ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

コンパニオンへの道(騎士編)

 前回は、「戦士編」と称しつつ、気付けば「ロードス島戦記リプレイ2」の思い出話的な何かになってしまい、そこから改めて、「ファイターの特殊な戦法」みたいなことを書き連ねて、いっぱいになりました。

 

 それにしても、これらのルールを再考察して思ったことはいくつかありまして、

 

 まず「パリー(受け流し)」にしても、「スマッシュ(強打。ビルドの怪人ではない)」にしても、「ディザーム(武器落とし)」にしても、90年代初期の『ソード・ワールドRPG』ではすでに標準搭載されていたぞ、と。一応、選択ルール扱いですが、プレイヤーキャラが利用しようとすれば、最初から使うこともできる。

 それがクラシックD&Dでは、コンパニオンという高レベルになって、ようやく語られるわけで、中にはD&Dにそういうルールがあることも知らなかったエキスパート止まりの人も大勢いたろうな、と思います。かく言うぼくも、ルールがあることは知っていたけど、使ったことはなかったし、使い勝手の検証もしたことはなかった。

 今回、改めて思ったのは、「え、ディザームって、そんなに簡単にできていいの?」という感想。だって、技の成否にレベルとか関係せず、攻撃を当てた後で、純粋に相手のDEX以上の出目を出せば相手の武器が弾けるとなれば、人型の武器使いとの戦いではみんなディザーム狙いになりますよね、これ。DMが強敵を出しても、ディザームされたらたちまち無力化、弱体化されて、弾かれた武器が飛び交う戦場に。

 まあ、それに備えて、予備の武器を何本か持ったり、武器持ち係の従者を雇って「予備の剣渡せ」と命じたり、それまでのD&Dには見られなかったシーンが想像できるわけですな。

 

 そして、これらのルールが何のためにあるかと考えたら、これまでのD&Dが洞窟潜ってのモンスター退治や、荒野を旅してのモンスター退治に焦点を当てていたのに対し、コンパニオンに至って「人間と、あるいは人型生物との戦い」に焦点を当てるように切り替わった、と。その果てに「国家間の戦争」という方向性が見えて、大規模戦闘ルールのウォーマシーンが用意された、と。

 もしも、ロードス島戦記のリプレイ連載時に、コンパニオンルールが和訳されていれば、英雄戦争とか、あるいは第3部の邪神戦争なんかも、D&Dのウォーマシーン・システムで処理されたのだろうか、と今になって想像したりもしたのですが、ロードスとコンパニオンルールはほとんど接点を持たないまま、袂を分かつことになった。

 その行き着く果てに『ソード・ワールド』とか『クリスタニア』とか近年の『グランクレスト』とかが生み出されたと考えると、D&Dの蒔いた種の豊かさに感じ入るとともに、子供は親の影響を受けながら巣立って行くんだなあ、と思ったりも。

 

 この辺のゲームシステムの歴史の系譜をあれこれ考えるのは好きで、テーマを決めていろいろ何十時間でも、あるいは何百時間でも語りたい(もちろん一気にではない)気もありますが、それはこれからも行えるわけで、ここではD&Dの辿ってきた道を中心に歩いていきたい、と。

 何より、アベンジャーが旬なネタですから、そこに向けて。

 

★戦士から領主への道

 D&Dの戦士は、コンパニオンルールにおいて、進路選択を求められます。
 もちろん、他のクラスも求められるのですが、ファイターの場合、キャンペーン世界観に与える影響が大きいのと、個人的な戦闘オプションが使えるか否かに掛かってくるので、余計にしっかり考えないといけません。

