ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

D&Dのクラス

 最近はコメント対応ばかりだったので、そろそろ気持ちを切り替えていきたいと思います。

 

 さあ、旧年度から新年度に移る頃合いで、クラス替えと言うイベントも間近に迫ってまいりました。仕事の方では、学年の変化に合わせて、時間割の編成という大仕事が待っています。昼からそれを片付けに行く予定ですが、まあ、その前に、ここでもクラスについて語っておこう、と。

 

 あ、別に「D&Dのクラス」といっても、他に「T&Tのクラス」や「ルーンクエストのクラス」があるわけじゃないですよ。って、例に挙げるルールが古いなあ。「T&T」は最近また復刻したからいいとして、「ルーンクエスト」なんて、今時プレイしている人はいるのかね。まだ「クトゥルフの呼び声」の方がネット動画配信のおかげでメジャーだったり。

 まあ、「クトゥルフのクラス」なんて授業が実際あって、講師のニャルラトテップ大先生がいろいろ教えてくれるとしたら……正気度保てる自信はありませんな。テスト後に発狂しなかった生徒だけが合格、という合格率10%程度の鬼授業(クトゥルフだし)。

 「D&Dのクラス」だと、まず最初の授業は、変形ダイスの振り方かな。

 

 

「先生、4面ダイスの見方がよく分かりません。上の面がないですし」

「ああ、それは上の頂点に書いてある数字を見るんだ。ほら、上の頂点の周りの3面は、どこの面を見ても同じ数字が書いてある」

「なるほど。これは面白いですね」

「ただし、4面ダイスは頭が尖っているので、置くところに注意だ。プレイ中に爆笑して、思わず机に突っ伏した時に、そこに4面ダイスがあったりしたら……その先は想像できるな」

「顔面にダイスの頂点が突き刺さる大惨事ですね」

「まあ、そこまでは言っていないが、結構痛い。腰を下ろしたところに、4面ダイスがあれば、画鋲を踏んだときと同程度の叫び声が聞こえること請け合いだ。魔法使いのダガーのダメージは4面ダイスでゲーム中では武器中最低ダメージと目されるが、リアルでは多分、人に最も深刻なダメージを与えたのが4面ダイスという報告もある。とあるTRPG忍者道場では、まきびしの代わりに、4面ダイスを使うともっぱらの評判だ」

「先生、TRPG忍者道場ってどこにあるんですか?」

「忍者だから、世間一般の目には触れないようになっているんだよ。最近、山形のどこかで存在が確認されたという報告もあったが、先生、その話はあまりしたくはないな。生徒の性別を間違えて恥をかいた某教師が知り合いにいてな、忍者だから、おそらく変装でもしていたんだろうけど」

「先生、その話、授業に関係ありますか?」

「……関係ないな。今日の授業は、ダイスの振り方だった。ええと、じゃあ、次は10面体ダイス2つで、%ロールを振るやり方を教えよう。これはD&Dだけでなく、クトゥルフルーンクエストなどのベーシックRPG系、その他、各種のシステムに採用されていて、2D6同様にメジャーな振り方だ。テストに出るので、必ず覚えるように。例えば、次のゲームの中から基本システムで%ロールを使うものを記号で選べ。『ア.ソード・ワールド』『イ.ストームブリンガー』『ウ.アルシャード』『エ.GURPS』」

 

 

 って、いつまでやってるんだろう、自分。

 放っておくと、延々と脳内TRPG授業が展開されていって、1年分のカリキュラムを組もうとするなど暴走妄想し、「教師脳withTRPG」が留まるところを知らなくなりそうなので、気づけばオブクロ終わっていたよ、という事態にならないためにも、ここらで、話を切り替えないとね。

 

 

 そもそも、クラスって言っても、授業の話がしたいわけじゃなくて(とっさにそう考えてネタにしてしまう程度には、教師脳なんだよな、自分。仕事する上ではいいんだけど)、

 ええと、キャラクター種別、ぶっちゃけ職業の話がしたかったんだよな。ただ、クラシックD&Dでは、レイス(エルフやドワーフなどの種族)もクラスに含んじゃうから、単純に職業と言っちゃうのも厳密には間違いなので、「クラシックD&Dのクラス=職業と亜人種族を含むキャラクター種別」という定義がいい感じかな。

 

 

 この辺、テストに出るので覚えておくように(まだ教師脳)。

 

★まずは戦士

 教師脳と書いちゃうと時々「今日死のう」という言葉が変換リストに挙がって、「死なねえよ」とブレーキを掛けないと、フラフラフラと死んじゃいそうなデリケートな奴です。教師の自殺が時おりニュースに上がるのも、それが言霊として遠因になっているのかもしれません。

 それと似たような形で、戦士を「戦死」と変換してしまうのも、単純に前衛にいてダメージにさらされやすいという物理的原因以外に、戦士の戦死率を高める心理的要因になっているんじゃないかなあ。
 「せんしゅう、ぼくのせんしがせんしして、せんしてぃぶなきぶんになりました」という文章を漢字&カタカナ変換する問題を小学生に出したら面白いかな、と思いましたが、センシティブという概念を子供に説明するのが難しそうなので断念。
 それに「先師が戦死」なんて書かれたら、俺、教師として死にたくなっちゃうよ、鬱だ死のうモード発動で、だれか止めてくれえって気分(これがセンシティブ)になったら、うまい具合にオーブさんが駆けつけてくれたので、今からTVに専心します。(つづく)

