ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

最近のD&D動向と、よもやま世界観話

★久々のNOVA参上

 

 

リモートNOVA『やあ、ダイアンナ。それに婿どの、元気だったか?』

 

アスト「婿どのって言うな。まるで昼行灯の同心みたいじゃないか」

 

NOVA『そんなに良いものかよ。とにかく、9月の俺はスパロボ全力全開脳だった』

 

ダイアンナ「この一月、ここの記事書きをしなかった理由がそれか」

 

NOVA『まあな。今、俺が書いてるブログは、ここと、メインの空想妄想タイムと、コンパーニュの3ヶ所あって、可能なら順にローテーションで書いて行きたいと思っているんだが、ソシャゲの期間限定イベントなどにハマると、そっちに時間と神経を持って行かれたりもするからな。ソシャゲに時間を費やす時間のない時の方が、割と計算立てて動けるんだが、比較的時間があって何かにハマり込む余裕ができると、そっちに気が行って他に手が付かないことがたまにある』

 

ダイアンナ「気持ちの切り替えが上手くできないことも時々あるってことだね」

 

NOVA『ブログ記事を書くのも、時間と気力が必要だからな。で、ここは主にD&Dとパグマイアを記事ネタにして、たまにウルトラマンネタも交えたりしているんだが、今、現在、D&D5版の日本語展開が止まりそうな流れになってな。気が気でないんだよ』

 

アスト「ほう。ここでD&Dの話をするようになったのも、確か2017年末に5版の日本語展開が始まって、ルールブックを読んだら懐かしくてノスタルジーを刺激されたからだったな。その5版が展開終了するようなら、その後のことを考えないといけない頃合いというわけだ」

 

NOVA『5版は、本国では2014年にスタートしたんだが、どうやら2024年にマイナーチェンジの5.5版が出るという噂が聞こえてきてな。さらに、現在、日本で翻訳しているホビージャパンとの契約が来年の6月に切れるらしくて、今年に出る予定だったサプリメントも出なくなったとか』

 

アスト「だったら、ホビージャパンが5.5版の契約をすればいいだけの話じゃないか」

 

NOVA 『それが上手く行けば、今まで同様に引き続きD&Dの新作が楽しめそうだが、どうも本国のWotC社のローカル展開で、現地の翻訳会社に代理販売を任せずに、自社が直接乗り出してくる方針で動こうとしているみたいなんだな』

 

ダイアンナ「どういうことなんだい?」

 

NOVA『これは円谷と、タイの海外展開事業所の間で揉めた件だが、要するに作品を海外で売り出す際にどこが出版権を握って、収益などについてどういう扱いにするかでトラブることもあるって話だな。今回は、日本の話ではなくて、他所の国で裁判沙汰が発生したとのことで、本国のWotC社が海外展開の引き締めに入ったらしい。つまり、「現地の代理人が勝手なことをするから信用ならん。だから自分たちでローカル展開の事業所を作る」って噂を聞いた』

 

アスト「だったら、WotC社が日本語版を出してくれるんだな。それはそれでいいじゃないか。別にホビージャパンじゃないとイヤだってことでもないのだろう?」

 

NOVA『いや、WotC社のローカル展開予定に、日本語版は入っていない。彼らはまずヨーロッパ展開を進めてから、アジアのことはその動向を見てから判断するって方針みたいだね。つまり、来年の6月のホビージャパンとの契約終了以降、WotC社が日本語版D&Dを展開してくれるかどうかも見えないんだな。下手をすると、また日本語D&Dの火が消えてしまう可能性だってあるのが現状だ』

 

ダイアンナ「日本語がダメでも、ダディーは英語を読めるんだろう?」

 

NOVA『まあな。時間は掛かるが、その気になれば追っかけることは可能だ。ただ、そこまでD&Dだけに時間を掛けていられないのも事実。まあ、D&Dの本格的マニアは英語サプリの情報も詳しくて、俺は彼らの話を断片的に聞きかじるぐらいだからな。とにかく、5版が本国で出て、日本で翻訳されるのに3年の時差ができたんだ。来年に日本の5版展開が止まってしまい、仮にその後の5.5版の契約に3年待たないといけないならば、再始動は2027年という計算になるな。その間、6年ほどはD&Dの新展開から日本が取り残されるって未来が予想できるわけだ』

 

アスト「6年の空白期間かあ。それはちと長いなあ」

 

