ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

私的D&D史(TSR編その3)

ハイラス「前回は、NOVA殿の思わぬ心情吐露を聞けて、感慨深かったでござる」

 

 おい、ハイラス。

 いきなり何だよ。

 まず、こういう場所で記事書きするときは、自己紹介ぐらいするのが筋ってもんだろうがよ。ブログ主の俺はお馴染みなのでともかく、お前は最近ここに現れた新入りなんだからよ。

 

 もしかすると、初めまして、の読者さんもいるかも知れないじゃないか。

 コメント欄とかでもそうだが、管理人との個人的なつながりがあるからと言って、周囲の目もわきまえずに、いきなり馴れ馴れしく話しかけてくる輩もいるが、その辺はTPOとかもわきまえてくれないと、対処に困る。

 もちろん、「この場では初めまして」という形で、礼儀を重んじながらも相手との人間関係が成立していることをさりげなくアピールする書き方もあるが、何のあいさつもなく、その文章を読むかもしれない他の読者の目も気にせず、気楽なメール感覚の延長で、一方的に言いたいことをブログ記事の文章とは関係なく書きつづるようなのは、ノーサンキューだ、と言っておくぜ。

 表面上の言葉だけ取り繕っていても、そういう根本的な自己を客観視する姿勢(周囲の目に自分の文章がどう映っているかなど)とか、相手の立場や状況にプラスになる、何をどう書けばWinWinで歓迎されるかなど、そういう想像力も持ち合わせていないようじゃ、人とコミュニケーションなんてままならねえ。

 

ハイラス「なかなか痛み入るお言葉でござるが、開幕早々、説教から入るのもいかがかと思うものなり」

 

 悪い。

 長年、教師なんて仕事をやってたり、相手が自分より未熟だと振る舞い方から分かってしまうと、ついつい、こういう言い方になってしまう。

 

 それはそうと、一応はホストとして、当ブログの臨時アシスタントガイドを紹介しておくぜ。

 次元ドルイドっていう、瞑想と迷走の得意なハイラス君だ。あの有名な、だけど最近までNOVAの目にはアウト・オブ・眼中で済まぬことをした、アレクラスト大陸のユニコーンの森で隠者然としながらも、いまだ厳然とした影響力を誇りつつ薬草茶商売で時流に合わせてブレイクしようと考えている、温和かつ意気軒高な御老人、大ドルイドのロウラス師。あの方の数ある弟子の一人だが、公式設定ではなくて、この場のオリジナルキャラだ。

 自分ではコントロールできない時空転移に巻き込まれて、故郷に帰れなくなって困っているところを、何の因果かNOVAが面倒見るようになって、一時的な弟子として、時空魔術の心得なんかを語って聞かせているところだ。

 まあ、彼が分かっていないのは、時空魔術と、TPOをわきまえた如才ない対応と、この世界での常識とかそういうのであって、本来は経験あるドルイドだし(クラシックD&Dになぞらえるなら、最低でもレベル9以上のエキスパート後半)、ファンタジー的な異世界の知識は結構豊か。ついつい信仰方面に話が流れるのは、俺の話がついつい特撮ヒーローやスーパーロボット、必殺方面に流れるのと同様の個性ってことで、勘弁して欲しい。

 

 俺が彼に期待しているのは、ドルイド知識の補完と、本来は優れているはずの学習能力とか知恵とかと、俺の話が暴走している時のブレーキ役ってところだ。しかし、話を始めた途端、いきなりブレーキを踏んだり、話の方向をそらせたりする傾向があるので、そこを改善できればいいんだが、と思っている。

 

 まあ、こんなところか。

 

ハイラス「ここまで一気に話すか、というほどの長すぎる紹介文ではあったが、誠にもって、その通りでござる。不肖の身ながら、アスシタントガイドとして精進しようと考えているゆえ、皆さま方にもよろしくお頼み申し上げる次第」

 

 心意気は買うが、アシスタントガイドな。アスじゃなくてな。

 

ハイラス「面目ない」

 

★日本のクラシックD&D(85年~89年)