 進路選択の一つは、定住か、放浪かの二択。
 戦士の場合は、冒険の目標として「自分の城を建てること」を推奨されます。
エキスパートルールで荒野を旅して、そこに巣食うモンスターを退治したり、周辺の権力者と顔見知りになったりしながら、「じゃあ、その辺の土地のモンスターを君が中心となって退治したんだから、その辺の管理は君に任せるわ。騎士に任じてあげるので、こっちに忠誠を誓ってね。礼儀作法とか、騎士の武術は教えてあげるから」といった感じで、晴れて騎士の仲間入りというのが出世街道。
 ロードス島戦記でパーンが選ばず、微妙に形は違えど、カシュー王やら、六英雄のファーンやらベルドやらが選んだ道ね。まあ、ロードスは「呪われた島」で、中央集権体制がほぼ崩壊していたので、冒険者に受勲してくれるようなお偉方があまり残っておらず、魔神退治や戦争で活躍した英雄が周りから推戴されて王になったケースが多いのですが。歴史的には、西洋の中世よりも、それ以前のゲルマン民族大移動とかで国がどんどんできて行った時代の方が近いかな。この辺の蛮族社会の雰囲気は、「D&D」よりも、水野さんが好きだと言われていた「ルーンクエスト」の影響の方が大きいと思うけど。
 で、D&Dの騎士叙勲の形にはっきり近いキャラが、戦士じゃないけどアラニアのセシルとか、マーモのスパーク君の立ち位置かも知れません。それぞれ、一つの領地を治めながら周囲との戦いを重ね、セシルの方はアラニア王の懐柔を受けて渋々ながら平和のために了承し、スパークの方はカシュー王の好意と打算からマーモ公に任じられつつ、そこの浄化と闘争社会を認めつつの統治に力を尽くす。どちらもD&Dとは距離を置いた後のストーリー展開でしたが、D&Dの示した騎士から領主への道を歩んだ、やや変則ながらも一例と言えます。

 とにかく、風来坊ではなく、政治権力の中心、あるいは辺境に自分の拠点を定め、統治のかたわら冒険に赴いたり、政敵の陰謀を暴いたり、内乱や戦争に対処したりする物語が、コンパニオンルールの目指す一つの道ですな。
 どちらかと言えば、RPGよりもウォーシミュレーションゲームの感覚だとは思うのですが、RPG的には『ロマンシング・サガ2』がイメージをつかんでいるかな。シミュレーションだと『ファイアーエムブレム』とか、他に東洋風だと『信長の野望』とか『三国志』とか光栄風味。

 いや、そんな大それたことは、自分には向かない。もっと自由に旅して、自分のしたいことを追求したいんだ、という自由騎士予備軍たちは、まず「自分のしたいこと」を「自分の性格」も踏まえて、見つめ直してください。

ニュートラルな道

 性格が中立なファイターは、城に定住しない場合、問答無用で「遍歴の騎士ナイト」を選ぶことになります。
 いや、ナイトにすらならず、戦闘オプションで強くなる道を捨てて、ただの戦士であり続けることも可能ですが。それだと、コンパニオンルールを使う意味があまりないわけで。

 ナイトになる条件は、ネームレベル(9レベル)以上に成長して、他の封建領主(国王や貴族など)に忠誠を誓うこと。これによって制約に縛られたり、奉仕を求められる一方で、金銭などの報酬を比較的安定して受けられることになります。うん、時代劇で浪人がどこかの藩に仕官したり、現実世界でどこかの会社に就職するサラリーマンになったりするようなものですな。これが土地持ち君主だったら、一種の自営業とか起業家に相当するのでしょうけど。

 まあ、この辺は、どういうキャンペーンをプレイしたいのか、プレイヤーとDMの間で要相談ということになりそうですが。
 城に仕える冒険者上がりの騎士として、街外れにあるダンジョンの調査を命じられて、以降は延々とダンジョンアドベンチャーを中心にプレイし続けるのもOK。
 特命を帯びた隠密騎士として、冒険者の振りをして他国の現状を調査したり、外交上の使節として派遣されたりするのもOK。
 荒野や無人島の調査に派遣されるのもOK。
 一応、ナイトの肩書きと、固定したパトロン(雇い主)がいることを除けば、工夫次第で今まで通りの冒険を続けることも可能でしょう。
 我儘な国王や姫のために、異国の珍しい品物を手に入れる目的の旅を続けるキャンペーンもありでしょうし、諸国漫遊の旅に出た前国王や姫のお供として付き従うのもOK。
 もちろん、自由気ままな旅が望みなら、「国王の命令で、世界各地に隠されている7つの宝珠を探し出せ」キャンペーンをDMに提案するという手もある。アーサー王伝説の騎士だって、聖杯探索の旅の中で、様々な冒険をしているわけだし、要は騎士だからといって好きな冒険ができないわけじゃない、と。

