ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

私的D&D史(TSR編2)

 前回はD&Dの黎明期から発展期について、自分視点で書いてみました。

 今回はTSR時代の最盛期から斜陽期について、まとめてみるつもりです。

 

 この時期に自分のゲーマーライフも最盛期を迎えて、そこから後は、ホビー館のサイト主として趣味と仕事を立て分けた第2の人生だと概括している次第ですが、

 夢と挫折とか、バブルと直後の不景気とか、後からの歴史的視点で見るなら、自分の人生は自分だけのものと思いきや、やはり世間の動きとリンクしているというか、当時は世界が今ほど見えていなかったために、自分の夢とかが崖っぷちにあったのにも気付かず、無我夢中のまま一直線に突き進んで行ったんだろうなあ、と感じます。

 

 そこから大ジャンプを敢行して、まあ翼が未成熟とかで飛翔しきれずに墜落し、だけど何とか生き延びて、心の傷を癒すのに時間を費やして幾星霜ってところですか。

 

NOVA「フッ、手痛い傷は受けたがな。俺はまだまだ戦える。人生まだまだ捨てたもんじゃない。見えない明日を求めて、さすらう日々はまだまだ続くかもしれないが、俺には帰るべき場所がある。今も戦うヒーローたちの勇姿が俺を支えてくれる。そう、俺はまだまだ英雄予備軍の冒険者なんだ。散って行った仲間たちの想いも胸に、行けるところまで駆け抜け、明日を照らす光となって見せるさ。後に続く若者たちのためにもな」

 

 気取った言葉を並べるなら、こんなところでしょうか。

 

 うん、こういう言葉を口にできるなら、80年代や90年代の若き自分が尊敬してくれそうな、いい大人と言えるな。

 

 まあ、10年後、20年後の自分が見れば、「何を青いことをほざいているんだ。見ていて恥ずかしいわい。この青二才が」と呆れられそうな文でしょうがね。だけど、その後にはこう続くんだ。

「だが、そんな若さは嫌いじゃないがの」って。

 

 やっぱ、過去の自分から見て、バカにされるような今であって欲しくないよね。

 若い時にしかできないことも確実にあるだろうけど、若い時にはできなかった、見えなかった、分からなかったことをしっかりやりこなし、知見して、情熱を維持できていることを確認していく作業こそ、今だと思いながら、こんな駄文を綴っている今日この頃。

 

 持ち上げて、落とすのが今回の話、ということで。

 

★クラシックD&Dのスタート(1983)

 1973年から74年にオリジナルD&Dが生まれ、77年から78年の改定によりアドバンストD&Dが誕生し、それによって多様なジャンルに影響を及ぼすようになった。
 前回の文章を簡単にまとめると、こんなところですね。

 さて、アドバンストD&Dの誕生に合わせて、箱入りのD&Dベーシックセットが出版されたのが78年。これがクラシックD&Dの第2版だと現在は認知されています。このバージョンは青箱らしくて自分は未見なのですが、まあ、そういうものがあったと。

 そして、81年になると、さらにAD&Dより分化した第3版が出版されることになります。
 これは、発売から3年目を経たAD&Dが結局、オリジナルD&D以上の発展を示して、初心者には敷居の高すぎる怪物ゲームになってしまったため、完全に初心者対応型のベーシックルールから引き続きプレイしてもらうためのエキスパートルールを発売するようになった経緯があります。この時点で、入門用のD&Dと、上級者用のAD&Dがシステム的にも違う流れをたどることになったわけですな。
 つまり、この時点でクラシックD&Dが始まったと解釈することも可能。

 まあ、おおむね日本でD&DとかRPGという言葉がちらほら聞こえ始めるのも、この辺りになりますかね。その年に出たウィザードリィウルティマの影響もあったりして。
 最初のガンダムが79年で、マクロスが82年。自分がシミュレーション的なボードゲームを初めてプレイしたのが、ツクダホビーから出たマクロスの『DOG FIGHT』で、小6の卒業間際だから83年の初め、ということになりますか。そして、その後、マクロスのゲームは慣性の法則とかあって、ややこしいや、と思い、もっと分かりやすい初期のガンダム作品『ニュータイプ』『ホワイトベース』、また連れが『ジャブロー』や『フォートレス』(別名ア・バオア・クー)を買ったり、自分がまたまた『イデオン』買ったり、中学生のアニメシミュレーションゲームライフが実り豊かに進行していたわけですな。なけなしのお小遣いを犠牲にして、得られたものは……それらの作品のメカの名前とか、数値データをチェックしてサイコロ振って判定するというゲーマー感覚?
 あとは、この場で語れる話のネタが多々。十分じゃないか。