NOVA『まあ、俺個人や当ブログは、過去サプリをあさったり、手持ちのデータをネタにしているだけだから、新作が出なくても自分のペースで続けて行けるんだが、ただの懐古か、それとも今の時流に乗っているのかは気になるところってことで』

 

★よもやま懐古ネタ


NOVA『ともあれ、西洋事情がどうこうってのは、D&D関係が幕末から明治初期の世相を感じさせてくれるわけだが』

アスト「大体、コロナ関連で海外の展開もどうなってることやらって感じだぜ」

ダイアンナ「TRPGなんて思いきりダメージを受けてそうだけどね」

NOVA『対面ゲームをするとなると、そうだよな。まあ、オンラインセッションのノウハウも随分と高まってきたんだが、俺個人はオンラインセッションをするよりは、普通にソロプレイのコンピューターゲームをしたらいいって考えだし、実プレイしなくてもルールブックやサプリメントを資料に、研究記事を書いてるだけで楽しめる人間だからな。と言うか、気心の知れていないストーカーにしつこく絡まれているせいで、人に会うことすらわずらわしく感じるようになっているのは問題だ。別に俺は人間嫌いってわけじゃないが、下手に愛想よく振る舞って自分の領域を脅かされるようなことが続くと、うんざりしてしまうって話だ』

アスト「愚痴はよそうぜ。スマイルスマイル」

NOVA『お前はルルイエかよ。ルルイエが希望って意味なら、そのうちルルイエ・プリキュアとか、仮面ライダールルイエが出てきても不思議じゃない』


ダイアンナ「トリガーの話をすれば、自然にクトゥルフ関連につながるのが今の世相だね」

NOVA『ああ、今は正に90年代ブームだと感じていたが、ティガも90年代だし、D&Dの翻訳打ち止めも90年代だし、何もかも懐かしいって思えてくるよなあ。クトゥルフのモンスター本は、第2弾が神さま本だからな。まあ、クトゥルフ系の神さまは異形の邪神めいた存在で、リバイスのギフ様みたいな感じなんだが』

アスト「悪魔信仰ってのも世紀末って感じだな」


NOVA『真・女神転生の新作5も来月発売かあ。このシリーズも第1作が出たのが1992年で、来年が30周年になるらしいし、真の付かない旧約は87年だから、そこから数えると35周年になる』

アスト「世相がいろいろ時を越えてつながって来るってことか?」

NOVA『それを読み解くのが、時空魔術師の仕事って奴だからな。しかしD&D絡みで言えば、今回の記事の主目的はこれだ』

https://www.rpgmp3.com/mystara-players-guide/


アスト「何だ、それは?」

NOVA『クラシックD&Dの背景世界ミスタラを、今のD&D5版でプレイするためのガイドブック(英語)だ。非公式だがファンが作って、無料でダウンロードできる大冊(英文200ページ以上)で、読むだけでも昔懐かしい気分に浸れるわけだよ』

アスト「英語が読めたらな」

NOVA『うわあ、カラメイコス大公国だあ、とか、ブラックイーグル男爵領の悪の魔法使いバーグルかあ、とか、懐かしの名前がいろいろ蘇って来たりして、これを読んでいるだけで、ワクワクしてきた次第。まあ、当然ながら、全部は読む時間もなく、飛ばし読みしてただけなんだが』

ダイアンナ「で、これを読んで、クラシックD&Dの世界での冒険を始めようってことかい?」

NOVA『まさかな。そんな時間も気力もないよ。ただ、懐かしの資料として、読むだけで幸せになれる本って話だ。それにしても、海外のワールドサプリメントって、その世界のカレンダーとか、種族ごとの祭日とか、星座とか、そんなものまで設定されていて、うおー、凝ってるなあって思えてくるよ。当然、年表とかもあるし、有名な敵役リストは指名手配みたいになっていて、懸賞金がデータ化されている。あと、国ごとの犯罪とそれに対する刑罰リストが書かれてあって、魔法の盛んな国だと石化刑とか蛙化刑とかがあって、いかにもファンタジーって感じで面白いわけだ』

アスト「国によって犯罪対象となる行為が異なっていて、刑罰も違うわけか。それはある意味、リアルだな。同じ死刑でも、打首獄門と絞殺刑とか銃殺刑と電気椅子と様々だもんな」

