ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

クラシックD&Dモンスターマニュアル

 前回のお宝本記事が、書いていて結構、楽しかったので、今回も手持ちの資料を使って、楽しんでみます。

 

 ネタ本は、特撮ヒーローファンなら、心のツボにグッと来るであろう「怪人・怪獣百科」ですな。

 D&Dだと、版上げのたびにこういうモンスターマニュアルが発売されて、DM心をワクワクさせてくれるのですが、

 それをSNEが踏襲して「モンスターコレクション」ってガイドブックを出したり、それをトレーディングカードゲームにして、90年代末期から21世紀初めのTRPG冬の時代期間の社命存続の手段に使ったり、その後モンコレTRPG化とかアニメとかメディアミックスの素材として活用したり。

 

 まあ、このトレーディングカードゲームのブームに対しては、「TRPGの時代を一時終了させた、NOVAにとっての許せない諸悪の根源」なんて複雑な感情も当時はそれなりに抱いていたけど、

 多分それってシミュレーションゲームのマニアが「TRPGのせいでタクテクス誌まで乗っ取られて、自分の好きなジャンルが変質してしまった。許すまじ。俺は世界がRPGに支配されても、一人になってもシミュレーション道を貫き、地下にこもってレジスタンス活動を展開する。いつかシミュレーション帝国の再建を夢見て俺は戦う。ウオオオオーーーッ」と時代の潮流に抗う勇者(愚者と見る向きも)も一定数存在したんでしょうね。

 

 そして、そのうち「シミュレーションRPG」なるベストマッチジャンルの作品が一般的になって(ファイアーエムブレムとか、スパロボとか)、エッセンスを受け継いだ後継者であれば、新たな時代の潮流となるわけだ。

 

 こうして、シミュレーションゲーマーと、ロールプレイングゲーマーの対立と和解のドラマが紡ぎあげられたのである。冷戦終結の時期の少し後ぐらいかな。

 

 だけど、日本のTRPG紹介の大御所であるSNE社長自らが「TRPGは終わった」宣言をした辺りで、「199X年、TRPG業界は核の冬に包まれた」的なサバイバル世紀末の時代になって、モンスターが跋扈する世の中になったんだよな。

 今じゃ、そこら辺でポケモンとか妖怪とか悪霊とか「奇怪怪怪、妖怪だらけ。日本は妖怪吹き溜まり〜♪」という70年代の永井豪アニメの主題歌が示したような状況が、リアルで到来したわけだ。VR(仮想現実)を超えたAR(拡張現実)が今後の流れを作る時代。マジでビックリ。

 

 だから、こんな時代で、NOVAが花粉症という自然現象に妖怪を見いだしながら、しかも、そこに萌えを感じて、何やら創作魂に火がついて、時には睡眠時間を削ってまで文章書いて、「俺は花粉症ガールとともに2018年を過ごし、平成最後の大晦日を迎えるんだ!」と宣言しても、それが時代の潮流と言うもんだ、うん。

 

 はん? お前、今、俺を見て笑ったか? 笑えよ。こんな俺を……と矢車さんごっこをしてみるのも一興。

 

 まあ、あまりに自分の発言がおかしいな、と我に返ったら「悪霊のせい」ってことにできるし(これの元ネタも実はD&D4版の公式リプレイと種明かし)、昔から人類は不都合なことがあれば悪霊とか妖怪のせいにして、モンスターをいっぱい作ってきた。

 地獄とか、餓鬼とか、畜生とか、修羅とか、仏教用語にもモンスターネタはいっぱいだ。

 というか、宗教ってそういう悪を設定するのって結構好きなんで、モンスター好きって実は宗教と相性がいい。

 D&D教とか。「D&Dはカルト宗教で悪魔の産物」って議論もアメリカでは普通にあるわけだし。

 

 でも、スピルバーグ監督はD&Dの味方さ。

 82年のETの映画の中で、「子供たちがD&Dをプレイしている場面を映像化した」というのはあまりにも有名な話。だけど、それにはさらなる裏があって、「子供たちがいい演技ができるよう、スピルバーグ自らダンジョンマスターになって、ゲームシナリオを一本、子供たちと実際にプレイしてから、シーンの撮影に臨んだ」という話が例のゲイリーさんの伝記(一昨日、最後まで読んだ。感慨深し)に書いてあった。

 まあ、D&Dの影響が21世紀のクリエイターやコンピューターエンジニアに幅広く浸透している、これだけの凄い影響力を持ったゲームを作ったゲイリーさんの偉業を我々は忘れてはいけない、という締めくくり方。

 