 そして、それらのボックスに入っていた同社のゲームの広告で、日本初のオリジナルRPG『ローズtoロード』(84年)やら、原作付きRPGとしてスタートレックを題材にした『エンタープライズ』(83年)、『クラッシャージョウ』(83年)というタイトルの短い宣伝文を読んで、大体、その辺りでRPGという単語に初遭遇したことになります。 

 やはり、83年がいろいろな意味で、自分の趣味ライフ的に一つの転機になりますね。
 RPGに対する当時の認識は「マスターとの会話により冒険を行うという、意味のよく分からないゲームジャンル」だけど、パッケージ写真には本しか写っていないし、他のシミュレーションゲームでは戦闘マップとかユニット(戦闘用のコマ)がいっぱい並んであって豪華そうなのに、食指をそそらないなあ。試しに玩具屋さんで置いてある箱を手に取っても他に比べて軽いし、中身スカスカで、この値段は高いよなあ。こんなのを買うのって、スタートレックとかクラッシャージョウのマニアぐらいじゃないか(自分はそうじゃなかった)と思っていたわけで、うん、そこで冒険者魂にいち早く目覚めていたり、スタートレックのマニアになっていたり、ガンダムと間違ってクラッシャージョウのゲームを買ったりしていれば(同じ安彦さんの絵なんだし)……「83年という日本のRPG黎明期にすでにプレイしていた日本初の中学1年生」という項目でギネスブックに載っていたかもしれないのに、惜しかったな、ケイソン、いや、秀。

 って、別のブログのネタを持ち込むなよ、自分。TPOをわきまえてくださいよ。
 ……うん、ここは空想(妄想)タイムと違って、翔花みたいなツッコミ役がいないから一人ボケ、一人ツッコミは若干寂しいな。

ハイラス「私をお呼びかな、NOVA殿」

 うわあ、ここはドルイド記事じゃないから、あんたの出番は……いや、俺の脱線暴走にブレーキをかけるにはいいかもな。

ハイラス「ところで、NOVA殿、一つよろしいかな?」

 何だ?

ハイラス「先ほどから35年前、この世界における1983年の思い出話を語っているようだが、その話はすでに3月6日の記事で語り終えているはずでは?」

 ……本当だ。
 文章は違えど、同じような内容をもっと短く、まとめているや。2ヶ月前の俺、偉い。
 何てこった。こいつは伝説のリピートになるぜ。

 まあ、いいや。面白い話は何回、書いても面白いと言うしな。

ハイラス「いや、それを言うなら『何回、聞いても』ではないかな。それに、その話が面白いとは私にはどうも……」

 おい、ハイラス。
 お前は、俺の中学時代がつまらん人生だったとケチをつける気か?(ゴゴゴゴゴ)

ハイラス「な、何と、NOVA殿の背後に、奇怪な面をつけて鉈を構えた大男の姿が浮かび上がっただと? これは何かの悪霊か? い、いかん。このままでは禍々しい殺人鬼のオーラに飲み込まれて、平静を保っていられなくなる。こうなったら、私も月の円環の導きに従い、内なる野生を解放して……」

 やってやるぜ、とでも叫ぶつもりか。
 だったら、俺も勝負してやるぜ、ダンクーガNOVAとして、鳥の歌を歌ってやる。

鳥の歌

ハイラス「何? 悪霊が姿を消し、代わって現れた4つの獣。鷲、象、犀、山猫、4つの光が一つに重なり、人型を構成しただと? このような術は見たことがない」

 フッ、NOVA流、時空魔術奥義・超獣機神召喚の術だ。
 正確には、NOVAと名が付くのは獣装機攻の方だが、細かいことはどうでもいい。
 獣を超え、人を超え、神の戦士を召喚する大技だ。
 その辺のドルイドの技には引けを取らないはずだぜ。