 それでハイラス。
 前回の話は覚えているか?
 もちろん、俺の個人的な心情吐露とかそういうのは抜きにして、だ。

ハイラス「話を聞いたのは途中からでござるが、確かD&Dなる品物の4版が、日本ではクラシックと呼ばれ、今なお珍重されているということだったような」

 合っている。
 日本のRPG起源は準備期間や事前紹介なども含めて、83年からだと考えられているが、ちょうどアメリカでD&Dが作られてから10年が経った頃合いだ。

 そして、84年に『ローズ・トゥ・ロード』がいち早く国産初のファンタジー RPGとして名乗りを上げ、同年SFRPGの『トラベラー』が安田均氏の翻訳でホビージャパン社から発売され、さらにゲームブックの『火吹き山の魔法使い』が出版されるなど、ブームの兆しが表面化。
 一方、コンピューターゲームの世界でも、RPGという言葉が浸透するようになる。81年に出た『ウィザードリィ』『ウルティマ』が2大RPGと呼称されるようになり、当時Apple IIという先進パソコン機種を持っていた海外の動向に詳しいマニアはいち早くそれらに注目していた。82年にそれぞれ2作目、83年には3作目が出て、日本のRPG紹介はパソコンゲームが主導していったという意見も一般的だ。

 続く85年に、ついにD&Dの赤箱ベーシックセットが翻訳される。
 同じ年に『ウィザードリィ』の日本語版がNECのPC8801やPC9801などの機種に移植される一方、海外では先に『ウルティマ4』が出て、従来のバトルメインではなく、徳を積んで聖者を目指すとか、街の住人との独特の会話システム(聞きたいキーワードをタイプで打ち込んで、相手の応答を探りながら情報収集する形)が画期的だと話題になって、パソコン雑誌を賑わせていた。また、ドラクエ堀井雄二ファミコン(83年に発売)初のコマンド式アドベンチャーゲームポートピア連続殺人事件』(エニックス)を出して年少の子供たちの注目も引き、一方でRPGっぽいアクションゲーム『ドルアーガの塔』とか、翌年3月にアクションRPGハイドライド・スペシャル』なんかも出て、確実にドラクエ前夜の下地を作っていった時期でもある。

ハイラス「うむ。何の話をしているか、ちっとも分からないでござる」

 大丈夫だ。
 読者の皆さんは、お前より確実に分かっている。
 NOVAと同じ世代でゲームに興味がある者なら割と常識だし、それ以外の人たちにとっても、80年代のゲーム史に関心があれば、楽しく読んでいてくれるさ。俺はそう信じている。

 それでD&Dに話を戻すが、85年の時点で、主にゲームブックの後書き紹介文や、コンピューターゲーム雑誌のRPG関連記事などの影響もあって、その2年前に比べても確実にRPGという単語は浸透し、最先端の流行ジャンルを牽引するまでに期待されていた。
 そして全てのRPGの源として、たびたび話題にも挙げられ、ゲーム関係者の間で今か今かと注目を浴びていたのが、D&Dだったんだ。その後のクラシックD&Dの歴史は、確実に日本のRPGの発展の歴史と重なっている。

 86年に青箱エキスパート、87年に緑箱コンパニオン、少し遅れて89年に黒箱マスター。それ以外にも関連シナリオや、モンスター集、マジックアイテム集などのサプリメントが多数、新和から出版され、元祖RPGとしての地位を日本でも堅実なものにしていった……はずだった。
 TSR社が本国のゲーマーを初め、自分たちを支えてきたファンたちを裏切って、極端な利益追求主義、自国第一主義に走るまではな。

 D&Dを支えてきたのは、当時それを出版していた新和だけじゃない。『ロードス島戦記』のリプレイ効果も大きかったろうし、富士見ドラゴンブックスで展開した『ドラゴンランス』小説やゲームブックの翻訳、そしてパソコンのAD&D関連のローカライズやゲーム雑誌への紹介記事など、周辺から積極的にサポートしていたグループSNE(会社としては87年設立。ただし、それ以前から社長を中心に精力的に活動していた)の功績は、当時からのファンであり追いかけて来た人間として、歴史の一証人として、この場でしっかり語っておくぜ。
 当時、ファンの目から見ても、ロードス問題以降、D&D関連が何やらギスギスしているなあ、と感じていたけれど、てっきり新和との翻訳権をめぐるゴタゴタかなあ、と考えていたら、実は大元のTSR社の方に問題があったとはな。たぶん、新和の人たちもTSR社との付き合いで、相当悩んでいたんじゃないかな、と今なら想像できる。

