ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

D&D購入

 86年は、D&Dという面白そうなものが世の中にあり、それがどういう物かを知るようになった年と言えます。

 それには、ゲームブックの他、各種ゲーム雑誌の存在が大きな役割を果たしました。

 

 85年の後半からシミュレーションゲーム専門誌だった『タクテクス』誌が月刊化を果たし、徐々にボードRPGの情報も伝え始め、

 86年5月から、各種アナログゲームを豊富な写真で紹介する『ゲームグラフィックス』誌が創刊。

 そして、86年末からゲームブック専門誌の『ウォーロック』誌が創刊されるなど、NOVAが情報を得る環境がどんどん整えられていった時期でした。

 他には、翔企画の『シミュレーター』誌や、当時の日本のD&Dの発行元の新和社がサポート用に刊行した『ドラゴン・マガジン』なども、この辺りに出ていましたが、それらは一般書店ではなく、模型・ホビー店でしか流通しておらず、なかなかNOVAの目には止まりにくかったですね。

 なお、新和の『ドラゴン・マガジン』は、富士見書房が後に発行する同タイトル(88年創刊で今年30周年。2008年より月刊誌から隔月刊化するものの今なお現役)とは別物。後に『ファンタジーゲーマーズジャーナル』(87年6月)や、『オフィシャルD&Dマガジン』(88年6月)に改題。その辺でNOVAも存在を認知し、情報源に活用していきました。

 

 あ、この辺りの雑誌の発行年の情報はwikipedia頼りです。雑誌タイトルは覚えていても、さすがに発行年までは覚えていませんし、手持ちの資料(すなわち雑誌そのもの)もほぼ処分してますからね。

 

 ともあれ、各種雑誌による情報提供というサポートを受け、ついに87年の正月にNOVAはD&D(赤箱のベーシックセットと、青箱のエキスパートセット)を手に入れたのでした。

 

★D&D購入へ向けて


 いやあ、ここまで長かったですね。
 自分でも、早くD&Dのことを書きたいのに、延々と中学時代から86年の背景まで書いて、思ったより長文になって、どうしようと思っていましたもん。
 さっさと話を進めろ、とか、そんなにD&Dに恋い焦がれたなら、どうしてもっと早く買わなかったんだ、とか、いろいろツッコミたくもなるというもの。

 で、その答えは一言。
 高校生の自分にはお金がなかったから。

 いや、中学時代にいろいろとツクダのボックスゲーム(3000円から4000円ぐらいした)を買った人間が言うのはどうかと思うのですが、その時の月々のお小遣いは1000円。ええ、3、4ヶ月の貯金をしてから、嬉々として地元の玩具屋さんに行きましたよ。それまでは、店に並んでいる箱を眺めながら、次はどれを買おうかな、と夢を膨らませる日々。簡単に手に入らないからこそ、募る想いもあるというものです。
 なお、小学時代は500円のお小遣いで、テレビマガジン誌を買っていましたが、まあ中学に入ると、特撮ヒーローから少し距離を置いたので雑誌購入は中断。再びそっち方面に金を使うようになったのは、大学に入ってからになります。いや、仮面ライダーウルトラマンが続いていれば、話は違っていたのかもしれませんが、スーパー1と80で一度断絶していますからね。よって、80年代前半は、宇宙刑事とか戦隊はチラチラ見ていたものの、雑誌メインで展開していたZXやアンドロメロスなんかはあまりよく分からない状態で、後年に補完した形。

 で、高校時代ですが、月々の趣味に使えるお金は2000円。それらの多くはゲームブックに費やしていたので、D&Dにはすぐに手が届かなかった。お年玉ボーナスが入るまでは、ひたすら待つしかなかったのです。
 いや、中学時代同様、ちょっと我慢して2ヶ月貯めれば、一箱ずつ買えたのかも知れないですけどね。

 それでも買えなかった。
 理由は、どこで売っているのか分からなかったから。

★ゲームの周辺環境

 そう、インターネットのなかった時代、地元の本屋や玩具屋で売っていないものを、どこで買えばいいのか、子供にはなかなか分からないものなんですよ。
 それが、各種雑誌の広告に、販売店の情報が載ることによって、ようやく入手場所を知る。情報が手に入るのは、本当に大切です。

 それと、高校時代は電車通学していた恩恵もありますね。
 中学時代は地元だけが行動範囲だったので、わざわざ電車で20分ほどかかる大都市に交通費を出して、知らない店を探し回るような酔狂な真似はなかなかできません。小遣いも1000円しかなかったし。