ハイラス「しかし、どうして、そのような技をこの場で?」

 もちろん、自分の心に目覚めた悪霊を封じるためさ。
 心にて悪しき空間を断つ。名づけて断空剣って奴だよ。
 中学時代の自分をバカにされたと勘違いした悪霊が、封印から目覚めて勝手に出てきたものでな。ちょっとした荒療治ってところかな。

ハイラス「うむ、しかし、よもや、獣を使ったこのような技が存在していたとは。ドルイドの技はあらかた見知ったつもりであったが」

 ハイラスよ。
 お前に今の技を見せたのは他でもない、時空魔術に接してもらうためだ。
 ドルイドの技には、時空を飛び回るようなものは存在しない。それは自然とは言い難いからな。
 お前が故郷に帰るには、時空魔術を学ばなければならない。お前も次元ドルイドを名乗るなら、力をコントロールする術を持たないのは危なっかしすぎる。
 だから、せめて俺にできる範囲の修行法を伝授してやる。

ハイラス「それは願ってもない申し出だが、どのような修行法を?」

 まずは聞きたいのだが、ドルイドの修行法ってのはどうしてるんだ?

ハイラス「それは、自然のエレメントの声を聞くとか、自らを自然に溶け込ませるように念じるとか、とにかく、自然や獣のことを常に考えることが基本だが、言葉だけで伝えられるとは思わぬ。自分の感じ方次第だからな」

 それほど言葉というものをバカにしたものでもないぜ。言葉にも霊の力、想いの力は宿る。言葉で伝わらないのは、それを使っている本人の能力が足りないからさ。あるいは、受け取る側の知性、感受性が劣っているか、自分の殻に閉じこもって受け付けようとしないか、まあ、それはこの際、どうでもいい。
 俺が教えたいのは言霊魔術ではなくて、時空魔術の方だからな。

 時空魔術はドルイドの修行法の応用で何とかなると思うぜ。要は、ドルイドが自然の声を聞くのと同様、時間の流れや、異世界の理を理解し、感じようとするところから始まるのだからな。時空魔術を習得するには、常に自分や他人の過去や未来、そして異世界といったもののことを考える想像力、洞察力を磨き上げなければならない。下手すれば、それは妄想にしかならなくなるので、自分の感じたそれらが事実かどうかの検証も合わせてな。妄想による判断は暴走して危険なことも多いから、事実検証は怠ってはならない。飛躍しがちな妄想を、事実と論理で制御しながら、自分の望む先に到達するなり、過去や未来と対話する。これが、時空魔術の根本的な考え方なんだが、この説明で分かるか?

ハイラス「理論上、大まかなところは何とかな。つまり、NOVA殿が過去の自分や出来事に想いを馳せるのも……」

 時空魔術の基礎トレーニング、と言ったところかな。まあ、半分以上は趣味でもあるのだが。
 趣味も、仕事も、技能も、一人の人間の中ではつながってくるもんだ。自然嫌いな奴に、ドルイドの修行ができないのと同様、歴史や異世界を見ようとも、考えようともしない奴に、時空魔術は使えん。魔術は、要はその人間の信念、生き様を体現あるいは反映するものだからな。

ハイラス「なるほど。では、私もそのトレーニングに参加しても構わないだろうか」

 ああ、今はD&D世界の過去を振り返っていたところさ。随分と寄り道をした気分だがな。
 ここは、俺にとっても重要な記憶が混じるところだから、制御が難しい。寄り道暴走しかけた時には、適度に抑えてくれると助かる。

ハイラス「あい分かった」

★改めてクラシック(1983年以降)

 今のテーマである赤箱、青箱、緑箱、黒箱、そしてイモータルの金箱の5つの基本ルールから成るD&D(4版)こそが、俗にクラシックD&Dと呼ばれるものだ。
 どうして、そう呼ばれるかというと、日本で本格的に紹介され、初めて邦訳版が商品として発売された最初のD&Dだからな。つまり、日本人にとっての原典、古典ということでクラシックという扱いになるわけだ。

ハイラス「なるほど。同じ神でも、地域によって重要度が変わってくるようなものか。海辺の近くでは嵐の神や海洋神が主神のように崇められる一方で、内陸部では太陽神や大地母神が権勢を誇る。日本という地域では、4番目の神が古の神として崇められると考えていいのだろうか」

