ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

仕切り直しにて候

 さて、翔花を無事に元の世界に送り返したので、こちらも次の展開をどうしようか整理してみようか、と。

 

 まず、ここでは「高校時代のD&D回顧」を行なって、まあ、いろいろ眠っていたD&Dルールブックなども取り出して、改めて考察してみたわけですな。

 というか、20年ぐらい前の自分は、こういうゲーム関連の記事を書いて収入を得られたらいいな、と真剣に考えていたわけで、

 それができる入り口まで来て、門の中まで入ったな、と思ったら、突然の地震によって洞窟が崩れ始めたりして、奥までは踏み入ることなく、泣く泣く外に出て行かざるを得なかったわけで、いまだに洞窟の奥に眠るお宝に未練たっぷりな心情を抱えていたのでありまする。

 ネットで個人サイトを作り始めたのも、そういう自分の未練というか、欠落部分を補うために始めたのであって、まあ、おかげさまで17年(今年の11月で満18年に達する。2000年開始なので、その辺の計算は分かりやすい)を経てきたわけですが、TRPG関連については、少々くすぶっていたわけで。

 

 自分にとってTRPGとは「夢破れての失敗譚」なんていう苦い気持ちもあって、そこについて触れると、ウジウジしちゃうとか、醜い感情(泣き言や恨み言、後悔、悔悟)が吹き出すのを抑えられなくなりそうとか、思い出は思い出で自分の中でこっそり大切に残したまま、人様にはあまり触れて欲しくないとか、そういうネガティブ要素と、

 いや、そういうのも含めて自分なんだ、今の俺がいるのはそういう失敗を経験してきたからこそであって、苦い失敗も時を経れば、笑って、「そうそう、あんなこともあったなあ。懐かしいなあ。本当に一途でバカだったよなあ。でも、あれが若さだったんだよなあ。ああいうピュアな想いだけは、忘れたくないよなあ」と朗らかに語れる自分になりたいという年経たゆえの余裕というか、ポジティブ要素があって、

 ようやくポジティブな方が圧倒するような感覚を覚えて、「間もなく平成が終わるというこの時期に、自分の平成時代に大きな影響を与えたTRPGというものにしっかり向き合ってみるか」と思い立った次第。

 

 もちろん、起因はそれだけじゃなくて、自分の年齢もそろそろ「人間50年」と織田信長で有名な一区切りに達するし、D&D第5版も出たし、眠っていた掲示板のリサイクルにも手を付けたし、何だか自分の周りで「目覚めよ、その魂」と呼びかけるようなムードが相次いで持ち上がった雰囲気もあって、それなら今度は……という流れに乗ってみたり、

 昭和が過去で、平成が今で、その次の未来はまだこれから……という時期に、そうですな。「そろそろ21世紀で、自分も何か新しいことをして、自分というものを残したい。そうだ、自分の好きなものをアピールしたホームページを作ろう」と考えた17、8年前の想いを、もう一度、取り戻した気分で、

 だけど、それは白紙から始めるのでもなく、開墾から始めるのでもなく、「そこにあるけど、見向きもされなくなった荒れた庭に、もう一度、大事に種をまいて、水をやって、花を咲かせる」ぐらいの感覚でいこう、と。

 

 まあ、花粉症だし、桜も咲く季節だし、脳内花畑でもいいや、とか。

 

 で、ここから今後の記事の方向性を考えてみます。

1.高校時代の回顧話の続き

 とりあえず、NOVAが87年の正月にD&Dの赤箱(ベーシックルール)と青箱(エキスパートルール)を買ったところまで、書いたのでしたな(3月9日分)。
 この続きは、是非書きたい、と思ってまして、その時のキャラクターの思い出話とか、いろいろ残しておこうか、と。
 先日、「エルフのナウシカマスク」という商業リプレイには絶対に出て来ない妙な名前を思い出して、まあ、そんな妙なセンスのぶっ飛んだ友人のことを振り返り(今は音信不通……でもないか。携帯に番号登録はされている。こっちが不精で連絡とってないだけ)、芋づる式に記憶が呼び覚まされたこともあって、記事にすると面白くなりそう、と感じている。
 まあ、実際に書いてみると、単に脳内美化されただけなのかもしれないけれど。もちろん、脳内美化された記憶を、面白い読み物に仕上げるのも創作家の技量かと考えれば、適切な挑戦になるかな、と。面白いかどうかは書いてみてからのお楽しみ、とブログ読者にではなく、自分に言い聞かせる次第。それで自分を鼓舞しないと、記憶が古すぎて書けないわな。

2.ルールブック紹介のつづき

 ベーシックルール(赤箱)の表紙絵を貼りつけて、そのイラストについての感想コメントを書きつらねた記事(3月11日分)。
 本来なら、この後、エキスパートや、コンパニオン、マスターまで順次、書いていこうか、と思っていたのですが、「戦士とレッドドラゴンの対決絵」をじっくり見ているうちに、そういう記憶ボックスがパカリと開き、まあ、次のリプレイ記事「対決レッドドラゴン」を書き始めるに至ったわけで。

