ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

D&D各ルールブック紹介3(その2)

 別ブログの「花粉症ガール物語」が、バトル物展開すると、1エピソード終了するまで、そちらに掛かり切りになってしまいますね。

 VS殺人鬼戦と、VS宇宙大怪獣戦を展開し、その合間にこちらで記事書きする形になってましたので、少々間が空いた形になります。

 しばらくはバトル展開を控えて(鬱期に入った気分でもありますので)、こちらで充電に励んでもいいのかな、と思いつつ。

 

 書こうとしてるテーマは、「コンパニオンルールのプレイヤーサイド、とりわけドルイドという新クラスについて」と明言しておきます。

 どうも、キャラとの会話メインになると、ただでさえ、迷走しがちな文章がどう展開するか、自分でもコントロール不能になってしまいますので、こちらは一人で落ち着いた文章の書き方を思い出すつもり。

 

 ところで、ドルイドといえば、一月ほど前(3月22日)に記事書きしたロウラスさんを思い出します。旧ソード・ワールドRPGのメイン舞台アレクラスト大陸の「ユニコーンの森在住のドルイドの長」という肩書きを持つキャラだったのですが、もう彼のキャラが地味で、ロードス島をあちこち探し回ったり、海を越えて、超絶有名な賢人マナ・ライちゃんに久々に会いに行ってお茶したり……って、いや、お茶は飲めなかった、情報手に入れて、すぐに慌ただしく旅立ったから、と早くも脳内捏造されかけた記憶を記事読み返して修正し、最後にロウラス爺さんから薬草茶をご馳走になったり、

 もう凄い苦労をしたんだけど、後から思い返すと楽しかった探求の旅だなあ、と記憶します。

 

 なお、頭の中の空想ではなく、リアルでの探索過程を裏話的に語っておくと、『ロードス島ワールドガイド』を懐かしいなあ、と読みふけり(これがロードスの旅)、どこにも所在が確認されないのを知って戸惑い、がっかりし、そうだ、こういう時のためのインターネットだ、と検索し(これがマナ・ライ)、手掛かりを得た後、改めて『ソード・ワールドのワールドガイド』をチェックして、ラムリアースの一角獣の森にて所在確認、という過程をたどった次第。

 ここまで苦労して探したんだから、ブログ記事のネタにしないともったいないよなあ、とか、

 ネタ振りした人にも「NOVAさん、おつかれさまでした」と言ってもらえれば、こっちも報われるのになあ、と思っていたら、別の人にそういうことを言ってもらえたので、これはこれで報われたなあ、と好感度アップ、と。

 

 いや、NOVAはギャルゲーのキャラじゃないから、好感度を上げても、さほどメリットがあるわけじゃないんだけど(でも、掲示板交流なんかでは十分なメリットか)、

 自分の書いたコメントへのリアクションとか、そういうところで積極的にコミュニケーションを取ろうとするスタンスを示す人と、そうでない人の差はどこにあるのかなあ、と考えてみた次第。

 まあ、そこを突いても建設的な話になりそうにないので、ロウラス爺さんについて触れると、「知られざる重要人物」だったと思うんですね。こういう埋もれた偉人を発掘するというのは、ニッチ狙いの嗅覚とか、他の人と違う視点とか、そういう特殊な感性が必要だと思いますし、そういうものを単に名前だけ出して後は放置というのではなく、きっちり語って見せることで、おお、この人はマニアックな事を知っているなあ、やるなあ、と思わせるのも一つのテクニック。

 

 そして、自分では語れなくても、マイナーキャラに目を向けるのが上手な人は、それを一つのスキルとして自覚し、駆使することによって、語りたがる人のサポート(ネタ提供)に徹することで居場所を確保する生き方もありますな。

 堂々と論じて目立つ人(マイナーブログで誇っても仕方ないんだけど、それでもブログ主の矜持は示さないと)に、貴重なネタを提供して、場を活性化することでナンバー2ポジションを獲得して、場の参謀役を自認するとか、場所とか相手に応じて、空いているポジションをすっと見つけて、そこに身を入れるのが上手い人とか、まあ、そういうのも人間関係やコミュニケーションで必要な能力だなあ、と最近感じたりも。

 

 え、こういう話が「コンパニオンルール」と何の関係があるのかって?

 だって、コンパニオンって仲間。

「仲間を作って、維持するためのルール、テクニック集」じゃなかったっけ?