NOVA『郷に入らば郷に従えと言うが、その国で許される行動と禁じ手となる行動があって、それを熟知することでトラブルを避けることも異文化交流では必要だもんな。昔、バルダーズゲートのコンピューターゲームをやっていて感心させられたのは、例えば書物の宝庫であるキャンドルキープでは、書物を傷つけることが何よりも犯罪行為になるし、南の大国アムン(オームー)では資格を持たない者が魔術師魔法を使うだけで犯罪行為になり、それだけで魔法監獄に囚われるというシナリオだった』

ダイアンナ「そいつはイヤな国だねえ」

NOVA『フォーゴトン・レルムのワールドガイドを見ると納得なんだな。アムンは商業国家という知識はあったんだけど、そこまで魔法に厳しい国とは当時、知らなかったので、ワールドガイドの楽しさに各国の面白い法律をチェックするということを知った。この辺は、日本のゲームにはあまりない考え方で、せいぜい宗教国家だから厳密な法による統治が為されている国と、新興国なので自由度が高い国と、犯罪国家で裏社会の論理で動いているのと3パターンぐらいかな。まあ、それぞれ、ローフル、ニュートラル、ケイオティックに対応しているのだろうけど』

アスト「法と正義の国、自由と開拓精神の国、闇と混沌の国って感じか。オレは真ん中がいいなあ。闇が支配する国というのは、かえって自由がなくて圧制で縛られそうだ」

NOVA『大体、闇の国って侵略国家になりやすいだろう? 闇とか魔王とかが支配しているけど、他国を侵略する意図は持ちませんとか、魔王が怠惰で自由と平和を重んじますってノリは、どちらかと言えば、ゼロ年代の後半ぐらいから市民権を得た概念だと思う』

ダイアンナ「何が正義で、何が悪かは作品ごとの価値観にもよるし、ワールドガイドを読むと、多様な価値観を育むことにもなるみたいだな」

NOVA『中学の地理の教科書は一種のワールドガイドなんだけど、法律についてはあまり書いていないんだよな。理由は、国内法についての土台を学ぶのが中学3年生で、法という概念を子どもが理解するのはハイティーンになってから。それに日本の法律って自由と民主主義に基づくもので、歴史で専制とか君主制とかは習うけど、外国の政治制度について掘り下げることはなかなか難しい。異国の一党独裁を批判するような授業は中立性に欠けると言われ、独裁の危険についてはフィクションで学んだケースが多いほどだ』

ダイアンナ「だけど、非常時には独裁による強権発動の方が国体は安定するという話も聞くよね」

NOVA『民主主義はできるだけ多くの意見を聞こうとする余り、手続きが多くなり、いたずらに時間を費やすという欠点があるんだな。民主主義は下手すると、衆愚政治の温床にもなるという話もあるし、話し合いは大切だが、話ばかりして議論が堂々巡りになり、決断できないというのも問題で、この辺の政治学が分かるようになったのは社会に出てからだと思う。昨今はラノベやアニメが法や経済について語ることも多く、主人公が伝統を壊す革命者という設定である以上は、壊される対象である伝統的な法治というものを作者が描き出さなければいけないわけだな。もちろん、現実よりも簡略化されているけど、一時期、セカイ系と言われて社会システムを抜きにした感情重視の世界観が流行していたのに対し、ゼロ年代後半からは社会システムを描いて、それに対する批判者である主人公の革命的活躍を描く作品が主流になって来たと考える』

アスト「リアルになったということか?」

NOVA『ゼロ年代後半の読者や視聴者たち(当時の15〜25歳を想定。現在の30〜40歳に該当)は、物心ついた頃には周りにゲームが普通にあるだろう? ゲームの攻略本を読みながら育ってきた世代だ。そしてゲームの攻略本は一種のワールドガイドにもなっていて、ゲームが世界観を備えているということは肌で感じているんだな。だから、世界観が定かじゃない作品はつまらないと考える。ワールドガイドとか世界観という概念をファンが考え始めた時期は80年代からだと考えるが、当時は新鮮だった物の考え方が、今のラノベ読者にはデフォルトというか、非常にベーシックな一般教養に相当する。学園生活という小世界をリアルに描き、その延長に学園の外の世の中、社会が広がっていて、学生が学園の中で世界を語って学生が革命を起こす物語が10年代の主流となっていく』

