ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

Creature is Culture!

 モンスターは文化だ!ってことで、例えば神話や伝承、宗教説話とか、近年の怪獣映画、ヒーローの倒すべき敵役としての怪人、それにゲームの魔物とか、ポケモンとか、妖怪とか並べ上げていくと、納得してもらえる主張だと考えます。

 

 具体的には、日本には鬼がいても、ゴブリンとかオーガーは元々いませんし、日本のゴジラとマグロ食う奴は文化からして別物。まあ、近年のギャレゴジはアメリカさんが日本の怪獣映画のエッセンスを汲み入れておりますが、それでも相手の口をガバッと開けて、ゲロ吐くように放射能火炎を吐いて抹殺するようなゴジラは、これぞゴジラってヨイショする気にはなれません。

 で、お返しに日本が作ったシン・ゴジラは、よりダイナミックなゲロ吐き火炎で東京中を焼け野原にして、地下に逃げ込んだ避難民の方々さえ焼き滅ぼしてしまいますが、あまりに描写がエグいので絵コンテだけで終わったという未撮影シーン。

 む、威力はともあれ、ゲロ吐き火炎というのは2010年代のゴジラ文化なのか? いや、今も2作目が公開されているアニメ版ゴジラは見ていないので、ゲロ吐き火炎が踏襲されているのかは不明ですが。

 時代は真下に放射するゲロ吐き火炎っていうのでは、嫌な時代だ、と言わざるを得ませんが、昭和のシェーゴジラとか、マンガ吹き出しアンギラスに命令するゴジラとか、ジェットジャガーや流星人間に味方する正義のゴジラは昭和の時代性をストレートに反映していますし、

 平成の光学合成満載のVSゴジラは、バブル文化の象徴ですな。だからバブル崩壊を機に消滅した、と。うん、各時代のゴジラがそれぞれの時代の背景文化を反映しているのは明らか。

 

 地域別に論じるなら、「怪獣といえども所詮は生物、近代兵器で倒せないはずはない」と科学マンセー、力で粉砕なメリケン文化と、「いや、怪獣は大自然の猛威の象徴なんだから、光の巨人か同じ怪獣じゃないとなかなか倒せませんよ、それよりどうすれば怒りを鎮めることができるだろう」と諸霊信仰的な畏怖心と敬意を示す日本文化では、描かれる物語も違ってくるというもの。

 

 って、これ、ちっともD&Dの話じゃないですよね。

 さすがに、クラシックD&Dにはゴジラは登場しません。恐竜はいっぱいいて、ジュラシックパークもどきな冒険は堪能できますけど。エキスパートの基本ルール付属のシナリオ「恐怖の島」が恐竜の跋扈する南洋の島での冒険をテーマにしているので、擬似ジュラシックパークをプレイできますな。

 あ、公式ではないようですが、ファンが勝手にゴジラなどのモンスターをD&Dの第5版のデータでこしらえるケースはあるようで、ええと以下のサイトとかに、その一端が見られたり。

 

https://www.pirategonzalezgames.com/miscellaneous/godzilla

 

 思いきり、D&Dから外れた話だなあ、というネタすら許容する、何て奥深いゲームなんだ、D&D。

 

ゴジラのデータ(第5版)

 いやあ、ただの脱線話が止まらないよ~、と思っていたら、
 妄想から出た誠というか、「D&D GODZILLA」でお遊びで検索してみると見つかってしまうという。
 予定外のハプニングに笑ってしまいました。

 とりあえず、主だった(ネタにしやすい)データに絞って翻訳してみますと、

●HP615。もう、これだけで戦意喪失ものですね。

 ちなみに、クラシックD&Dのルールブック(マスタールールまで)で物質世界最強と呼ばれるのがHD40のザ・グレイトドラゴンさん。1HDはD8HPという計算なので、最高の出目8ばかりが出たとしても、40×8で320HPにしかなりません。つまり、最強ドラゴンの最大値をもってしても、その倍近いHPを持つのがゴジラ、となりますな。さすがは怪獣王。
 なお、物質世界という縛りをなくして、別次元まで行ってよければ、エレメンタルルーラー(精霊王)のHD80というのがマスタールールで最高値を示します。精霊王にしてHPの最大値は640点ですから、ゴジラは最強の精霊王よりHPが25点程度下、という扱い。