 

★コンパニオンプレイヤーへの手引き

 さて、コンパニオンルールって、どういう内容か一言で説明せよ、と言われたら、どう答えればいいか。

 ベーシックなら簡単です。「ダンジョンと呼ばれる地下迷宮、建造物や洞窟などに入って、探検するゲーム」。

 エキスパートも簡単だな。「ダンジョンから、外の世界に飛び出して、野外の冒険を楽しもう。世界作りや、中世の都市などの記述もあるよ」

 で、コンパニオンは何?

 これが難しい。

 というのも、選択肢がありすぎて、一言でこれがポイントだ、というのが見出せないからである。まあ、そういう時は「多様性が魅力のゲーム」と言って、いくつかの代表的なオプションを提示すれば、大体、説明したことになるのだけど、ここでは3つほど提示してみる。

 1つ。「お城なんかを作って、土地所有者になって、領土経営を楽しむゲーム」。

 つまり、これまでの探検ゲームではなくなり、DMの作成した世界地図に自分の存在をしっかりアピールし、「さあ、領地を広げるため、戦争しようか」とか「うわ、敵が攻めて来たよ。迎え撃つぜ」とか、そんな感じですな。
 仮面ライダービルドに例えるなら、一介の戦士の主人公になるのではなくて「俺の野心は、三つに分かれた日本を一つにまとめることだ」と言い放つ、げんとくんを理想とするプレイですな。うお、そう考えると、ちょっと今からプレイしたくなります(笑)。
 いや、農場経営者のカシラでも、企業主で現西都首相の難波会長でもいいのだけど、要は上に立つ立場で、世界に対する責任を考えながらプレイするゲームですね。まあ、面倒くさいといえば、面倒くさいけど、戦国武将ものとか戦記物とかに興味があれば、D&Dでもそれができちゃうんだぜ、ってこと。

 2つ。領土経営なんて、そんな面倒くさいことをやってられるか。俺はいつまでもフリーターとして、自由な冒険者ライフを満喫するんだって人向きのルール。

 まあ、そういう「今まで通りの生き方でかまわない。特に世界の中での自分の立ち位置なんて気にしないし、それより俺が探検すべき未知の世界をよこせ。ダンジョンでも、広い荒野でも、どこでも俺は突き進む。俺は自由な冒険者だ」という人向きの選択肢ですな。
 歴史的には、大航海時代コロンブスとかマゼランとかが近いかも。そして、彼らのパトロンになってバックアップした航海王子なんかが、1の立ち位置と見なすこともできる。
 この辺、プレイヤーとDMが密に話し合うなら、「1の領土所有者」をプレイしつつ、彼の雇った「2の冒険者」に依頼を与え、領土経営と現場の冒険の両方を堪能することも可能ですな。つまり、1人のプレイヤーで複数のキャラを同時に運用することも可能。まあ、普通はどちらかをNPC扱いする方が楽なんだけど。

 ともあれ、2の場合、旅人に徹するなら、別に新しいルールはいらないんですね。単にレベルアップして、新しい魔法やマジックアイテム、そして倒すべき強力な新モンスターさえ追加してくれれば、今までのやり方で問題ない。
 この場合、コンパニオンルールの半分くらいは無駄などうでもいいものになるんだけど。領地経営の手引きとか、大規模戦闘のルールとか。自分もその辺は今まで飛ばし読みだったり。だって、そこまで育てたキャラがいないし、高校時代とか若いときは、自由こそ何よりも尊いと考えがちで、上に立って自分の組織やら国やらを経営し、管理のノウハウを学び、自分に付いてくる人たちへの責任をしっかり果たすなんて、あまり考えたこともなかったわけですからね。
 いや、世の中には、そういう若い時から、政治家とか企業主を目指して帝王学を修得した人もいるだろうし、何よりもD&Dは当時アメリカ本国では発売から10年以上経って、大人のプレイヤーも結構いたからさ。「自由への憧れよりも、しっかり地に足ついた人生をゲームの世界でも望む」って声も多かったのだと考えます。だからこそ、コンパニオンは1が主体になるわけで。

 では、2の自由な旅人には行き場所がないのか?
 はい、そういう人のためには、「お前、もう、この世界には満足できないんだろう? もっと広い多元世界でも見てきたら? 定住生活に満足できないんだったら、お宝を求めて、未知の世界へ永遠の旅人として流離い続けたいってことじゃないか。だったら、どこでも行ったらいいじゃないか。満足できる未知の世界を求めてさ。ただし、その場合、安定した世界の居場所に未練を残さず、この世の責任からも解放され、自分を縛る人間関係をも切り捨てる道を選ぶんだから、勇気を持って力強く行くしかないじゃないか?」というスタンスになる。
 そして、そういうのは、あくまで空想の中に留めて、現実では果たすべき仕事を果たしたり、管理すべきサイトなんかを自分の拠点みたいに感じて客人をもてなすホスト役として振舞ってみたり、他のサイト主さんとの外交に力を注いだりするとか、人生それぞれの道がある。