 なお、普通の騎士のイメージは城勤めの単調な日常生活、衛兵長とか護衛騎士といった堅い役職を想定する向きもあるでしょうが、D&Dの冒険者PCの就く自由騎士というのは、ドラクエの勇者に近いキャラ性が扱いやすいのかも知れないですね。
 一応、騎士(=勇者)の称号で身分が保証されているので、旅先の小国の王との謁見も叶うのだろうし、そういう肩書きでもなければ、普通はなかなかお城にも入れてもらえないでしょうな。
 もちろん、ゲームの勇者は「魔王を倒して参れ」的な使命を国王から与えられていることが多いでしょうが(そして、ドラクエの場合は勇者が王族か、あるいは王族に関わりある立場であることが定石ですが)、「特命騎士として、世界の様子を見て参れ。その上で定期的に報告に戻って来るだけでいい。お主は新参者ゆえ給金は多く出せんが、西の王宛ての手紙は認めてやろう。まずは西に行くついでに、これまで通りの冒険でも何でもするがいい。帰ってきたなら、冒険の土産話も忘れずにな」という感じで、ゆるい名目だけの騎士設定にしてもルール上は許されるわけで。

 そういうロールプレイの現実的なゲーム上の指針を書いたD&D記事が、90年代ぐらいに読みたかったなあ、と思いつつ、ようやく今ごろこうして書くに至っているわけですがね(苦笑)。

★ローフルな道

 性格が善良(ローフル)なファイターは、制約の緩やかなナイトを目指すことも可能ですが、忠誠の対象を正義の教会に定めることで、僧侶呪文などの特殊能力を備えた「聖戦士パラディン」に昇格することができます。ただし、僧侶呪文を使うには、ウィズダム知恵の能力値が13以上なければならず、さもなければパラディンとしては中途半端な恩典しか与えられない、と。

 パラディンは、基本的にガチガチな正義の塊のようなロールプレイを要求され、いわゆる騎士の理想像として「困っている人を見たら助け、危険に恐れることなく立ち向かい(無謀とは異なり、生き延びるための知恵を駆使することは可能。いささか騎士道精神には反するが、生きて誓いを果たすのも神の思し召し。この場は一度、刃を納め、次なる再戦の誓いを立てようぞ云々)、悪には妥協しない苛烈さを示す」キャラですな。 

 まあ、融通の効かないパッパラパラディンをロールプレイするのも楽しいですが、やり過ぎると周りが迷惑なので、パラディンらしい理想像を追求するロールプレイと、ゲーム的な有利不利の賢明な判断の両立をいかに図るかが、上級者の腕の見せどころだと考えます。
 戦士のレベルの3分の1扱いで僧侶呪文が使える(12レベルのパラディンなら4レベル僧侶として呪文が使える)のは、もちろん本職の僧侶と比べると心許ないのですが、僧侶プレイヤーとうまく連携を図る会話をし、役割分担をしっかりこなせば、結構役に立ちますね。僧侶が祝福の呪文で支援している間に、自分がホールドパーソンで相手の動きを封じるとか。他に、パラディンは呪文とは別に、ディテクトイーヴィル(邪悪感知)が回数制限なしに使えるので、ただの劣化僧侶とは違う使い勝手の良さもあったりします。

