ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

総括&今後のスケジュール(GTライフ編2)

★〈事象の分岐点〉 縮めて事分点

 

 今日も今日とて、自分の隠れ家とも言うべき事分点で引きこもりライフを満喫しているNOVAだったりする。

 

ハイラス「娘御には会いにいかなくてもいいのか?」

 

 いや、あっちはあっちで、娘がブログ乗っ取りをしたから、任せていいんじゃないか。

 まあ、内海さんの件で、気持ちが動転しているから記事書きどころじゃないのかもしれんが、適当なタイミングで颯爽と駆けつけ、十分反省したことを確認してから、ブログを取り返してやるさ。やはり、娘には因果応報というものを教えてやらないといけない。未熟なままに勢い任せに突き進んだら、痛い目に合うことを思い知らせるいい機会だ。

 

ハイラス「他人のところの教育方針に口を挟むのは気が引けるが、娘御が非行に走ったりしないことだけは願っているぞ」

 

 いや、女帝の真似事をするだけで、既に悪堕ちモード全開なんですけど。

 もう、翔花2号は毒の花の女王気質を発動してしまったので、父親の俺としてはどう向き合おうか絶賛悩み中なわけだ。だから気持ちの整理がつくまで、ここでのんびりしてるわ。

 たぶん、一番苦労しているのは、ケイPだと思うが。まあ、あいつはあいつで、MK1の方が俺の好きなガメラを中傷する発言をしたから、その分の罰は受けてもらわないとな。

 

ハイラス「MK2は別人格なんだろう? とんだトバッチリだと嘆いていなければいいのだが」

 

 同じ人格の分体、クローンみたいな存在が異なる環境下でどのような成長の違いを示すか、SF的には楽しい実験である。俺は天才物理学者じゃないが、事象の観察者として割とワクワク事象を見守らせてもらおうと思っている。

 

ハイラス「この会話の意味が分からない客人は、右欄のリンク集にある別ブログ『スーパー空想(妄想)タイム』をチェックするといいだろう」

 

 今は、娘のクーデターを受けて『粉杉翔花ちゃんのスーパー空想タイム』に一時変更してるがな。娘にコメント対応してもらいたければ、今がオススメだ。

 

★4月10日以降の記事総括

 さて、向こうの宣伝はこれぐらいにして、こっちの仕事を始めよう。

1.クラシックD&Dルール紹介「エキスパート編」(4月14日)

ハイラス「これはまた、随分あっさり終わったものだな」

 割と扱い慣れたルールだからな。思いつくままにのびのび書けた記憶がある。
 テーマも簡単。「ダンジョンから野外へ」のストレートなルール拡張だから、途中で選択肢に分かれて、個別にじっくり書く必要がない。

ハイラス「途中で、誰かへの当てつけめいた記載があるが」

 いろいろ書きたいと思っていたところ、おかしなコメントを付けられて、対応に苦慮した直後だったからな。メールで散々かき回された気持ちも吹き出している。どうも件の相手に対しては説教モードが発動してしまい、ペースがかき乱されがちだが、まさか掲示板にまで顔を出すとは思わなかった。一体、何を考えているか読めんところがあるが、ハイラス、お前はどう思う?

ハイラス「NOVA殿に読めんものが私に読めるはずがなかろう。場の安寧を乱す者には厳とした態度で臨むべし、という方針には同意するが、NOVA殿も心のバランスを崩さぬように慎重に振る舞うことだな。どうも悪即斬みたいな構えで動きがちなところがある」

 確かに、俺はローフルグッド(秩序にして善)に走りがちなんだよな。まあ、一時期はケイオティックグッド(混沌にして善)のアウトロー思考に憧れたこともあったが。彼の行動は、悪意ってわけじゃないが、俺にはどうもケイオティックニュートラル(混沌にして中立)に見える。
 善悪関係なく気まぐれすぎて何をしでかすか分からないって感じで、AD&D2版のルールでは、「その時々の感情に従って行動する傾向がある。秩序に従うわけでもなく、善も悪も判断基準として無視されるため、付き合うのは骨が折れることが多いだろう。ギャンブラーめいたところがあり、そのような者を信頼することほど、愚かなことはない。彼らにとっても、唯一信じられることは、自分自身を信じてはならないということだ。このアラインメントは最もロールプレイがしにくい。精神異常者も云々」と警告めいたことが書いてあって、まああくまでルールブックの記述を引用しただけだが、何となく当たらずと言えども遠からず、という気がする。