 あ、せっかくのモンスターマニュアルから始まった記事だから、そっちも確認しよう。ええと、HDから調べる索引でもあれば、検索は簡単なんだけど……ないですね。仕方ない、一つ一つ地道に見て行くか。(20分ぐらい後)ざっと見たけど、最強はこれかな。

「海の王クラーケン」。
 HD64に加えて、10本の触手がそれぞれ60HPを持つという。まあHDだけでグレイトドラゴンを越えますし、触手全部を切り落とそうと思えば合計600HPを削らないといけない。あ、これなら確実にHP615のゴジラよりタフだわ。
 こんなのとどうやって戦えばいいんだよ、と思いつつ、「ドラクエみたいにザキ(即死魔法)は使えないかな」と期待してみると、「対魔法セービングスロー値が2」と来たもんだ。ええと、20面ダイスで2以上を振ればST判定成功するということなので、即死魔法の成功率は20面ダイスで1を振ってしまった場合、すなわち5%。ええと、ほぼ通用しないザラキを延々とかけまくる某神官キャラを思い出しました。成功率5%じゃなあ。

 何だか、クラーケンをどうやって倒すか、という話になってますが、ここで「最強と名高い威力のメテオ」を使ってはどうか、という意見に応じてみると、まずメテオ(正式名メテオスウォーム)は4つあるいは8つの隕石を相手にぶつけ、その後で爆発させる魔法です。与えるダメージは、激突ダメージが8D6あるいは4D6で、期待値的には28点か14点。意外としょぼいけどST判定の余地なしというのが大きい。つまり、抵抗されることなく確実にダメージを与えられるわけですな。さらに、その後で爆発の追加効果付き。この爆発は屋外にて半径20ヤードの効果範囲、すなわち20メートルほどの爆発範囲を持ち、激突と同様のダメージを与える(ST判定で半減)。これを2回ぐらい当てれば、触手のほとんどを粉砕できるかも。これなら勝てるか? まあ、反撃をどうやって凌ぐかは別の問題ですけどね。

 というか、どうしてクラーケンとまともに戦うこと前提なんだ?
 メテオが使えるレベルなら、戦わずに船ごと脱出するような魔法(テレポート系)とか、相手を異空間に放逐する魔法(メイズとか)を使うこともできるでしょうに。特にメイズは強力で、「ST判定の余地なしで、相手をアストラル空間の迷宮に送り込む」魔法です。ええと、迷宮脱出するための時間は生物の知能によって異なり、動物並みのクラーケンなら10分から1時間は帰って来れない(D6ターン)。つまり、相手が次元迷宮に封じ込められている間に、脱出の時間稼ぎぐらいは余裕でできるわけですな。うむ、三十六計逃げるに如かず、と。

 まあ、ゴジラの場合は、海にしか現れないクラーケンと違って陸上を歩き回るので、一時的に次元迷宮に封じ込めることができても、一時間後には帰ってきて、また破壊の限りを尽くすわけで。
 逃げることはできても、進路上の街とか城とか、そういう建築物の壊滅的被害は免れない、と。まあ、そんな厄介なのが出てきたら、頭の悪い力押しの攻撃(いわゆる戦車隊の砲撃とか、爆撃機による爆弾投下とか)では相手のHPを削りきれないと考えて、もっと違うアプローチを試みないといけないのでしょうな。
 範囲即死魔法&長い持続時間の効果を持つオキシジェンデストロイヤーとか、冷凍捕獲用のトラップを用意して閉じ込めるとか(7年後に氷山の中から復活するけど)、同じ怪獣を呼んできて戦わせるとか、どこかの無人島で監視しながら飼い慣らすことを試みるか、さらなる宇宙怪獣が出てきたときに「地球の怪獣王」とヨイショして正義の心を植え付けて用心棒になってもらうとか、鳥の声で誘き寄せて火山の爆発に飲み込ませるとか(5年後に火山爆発とともに元気に復活するけど。マグマの海を泳いじゃう奴ですし、どんどん化け物度が上がっていく)、エネルギーを吸収する毒を飲ませて活動停止させるとか、過去に戻って誕生できなくさせるとか(これは、さらなる強敵誕生とか、敵を増やす結果になることは歴史が証明しているけど。RXさんとか)、とにかく人類はいろいろな対処法を試みて、倒せない敵の脅威を和らげるなり被害の矛先をそらすなり頭を使ってきたわけで、D&Dで怪獣と戦うなら、まあ、そういった試行錯誤も楽しいかも。

