D&Dに関する歴史は少々ややこしい。
何しろ版上げやらアドバンストやら種類が多い上に、アメリカ本国の展開と、日本版の展開の両方を追わなければならず、単純にD&D5版と言っても、最近、日本で翻訳が進んでいる現役5版とは別に、クラシックD&Dの5版(90年代にSNEが翻訳した種本である『RulesCyclopedia』)を指すこともあったりします。
このクラシック5版は、赤箱以降のレベル別に分かれた4版のルールを統合したもので、それまでのアドバンストではないD&Dの集大成ルールなんだけど、SNEが翻訳したそれ(通称メディアワークス版)はエキスパート辺り(9レベル以前)までのルールを一部抜粋し、『プレイヤーズ』『ダンジョンマスターズ』『モンスターズ』の文庫版3分冊として出版されました。これが、その後の上級ルールまで完訳されて、さらにイモータル対応ルール『Wrath of the Immortals』まで訳されていれば、NOVAのD&D人生もまた違った輝きを放っていたんだよ、きっと。
なお、92年に本国で出版された、そのイモータル本(ハードカバーの大冊)は今、アマゾンで調べると、およそ10万円のプレミア価格が付いていますな。当時、機を見て敏になっていれば、6000円程で買えたそれがだよ。
投資とか、そういうのじゃなくて、単純に知的好奇心として買っておけば良かった、と金箱イモータルルール同様に思います。今、過去に戻って自分にアドバイスできるなら、「金箱イモータルルールは買っておけ。あるいは、ルールズ・サイクロペディアと、ラス・オブ・ジ・イモータルズもだ。金なら俺が払う」と言うんだけどな。
だけど、90年代前半の自分なら、こう答えるだろうなあ。
NOVA(90年代前半)「ハハハ、まさか天下のTSR社が、そんなに簡単に倒産するはずないじゃないですか。それに、ぼくはSNEがきちんと最後まで翻訳してくれることを信じてます。途中で中途半端なまま、TRPGは終わった、なんて安田社長がおっしゃる未来なんて有り得ない」
まあ、当時の自分に阪神・淡路大震災の話をしても信じないだろうし、契約社員としての入社前なら、自分が短期間とは言え、SNEに関わりを持って自称セミプロと名乗ることにもなる、と言っても信じないだろうな。
うん、90年代半ばは、自分にとって夢と幻の時代だったんだ。
夢と幻に終わったのは、自分の力量やセンス不足もさることながら、何よりもTSR社が97年に倒産したことが悪い。それによって、SNE内ですでに翻訳された部分(2分冊化された上級ルール)も出版できなくなり、クラシック5版の完訳は発売されないままに終わった。
これは、SNEやメディアワークスの責任ではなくて、TSR社の倒産とその数年前からのゴタゴタのせいだった、と当時、SNEに一応、在籍していたNOVAが証言するぜ。こんな自分の言葉を信じるか信じないかは、読者に委ねるが。
とりあえず、当時の自分的にも、ゲーム的にも最後は悲劇に終わった、TSR版D&Dの歴史をNOVAに分かる範囲でまとめる予定の記事です。
時期的には、1973年から1997年までの話。
もっとも長いので、前半12年と、後半12年に分けるのが妥当かな。
★1973年からスタート
公式には、D&Dの起源は1974年、TSR社の立ち上げに準ずる形で定着しています。まあ、TSR社がD&Dを売るために設立された会社ということなので、間違ってはいないのですが、実際にはルールそのものの原型は1973年に完成しているわけで。
生みの親のゲイリーさんが、73年に当時のシミュレーションゲームの最大手アバロンヒル社にD&Dを出版してくれるよう頼んだんだけど断られてしまったので、仕方なく新たに会社を設立するために手を尽くして、資金を提供したドン・ケイさんや他の仲間と共にTSR社を設立。そして、74年に最初のD&Dを世に出した、と。
よって、システムが生まれたのが73年で、世間に発表されたのが74年。資料によって、73年誕生説と、74年誕生説に分かれることもあるのは、そういうわけですな。
もしも、歴史の歯車が少しブレれば、73年にアバロンヒル版D&Dが発行されていたのかもしれない。そんなことを思うと、『ルーンクエスト』の歴史とも絡み合って、なかなか興味深いIFワールドがイメージできそう。この辺、また『ルーンクエスト』新版が翻訳される時期には、ルーンクエストマニアを自認する人のサイトが活性化しそうで、面白そうなんだけど、まあ、自分はルーンクエストの資料はあまり持っていないので、他人様頼りにさせてもらいます。