 本来なら、D&Dの各クラスの紹介とか、細かいルールに触れようかな、と思ったのですが、「どうせならリプレイ記事の形で、主要4職を紹介した方がいい」となって、ああいう流れになった次第。
 まあ、「対決レッドドラゴン」は3話で完結しているので、その続きは当然ないわけですが(登場キャラが全滅したし)、そこから改めて、エキスパート以降の表紙絵語りに移ろうかな、と考えていた矢先、

3.コメント対応(3月14日以降)

 悪く言えば出鼻をくじかれた、良く言えば当初とは違う方向でブログ活性化の起因になった、種々のコメントです。
 ここで、「自分一人の頭の中にあった記事展開の青写真」を一度棚に上げておいて、書かれたコメントについて、どう処理するか考えを要することになります。
 いや、まあ、「こちらの記事内容に対する感想コメントと、多少の自分語り」なら、こちらも自分のペースを崩さずに、適度に応じることができるのですが(Tさんのコメントはそういう部類でブログの流れ的には好印象)、

 うちの初コメントは「それ以前のメールからの流れ」を引き継いだものでして、ええと何でしょうな。
 ブログに対するコメントとしては、「ブログ記事については触れず、自分語りに終始したもの」で、こちらの作った流れには乗らずに、「自分の話だけ聞いて、聞いて」と訴えかけてくる内容。
 まあ、こういうコメントを書かれてしまえば、こちらとしてはスルーして自分の予定どおりの作業に邁進するか、それともきちんと相手して話し手が飽きたり満足したりで去るのを待つか、あるいは……「コメントそのものを自分の書きたい記事の方向性に組み込んで、さらなる展開の起因にするか」の、いろいろなイメージを脳内構築しながら、結局、第3のカギカッコ付き戦略に至った次第。

 そして、ひとたび邪険にせずに、とりとめのない、思い込み過多の勘違いだらけのコメントの中からも、アイデアソース、調理の素材として活用しようと思えば、それも宝の山と見なせないこともない。
 シンカリオンの中で、「クズ鉄だらけのゴミの山から、まだ使える部品を見つけて、それをリサイクルする熟練の技師の爺さん」が出た回があったのですが、たとえは悪いものの、そういう気分で事に当たろう、と考えた次第。
 いやね。そのコメントがクズ鉄と明確に断じているわけではないのですが、あくまで物の例えね。こっちが件の爺さんキャラに自分をなぞらえているってだけの話。

 もっと良い方に言い換えれば、彼の語る話は「鉱山から掘り出した鉱物や宝石の原石」でしかないの。
 体験そのものは貴重であっても、そのまま人に語るには磨かれていないので、鑑賞用には値しない。子供が道端の石を拾って来て「これは宝石なんだぞ」と自慢しているような扱いを、彼は自分の貴重な体験に対して行なっている。未加工の原石のままじゃ、普通の人には道端の石と変わりないようにしか見えないし、一応、創作家の心得のある立場から見てみるならば、「この人はもっと自分の体験(それが良いものであれ、悪いものであれ)を客観的に見つめ直して、刺々しいところを削って、綺麗な彩りを施すことができれば、面白いものが書けるだろうに、そういう技巧がないからストレートにさらけ出すしかない。もったいないな」と言わざるを得ない。
 結局のところ、未加工な原石を突きつけられても、こっちは「何それ? そんな物を見せて、この人はぼくに何をして欲しいの?」と戸惑わざるを得ない。可哀想ですねと同情して欲しいのか、バカだなと見下されたいのか、頑張れよと励まされたいのか、こっちも一通りは試みたけど、それ以上に、「そんなつまらないことを、いちいち書き連ねるな。自分の中で処理して来い。いやしくも創作家、文章の書き手を目指していた、あるいは目指しているなら、人を楽しませる、または人のためになる、エンタメなり実用性のある文を書いてこい」とアマチュア物書きとしてのプライドに掛けて、追い返すしかないのである。

 なお、自分の中の文章基準には4つの区分けがあって、
「面白くてタメになる」が一番の理想で、そこを目標として目指すわけですが、実際にはなかなかうまく書けずに、「面白い」か「タメになる(情報的価値とか)」のどちらかがあれば、読める文章になる。
 で、価値のない文章というのは「つまらなくて役にも立たない」という代物で、そういう文章を書けるのも個性なのかもしれないけど、そういうネガティブな方の個性は叩き直さないといけないよね。