 モンスター→宗教→ゲイリー神という流れで、うん、どうしてクラシックD&Dのモンスターマニュアルには、ゲイリーさんの名前が入ってないんだよ、と訴えるNOVAだったり。(答え、ゲイリーさんの退社後の86年に出版されたから)

 一応、2ページ目の献辞では、「フランク・メンツァーなどなどに感謝を捧ぐ」とは書いてあるわけだしな。

 

 

★歴史のお話

 さて、このモンスターマニュアルには、ゲイリーさんの名前が入ってないと言ったな。
 そりゃ嘘だ。

 いや、書いた時点では嘘をついたつもりはないんだけど、その時は知覚判定に失敗して気付かなかっただけだったり。
 で、今、記事の続きを書く前に、もう一度、知覚判定を試みたら、おや、見事に成功。隠れていたゲイリーさんのお名前を発見することができたわけですな。ありがたいことに。
 普通は記事が完成する前に間違いが判明した場合は、修正してから発表するものだけど、書いている途中で発見したりするリアルタイムの研究過程を生で示したいとの思惑で、こういう記事になってます。
 つまり、アクティブにいろいろフィードバックする、ブログならではの記事ということで。

 ともあれ、モンスターデザイナーの一覧が献辞と同じ2ページ目にあり、そこには22人の怪物創造者の名前がズラリと英語で並べられております。その9番目にGary Gygaxの御尊名があって、よっしゃラッキー、こいつは伝説の発見になったぜ、と盛り上がります。
 事実、ゲイリーさんは伝説になっているわけだし。
 なお、どうして9番目という中途半端な場所なのか。これもゲイリーさんを貶めたいという後期TSRの陰謀か、と疑いはしたものの、よくよく調べてみると、苗字のアルファベット表記順らしい。
 他に、愛弟子のフランク・メンツァーさんの名前もあって14番目だ。

 さらに、この場で話題に上げた人物だと、灰色のアンさんこと、アン・グレイ・マクレディさんの名前も12番目に挙がっていますな。86年だと結婚済みなので姓も旦那に合わせてマクレディになっており、本来の姓のグレイはミドルネームになっています。 

 で、このアンさん、TSRに入社時はゲームの素人だったということで、何でこんなD&D素人を雇ったんだ的な否定論調で以前にNOVAは語ったりもしたわけですが、早計でした。83年にクラシックD&Dのベーシックセットの製作を手伝って、わずか1年後のコンパニオンルールでチーフ編集者を任された辺り、彼女の仕事への学習能力は非常に高かったということも考えられますな。何せ、フランク・メンツァーに編集という大任を任されるわけですから。
 じゃあ、どうして85年のマスタールールでは、チーフ編集者を下ろされたのかって? 一番考えられるのは、彼女がその年、結婚したからじゃないですかね。結婚前後の女性はいろいろと忙しく、さすがに大役を引き続き、ってわけにもいかないとも推測されます。
 おまけに、86年のイモータルルールのチーフ編集者を任されたりもしていて、本当にゲーム素人なら、こういう再抜擢もないのだろうと思い直します。
 で、何だかんだ言って、クラシックD&Dは全箱フランク・メンツァーさんのデザインしたルールであり、アンさんは編集しただけ。まあ、その編集方針への疑問とか、マスタールールとの引き継ぎがうまく行っていない箇所があったりとかでネガティブなイメージも持ったり、さらには彼女のTSR在籍が86年まで、ということで、あまり優秀じゃなかったから長続きしなかったのだと勝手に決めつけてしまったりもしました。
 すみません、それは誤解だったことが判明しました。アンさん、ごめんなさいね。ここからヨイショを試みます。

