ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

コンパニオンへの道(ドルイド編)

 最初は「みどりの日」を記念して、自然の番人ドルイドの話ができたらいいなあ、と考えておりました。

 しかし、無理でした。

 本日は「子どもの日」。子どもとドルイドって、あんまり関係ないよね。

 じゃあ、この話は来年の5月4日に回そうか、と一瞬だけ考えかけて、ふと悪霊の囁きから耳をそらす。そこまで時代はNOVAを待っちゃくれないって。

 別にドルイドの話はみどりの日に書かないといけないという法律があるわけでもなし、あえて、「ドルイドの日」なるものを設定するとしたら、それは夏至ということになる。イギリスの巨石遺跡ストーンヘンジ(環状列石)の周辺で毎年、夏至祭りが行われているそうですが、それがケルトドルイド信仰に由来するものということで、まあ、本来のドルイドはそういう民族信仰に関係するのですな。

 

 うん、だったら、みどりの日夏至の間に、じっくりドルイドについて勉強しよう、という趣旨なら、今日ドルイドについて書くのもいいな、と自分を納得させた上で。

 さあ、何をどう書こうか、と改めて考えてみる(オイ)。

 

 いや、もちろんドルイドなんですが、切り口をどうしようか、ってことです。

 普通にクラシックD&Dのドルイドについて書くか、

 それともAD&Dや新世紀D&Dにまで展開するか、

 あるいはケルトの民族信仰とかアーサー王伝説に絡めて歴史的な背景を書くか、

 それともウルティマ4における八つの徳の一つ「正義」を司る法の番人としてのドルイドを書くか、

 ロウラスさんとの縁で、ソード・ワールドの精霊使いの話にまで踏み込むか、

 その気になれば(あるいはならなくても)割と際限なく、広げることは可能。

 

 そう、場合によっては、これから夏至まで毎日、ドルイド薀蓄を垂れ流すことも(たぶん)できそうなぐらいの知識ストックはあると思うのですが(もちろん迂遠な寄り道前提で)、たぶん、その前に飽きて嫌になるな。

 俺、別にそこまでドルイドマニアってわけじゃないし。

 ただ、ファンタジーRPGとか神話伝承が好きで、いろいろと資料を集めたり、関連ゲームなんかをやったり、攻略本だけ読んで満足していたら、その中に勝手にドルイドも入ってただけだし、その中には「呪文使い」としてのドルイドもいれば、「動物変身して格闘戦で暴れまくる」ワイルドなドルイドさんもいるわけで、単純にドルイドといっても、イメージは固定されていなかったりします。

 

 他に、ホラー映画の『ハロウィン』シリーズや、もっとストレートに、スプラッター映画『血まみれ農夫の侵略』といった作品では、キリスト教の教えに違背する邪悪な民間信仰としてのドルイド教(まあ動物の生贄の儀式なんかもあるし。原始宗教は時おり文明人にとって残酷に見えることもする)も描かれているし、まあ、それらの映画が真面目にドルイド信仰について調べているかといえばそうではなく、宇宙人や忍者や放射能怪獣やゾンビなどと同じ「よく分からないから、何だか恐ろしそうに思える、ホラーで扱いやすそうな題材」として古代宗教をネタにしたに過ぎない。

 

 だけど、まあ、一度イメージがこびり付くと大変で、ホラー映画見て「ドルイド=邪悪」と勘違いしてしまえば、ウルティマの「法の番人、正義の執行者」としてのドルイドを知って驚き(こっちのドルイドは、しっかり歴史的な背景に沿っている)、そういう両極端なイメージが中和されて、D&Dにおいては、「ドルイドは自然界のバランスを取るために、完全中立の属性でなければならない」という扱いにも納得できるだろう、と。

 いや、某灰色の魔女も信仰面ではドルイドの教えに傾倒していたんじゃないか、という説もありまして(もちろん公式ではないですが)世界のバランスを取る役どころ、自然と文明の調和を図るのが、まあドルイドらしいんじゃないか、と自分は考えてます。割と日本人的に。

 