 というか、HPのデータをチェックしただけで、よくここまで話を引っ張ることができるものだと我ながら感心するものなり。
 他のデータもチェックしろよ。

●STR30とか、CON30とか
 最高能力値18の人間じゃあり得ない驚異的な数値です。
 まあ、人間じゃない怪獣なんだから当たり前ですけど。

 意外とビックリなのがINT8。ええと、ちょっと頭の悪い人並みって程度で、クラシックD&Dの知能表だと「簡単な一般語を書ける」。
 えっと……ゴジラ、字が書けるんだ。これは驚き。怪獣同士で会話ができることは知っていたけど、ゴジラが字を書くところは見たことがない。もしかすると、これは、ゴジラ文化を解析するための重要な研究データになるかもしれない。
 こいつはまさか、ゴジラ文字? ってセリフが近々、映画の中でも聞けるかもしれないぞ。いやあ、今までゴジラ映画はほとんど見てきたけれど、ゴジラが字を書くという発想は思いつかなかったなあ。さすがはD&D、想像力を飛躍させてくれる。これから映画を見て、ゴジラ文字の痕跡が見当たらないか、探してみるのも一興。
 案外、モンスターバース(アメリカ版怪獣総進撃ワールド)のキングコングの最後に出てきた壁画も、ゴジラが書き残したものかもしれないなあ。まあ、ゴジラが使うのは、人間の文字ではなく、もっと原始的な絵文字、象形文字の類だと思いますけど。ええと、ガメラの甲羅を焼いて作った亀甲文字とか? あ、ガメラじゃなくて、カメーバならゴジラに殺されたような死体が海岸に打ち上げられた事件が、何かの映画であったぞ。あれ、実はゴジラから見たら、何かの占いをしていたのかもしれないなあ。

ゴジラ「何々? カメーバ占いによると、近々、宇宙怪獣の侵略あり? 仕方ねえなあ。また、出向いて、この星が誰のものか思い知らせてやるとすっか。何、地球は人類のものだって? 寝言を言ってるんじゃねえぞ。お前らは放射能餌を作ってるから、エネルギー源として生かしてやってるんだ。最近は日本が原発規制とかで餌が足りないから、わざわざアメリカに出向いて行ってるんだがよ。慣れない環境だから、ちょっと気分が悪くなって吐いちまったりした。俺も年かな、と感じたから、リフレッシュするために転生魔術ってものに手を出したら、何だかよく分からねえウーパールーパーみたいな体になっちまってよ。うう、あまり変なことに手を出すもんじゃねえよなあ。吐き気がまだ収まらねえ。とにかくだ、人間がこれ以上、調子乗って、地球の環境をむしばむようなら、いつか絞めてやる。地球は我々、ゴジラの星ってことをそのうち思い知らせてやらねえとな」

 ええと、そんなことを考えたゴジラ様が君臨するのが、アニメ版怪獣惑星って設定でよろしいのですかね。いや、映画は見てないですけど。そのうち完結したら、DVDでまとめて鑑賞するつもり。