 内面ではどう考えているか知らんが、実際にやっていることは結果としてケイオティックニュートラルそのものだから、本人がもしもこの記事を読んでいるなら、「自分の行動が周りからはそう見られていることを自覚して、そうならないように規範意識なり、周囲との調和なりを探って行く」のが吉、ということになるだろう。まあ、内面まで完全にケイオティックニュートラルなら、最後に言葉を濁した通りになってしまうので厳しいんだが。せいぜい「規範意識を持たない未成熟で気まぐれな子供。注意されれば素直に従い、改善しようと努力する善良な意志の持ち主。ただ、やり方が下手なだけ」であることを期待するのみだ。

 俺にとって辛いのは、善悪云々ではなくて、行動パターンがある程度は読めるようになったものの、周囲の多くの人間を困惑させ、悪意なく場をかき乱す性質があって、こういうのは修練で治るのか、もうこびりついた気質だから治らないのか、どっちだろうね、ということ。
 なお、第5版の神様リストを見ると、ケイオティックニュートラルの神さまの傾向は「酒飲み」「ギャンブラー」「歌唱などの芸術」「海の神」など。ポセイドンなんかもケイオティックニュートラルになるが、これは海というものが波や嵐で善悪関係なく予測困難なためだろう。嵐=荒らしに通じるので、そういう属性が改まらないなら、こちらは秩序を守るべく振る舞わないといけないという大義名分になるわけだ、D&D的にも間違いなく。

ハイラス「ある意味、D&Dのルールブックは、NOVA殿にとって、バイブルみたいな物であるようだな」

 そうかもしれん。
 少なくとも、プレイヤーの管理の仕方について、道徳的な視点から指導めいたことが書いてあるルールブックってあまりないからな。日本のゲームだと、その辺は角が立たないよう曖昧にお茶を濁した文になるのを、アメリカのゲームだとはっきりと「共に過ごして楽しくないプレイヤーは、理を尽くして説明した後で、改まらない場合はDM権限で退去を命じるべきである。他のプレイヤーの楽しみを奪うようなことがあってはならない」と示唆されているわけで、その辺は多文化共生社会のアメリカっぽいよなあ。
 多文化共生ってのは決してみんな仲良くじゃなくて、「法律はきちんと守った上で、社会の秩序は乱さない範囲で、異文化や個性を認める」ということだからな。逆に言えば、秩序を乱せば銃殺されるような厳しい社会こそが、アメリカの言う多文化共生、つまり考え方は人それぞれでも社会のルールは脅かすな。脅かした者に人権は保証されん。不満なら裁判の言論戦と金で白黒つけろ。言論の力も、金も持たない残念な人間は、大人しく法の加護に従え。
 そんな感じで、日本みたいに、相手の気持ちを考えよう、という風土とは一線を画するわけだ。「相手の気持ち? そんなものがあるなら、堂々と口にすればいい。はっきり信条を述べない相手の気持ちなど、どうせ大した中身がないんだから、どうしてこっちが慮ってやらないといけないんだい。自分の立場は自分の言葉で守れ」的な社会だからな。ルールブックを読めば、そういう背景事情も読み取れて、文化的に面白かったりする。
 まあ、この辺は俺がルールブックの記述を主観的に深読みしているだけなのかもしれないが、「ゲームのルールには、背景となる思想がある」というのは、マニアックなゲーマーには割と常識だからな。小説やアニメなどの映像作品にも、文化的背景やテーマがあるように。

ハイラス「ゲームのルールから、法学、比較文化学にまで話を展開するとは、さすがの一言であるが、的外れであることは確かだな。さすがに、クラシックD&Dの青箱ルールにはそんなことは書いていないだろう?」

 そりゃそうだ。
 次、行くぞ。

2.クラシックD&Dルール紹介「コンパニオン編」(4月19日、24、25、26日)

 ここから迷走、というか、話が単純な一本道でなく、様々な分岐点を見せるようになる。

ハイラス「話の腰を折るが、一つ確認したいことがある」

 腰を折るのは、仕置人や無印仕事人の技にあるが、一体、何だ?