★ちょっくら復習と、今後の展望

 さて、ここまでのコンパニオン関連の話を復習すると、最初にラージドラゴンなんかを書いて、次に「定住か、放浪か」という人生の選択肢から、究極の「イモータルの道」なんてものに踏み込んじゃったと。

 その後、武器や防具、戦士の戦闘オプションから、パラディン、ナイト、アベンジャーといった上級職の話をしたのがコンパニオン通常ルート。

 一方、イモータルの道を切り分けて、ダイナスト、エピックヒーロー、パラゴンまで書いて、あと残るはポリマスのみ、というところまで行き着いた、一歩どころか何歩も先を行った究極ルート。

 まあ、結果として、究極ルートの方が通常ルートよりも先に完結しそうなんですがね。それだけコンパニオンが奥深い、というよりか、NOVAがイモータルについて持っている資料が少ないので、話をたっぷり膨らませても、書けることが相対的に少ないわけで。
 もちろん、イモータルというのは要するに神話的英雄から神へのステップアップということで、ギリシャ神話では英雄たちが星になって天上界を巡る存在となり、北欧神話ではヴァルハラで神々の戦士アインへリアルとなり、仏教では悟りを開いて解脱し、人界から完全に超越した存在に到達する一つのゴール。
 そこまでしてゲームを続けたいか、という疑問も湧くのですが、そこに登れる山があるなら、どこまでも登ってみたい登山家の心理なるものも想像できますし、そういう次元に対する憧れ感覚はありますね。スポーツマンがオリンピック選手に向ける羨望、憧憬みたいなものか。

 イモータルになれたらいいな、なれたら凄いな、という究極の到達点がクラシックD&Dには設定されていまして、実は意外とAD&Dの方にはそれがない。ええと、縦方向かつ直線的にルールが進化したのがクラシックD&D(究極の目的はイモータル)で、横方向かつ面の広がりを持って多様性、ヴァリエーション豊かに進化したのがアドバンストD&D(ファンタジーと名の付くものなら古今東西、何でもできるけど、何をするかはDMが自分のイメージする世界観に合わせて取捨選択)という展開意図の違い。
 だから、本国ではクラシックD&Dからアドバンストの世界に踏み込み、中世騎士時代の細かい資料はD&Dのコンパニオン以降から取ってきたり、AD&Dのルールを使いながらクラシックのイモータルの道を参考にキャンペーンを組んだり、要するに二つのゲームを混ぜた運用も多々あったんじゃないかな、と推察します。

 日本では、ソード・ワールド2.0のシステムを使いながら、旧版のアレクラスト大陸での冒険を続けた人も初期にはいたそうですし。新システムには馴染めても、新世界にはなかなか馴染めずに、従来の扱い慣れた世界観から徐々に慣らしていく流れ。だって、プレイにハマり込んだ人ほど、それだけ関連資料も多くそろえているから、それらを捨て去って新しい世界に切り替えていく、というのは、なかなかできません。
 そして、日本ではクラシックD&Dからアドバンストへの転換が結果的にうまく行かず、その後は版権元も切り替わり、両者が統合された新世紀D&Dの時代(3版以降)になるわけですが、こういうD&Dシリーズ版上げの歴史みたいな記事も近々書きたいと思っています。
 3版から4版に移った際に、あまりにも多くのルールを変えちゃって、ほぼ別ゲームになってしまったものだから、D&Dファンの一部が本家を見限って、3版の流れを受け継いだ新作「パスファインダーRPG」なるものをインターネット上で無料ダウンロードできるようにしちゃったもので、それを機に、改装した本家「D&D4版」派と、伝統重視の分家「パスファインダー」派の2大勢力に分かれてきたのが、この10年の概要で、
 そして近年、こりゃいかんと「D&D4版」をさらに改めて従来のシステムの流れに戻した本家「D&D5版」と、それから分家「パスファインダー」の両方が日本版として昨年末からほぼ同時上陸して来たのが、現在D&Dの状況なわけですね。そういうこともあってか、TRPG業界も今年はにわかに活性化。眠っていたNOVAのTRPG熱まで沸騰させるに至った次第。