 オンリーワンというのは、あらゆる個性を平等に認めるのではなく、個性の中の光る、ポジティブに活用できる部分を武器に変えるもの、だと認識。良い個性も悪い個性も一緒くたという雑な考え方ではなく、悪い個性は適度に改めながら、良い個性に磨きをかける。磨かれない個性も尊いなんて言っちゃえば、人間の成長を否定する思想になりかねん。オンリーワンは、自分の中の光る個性を見つけ出して、そこで勝負という考え方で、ある意味、方向性が一つに定められたレールを進むナンバーワンよりも努力を要する。
 彼は、まず自分の文章が客観的に「面白いのか、タメになるのか」といったことを自分への贔屓目抜きに見つめた方がいいし、どう加工すれば面白くなるのか、実用的に活かせるようなものにできるのか、まだまだ創意工夫が必要だと考えます。
 で、これは文章の書き手として当然の資質だけど、「自分の文章のどこが面白いのか」「どの辺がオリジナリティなのか」「どこが役に立つのか」なんてことを、自分で意識、自覚し、自分で語れないといけないです(素人レベルの戯言で満足しているならともかく、いやしくも人に読んで欲しい文章の書き手を目指すならね)。自分の作る料理の味に無頓着な料理人はギャグでしかありません。現実では(マンガの中でも)そういう人間は料理を作るな、となります。
 もちろん、普通は、そういう自画自賛は恥ずかしいので公の場では滅多にしないけど(日本人の場合。アメリカ人は、自画自賛すらできないようでは世に出れない)、編集さんとの会議では、まず、そこから普通にアピールできないと話にならないし、普通の会社でも自分の企画の長所を自分でプレゼンできないような人間は、企画を通すことはできない。もちろん、ものづくりの世界では、寡黙な職人タイプも普通にいるけど、彼らの武器は言葉じゃないからね。自分の文章の面白さを要約して語れない書き手って、言葉に真剣に向き合っていないと思うな。

 ……とまあ、彼を念頭に置けば、自分は説教モードのスイッチが入るので、そこは自覚しながら適度にブレーキを踏むわけですが、こういう文章は彼本人にはなかなか書いても伝わらないので、もっと多くの人に読む機会を与える方が建設的ではなかろうか、と愚考する次第。

 結論、「面白いコメントは歓迎しますし、記事感想はもちろん嬉しい。コメント主とのコミュニケーションは大抵なら、ぼくの心を活性化させてくれる。ただし、一部そうでない人もいるので、そういう自覚のある人は、独り善がりにならずに、客観的に自分の文章の面白さ、実用性を意識して見れる視点を構築しよう」と、昔(かれこれ20年以上前)尊敬する作家の先生から独り善がりを指摘されたことのある自分が、時を経て、そこからの成長を自覚した上で語ってみるのである。

 ともあれ、コメントから、どうブログ記事に発展させるかは、考えていて楽しいことも多いので、時には辛辣なツッコミ意見に懲りずに、コメント入れてくれるなら、こっちは適切に調理して加工する気は十分です。

4.精神状態について(3月19日以降たまに)

 NOVAは、躁うつ気質であり、感情移入過多なところがあり、自分の感情コントロールに苦労してきた人間である。
 そんな人間でも、掲示板管理を17年間務めてきて、そこそこ年季の入った常連客の人たちと楽しく交流できているのだから、まあ、自分にしては上出来だと考えてます(もちろん、お客さんの皆さま方には感謝しております)。

 このための秘訣としては、他の掲示板管理人の方がおっしゃるところでは「NOVAさんの文章は、対象に対する好きだ、楽しいという感情がはっきりしていて、あまりネガティブなことを書かないように気を使っている」というそうで、まあ、指摘されると確かにその通りかな、と。
 そう、好きなものを好きというのは楽しいし、共感してくれる人とは語り合いたくなる。そのための掲示板だろうし、そういう雰囲気が好きな人なら、NOVAとも話が弾むだろう。後は、好きなジャンルの問題である。

 しかし、数ある特撮作品でも、いわゆる外れ作品、つまらないと感じるものだってある。具体的には挙げないが、NOVAだって自分が好きになれない作品の一つや二つぐらいある。そういう作品に対しては、批評的精神をむき出してにしてボロクソに欠点を挙げつらうサイトの掲示版も見てきたが、自分としては大変、居心地が悪かった。その人の語る「愛ある批評」って何だろうな、と感じたりもしながら、自分なりにそこから学ばせてもらったりもしたので、これは恨み言じゃない。単に、感じ方、考え方の違いというだけである。
 で、これは人と接するときのコミュニケーション手法だけど、「サンドイッチ話法」というものがある。簡単に言えば、「最初に褒めて、途中で厳しい批評を加え、最後にフォロー」して、全体の話の流れとしては正の放物線(下に凸)になるような文章を書くようにしている。始まりと終わりが良ければ、途中が結構ひどいことを言ったとしても、後味は悪くない、という形。

 作品と喧嘩しているなら、最後に必殺技で完膚なきまでに叩きのめして、勝ち誇ってエンディングってのもありだろうけど、自分がつまらないと感じる作品に対して、そんなことをしても面白いのかな、とは感じる。本当につまらないなら、そこまでムキにならずに見なければいいと自分は思うのだけど、最初は応援し期待していた番組が途中で失速したり、路線変更したりして、自分の好みとは異なる流れに入ったとき、人は裏切られたと感じて、たやすくダークサイドに転向するものである。

 まあ、そういう人間の愚かさをニヤニヤと観察するのも一つの趣味ではあるが(NOVAもそういう趣味の持ち主であると自認している)、掲示板管理という場を運営する身としては、そういう自分本位の態度は慎むべきである、と考える次第。