さて、この1974年に初めて出版されたD&Dは、通称「オリジナルD&D」と呼称されています。
後のクラシックD&Dとの違いで目立つのは、基本職が戦士、魔法使い、僧侶の3種類で、そこに人間、エルフ、ドワーフ、そしてホビット(まだハーフリングではない)の4種族を組み合わせること。追加クラスで、パラディンやシーフ、モンク、アサシン、そしてドルイドなどが次々と加わっていき、順調に次なる発展への布石を置いていきます。その間に、D&Dサポート用の『DRAGON』誌などのサポート体制も整い、ついに最初の改革が。
★アドバンストD&Dの誕生(1977)
1977年から79年にかけて、追加ルールによって複雑化したオリジナルD&Dのルールが整理されることになります。その際、初心者用のベーシックセット(D&D第2版。箱入り)と、上級者用の追加発展ルールのアドバンストD&D(AD&D第1版。ハードカバーの書籍スタイル)に分けられ、前者が後のいわゆるクラシックD&Dと呼ばれる流れを生み出します。D&Dの名が世の中に知れ渡るようになったのが、大体、この時期からになります。
この段階では、アドバンストD&Dはベーシックセットの上級ルールで、D&DとAD&Dは未分化な状態。ベーシックセットで3レベルまで成長させたキャラをAD&Dに移行させて継続プレイする形です。現在の最新5版は、名前こそD&Dですが、実際にはアドバンストの流れを受け継いだルールで、新世紀になってアドバンストの名を外したわけですな。つまり、アドバンストD&Dの名前は1977年からTSR社が消える1997年までの旧世紀の遺物という位置付け。
そして、「箱入りベーシック→AD&D」という伝統は、現在もほぼ同様に「箱入りベーシック(あるいはスタートセット)→D&Dコアルール」という形で受け継がれています。最初のスタートが箱入りなのは、「ゲームで使う多面体ダイスや、最初のシナリオなどをボックスに同梱するため」ですね。いきなりハードカバーの本だけ購入しても、ルールやデータしか書いていないので、プレイ環境が整わないわけです。
AD&Dの方は、最初は『モンスターズマニュアル』から出版されましたが(1977)、そこに『プレイヤーズハンドブック』(1978)と『ダンジョンマスターズガイド』(1979)の二冊が加わり、計3冊のコアルールで基本を構成するのも当時から受け継がれた現D&Dの伝統。
さて、このAD&D。
コアルールの3冊はプレイの必需品として、また箱入りベーシックは初心者プレイヤーへの入り口にして(経験者はすでにダイスを持っているし、シナリオだって自作できるし)、問題はここから先。オリジナルD&D同様に、いや、それ以上に、どんどん出てくるサプリメント(追加ルール)。プレイを続けるには、一体、何から買えばいいの?
答え1。出た順に全部買え。
答え2。好きなものを買え。
答え3。コアルールだけでも十分だ。
答え4。シナリオ作るのが面倒なら、シナリオだけ買うのもいいぞ。
答え5。悩むなら、サポート雑誌を買って、それ見て考えろ。
まあ、答えは上記の全てが妥当な意見ですな。
要するに、何を買うかについて、たった一つの正解はなくて、人によりけり。そう書くと、結局は2番の答えになるのですが、何が好きかを知るためには、ゲーマー同士の口コミとか、経験者のアドバイスとか、雑誌の愛読とか、片っ端から購入する飽くなき冒険者魂とか、そういうフロンティアスピリッツを刺激して、サプリメントの購入行動そのものが実は冒険だったというのが当時の感覚だったんでしょう。
だって、「世界で初めてのロールプレイングゲーム」ってジャンルなんだぜ。作り手も、受け手も何が正解か分からないまま、未開の荒野を突き進んで行ったら、いつの間にか豊穣の大地が、無限の世界が広がっていたという、まさにアメリカンドリームそのもの。
そして、この自由度の高さこそがAD&Dで、日本ではその断片しか伝わらないまま、憧れとともに語られることの多かった(一部の資金や語学力に恵まれた海外ゲームのマニアだけが、英文を訳しながらプレイしていた)のが80年代の本邦ゲーム事情というわけです。まるで黒船。有名な川柳のように、夜も眠れないほど夢中になって英文ルールを読み込んだ20世紀の蘭学者たちも数々いたのですな。SNEの社長とか。