ハイラス「どうも、この時期の記事を後から読み直すと、改行の際、句読点『、や。』が行の頭に来ることが多々あって、読むときに気になったりするんだが」

 そうなんだよ。
 このブログ(昔のteacup版)、句読点を自動的に位置調整する機能が残念ながら付いていないんだよな。
 最初は、気にせず書いていったが、だんだん気になって来たので、今は記事をアップロードした後、句読点が行の頭に来たのを確認すると、その前後の言葉を調整して、何とか形を整えるようにしている。
 あと、気になるのは、「iPad」で書く際、段落頭の一マス空けがどうも反映されないんだよな。
 その辺り、機械によって自分の想定する文章と違った形になるのが歯痒いが、そういう制限下で少しでも読みやすくするよう、工夫を凝らして行く「現在進行形で進化する記事」を目指しているわけだ。

 ただ、そうなると、昔の記事を読み返すときに読みにくい、ということになる。
 これは特撮やアニメでも昔の作品を鑑賞する際に、技術の発展前の映像が未成熟で見るのが辛い、という意見と、それだからこそ味があっていい、という意見に分かれがちで、まあ人気作の場合は、新しい客層を開拓するために「あの伝説の作品が、最新の映像技術でブラッシュアップして蘇ったHDリマスター版」って宣伝文句で発売することになるのだが、
 これが小説だと、作者が昔の稚拙な技術の文章を一部書き直したり、設定の微妙な変更に基づいて修正変更したり、さらに改訂時にひらめいた文章を書き加えたりする作業を施したりする。まあ、マイナーバージョンアップな訳だが、ロードスの水野さんなんかは結構凝り性で、改訂版ロードスは随分変更が加えられたと聞く。時間のあるマニアなら、昔のロードスと改訂版のロードスの変更部分を両者見比べて、比較対照研究記事なんかを書いたりするかもしれないが、自分はさすがにそこまで暇じゃない。20代ならやっていたかもしれないが、その時代は改訂版ロードスがなかったわけで。

 自分の書いた文章にどこまでこだわるか、あるいはファンとしての研究にどこまでこだわるか、その二点がやはり通と一般人の境界線になるんじゃないかな。
 単に質や量とかの問題を超えた「自分や作品を見つめ直す、こだわりの姿勢の発露」こそがマニア道だと考えるし、ファンや同好の士に「おお、この人はここまでこだわるか。やるなあ、だったら自分ももっと頑張って追求しないと」と感化させられるか、そして「へえ、そう来たか。結構やるな。だったらこっちも」と返したくさせるのが、理想的なクリエイター間のキャッチボール的姿勢だと考えたりするのです。
 逆に、そういう細部のこだわりや工夫に目を向けずに、目を向けようともせずに、そういうクリエイティブな視点を持たずに、「他所で見つけた記事に左右され、セクハラ(笑)」と嘲って面白いことを書いたと錯覚するような姿勢じゃ、低俗というか低劣というか、自分的には相手したくないと思わせるものもある。まあ、これだけネタにされても、向上心をバネに這い上がってくる精神を示すなら、適度にからかいながら、頑張って精進せえよ、とか、だからお前はアホなのだ、と言いたいモードにもなるが、やり過ぎるとイジメになるので、どこまで玩具で遊ぶかお試しプレイモード。
 ただ、改善しようという意志を持ちながら、自分の何がいけないかが本当に分からない素直なんだけどダメな子には、言葉で教えてやらないといけないし、ひねくれた子には叱咤激励してあげるのが理想的な教師道でもあるわけで。まあ、お節介にもそれを示した結果がどうなるかは、受信側の問題であって、自分は「良薬口に苦し」とか、「でも大人になれば味覚が変わって、苦いものでも普通に飲めるようになる」とか、いろいろ考えて接するのみである。

ハイラス「うむ。見事に迷走しているな。これでは、タイガーショットギャラクティカマグナムなど夢のまた夢。素直に己を認めて、直球ではなく変化球投手の道を目指してはいかがか」

 だったら、ハイジャンプ魔球とか、大回転魔球とか、分身魔球でも目指すか、俺は?