●ダメージ耐性

 ああ、これ見て、自衛隊の攻撃がどうして通用しないのか分かった。
「打撃も貫通も斬撃も、マジックアイテムの攻撃以外は受け付けない」とある。つまり、これからゴジラの相手をするには、ミサイルとか砲弾に全部魔力を込めないといけないのでしょうな。
 アメリカ製武器が少しはゴジラに通じているのも、実は軍に対怪獣用の魔力装備を製造する部署とかがあって、最初は眉唾の予算潰しの機関だったけど、実際に怪獣がたくさん出てくる時代になると、彼らの研究が日の目を浴びるようになったのが近年かな。
 日本も昔は、怪獣多発地帯とかでその辺の研究も進められてきたけど、光の巨人みたいな守護者が現れたおかげで、対怪獣用の魔力装備の研究が棚上げになった? いや、案外、対怪獣ではなくて、怪獣自身の力を利用する方向で研究が進んだのかもしれませんな。メテオールとか、怪獣アーマーとか、で、その研究データが民間に漏れた結果、生まれたゲームがポケモンとか。
 「怪獣をもって怪獣を制す」ってのは、アメリカ人にはない発想ということで、近年、過去の怪獣との接触を振り返り、今後の怪獣対策に活用しようって段階かな。まあ、「怪獣は被害が大きいけれど、ヒーローだって被害をいっぱい出すんだよ。だから軍がこれから怪獣を利用しようという計画を発動しても、一般の人は文句は言わないように」って地ならし的な宣伝活動の意味も込めているのが、近年のアベンジャーズだったり?  
 いろいろつながった気分(笑) まあ、半分ジョークだけど。

●言語なし

 って、おいおい。
 さっき、ゴジラ語の可能性を考えてみた自分の話は一体、何だったんですか?(ただの妄想かよ)
 まあ、言語の可能性を考えてみたきっかけは、クラシックD&Dのルールに基づいていましたからな。つまり、古い昭和のルールだったわけだ。昭和のゴジラは喋るし。
 で、平成から新時代に対応する第5版のゴジラは、画像からはギャレゴジを意識しているみたいだし、そりゃ、ギャレゴジは喋ってないよなあ。これから、他の怪獣と共演したら、喋るかもしれないけど、その時はデータが後から追加されるだけだ。
 データを作ったアメリカ人が全てのゴジラを網羅しているとも限らないので、案外、喋るゴジラってのを知らないのかも。

●建造物破壊

 ゴジラが物品(メカとか)や建造物への攻撃をする際は、普通の倍ダメージを与える。
 そりゃ、兵器やビルがあっさり粉砕されるわけだわ。そんな特殊能力を持っていたとはな。

●再生能力

 ゴジラは1点でもHPが残っている場合なら、毎ターン始めに30HPずつ回復する。
 窮地に陥っても倒されない理由その1。

●伝説的な抵抗力(1日3回)

 ゴジラがST判定に失敗した場合、この能力発動によって成功したことにしてもよい。
 つまり、魔法で運悪く即死した場合も、1日3回までキャンセルできるってことか。
 即死毒みたいな、窮地に陥っても倒されない理由その2。
 何てこった、こいつは正に伝説だぜ。

●水陸両用

 ゴジラは水中でも空気中でも呼吸できる。
 まあ、初代からして、そういう設定ですからな。水中爬虫類から地上の恐竜に進化する過程の生物。
 もちろん、さらに進化すれば、空を飛んだり、分裂したり、人型ゴジラが増殖したりする可能性も近年、示唆されたけど。加えて、怪獣惑星だと、さらに植物の属性を得て、何そのビオランテ的な要素を導入したそうだけど。
 何だかDG細胞でも取り込んだのか、と思しき進化具合。

 ええと、人間がゴジラに噛まれたりして、ゴジラ遺伝子を持った人間に進化できるとするなら、何だかゾンビみたいで嫌だけど、それでもINT8を維持できるんだったら、喜んでゴジラ人間になりたいですね。
 いや、ゴジラ人間になるには激痛を伴い、それに耐えて進化の成功率が5%ぐらいしかなさそうで、メンタルも人間と異なる変貌を遂げて、人類とは共生不可、コミュニケーション不能とかだと考え直しますけどね。

