ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

D&D各ルールブック紹介2

 前にルールブック紹介記事を書いたのはいつかなあ、と思って確認すると3月11日でした。

 

 早くも一月が過ぎていたことに驚きつつ、次はもっと速いペースで展開しようと思います。

 

 まあ、以前の記事を書いたときは、いろいろとD&Dに関する基本的なことや、自分とD&Dの関係について、あれこれ前置きをつづっていましたね。

 正に、気分はベーシック。初心者向けの記事って感じ。

 

 でも、今はここでの記事もいっぱい書いて結構、経験値が溜まったので、気分はエキスパートです。

 

 そんな、そこそこ熟練してきた人たちの冒険の世界へ、さあ、足を踏み入れたまえ。

 

★セット2エキスパートルール

 さあ、待ちに待った青箱です。


 ベーシックでは、ダンジョン内の宝物庫でレッドドラゴンと対峙する戦士の姿が描かれていましたが、今回は野外です。ウィルダーネス・アドベンチャー(広野の冒険)というのが、エキスパートルールの最大の売りということで、ラリーさんのイラストもそれを反映すべく「白馬に乗った熟練の戦士が、飛行するドラゴンと対峙する絵面」へと進化しています。

 戦う相手も、レッドドラゴンよりもっと強いゴールドドラゴンっぽい。いや、もしかするとカッパードラゴンとかブラスドラゴンなのかもしれないですが、そいつらが存在するのはAD&D以降になりますので、やはりCD&Dではゴールドドラゴンと考えるのが妥当でしょうな。
 イエロードラゴンなんてものは、このゲームには存在しませんし。

 いるのは、弱い順に、ホワイト、ブラック、グリーン、ブルー、レッドということで、まあ戦隊カラーリングっぽいのですが、ピンクとイエローがいなくて、グリーンとブラックが揃っている戦隊というのは何でしょうかね。ピンクなしでホワイトということでずいぶん候補が絞れて来るのですが、順に挙げるとジェットマンカクレンジャーガオレンジャージュウオウジャーの4つ。予想よりも少なかった。
 しかも、全部イエローがいるし。
 該当する戦隊がゼロという、この絶妙な五色。さすがはD&D、奥が深い。

 戦隊の中では、赤青黄の三原色が基本カラーで、そこに緑桃パターンと、白黒パターンと、黒桃パターンが適度にローテーションしてくるのが大まかなカラーリング。緑と白ってのは長年相性が悪かったのですが、近年のジュウオウジャーで初めて見られたカラーリングセット。まあ、初期のジャッカーの追加戦士ビッグ1を考慮するなら、その時点で出てきてはいるのですが、追加戦士は色々と話がややこしくなるので、とりあえず外して考えます。

 そして、皆勤賞は赤と青の二色で、黄色もほぼレギュラーなのですが、数少ない例外がチェンジマンキョウリュウジャー、パトレンジャー。
 まあ、最後のは同時出演のルパンレンジャーの方にイエローがいるし、そもそも3人戦隊だと5色揃わないのが当たり前なので、考えから外すにしても、イエローのいない戦隊ってのが実にレアなのが分かります。
 さらに、イエローなしの戦隊は確実にドラゴンやリュウが関係しているのも、なかなか当ブログでは興味深い。

 とりわけ、「強き竜の者」の異名を持つキョウリュウジャーの面々は、一番D&Dのドラゴンカラーリングに近いんじゃないか、ということで、注目に値します。これでキョウリュウピンクのアミィがD&Dに配慮して、キョウリュウホワイトだったら完璧だったのになあ。

 そんなわけで、今後「迷宮戦隊ドラゴンジャー」なるD&Dコラボ企画を作るなら、メンツは「レッドファイター」「ブルーウィザード」「ブラックローグ」「ホワイトプリースト」「グリーンドルイド」って感じで、やってくれるとNOVAが喜びます。まあ、厳密には、ブルー以降は、マジックユーザー、シーフ、クレリックという方が正確なんだけど、ヒーロー個人名にすると少々語呂が悪い感じなので、AD&D用語を採用した次第。
 なお、ドルイドはコンパニオンルールに出てくる追加職業ね。

 で、「ドラゴンのカラーリングと戦隊カラーの対比」という話は思いきり寄り道なので、話を戻して、ようやくエキスパートルールの表紙のゴールドドラゴンの話。
 これ、昔、考えたのは、ゴールドドラゴンってローフル、すなわち善良系のモンスターなのに、どうして正義っぽい白馬の騎士と戦っているんだ? という疑問。

