★我、帰還せり
複数ブログの掛け持ちってのはなかなか大変だなあ、と感じている今日この頃。
まあ、今は娘周りの状況整理を空想タイムで終わらせたので、こっちで、ドルイド絡みの状況整理を試みようと考える次第。
逆に考えれば、一点集中ばかりだと飽きてしまうのもNOVAなので、一つのことに集中した後で、気分転換で違うことをして、順次ローテーションであれこれ書いているうちに、毎日何かの形でネットに書き込むか、あるいは充電期間と称して読書ばかりしたり、ゲームばかりしたりする(最近はどうもご無沙汰だが)のがNOVAの日常となる。
もちろん、たった一人の仕事(たたかい)に疲れ果てて沈むとき、瞳を閉じて顔上げて、耳をすますような時もある。肉体的に疲れ果てて休まざるを得ない夏の日々も、今年もまた来るだろうし、そこでいろいろ書きたい欲求を充填したりしながら、リアルとネットの優先順位を検討しながら、それでも、どっちも捨てるわけにはいかないので、その場その場で出来ることを精力的にする。精力的にこなせない時は、気分転換に別のことをする。とにかく、何かをすることで毎日必ず何かを残したい。無駄を無駄で終わらせない。
ネットで書いていない時でも、ブログのネタ帳とか創作ノートにイメージだけでも書きつづる。その中にはボツ案もあるし、タイミングを逸して別の機会に、というのもあるし、逆に時期尚早だとか、もっと膨らませないと面白くないとかの理由で未来への宿題にしたものもある。
理想を言えば、情報の収集と吟味、そして発信を同時並行でできれば、インターバルを置かなくても済む。だけど、NOVAもそこまで器用じゃないので、発信している間は情報収集が疎かになりがち。元より最新情報をいち早くって趣旨のブログでもないし、その辺は目の前に飛び込んで来た情報を吟味する方に時間を掛けて、タイミングよく発信することを自己の予定に組み込むわけで。
釣った魚を調理もせずに出すことはしたくないし、ましてや魚と思ってみれば長靴とかビニル傘みたいなゴミだらけというお粗末ばかりでも恥ずかしい。いや、恥を忍んで芸にするって道もあるんだけどね。釣り竿に引っかかった長靴やビニル傘もアクセサリーとしてデコッたり、綺麗に磨いて再利用する釣り人改め廃品回収業者に転向するとか。
釣り竿で相手を倒す仕事人から、長靴の先端に仕込んだ刃とか、傘の先に仕込んだ針とか、武器を工夫する転職仕事人への道という奴である。よっしゃ、そういうのは格好いいよな、たぶん。
だけど、料亭で食事をしている時に、「こんな魚を釣って来ました。皆さん、美味しく召し上がれ」と言って、長靴を見せられた暁には、人間、どう反応していいか困る。
「お前、それ、自分で食べれるか試してみろ」とか、「飯食ってる場所なんだから、そんな泥だらけの長靴を持ってくるなよ」とか「お前は、食べられる魚と長靴の区別もできないのか」とか云々。
いや、そこで「実は、ここに猫がいまして。今から長靴をはいた猫を用意しまして、魚捕りに協力してもらおうという心つもりなんです。では、本日の隠し芸として、ペロによる魚釣りタイムをご期待ください」とか強引に自己正当化を図る遊び心でもあればいいんですけど、そういう変化球を投げるにしても、まずは真っ当な話のできる人間であることを示しておかないと、ただの道化か屁理屈野郎でしかない。
って、帰還早々、何の話をしてるんだか。
相変わらず、変化球ばかりで直球投手になれないNOVAである。
★総括さっさと終了宣言、の前にプチ宗教話
ハイラス「娘御のメンタルケア、ご苦労であった」
おお、まさかWで相手をすることになるとは思ってもいなかったがな。俺も体が二つ欲しい、とあれぐらい思ったことはない。
ハイラス「三千の分け身を持つと言っていたではないか」
それは内面の心理状態の話だ。
俺の信じる仏教で、そう説かれているんだよ。
下手に踏み込むと、この場が宗教ブログになってしまうので、フィクションネタとして表面上をさらっと述べるだけだがな。
いわゆる聖闘士星矢の乙女座シャカとか、天空戦記シュラトなんかを掘り下げるのに必要な知識で、俺の宗教観の根底を為している。もっとも、俺は個人的な趣味として、ファンタジー物語のネタとして、様々な神話伝承や仏教の各宗派、神道、陰陽道、キリスト教やイスラム教など、知識として学びかじった男だから、自分の信じるものが全て、と狂信めいたことを言うつもりもないがな。