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 はい、TV視聴から帰還です。
 強敵マガオロチ戦で、オーブさんまで戦死しちゃう(死んでません)というピンチな状況で、つづく、となったわけで、こちらもお茶らけた気分じゃなくなりました。今日死のうモードを、戦死脳モードに切り替えて、戦士について考えることに専心しなければ、と奮い立ちます。字が何かおかしいこともいちいち気にしていては、始まりません。そんなもの、心の目で見れば、何とかなるはず。

 戦士といえば、英語でファイター。

 「ファイト、ファイト、戦え、自分」って感じに奮い立たさなければ、
 うつ脳は絶えず下へ下へ、と潜り込む冷えきった寒気団みたいなモードなので、むしろ舞い上がるバカぐらいに道化に徹しなければ、なかなか上昇気流の風には乗れません。深刻モードをいかに軽妙なトーンに切り替えることができるかが、運命の分かれ目です、とまで断言しちゃうよ。
 その点、自己ツッコミ芸は、自分自身を高める精神修養法、とりわけ、うつ治療にも最適、と提唱します。
 というのも、うつ脳は、それを克服しようと周囲に批判的、攻撃的な態度をとることもありがちですが、それで周囲に勝てるかと言えば必ずしもそうではなく、基本、自分の中のネガティブ感情を外に向かって垂れ流しているだけなので、必ず手痛い反撃が返ってくる。ますます自分が傷つく悪循環です。自己の内面の心の闇を周囲の何かに投影して攻撃している形をとるので、話を聞く方も不快になりがちだし、友達なくす。そして孤立した気分が、ますます不安や寂しさを加速して……自分ではなかなか抜け出せない、と。
 これが、元来内向的なうつ脳の産物でなく、外向的な人の行う議論なら、まずは周囲の事象を冷静に観察し、的確な批評ができていて、周囲の賛同も得やすく、賢明な論客として評価される向きもあります。ただし、それには相応の研鑽とか話術とか勢いとか体力とか総合的な議論能力が求められるので、付け焼き刃で真似だけすると必ず失敗して痛い目にあって、まあ、うつの人が実践すると、症状が悪化する自傷行為になるわけですね。
 もっとも、秘めたる自殺願望が他人を巻き込んで噴出しているという意見もあって、この辺、他人の精神状態は外からは判断しにくいわけですが……と、ここまで書いて、自己ツッコミ。

 この話って、戦士に関係あるの?

 そう、自己ツッコミは自分の言葉の暴走に、ハッと気づいてブレーキを掛けるテクニックになります。
 さらに、自分に対して、ちょっとした批判を試みるわけですから、自己を客観的に観察するトレーニングになります。この場合、ネガティブな自嘲とは違って、「人をクスリと笑わせるために、わざとボケてやってるんだよ。自分は分かって、おかしなことを書いているんだよ」って免罪符が使えます。
 「俺ってバカだよな(どんより)」では芸にならなくて(まあ、映像でもあれば話は別ですが、言葉だけだとね)、「俺ってバカなことを言っているな。何、言ってんだよ、俺。こんなバカな奴だとは思わなかったよ。まあ、そんな自分が好きなんだけどね(笑顔)」ぐらいの気持ちで、一人ボケ、一人ツッコミ芸を体得すれば、まあ、他所への攻撃感情は昇華できると思うわな。

 ここで話を戻して、「ファイト、ファイト、戦え、自分。頑張れ、自分」ってのは、実は自分とケンカして闘志を高める掛け声なんですね。誰が日本で最初にこれを流行らせたのかは知りませんが、アメリカ人は走るときにいちいちこういうことは言いません。
 彼らは走るとき、「GOGOGOGO」、あっ、この表記だとJOJOだ。訂正、「Go、Go、Go、Go」。パワーレンジャーを連想する向きもあるでしょうし、海外アクションドラマを日本語吹き替えで見ると「行け、行け、行け、行け」と日本語できっちり4回言って、突撃します。日本のアクションシーンだと、4回も言わずに、「うぉぉぉぉ、行っけえええええ」と語尾を伸ばして叫ぶところですが。
 で、じゃあ、「ファイト」はダメなのか、と問われれば、ダメです(断言)。「ファイト」は文字どおり「戦え」の意味ですが、主語を省略すると、それは命令文になり、相手にそうしろ、と言っていることになります。つまり、人の聞いているところで「ファイト」を連発すると、聞いている人間は「戦え、だと? お前はオレにケンカを売っているのか? だったら、買ってやるぜ。この野郎」と、日本では自分を応援する言葉が、本国では相手を挑発する言葉になるという言語感覚のトリックというか罠というか。
 まあ、「戦わなければ生き残れない」という世界にいて、ミラーワールドで「戦え」と挑発されていて、絶えずイライラしている人なら、そうやってサバイバルに挑むのもいいのでしょうが。

