ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

はじめは赤箱から

 はてなでは、最近(ここ10年以内)のNOVAのTRPG話を中心に書き、こちらでは昔(30年ぐらい前)のTRPG史とか思い出を書くようになりました。

 ここだと、NOVAの揃えたコレクションアイテムの写真が貼り付けやすいからですね。はてなだと、アマゾンや楽天の商品リストにあるものは普通に貼れるけど、iPadで自分で撮った写真はいちいちパソコンに取り込まないといけない。最近のネット活動では、あまりパソコンを使わなくなって久しいですからね(そのためサイト記事の更新すらせずに、もっぱら掲示板書き込みのみ)。

 

 では、まあ、前置きはこれぐらいにして、とりあえず日本でD&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)が出るようになった頃までの話から始めるとしますか。

 

 D&Dの歴史の始まりは、1973年から74年と言われています。
 部数の少ない同人誌みたいな形式でゲーム大会で配られたのが73年で、その後、TSR社から正式な商品として出版されたのが74年。
 その時のバージョンは、オリジナルD&Dと呼ばれ、基本ルールの職業は戦士、魔法使い、僧侶の3種。盗賊(シーフ)は後の追加ルールで加えられたそうな。種族の方は、人間の他に、エルフ、ドワーフホビットですね。ホビットは後に版権問題のため、ハーフリングと改められます。

 その後、77年から78年にかけて、それまで出た数々の追加ルールを整理するために、D&Dは入門者用と上級者用の二つの道に分かれます。
 77年に改訂された第2版が、現在クラシックD&Dと呼ばれる系譜の元祖で、
 一方、78年から上級者用のアドバンストD&D(AD&D)が出ます。今現在のD&Dは、このアドバンストの流れをくむものですが、AD&Dのルールの日本語版が初めて出たのは91年になってからで、その話は後回しにします。まあ、それ以前にゲームブックや小説(ドラゴンランスとかフォーゴトンレルムとか)、そしてコンピューターゲームでAD&Dは紹介されており、英語の読めるマニアなんかは英文ルールを購入していたわけですが(自分も、そのマニア予備軍の一人)。

 ともあれ、77年に出たクラシックの方のD&Dは、81年に第3版が、83年に第4版が出て、AD&Dとは完全に分化した別ゲームとして継続します。新和社から85年に日本語出版されたのはこの第4版からで、それを初めて買った高校生の時はちっとも気づいていませんでしたが、ルールブックの最初のページにきちんと「第4版」と書いております。
 昔はゲームを誰が作ったかなんてほとんど気にしていませんでしたが、当時から宣伝文句みたいに「D&Dの生みの親は、ゲイリー・ガイギャックス」と言われていたので、赤箱の4版もそうなんだろうと何となく思っておりました。でも、後にゲイリーは当時AD&Dの方に軸足を置いており、赤箱のルールをオリジナルから改訂したのはフランク・メンツァーであるということや、ぼくがD&Dのルールを購入した87年にはゲイリーはすでにTSR社を退社しており、もうD&Dは彼の手を離れたところでプロジェクトが進展していたことを知るようになったり。
 この辺のややこしい経緯はWikipediaで知ったことで、やはりインターネットは便利だと再痛感するとともに、さすがにそんな物のない80年代の一高校生には知る由もない情報だよな、と。

 そんなわけで、85年に新和版D&Dが出るに至った流れを書いてみましたが、今回はここで時間切れ。
 次に、自分がD&Dを買ってTRPGの道にズブズブはまる流れとか、その時の国内背景を思い出しながら書いていきたいと思います。(つづく)