いや、生身の肉体だって神から与えられた大事なものだから、蔑ろにするのは反対だ』という肉体擁護派から自然擁護派に移って、『人間が不幸なのは、自然を破壊したから。頭でっかちな自分を反省して、もっと自分の生身や生命を大切にして、それと同様に自然を感じながら生きていくのが理想じゃないか』という現代エコ思想の一種につながるんだが、理性偏重から野生偏重でドルイ道に流れ込んでいるブームもあるみたいだ」

リバT『心と体の対立関係、理性と本能の対立関係、文明と自然の対立関係で、西洋哲学は大きく構成されているわけですね。昔から割と二元対立的だった、と』

アスト「一方で、東洋だと、そこに『気』という媒介概念を差し込むことで、心と体は一つ、理性と本能は中庸が望ましく、陰陽のバランス関係、交合こそが理想で、単純な二項対立ではなく、二項の調和こそが理想という哲学だ」

ダイアンナ「現在の中国はそういう国には見えないんだが?」

アスト「現在中国は、物理偏重の社会主義の権化だからな。従来の思想哲学を体現した政治とはとても言えない。むしろ、そういう伝統を切り捨てて、悪しき中華思想覇権主義、100年遅れたインペリアリズム(帝国主義)を露骨に示していると思しいが、実のところ東洋思想のうち、拳法で有名な少林拳太極拳は反権力に通じる背景があるわけだ」

ダイアンナ「どういうことだ?」

アスト「一口に中国拳法と言っても、仏教系と道教系の二流派があって、日本に入って来る時に混ざってしまった面も大きいが、少林拳は仏教で、太極拳道教少林寺禅宗の寺で、太極拳陰陽道に通じる流れ。宗教的には別の流派だが、日本は宗教文化に関して混ぜこぜして受容する傾向があった上、真言密教道教の要素を積極的に取り入れたから、中国拳法の細かい流派分けなど一般人はあまり気にしないな」

ダイアンナ「仏教と道教は何が違うんだ?」

アスト「道教は中国古来の神仙術で、殷周伝説封神演義の時代にはすでにあったものだ。一方、仏教はインドから伝わったもので、とりわけ唐代には道教と共に仏教文化が大いに栄えたわけだな。西遊記の世界では、孫悟空は先に神仙の修行をして、その後、天界を荒らし回ったので、困り果てた天帝(神さま)が悟空を何とかして欲しいと西方天竺のお釈迦さまに助けを求める話だ。この説話では、道教の天帝じゃ悟空を抑えることができず、仏さまの力でやっと悟空を封じることができたわけで、仏教優生思想の賜物と言える」

ダイアンナ「中国原産が道教で、インドから伝わってきたのが仏教。その両方が日本に伝わってきて、日本古来の神道と、陰陽師に通じる道教と、お寺の仏教になるわけか」

アスト「神道は神社で神主や巫女。仏教は寺院で僧侶や尼。それに対して道教は体系的な教えとして日本に輸入されたものではなく、拠点となる建物の建立も、道士という職種も一般的ではない。ただ、中国では孫悟空こと斉天大聖も道教の武術の神だし、三国志の武将・関羽道教の商売神・関帝として祀られている」

ダイアンナ「何で、武将の関羽が商業神なんだ?」

アスト「性格的に義理堅いからとか、関羽の出身地である山西省が中国の交易・金融業を司る商人として栄えたからという理由づけが様々あるらしいが、道教は中国人の民間宗教として今なお栄えている。ただ、中国本土は国策として宗教を厳しく取り締まっているので祭礼儀式などは廃れて、それが残っているのは台湾やシンガポールなどらしいがな。道教の宗教施設は、道観、廟祠などと呼ばれ、他に有名な神仙では哪吒(なたく)、竜王、玄武、七夕の織姫、七福神の福禄寿など」

ダイアンナ「織姫が神なら彦星はどうなんだ?」

アスト「織姫は天帝の娘で仙女なんだな。一方で、彦星は牽牛、つまり牛飼いの人間。七夕の話では俗に、織姫と彦星が自分の仕事をサボったために神さまに罰せられたとあるが、厳密には天界と人界の身分違いの恋ゆえに禁じられたわけだ。織姫は天女であり、羽衣伝説にも通じるものがあるが、日本の七夕伝説では身分違いという本人たちの責任でない要素は割愛されたらしい」

リバT『彦星さんも、ただの牛飼いじゃなくて、仙道の修行をして天界に昇れるようになったら、織姫さんと結ばれたかもしれませんのにね』

アスト「ところで、異世界物語で、いろいろ想像をたぎらせてくれるゼンカイジャーだが、オリヒメワルドとヒコボシワルドって出たんだよな。すると、オリヒメトピアとヒコボシトピアという異世界があって、それって織姫ばかりがいる世界とか、彦星ばかりがいる世界ってことなのか?」