 ええと、この灰色のアンさん。日本ではほとんど知られていないゲームデザイナーですし、当記事が初めてじゃないですかね。彼女にここまでスポットを当てたのは。で、ネットで英文あれこれ探してみたものの、結局、前のミドルネームのCがカーラなのか違うのかすら今だに分からない、正にグレイな謎人物だったりします。
 彼女が関わった作品はほとんど日本語に訳されていないから、たまたまコンパニオンルールの編集者で、グレイという名字が目を引いて、今回のモンスターマニュアルに名前が載っているのを、NOVAがその時だけは目ざとく見つけなければ、歴史の陰に埋没しちゃう人。そういう人を発見するのも歴史研究の醍醐味じゃないかと考えております。なお、彼女の名前、オスカー・ワイルドの小説の主人公の「ドリアン・グレイ」に通じるものも感じて、まあ、それは単に名前の符合ってだけですけど、彼女のスタンスがよく分かってないのですわ。要するに、ゲイリー派か、彼を株式売買のクーデターで追い出した女帝ローレーン・ウィリアムズ派か。そのどちらかがはっきり分かれば、NOVAにとっての好悪がはっきりするんですけどね。
 今のところは、フランクさんの信頼はそれなりに得ていた人っぽいのですけど、ゲイリーさんとの距離が見えにくい。フランクさんは「ゲイリーさんを追い出すような会社にはいられない。自分のやりかけの仕事さえ果たしたら、ゲイリーさんを追いかけて、俺も辞めるわ」な人で、明らかにゲイリー派だったのですが、アンさんが辞めたのはフランクさんの巻き添えだったりするのか? チームの上司がいなくなったら、チームも解散して居場所がなくなる可能性は考えられますし。
 それとも、自分の明確な意思ゆえ? 86年に辞めたのも新婚1年後という時期に、TSRのギスギスした雰囲気にストレス貯まって、上司のフランクさんが辞めるなら自分も、って勢いで考えたのかもしれん。
 いずれにせよ、彼女はTSRを辞めた後も、一応フリーの編集者として、AD&D2版のさまざまな商品の編集作業に携わったりもしているようで、女帝と必ずしも敵対していたわけでもない、と。やはりファンタジー物語(ゲームシステムではなく)は好きだし、TSRに未練もあったりしながら、付かず離れずの距離を微妙に保っていたんじゃないでしょうかね。そう考えると、グレイっぽいどっち付かずの印象。う~ん、ミステリアスガールだなあ。1960年生まれだから当時20代の後半だし、その時期の彼女はまだガールと呼んでもいいよね。灰色だから中立ってのも、おおむねイメージ通りですし。

 さて、この86年から87年という時期は、TSR社にとってはクーデターで追い出した前社長ゲイリー・ガイギャックスの痕跡を消す方向で動いておりまして、それまで働いていた多くの優秀なゲームデザイナーが社風の変化に付いて行けずに、次々と退社していった時期でもあります。
 具体的には、人気作ドラゴンランスシリーズの立役者であるトレイシー・ヒックマンさんや、クラシックD&Dの表紙絵で有名なラリー・エルモアさんは、87年にTSRを退社してフリーな立ち位置になっています。これらの人が無能だから首になったわけでは当然なく、優秀だからこそ、ゲームデザイナーなどのクリエイターを尊重しなくなった会社に見切りをつけて出て行ったというのが、アメリカでのゲーマーの一般的な見解みたいです。
 そりゃ、優秀なゲームデザイナー(アンさんも含めておこう)に出て行かれたんじゃ、TSRが10年後に崩壊するのも納得です。10年保ったのは、ゲイリーさんたちの遺産であるD&Dのネームバリューのおかげ。この後のTSRは過去の遺産を食い潰して、表面的な栄華、虚飾で身を飾りながら、崩壊への道を歩んでいったというのが、妥当な歴史的解釈になるのでしょうな。

 調べてみて面白いのは、TSRに直接トドメを刺す起因となったトレカゲームの『マジック・ザ・ギャザリング』のカード絵に、ラリー・エルモアさんも参加しているんですな。まあ、仕事として私情を交えずにやってたのでしょうけど、後からいろいろ経緯を追いかけると、「尊敬するゲイリーさんを追い出した女帝TSRに、自分の武器であるイラストの力で雪辱を晴らしたラリーさん」というドラマも浮かび上がって、この辺の群像劇を脚色してゲイリーさんの周囲に集まった精鋭クリエイターの梁山泊的な抗争劇を作れば、面白いと思うなあ。
 あ、ラリーさんがゲイリーさんシンパなのは確かなことで、「いやあ、D&D赤箱のドラゴン絵。あれはゲイリーさんがモデルなのですわ。どうもイラストのイメージが思い浮かばなくて、悩んでたら、ゲイリーさんが声を掛けてくれて、ドラゴンだったらこんな感じか? と気さくにグワーーっとそれっぽいポーズを取ってくれたら、パッとイメージが固まった。すごいよ、あの人。他人のクリエイティブなセンスを引き出す何かを持っているんだね」的なことをインタビューで答えた話が、ゲイリーさん伝記に書いてあった。セリフは若干、NOVAが当記事に合わせてアレンジしたけど、大意は間違っていない。