 アメリカが訴訟社会なのは先刻承知だが、一気に成長したD&D利権を振りかざして、自分たちの対抗馬になりそうな勢力を潰すべく横暴に振る舞い(当時期待されていた、TSR離脱後のガイギャックス氏の新作ゲームが結局、発売後、すぐに消えたのもこのせい)、
 自由なゲーマー精神(それは同時にアメリカンスピリッツでもある)を踏みにじり(D&D関連の同人活動を封じ込めた)、
 事あれば法的権利に訴えますからと他人を見下し(日本の翻訳会社にD&Dの過剰な宣伝プッシュを強要した)、
 テストプレイもろくにしていないゲームをやみくもに出版していれば、
 そりゃあ、本国のゲーマーたちからも見捨てられるだろうし、90年代にどんどん作品を出版しているのに、どんどん経営が悪化していくのも納得できるというものだ。要するに焼畑農業みたいなやり方だったんだ。

 やはり、自分たちを支えてきたのが誰かを見失って、利益しか目に映らなくなるとどうなるか、歴史がきちんと語ってくれるよなあ、と感じ入りつつ、今のD&DがTSR社じゃなくて、よりゲーマー主導のWizards of the Coast社が後を継いだのは、これ幸いだったと言うべきか。少なくとも、ゼロ年代は「D&Dが自由なゲーマーの手に戻ってきた」と本国のファンは大喝采だったと聞くからな。
 まあ、最近のパスファインダーとのゴタゴタの背景は、まだ見えていないので、もしかするとWoC社もかつてのTSR社みたいな大手企業体質に飲まれているのか、それとも別の話なのかは分からないけど、この件に絡んで自分の体験からも分かった教訓が一つある。

 それは、何か一つ、誰か一人に頼りきりなのは、はなはだ危険ということである。

ハイラス「話の勢いがありすぎて、口を挟む余地はなかったが、その発言は気になるぞ。どういうことかな?」

 SNEは、ロードス絡みでD&D関係は危険だと察したんじゃないかな。
 だから、87年にD&D以外に、亜流のT&Tをしきりにプッシュするようになる。T&T販売元のフライング・バッファロー社は当時のTSRほど大規模ではないが、身の丈にあったゲーマー精神を体現した会社として今なお存続しているし、社風が大らかっぽいので、協力相手として申し分ないことは安田社長の近年の雑誌記事からも読み取れる。
 やはり、トップがゲーマー気質な人でないと、ゲームをただの商材としか考えない人だと、企業としては客を敵に回すことになるわけで、とりわけTRPGは創作にも関わる分野なんだから、ファンも「自由なアイデア、想像力や創造力」を発揮したくなる。そういうファンの自由な活動を、将来のライバルになるから、と根こそぎ支配、管理しようとするのはゲーマーを初めとする一般人にとっては敵以外の何者でもない、と映画『レディ・プレイヤー1』は語っている。あの話は、ガイギャックスファンにとっての、対TSRへの怨念のこもった一作と読み取ることも可能。

 そして、「一人や一つに頼りきることの危険」ってのは、ある特定ジャンルや作品、もしくは個人にこだわり心酔するのは構わないけど、それ一本じゃ人間としても幅が出ないし、もしも、その相手が失墜したり、逆に自分がドジを踏んだり、人間関係がこじれたりして見限られたりしたなら、本当に立ち直れなくなると思うわけだ。
 もちろん、人は必ず自分を裏切ると疑心暗鬼に駆られてばかり、というのも貧しい人生だけど、一人の人間に対して「ぼくにはあなたしかいない」なんて思いつめるのもどうかと思ってな。そんな近づかれ方をされたら、俺は「ああ、こいつは人間関係が狭くて、思いつめやすいタイプだな。おまけに、そこから広がろうともしないので、こっちにとって知見が広がる可能性もない。付き合うだけ損」と判断する。まあ、割と20年前の俺もそういうところがあったのかも知れないけど。
 そもそも、俺は一人や一つにこだわった生き方をしていないし、俺の友だちにも了見の狭い人間であっては欲しくない。まあ、「俺しかいない」なんてラブコールを送ってくるんだったら、「俺の言うことは何でも聞け」っての。別にこっちも無理難題を押しつけるわけでもないのに、こっちの言うことをほとんど聞かずに、こっちのメリットになることをせずに身勝手に振る舞うくせに、「ぼくにはあなたしかいないから見捨てないで、ぼくのわがままを受け入れてください」なんて奴とまともに付き合えるか?

