NOVAが高校に入った86年の話です。
これまでの地元の公立中学から、電車通学込みで1時間半かかる私立高校になったことで、日々の生活環境も大きく切り替わりましたね。
趣味ライフ的に大きかったのは3つ。
1つは、それまで良き趣味仲間として付き合っていたY君と会うことがなくなったこと。
2つは、帰り道に地元の商店街を通ることが多くなり、ちょっとした寄り道に書店に入って立ち読みして、お気に入り雑誌とかを立ち読みするのが習慣化したこと。
3つは、通学用の定期券があるので活動範囲が広がり、休日などに大阪の梅田を歩いて回り、大きな本屋やホビーショップを気軽に見回ることができたこと。
この年のNOVAの世界の広がり方は、初めてインターネットに接続して、ネットサーフィンを習慣的にするようになった頃に匹敵しますね。
★ゲームブックとの出会い
さて、本棚の奥に眠っていたゲームブックですよ。
このシリーズは他にも大量に保存していて、気持ち的に捨てるに捨てられなくなっているものたちです。
これらのゲームブックに初めて会ったのが、学校の購買書店でした。何で学校でゲームブックなんて売ってたんだろう、と不思議だったのですが、たぶん「社会思想社の現代教養文庫」とか「創元推理文庫」とか、そういう固いレーベルの影響かもしれない。
実際、当時のラノベである「朝日ソノラマ文庫」とかは購買店になかったわけだし。
最初は、通学電車の中で読む本を買うつもりだったのに、そこでゲームブックを見つけ、ハマってしまう。ええと、電車の中ではサイコロを振ることができないので、結局、家で読むというかプレイせざるを得ないわけですが。
さすがにゲームブックにお金を費やすと、他の本は買えないので、通学電車用は図書室から借りてまかなうことになりましたな。この年、何を読んでいたかはあまり記憶にないのですが。
ゲームブックのいいところは、中学時代の資産であるシミュレーションゲーム付属のサイコロが使えることと、Y君がいなくても、一人でプレイできることですな。おまけに箱入りのシミュレーションゲームと違って値段が安いから、高校生の二千円程度なお小遣いでも何冊も買える。当時はゲームブックブームが来ていたので、地元の本屋なんかでも大量に仕入れてあって、次は何を買おうかな、とワクワク状態でしたね。
『火吹き山』が出たのは84年末でしたが、仮にその時に存在を知ったとしても、買っていなかったかも。2巻目の『バルサスの要塞』が出たのが85年の4月で、写真画像の右側の『ソーサリー』が85年7月。大体、数ヶ月のブランクがあるわけですね。もし、出版されたばかりの『火吹き山』に出会うのが早くて、登場時点でハマったとしても続きがすぐに出ずに待たされるのでは、中高生の興味は持続しなかったんじゃないかな。
★流行の追っかけ理論
NOVAが作品にハマるのって、ある程度シリーズが進んでから、現在進行形を楽しみつつ、それまでのシリーズ旧作にさかのぼって系譜をたどったり、発掘する楽しみが得られるジャンルが多かった気がします。いきなり新しいものに飛びつくのではなくて、数年を経て、ある程度、ジャンルが浸透し始めた頃合いに興味を惹かれて手をつける、と。
社会学のイノベイター理論におけるアーリーアダプターとかアーリーマジョリティって奴ですね。
ええと、流行への追随度を5段階に分けて、最も早い革新者と呼ばれるのが「イノベイター」ですな。ガンダムOOの設定の元ネタだと思うんですが、クリエイターの道を志すなら「流行の先端を行き、自ら作り出すイノベイター気質」は重要だと考えますね。
で、NOVAの気質はせいぜい2段階めの「アーリーアダプター(初期採用者)」か、3段階めの「アーリーマジョリティ(前期追随者)」がいいところ。アーリーアダプターは、流行に敏感で、積極的に情報収集を行うタイプ。イノベイターは「早すぎた天才」と呼ばれがちで、斬新なアイデアを披露するけど、売れなければ、ただの変なカルト作品になるわけで、流行を生むにはイノベイターのアイデアを面白いと感じ、その面白さを外に積極的に宣伝するアーリーアダプタータイプの支援が必要だとか。
そして、3段階めのアーリーマジョリティタイプに浸透することで、世間は初めて「これが流行ってます」と理解して、しきりにニュースにしたがる、と。クリエイターとしては、ここから動き出すと遅いというか無能というか、二番煎じ、三番煎じとなるわけで、それでも面白い作品を作ればジャンルの継続には寄与するけど、開拓者にはなれない。それでも時流に敏感で、うまく乗れる人はいいんですけどね。
4段階めのレイトマジョリティ(後期追随者)は、流行に乗るのが遅く、何となくみんながやってるから合わせて付いて行くって感じ。ファンにはなれても、オタクとかマニアという域には達しないというか。
で、ラストは5段階めのラガード(遅滞者)。
日本語訳は悪いけど、実はこれにも自分は憧れます。決して流行には流されず、我が道を行くタイプというか、まあ頑固といえば頑固で、それでも時代に流されないこだわりを持って、自分の道を追求し続けるのなら好みですな。ただ、単に世間知らずで、無知な者もラガードには分類されるので、世間の動きに鈍重なだけだとダメなんですけどね。
少なくとも、クリエイターを目指すなら、ラガードであってはいけないな。まあ、懐古趣味の人間にとっては、ジャンルにこだわって時代と関係なく追求し続ける気質は美徳ですけどね。
って、ゲームブックの話から、社会学方面に脱線してしまったので、この辺で筆を置きます。86年の話はまだ続きますよ。ロードス島と、ドラクエの話を書かないと、86年は終わらない。