 要するに、「自分がつまらないと感じる作品にも、それを面白いと感じる人は必ずいるわけで、そういう人の体面を失わせてまで自己主張に励む」というのは、管理人の態度としてはいかがなものか、と考えるから。
 そこで、最初のテーマに戻るが、NOVAは時として、感情がものすごく不安定になることがある。それまで好きだと思ったものが急に受け入れられなくなったり、冷淡になったりすることもある。まあ、嫌いなものを好きになるには結構な努力を要するが、そんな時はどうするか。
 簡単である。
 自分は書き込まず、他の書き手の方々の意見をROMることに徹する。そうすると、ある程度は客観視できるようにもなるわけで、要するにネガティブな意見や態度は引っ込めて、自分を適度にコントロールできるまで抑えたらいい、と。NOVAが掲示板書き込みを、時に隔週とか頻度を抑え気味にしているときは、仕事で忙しい場合と、精神コントロールに努めている場合と、その両方の場合がある。
 逆に毎週コンスタントに書いている場合は、その作品が本当に面白くて、仕事で忙しい時でも自分にエネルギーをくれているので、疲れていても書くのが苦にならない時である。

 ただ、掲示板の週一感想書き込みなら、そういう形で調整できても、ブログでもっと頻繁に書こうと思うときは、別である。気分が乗っているときは明るい文章を書けるけど、そうでないときは……書かないというのも一つの手だけど、「自分で書いたネガティブな文章に、後からいろいろ付け足したり、ネガティブ成分を削ったりして何とかポジティブな形になるよう」工夫するのである。

 「花粉症で辛いよー」で終始、愚痴と文句と不満と涙と鼻水を垂れ流したような、汚い文章は誰も読みたくないだろうけど、
 「花粉症で辛いよー。しかし、こんなところで負けてたまるか。そうだ、せっかくの花粉症だから、それを利用して、萌えキャラを作れないか? 今までにそんなキャラを作った例はあるか? 『花粉症、萌えキャラ』で検索。おお、どうやらいないらしい。すると、そんなことを考えついた自分って天才じゃね? よし、こうなったら、じっくり腰を据えて、とことんやってやるとするか。花粉症万歳。うー、それでも涙目辛いよー」

 こんな感じで、翔花は生まれた。

 でも、これって、さっきのサンドイッチ話法とは、逆パターンだな。負の放物線(上に凸)。
 ええと、要はどこかにポジティブなところがあれば、いいのかな。

 とにかく、自分は躁うつということは、躁な感覚も、うつな感覚も心得ているわけで、この辺がスーパー万能教師の所以である、と言い切ってしまっていいのかどうか(少し不安)。

 ちょっと、この辺まで書いてみると、自分の手法が理論として説明するのに、まだまだ不安定なことが分かってしまい、もう少し考察の余地はあるのだけど、一つだけ信念として持っている想いがある。

 鬱を理由にして、他人にネガティブオーラを振りまくような輩は、NOVAにとっては敵である。そんなメールはゴミも同然だし、そうしている自分に気づかないようでは鈍感もいいところである。
 そんな輩の書くような文章には百害あって一利なし、とまで断言しますので、しっかり反省して、人にメールする前に正気に戻って、推敲ぐらいはするように、と忠告しておく。
 まあ、NOVAがプリキュアだったり、マジマジョピュアーズだったら、浄化技で癒してあげられるんだが。あるいは、星雲仮面マシンマンでもいいな。カタルシスウェーブで、うつな気分も晴れやかに、と言いたいけど、

 NOVAの精神は、自省回路付きのメタルダーとか、時々ギルの笛で苦しむキカイダーなんかに近いからな。自分で切り開け、甘えてはいけない。>今回、懲りずに鬱メールを出して来やがった誰かさん

5.クラス(種族)について(3月24日、3月30日~4月6日)

 当初は、コメント対応の流れから始まった記事。
 いや、基本ルールについて書いたときから、一通りのクラスについて紹介しようかな、という意識はあったんですな。
 でも、先にコメントで書かれてしまった。
 まあ、その文章が妥当な内容だったら、「おお、なかなか流れを汲んだ、いいアシストじゃん」と褒めることもできたんだけど、中身がひどくて、適当なことをほざくな、この野郎、と感じた次第。
 こういう物を穏やかな振る舞い方で、ニコニコお客様向きスマイルで遇していては、当ブログの沽券にも関わる。自分はD&Dを愛しているし、相応に詳しいという立ち位置で今後も書いていこうとしているのに、その膝元で適当抜かすような文章を放置していては、「何だ、NOVAもこの程度かよ、偉そうなことを言っている割には大したことないな」とマニアな方に鼻で笑われるようなことがあるだろうと、将来のことを考えて、