 で、NOVAとしては、過去を総括しつつ、今の状況も追っかけたいと思って、このブログなんかで記事を書いてきたわけですが、基本が歴史的視点での俯瞰モードなので、今あるものの紹介よりも、流れそのものを書き記したい、と。

 あ、この記事読んで、パスファインダーの方に興味を持たれた方は、以下のサイトで無料閲覧できますので、確認あれ。

http://prd.qga.me/index.html
https://www29.atwiki.jp/prdj/pages/40.html

 後者がルールそのもので、前者がルールを初心者にも分かりやすく解説した入門編ということになるのかな。
 お金がなくて、大作RPGに手が出せないよう、と悩んでいる人にも、ネットで無料というのであれば、参考にできるだろう、と。
 なお、パスファインダーのルールブックが日本でも正式発売されたら(現在は、初心者向けボックスのベーシックセットと派生のカードゲームが発売)、こういう無料記事はどうなるのかな、とは気にしつつ。
 ええと、パスファインダーはD&D3版の正統進化系なので、3版のルールと結構かぶるので、3版と3.5版を結構追跡していた自分は気にしつつも、若干、購入に二の足を踏んでいる状態ですが、この辺は両者の流れを見ながら、欲しいものからコツコツと、と考えております。

 D&D5版とパスファインダーは完全にライバルとなっていて(東のFEAR、西のSNEが業界二大勢力で、そこにホビージャパンの海外RPGが一定勢力を確保していたように)、今年はその大物二つの対決劇に乗じて、SNEも新作というか、懐古ゲームを展開する流れ。FEARの方が、文庫リプレイなどから撤退せざるを得なくなった状況(背景で何があったかは知らないけれど)で、どう立て直すかも注目ですが、
 業界人じゃないメリットは、どの会社にも、あるいはゲームにも肩入れすることなく、自由にファンとして物が書けることにあるわけですが(D&D関係者は当然、パスファインダーのことを堂々と書くわけにはいかないわけで、結構しがらみがいろいろあるってものです)、ある程度の軸足は持ちながらも、できるだけニュートラルな視点で、いろいろ比較記事を書けたらいいかな、と思っている最中。

★信仰の話(およびRPGの歴史)

 現実の信仰の話ではなくて、もちろんゲームの中の話ね。
 ファリスとか、マーファとか、マイリーって奴。いや、D&D系で、ミシャカルとかパラダインとか、オグマとかミストラとか、その辺を持ち出しても喜ぶマニアはいるでしょうが、例示ならメジャーなものを挙げるのが基本。まあ、今のメジャーはライフォスとかティダンとかルーフェリアかも知れないが、その辺は世代差ってことで。

 さて、ドルイドについて書く前に、クラシックD&Dにおける信仰について書いておきたいのですが、これが基本ルール(ベーシックからエキスパート、コンパニオン、マスターにつながる一連のルール)だけでは、ほぼ皆無に等しいのですな。いや、クレリック(僧侶)は存在しますし、彼らに呪文を与えるローフル、ニュートラル、カオティックの神様がいるのは分かるのですが、ルールブックだけだと、それらの神々の個性が示されていない。つまり、「名もない何となくいる神さま」って扱い。
 まあ、これはクラシックD&Dが初期のRPGのため、背景世界を明確に設定していなかったことが一因。つまり、最初はダンジョン探索だけしていれば良くて、神さまの属性に合わせたロールプレイも必要なく、クレリックは単に「回復呪文や亡者退散といった信仰奇跡を使えるキャラクラス」というデータだけで良かった、と。

 その後、SFRPGの『トラベラー』や、独自の背景世界グローランサを舞台にした『ルーンクエスト』(今度、新版のルールが日本語翻訳されるそうな。以前の記事では、ルーンクエストを今時プレイしている人の存在を疑問視してましたが、日本語版が出るならまた話題に挙がるのでしょうな。よっしゃラッキーな気分ですが、追跡するのも大変だなあ^^; 嬉しい悲鳴って奴)といった当時「背景世界に重点を置いた第2世代RPG」と呼称されるゲームシステムが発売されるのに対して、D&Dの方は「背景世界はDM各自が自由に作ってね」という姿勢だったので、まあ、神話体系なども特に用意することなく、長らくルールシステムだけが展開された、と。