ダイアンナ「そんなのあたしが知るか」

リバT『牛飼いだったら、その後でトウギュウワルドが登場して、みんなが牛になったりしていましたね』

アスト「あの現象を解明すれば、オレが馬になる原理が分かるかもしれないと思ったりもしたが、考えてみれば、ワルド怪人は世界そのものを改変してしまうからな。ウマ娘の世界をトジルギアに封印してウマ娘ワルドを作れば、みんなが簡単にウマ娘になるわけだ。しかし、それだと世界に与える影響や被害が大きすぎて、うかつにこの世界で使うわけにはいかん」

ダイアンナ「ゼンカイジャーの世界って、世界そのものがトジテンドの侵攻に柔軟に改変する性質を持っている気がするな。簡単に封じ込めることができないみたいで、代わりに簡単に異世界に融合してしまう性質を持った独自ワールドのような気がした」

アスト「正にゼンカイトピアって特殊な異世界って感じだな。中の住人が全てゼンカイ脳で暮らしているとか」

リバT『ゼンカイトピアには、ゼンカイ「気」という媒介概念が遍在しているので、あらゆる異世界と一つに融合して、ゼンカイチックに交合調和してしまえるとか?』

ダイアンナ「ゼンカイトピアの謎か。東洋思想について考えているうちにゼンカイ「気」という新しい概念に到達してしまったんだが、一体これは何なんだ?」

アスト「そんなのオレが知るか。大方、誰かさんのワクチンの妄想副作用の気が流れ込んだのかもしれないが、とにかく中国拳法には、大きく仏教系と道教系の2種類があるって話だ。まあ、D&Dのモンクはそういう違いを意識せずに、東洋の神秘の一言でキャラ付けしている感じだな。ここから、ようやくゲームとしてのデータ面の分析に入る」


@5版のモンク


アスト「さて、モンクのHPはD8で決まる」

ダイアンナ「確か、D&Dでは職業クラスによってHPの決定ダイスが違うんだったな。戦士系D10、僧侶系D8、盗賊系D6、魔術師系D4だったと思うが」

リバT『クラシックD&Dでは、戦士とドワーフがD8、僧侶とエルフとハーフリングがD6、盗賊と魔術師がD4でしたが、AD&Dから続く現D&Dでは魔術師以外のHPが1ランク上昇した形です』

アスト「ということで、モンクの打たれ強さは僧侶並みということだが、AC(アーマークラス)が大きく違っていて、通常の僧侶(クレリック)は中層鎧と盾を装備できてAC17まで高められるのに対し、モンクは鎧も盾も装備できない」

ダイアンナ「すると、標準状態のAC10ってことか」

アスト「敏捷と判断の能力値ボーナスを+2ずつ加えて、AC14までは上げられるんだけどな。結果として、AC3差と考えれば、敵からダメージを受ける確率が15%差ということになる」

ダイアンナ「いまいちピンと来ないな。もう少し具体的に説明してくれないか」

アスト「では、ここに一体のゴブリンがいたとしよう。通常のゴブリンは攻撃ボーナス+4なので、AC17のクレリックに命中させるには20面ダイスで13以上を出さないといけない。つまり命中率40%だ。しかし、AC14のモンクに対してはダイス目10以上でOKなので、命中率55%になる。よって鎧に身を固めたクレリックよりもモンクの方がダメージを受ける確率が高いわけだ」

ダイアンナ「そのACを上げることはできないのか?」

アスト「3版のルールでは、レベルの上昇によってACが自然に高まるんだが、5版では敏捷力や判断力の能力値の向上によってしか伸ばせないようだな」

リバT『能力値ボーナスは、能力値が2点増えると高まります。そして3版の時は4レベルごとに能力値を1点増やせましたが、5版だと2点増やせるので、能力値向上の効率は5版の方が上となります。よって、敏捷力や判断力の能力値を集中して向上させれば、4レベルごとにACを1点ずつ高められることになりますね』

アスト「すると3版と5版は最終的にどっちがACを高くできるんだ?」

ダイアンナ「ルールが分かれば、あたしが計算しよう。5版は能力値を最大レベル20までに5回上昇させられるみたいだから、ACが+5まで上がって最終的にはAC19か。3版だと能力値ボーナスが2回か3回増えたとして、最大レベル20でACの自然上昇は何点になるんだ?」