 コメントの間違いを理路整然と正すことと、
 まあ、単なるクラス紹介以上の思い入れとか、他では見られないような奇矯な発想を示す目的で書いた次第。

 戦士から書き始めたのは、まあ、一番の基本クラスだから。
 でも、その後、普通なら「魔法使い、僧侶、盗賊」という基本職に展開すべきところをそうしなかったのは、コメント対応の流れと、「基本4職については、先の『対決レッドドラゴン』で紹介済み」だし、いずれAD&Dや新世紀D&Dについて語る際に(いつになるかは知らん。末永く書こうとは思っているし、いきなり今の5版の話に飛ぶ可能性も十分あり)、もう一度触れる可能性が高い。
 「戦士のHPは、クラシックD&DではD8だけど、AD&D以降はD10に上昇していてタフさが高まっている。さらに、いろいろ戦闘特技が追加されて、上級者が自由にカスタマイズできるようになっていて、かえって初心者が扱いにくくもなっている。まあ、そういう初心者に合わせて、お勧めの戦士パックみたいなキャラ構築例が示されていて、それをそのまま使ってプレイできるようにもなっている」云々といった比較記事ね。

 一方、CD&Dのデミヒューマンクラスは、それ特有のシステムだ。
 他のゲームだと「ドワーフの戦士とか盗賊とか神官戦士」「エルフの精霊使いとか魔法戦士」「ハーフリングの忍びとか吟遊詩人」といったように種族と職業が切り分けられているのに、CD&Dではシステムを簡単にするために、デミヒューマンはそれ自体で一クラスになっている。
 ただし、総じて複合クラスであるため、他のクラスよりも特殊能力が多くて、初心者向きとは言いにくい。いや、基本は戦士プラス何か、なので、戦士みたいに使うこともできるし(その場合、戦士のサポート役、戦隊レッドに対するクールで多芸なブルー、パワフルなイエロー、機敏なグリーンのポジションになるのかな。いや、エルフはヒロイン役、爆弾投げるピンクなのかもしれない。どちらにせよ、チームリーダーというメインの位置付けとは言えないけど)、能力をフル活用することにこだわらないならば、そこまで扱いにくいクラスではないけれど(魔法使いや盗賊の方が、基本性能が弱すぎて、レベル1から育てるには、初心者が大変な思いをする)、
 逆に、その能力を目いっぱい生かそうと思えばどう運用するのがいいか、書いた文章はあまり読んだことがない。まあ、普通は初心者向きのガイドだと、デミヒューマンの解説よりも他の4つを優先するし、デミヒューマンの場合、そのゲームの中での能力面よりも、「その種族がどういう種族かという背景を語る」のに文量が費やされることが普通で、エルフ完全運用ガイド、ドワーフ活用ガイド、ハーフリング堪能ガイドみたいな中身の記事は読んだことがない。
 あっても、それはCD&Dよりも、上級版の種族と職業が別々の作品群ばかりで、要するにCD&Dのデミヒューマンはおまけ扱い。


 その中で、「エルフがいれば戦士は必要ない」というような、実プレイをきちんとしてエルフの苦悩を間近で知っている者からは決して出てこないような勘違いも生まれてくる。もうね、D&Dのエルフプレイヤー経験者(数度の繰り返しプレイをして、仲間と自分のHP差を実感している者)にインタビューすると、みんなこう言うでしょう。「いろいろできて楽しいんだけど、HPの低さだけは勘弁して欲しい。何度、死にかけたことか」って。
 しかも、AD&Dでは「エルフは死んでも復活の呪文が効かないので、生き返れない」という公式ルールがあるので、エルフ使いは茨の道、というTRPGことわざもあるぐらい。そのことを揶揄してか、『アースドーン』というNOVAも関わりを持った翻訳ゲームでは、「全身、茨のトゲに覆われたマゾヒスティックなエルフ」というのが公式設定であった。

 それで、どこにでもありそうな、4つの職業をまず紹介して、その後、デミヒューマンはおまけ程度な記事をここでも書くよりも、ここでしか読めない「デミヒューマン徹底考察ガイド」みたいなニッチな記事を書いてみようと思い立った次第。
 というか、誰かのコピーみたいな文章を時間をかけて書いても、今さら意味ないじゃん。つまんないじゃん。書くなら、読者が「こういう切り口は見たことがない。斬新だ。変だけど面白い」と思ってもらえる記事にしたいじゃん。と、まあ、要するにNOVAが普通じゃないことを活かした、自分ならではの記事(商業記事では書けない)内容にこだわった次第。
 最近の例を挙げるなら、「ビルド=エルフ」「げんとくん=ドワーフ」「みーたん=ハーフリング」なんて書いた記事が他にあるだろうか。いや、ここ以外であったら、自分が見てみたいです。オンリーワンって、こういうことだと思うよ。

 まあ、書く前は自分でもここまでおかしな方向にそれるとは思わなかったんだけど、完成してみると、自画自賛に値するな、と考えています。
 なお、日本人はどういう種族向きか、という話が昔、『ウォーロック』誌上にあって、「自然を大事にしているからエルフだ」「刀作りとか職人肌な人が多いからドワーフだ」「小柄で忍者がいるからハーフリングだ」というような説がいろいろあって、まあ、楽しかったり。
 でも、今のぼくなら普通にこうツッコむね。「いや、どう考えても人間でしょう」って。
 まあ、当時やれば、無粋なツッコミだったでしょうが。