ハイラス「その御仁が誰を指すかは分からぬが、大方、愛に飢えているのではござらぬか? それには愛をもって応えるのが、誠の聖人の姿だと考えるが、いかがかな?」

 聖人ねえ。
 嫌いな言葉じゃないが、聖人ぶって殉教までするつもりはないし、俺が命をかけるとしたら俺が愛する物のためであって、それは人じゃないんだ。

ハイラス「何と。人じゃなく、では、何を愛するとおっしゃるのか?」

 D&DなどのTRPGや、特撮ヒーロー、スーパーロボット必殺シリーズ、その他、俺を育んでくれた数々の趣味さ。
 まあ、仕事である教育業や、そこに関わる生徒たちも愛しているっちゃ愛しているが、それは彼らを教えることが俺にとって充実した生き甲斐になっているからな。そうならない相手、伸びない相手なら、保護者との話し合いで辞めてもらう権限も今の俺にはあるし、まあ、大抵はそんなこともなく無事に卒業するんだが(あるいは諸事情で向こうから出て行くか)、社会人である以上、人との出会いや別れは割と日常茶飯事だし、相手との交流で学び尽くしたり、この人との付き合いでは得るものがないなと分かってしまえば、割と淡々と、ほなさいなら、って言っちゃう奴だし。

 だけど、人じゃなくて、物なら飽きて捨てても誰も咎めないし、基本、趣味は俺をわずらわせることはないからな。
 そして、俺が人として普通に付き合える人間は、「俺の趣味に合わせてくれる(あるいは普通に趣味が合う)、一緒の趣味を見て、一緒に研究考察をし、一緒に楽しんでくれる交遊相手」に限られる。「一緒に趣味に向き合える相手」と言ってもいい。俺に対する一番の殺し文句は「あなたを愛しています」じゃなくて、「あなたと同じ趣味を愛しています。時には、あなた以上に」だったりする(笑)。
 「そうか。だったら、俺もお前以上に、お前と共通の趣味を愛せるよう頑張るわ。一緒にホビーライフを楽しもう」って感じかな。NOVAハッピーになるのは。

 ここで大事なのは、「相手の趣味にわざわざ合わせようという気はあまりない」ということだ。もちろん、相手の紹介してくれた趣味が、たまたま俺の波長に合って「俺の趣味になってしまう」場合は、そういう良いものを紹介してくれた相手に感謝しつつ、自分の趣味を適切に広げてくれた相手のセンスをたたえ、よっしゃラッキーと叫びたくなることだってある。
 だから、人の話を聞いたり、幅広い話をしてくれる相手を避けることはない。

 こんな俺だから、一番付き合えないタイプの人間は、「自分はこれしかできないんです。これしか話せないんです。誰か、ぼくの話を聞いてくださいよ」とすがりつく人間。正直うっとうしい。
 一芸特化といえば聞こえはいいが、たいていそういう奴は、その一芸も深めることはなく、聞いていて内容がつまらないことが多い。芸を深めるには、たいてい人とコミュニケーションを重ねるか、自分一人で黙々と求道者のように研鑽を重ねるか、あるいはその両方を適度なバランスでやっているか、だな。
 一人で研鑽を重ねるのが主で、コミュニケーションをとるのが苦手な相手は確かにいる。だけど、そういう人間だって、うまく話題を振れば、面白い話、こちらにとって益になる話を語ってくれる人間は多い。ある分野の研鑽を重ねれば、自然とその周辺の情報も入ってきて、洞察力や判断力、内容の良し悪しを測る独自の視点なんかにもこだわりが出てきて、それを聞くだけでもいい勉強になるからな。ゲーマーって人種は、特定ジャンルの知識に特化して、マニアックなこだわりを売りにしている人たちだ。それは、マニアとかオタクと言い換えることもできるけど。