 つまり、コンパニオンルールって、人生の大きな選択をプレイヤーキャラクターに求めることになります。
 例えば、それまでは同じ冒険仲間として、共にダンジョン探検したり、荒野を旅して仲良く(あるいはギクシャクしながら)危険に立ち向かってきた一行が、

 ある者は国を治め、

 ある者は自分の目的のために旅を続け、

 ある者は田舎に帰って隠棲したり、自分の居場所で日常の仕事に従事したり(まあ、冒険者としては引退ですな)、それぞれの人生いろいろあるさ。

 さあ、君はどういう道を選ぶ? ってルールなんですな、マジで。 

 それまでの仲間とは言え、選ぶ道、やりたいこと、果たすべき責任(それは大抵、自分で選んだ道の結果だけど)が違えば、「じゃあな。お前は自分の道を行けばいい。俺は一緒には行けんが、お前の旅がうまく行くことは願っている。もしも帰ってくる機会があったら、土産話でも聞かせてくれや」くらいな感じで、別れることも受け入れなければならないと思う。
 そうして、成長して強くなって自立した冒険者たちが、それぞれ人生の選択肢を選びとり、なおも仲間として、それぞれの責任は責任で果たしながら、昔なじみの酒場なんかで定期的に会って談話するようなプレイもあれば、仲間と離れ、過酷な冒険の世界へなおも挑むような孤高のプレイスタイルだってあると思う。
 コンパニオンルールは、そこまで人生の奥深さを感じさせてくれるゲームである。だって、10代でプレイを始めた初期D&Dプレイヤーが10年後、20代で人生の岐路に迷い始める年代でもゲームを続けたいって感じる人向きに作られたゲームだもん。そりゃ、奥深くもなるってものよ。

 そして、3つめ。これは1と2のどちらを選んでも、その延長線上にあるものだけど、D&D究極の目的である「イモータルへの道」の提示である。
 それまでのエキスパートルールまでが、地に足ついた「すでに形ある世界を旅するゲーム」だったのに対し、コンパニオンルールは「自分の内面世界を探り、人生の目的を見定め、その先に自己の世界を構築することまでを目指すゲーム」という位置付けがなされる。
 そう、城塞構築も、永遠の流離人も、結局はその先に自己の世界を構築するためのオプションに過ぎないのである。
 単にアプローチの違いって奴ね。

 イモータルって簡単に言えば、「不死の領域に達した神、あるいは伝説の偉人、超人」である。
 そこには四つの道が示されている。って、「いくつも選択肢が与えられる多様性こそコンパニオン」って書いたはいいものの、選択肢が多いと、紹介する方も大変なんだわ(苦笑)。
 まあ、ここまで書いた以上は、最後まで紹介しちゃおう。
 ただし、読みやすくするために、小見出し変えてね。

★究極のイモータルへの道

 4つある、と書いたけど、コンパニオンルールでは、その概要がさらっと書かれているに過ぎない。よって、その先のマスタールールからも情報を引っ張ってきます。

 1つ目。王国から征服戦争の末に帝国統治者となった者のたどる「ダイナスト」の道。

 まあ、歴史的にはアレクサンダー大王とか、チンギス・ハンとか、戦国武将ものの目指す道ですな。秦の始皇帝なんかも分かりやすいかと。
 とりわけ、始皇帝は中国統一後、不老不死の探求に力を注いだと聞くし、まさにイモータル街道まっしぐらって感じ。

 で、マスタールールによると、この道は「クレリックに好意を持つ」らしい。
 え、ファイターじゃなくて? と昔は疑問に思ったものだけど、やはり宗教の名の下に世界統一ってことを意図しているのでしょうかね。
 この辺りになると、単にゲームのルールという具体的な記述を越えて、抽象的な哲学的概念が示唆されて、解釈する方も大変なんだけど、だから大人になって読み解くのが楽しいと言えなくもない。
 実際にプレイするなら、DMとプレイヤーの間で解釈を巡って、議論が勃発することも本国ではザラだったらしいけど、まあ、そんな話を聞くと、やはりアメリカ人って日本人よりも暇なんだなあ、と感じなくもない。
 要は、ゲームにそこまでの情熱を燃やしても、生活して行けるってことなんだから。さすがは夏休みが3ヶ月もある民族は違う。こちらは、夏は夏期講習で圧倒的に忙しく、先日、やっと春期が終わって、ちょっとした解放感を得られた「ちっぽけな幸せに妥協せざるを得ない」ってのによ、って愚痴になるしかないな。まあ、これが「うつ」ってものよ。

