ウルトロピカルな⭐️GT(ゲーム&トレジャー)島宇宙

南の島と上空の宇宙宮殿を舞台にTRPGや特撮ヒーローなどのおしゃべりブログ。今はFFゲームブックの攻略や懐古および新作情報や私的研鑽メイン。思い出したようにD&Dに触れたりも。

『謎かけ盗賊』の後日譚(FF32巻・攻略準備編その3)

運命の振り子の顛末

 

 トレジャーハンターのリーサン・パンザだ。

 

 うむ、〈奈落の帝王〉なんて変に仰々しい肩書きよりも、こっちの方がしっくり来るな。

 

 とにかく、ジャングルを乗り越え、運命の神殿を探索した俺たち4人の冒険者一行は、《運命の振り子》という強力な至宝(アーティファクト)を入手した。

 だがしかし、リーバーの野郎にお宝をかっさらわれてしまったんだな。

 奴は自分では入手できない宝を、俺たちを利用して、まんまと奪い取ることに成功したわけだ。

 宝が欲しいなら、領主殺しとか、俺たちを騙して誘い込むなんてまどろっこしい真似をしなくても、『本職のトレジャーハンターに仕事として、普通に依頼』すれば良かったのによ。

 散々、人を騙してヘイトを集めた結果、俺も、ラメデスも、ソフィアも、ルーサーも怒り心頭で、打倒・謎かけ盗賊の精神で、奴のアジトに乗り込むことになった。

 

 リーバーのアジトは、ジャングルのさらに奥、「偶然の地」と呼ばれる無秩序が支配する異常な空間にあった。

 その世界では、滝が下から上に流れ、いろいろな常識が逆転しているようだった。大きな蝶々が小さな恐竜を追いかけ回したり、葉っぱの色が普通の緑ではなく、赤、青、黄、橙、紫など虹色に彩られた草木が生えていたり、まるで子どもがでたらめに描いたような風情だ。

 正直、こんなところで長時間生活していると、世の中の常識がこんがらかって頭がおかしくなっていくんじゃないかと思う。

 俺が今いる奈落って場所も、人の世界の常識からかけ離れたところはあるが、それでも奈落なりの秩序ってものがあって、一応の法則が見受けられる。しかし、リーバーの領域と思しき「偶然の地」もしくは「エントロピーの世界」と呼ばれる土地は、理解を超越した混沌と無軌道さが特徴と言えた。

 そうだな。部屋の扉を開けたら、何が飛び出して来るか分からない不確定さ、開けたらトイレだった扉を一度閉めて、もう一度、開けたら……(サイコロの音がして)書庫だったり、寝室だったり、厩舎だったり、ランダムで結果が決まるような場所を想像するといい。

 いや、ほとんど妄想の世界だな。

 夢や非現実の世界と言ってもいい。

 そんな世界の中心に、リーバーのアジトがあって、中には多くの謎々が散りばめられていた。

 そして、奴のアジトをあれこれ探索しているうちに、俺は最強の武器を見つけた。

 

 その名は……運命神ロガーンのサイコロ

 そう、リーバーの崇める神を象徴するアイテムで、偶然性を支配する。

 少なくとも、リーバーを倒すためには、奴の神の力をこちらも使えるようになる必要があった。

 運命神は、ゲームに興じることが好きで、英雄たちの物語をも愛しているらしい。そして、ゲームはフェアでなければいけないし、英雄は機転を示さなければいけない、というのがロガーンなりのルールだそうだ。

 だから、俺はリーバーを倒す最強の武器を手に入れたわけだ。

 ラメデスは武芸を尊び、サイコロに運命を委ねることをよしとしなかった。

 ルーサーの常識的な気質からも、偶発性に頼る発想は出て来ない。

 ソフィアはソフィアで、賭け事に興じる女ではなかった。

 チームの中でただ一人、この俺、リーサン・パンザだけが、一か八かの賭け事に命を賭ける勝負師としての性質を持ち合わせていたことになる。

 

 その結果、俺の投げた運命のサイコロの出目が爆発し、謎かけ盗賊リドリング・リーバーとの決戦を制することができたわけさ。

 なあに、闇の王ザンバー・ボーンが復活してきたときに、フリントロック銃の弾丸が奴の頭部を粉砕したときの応用さ。

 どんな相手にでも、必ず倒す手段は用意されている。それこそがフェアなゲームってものなのさ。

 

 こうして、リーバーの目論んでいた「世界の常識、世の中の善と悪とをひっくり返す混沌の儀式」の発動を、俺たちは食い止めることができた……と思う。

 

 ……たぶん。

 