あ、そうそう、最近読んだロードス関連のインタビュー本の記事で、安田社長の紹介文もあって、著書の一つに『幻夢年代記』(うちのゲーム系掲示板のタイトルの元ネタはここから。まあ、今はもっぱらロボット系掲示板なんだけど)というのがあるんだけど、誤植で「幼夢年代記」なんて記されていた。おいおい、そりゃないよ、とツッコミ入れつつ、まあ、自分の若き日の、言いかえれば今よりも幼い日の夢だったんだから、そう言う誤植も言い得て妙だなあ、と思ったり。
★D&Dの果てしない影響(70年代後半~80年代前半)
アドバンストのD&Dは、急激な拡張でとっ散らかったオリジナルD&Dを整理する目的から生まれたのが、さらに急激な拡張を続けることで、オリジナル以上にとっ散らかって、よほどの熱心なマニアでなければ、全貌を把握しきれない化け物ゲームになっていきました。
アドバンスト含む一連のD&Dの影響は凄まじく、結果として、アメリカの中だけで公称600万人と呼ばれるプレイヤーの数々を生み出し、ええと、今のアメリカ人口が3億強なので、全人口の2%ということになりますか。ただし、その2%の中に、数々の創作家、コンピューター技術者、映画俳優といったサブカルチャー界隈で活躍する人々が含まれることで、現在のアメリカのサブカル文化に与えた影響は半端じゃないということ。いや、同じくらい日本のゲームやファンタジーに根差したサブカル文化に対してもね。
D&Dの影響力を語るなら、そこから逆に元ネタとなった『指輪物語』やら『蛮人コナン』『エルリックサーガ』などのハイファンタジー、ヒロイックファンタジーの名作を再評価する起爆剤になったことも挙げられます。
『指輪』→『D&D』→『指輪』再ブーム、という流れが確実にあって(78年のバクシ版アニメの『指輪』は時期的にD&Dブームを受けていることは明らか)、一つの作品の流行が、それに影響を与えた原典の再評価につながる良き連関性を見出すことができるのですな。
ゲーム関連は、もっとストレートに影響を受けました。
D&Dの発展で、それを模倣しつつ新しい要素を組み込んだ後続作品が次から次へと登場して、RPGという新ジャンルの定着に貢献。まず、75年に出た『トンネルズ&トロールズ(T&T)』という露骨なパロディ作品が顕著ですが(元々は、D&Dの噂を聞いたデザイナーが、どうしてもプレイしたかったんだけどゲーム自体が手に入らなかったので、自分たちで噂のD&Dっぽいものを断片的な情報から再構成したらしい。なお86年のD&D入手前にNOVAも似たようなことをしたことは以前にも書いた通り)、
明確にジャンルを広げたとされるのは、SFRPGの原点『トラベラー』(77年)、そしてRPGには世界観が必要だと知らしめた『ルーンクエスト』(78年)の二つ。これらのD&D後継作品の数々を、NOVAに80年代の雑誌記事なんかで紹介してくれたのも安田社長とかホビージャパン社とか水野さんということになるんだけど、その辺の述懐とか羨望、感謝の気持ちはいくら書いても語り尽くせないものがある。
まあ、曲がりなりにも今のNOVAがいて、サイトを立ち上げたり、掲示板管理人とか、ブログ書いたりできるのも、80年代にRPGにハマって、ゲームマスターの経験があればこそだし。中世ヨーロッパの歴史とか語学とかを濃密に勉強するきっかけになったのも、起因はD&Dを始めとするRPG。教師って仕事も、一時期はゲームマスターの延長線上で考えていたからなあ(もちろん、遊び感覚でやっているわけじゃないのは断言するけど)。この世にRPGがなかったり、80年代にその洗礼を受けなければ、White NOVAなるハンドルの人間の人生は非常に味気ない、つまらないものになっていたであろうことは、この俺が保証する。って、まあ自分の人生なんだから、保証も何も、本人が言えばその通りなんだけどな。他人が否定できるものではない。
他人「いや、NOVAさん。あなたの人生がRPGの影響を受けたというが、それは間違い、あなたの心の錯覚に過ぎない。今すぐ改心なさい」
NOVA「お前、一体、誰だよ。怪しげな宗教の伝道者か何かか? 悪いが、宗教は間に合っているんだよ。悪霊は去れ」
他人、改め悪霊「バ~レ~タ~カ~(消滅)」
まあ、こんなネタがポンと出てくるのも、RPGと特撮ヒーローの(いささか暴走妄想した)影響なんだけどな。ちょっと、話が真面目に傾きすぎた気がしたので、茶々を入れたくなった。