 パラディンは、ナイトよりも特殊能力的に明らかに優遇されていますが、これは逆にナイトの方でパラディンみたいなガチな正義漢をプレイする必要がないということです。まあ、別にそうしてもいいんですけど、ナイトの制約って結局、誓いを立てた領主キャラの性格や、DMの用意したキャンペーンシナリオの性質次第(そして、これは他のキャラの振る舞い方にも影響してくるので、ナイトだけが重い制約を課せられるわけではなく、むしろ物語の方向性を安定させるのがナイトと誓約領主の人間関係と考えたり)である一方、
 パラディンは明確に正義に縛られたプレイでなければならないので、パーティーに一人パラディンがいる時点で、そのキャンペーンは正義を追求する方向に縛られてしまいます。まあ、パーティー内部の不仲な関係を強調するために、正義と他の価値観の対立するようなドラマチックなシナリオを敢えて出すDMもいて(たぶん少数派)、そういうロールプレイをそれぞれが楽しめるなら面白くなりそうなんだけど、もっと単純なモンスター退治、お宝探しゲームを楽しみたいプレイヤーには、いろいろ面倒臭いのがパラディンですね。
 自由度よりも、正義の戦士によるモンスターや悪党退治というストレートかつ単純な楽しさをゲームに求める向きには、正にヒーローの鑑と言えるでしょう。

★カオティックな道

 性格がカオティック(邪悪、または混沌)というのは、クラシックD&Dでは非常に扱いにくいキャラ像ですね。
 まだ、カオティック(混沌)とイーヴィル(邪悪)が分かれているAD&D以降の方がロールプレイしやすい。カオティックグッドなる性格だったら「法には従わない自由主義者だけど、正義は守る義賊、民衆のための革命家キャラ」としてのロールプレイをできますから。スターウォーズハン・ソロや、ロビンフッドなどのアメリカ人好みの自立したヒーローは、法の番人のローフルでは出せない美味しさを堪能できますし。

 一方で、性格が単純化されたクラシックD&Dでは、基本的にカオティックは邪悪色が強く、自己中プレイの言い訳にもされますので、ローフルとニュートラル以外はPCには認めないDMも多かったでしょう。邪悪プレイ上等、好きにやれヒャッハーーなDMの元では、ローフルとカオティックの混在したパーティーで非常にギスギスしたロールプレイに対し、さらなる強敵による襲撃をして見せて、強引に呉越同舟状況に追い込む過激キャンペーンってのもありでしょうが、英雄物語を志向する向きには不評で、その辺のコンセンサスの取り方が卓の性質を決めることにもなる、と。
 もう、ホント、クラシックD&Dのカオティックの扱いは論争の的でした。そして、このカオティックの権化こそが、「復讐者の名を持つアベンジャー」。多分、日本のD&Dプレイヤーの中でカオティックプレイを堪能した人は少数派だろうし、ましてや、このアベンジャーを適切にロールプレイした経験を持つ人も稀でしょう。いたら、これまた話が聞きたいですよ。
 こんなことを言うのも何でしょうが、PC向きではなく、PCの前に立ちはだかるライバル格の暗黒騎士、ダースヴェーダーとかハカイダーみたいな役割として、DM専用と考えた方が無難な職業だと思います。

 その能力は、闇側に就いたパラディンで、カオティックな教会に誓いを立て、アンデッドをコントロールする能力を持ち、邪悪なモンスターを配下に加えることだってできる。「祖国を滅ぼされた少年が復讐を誓い、成長して黒い鎧の騎士として力を蓄え、一癖も二癖もある仲間と共に暗躍するダークヒーロー物語」を目指すならいいかも。
 アベンジャーズの中で考えるなら、ロキを主人公に、暴走しそうなハルクや、改心前のナターシャ(ブラックウィドウ)、ヒドラに操られたバッキー(ウィンターソルジャー)、元盗賊の2代目アントマン(いや、初代のハンク・ピム博士も結構、悪キャラとして迷走していた時期あり)、さらにはX-MENからマグニートー様や青肌女のミスティーク、それにデッドプールや、暴走状態のスカーレットウィッチを混ぜ合わせて、一大キャンペーンを構築し得る想像力があれば、暗黒騎士のアベンジャーの扱いも簡単だろうなあ、と思ったり。
 どれだけハードル高いんだよ。
 これぞ本当にカオティックな道、と言わんばかりのメンツだな。