もちろん、リアルな冠婚葬祭行事や、生死観、輪廻転生といった哲学なんかを考える土台は、自分の身近な教えに基づくが、いちいちそういうことを誰かれ構わずアピールするつもりもない。
まあ、そういう話を向こうから振って来たなら、こっちも時間に余裕があれば受けて立つがな。ただ、そういう輩の相手をしていても、相手の方が無知と分かれば俺が楽しくないわけだし、「自分の知っていることが絶対で、そこから広げる必要はない」なんて狭量な教え(真面目な宗教人にはありがちだが)は、知的好奇心旺盛な俺としては相性が悪いわけだ。
大体、宗教家は自分ところの専門分野に偏りがちなので、他の宗教の話に展開してやると、「それは間違っている」の一点張りで、まともな議論にならないから、「何を信じるか、と、知識を増やすことは別物。自分は研究者であり、信仰は間に合っているので、これ以上の話に意味はない。本気で来るなら、自分もあなた以上の情熱で仏教談義をしますが、そういう話に興味はありますか」と返すと、まず撤退してくれる。
宗教家は、基本、相手の話を聞くよりも自分の宗教の素晴らしさを訴えることに興味があるので、俺みたいな「複数ジャンル宗教マニアかつ特定の信仰を持つ人間」というレアケースに対するノウハウがない。
だから、ある程度、相手の専門的な土俵に乗った上で(実際、興味関心はあるからね)、その上でこっちのスタンスを後から示して切り返すような議論は、若い時に結構やって快感を覚えたりもした。そして今のところ、「仏教徒に対して、神の教えをどう説くか、というノウハウを研究し、攻めて来た教会の人」には会ったことがない。こっちは、大学でキリスト教の歴史はしっかり勉強して来たのにね。
一応、仏教視点に立ってみると、「神は仏を守護し奉るもの」であり、極端な話、「おお、お前も神か。だったら、仏の修行をしている俺の頼みを聞いてくれよ。仏>神ってのは経典にも説かれているんだからな」という考えになる。
まあ、この場合の神とは多神教由来なので、一神教の神とはまた違うんだけど、「人が修行してなる仏」と「人を創造した絶対の神」でどちらが上か、という教義価値観の違いこそ、きちんと対立軸として議論すべきテーマなのだろうけど、まあそこまで踏み込んで語れる宗教人は稀なんだろうなあ、と思う。
そもそも、一神教にとっては、「人間だって頑張って鍛えれば、あるいは伝説を残して死ねば、仏や神にだってなれる」なんて人間讃歌とは相容れないわけで、せいぜい頑張って聖人止まりだからね。メガテンのように、神すら仲魔モンスターとしてこき使うゲームは、仏教や多神教とは相性良くても、一神教の信奉者にとっては決して認めるわけにはいかないんだろうなあ、と思いつつ。
ハイラス「宗教談義をアピールするつもりがないなら、何故、この場でそういうことを語るのか?」
おいおい、お前、ボケているのか?
お前がドルイド教の人間だから、こっちはそれに合わせて、自分の宗教観を語っているんじゃないか。もしかして、俺が宗教に無知で、どうとでも丸め込まれる浅はかな男だと見くびっていたのか?
ハイラス「いや、そういうわけではござらんが、NOVA殿がプリーストだとは思わなかったのだ」
厳密には、学僧とかアコライトの方向性だな。
ちょっとした経文を暗唱できるとか、諸宗教の歴史的背景、思想的背景などの概要は語れる程度。だから、フィクションで宗教を描く際に、嘘とか矛盾があれば、そこを指摘する程度のことなら十分できるつもりだ。もちろん「本流ではなく分派ですから、一般的な教えとは違うんです」と言われれば、そうですか、と引き下がらざるを得ないのだが、それでも分派を設定するなら、相応の理論的裏付けを伴わなけばいけないことは物語の世界観構築の基本だぜ。
ともあれ、次回からお前さんのドルイ道について掘り下げて語ってもらおうかな、と思っているのだが、受け止めるこちらとしても、宗教談義をするための基礎的な知識ぐらいは持っていることをアピールしておきたくてな。
無知な大衆に対する教化説法の姿勢じゃなくて、ざっくばらんな知識談義という形でいきたい、と。
で、その前に、5月分の総括記事はさっさとまとめてしまいたいという寸法よ。
★時間がない。一気に総括行く。他は構わん(たぶん)
6.私的D&D史(TSR編)(5月10日、11日、12日)
ここで、D&Dの歴史を語っているんだが、今、読み返すと、なかなかとっ散らかっている感じだな。