リバT『自然上昇は4点ですね』

ダイアンナ「だったら、同じ条件だと能力値ボーナスが+2以上で、自然上昇+4だから合計AC20以上になる。結論、5版になってモンクはAC的に弱くなった」

アスト「まあ、そうなるな。5版になるとパラディンも馬を召喚できなくなるし、何だか3版と比べて弱体化した印象が目立つな」

リバT『5版の方が良いこともあるんです』

ダイアンナ「何だ?」

リバT『「気」による技のレパートリーが増えました。5版のモンクは、以前に紹介した忍者と同様、気ポイントを消費することで自分の武芸をパワーアップさせることが可能です。例えば、レベル2で使える技「護身」を使えば、1ラウンドの間、回避力を高めて、相手の命中を不利にさせることができます』

ダイアンナ「すると、どうなるんだ?」

リバT『攻撃が不利になると、相手は2回ダイスを振って低い出目を採用しなければなりません。先程のゴブリン戦で55%だった命中がさらに半減して約30%になります。気ポイントは戦闘が終わった後の小休憩で回復しますので、レベル2のモンクは1回の戦闘ごとに2ラウンドだけ「護身」を使って、回避能力を高めることが可能。まあ、他の技に使っても構わないのですが、気ポイントもレベルに応じて増えますので、高レベルになると身を守りつつ、攻撃技を繰り出すことも可能になりますね』

ダイアンナ「他に、どんな技があるんだ?」

リバT『レベル2で使えるのは「連打」と「疾風速」です。「連打」は自分の攻撃を行った後、さらに2回の素手打撃を加えることができます』

アスト「付け加えると、モンクの素手攻撃は最初こそダガー並みのD4ダメージだが、レベルアップによって最大D10まで高まる。最初から2回攻撃も可能だし、連続攻撃回数においては他の職業を圧倒するわけだ」

ダイアンナ「普通に2回攻撃が可能で、気ポイントを使えば2回攻撃が追加で、レベル2の時点で4回攻撃か」

リバT『いいえ。厳密には通常の追加攻撃1回分と、気の「連打」による追加攻撃2回分は、どちらもボーナスアクションになるので、どちらかを選ばないといけないようです。結果的に、通常で2回、「連打」で3回、さらにレベル5で「追加攻撃」を手に入れて4回といったところですね』

ダイアンナ「『疾風足』の方は?」

リバT『跳躍距離が2倍になって、即座に相手から離脱することができます。つまり、ヒット&ランで、殴ってから即、間合いを取ったり、味方の背後に逃れたり、敵の前衛を突破して後衛に飛びかかったりが可能』

ダイアンナ「ああ、それは何だか忍者っぽいな」

アスト「華麗な連続攻撃や、俊敏さを活かした奇襲攻撃で、敵陣をかく乱するのが5版モンクの仕事っぽいな。前線で壁になるのではなく、戦士が壁になってくれている間を巧みに突破して、後衛に飛び込むのが役割と見た」

リバT『しかも、レベル2モンクは「運足法」という技を習得して、移動距離が増えていきますので、戦場を縦横無尽に駆け回ることが求められます』

ダイアンナ「日本のゲームでは、モンクと言うと筋肉質のマッチョな武闘家を連想するけど、D&Dでは少し違うイメージだな」

リバT『確かに向こうのゲームだと、モンクに求められるのは何よりも敏捷力ですね。しかも、5版になると攻撃ボーナスやダメージボーナスが筋力の代わりに、敏捷力で代用できるようになりましたので、モンクになるのに敢えて筋力を上げなくてもいいようになりました』

アスト「3版でのモンクのイメージは、日本だと北斗の拳キン肉マンのようなマッチョ系で、5版のモンクは聖闘士星矢が近いのかもしれない」

ダイアンナ「確かに、聖闘士は小宇宙を燃やせば筋力を凌駕する破壊力が出せるし、パワーよりも素早さを重視した闘法は星矢的だな」

リバT『気ポイントを使えば攻撃回数を増やせるのも、ペガサス流星拳っぽいですしね』

アスト「3版モンクは、ダメージを上げるには筋力も増やさないといけないけど、5版モンクは敏捷力を上げればダメージもACも両方が上げられるので、能力値を一点集中で伸ばすという育成方法が可能と考えれば、3版と違った強化方針で強くなれる、と」

リバT『では、今回はここまでにしておきますか。レベル3になると、3つの門派から1つを選択することで、モンクの育成にヴァリエーションも発生しますので、話がややこしくなりますし』

アスト「5版のモンクのヴァリエーションは、先にこちらの公式ページを読んでおくのもありだろうな」

http://hobbyjapan.co.jp/dd/column/column180208.html

(当記事 完)