 アメリカ人の言語感覚との違いはさておき、
 日本の中での「ファイト連発」は有効ですね。何せ、これは自己ツッコミに必要な、自己の精神状態を上向きにする掛け声、心のトーンですから。日本語は主語を省略するとき、それは1人称(自分)であることが前提です。自分を隠す奥ゆかしい言語なので、会話などでは、1人称はふつう使いません。他人とは違う自分を強調したい時ぐらいです。
 「今日は眠いし」の主語は、今日ではなく、それを言っている話者にあることは、基本的な国語の引っ掛け問題ですが、ラテン語なら動詞の形で1人称であることが明確でも、日本語の動詞は主語によって変わる部分が敬語ぐらいしかなく、とりわけ古文の試験問題を解くときに困惑することがしばしば。
 まあ、そういう受験に必要な国語の話はさておき(教師脳がまだ抜けず)、「ファイト連発」は自分の闘志を奮い立たせるとともに、負けそうな自分の心を挑発し、左足を踏み出す時に「ファイ」、右足を踏み出す時に「トー」と調子づけることで走るリズムを言葉とそろえる効果があります。
 それを、自分だけでなく、周囲の人間のリズムと調和させることで、一緒に走る仲間感覚を自然に養える、いい掛け声だと思います。
 まあ、これで、突然周囲のみんながアメリカ人脳に覚醒して、「ファイト、ファイト」とジョギングしていたら、周囲の人間がにわかに殺気立ち、ケンカを始め出したりしたら、ちょっとしたホラーですが。


 なかなか、D&Dの戦士の話に届かないな、と感じた読者の諸兄。
 うん、そのあなたの感想は、全くもってその通りだあ! と同意させてもらいます。
 さっきから軌道修正を図ろうと脳内では必死なのですが、ちっとも思いどおりにならずに、カウンセリングや自己啓発、そして言語蘊蓄のボックスが開いて、脳内から文章垂れ流し状態ですよ。


 書く前は、「クラシックD&Dの戦士って、特殊能力もないし、エキスパートルールまでだと、なかなか書く内容に乏しいから、果たして何を書こうか」と思ったのですが、言葉を紡いでいるうちに、脳内の違うボックスが連鎖的に開いて、思いがけない文章になってしまい、自分でも困惑する次第。
 これがゲーム解説の商業記事なら、書いたことを全部ボツにして、最初から適当に書き直すところですが、ブログなどの私的記事の場合は、こういう寄り道の仕方が書き手個人個人の個性が出て面白いという意見もあるので、このまま完成の記事にします。


 最後に、ここまでの内容を書いて、日本語と英語の言語感覚の違いについて考えました。
 日本語の「戦士」とか他に「教師」という言葉って字面を読むだけなら違和感ありませんが、声に出して読むと、あまり燃えません。
 最後が、母音のイ段だと叫んでも響かないので、「Vスリー」を「Vスリャー」に言い換えたとは、宮内洋御大もおっしゃっていますが、ダンバインみたいに、「アタック、アタック、アタック、俺は戦死~」と歌っちゃうと、最後に死んじゃうし(まあ、劇中の展開を考えると間違っていないのですが)、「俺は教師」と言うよりは「俺は先生」の方が気分がいい。
 キョウシィィって叫ぶと、関智一の声で脳内再生されて、自分がデビルガンダムに乗っている嫌~な気分になるし(まあ、悪魔の自分にウキウキ酔いしれる変わった人なら、それもいいかもしれませんが、そういう人は普通、教師って職を選びませんよね……っていうか、なって欲しくない。『悪魔の毒毒ティーチャー』って映画なら昔、あったかなあ。『地獄帰りのデビル教師』って妄言にはそそるものがあるのも事実ですが、形にはしたくないのが人情ってもの)、
 これがセンセーイ、なら、ぼくたちわたし達はスポーツマン精神に則り、と続く。さわやかな感じですね。
 どっちが元気になれるかは明らかだと思います。

 英語だと、人の職業を表す言葉は基本、「動詞プラスer」ですから、普通に単語を声出して読み上げるだけで、勢いが付きます。「アイム・ファイター!」とか「アイム・ティーチャー!」(いずれも音にすると弱音で聞き取りにくい冠詞のaは省略)って感じだと、自己紹介するだけで元気になれそうです。
 この声の効用とか、音の効用ってのも、最近の自分の関心テーマでもあるのですが、まずは発音してから、雰囲気の違いを確認するに留まっています。


 今の自分が、戦士について語ると、形式を重視した商業記事ならともかく、フリーエッセイみたいな形なら、こんな物かなあ、と考えるに至った次第。
 思いきり変化球、大暴投な記事なので、ファイターというよりは、ウォリアーって感じの文章ですな。で、自分はスッキリした感じのファイターよりは、雄叫びみたいなウォリアーが好き、という。

 あと、ゲームについての話なら、あまり面白みのないクラシックD&Dよりは、AD&Dや3版以降の新世紀D&Dとの比較論の方が面白いかな、と記事で書くことを検討してみる、と。