 一方、アドバンストD&Dの方は、デザイナーのゲイリー・ガイギャックスらが遊びながら自然発生的に生み出された根幹世界グレイホークが、公式シナリオの背景やら小冊子やら雑誌やら小説やらで少しずつ断片的に提示されていき(1975年以降)、やがて、それらをまとめた世界設定資料本も出るわけですが(1980年)、当時の扱いはあくまで「プレイヤーたちが自由に作る背景世界の例示」に過ぎず、それでも世界を自分で作るのが面倒だという人はグレイホークを自由に使っていいよ、ぐらいな感覚。ただし、当時のD&Dゲーマーたちは、デザイナーの提示した世界にはまり込む人も多かったろうし、それとは別に自分たちで構築したオリジナルワールドに固執する者もそれなりにいて、まあ幅広い形でプレイされていた、と。

 日本にTRPGが上陸した80年代前半から半ばにかけては、すでに「RPGでは冒険の舞台になる背景世界が付き物」という認識が紹介者の間では普通であり、それがまだ定着する前のD&Dなんかは古い「第1世代RPG」と呼称されておりました。
 ただ、その第1世代の「世界を自由に作る感覚」が功を奏して、D&Dを学生時代にプレイしていた水野良さんが「ロードス島」を生み出したわけだし、それを真似してNOVAが友人たちとプレイした記録「レンフィールド戦記」。所詮はロードスの二番煎じな作品とは言え(内輪ゆえ公式に発表したこともない)、自分としては拙いなりにオリジナル世界を作っちゃったよ、第1世代のD&D万歳な体験。それまでの創作の真似事から、きちんとした段取りを踏んだ創作のやり方にこれで目覚めたわけで。

 もちろん、そうした経験は自分に限らず、当時D&Dをプレイした人の中には、それを通じて創作の道に踏み込んだ人も多くいたろうし(プロアマ問わず)、TRPG自体はプレイしなくても、「D&D→ウィザードリィウルティマなどのコンピューターRPGドラゴンクエストファイナルファンタジー」とか「D&D→ファイティングファンタジーなどのゲームブック→分岐小説や、それをデジタル化した携帯アプリ」とか違うジャンルのクリエイターを数々生み出す起因になったんだろうな、と歴史の流れ、文化継承と発展の流れを興味深く考察するわけです。

 話を信仰方面に戻すと、要するにクラシックD&Dでは、背景世界が設定されていなかったため、信仰体系もルールブックでは明記されていなかったのですな。だから、クラシックD&Dをプレイしていたと主張するコメント欄の人が、昔の共同創作に際して、宗教に関してはこっちが驚くほど無知だったことも、今では納得するものです。
 企画原案として、彼が提示したのは「邪悪な宗教秘密結社ゾディアック」なる敵設定。ただ、そのゾディアックの信奉する神が一神教の神か、多神教の神か、あるいは神を騙った悪魔なのか、それすら彼は説明できなかった。設定の元ネタが『聖闘士星矢』と『仮面ライダーBLACK』なのは当初からの既定事項だったのですが、その二つの作品の神話観も大きく異なりますし(星矢はギリシャ神話に基づく多神教ワールド、BLACKのゴルゴムは創世王を呼称する原始的な単一邪神を崇める結社で、そこの宗教観のブレを上手くまとめない限り、ゾディアックの設定は構築できない)、他人を自分の企画に巻き込むためには、それぐらいのことは考えるべきだろう、と、ぼくは当時から主張したわけだけど。
 しかも、彼はD&DなどのTRPG経験者だと語っていたので、ぼくにとっては「だったら、これぐらいのことは普通に考えられるはず」という今から思うと致命的な勘違いをやらかしたわけですが、彼の創作家としての力量はともかく(結局、彼がゾディアックの設定を単に主人公が倒す悪の組織程度にしか考えていなかったことが分かり、「だったら宗教の名を騙るなよ、とか、宗教絡みのネタなら歴史学の見地からも真剣に勉強してきたNOVAが設定作ったる。敵組織はNOVAに任せて、君は主人公関係の設定だけ考えて、後はNOVAの書いた敵組織設定を参考にして、それに合わせてくれればいい。今からでも勉強しろ」という流れ。結局、彼が創作宗教に関して、あまり建設的に学習することなく、神の設定も含めて作品そのものを丸投げされてしまったけど^^;)、