 「これからの人類は、ゴジラに進化して、地球環境を守護する神として生きるのだ」という理念のゴジラ教とか、
 それに対抗して、「ゴジラじゃ地球は救えん。やっぱガメラでしょう」というガメラ教とか、
 また別の「人類の救世主は、宇宙から来た光の巨人に決まってんだろ。怪獣が救世主だなんて、2万年早いぜ」という光の国教団とか、そんな風に宗教戦争が勃発したら、自分はどこに帰依したらいいのか、心底悩みそう(笑)

 とりあえず、毎週コンスタントに勇気をくれる光の国教団がデフォで、時々、特撮ゴジラ教(アニメ版は異端扱い)の祭りに参加して、そろそろガメラ神も降臨して欲しいなあ、と考える日本人的宗教観が自分に合っているのかなあ。

●複数回攻撃

 ゴジラは、爪2回か踏みにじり、噛みつき、そして尻尾で攻撃できる。まあ、ドラゴンの同種のルールを知っている者としては、妥当かと。

放射能火炎

 ダメージ26D6で、期待値91点。ST判定で半減可。
 まあ、クラシックD&DにおけるドラゴンのHP丸ごとがダメージになるというルールに比べると、ずっとマシに思えますね。さすがに615ダメージじゃどうしようもない。
それじゃ、91点ダメージなら何とかなるのか、と聞かれたら、どっちにせよ、まともにくらえば結果は一緒なんでしょうけど。91ダメージならST判定に成功して46点。これなら、高レベルファイターなら一撃死は免れると思うんです。そして、生き延びさえすれば、高レベル帯のパーティーなら僧侶の回復魔法で瀕死の重傷からHP全開まで瞬時に立て直すことも可能。
 D&DなどのTRPGは、コンピューターRPGと違って、戦闘中の死からの復活というのがかなり困難なので、一撃大ダメージをどうしようもなく殺されてしまうのと、一撃は何とか瀕死でも耐えて次につなげられるのでは大違い。まあ、メガテンなどのCRPGに基づいたTRPGシステムの場合は、復活後のバトルが容易なので、「死んだ? 復活。また、死んだ? 復活」って大雑把な戦闘も高レベル帯だと当たり前っぽいですが(リプレイを読んでの感想)。

★パワーゲームを彩るモンスターたちへのこだわり

 これは以前のコメント対応記事でも問題になったのですが、TRPGって低レベルだと緻密に1点、2点を細かく計算して少ないリソースをやりくりする節約志向のゲームになるのが普通。で、自分はそういう時期に、パーティーの役割分担を考えたり、弱点を補う連携のできるシステムが好みなんですね。考えるのが楽しいので。

 ただ、これが高レベルになると、どのキャラもそれなりにいろいろなことができるようになって来るので、戦闘の様相がいわゆるパワーゲームになってきます。そうなると、プレイヤー側もいろいろなことができる反面、自分のキャラの性能を完全に把握できていないことも多くなり(もちろん常々、自分のキャラの能力や運用方法について研鑚を重ねているマニアックな一部の人を除く)、低レベル時の緻密さが失われて行くことになりがち。まあ、そんな時にゴジラみたいな「普通じゃ倒せないような恐ろしい敵」を登場させたらどうなるか。
 パワーゲームに慣れたプレイヤーなら、「力VS力のガチンコ勝負」を挑んで、あえなく玉砕、ゲーム完。