アスト「それは、スパロボDDから学んだことか?」

NOVA『そうだな。80年代のレジスタンスって、アフリカとかアラブのイメージなんだよ。太陽の牙ダグラムとか、どこか遠い世界の衣装だったりする。90年代から学園日常ものがラノベの主流になり、学生服を着た少年少女が妖怪退治の退魔士とかになったりしながら、学生生活とバトルの二重生活を行う流れが一般化する。それまでは、80年代にスケバン刑事とか学生忍者的な作品はあったが、あくまで学生が偽装的な形、世を忍ぶ仮の姿だった。90年代は日常生活の比重が上がって、学生である主人公の一面と、バトルをする主人公の一面が物語において等価値になる』

ダイアンナ「どういうことだ?」

アスト「80年代の特命学生刑事は、刑事が本業だから、学園内の事件が解決すれば次の任地に去っていく。つまり任務優先で、学生生活は隠れ蓑でしかない。だけど、90年代は学生である自分の生活を守るために、バトルに励み、バトルが終わったら平和な学生生活に戻るってことかな」

NOVA『古い世界観だったら、冒険家をしている学生って、冒険生活と学生生活が遊離しているんだな。だけど、現実だと冒険家をしている主人公はそれが本職なんだから、学生を続ける理由がないわけだ。80年代以前にそういう主人公が見られたのは、現実日本でティーンエイジャーは学校に行って当然という社会常識があったから、逆にその年齢で学校生活をしていない登場人物こそがおかしい、という話になる。だから、ロボット乗りの兜甲児も、流竜馬も現代日本で戦う主人公はみんな学生設定。もしも学校に行っていない主人公がいるとしたら、20代か、孤児で施設で育ったとか、幼少期から戦士として鍛えられて日常生活から切り離されたか、特殊な設定ということになる』

アスト「または戦火で学校そのものが破壊されて、人々が避難生活を余儀なくされている過酷な世界設定だな」

NOVA『ロボット物はそういう設定にシフトしていったな。だけど、90年代からゼロ年代にかけて、制服というコスチュームのままで戦うJCやJKがデフォルトになって、学生生活とバトルの両立が物語世界観的に図られるようになった』

ダイアンナ「学生生活とバトルの両立? 何だかクラブ活動みたいだね」

NOVA『ボランティア系のクラブが、学園で起こった怪事件を解決するために戦うというのは、現在でも使える設定だな。また、学生が冒険生活をするなら、冒険クラブを設定すればいい。クラブ活動の一環として、事件解決やバトルを行うというのは一つの類型だな』

アスト「元ネタはハルヒかな」

NOVA『ハルヒは2003年だから、元ネタ探しは90年代にすべきだ。すると97年のメガレンジャーのデジタル研究会があって、学生のクラブ活動がバトルに通じるのはその辺からじゃないかと考える。さらに、クラブという小単位ではなく、学園そのものが戦士や特殊な戦闘技能を習得する特殊な環境というケースもある。これは忍者学校とかが80年代にもあって、その路線がエヴァとかにも通じてくる。陽性の物語だと、学園の秘密は生徒たちに公開されていて、頑張って修行したりしているが、陰性の物語だと学園の秘密は非公開で、主人公たちが気付かないうちに何らかの実験材料として集められたり、戦いを強要されたりする』

ダイアンナ「ヒーロー養成校とか、傭兵訓練校とか、冒険学校とか、物語テーマに合わせた学園を設定すれば、学生であることとバトルを両立できるな」

NOVA『そういう路線を完全に定着させたのは、ハリー・ポッターホグワーツ魔法学園かもしれない。原作小説は1997年からで、映画化されたのが2001年。現代魔法使いにして、魔法学園という世界観を語る上で、念頭に置くべき作品と言えよう。21世紀初頭は、異世界ファンタジーの大傑作であるロード・オブ・ザ・リングと、現代魔法ファンタジーの大傑作であるハリー・ポッターが席巻して、その影響が今なお続いていると考えられ』

アスト「ところで、これは一体、何の話だ?」

NOVA『D&Dの懐かしワールドガイドに始まり、世界観の話から、学園という小世界のフィクションにおける発展史につながったわけだが、ここで大事なのは現在のラノベ読者は物心ついた時から、ハルヒとかハリー・ポッターがすでにあり、オンラインゲームに慣れ親しんでいる世代。少なくとも、作品の背景設定については40代から50代の昭和人間が思うよりも当たり前に考えているファン層が多く、情報に関しても貪欲、リアルっぽい世界観と嘘っぽい世界観を見抜く目は肥えていると言っていい。何せ、オンライン小説を読むような層は、当然、オンラインで調べる訓練を日常的な趣味にしていて、その辺で世界設定が下手くそな作品はすぐに分かるわけで、すると鬼滅の刃が流行した理由も世界観から読み解けるわけだ』