 ええと、アメコミ苦手なので、日本のヒーローで分かりやすく説明して欲しいんですが、という声も聞こえてきた気がしたので、天啓(?)に従いましょう。
 ベリアル様と、ジャグラーと、黎斗神と、ショッカー首領の悪霊と、難波会長と、財団Xのボス(設定あるのか知らんが)と、他に戦隊ものから、ドン・アルマゲと、ジニス様と、黒十字総統と、まあ、とにかく、そういった作品で暴れ回った面々が徒党を組んで、もっと暴れる悪徳万歳な映画があったら、カオスだろう? 作ってくれるなら見たいけど。
 まあ、スペーススクワッドがそういう和製アベンジャーズの方向なんだけどね。坂本監督だから、アクションにも期待できるし。

 ええと、D&Dのアベンジャーから、どうして、こういった話に展開するのか、自分の思考回路も幾分カオスなんですけど、だから悪霊の器になりやすいのかな、と自己ツッコミしてみたり。

 とにかく、このアベンジャーという職業は、コンパニオンルールで提示されたはいいけれど、明確な正義で分かりやすいパラディンに比べて、どうプレイすればいいのか、よく分からんというのが実際です。存在そのものがカオスなんですね。
 カオス好みのプレイヤーと、カオス好みなDMがベストマッチして初めて使用可能になる究極のカオス職業、それがアベンジャーと考えれば、まあ本質的に間違っていないと思うんですけど。
 暗黒騎士といえば、ロードスではアシュラム様が思い浮かぶし、彼も「復讐者」の称号を与えられてもいいぐらい、ベルド陛下の復讐を誓っていたけれど、性格はニュートラルなので、D&Dのアベンジャーとは言えないんですね。

★第5版への道

 前項の結論。
 クラシックD&Dのアベンジャーは、PCが扱うには、設定があまりにも邪悪に傾きすぎて、まともには使えん。カオスプレイを楽しめる素養がなければ、DM専用の闇キャラとして扱うのが無難。

 しかし、今の時代は21世紀。
 80年代にはアベンジャーズの映画もなかったんだし、時代は変わった。もしかすると、昔は使いにくかったアベンジャーだって、改変されて使えるかも知れないじゃないか。いつまでレトロな話で蘊蓄語っているんだ。もっと、今にも目を向けろよ、という声も聞こえてきたので(カオス神の囁き?)、突然、話が飛んで5版に突入するぞ。

 まず、最新バージョンの5版は、クラシックD&Dではなく、アドバンストD&Dの流れを受け継ぐゲームなので、それだけ選択肢が多く、しかも整理されたシステムです。
 クラシックD&Dでは、戦士が9レベルまで成長してからでないと、パラディンはプレイできなかったのですが、AD&Dでは1レベルからパラディンを使うことができる。というか、AD&Dの基本職だったパラディンが、後からクラシックの上級職に取り込まれたというのが正解ですな。
 もちろん、5版にもパラディンがいて、最初から正義上等なプレイができるわけですが、ここでパラディンの選択肢の一つとして、復讐者のアベンジャーが設定されていたりします。
 最近のD&Dでは、割と早めのレベルから人生の選択肢を決める傾向があって、時代が加速しているのをシステム面からも実感できるのですが、何とパラディンもレベル3になった時点で、ロールプレイの方向性と特殊能力の違いも含めた選択肢が用意されております。そこを紹介してみると、

・献身の誓い

 これを選ぶと、従来のパラディン像に近いキャラになります。
 キーワードは「正直、勇気、同情、名誉、義務」といったところで、騎士道の鑑みたいな方向性ですな。どちらかと言えば、人間社会の規範に縛られた存在。