 この辺で、実は日本とアメリカのゲーム観の違いがあって、アメリカ人にとってはゲームはあくまでゲームで繰り返しの利く遊びなんですね。「この間はあのキャラで挑んで失敗したから、今度は違うキャラを作り直して再挑戦するか」って感じで、別キャラを作り直して、迷宮に挑戦するかたわら、前回の冒険で全滅したパーティーの遺体を回収して、またまた進める。つまり、この辺の感覚はウィザードリィなどの迷宮探検ゲームに近いノリ。
 だから、アメリカのゲームシナリオって、相当にキツい。ゲイリーさんのシナリオは、伝説級の難易度の高さが話題になって、まあ、映画『レディプレイヤー1』の原作本『ゲームウォーズ』の最初の試練として採用された程だし。どこにどんな罠が配置されているか、とか、シナリオを読み込んで熟知していないと攻略不能な死のダンジョン「恐怖の墓所」。AD&Dなので、日本ではほとんど知られなかった伝説のシナリオなんですが、日本のゲーマーに知られた作品で例を挙げると、ゲームブックの『死の罠の地下迷宮』(イアン・リビングストン作)みたいなものかな。
 とにかく、何度も探検して、何度もキャラを殺され、それでも頑張って攻略。こういうプレイを重ねてきたのが、まあ、アメリカでマニアなゲーマーと呼ばれる人たち。だから、少々の失敗ではめげない、と。まあ、これは再挑戦を許容する社会の文化あってこその精神かもしれませんが。能力高めて、チャレンジを繰り返し、いつかはアメリカン・ドリームを達成できることを目指すアグレッシブな文化。
 だから、ゴジラさえデータを設定し、攻略法を検討し、上手く立ち回れば勝てるかも知れない。そういうことを真剣に考えるのがアメリカのマニアだなあ、と思ったり。

 で、ぼくにとってのD&Dの高レベルプレイの経験者なら、そういう試練とか再チャレンジとかサバイバルのための緻密な計算とかをこなしてきた猛者の印象があるので、そういう人間の語る話なら、当然含蓄も深いだろうとか、豪快な体験を笑い飛ばすほどの大らかさとか、要するに「体験談を聞くだけで楽しい、ワクワクさせてくれる(一部ホラが混じっているにせよ)」と期待するわけですよ。
 逆に言えば、そういうワクワクさせる冒険譚の一つも語れない人物のその手の発言は、まあ、おおむね眉唾だろうな、という判断基準。もし、仮に事実だとしても語るべきエピソードも語れないようじゃ、その体験に意味はないと考える次第。
 「こんな体験をした。良いことも悪いことも色々あった。だけど、それがあったからこそ、今の自分はこうして成長した。自分なりに酸いも甘いも噛み分けてきたつもりだ」って自分は主張したいし、それがリアルであろうと、フィクションの中の空想的体験であろうと、そういうことを楽しく語れる人間とは仲良くなりたいし、語るべき中身も持たないのに虚飾で身を飾る人間にはなりたくない(そういう人間の存在を否定するつもりはないけど、自分とは本質的な意味で相性最悪だと考えます。中身のない虚飾には敬意を抱けませんから。まだ、中身空っぽだから、これからいっぱい詰め込んで行きますって謙虚に言える人の方がはるかにマシ)。

 もちろん、自分はそんな体験をして来なかったから、謙虚に生きますって言いきれる人間だって素晴らしい。
 というのも、謙虚な人間は謙虚なりに、一歩引いた距離からいろいろ観察してきて、自分なりに考えてきた人生の知恵や緻密な体験談をお持ちだろうから。D&Dで言うなら、前線で派手に立ち振る舞う戦士とか、派手に攻撃魔法を放つ育ちきった魔法使い以外に、回復呪文などのサポート役を旨とする僧侶とか、影に潜みながら自分が動く時を見計らって、ここぞというところで飛び出して来る盗賊とか、脇役ながらあれこれ考えてパーティーに貢献するデミヒューマンとか、それぞれの仕事、役割分担を教えてくれる。
 だから、目立たないけど、自分の仕事はきちんと頑張ったり、どうすれば光を向けてもらえるかを悩んできたりしながら、それでも自分の居場所を確保するなり、構築するなりしてきた人間の話は含蓄深いと思いますし、どちらかと言えば、自分もそういう要素の強い人間だったと考えます。
 逆に、D&Dを通じて、豪快なアメリカ人らしさとか、TRPGゲーマーとしての憧れとか、サブカル好きとしてのこだわりとか誇りとか(自分はこの好きな作品をこれだけ愛し、モデルケースにしたり、エンタメとして楽しんだり、いろいろ学んで来たんだと言いたい内面の誇り)、そこから挫折しても、改めて好きなものを追いかけて、再挑戦を続けてきた自負がありますので、今もこのブログでそういう気持ちの片鱗でも伝えることができたらな、と考えております。