★一方、日本

 なお、この87年という年は、NOVAがD&Dの赤箱と青箱を購入した年であり、また翻訳されたドラゴンランスの小説(本国では84年スタート)を夢中になって読み始めた年です。
 つまり、本国でドラゴンランスの作者や、代表的なイラストレイターがTSRから一気に出て行った年に、日本では「D&Dやドラゴンランスがこれから盛り上がって行くぜ」と勢いづいていたわけですな。まあ、インターネットがない時代は、それだけ情報伝播にタイムラグがあった、ということの証明です。
 実際、D&D紹介の第一人者的な存在だったSNEの安田社長ですら、10年後のTSRの崩壊については寝耳に水の出来事だったらしく、TSRがいかに巧みに経営悪化を隠していたかが分かります。

 これは、最近、水野さんがロードス30周年のインタビュー記事で語っていたのですが、87年のロードスD&D第2部のリプレイから、小説出版に展開しようと企画を進めている際に、TSRからかなりの圧力を受けたようなんですね。簡単に言えば、「ロードス島戦記は、D&Dの公式ワールドとしては認めません。勝手な展開をするなら、訴訟に持ち込みます。それが嫌なら、こちらの計画どおりに動きなさい。D&Dの、日本の事情に合わせた独自展開ですって? そんな物が許されるはずがないでしょう」というのが、天下のTSRの女帝様のご意思。
 まあ、ゲイリーさんが社長を続けていれば、こんな頭の固いことは言わなかったでしょうが、自分たちの子飼いのゲームデザイナーに次々と逃げられてしまうような会社です。
 さすがに、安田社長たちも、自分がこれから日本のRPGを盛り上げて行こうとしていた状況で、TSRの理不尽な方針を公開するわけには行かなかったのでしょうが、保険の意味でT&Tに軸足を移したり、「D&Dが使えないなら、オリジナルで進めて行くしかない」と柔軟に考えた結果、生まれたのが『ソード・ワールドRPG』。

 これについても、水野さんが述懐していて、「自分たちはD&Dを盛り上げようと思って、ロードス島の物語を展開していったのに、それがTSRには受け入れられなかった。だから、自分たちで新しいゲームを作るしかなかった。もしも、TSRがロードスを受け入れていれば、ソード・ワールドは生まれなかったかもしれない。TSRがD&Dを開放しなかったから、ソード・ワールドが日本のRPGのトップの座を得ることになり、結果的にD&Dの日本での地位を奪ってしまったのは、今でもD&Dのファンである身には心苦しいんですけどね」(インタビューの趣意)
 ちょっと最近、ゲイリーさんの伝記と、ロードス誕生の裏話と、両方を読みながら当ブログの記事書きに利用しているわけですが、何だか歴史の大いなる皮肉を感じている最中。

★そろそろ、モンスターマニュアルの話に戻ろうぜ(苦笑)

 で、85年のTSRと、86年以降のTSRの変化を如実に表しているのが、前回の記事のマーベラスマジックと、今回のモンスターマニュアルの表紙。

 85年のマーベラスマジックは、表紙にゲームデザイナーの名義が入っています。これは、ゲイリーさんの経営方針で、デザイナーの版権、著作権を認める、いわばゲーム作家は本の著者と同じくらい高く評価されて然るべき、という考え方に基づくものです。優秀なクリエイターには、そういう扱いがふさわしいという先鋭的な思想でもあったわけですね。

 一方、86年のモンスターマニュアルには、デザイナーの名前が入っていません。これは女帝様の方針で、「ゲームデザイナー如きに大きな顔はさせられない。彼らも会社の一員ならば、従業員の名前をいちいち商品に付けたりはしないでしょう、普通。従業員には十分な給料を払ってますし、それ以上、彼らの無軌道な宣伝活動、売名行為に会社が力を貸す必要はありません。ゲームは工業製品の一種に過ぎないのだから、ゲームを作る人間が高尚な文筆業の方々と同列に扱われる、という考えそのものが思い上がりというものです。私は経営のプロとして、計画どおりにゲームを量産し、今後もD&D商品を支えていくつもりです」という思想によるもの。

 この辺の経営方針の変化は、本国でははっきり見えていたのでしょうが、日本には伝わらなかった。
 例えば、ここで比較対象に挙げたマーベラスマジックとモンスターマニュアルでも、本国では85年と86年出版でゲイリー時代と女帝時代を明確に分ける好例なんですが、日本版では出版順が逆転していて、モンスターマニュアルが先で87年、マーベラスマジックが続く88年となっています。
 どうして、順番が入れ替わったかというと、本国にはクラシックより先にAD&Dがあったから、モンスターデータは十分揃っていたんですね。で、クラシックD&Dのモンスターマニュアルは、ゲイリーさんのAD&Dに頼らない方向をってことで、それまで出版されたクラシックD&Dのシナリオ集に掲載された数々の追加モンスターたちをまとめ上げた本。日本にはまだAD&Dのモンスターマニュアルがなかったから、優先的に翻訳されたわけです。
 モンスター→魔法→アイテムという順番のカタログ展開は、SNEもコレクションシリーズで行なっていますし、まあ、国内事情に合わせた妥当な商品展開だと考えます。だけど、後から歴史の流れを研究する身には、順番がズレることは背景事情の読み取りが大きく変わってきますので、慎重を期さないといけないんですね。こういう因果関係の追究は好きなので、趣味でやっちゃうんですが。