ハイラス「大リーグボールという道もござろう」

 順に「相手のバットにボールを当てて打たせて取る地味な1号」「野球盤で大人気の消える魔球の2号」「バットを避ける3号」「究極完成形とも言える蜃気楼ボールの右投手版1号」だっけか。
 しかし、それには一つ大きな問題がある。

ハイラス「それは何かな?」

 星飛雄馬の大リーグボールみたいな記事って、どんな記事なんだ?
 俺にはそれが見えない。
 教えてくれ、五飛、その理想に追いつくには、俺はあと何本の記事を書けばいい?

ハイラス「私は五飛殿ではござらんが、言えることはただ一つ、心の赴くままに精進されよ」

 何で、お前、そんな偉そうなんだよ。何も教えてくれないのに。
 これじゃ、どっちが師匠か分かんねえ。

3.コンパニオンへの道「戦士編」「騎士編」(4月27日、28日)

 ええと、アベンジャーズ公開記念で、戦士の邪悪バージョンな上級職「アベンジャー」をネタに狙いつつ、記事書きを進めたんだよな。

 コンパニオンルールの軽い紹介のはずが、それまで大雑把にしか読んでいなかったルールをしっかり読み込んだせいで、何だか新鮮にハマりこんだために記事が肥大化。
 このままじゃ、いつまで経っても終わらねえ。だったらテーマごとに細分化するか、と判断して、まずは職業メインの「コンパニオンへの道」が始まったわけだ。

 一応、それまでの記事が「1.ラリーさんの表紙イラストと、ラージ&ヒュージドラゴン」「2.コンパニオンルールの示す多様な選択肢と、イモータルへの入り口」「3.新たな鎧の薀蓄と、イモータル話の続き」「4.新たな武器」と進めてきて、流れとしては「職業紹介」に続いた、と。

ハイラス「ふむ、ここで戦士から素直にドルイドに進めば、私の登場ももう少し早まったのかもしれんな」

 仕方ないじゃないか。
 イモータルの道に分岐しちゃったもんだから。

4.イモータルへの道(5月1日、2日、9日、13日)

 やっぱり、白地に黄色じゃ読みにくいか。普通に戻そう。目立つように太文字で。

4.イモータルへの道(5月1日、2日、9日、13日)

 この時期にイモータルネタが一気に爆発って感じだな。
 俺も、コンパニオンだけでなく、その上のマスタールール、そして、未所持のイモータルルールについて、断片的な記事もいろいろ集めた挙句、一つの悟りを得たわけだよ。

ハイラス「それは何でござるか?」

 さっきから、俺とお前がこの〈事象の分岐点〉で多元世界のあれこれについてダベっている姿こそが、イモータルの日常だってことによ。

ハイラス「何ですと!?」

 つまり、イモータルはD&Dの既知世界から切り離された異空間に、「自分の理想を具現化した小宇宙」を構築し、そこから世界を監視し、時には干渉しながら、自分の勢力が多元世界の優位に立てるように、自分の選んだ未来ある冒険者に導きを与える存在なんだよ。
 俺、このインターネットという文明の利器の助けを借りて、知らない間にイモータルと同じようなことができるようになっていたんだな、これが。
 80年代ではまだインターネットが一般的じゃなかったから、「こんなことができたら凄いな」とフランク・メンツァーさんが冒険者の究極の目標として考えていたことが、
21世紀の現代では、ネットに接続する環境さえあれば、容易に実現できる時代になっていたんだ。