イモータル話とか、自分の個人史とか、誰かさんに対する説教とか入り混じって、まとまりがないのを無理矢理、勢いでまくし立てている感じだ。
もしも、商業記事にするなら、いろいろ削って編集しないといけない文章と考える。
こういうのは、初稿を書いてから、少し間を置いてから読み返して、何度か推敲を重ねて完成品に持っていく間がいるわけだが、基本、日記形式のブログだと、そこまでの手間は掛けられないので、秩序だった完成度よりも、カオスな何でもありの方向性の方が書きやすい。
で、ここで編集の至らなかったところを整理してみるわけだが、
まず10日の分。
いきなり90年代のTSR社倒産の話を持ち出して、記事のゴールを確認するところからスタート。オープニングで、クライマックスのシーンを先に見せてから、改めて本編開始時に年代順を追う流れに入る手法と。
「73~74年のD&D誕生」「77年のAD&Dへの発展」「その後の80年代前半までの分野拡張期」までの話。
最後の分野拡張がいろいろ広がっている様子を紹介しているため、他のRPG誕生とか、ゲームブックのファイティングファンタジーとか、最近邦訳版が出た『アドバンストFF2版』とか、コンピューターRPGとか、『スターウォーズ』とか『燃えろアーサー』とか『インディージョーンズ』といった映像群とか、自分個人への影響とか、本当にカオス(笑)。
まあ、要するに、D&Dってこれだけいろいろ影響を与えて、サブカル分野を発展させる契機となった凄いゲームだよ、と言う熱気が伝わればいいわけで、
また、その時代の熱気が、30年以上を経た今の時代にまた活性化している現状を、興奮して書いたわけだ。「こいつは凄いんだ」って文章は、冷静な学術論文ならともかく、趣味の紹介記事としては決して悪くないと考えるが、後から読み返すと、「こいつ、どこまで話を闇雲に広げていくんだ」と呆れたりも(苦笑)。
そして、話がまとまらなくなったな、と感じた頃合いで、つづく、と。
次に11日の分。
自分の夢の挫折期の話を最初に触れてから、本筋スタート。
「83年のクラシックD&D誕生と、同時期の日本およびNOVA個人の状況語り」「会話相手としてのハイラス試用と、唐突な魔術談義」「クラシックD&Dの展開時に、D&Dの生みの親ゲイリー・ガイギャックス氏が会社を追い出されたこと」「それが後のTSR倒産の起因ともなり、NOVAの夢が挫折する遠因にもなったこと」「何だか、にわかにゲイリーさんの不幸な境遇を自らの過去に重ねてしまって、それでもゲイリーさんは頑張って自分の人生を全うして生きた。負けっぱなしの人生ではなく、いろいろ満足できた人生なので、そういうところはNOVAも見習っていきたい」という流れ。
あくまで「私的D&D史」なので、「D&DとNOVAの来し方を振り返る」って意図なら、間違っていないと考える。
ハイラス「私が登場したことで、D&Dとソード・ワールドの接点を明確にしようという意図も考えられるな」
まあ、そうだな。
結局、ソード・ワールドは、D&Dの開拓した路線を受け継ぐように、国産最大のRPGになったわけだし、
もしもTSRが女帝に乗っ取られることなく、ゲーマー魂を持ったゲイリーさんの物であり続けたら、ソード・ワールドの生まれない、SNEがずっとD&Dを応援し続ける異なる時間軸の世界が生まれた可能性も想定できるだろう。
結果的にどっちが良かったかは分からないけど、D&Dが版権問題でダメになった際に、それでもロードスを別のシステムで展開したり、角川お家騒動に巻き込まれても、フォーセリア世界で違う三つの物語(富士見のアレクラスト、角川のロードス、メディアワークスのクリスタニア)を展開する対応力の高さなどは、後から振り返っても感嘆に値するものがあると思う。
こういうフットワークの軽さとか、ジャンルを盛り上げようとする勢いや熱気のようなものを感じ取ったからこそ、自分はハマり込んだんじゃないかな、と思うわけで。そういう平成初期の気持ちは、懐古しながらも再燃させたいなあ、と考えているのが今だと。
そして12日の分。
ハイラスをアシスタントガイドとして起用することを宣言した後で、「85年から89年の日本のD&D展開」について語っている。その時期が、ちょうど俺の高校時代を挟み込む形で、言わばクラシックD&D最盛期とハイスクールライフが見事にかぶってしまったんだよな。同時にドラクエがファミコンで伝説を紡ぐ期間とも。