アスト「そっちに話が転がるか?」

NOVA『若者の流行を分析することは、アンチエイジングにおいて有効だからな。まず、鬼滅の刃は「大正チャンバラというありそうでなかった世界観」で、明治チャンバラのるろうに剣心の後継者に位置付けられる。剣心は94年スタートだが、2012年の実写映画化から再ブームになって、今なお現役マンガとして展開中らしい。いつの時代も、チャンバラ時代劇は需要があるわけだな』

ダイアンナ「侍の時代劇は古くなっても、刀で戦う剣士はいつの時代でも絵になるもんな」

NOVA『ただし、江戸時代はもう子どもたちには訴求しない。昭和から30年以上も経つと、江戸はノスタルジーしかなくて、あまりに異国すぎる。昭和には江戸時代が、平成には明治時代がつながったように、令和辺りで大正時代、すなわち今から100年前というのが再評価されるのも不思議ではない。大正時代に鬼退治というのは、うまくつなげたなって思う。大正レトロという歴史ジャンルと、鬼退治というバトル定番ジャンルと、妹のために戦う兄というハートフル設定と、魔物化する妹っていうホラー設定が噛み合って、それぞれがいろいろとキャッチーだし、未熟な主人公を鍛える先輩剣士たちという設定も俺強えな主人公が多い近年にあって、逆に珍しく新鮮だ』

アスト「そんなのは売れた作品を結果論的に、要素抽出しているだけじゃないか。売れた後なら何とでも言える。売れる前に売れる要因を分析できてこそ、一流の評論家と言えるんじゃないか?」

NOVA『俺は別に一流の評論家を目指しているわけじゃない。自分のクリエイトのためのネタ分析をしているだけだ。元より、鬼滅が売れた要因は一つじゃないし、コロナ禍による時代背景や、設定要素の組み合わせの妙や、ジャンプ王道の友情・努力・勝利理論とか、分析の切り口はいろいろ考えられる。ただ、俺視点だと、懐かしさと新鮮さが上手くミックスされた作品だと言えるし、売れるためには斬新さだけではダメなんだ』

ダイアンナ「古臭くてもダメだと思うけどね」

NOVA『古い物の良さというのは一言、熟成されているってことだな。熟成された伝統は大人の心にフィットする。子どもを連れて見に行ったら、大人が鬼滅の映画にハマったという話は結構聞いていて、伝統的な時代劇の作法に則った剣劇アクションを今のCGを取り混ぜて描くってのは、古くて新しい技法ということになる。自分が知ってる、でも何だか新しいって物に大人はハマり直すものである』

アスト「でも、それは大人視点だよな。子ども視点では?」

NOVA『子どもはチャンバラで楽しむものなんだ。棒みたいなものを構えて、技の名前を叫べば、簡単になりきれる。マネがしやすいってのは、それだけで子ども心にキャッチーなんだろうさ。だから、売れるキャラにはルーティンな決めゼリフが用意されている。キャラ小説を書くのに、定番のセリフを上手く使わないというか考えないのはキャラ作りのノウハウとしてダメだろう。マネしやすい技や決めゼリフがあると、それだけでキャラ立ちしていると言える』

ダイアンナ「子ども心にはマネしやすいって重要なんだね」

NOVA『なお、今の時代のティーン層にウケるには、主人公以外の個性あるキャラが絶対に必要になる。先輩後輩とか、ヒロインキャラでも優しいお姉さんタイプとか、無邪気な妹タイプとか、賑やかなキャラのやり取りがあるからこそ、物語は面白い。まあ、一部、孤高のキャラが格好いいって考える読者もいるかもしれないが、今の若者たちって俺たちが想像するよりも、仲間外れってのを嫌うからな。主人公を支える仲間たちが普通にいて、孤高のキャラは敵とかライバルとか、そっちに配列する。定番ではあるが、孤高キャラの個性は「そのキャラはどういう信念を持って孤高を貫くのか」という理由づけで設定すべし。孤高という属性は個性でも何でもないし、熱血漢も個性とは言えない。熱血漢という定番属性に「どうして、そのキャラは熱血なのか」という背景要素も含めた理由づけがあってこそ、リアリティをもって感情移入できる』