 で、マニアやオタクは、コミュニケーションに対しては少欲知足のことも多く、相手が聞いていようが聞いていまいが、機会があれば、自分の話したいことを延々と話せる人間が多く、しかし、さすがに誰も聞かないのは虚しいから「ブログで延々と自分語りや、自分の研究語りをして、自己充足を図る」ことが普通。まあ、それで、たまに書いたことが誰かの琴線に触れて、コメントがもらえたりして、良い刺激を与えられたら、ラッキーかな、と。
 ここで残念なのは、知識や研鑽の足りていない、かつ、コミュニケーション能力さえ磨いていないオタク予備軍のただの人(場合によっては引きこもり)。ただ自己承認欲求は人一倍強いので、誰か自分より知識の高いと認める相手に、自分の拙い知識を評価してもらおうと、必死に食らいつこうとしてくる。ちなみに、他人のことを語っているようだが、俺だって若い頃はそうだった。
 そういう人間は結局、どうすればいいのか、と自分の経験で語るなら、自分より知見の高い人間とはまず対等な友達にはなれないから、その人間はメンター(導師)として、適度な距離を取りつつ、定期的なコミュニケーションだけで満足するか、まあ、その人の書いた文章をテキスト代わりに使って学ぶ程度の付き合いに留める。そして、ネットの世界は広いのだから、自分の身の丈に合ったレベルの掲示板やら匿名掲示板やらで、自分の知識がどこまで通用するか試してみること。そうして、ネット上での最低限のコミュニケーション技法とか下積みしながら習得するなり、今ならツイッターとかでバカにならない程度のつぶやき交流を図るとか、やりようはいくらでもある。

 って、こんな形で特定個人、あるいはコミュニケーション慣れしていない若いゲーマー諸氏に、ゲイリーさんの伝記を読んでいろいろ感じているNOVAからの、長くも拙い(でも、本音では有り難いと思っている)愛情たっぷりのメッセージだ。
 ん? どうした、ハイラス?

ハイラス「うむ。ここまで熱く語ってもらった後で、非常に言いにくいのだが」

 遠慮せず、言えよ。

ハイラス「今の話の、どこがD&Dの歴史に関係あるのか、と思ったでござる」

 そういうツッコミは、もっと早く言えよ。
 ここまで話させたんなら、せめて「D&Dは会話主体のコミュニケーションゲームなんだから、こういう話にも意味があるのでござるな」とか、フォローしてくれよ。
 じっさい、俺は「D&Dのダンジョンマスターガイドを読むことで、コミュニケーション手法のテキストとして利用した」人間なんだぜ。もちろん、それしか読んでないということでもないけど。自分が必要だと思えば、今の自分に足りていないと痛感すれば、何だって読む。コミュニケーションは昔からの俺の主要テーマだし、そのサポートをする上で、テーブルトークRPGは相当役に立ったんだ。
 まあ、ゲームに夢中になりすぎて、ゲームの話題にしか興味を持たなくなれば、問題なんだけどな。若いときは周りが見えていなかったから加減が分からなくてな、一時期ゲーム断ちしてたから、代わりの手法をあれこれ試した結果が、まあ今だ。

 ともあれ、クラシックD&Dについてはイモータルも絡むし、当時のTSR社内部のゴタゴタを最近知ったこともあって、この辺りの流れを冷静な視点でまとめることは無理があるな、と思った。
 コミュニケーション絡みに話が流れたのも、結局、訴訟だとか、裏切られたとか、共同企画、共同経営をする際にトラブった話を読んだばかりだからな。自然と自分の周りの、そういうトラブルメイカー予備軍が気にかかるという寸法だ。
 ゲーム好きのゲイリーさんだって、ゲームをしない人とは住む世界が違いすぎて話をまとめるのに苦労したって話だしな。まあ、こういう偉人の失敗話を読むことで、自分の人生を見つめ直すのもいい経験だしな。そして偉人の話は、たとえ途中が苦労しても(偉人は絶対に苦労してる。だからこその偉人)最後は綺麗にまとめて読後感を悪くしないようにできているものだ。自分の人生もかくありたいね、と思わせてくれるような。
 そんな感じで締めくくればいいかな。

 故ゲイリー・ガイギャックスに捧ぐ。
 あなたの作ったゲームは、多くの人の生きる指針ともなった。
 今後も、D&Dがただの商材ではなくて、内気で未熟な若者たちに夢と冒険心を育んでくれることを。
 いや、知恵と勇気でもいいんだけど。他にも、人生を楽しもうとか。

 こんな感じで。(完)