本当に、自分の多感な高校時代はRPGという言葉抜きでは語れないぐらい影響されまくったわけだ。
で、自分が何も知らずに無邪気にRPGの発展ぶりを享受していた裏で、本国アメリカではゲイリーさん追放によりTSRが大企業特有の傲慢さ、金の亡者っぷりを発動して、後の崩壊への流れを辿っていったわけだけど。
そこから後は「人間関係のゴタゴタを懸念する流れから、コミュニケーション論にもつれ込んだり、趣味話で俺と付き合うコツを書いてみたり」して、まあ、収拾がつかなくなっているなあ。
ラストで無理矢理、記事書きする上での参考資料に使った「ゲイリーさんの伝記」を紹介する形でまとめている。
本当は、この後、「AD&Dの話に展開するつもり」だったし、この総括が終われば、後は次の方向性を考えている。
「ドルイ道」「コンパニオンルール、マスターズルールの道」「AD&D」「ソード・ワールドやロードスなどの和製RPGの現在の動向とか、90年代以降の歴史とか」
割と自分史的には「成長と希望の黄金80年代」「人生山あり谷あり、夢の結実と挫折の90年代」「再建と自分探しのゼロ年代」「地道にコツコツ、足元を踏み固めた成熟の10年代」と位置付けられるかな。
ここから、新元号を経ての20年代がどうなるかはまだ見えないけれど、現時点では「飛翔と躍進、光って唸り、真っ赤に燃えて勝利を掴めと轟き叫ぶ、神の名を持つガンダムめいた、マスターNOVAの時代」だったら、よっしゃラッキー、こいつは伝説になるぜ、みたいになって欲しいなあ、と思っている。まあ、とても50男のセリフとは思えないけど。
なお、自分が尊敬する老人師匠キャラの東方不敗マスターアジアの年齢設定だが、今調べると、何と49歳。ええ? どう見ても60を越えていると思っていましたが、あれで50前ですと? あ、自分はあと2年で追いつくや。ええと2020年の年は、自分がマスターアジアに追いついちゃうメモリアルイヤーなんですね。ビックリだ。
マスターアジアに追いついたら、次は誰を目標にしたらいいんだ。沖田艦長? ええと、第1作で52歳、2199で57歳とある。しばらくは、この辺りで何とかなるかな。
昔は、ランバ・ラル35歳で驚いたり、うわ、自分、いつの間にかラルさんを超えていたよ、10代の少年にとって立派な大人に見えているのかなぁ、なんて気にもしましたが(彼らを教える立場だからなおさら)、まさかマスターアジアに手が届くまでになっていたとは。
もう、「だから、お前はアホなのだ~」と傲然と言い放ったり、「明鏡止水の境地」になったり、「石破天驚拳を弟子に伝授」したり、「素手でモビルスーツを破壊」したり、といったことが普通にできていてもおかしくない年齢に来ているわけですな。
ハイラス「いや、いくらNOVA殿でも、できることとできないことの区別は付けてもらわないと」
そうだな。精々、素手でガンプラ破壊ぐらいならできるかな。
ハイラス「それはいきなりハードルが大きく下がった気がするが」
ええい。だったら、俺は素手で何を破壊すればいいって言うんだ?
ハイラス「いや、別にNOVA殿は武闘家ではないのだから、拳で戦う必要性はないのでは?」
おお、そうか。俺の武器は素手ではなく、言葉。つまり、「素の言葉でモビルスーツを破壊」、何だ簡単じゃないか。
NOVA「ディスインテグレイトの呪文を唱えた」
デスアーミー(ST判定に失敗。塵となって消滅した)
NOVA「ターンアンデッドの祈りを唱えた」
ゾンビ兵(光に包まれ、浄化された)
よっしゃ、これで俺はマスターアジア師匠と同じ年齢に立つ上で恥じない男になれたぜ。たぶん。
俺の好きな四文字熟語は、明鏡止水だ。
ハイラス「相変わらず、無邪気な御仁だ」
7.クラシックD&D思い出のモジュール(5月15日、20日、21日)
まじめな歴史話ばかりで書く方も疲れたので、ゲームらしく遊んでみようと思って、お宝本と怪物本を引っ張り出して来て、あれこれ語った話。
きっかけは、ゲイリーさんの伝記を読んでいて、巻末の作品リストに「弟子のフランク・メンツァーと共著で、マーベラス・マジックの記述を見つけた」こと。
何だか、晩年のゲイリーさんの友の一人として伝記に書かれてあったフランクさん(クラシックD&Dのメインゲームデザイナー)の話を知ると、そして手持ちの本にそういうお宝本があるのを知ると、紹介ぐらいしたくなるじゃないですか。