 ともあれ、しっかりルールブックの記述を読んで、久々に昔の感覚を思い出せた珠玉の記事書きタイムになったのは間違いありません。昔、書きたくても書けなかったような記事が、こうやって書けてるだけでもありがたい。

6.翔花出張編(4月7日~8日)

 最後に、これはまあ、当ブログ記事としてはおまけ的なものなので、「空想(妄想)タイムからの話題を引っ張って来たもの」とか、「これまでNOVAが話題にして来なかったようなジャンル」から、遠慮なくネタを取ってきた。

 前者については、要するに「私的クロスオーバー」というか、あっちのブログと、こっちのブログの世界観をミックスしたらどんな感じかな、と試してみた。
 書いている人間は同じでも、場所が違えば、こちらの気構えも変わってくるので、そこに触媒となる翔花を加えてみての試し書き。まあ、掲示板書き込みにまで翔花を出しゃばらせるつもりはないので、ブログのみのお遊びとなるわけで。
 また、クロスオーバーと銘打つなら、こっちにも「翔花相当のアシスタント娘を用意すれば面白くなるかな」とも思ってみたけど、キャラが増えれば書き分けにも神経を使うし、翔花の奴はあれで、嫉妬心の強いところがあって(書き手にも想定外)、たぶん別キャラができればもっとうるさくなりそうなので、当面はパスした方が、自分がラノベのハーレム主人公みたいな気苦労(パラダイス?)を背負わなくてもいいかな、と。
 どうも、個性的な女の子たちの集団に振り回されるってのは、ラノベでは楽しそうに描かれて男の夢、なんて思う人もいるかもしれないけど、自分にはしっくり来ないのですわ。それより、男友だちとダベっている方が楽しくね? 女の子は紅一点で、自分にベッタリであれば、それ以上は望まないというか、浮気がどうこうで揉めるのって面倒だし。
 まあ、翔花だけじゃ刺激が足りなくなったな、と思った段階で、テコ入れとして「ヒノキ花粉の精」とか「イネ花粉の精」とかいろいろ追加して、そのうち「花粉戦隊」とか「花粉少女隊カフカフショーン」なんてものを結成、というネタを考えたりもしたけど、そんなに花粉症ばかり増やして楽しいか自分? それって、むちゃくちゃ辛くね? と思ったら、まああくまで企画案のボツネタにしておくのが賢明かな、と。
 もっとも、せっかく考えたので、日の目を見ないアイデアとして、ただ消し去るのも勿体ないという気にもなって、「裏話的な当記事のネタ」として披露してみた次第。そのうち、もっとブラッシュアップして、時機を見て出すかもしれないし、違うネタに発展継承されるかもしれん。ネタの運命は誰にも見えない。ここぞというところで、自然に切り開かれるもの、と考えます。適度に伏線的な種さえまいておけば、知らない間に思わぬところから芽が出て、膨らんで、思いがけない花が咲くことも。花粉症だけに。

 後者については、「はだかの王様」とか「劇団四季」とか「プリキュア」とか、今までこんな話はしたこともないですし、まさか自分にこんな引き出しがあるとは思いもしなかったです。
 まあ、「劇団四季」については、NOVAの引き出しじゃなくて、NOVAの教え子から聞いた話だったりもして、リアル知人とのコミュニケーションは生の刺激として、それがたとえ、ほんの5分程度のものだったとしても、自分にはない引き出しを開発してくれることもある。要するに、関心の幅を広げてくれるってこと。逆に、他人に対する関心がなく、自分のことしか見えていない人間は、物の書き手としての伸びしろも、たかが知れているってことですな。よほど、自分の中の世界を深く掘り下げて、探究心の旺盛な「自家発電型の人間」でない限り。そんな人間は引きこもっていても脳内幸せなので、基本、他人に迷惑をかけるような関わり方をしないと思う。
 自分の場合は、基本、内向的な自家発電型なんだけど、やはり仕事をする上では、それじゃやっていけないので、外へのアンテナとかを心に構築して、外向的な自分を生み出す必要がある。そのための仕事バージョン教師モードなんだけど、そろそろ統合してもいいかな、と考えるに至っている。仕事と趣味は別物、というスタンスでサイト設立時から生きてきたけど、まあ、仕事人としての自分(ちょっと仕事人の意味が違うけど)という裏の顔(リアル世間ではそっちの方が表だけど)をネットで出しても、それはそれで、平成終了後の新生NOVA、ヌーベルNOVA、ネオNOVA、ニューNOVA、まあ、何でもいいけど、多分、そのうち昭和NOVAと平成NOVAと新元号NOVAの対決脳内映画が、妄想空間で上映されるかも知れん。
 要するに、ネット人格としての発展というか、イメチェンというか、今年はあれこれ試みている最中、と。いつまでも同じ自分ではいられないというか、少しぐらい成長しているところを見せたいというか、変身とか、フォームチェンジとか、いろいろ好きなのに、書いている自分が変われないというのも悲しいよなあ。まあ、あまり極端な変化を演じても、これまでのNOVAと付き合ってくれるネット友達に引かれても嫌なので、あくまでブログ内でのお遊びに留めておくのが吉と思うんだけど、例えば「ぼくNOVA」と「俺NOVA」の違いを見せるだけでも大きい、と思うんですよ、実際。日常では、どっちも普通に使っているし、自分。