 さて、時代を越えた現代の視点では、ドラクエ堀井雄二とか、ウルティマリチャード・ギャリオット(ロードブリティッシュ)とか、有名ゲームはその創り手の名とともに語られることも当たり前ですが(これも80年代からそういう流れが生まれた形)、

 D&D以前は、ゲームデザイナーの名前なんて表面には出ないのが普通でした。例えば、日本でもオセロや野球盤という一世風靡したゲームはあっても、それらを誰が作ったかなんてあまり知られていないでしょう。海外産でも、人生ゲームやウノの作者が誰かなど、ほとんどの人は気にしていないと思われます。
 だけど今だと、メディアミックスが進んで、書籍ゲームではゲームデザインと作家の兼業も当たり前ですし、物語ゲームであるコンピューターRPGは劇場映画に匹敵するぐらいの手間を掛けて作られるようにもなっているので、プロデューサーや監督、音楽、美術など映画と同様の役職も設けられたり。
 映画が総合芸術なら、ゲームも総合芸術という時代なわけで、ゲイリーさんはそういう想像力を働かせていた、あるいは想像力を刺激する種を蒔いたのに対し、ホワイトカラーの経営のプロである女帝には新時代を紡ぎ始めたゲームに対する理解も、未来を展望するビジョンもなく、あるのは急成長した大企業TSRというゲイリーさんが作った目の前の結果であり、それをどう維持、安定させるかしか関心を持たなかった。
 言わば、革新的、先鋭的だったから発展した夢のお城だったゲイリーさんのやり方を否定するあまり、革新や先鋭を捨て去って既得権の維持に汲々として、競合他社と協力して業界を盛り上げるでもなく、むしろライバル潰しに資金を浪費するようなやり方を続けていれば、そりゃ客は付いて来ませんな。
 ただ、それはあくまでTSR崩壊から20年を経た現代の目からの歴史的評価であることは否めません。D&D、ひいてはRPGというゲームジャンルが相当に革新的な代物だった上、コンピューターゲーム業界も80年代当時は黎明期ぐらいだし、アメリカの企業風土では女帝様のやり方こそが一般常識だったわけで。何せ、インターネットによるグローバル化とか、一つのゲームが世界をつなぐとかがまだ夢物語でしかなく、サブカル文化もアングラ色が強かった時代の話なので、今の常識から考えて女帝様のやり方を愚かと断罪するのは、未来人の傲慢さ、結果論でしかないとは考えます。

 ぶっちゃければ、女帝は当時の主流の良識派と称される人たちの代表で、ゲイリーさんは伝説に残る神のような先見性に満ちたオタク、マニア、奇才、天才、先駆者、新世紀への伝道者、超人、変革者、ええと、それらを全て合わせたようなイモータルみたいな人なんだから、ええと、これは既成秩序と創世自由の対決劇なんですな。
 で、ゲイリーさんはTSRという拠点は失ったけど、権力者としての地位は失ったけれども、代わりに得たのは仕事から解放された家族との団欒の時間と、趣味を堪能できるフリーな環境と、ゲーマーおよびサブカル愛好家や無数のクリエイターからの信頼と賞賛、そして歴史上の偉人および新時代を生み出した改革者として、死後10年を経ても語り伝えられる御仁になられたわけで。

 うん、これぞ現代における、マスターof ザ・モンスターズと称される人じゃないかな、とここで無理矢理、記事を締めくくります。
 いや、本当はここまで長く歴史を語るつもりはなかったんですね。
 歴史ばかりで書く方も疲れてきたから、気分転換にモンスターの話でもしようかな、と軽い気分で記事書きしたら、ええと、ゲイリーさんの魂に導かれて、こんな記事が完成してしまった気分。
 いわゆるトランス状態って奴ですな。資料をあれこれ読んだり、思索を巡らせたりしているうちに、出来上がってしまう奴。

 で、初期プロットが見事に吹っ飛んじゃうんだ(爆)。

 ええと、本来、書こうと思っていた記事内容は、頭の中の別ボックスにまだきちんと収まっているので、次は「モンスターは文化(Creature is Culture)」というタイトルでも付けて、改めて書きます。
 では、今回はこれにて完。