 ドラゴンの正義VS人間の正義のぶつかり合いなのか、
 どちらかが洗脳でもされたのか、
 あるいは人質を取られて止むを得ず戦う羽目になったのか……などなど、
 たった一枚の絵から様々な背景ドラマを想像したわけで、我ながらつまらないことに想像(妄想)を巡らせたなぁ、と感じたりもするのですが、
 そこをつまらないと切り捨てて自身がつまらない人間になってしまうか、
 それとも自分の想像力のたくましさを称賛して創造性に富んだ人間に成長するか、が人生の岐路だったと今では考えるんですよ。

 いや、ここは自分の想像力を自画自賛するよりも、そんな想像力を喚起させてくれたラリーさんの絵の素晴らしさを褒めるべきところですね。
 そう、自分に影響を与えた素晴らしいものに対して、率直に褒め称えることこそ、NOVAクオリティー。なお、そこで他のイラストレーターを引き合いに出して、そちらを下げるような批評行為は慎むべきですね。
 どんなにラリーさんの絵が好きでも、「だから5版の絵は云々」と言ってしまえば、ただの懐古親父、ひいては老害になってしまう。
 5版のDMガイド、実はまだ未入手ですが、仕事で忙しかったからね。



 これはこれで、なかなか味のあるイラストだと思うんですよ。
 ただ、イラストの方向性が、リアルなホラーって感じで、少なくとも高校時代の自分には合わなかったろうなあ、と考えます。
 ラリーさんの絵は、「夢あふれる格好いいファンタジー」って匂いが濃厚で、異世界での冒険の旅のワクワク感を味わせてくれましたが、AD&Dとか、4版、5版はもっとアダルト方向でおどろおどろしい感じ。

 まあ、頽廃的で陰鬱なデカダンって感じと言えばいいかな。オスカー・ワイルドとか、アルチュール・ランボーの世界観。やや、方向性は違うかもしれないけど、フランツ・カフカのイメージかもしれないね、今のD&Dの絵は。その辺は、大学時代に読んだりもしたけど、まあ、文学部西洋史学科の基礎教養として。
 そういう繊細な近代文学の雰囲気に比べると、ラリーさんの絵はもっとストレートな「古き良き冒険魂」を刺激してくれて、ムアコックエルリックよりは、蛮人コナンとか、ヘラクレスとか、大らかな感じ。
 アメコミヒーローになぞらえるなら、今のがバットマンで、ラリーさんのがワンダーウーマン。もっと端的には、今のがマン・オブ・スティールであり、ラリーさんのがクリストファー・リーブの時期のスーパーマンと例えるなら、時代的にも、作品カラー的にもしっくり来そう。

 例え話ばかりだと、ラリーさんの絵の魅力を伝えきれていないとも思うのですが、背景の青空と夕焼けのコントラストが対比的で好きなんですね。青箱なので、青を取り入れつつ、ベッタリ青だとボックスカラーに紛れて目立たなくなるので夕焼け、そして背景に見える森の影。光と影の織りなす世界で、白馬の騎士が黄金竜と死闘を展開。
 今の流行になぞらえるなら、ベストマッチな構図と表現できましょうか。うん、ナイスビルドって感じだね。
 あ、「ライダーVSドラゴン」と書いてしまえば、違うボックスが開きそうになるので、慌てて押さえて、次に行きます。

★ルールの概要

 まず、エキスパートの対応レベルは、4から14。
 自分的には、これで必要十分だと考えています。
 逆に、これ以上のプレイをした人間には、体験談を是非とも語って欲しいのですよ、本当に。コンパニオンやマスタールールだと、ゲーム紹介用の短いリプレイなら読んだことがありますけど、ロードスのD&Dリプレイでも、せいぜいエキスパートレベル止まりで、本当に未知の領域。
 いや、ルールを読んで、机上の空論的なイメージなら作ることも可能ですが。でも、そこに生きた体験としての実感や失敗のよもやま話を明瞭に語ってくれる人がいれば、普通に尊敬できるというもの。

 まあ、キャンペーン(連続ストーリー)で、そこまで成長させたのではなく、コンベンションなんかでの一回きりのプレイで、いきなり高レベルのキャラを使ってみたような話でもいい。たぶん、「NOVAを満足させる手っとり早い方法」って、そういう話だと思うよ。

 さて、NOVAのコメント願望はともかく、エキスパートルールで何ができるか、ゲームマスター視点で語ってみます。

 ベーシックだと「冒険の舞台であるダンジョンの作り方」が載っております。
 まあ、マップを書いて、そこにモンスターと宝物、罠なんかを配置するだけなんですけど、それだけで立派にクリエイティブな遊びができたりなんかするわけで、あとはどこまで凝ったダンジョンを作るかは人それぞれ。昔は、ゲーム雑誌なんかでも、ダンジョン作成講座とか人気記事だったなあ。