 閑話休題、ここのテーマに即すなら「クラシックD&Dのルールブックだけでは、宗教の勉強にはならない」ということですね。だって、神さまの例示とか、設定の仕方とか、宗教組織の説明とか、そういうのは一切書かれていませんから。

 まあ、イモータルを神に相当する存在だとするなら、イモータル=神になる方法は書かれている。だけど、そういうイモータルが地上界の宗教組織にどのように影響するかとか、逆に地上人がイモータルを神として祭っているのか、それとも彼らの信仰する神はプレイヤーキャラの目指すイモータルとは別物なのか、そういう情報すらない(もしかすると、ぼくの知らないイモータルルールの方に書かれているのかも知れないけど)。

 何で、僧侶キャラが登場するのにも関わらず、そこまで頑なに神や宗教に関する記述をクラシックD&Dが避けたのか(中世の騎士や封建社会に関する記述は結構細かいのに、同じぐらい重要な教会=信仰は完全に避けて通っている)、それはアドバンストD&Dにおける「やらかした事件」が起因だろうと推察します。
 ええと、アドバンストD&Dには、『Deities & Demigods』という文字どおり伝説のサプリメントがございまして(もちろん未訳)、これは「信仰と亜神たち」という意味で、世界各地の神話伝承の神々をモンスターデータの書式で記述し、詳細に解説したという、日本の『女神転生』の元ネタとも考えられる書籍なんですね。ファンタジー世界のグレイホークの創作神とは別に、現実の宗教方面にまで大きく踏み込んでしまったために、結果として「D&Dは悪魔崇拝のゲームだ。神々をモンスター扱いして倒すことを推奨している。まことにもってけしからん」という現実と創作の区別のつかない人たちの批判をまともに受けて(この点、創作で宗教を扱うには細心の注意がいるのよ。現実とごっちゃに考えがちな人は踏み越えちゃいけないラインも分からないから、うかつに手を出さない方がいい)、本国でD&D排斥運動なるものも発生してしまった、と聞きます。

 そういうことへの反省もあって、入門者向けのクラシックD&Dは宗教に関する記述は避けた、と考えます。信仰に関しては、踏み込みすぎないようニュートラルに。
 まあ、宗教に関する意識が結構ファジーで、いろいろチャンポンにして、神々もネタとして楽しめちゃう日本人の感覚では許されちゃうことも、キリスト教会の教えがしっかり根付いて、信仰観も真面目に考える人の多いアメリカ本国で、「これはあくまでフィクションですよ。ただのゲームですよ。遊びなんですよ」というスタンスを証明するには、相応の時間を要したわけで、まあ先駆者の失敗があればこそ、後に続く者は貴重な教訓を得られるわけですな。そういうことをろくに学ばずにネット上でやらかしてしまう愚か者も、後を絶たないのかも知れませんが。
 本国一般層のD&Dに対する視線の厳しさは、「魔法使いが登場するのも、彼らは元々悪魔の使いだからダメ」「盗賊が出てくるからダメ」「モンスターを剣で倒すのは残虐だからダメ」と、一時期エスカレートしまくったそうですが、不思議なことに「忍者は架空の存在だから問題ない」とか、おいおい無知かよ、それならモンスターだって架空だろうし、映画とかフィクションでは日常茶飯事だろう、とか、どこまでツッコミを入れたらいいんだ、というようなことを真剣に議論されることに。
 まあ、こういうフィクションの表現に対する攻撃は、D&Dに限らず、現在の児童ポルノ問題にもつながって来るようで、現実の幼児虐待と、フィクション(2次元)の代替行為を混同する議論は、これまた創作家としてはスルーできない問題なのかも知れませんな。結果的に、萌えキャラを考える際にも「これは現実ではない架空のキャラですよ」と主張するために「怪獣だから人間じゃない。姿形は擬態しているだけ」とか「花粉症ガールは精霊だから大丈夫だよね。しかも書き手はストイックだから大丈夫」とか「あくまでアンドロイドだから戦わせても大丈夫」とか、いろいろと問題にならない理由をこじ付ける必要が出てくる。これが海外だと、「獣だから大丈夫」「ゾンビだから大丈夫」(大丈夫と言いきって良いのか謎だけど)と妙なフェチを生む温床にもなって、それをさらに日本が取り入れる流れ。うん、日本は何でも受け入れちゃう懐の深い文化だから。