 まあ、NOVAの高校時代の友人には、自転車で大阪の高槻市から羽曳野市まで長距離を走って、友達の家に遊びに行った強者がいましたがね。片道3時間ぐらい掛かったと言っていたかな。
 自分の自転車活動範囲は、せいぜい片道1時間程度で行ける隣の市ぐらいまでだし、一度自転車で頑張って大阪まで行こうと頑張ったけど、果たせず挫折したこともあったな。途中に川があって、橋が自動車専用だったもので、自転車で渡れるところが見つからなかった。地図もなしに、ただ東へ行けばいいぐらいに安易に考えていたもので。
 ともあれ、そのNOVAよりもタフで、地理感も相当鍛えられていた高槻の彼の当時のあだ名が、水泳部所属で色黒だったので、ブラック。なお、自分が対照的に色白だったので、白黒コンビを形成していたり。で、80年代後半であだ名がブラックということは、そうです、その時期に放送が開始された仮面ライダーもよくネタにされていましたな。 というか、そのブラック君の身内がヒーローショーの着ぐるみの中の人をやっていたそうで、本人も応援でジライヤの戦闘員のカラス天狗の中に入った話をしながら、「~~でやんす」なんてノリノリで言っていたこともあったな。ジライヤは88年の放送だから、高3の時の会話ということになる。
 そして、このブラック君こそが、NOVAの今でも年賀状でやり取りしている旧友だったりします。まだ高槻に住んでいれば、ボードゲームなどにお誘いするのでしょうけど、引っ越しして千葉県だからなあ。ぼくが東京ディズニーランドのことをそう呼ばずに、千葉ディズニーランドと個人的に呼ぶのも彼の影響です。
 ここで、ブラック君にやたらと言及するのも、NOVAの高校のD&Dライフにおいて、一番世話になった仲間だったから。後の記事でもいろいろ出てくると思うので、今回は顔見せ紹介編ということで。

 で、話を戻して、高校時代の通学用定期券。
 これがなければ、NOVAとD&Dの間を隔てる壁はますます大きくなっていたろうから、まさに魔法のパスポートといったところですね。これさえあれば、未知の街に旅立てるって感じで、通学路線途上の都会の散策にも大いに役立たせてもらいました。
 特に行ったのが、大阪の梅田と、それから京橋ですな。って、ローカルな話題すぎてついて来れない人はすまん。
 それらの大都市にはD&Dなんかも売ってるホビーショップがあって、高校から大学時代、そして大人になってからも大いに通わせてもらいました。残念ながら、今はどちらのお店もなくなってしまいましたが。
 今、TRPG関係とかボードゲーム関係の買い物に行くには、神戸の三ノ宮か、大阪の地下鉄使って日本橋まで行かないとダメで、昔みたいに定期券もないので、無目的で散策するわけにもいかず、これを買うぞ、と一大決意してから交通費払って行って、そして思わぬ掘り出し物もたまに見つけて、衝動買いしてしまうことも時折。

 いろいろ寄り道していますが、結局、何が言いたいかというと、ゲームを購入するのも、プレイするのも、周辺環境が整っていないと難しい、という話です。
 お金も大事、販売店などの情報も大事、そして友人も大事。これらの環境を自分で整えたり、時流とか天の配剤とか周りの好意とかで自然に整って行ったりする中で、欲しいものに手が届くようにもなる、と。

★青箱イズ・ナンバー1

 そして、出会った時のタイミングもいろいろあって。

 D&Dのベーシックセット(赤箱)は、確かに85年に出ました。だけど、その時に手を出していれば、後年、噂に聞く誤訳の嵐に巻き込まれていたでしょう。よくネタにされるのが、「白金貨(プラチナ・コイン)」が「プルトニウム貨」と物騒な名前に訳されたこと。ええと、ブルースワットのゴールドプラチナムが、ゴールドプルトニウムになっていたら……ちょっと強そうだな。
 って、そんな派生ネタも作れるぐらい、誤訳が多かったそうですが、NOVA自身はそんな珍訳を見ていないんですね。まあ、NOVAの持っているのが後から誤訳を修正された改訂版だからでしょう。以前に書いた「第4版」の記述も、「英語の第4版ではなく、日本語訳の第4版」ということかも知れん、というのも、先程、青い表紙を挙げたエキスパートルールの本には、第4版の表記は見当たらない。
 途中で表記を変えたのかな、と思って、他のルールを確認すると、緑表紙のコンパニオンには「第4版」とあって、黒表紙のマスタールールには無表記。つまり、販売時期とNOVAの購入時期のズレによる版違いと考えるのが妥当でしょうな。
 要するに、ベーシックとコンパニオンは販売初めから購入まで時間が掛かって、エキスパートとマスターの方は出てからすぐに買った、と。