 つまり「インターネットが生み出すイモータルの世界」ってタイトルで、記事書きしようと思えばできるわけだよ。
 みんなが作った個人サイトは、そのままイモータルの拠点になるし、掲示板やブログのような交流窓口は、時に神々の友誼を深める場だったり、バトルの戦場になったりすることもある。
 誰もが自分の愛でる異世界を持ち、日々や毎週の物語の動向を追って、話したりしながら、時には未来を予言して的中させたり、外したりもして、活動的な人間は公式サイトにファンとしての要望書を送ったり、雑誌記事を読みふけってスタッフやキャストのインタビュー記事などでメイキング裏話を知ったり、場合によっては自らの思い描く独自の物語を生み出したり、作者としてあれこれストーリーを紡ぎつつ、陰に陽に影響を与えたり与えられたり、
 そんなことをして、多元世界のいろいろな物語を堪能している人間がイモータルと呼ばずに何というか。

 インターネットの発達によって、「一億総クリエイター」とも呼称される時代になってはいるが、それはすなわち「一億総イモータル」と呼べる時代とも言えるんじゃないだろうか。まあ、そういう自覚をしている人間がどれくらいいるかは別として。

ハイラス「つまり、私はイモータルに弟子入りしているということか。何てこった。こいつは伝説のイモータル道だったでござる」

 お前もツルギさんのネタを使うようになったか、という感慨はさておき、
 要するに80年代のデザイナーを含めたD&Dプレイヤーの夢だったものが、時を経て、いろいろな人の働きによって、究極の空想から普通の現実になった未来社会というのが、今の我々の目の前にあるわけで、こいつは凄いセンス・オブ・ワンダーなんだ。
 このことに気づき、自覚したとき、俺は覚醒した気分だったよ。「ウソ、俺、イモータルだったの? 信じられない」って突然、異能力に目覚めた物語の主人公のような。

 まあ、妄想といえば妄想かもしれないが、それが楽しめる妄想かどうかが問題だな。
「我はイモータルである。図が高い、控えおろう」と叫んで、リアル3次元世界で傍若無人に振る舞えば、クトゥルフの正気度表送りだが、架空世界で無双キャラを演じる分にはバチが当たるまい。
 もちろん、イモータルの世界にも格差はあって、どんどん自分の勢力を拡大するスーパーイモータルもいれば、一向に成果を挙げられない「奴はイモータル世界でも最弱。イモータルの面汚しよ。そんな奴にイモータルを名乗る資格はない」などと嘲られる雑魚イモータルだっているだろうし、イモータルだってイザ自分がその地位に就いてしまえば「イモータルも辛いよ」的な状況に直面することだってしょっちゅうだろう、何しろゲームだしな。

 実際、クラシックD&Dのイモータルルールで、イモータルに求められる役割は多元世界を股にかける「永遠の戦士、永遠の遊戯者」だろうからな。
 正直、そこまでレベルを上げて、なおかつ、そのゲームを続けたいかって気にもなるんだが、アメリカではD&Dこそが先駆者であり、常にトップを走り続けた時代の話だからな。その辺は、永遠に戦い続けるフロンティアスピリッツ溢れた未来を見せなければならないわけで。
 まあ、こういうワクワクするような話は、フランク・メンツァーさんが構築したもので、女帝時代の「AD&D第2版」はシステムとしては割と小さくまとまって、荒唐無稽さが失われたいう評もある。そのため、日本での紹介のされ方とは違って、本国でのマニア評判は必ずしも良くなかったらしい。
 もっとも俺は、混沌めいたAD&D1版よりは、よりシステマチックに洗練された2版の方が、プレイしやすさという意味では進化しているという感じで好きだけどな。

 とりあえず、俺の現在のイモータル観は以上だ。

 この先も、まだ総括話は続くが、長くなって来たし、イモータル話でキリがいいので、今回の記事はここまで。
 次は、ドルイ道の話から、ゲイリーさんの伝記を読んだ影響のTSR史なんかをもう一度、確認しながら、そこから広がる可能性を見出したい、と。

(完)