・古き者の誓い

 これは人間社会とは関係ない、生命そのものを尊ぶ愛と平和の騎士といった感じ。別名、妖精騎士(フェイ・ナイト)とも呼称され、「人間のルール? 俺はそんな小さなもののために戦っているんじゃない。もっと根源的な光、命育む大地の声が俺には聞こえるんだ。みんなの命を守るために俺は戦う」ってキャラを目指したいなら。

 戒律がなかなか格好良くて、光(命を象徴)という言葉が用いられ、
 「光を灯せ、光を守れ、内なる光を保て、光となれ」の4つが明記。
 分かりやすく説明するなら、生命の素晴らしさを訴え、生命を守り、自らも生き生きと明るく生き、究極の生命を体現する存在を目指せと言ったところ。

 献身がローフルで社会組織を重視(東都政府の代表戦士とか)するのに比べ、古き者はもっとフリーな立場で目の前の命を助けることを重視するスタイル。

・復讐の誓い

 そして、これが21世紀版のアベンジャーです。
 単にカオス版パラディンであったクラシックD&Dのそれと違い、こちらはパラディンであることを維持したまま、復讐というものを一義に考える、演じやすいダークヒーローっぷりが特長。
 要するに、快傑ズバットの方向性になるかな。例が古すぎて分かりにくいなら、近年のヒーローで復讐のために戦うのって誰がいたっけ、と考えるに、グリーンアローバットマン? 日本のヒーローだと主役ではなくて戦隊の6人目とか、サブライダーにいそうだけどね。警察なのに復讐者の側面を持つ仮面ライダーアクセルとか、あと宇宙戦隊のオウシブラックもその方向か、それ以前だと黒騎士ブルブラックとか、牛と黒の組み合わせは復讐者になりやすいのか、と新たな発見。でも、ガオブラックはそういうキャラじゃなかったよな、とか脱線模様。

 戒律は「悪を討て、手段は選ばず、償いを為すべし」と。
 献身が社会の法を重視し、古き者が生命そのものを重視するのに対し、こちらは「自分が救えなかった命への償いを果たすこと」に苛烈な全力投球を目指すスタイル。もちろん、命を簡単に見捨てることを是としているのではなく、救える命は当然救う。
 しかし、もしも誰かを人質に取られ、降伏しろと脅しをかけられた場合、「それは法に背く。バカなことはやめて、大人しく投降するんだ。悪いようにはしない」などと相手を説得しようとするのが献身で、
 「くっ、やむを得ない。大切な命には代えられん」と降伏しつつも、逆転のチャンスを伺うのが古き者で、
 それに対する復讐者の論理とは、「やってみろよ。その代わり、その後、どうなるかは分かっているな。俺はどこまでも貴様を追いつめてやるぞ。ただでは殺さん。犠牲者の苦しみに倍する苦痛と後悔を、貴様の心身にたっぷり味あわせ、殺してくださいと懇願するまでじわじわと攻め抜いてやる。その時が来るのが楽しみだ。さあ、やるがいい。俺に復讐者としての喜びを味あわせてくれ」と逆に脅しをかけそうだ(笑)。

 いやあ、今のD&Dは、解釈に悩みがちだったクラシックと違って、ロールプレイの指針が明確に与えられており、それを選択することで、それに合った能力を得ることができるので、割とロールプレイ重視な感じですな。
 そして、従来の職業どおりの基本スタイルが提示される一方で、長年の多様なプレイスタイル例の蓄積を反映した「こんなロールプレイはどうでしょう?」的なスタイルを選択することで、それっぽいキャラも自然に構築できるようになっている、と。

 とりあえず、今回はアベンジャーつながりで、コンパニオンから、いきなり5版に飛んじゃいましたが、単に旧作懐古に浸るだけでなく、だったら今はどうなってるの? という疑問にも応じることのできる記事を目指している次第。
だって、ネタ抜きに好きな四文字熟語は、温故知新なわけだし。

 次は、「イモータルへの道」と称してパラゴンについて書き、それから再度「コンパニオンへの道」に入って、ドルイドを目指す予定。
 今は、80年代の個人的な思い出話よりも、システム考察の方に専念したいかな、と。(完)