 だからこそ、そういう「こんな語るべき体験をしてきた」という中身もないのに、「安易な対抗意識だけで、高レベルのプレイをしてきた」と語る虚飾はムカつくわけだし、これが不幸な体験ならともかく、「楽しい体験なのに語れない」とはどういうことか。
 まあ、頑張って楽しさを勝ち取る前に、頑張る挑戦をして来なかったのかな、とか、「キャラ死んだ。もうやめやめ。これ以上、こんなゲームを続けてもムダムダ。やってられるか」とそれ以上踏み込まず、ネガティブオーラを振りまくだけの人生だったら、嫌だなあとか。

 で、ここで日本のゲーマーの文化に話題を転換するのですが、これも最近読んだ水野さん(いつの時代も、自分にとって憧れの人ですね)の話なんかで、「日本のRPGは、最初から物語志向で輸入されたから、どちらかと言えば、ハック&スラッシュの単調な繰り返しゲームは主流じゃない、どこか一段低いものと捉えられてきた経緯があります。だから、物語を進める上で、キャラの死というものは簡単に扱えるものではなく、人の死、そこから派生して、倒すべきモンスターの死さえ忌避する傾向があるんじゃないか」とか、「日本のRPGは一回きりの物語を楽しむためのものが今の主流となり、まあ、これはぼくたちのロードスリプレイや小説などで最初に宣伝されてきた責任でもあるのですが、アメリカに比べてゲーム的な再挑戦の感覚は薄いのではないか」とか、まあ、言葉そのものではないのですが、大体、こういう趣旨の発言を行っておられたので、ぼくはなるほどな、と思いながら、自分の考えに合わせて咀嚼している最中。

 この一回性の物語というのが自分にとっては結構、印象的で、まあ、これは四文字熟語の一期一会にも通じるのですが、その時その時にしたいことやできることをいろいろやって、同好の士とあれこれ言い合える人生ってのは大切にしたいと考えています。
 この場合、「同好の士」というのが重要なキーワードで、昔、山本さんは「好きな対象への愛」という言葉で表現したけれど、要するに「こだわっている自分」「好きなものをどれだけ好きか語りたい自分」をきちんと見せられるか、ということだと思いますね。

「こいつは凄い」「どれだけ凄いん?」語れない。
「これが無茶苦茶好きやねん」「どれだけ好きなん?」「そんなの言えるか。とにかく好きやねん」

 まあ、こういう会話も現実にあるでしょうし、気持ちが通じ合っている恋人同士とか親友同士の日頃から共感し合える仲なら、相手が妥協して、言葉にならない空白を埋めてあげることでも相互理解は可能でしょう。
 ただ、ぼくはその辺が鈍感なので、空白は埋めずに「相手に埋めさせる」「埋められるように誘導する」のが習慣化してます(空白という言葉を「問題の答え」と言いかえれば、それが教師の日常だと分かってもらえるでしょう)。そして、相手一人では埋められなかったとしても、そういう空白部分をお互いに協力して、一緒に埋める作業を通じて、本当の意味で理解し合えるのだと考えます。
 「こっちは半分埋めた。後はあなたも自分の言えない気持ちから、少しでも引き出して、ぼくの理解を助けて。そこをスルーするってことは、あなたは自分の気持ちを自分で理解してもいない未熟者なんだね。そんな未熟者には付き合っていても楽しくないから、どこかでしっかり修行でもして来いよ。ぼくは話せる人と話すので忙しいんだから、せめて、ぼくを楽しませられるだけの、こだわりを作ってきて。ぼくにこだわるんじゃなくてね。ぼくのこだわるものにこだわってくれるなら、会話は弾むだろう」