 そんなわけで頭の固い宗教人、というか教条主義者? の批判を免れるために、必死に頭を使うわけですな、創作家ってのは。使う方向が正しいのかどうかは後世の人が決めるってことで。

 だけど、ここで「架空世界だから、リアルじゃないから大丈夫」という逃げ道を見つけたので、D&Dも神さまとか、そういう危険なテーマを語るためには、「架空世界の宗教なので現実とは関係ない」というスタンスを明示していくようになります。
 アドバンストD&Dでは、80年代半ばぐらいからグレイホークに続く「ドラゴンランス」(84年以降)と「フォーゴトン・レルム」(87年以降)を背景世界として展開。
 一方、クラシックD&Dでは、ルールブックに例示的に提示された世界を、地域別に詳細に記した世界設定資料集「ガゼッタ」を展開していきます(87年以降)。このシリーズは後にミスタラという正式名称を与えられ、90年代のクラシックD&Dの展開を支える背景世界になっていき、元のルールブックでは十分ではなかった部分(技能ルールとか、デミヒューマンのさらなる成長とか、地域別の信仰とか、盗賊ギルドの詳細とか、その他諸々)をサポートする「完全版クラシックD&D」を構築する重要なサプリメントだったのですが……日本語展開が不十分に終わり、こちらでは断片的な紹介に終わったのが残念でなりません。

 ともあれ、ぼくたちがロードス島ドラゴンランスを楽しんでいた86年から87年までの背景事情をいろいろ語ってみたわけですが、当然こんなことは当時、知るよしもなかったんですな。無邪気に、どんどん紹介される未知のゲームについて、ワクワク楽しく、新しいことを学んでいった学生時代。
 まさか、85年にD&Dの生みの親であるゲイリー・ガイギャックスがTSR社を解雇されていたとか、露ほども知らずに。

★今後の展望

 で、D&Dにおける宗教問題も延々と書いてから、ようやくクラシックD&Dのルールブックが唯一避けて通らなかった信仰形態である「ドルイド」について語る準備が整ったわけですが、今回の記事書きはここで終了。

 以降は、「ドルイドの道」というタイトルで話を続けます。というのも、自然にまつわるドルイド呪文って、花粉症ガールの技をあれこれ考えるための資料として非常に役立ちそうなので、今の創作企画のためにも、じっくり時間をかけて研究しようと思っているわけで。
 ただ、概要だけさらっと紹介して終わるのは、あまりにももったいないと感じた次第。

今後の記事の展開予定としては、
・ 「イモータルへの道のポリマス編」でそちらは終了、
・ 「ドルイドの道」はじっくり研究考察を続けるつもり、
・ 「コンパニオンへの道」はこれでプレイヤーズマニュアルの話があらかた終わったので、DMルール関連に移ります。
・高校時代の自分のプレイの懐古記事「レンフィールド戦記」の思い出。そっちは本当に個人的な思い出なので、今の流れからだと重要度が低いかなあ、と感じています。まあ、気が向いて、どうしても思い出話を語りたいという衝動に駆られた時まで当面は放置しておきます。

 それ以外で、現在のTRPGに関する話は、いろいろ書きたいこともあるんだけど、記事書きの方針がまだ立たないので、他の記事を書きながら、寄り道的に挿入することになりそう。
 まあ、何かのリクエストでもあれば、そちらにスポットを当てることも検討するつもり。
(完)