 それがエキスパートだと、さらに発展して、冒険の舞台になるのが野外なので、要するに街や周囲の各種地形、要するに広い世界そのものを作ることができるんですね。
 後にガゼッタワールド改めミスタラと呼ばれることになる冒険世界のマップが提示され、それをそのまま使ってもいいし、自分のオリジナルワールドを構築するためのガイドだって簡単にまとめられている。
 白紙のヘックスマップ(六角形のマス目の地図)をルーズリーフに写しとって(当時の高校生では、コピー機も家になく、コンビニのコピー機を気軽に使う財力もない)、そこに街や森、川、山岳なんかを配置するワクワク感と来たら。社会の授業で使う地図帳を参考に、いろいろ架空世界のリアルなんかを真剣に考えたなあ。
 村や町、都市なんかにどれだけの人口がいて、中世ファンタジー世界にはどのような職業の人たちがいて、どういう風に暮らしているのか。その種の情報が、高校生にも分かりやすく必要十分な量で掲載されている。
 まあ、これらの情報だけだと物足りなくなって、さらに深い知識を探求したくなった中級以上のマニア向けに、当時RPG用の「世界作成ガイド」とか「都市作成ガイド」とかどんどん出版されていったので、もう、どんどん手に入れて、勉強していった。
 そんなことばかりしていたから、西洋古代・中世史を専攻するようになったんですな。正に、D&Dが自分の人生の選択に大きな影響を与えていたわけです。もうスポンジが水を吸収するように、どんどん興味を持って知識を習得していく。しかも、その知識で自分だけの世界を作るというのは、やはり高揚感に溢れましたよ。

 そういう風にして、自分の世界を舞台にした小説『レンフィールド戦記』なんてものを書いたりして、さらに大学に入ってからも世界を広げたりして、富士見書房ファンタジー小説大賞にも応募したんだけど、あの『スレイヤーズ!』に負けて、ほぞを噛んだりしつつ、作家の神坂一さんの自分にはないセンスに憧れたり、この人に勝つには、自分はどうすればいいのか、とか、何だかランバ・ラルに対するアムロの心境に浸りながらも、まあ、あの明るいトーンに対して、自分の「シリアスで重い作風じゃ勝負にならないかな」と悟ったり、「でも、自分は重厚感あふれるハイファンタジーが書きたいんだ」とか考えたり、そんな20歳前後を送ったのも、
 まあ、きっかけはD&Dのエキスパートルールで、世界構築の面白さを知ったがゆえ、となりますね。

 いや、もっとも、それ以前から物語作りには興味を持っていて、いろいろと感動した映画やアニメの私製ノベライズを書いたり(何となくの記憶頼りなので、完全再現ではない自己満足だけの代物。途中で飽きたものも、一部シーンだけ抜き出したものも)、固有名詞と一部設定を変えただけの基本プロットはほぼ同じパロディ小説をオリジナルと思い込んでいたり、まあ、小・中学生の頃から拙いなりの物語は書いていたんだけど、
 そこに「世界の作成」という一本筋の通った柱を設けてくれたのがD&Dだったわけで。

 もう、D&Dへの思い入れの深さでは、大抵の人には負けませんよ。D&Dこそ人生の指針にしていた時期も確実にあって、しかも、それを紹介して来た人たちに、短い時期だったとは言え、関わりを持って仕事していたんだから。もちろん、D&Dだけが人生なんて今は狭いことを言うつもりもないし、年齢とともに積み重ねていった別の技能や趣味もあるのは確かなんだけど、やっぱD&DひいてはTRPG抜きに、自分の人生は語れない、と思うのです。

 で、世界が作れるエキスパートルールという話ですが、今でも時々ネタに挙がるのが、ランダム遭遇表ですね。
 「草地、森林、河川、湿地、山岳、砂漠、居住地、都市、海洋、ジャングル」といった各種地形ごとに表があって、ダイスを振るだけで、どんなモンスターに遭遇するか決めることができる。それはいいのですが、この表の問題点は「やたらとドラゴンの出現率が高い」こと。普通に野外を歩いていたら、8分の1の確率で、ドラゴンに遭遇しちゃう。
 つまり、旅人が一月ぐらい広野の旅をすれば、月に3、4回ぐらいはドラゴンに遭遇する形になるわけで。
 まあ、実際はモンスターに遭遇するかどうかの確率もあるので、半々から6分の1程度に落ちるのですが、それでも、昔のD&Dの冒険者たちは「月に一回ぐらいはドラゴンに遭遇するかしないか」の旅を続けるわけですな、ルールどおりにやれば。
 もっとも、アメリカ人の感覚では、「今月のドラゴン」とか普通なのかもしれませんが。
 天気予報で「晴れ、時々オーク、ところによっては、にわかドラゴンにご注意ください」って情報が飛び交っていたり。