ああ、お茶がうまい。赤ずきんの幻も見えかけたけど、大阪の陣、淀君なんて単語もよぎったけど、話を戻して。
D&D→T&Tの数々のソロアドベンチャーとか、アメリカのスティーブ・ジャクソンの作った『ファンタジートリップ』(邦題『幻のユニコーンクエスト』)なんかの路線の行き着く先は、
もう一人、イギリスのスティーブ・ジャクソンらが作った『火吹き山の魔法使い』(82年)を始めとするゲームブックという新ジャンル。いわゆる「ファイティングファンタジー」シリーズだね。これも、ほんの最近、『アドバンスト・ファイティング・ファンタジー』の第2版が邦訳されたのを、先日、難波のゲームショップで確認したけど、他にも買う物があって予算が足りなくて、断念した。来月以降のターゲットかな。
う~ん、30年以上を経て、にわかに業界が活性化しすぎ。今年は80年代かよ、と苦笑まじりに漏らしてみる。実感としては間違っちゃいない。宇宙刑事だって、スターウォーズのハンソロだって、出て来るんだし。歴史は繰り返すとは、正にこのこと。繰り返すのは何も悲劇だけとは限らないんだぜ。
そして、D&Dの影響は、書籍だけに留まらない。
当時、新分野として注目を浴びつつあったパーソナルコンピューターの世界にも、D&Dは浸透していった。
それが『ウィザードリィ』(81年)や『ウルティマ』(81年)を初めとするコンピューターRPGの分野。ウィザードリィは、ダンジョン探索という冒険の目的と、そのゲームシステムそのものがストレートにD&Dだし、ウルティマは野外冒険とか、出現するモンスターイメージがD&Dの影響がはっきり出ている。まあ、ウルティマの場合は、D&Dの要素を取り入れつつ、SF混ぜたり、「D&Dの悪評」を払拭するために聖者への道、という哲学方面を探求したアバターシリーズに流れたりしたんだけど、そのウルティマの空気をよりD&Dの原点回帰冒険に戻したのが日本の『ファイナルファンタジー』初期作(第1作は1987)だったと考察することも可能。
ともあれ、コンピューターRPGの歴史は、それだけで十分記事立てできるぐらい濃密なんだけど、ここでは触りだけに留めます。本当にキリがないですし。
最後に映画。
『スターウォーズ』(第1作は1977)に対するD&Dの影響、なんてのを語ることも可能。剣で戦うジェダイの騎士とか、魔法めいたフォースとか、仮面の黒騎士ダースヴェーダーとか、SFめいたファンタジー路線なのは明らか。まあ、映画は総合芸術とも言われるから、いろいろな流行の要素や監督のこだわりを取り入れて完成させるわけだし、「スターウォーズに対する日本の時代劇の影響」なんて文脈で語られることも多いけど、もっとストレートに「スターウォーズとD&D」をつなげた、そして掘り下げた文章記事は、少なくとも日本ではあまり読んだことがない。日本では、D&Dとかがメジャーじゃないからかな。
だったら、『スターウォーズとドラクエ』の比較なんて記事だったら、普通に行けるかも。
そう言えば、先日、別ブログの空想タイムで『燃えろアーサー』(79年の東映アニメ)を紹介して、第1話を見てたりしたんだけど、序盤の展開がそのまま最近の『ドラクエ11』なんだよね。希望の王子として誕生した幼きアーサーだったけど、悪い魔法使い(魔女メデッサ)にそそのかされたラビック王が、アーサーの父ユーサー王を殺害し、城から逃がされたアーサーは自分の出自を知らないまま、田舎で育てられ、やがて勇者の血筋を明らかにして、悪王と魔術師に立ち向かう。
定番といえば定番だし、スターウォーズのルーク・スカイウォーカーにも見られる筋書きなんだけど(違うのは、勇者が悪魔の子として追われる身だとか、殺されたと思った父親が実は悪の黒騎士だったとか、そういうアレンジされた要素で、それぞれの作品を個性化してる)、物語の換骨奪胎のテキストとしては十分面白いと考えます。
まあ、『燃えろアーサー』を先に見ていたから、剣と魔法のファンタジーというジャンルにも自分は違和感なく順応できたのだと思うけど、アーサー自体にD&Dの影響がどこまであったのか(製作者はD&Dを意識していたのか)は分からないし、もしかするとバクシ版のアニメ版『指輪物語』なんかにインスパイアを受けて、東映の誰かが「宇宙SFの次は、中世騎士のファンタジーだ」と考えたのかもしれないけど、当時はまだ人気作にはならなかったので、アーサーは5年早かった、と言わざるを得ませんね。