 まあ、日常そのままやと、関西弁で喋らなあかんし、素の自分を全面的に出したりしたら、またおかしなことになるさかい、それはそれで、試みとしては面白(おもろ)いんやけど、文章としては、なんかヘン。やっぱ、これじゃあかんよな。

 まあ、日常そのままだと、関西弁で話さないといけないし、素の自分を全面的に出すと妙なことになるので、それはそれで実験的に試みるのも一興とは思うけど、文章としては少々変なことになる。やはり、これではダメですな。

 比較対照すると、関西弁バージョンの話し方がリアルNOVAで、後者がネットでの標準NOVA(最近バージョン)ということになるけど、昔は「○○ですね」と言っていたのが、ある時期から「○○ですな」と切り替えるようにもなったし、それだけで「年下クール系キャラ」と「年配物知りキャラ」の雰囲気の違いを演出できると思う。
 こういう細かい言葉遣いの変化からも、自分の場での立ち位置を構築することはできると考えますし、この辺が日本語の言葉回しの妙なのでしょうな。

 ただ、こういう表面的な言葉使いだけ整えても、話の中身が一緒なら、それは変化したことにはならないわけで、話の中身まで変えて、違う自分をアピールすることを意識するのですが、
 それには何らかのきっかけ、起因となるものが必要なわけで、それは「場を変える」「他人の提示した話題に乗っかってみる」「最近読んだ本から引用する」「ドラマやアニメのお気に入りセリフを試しに使ってみて、いろいろアレンジしてみる」など、いろいろな方法がある(実際、全部やってみた、というか、今はほぼ日常的にやっている)。
 で、今回のきっかけは、「自分の作ったネットキャラと会話してみる」という高度な手法、まあTRPGゲームマスターを演ったり、一人芝居である落語家にとっては必須技能、ついでに作家が複数のキャラの会話を展開しながら物語を破綻なく、不自然にならないようにまとめるのにも不可欠な技能ですな。
 正直、翔花のキャラ構築とか、素の状態だと死ぬほど恥ずかしいと思うのだけど、まあ、そこは花粉症と仕事疲れで幾分、意識が朦朧としていたのが功を奏したのでしょう。半ば夢うつつな気分で書いてたわけで、後から自分の書いたはずのものを読み返して、絶句。

 その後、ええ? こういうテンションを常に維持できたら、もっと面白いものを書けたんじゃないかな? いや、むしろ、これから書いていけよ、自分。何だか違う自分に覚醒しちゃったよ、何これ、悟りの境地? これが人類の進化のアギト? それとも今の旬のEVOL? いや、逆から読むとLOVE? ラブ&ピースでしょ、という妙な高揚感に包まれて、その後、「まずは君が落ち着け」とブレーキを踏んだりするこの頃。

 そして、出て来た話題が、まあ、プリキュア
 いやね、スーパーヒーロータイムの延長で、今は前座で、時々見るときもあったのよ。だけど、わざわざ、そういうのをアピールする気にもなれないし、そもそも最初から見ていたわけじゃないので、それほど詳しいわけでもない。ええと、フレッシュプリキュア辺りかな。割と意識して見るようになったのは。たまたま、ラブとイースの対決と和解、そしてキュアパッションの誕生まで見て、思いの他に萌えた、じゃなくて燃えた。
 まあ、ラブことキュアピーチは、歴代でも屈指の漢キャラとして名高いことは後から知った情報なんだけど、そこから、とりあえず自分の幅を広げるためにも、女性キャラについて語る勉強の上でも、物語の基本設定とか作品ごとの雰囲気の違い、キャラ造形の類型パターンぐらいは理解するようには努めてきたわけで、ところで、自分のプリキュア歴って、そこから何年め? (調べないと分からない辺り、自分の中でのマニアとは程遠い浅さ) ええと放送が2009年か。シンケンジャーや、キバからディケイドを経てWと同じ年だな(そこのところは調べなくても素で分かる。一応、指で数えた上で、間違っていれば恥ずかしいので、念のため合っているか確認もしたけど)。
 フレッシュからのタイトルの順番も、調べないと分からないし、これがライダーや戦隊、必殺シリーズウルトラマンゴジラなどの作品だと素で全部言えちゃうんだぜ(最近のはやや不安あり)。まあ、今の時代、そういうことが言えても何の得にもならないのは重々承知なんだけど、
 マニアを名乗る上でのプライド構築とか、
 知識なんてものは役立つかどうかじゃなくて対象に対する関心の深さを示すバロメーター(愛と表現する人もいるけど)だったり、ちょっとしたクイズ番組や隠し芸のネタ(今では、それで飯食ってる芸人もいるわけで)だったり、
 そして番組背景となる放送年代の世相との比較考察なんかをするのに、とっさに「ゴーカイジャーが放送開始した時は、東日本大震災で、ヒーロー役者のOBの人たちがツイッターで全国の子供たちや特撮ファンの大人たちに応援メッセージをしきりに送って、感動と勇気をくれた」というような背景情報を普通に語れるのとでは、やっぱ知っているからこそ、見渡せる世界というのもあるよなあ、と懐かしがれる。
 ええと、その時プリキュアって何してたっけ? (検索) ああ、スイートプリキュアね。キュアビートが出てた奴か(ネコ→人間のセイレーン改めエレンが好き)。ああ、主役の片割れ、キュアメロディが小清水さんか。美雲さんで、最近は牙狼ジーナをやってたな。え? ギアスのカレンって小清水さんだったの?(つながってなかった)スパロボでそれなりに声聞いてたのに、気づいてなかったや。エウレカセブンアネモネもそうなのか。最近の声優には本当弱いなあ……って、デビューして15年になる小清水さんを、最近、なんていう辺り、俺もいい年なんだけどさ。で、デビューはナージャかあ、へえ、あまり見てなかったや。
 ……とまあ、記事書きしながらネット検索して、wikipedia見て思ったことを、そのまま書くと以上の感じ。