 はい、話は切り替えて、ダイナストって「時間の探求」への道らしくて、「帝国を作った自分」が未来に飛んで、自分の帝国の後継者3人のピンチを救わなければならないみたい。
 ええと、この解釈も困るんだけど、ヒーロー的に考えるなら、先輩ライダーが後輩たちのピンチに駆けつけるようなものかな。あ、BLACKさん辺りなら、平気で時の壁を超えてきそうだな。ええと、クライシス帝国を倒して、帝国の撃退者となった南光太郎が、さらに経験を積み、成熟した姿を見せ、ディケイドやドライブを助けに来たようなものか。すると、あと一人、後輩ライダーを助ければ、光太郎さんも晴れてイモータルの仲間入りだ。あ、ウルトラマンのゼロさんもベリアル帝国を撃破し、多元世界の後輩なんかもとっくに3人は助けているから、すでにイモータルだな。さすがは「2万年早いぜ」を口癖にするヒーローだけはある。
 宗教って解釈も、要は「ウルトラマン教」とか「仮面ライダー教」と解釈すれば、納得できなくもない。ノアの神とか、鎧武神とか、ゲームマスター黎斗神ってのも公式で普通にあるわけだし。

 まあ、帝国云々は、日本の場合はどうしても悪役ってイメージが抜けないので、「悪の帝国を撃退することが条件」というローカルルールに解釈し直せば、いいのかも知れませんな。
 だって、帝国を撃退できるということは、その上を行く帝国を自らも構築できるってことだし(まあ、実際は壊すだけで作れない人もいっぱいいるだろうけど)、帝国主義って戦争のイメージを付与された言葉があって、戦争反対の考えが当然の日本にあっては、まあ帝国=悪という図式になっても仕方ないけど、アメリカ人にとっては帝国といえば「理想的な古代ローマ帝国」を意味するのだから、そしてアメリカという国家は政治的用語として、古代ローマを参考にした単語が数々見られるわけで、「男子たるもの、究極の夢は帝国作り」と考える人も、たぶん日本人より多い。あるいは女帝になるのが夢、という人も今の時代は普通にいそうだけど。スーパーガールのドラマにも「メディア界の女帝を自称する主人公の女上司(悪役ではなく、主人公の日常の鬼コーチ的役どころ)」がいたし。
 これが、日本なら、帝国作りは悪役っぽくても「天下統一」という単語なら、納得できそう。勢いづいた主人公が「今の俺だったら天下を取るのも夢じゃない」ってセリフを口にしても、悪堕ちしたとは思わないでしょうしね。鎧武とか、ゴーストとか、普通に天下人を目指したり、英雄として召喚したりしていましたし。

 要は、敵を撃退して、そのヒーローとしての天下を取って、世界平和に貢献することが、日本的な「ダイナスト」観って感じかな。

★まとめ

 ええと、最初に思っていた記事は、「コンパニオンルール」について、プレイヤーマニュアルにおける地味なルール紹介だったはずなんだけど、
 プレイヤーマニュアルの最初の方にある「本ルールの概要」的な記事からマスタールールに至る道を歩いて、そのままイモータルに突き進んだ感。
 いや、これが商業記事なら、「いくら話を盛り上げても、最初の企画と違う中身の記事を書いたんだからボツ」と言わざるを得ないけれど、まあ、これはブログなので、最初の企画よりも面白い文になったら、それでOKとしてみる。
 その上で、勢いづいたままのペースで書き続ければ、そのうち最初の企画通りの記事に戻ってくることもあるだろう。まあ、帰ってこれなくても、それで充実した記事になれば、OKということで。

 そんなわけで、「コンパニオンルールの紹介」と称しつつ、「イモータル街道に踏み混んで、ロウラスさんたちドルイド放置」な記事を続けるとしましょう。
 大丈夫、自分はロウラスさんを探し求めて、関係ないロードス島を探検し回り、それからマナ・ライさんに会うなどの探求の旅を重ねた末に、散々寄り道した挙句、最後は無事にロウラスさんにたどり着いた男だ。
 待ってろよ、ロウラスさん。まずは、このワクワクするイモータル街道を突破して、必ずあんたに行き着いてみせる、と誓ったりする4月25日の朝であった。
(いったん、記事完結。すぐに、次に続く)