というか、今だったら、普通に売れると思うので、「失われた伝説のファンタジー騎士アニメが復活」って宣伝文句をつけて映像ソフト化すれば、自分みたいに買う人はいると思うぞ。ドラクエとアーサーなんて、本当に相性がいいんだしさ。
もっとも、アーサーが水戸黄門化した路線変更の『白馬の王子』で幻滅する可能性もあるんだけど。シリアスファンタジーがいきなりマンネリコメディ化したのは、まずいと思うの。コメディからマジ路線になって燃えるバトルアクションに進化する方が受けると思うんだけど(キン肉マン)、逆はイマイチ受け付けない。必殺シリーズみたいに十年ほど時間をかけて徐々に変質していったのなら世代交代の効果もあって新規を呼び込む起因にもなるだろうけど、志高く作ったものを半年かそこらで「受けなかったか」と断念して突然コメディーに切り替えるのは、真面目に番組追っかけてた少数のファンさえ切り捨てる行為だろうし、カルトな名作として語られるはずの作品さえ貶めることになるとは、今だからこそ言えるんだろうけどさ。
って、もはやD&Dの話じゃなくなってますよね、これ。
まあ、NOVAに影響を与えた西洋中世ファンタジー物語という意味では、つながるんだけど。
それより書きたかったのは、こっちだよ。
『インディ・ジョーンズ』(第1作は81年)。ルーカスとスピルバーグのベストマッチ。お宝求めて遺跡に潜る冒険者という意味では、やはりD&Dとつながる。時代背景が違うだけで、やってることは同じ、という意味では、アーサーと水戸黄門の関係を書いた直後では、まあストーリーアレンジの一例のテキストとも言えるんだけど、
ここでは、迷宮内をゴロゴロ転がってくる大玉、というトラップが、いかに映像的インパクトに満ちていたか、と主張してみる。
もう、宇宙刑事さえマネしだすし。まあ、宇宙刑事は他にもレーザーブレードとか、ギラン円盤のミレニアムファルコン的デザインとか、スターウォーズのマネし放題だけど、先駆者のやっていることをいち早く取り入れて自分流にアレンジして完成度を高めることは、日本文化最大の長所とも言えるんだから、そこを批判する人間は日本の伝統が分かっていないと論破するね。そう、劣化コピーじゃなくて、そこから時代を超えて受け継がれる伝承力こそが大事なんじゃないかな。良いものを模倣しながら真摯に高めていこうとする研究熱心なところとか、マネして見て初めて分かる先人の偉大さとかね。
で、インディ・ジョーンズの映画に喚起されて、そこから先は迷宮内をゴロゴロ転がる大玉のオンパレード状態。真っ直ぐすぎる通路の突き当たりに大きな扉があれば、疑ってかかる冒険者の習性がこれで養われたりも。
冒険者「まっすぐ過ぎる通路の突き当たりの扉かあ。開ける前に、途中にあった横の扉を開いておいて、振動で閉まらないように、くさびとハンマーを使って、ガッチリ固定しておくぜ。これでいざとなったら、脇の部屋に逃げ込める」
DM(チッ、バレてたか。さすがに、3回も同じ罠に引っ掛かるほどは甘くないよな。だが、脇の部屋にも実は罠が仕掛けられたりして。さあ、安心したところで、釣り天井の仕掛けに恐れおののくがいい……って、ああ、扉を固定されてちゃ、出るのも簡単じゃん。そこまで読んでたのか、コイツ?)
こんな感じで、映画にインスパイアされたDMと、それを見て対策を考えたプレイヤーとの知恵比べとか、そういう情報を満載した雑誌のトラップ記事とかを読み漁るゲーマーの飽くなき探究心が、スピルバーグの映画の背景には広がっていたわけですな。いや、マジで。
よって、D&Dプレイヤーの熱心な「ゲームに関係しそうな情報と見れば、どんなジャンルだろうと貪欲に受け入れていく精神性」こそが、70年代後半から80年代の冒険活劇アクション映画の発展に大きく寄与した、と考えるのですが、どうでしょうかね。
ゲームと他の分野が互いを持ち上げあって、その後のメディアミックスの流れに至る起因になった、と自分は考えています。
それもこれも、DMとプレイヤーが双方向に影響を与え合い、素人にも創作の醍醐味をゲームというシステマチックな形で伝え、将来のクリエイターを養成し、それがサブカル業界全体の活性化を促した結果こそが、今の2018年という時代だと書いて、本記事はいったんまとめたいと思います。
次の歴史記事は、TSR編その2ということで、80年代の再発展期と、90年代の斜陽期に至る流れを、「クラシックD&D」と「アドバンスト第2版」を通じて書いていきたいな、と。(完)