 いや、その例えじゃ、ちっとも分からんだろうが。
 D&Dは確かに神のごときゲームだが、俺もD&D教に帰依しているようなところもあるが、それはあくまで物の例えであって、信仰の対象ってわけじゃねえ。
 信仰に例えられると、かえって読者が混乱する。もっと身近な例え方はないのかよ。

ハイラス「むむ。ある部族は狼を祖霊として尊ぶ一方で、別のある部族は熊を尊ぶ。これではいかんのか」

 さっきよりは短い分、マシだが。
 俺はハイラスの言いたいことは分かったが、お前はもう例えを使って説明するな。簡単な話でさえ、分かりにくくなるんじゃ、例える意味がない。
 俺がドルイド信仰を「まるで、アイヌの巫女ナコルルみたいだな」とか、「まるで、必殺うらごろしの先生みたいだな」と言っても、読者の一部には通じても、お前には分からないようなもんだ。

ハイラス「確かに。ナコルルという名は初めて聞くが、ドルイドで先生と呼ばれる御仁には会ったことがあるような……」

 どこでだよ?

ハイラス「確か、あれはフォーゴトン・レルムのアイスウィンドと呼ばれる地域だったか……」

そこかよ

 15年ぐらい前に俺が書いたコンピューターゲームのリプレイ記事じゃねえか。お前、あんなところまで飛ばされたのかよ。懐かしすぎるよ。
 それはともかく、お前、しばらく黙ってろよ。さっきから話が進まないにも程がある。
 俺はまだ自分の行き先を制御できるから、多少寄り道しても戻って来れるが、お前は行き先すら制御できないから、アシスタントガイドとして役に立たねえ。ガイドが率先して道に迷っているんだからな。
 今は黙って話を聞いて、状況が理解できるまで喋るな。いいな。

ハイラス「がーん。これほどの叱責を受けたのは、我が師ロウラス以来になるか。己の未熟さが口惜しい」

 結局だ。
 クラシックD&Dは、81年の3版に次ぐ4版として83年にアメリカ本国で発売された。



 一応、4つまとめて画像を貼り付けたぜ。黒箱のマスタールールを貼るのは今回が初めてだ。コンパニオンルールの解説が当初の予想より長引いたんでな。

 3版と4版の最大の違いは、コンパニオンとマスタールールが加わって、最大レベル36の一応のゴールが示されて、同時にイモータルへの道というD&D最大の目的がシステム的に提示されたことだ。
 本国での発売年は、赤箱ベーシックと青箱エキスパートが83年、緑箱コンパニオンが84年、黒箱マスターが85年、そして、画像はないが金箱イモータルが86年となっている。割と順調に発売されているように見えるが、この時期のTSR社の中の内紛は相当、酷いものだったらしい。

 日本では、そんな外国のゲームの会社の内部事情なんて知る由もなかったんだが、近年になって、色々と当時の情報を知ることができるようになってな。
 TSR社とD&Dの生みの親であるゲイリー・ガイギャックス氏が83年当時、発展するD&Dのために、ハリウッドでアニメ化目的で作った子会社の方に出向いている間に、シカゴ付近のウィスコンシン州にある本社の方が経営悪化。その後、85年にガイギャックス氏が帰還し、副社長のブルーム兄弟を解任して一時的に経営立て直しを図ったが、その際に雇った経営の専門家(ゲームの素人)のローレーン・ウィリアムズが曲者だった。その年の10月に、彼女のクーデターと称される会社乗っ取りを受けて、ガイギャックス氏が社長の座を解任。TSR社の経営方針がゲーマーのための会社から、D&D利権を振りかざして、それまでのゲーマーの自由な活動を迫害するような大手大企業体質に変貌していったそうだ。

 つまり、クラシックD&DはTSR社の内部紛争を背景に作られていった(とりわけコンパニオンルール以降)という視点で、ていねいにルールを検証していけば、また違った目で考えられることが、最近になって分かったわけだ。
 例えば、コンパニオンルールのコンパニオンとは「会社に所属する仲間のためのルール」という意味づけもあったのかもしれないし、「領地経営に偏った追加ルールで、自由な冒険者のためのルールがあまり顧みられていない」のも、もしかすると企業重視、自由な冒険者を軽視する経営者側のスタンスを反映したものと、うがった見方もできるかもな。
 それに、コンパニオンルールで紹介されたドルイドがやたらと後ろ向きな世捨て人として記されているのも、ギスギスした会社の鬱屈した状況が無意識のうちに反映されているのかもしれない。
 そういう状況を、まあ、新人編集者のアンさん一人の責任にして、コンパニオンルールがゲームバランスの悪い欠陥品になったのはゲームに素人な人間を編集に回したのが悪い、と後から責めるのもどうかと思ってな。
 とにかく、急激に発展したD&Dという光の陰で、いろいろな人間の抑制できない思惑が渦巻いて、当時のTSR社は混沌の渦に飲み込まれかけていたわけだな。

ハイラス「NOVA殿、一言よろしいか?」

 ああ、何だ?