 で、会話の糸口をつかんでもらうための自分のこだわりをはっきり示しているのが、このブログだったりします(笑)。

 それで今は、モンスターだ。

 アメリカ人は、モンスターを倒すべき敵、化け物として排除し、退けてきた。
 で、日本人は、モンスターにさえ愛情を注ぎ、いつしか友達として考えたり、ペットとして育成したり、頼れる仲間として絆を育んできた。

 同じゲームでも、この辺の文化的価値観の違いは、調べてみると結構、興味深いと考えます。自分の好きな大学での授業に「比較文化学」というのがあって、文化の特徴はそれ単独では分からない。時代ごとの文化の変遷とか、地域ごとの異文化との共通点と相違点を分析することで初めて見えて来るものがある、と考える学問で、比較するためには、どちらかだけを見るわけには行かず、それぞれの長所や欠点を公平に分析して、バランスよく受け止めないといけません。まあ、人間相手にそれをやっちゃうと、結構角が立つので、その辺は感情的に「話が噛み合うから好き」「お互いに高め合えそうだから好き」「好きなものへのこだわりが共有できるから好き」というので十分かな、と。

 逆に、「話が噛み合わない」「話していて、自分が高まった気にならず、相手も高まっていないようだ=話す時間がもったいない」「お前のこだわりはその程度か。何だ、その間違いだらけの思い込みは」と詰られている時は、要するに「好きの反対」という感情なので、じゃあ、どうして付き合えるのかというと、NOVAが「人付き合いに関しては、好き嫌いの感情で判断することを是としない」人間だから。
 というか、人に対する好き嫌いが本当に淡白な人間なので、「好きという感情に、理屈付けをしてからでないと好きと認識できない」のが、まあ、機械みたいな奴だなあ、と昔から自分のことを思っております。人間に対する好き嫌いの感情がことごとく、フィクションの中の人間以外とか登場人物に注がれちゃっているというか。

 だから、誰に対しても感情抜きで合わせられるし、逆に言えば誰に対しても感情的には踏み込めない。この辺の距離感が昔からの自分流だったのですが、何というか自分自身が人外のモンスターみたいな気にもなっていた時期もあったり。まあ、最近になって、ようやく感情めいたものが理屈でなく分かるようになって来たのかな、とか、自己分析でうまくコントロールできるようになって来たのかな、とか、そんなところ。

 何だか、最後の方は、モンスターというよりは自分の心情吐露になってしまいましたが、自分の中のモンスター成分をハック&スラッシュに向けるか、それとも建設的に対話と協調に使うか、そんなことを常々考えながらバランスよく生きてきたつもり。まあ、それはそれでいいんだけど、自分自身をうまく見せることができなかった感。
 だから、人間よりもモンスターの方に感情移入しがちな自分であることも改めて言明。まあ、別に人間が嫌いってことでもないのだけど、過剰に踏み込んで来る相手は苦手なので、踏み込み過ぎは斬られ返す覚悟をもって接すべし。


PS.しかし、俺の心にはモンスターが宿っている、なんて言葉にすれば、まあ、厨二病と言われるのがオチですな、今の時代。実は、ゴジラじゃなくて、そういう話が書きたかったんだけど、どうも十分かな。まあ、変身というテーマを付与すれば、もう少しモンスター話が書けそうだけど、少し寝かせてみる方がいいかな。


PS2.予定外のゴジラ話は、本当に楽しゅうございました。こんなデータを作ったアメリカ人に拍手。なお、ゴジラの右隣のページを見ると、さらに楽しめたり。ジェイソンかよって。こっちはこっちでネタにできるのだけど、さすがにゴジラほどの破壊力は備えていませんからな。面白いネタは一つぐらい。「相手に見られていない場合、瞬時にテレポートして相手の背後に回ることができる」正に神出鬼没な殺人鬼。
 まあ、うちのケイソンには、そんな能力は備わっていませんでしたが。神出鬼没なのは、敵ではなく自分だったり。
(完)