アスト「熱血漢とか、孤高は個性じゃないとは変わった言い分だな」

NOVA『変わり者とか、お調子ものだって、フィクションでは個性とは言えないぜ。主役とかヒロインという物語上の役割みたいなものだ。戦隊の赤ポジションってのが、個性じゃないのと同じ。どこにでもいる要素は個性じゃない。個性にしようと思えば、そのキャラしかあり得ないってレベルまで盛らないとな。「弟のために命を投げ打って戦う不死身の拳士兄さん」というところまで行けば一輝兄さんだろうし、「弟弟子のために命を投げ打って戦う不死身の剣士改め槍使い」と書けばヒュンケル。敵だった兄が贖罪のために孤高の協力者になるというのは、ジュウレンジャーのブライ兄さんも含めて90年代に流行したと思うが、バトル物だと使う武器や技の違いもまた個性になるわけで。他にも、ツンデレは属性であって個性じゃないと言えば、キャラの個性が何かって俺の言い分が伝わるだろうか』

ダイアンナ「どこにでもいるキャラの属性を、個性と錯覚してたら、設定として十分に練れていないってことか」

NOVA『この辺はTRPGでキャラ作りして、背景表を振って、あれこれ考えるだけで肉付けできると思うんだけどな。ソード・ワールドのルールブックを持っているのに、その程度の個性づけも考えたことがないようじゃ、宝の持ち腐れというか、まあ、他人のことはどうでもいい。
『何にしろ、鬼滅の刃は、この5年で単行本の累計が1億5000万部(全23巻)らしいな。そして、とある掲示板で、鬼滅の刃の対抗馬として持ち出された80年代のファンタジー漫画は昨年段階で3000万部とのこと。累計ならドラゴンボールを持ち出さない限り勝てないだろうし、瞬間最大風速で言えば、素直に鬼滅は凄いなと言っておくのが大人の態度だと思うが、そこを認められないのは老害認定してもいいと考える。別に今あるものの凄さを認めても、自分の青春時代の思い出が矮小化するものでもなく、ただ年甲斐もなく変な嫉妬心に駆られてしまう度量の狭さは、何とも矮小だなと感じた次第』

アスト「まあ、数字が全てというわけではないが、持ち出された数字に対して、個人の思い出を語っても無意味と言うことだな」

NOVA『正直なところ、若者の文化は若者から学ぶぐらいの懐の広さを持たないと、アニメやラノベのファンはやってられないと思うな。年寄りは年寄りならではの知見ってものがあるのだろうし、それは昔が凄かったと言い張るだけじゃないと考える』

ダイアンナ「年寄りの知見って何なんだ?」

NOVA『そりゃあ、今の流行を昔からの歴史や伝統の延長・発展の系譜に組み入れてあげることさ。時代の流行ってものは螺旋状に進化するものだし、歴史は繰り返すって言葉から考えても、昔の流行の流れが再び来ることは30年単位で見れば分かること。まあ、最近は流行り廃りのスパンは早いから十年一昔で見ることが妥当な気もするし、それでいてインターネットのおかげで過去作品に接することも可能だから、昔よりも息の長い作品も多くなっているわけだ。ただ、自分の好きなものを歴史の文脈でどういう価値があるかを語れないと、物知りな年寄りにはなれないわけで。知見あるってのは、自分の好き嫌いに関わらず最低限の客観評価はできた上で、美化された昔話をしみじみと語って楽しませる態度だと思うなあ。昔は昔、今は今、どっちも良くて、未来も良かれと思いたいもの』

アスト「言っていることが年寄り臭くないか?」

NOVA『魔法使いは年を重ねる方が、力も夢も知恵もそれだけ強く豊かになるものだからな。ただ、無駄な年の重ね方はしたくないし、若い気持ちで楽しむ心は維持し続けたいなあ。今回、ドラクエのすぎやまさんが亡くなったことで、自分が若い日に楽しめた作品を作った方がどんどんいなくなるだろう? そうすれば過去に生きるしかなくなるんだけど、若い人がこれからも自分を楽しませてくれる作品を作ってくれるなら、末長くフィクションを楽しめる。そのためには、若い人の感性が分からなくなるというのが絶望に通じるので、温故知新を大事にして歴史をつなげる自分でありたいな、と』

(当記事 完。疲れているのか、方向性のいまいち定まらない気まぐれ記事になった感)