ハイラス「先程、D&Dなるものを神に例えたのは早計だった。このような人の欲望をそそのかす代物は、断じて神などではござらん。まるで悪魔ではないか」

 いやいや、それも短絡的だろう。
 ゲームそのものには罪はないと思うぜ。ただ、急激な発展ぶりが、人の欲望に火をつけたところはあるよな。
 ゲイリーさんの言葉を借りるなら、「自分はただ仲間と楽しくゲームをして、その輪が周りに広がることだけを望んだんだ。しかし、それが多くの人々の人生を狂わせ、自分の作った会社が金に目のくらんだ悪魔の巣窟と化したのは忍び難い」ということになるな。
 もちろん、ゲイリーさん視点では悪役として描かれがちなローレーン女史の言い分にも一理はあると思う。彼女はゲーマーではなく、あくまで大企業の経営者視点で企業利益を最大にするスタンスで、80年代後半から90年代のTSR社を引っ張ったわけで、その時期に日本ではD&Dが展開され、TRPG業界を牽引する大きな流れを作っていったわけだからな。

 ともあれ、クラシックD&Dが俺たちのところに日本語版として登場したのが85年。
 その同じ年に、ゲームシステムと会社を作ったゲイリーさんが会社を追放されたのは、何とも皮肉な話だよな。インターネットのある時代じゃないので、こっちには断片的な話しか伝わって来ず、表立っては社内のゴタゴタなんて公表されるものでもないから、俺たちは無邪気に「やったあ。RPGだあ。D&Dも順調に発展しているし、ドラクエとかFFとか、どんどん進化していく。将来はゲーム業界で仕事したいなあ」なんて喜んでいたわけさ。

 なお、ゲイリーさんは1938年生まれで、2008年に亡くなられた。
 つまり、今年がちょうど没後10周年になるわけだ。アメリカのゲーマーは基本、ゲイリーさんを「時代を変えた偉大なゲーマー代表の神」に例えているとも聞く。
 俺は今、ゲイリーさんの伝記を読むのと並行して、この記事を書いているので、ゲームを愛した苦労人としての彼に感情移入しているわけだけど、彼がTSR社を追放された時の年齢が47歳で、ちょうど今の俺と同じだ。
 だから、余計にいろいろ考えてしまう。

 付け加えるなら、日本でD&Dを精力的に紹介された御仁が、尊敬するグループSNE安田均社長なんだが、俺が唯一会社と呼ばれる組織に所属したのがSNEなもので(それ以外で雇われたことがある上司は、店長とか先生と呼ぶ)、俺にとって安田均氏は今でも社長という呼称がしっくり来る。
 で、その御仁は1950年生まれで、俺が社長にリストラというか、契約社員の期限切れを宣告された時のお年が、やはり47歳かそこらだったんじゃないかな。尊敬する御仁からそういう仕打ちを受けたわけだから、当時は悲しくて絶望して、自分の感情の持って行きどころもなくて、どう落ち着けばいいのか、人生の行き先なんかも迷いもしたんだが、それから20年も経った今なら、当時の社長の気持ちも分かるし、何よりも社長自身が本当に辛い時期だったことも分かる。
 社長にとってD&Dは本当に大切な作品の一つで精力的に紹介されていたのは、その紹介された雑誌記事などを精力的に追いかけていた人間だから、よく分かっている。それがまあ、TSR社の経営方針の変更などで、いろいろ厳しい要求を突き付けられて、ロードスの展開も第3部になってそれまでのD&Dが使えなくなったり、90年代にSNEで展開しようとした時も相当に酷い対応を受けたという話もチラホラ聞いたことがある。
 それでも、D&Dをそれまで時間をかけて紹介し、ドラゴンランスなどの小説を翻訳し、日本のRPGのために尽くされた方だからな。それなのに、ある日、突然のようにTSR社がトレーディングカードゲームMagic the Gathering』のWoC社に吸収合併されたと知らされてきて、それまでの契約関係が一方的に解除されたとあっちゃ、俺以上に絶望し、愕然とし、「TRPGは終わった」宣言を口にしてしまっても、納得できるというものだ。