まあ、鬱屈しかけた心をウキウキさせてくれた記事書きだったなあ、と思っています。
20日の記事は、一部、歴史物語の延長にある感じですが、まあ流れに沿ってダラダラ書くとこうもなる。ロードスの30周年記念インタビュー本を読んでいた影響もあるな。
21日の記事では、何故かゴジラ話に夢中になっています。たぶん、アニメ映画の公開を記念していた気持ちだと思う。
ゴジラVSクラーケンなんてネタも考えてみたけど、ゴジラがどうも圧勝しそうなので(クラーケンは飛び道具を持たず、近づく前にゴジラの放射能火炎によってほとんどの触手が焼き切られてしまうので)、つまらないと思った。
だけど、ここで怪獣対決ネタを考えたからこそ、別ブログの翔花伝で、ガメラVSドゴラ&アストロモンスなんてネタを考えるに至り、双方のブログのリンク度が高まった気がします。その意味で、2つのブログのコラボの契機となった記事と位置づけることも可能。
まあ、そのために、こちらの記事を書くモチベーションの方が鈍って、今の総括記事で今後の展開を方向づける形をとることにしたのだが。いわゆる総集編って感じ。もちろん、総集編を4話連続で見せられると、視聴者離れを引き起こしかねんので、適度な回想シーンに加えて新情報も加える感じだな。
ハイラス「そのうち、総集編の総集編をやりかねないな」
まあ、そのうちな。
今は、そろそろ記事を締めたいと思う。翔花伝の方に掛かりたいからな。
そして、その後は、夏至に向けて、いよいよ「大ドルイド計画」を発動する。
ハイラス「大ドルイド計画? それは一体?」
さあな。とりあえず景気付けに言ってみただけだ。まだ細かいことは何も考えていない。
ハイラス「つまり、妄言の類と? NOVA殿、そなたはそなたを信じる者をたぶらかすつもりか? 何とも嘆かわしい」
あのな。そういうことは、実際にたぶらかされて被害を受けた者だけが言っていいんだぜ。
誰かが「こういうことをしたいんですけど」と言って、それが諸事情で叶わなかったとき、たぶらかしたことになるのか? それまでの実現に向けた努力を一切無視して。
当然、「予定は未定」って言葉もあって、ストレスを溜め込まないようにその手の言葉で開き直るクリエイターもたまにいるが、こういう予告とか未来への展望ってのは、ある程度、自分のモチベーションを高めるために発表してみるものだ。その上で、「言ったことだから、しっかり実現しないとなあ」って責任感も生まれる。
そのモチベーションとか責任感のプレッシャーから、必要に迫られてアイデアがポンと飛び出すこともしばしばだ。まるで「小さな閃光とともに出現す」って感じにな。
翔花1号「呼んだ?」
呼んでない。さっさとコンパーニュの塔に帰れ。バシルーラ。
翔花1号「キャーーーーーーッ」
ハイラス「消えた。今のは一体?」
気にするな。梅雨期に時々、見られる薄モヤのようなもの。こんなところに花粉症ガールがポンポン顔を出すはずがないのよ。
気になる人は、木曜から書き始めて、たぶん金曜朝には完結してる翔花伝を見てくれ。夢と現の境の話が読めるだろうから。
ハイラス「それも予定は未定で片付けるつもりではござらんな」
だから、いちいち絡むな。未定に終わったものも、別の形で換骨奪胎したり、アイデア流用したりするんだから、決して無駄にはならない。どうして未定に終わったか、心情の変化もきちんと示す文章もあるんだから。まずは、文句を言う前に、読解力を高めろよ。たまに書いていることを読まずに、書いてないことで作者を攻撃する人物もいるが、決して国語の成績は良くなかっただろうぜ。
小説や文章記事を読んでも、たまに他人と違う妙な読み方をして、しかも主観の方が作者の文章よりも強固に主張するものだから、文章を歪めてねじ曲げ放題な「歪曲空間を発動するさすらい人」もいるようだから、ハイラス、お前もそろそろ気をつけろ。
地に足つけた生き方ができるよう精進することをロウラスさんも願っているだろうぜ。
ハイラス「ムッ。ここで師匠の名を出すとは。師匠は大ドルイドの称号を持つ者。もしや、そういうことか?」
さあな。俺は何も言ってないぜ。なお、ロウラスさんはアレクラストの基準となる暦の「新王国暦520年」において、設定年齢82歳だ。まだまだ、この域に達するには俺なんてひよっ子ってことで、頑張って精進しないとな、と思った。
機会があれば、またロウラスさんオススメのアイスハーブティーでも飲みに行きたいぜ。
(完)