 ベーシック初版の誤訳と版上げ問題はさておいて、本題は青箱エキスパート。これが86年に出たことで、ようやく日本でのD&Dは、まともにプレイできる環境が整ったということになります。
 だって、ベーシックセットって、1レベルから3レベルまでしかプレイできないもん。何度かのお試しプレイには良くても、それだけじゃ飽きが来るのも早い。そこに14レベルまで成長でき、ダンジョンの外の世界まで視野を広げたエキスパートルールが加わって、初めてあれこれ物語世界を構築できるため、ワクワク感が全然違う。

 これがコンパニオンとかマスターになって来ると、次元を超えた旅とか、強大な国家間戦争とか、神の領域への挑戦とか、もはや一介の冒険者の地に足ついた日常冒険という域を越えて、もう手の届かない世界に行っちゃった感もあって、プレイする方も、運営する方も大変だなあ、と。
 いや、設定マニアとか、中2病的な超絶ファンタジーを夢見る層には、コンパニオン以降のルールも大いにそそられるというか、想像力を刺激してくれるのですがね。魔法だけ見ても、「死ねといえば、相手が死ぬパワーワード・キル」とか、「時間を止めるタイムストップ」とか、コンピューターゲームなら割とありがちでも、アナログでの対人プレイで使うには割と躊躇しそうとか、まあカードゲームでは普通に使う人も今の時代、多そうですけどね。ただ、テーブルトークRPGで大事に育ててきたキャラクターが、ダンジョンマスターの操る高レベル魔法使いに「死ね」の一言で瞬殺されるのはキツいよなあ。
 まあ、それを言うなら、ファイヤーボールで焼き殺されるのも、ドラゴンブレスで火葬されるのも一緒といえば一緒なんですけどね。それらはまだ「何ポイントダメージ」という数値処理を経ているから、ああ、これだけダメージを食らったら死んじゃっても仕方ないよな、と思わないこともない。
 でも、「はい、セービングスローして。失敗した? ああ、じゃあ、君は死んだ」と、いきなり決めつけられるのは気持ち的に受け入れ難いというか。
 もっとも、ベーシックルールでも、「毒を食らった。はい、セービングスローして。失敗? じゃあ死亡」ってノリだから(選択ルールで、即死毒以外の麻痺毒とかダメージ毒とかも紹介されるけど)、D&Dの冒険者の命は相当安いです。だからこそ、生き延びて成長しきれば、神にだってなれるんですけどね。

 こういうわけで、NOVAはクラシックD&Dの各種ルールブックでは、エキスパートルールが一番のお気に入りです。ベーシックでは物足りないし、コンパニオン以降は脳内想像だけならともかく、実プレイするには処理が多くなってプレイ相手を選ぶというか、NOVAの友人にはそこまでついて来れそうな人は思い当たらない。
 ベーシックでは、魔法使いがファイヤーボールも打てないし、クレリック(僧侶)もろくな癒し技を持たない。エキスパートに入ると、病気も失明も毒も治せて、呪いを解いて、死者さえ生き返らせることが可能と、ゲームで必要な一通りの治療呪文が揃います。魔法使いもファイヤーボールは撃てるし、その他、何でも……って、あ、この段階で「相手を即死させるデススペル」とか「相手を塵に分解するディスインテグレート」とか出てるじゃないか。先ほどの超インフレした中2病レベルの高レベル魔法を否定していたのは何だったんだ(苦笑)。

 エキスパートのデススペルと、それ以降のパワーワードキルの何が違うんだ、と再確認すると、前者は「レベル7以下はST判定失敗で死亡。レベル8以上は効果なし」とまだマシなのに対し、後者は「魔法使い以外はST判定の余地なし。魔法使い呪文の知識ある者のみマイナス4のペナルティでST判定できる。HP60以下は即死、100以下は麻痺、それ以上の高HPだと効果なし」とある。
 デススペルが使えるのは魔法使いレベル12以上なので、その段階でレベル7以下はザコ敵と言えるでしょうから、ザコ一掃呪文と考えればいいのだろうけど、ワードキルの方はHP参照型(最大HPではなくて)だから、使うまでに相手のHPをある程度削ってから頃良いタイミングでとどめを刺す手段ということになるかな。死ななくても麻痺効果は大きいし、ST判定の余地なし、というのが、なかなか酷い。

 ……って、ちょっと油断すれば、こんなことをあれこれ考えてしまう程度には、NOVAはD&D好きなわけですが、それでもエキスパートルールあってのD&D、それ以降はおまけみたいな感覚は変わらないですね。そんなエキスパートルールまでがまず買えた87年の正月から、NOVAのD&Dライフが正式に始まったということで。