 それから、20年が経って、何だかいろいろ懐かしいものが復活してくる年になって、平成も終了する頃合いになって、いろいろな過去の気持ちを洗いざらい整理したくなったりもして、今もこの記事を書いたりしているわけだけど、昔、社長に言われて、今も心に残っている言葉があって、それをこの場で書いておくと、

「本当にゲームが好きで強い気持ちがあれば、今は辞める形になっても、必ず何かの形で世に出ることもある」

 まあ、当時の状況を考えると、こっちへの最後の手向けの言葉って意味だけでなく、RPGから一時撤退せざるを得ない状況下でも何とか命脈をつないで、いつかの再起を誓う御自分への決意表明の意味もあったのかもしれないし、その場限りの言葉で本人は忘れているかもしれない。
 だけど、今の状況で、自分はゲームを綺麗さっぱり捨てようと思っても、やっぱり捨てられなかったし、ゲームが好きで、時代が変わってもやっぱり追いかけ続けたいと思っているし、プロとかアマとか関係なく、そういう気持ちを訴えられる自分の居場所を構築したし、いろいろ大変なことがあっても、全て受け止めて、真っ直ぐ進み続けてきたつもりだし、未熟な自分への反省はあっても、多少は過去の未練が残っていたとしても、それ以上に今の自分を肯定する気持ちは強くあるわけで。

 うむ、いつかどこかで書きたいと思っていた、TRPG、D&D、SNEに対する心情吐露、自己主張タイム終了。こうして、言いたいことが言えぬまま鬱屈した自分とはおさらばさ。

ハイラス「なるほどな。敬愛する心の師に対するNOVA殿の熱い想い、しかと聞き賜った。その気持ちが先方に伝わればよろしいでござるな」

 嫌だよ、恥ずかしい。
 年甲斐もなく、こんな子供みたいな感情を本人に対して、さらけ出せるわけないじゃないか。あくまで、自分のブログで人知れず、と思うからこそ歴史考察の影に隠れて書いただけだし。

ハイラス「そ、そうであられるか。思ったよりも奥ゆかしい方なのでござるな」

 奥ゆかしいっていうか、基本は繊細で内気なんだよ、俺は昔から。
 だけど、好きなことなら熱中して、我を忘れて語れるし、ゲーマーに限らず、マニアって人種はそういうもんだろう? ただ、壁に向かって喋るのは虚しいし、聞いてくれる誰かがいると分かれば、饒舌にだってなれる。読者がこの記事を読み飛ばしたとしても、ハイラス、お前が聞いてくれるんだから、確実に一人は聞き手がいる形だ。

ハイラス「私などでもお役に立てたとは光栄。ついては、この続きはどう展開されるおつもりか?」

 う~ん、長年溜め込んだ想いはこれで吐き出したし、今回はこれで終了かな。
 86年以降の展開は高校時代の思い出話とかぶるし、そもそもクラシックD&Dの話題もいろいろと被ってくるからなあ。
 TSR社の内部問題はさておき、「新和時代のD&D日本語展開と、うまく行かなかったAD&D第2版の日本・海外両方の総括」書いてTSR編は終わるかな。メディアワークス版D&Dについては、個人的にシナリオ集「ナイツ・ダーク・テラー」キャンペーンをやって、それでレベル9ぐらいまで上げた記憶ぐらいがあるんだけど、途中のプレイであまり印象的な思い出が残っていないのでパス。
 あとは、イモータルやら、AD&D版ドルイドやらの話につないで、その後は今のTRPGカテゴリーを海外の翻訳RPG全体に対象を広げて、それとは別にソード・ワールドなどを追跡する「和製TRPG」カテゴリーを設ければいいかなあ、と思っている。そういう入り口があれば、ハイラスもアレクラストに帰りやすくもなるだろうしな。

ハイラス「気づかっていただき、感謝奉る。ともあれ、過去の古傷なども目を逸らさずにしっかり見据えることが時空魔術の心得というご指導、しっかり承ってござる」(完)