 こんなことも調べないと分からないのか、自分もまだまだだな、と思う反面、きちんと、さらっと調べたら、これだけのことは普通に分かるのが、情報社会ならではのいいところ、と楽しんでみる。

 で、ネットを活用すれば、いろいろつながって、関心事もどんどん広げて行けるこの時代にあって、ろくに調べることもないくせに、通ぶって平気で嘘を垂れ流す輩が身の回りにいることを毛嫌いしつつ(そういう人間がしきりにメールなんかで、「NOVAさんの満足できるような書き込みをできるようになりたいです」なんて臆面もなく言ってのけるんだぜ。片腹痛いわ。日々の学習量が違うようじゃ、絶対に追いつけんし、満足させられん。いい加減、身の程を知れ。まあ、この記事読んで、もっと精進して学ぶ姿勢を根本的に見直すのなら、まだ救いはあるんだけどさ)、
 逆に言えば、翔花のような架空キャラでも、生きた人格のように会話してみれば(まあ、アナログ人工知能みたいなものですな)、それが起因となって、自分の中にあって、使ってなかった知識やら統合されていなかった知識を再確認し、ネット情報なんかと組み合わせて、おお、と新鮮な感動を生むわけで(こういうところが自家発電)。

 で、最後に、この場の今の主話題である「D&Dのドライアド」に思い当たったのは、彼女をここに連れてきて正解、ということになりまする。元の世界じゃ、「杉花粉症の精霊」という言葉はあっても、それが即ドライアドにつながるとは気づいてなかったわけで。
 結果として、プリキュアエストであり、翔花クエストになった記事だった、と。

★まとめ

 以上、最初は今後の記事書き方針(予定とか未来とか)について書こうかと思っていたら、途中から、ここまでのブログ記事総括(裏話含む)めいた、過去に目を向けた記事になりました。
 いや、自分は時々、総括してやらないと、先に進めない奴なもので。過去の自分の延長線上に未来があると考える人間なもので、過去をないがしろにするようにはできていないんですわ。記憶や記録、メモリーは大事にしたいので。

 でも、結果として長すぎ。普通の記事書くよりも時間を掛けてどうすんのさ、自分。
 こんなに長くなると分かっていれば、最初から記事を切り分けるのにな。
 切り分けた項目だけで、十分一つの記事が書けるぐらいの文章量で、ここまで読んでくれた殊勝なお客様には、感謝の意を示す次第(ペコリ)。
 ここまで読んでくれた方には、今後ともご贔屓のほどを。そういう人は、翔花ファンではなくても、NOVAファンの称号を進呈します。NOVAファンになるのに、NOVAの名前を毎日10回も書く必要はないよ。NOVAの拙い長文を読んで、それでも十分楽しめるようなら、NOVAファンを名乗る資格は完璧だ。
 まあ、その資格になんの価値があるかは、自分でもよく分からないけど、少なくとも、NOVAの好意を勝ち得るのに必要条件にはなるだろうね(十分とはいえない。というのも、読んでいると称するのに、相変わらずNOVAの好みを解さない自分本位なメールを寄越してきては、NOVAに小言を言われ、うんざりされ、ブログでネタにされ、謝罪を繰り返しては相変わらずな人もいるから。それでも、好意ではないけど、腐れ縁は勝ち得ているよな。きちんとした良縁に転禍為福できれば、と思っているけど。まあ、悪縁も是また縁なり、と自分を宥めてみる次第)。

 

(2022註:だけど、悪縁は叩き斬るって口癖の赤いヒーローが出てきた辺りで、断捨離されたわけで)

(完。次から通常の記事に戻ります。やっぱ表紙画像付きのルールブック紹介が書きやすいかな)