 だから表紙絵の騎士さんも、
「この間、馬に乗って街道を巡回していたら、突然、ドラゴンが現れやがってよ。ランダム遭遇なもので、警告も何もなしにいきなりだからな。とりあえず、身を守るために1、2ラウンド戦ってみたら、さすがのDMも、こいつはまずいと思ったのか、あっさり飛んで行ってくれたわけよ。神の慈悲だってたまにはあるもんだなぁ。いやあ、あの時はマジで死ぬかと思ったぜ。やっぱり、ダンジョンの中の方がずっと安全だよな」
 こんな会話を酒場でしていたのかもしれません。

 他にも、シーフ以外が登攀を試みるためのルールとか、城などの拠点を作るルール(建造費用とか)、傭兵や技術者を雇うルール、マジックアイテムを作るルール、船旅のルールなど、いろいろなルールがぎっしり詰まっていて、さすがに全部は使ったことがありません。
 だけど、こういうのって全部DM用のページに書いているので、プレイヤー側も知っていないと、そういう行動を取ることができると思わない。DM経験者の人は有利だけど、プレイヤー専門の人は自分のキャラが人を雇えることも知らずにプレイしていた人も多かったろうし、その辺のコンセンサスがグループごとにバラバラなのも分かります。要は、DMがどこまでの情報をプレイヤーに公開していたか。
 自分はD&D経験者だけど、プレイヤー専門だからDM用ルールは読んだことがない、という人は、非常にもったいないなあ、と感じますな。上述の「世界を作るためのルール」の部分も、NOVAはDMの立場だから、そういうところに興味を持って、世界設定を考察するための土台にもできたわけだけど、仮に作家志望でD&Dも経験したけれど世界設定に興味を持たないという人がいた場合、それが原因なのかなあ、と今ごろ気づいた次第。

 本当に長らく謎でしたもん。
TRPGを経験している」「小説家を目指している」という二点が揃っている場合、NOVAにとっての常識では「当然、世界の構築には気を使って然るべき。そういうところに無頓着なんて有り得ない」という認識でしたが、仮に「DM用のルールやガイドを読んだことがない」ということであれば、いろいろ腑に落ちた次第。
 だって、物語作りに重要なことや、複数の人間の管理をするなどのグループ運営法の指針とか、そういう人生を渡る上でのテクニックとして応用できることもいろいろ書いてあったんですよね、DMルールには。
 そういうのを仮に読まずに、魔法の呪文とか戦闘ルールしか読まなかったとしたら、プレイヤー視点だけだと自分のことしか見えずに、幅広い物の見方を構築する機会をみすみす見逃していたことにもなるでしょうし、こちらほどの思い入れを持たずに、創作とか人間関係のスキルとか「D&Dからは学べなかった」というのも納得するわけで。
 もちろん、D&Dをプレイしない多くの人だって、物語鑑賞の仕方とか、コミュニケーションスキルなんかは個々の経歴や書物などでの学習から習得して来たでしょうし、まあ、そうやって試行錯誤を重ねた上での人生ですから、後はリアル、ネット問わず、他者の振る舞い方を見ながら学ぶ部分とか、反面教師にする部分とか、そこまで意識しなくても交流を重ねる上での相互の影響の与え合いとか、いろいろあって、まあ全部が結果的に実践の中で身に付けるものかもしれません。

 ちょっと難しい話になって来ていますが、ぼくは「D&Dから大変、多くのことを学べた」と自負する人間なので、逆に、「D&D経験者=創作やコミュニケーションについて相応のスキルを習得する機会を得た者」という認識でおりました。それだけに、相応のスキルが身に付いていない自称D&D経験者、というのがちょっと信じられない思いだったのですが、今回、結局、肝心な部分(DM用の箇所)を読んでいないなら、それが人生を生きる上での教科書になるとも知らずに、気付かずに、未成熟なままという状況にも、ようやく理解が及んだ、という気になっています。

 すると、ぼくにできることは何かな。
 D&Dにはこんなことも書いてあったんだぜ、凄いだろう? 今からでも、ここを読めば、その知識の断片でも囓れば、君の人生で失ったものも取り返せるかもしれない、とでも言って、D&D教の教祖を目指すべきかな(苦笑)。

 それでも結局のところ、本人の学習能力が追いついて来なければ、猫に小判、なんでしょうけどね。だけど、僕は好きにD&D愛を書くことに変わりない、ということで。

(完 次はコンパニオンルールか、高校時の初プレイ経験と、その際のメンバー、プレイヤーキャラクターの話かな。気分次第)