 この辺は、いまいち確信が持てていない。

 俺たちがリーバーのところに到着したのは、儀式の途中だったからだ。

 儀式が完全に発動するのを阻止できたのは間違いないだろうが、中途までは発動して、何らかの影響をもたらしていた可能性は否めない。

 何しろ、その後のカラメールは謀略と裏切りの影響で、国が滅亡寸前まで追い込まれたわけだし、広い世界のどこかで、善人が悪の誘惑にさらされたり、悪人が善事を為したりするケースがあったかもしれない。

 運命の振り子が世界にどんな副作用をもたらしたかは、それこそ運命のサイコロの爆発の影響で、振り子も、リーバーの野郎もまとめて吹っ飛んでしまったから、神ならぬ身には判断できないってことさ。

 

 え?

 〈奈落の帝王〉となった今なら、神みたいなものだから全知全能をもって判断できるだろうって?

 もしも、そうであれば、前の〈奈落の帝王〉が運命神の代理人のリーバーに翻弄されることはなかったろうし、俺みたいなただの人間が奴に打ち勝つこともできなかったさ。

 確かに〈奈落の帝王〉は強大な力を持ってはいるが、全知全能ではないし、運命神に選ばれたり、協力してもらったりした英雄だったら、不屈の魂で奇跡を起こすことだってあるだろう。

 あきらめてゲームオーバーのままで、物語を終わらせなければな。

 

そして『奈落の帝王』の物語へ

 

 世界の秩序を脅かす《運命の振り子》の件を解決し、謎かけ盗賊リドリング・リーバーを一度は撃退した俺たちは、報告のためにカラメールに戻ることになった。

 混沌の領域の主人であるリーバーがいなくなったからか、アジトの周りの異常空間は普通のジャングルに戻り、それなりに苦労しながらも来た道を引き返して、海に出ることができた。

 幸い、俺たちが乗って来た神の船《トゥワイス・シャイ号》はまだそこにあった。リーバーと共に、この船まで失われていたら、帰還の旅はもっと苦労していたろう。

 船は行きと同様、帰りも自動航海で俺たちをカラメールまで運んでくれて、そして役目を果たし終えると、海中深くに沈んで行った。

 レディ・キャロリーナに事の次第を報告し、俺たちの勲しはカラメール近辺に知れ渡ることになった。

 

 前領主の仇討ちという偉業を達成した俺たち4人は、カラメールの英雄として称えられ、それぞれの道を歩んでいく。

 最強の戦士とされたラメデスは、キャロリーナに直接仕える筆頭騎士の地位を獲得した。

 元々、下級貴族のルーサーは没落した家名を再興し、地位と名声を取り戻すことができた。

 ブラックサンドのソフィアは、国に仕える密偵としての職を与えられた。

 仲間の3人ともがカラメールの国に公職を持つ身となり、レディ・キャロリーナの統治を助けることを誓う一方、俺だけはあくまで自由な冒険者であることにこだわった。仲間たちはそれぞれの言葉で俺を引き留めてくれたが、元々、俺は愛する女を故郷に残している身だったし、この南の地でも見つけたい宝があるから、国に縛られたくないのだと主張して我を通した。

 それに仲間たちにも伝えていないことだったが、謎かけ盗賊が死んでいないことへの確信めいた思いがあった。故郷に帰るにせよ、リーバーの持っていた気球のような空を飛ぶ乗り物を調達したいし、この南アランシアでそれをどこで入手できるのか。どこかの発明家の手によるものか、あるいはどこかの遺跡から発掘された過去の文明の遺産なのか、あれこれ調べて回りたいが、カラメールの政治体制の復興に忙殺されると、それもままならないだろう。

 あるいは、船を使うという手もあるにはあった。ソフィアがブラックサンドから南下してアランティス、そこから東のカラメール周辺地域まで渡って来たのも、海を利用してのことだ。ただ、この航海を逆にたどるには大きな問題点があって、行き着く先がブラックサンドというのがネックになる。俺がアズール卿との因縁を抱えている以上、海から北西アランシアに帰るのは甚だ危険が大きい。

 結局、故郷に帰るには、海ではなく空、あるいは何らかの魔法の装置を使った転移門みたいなものを利用しなければいけない。そういったものを発見するための冒険に俺は挑み続けた。もしくは、謎かけ盗賊の痕跡をたどるか。奴は生きているという確信はあったが、そうでなくても運命神と接触できれば、何らかの手掛かりになるだろうと考えた。しかし、いざ運命神の神殿やら神官を探そうとしても、簡単には見つからないことに気づいた。

 神話伝承には運命神ロガーンはよく登場するが、どうも混沌をもたらす謎の神という風評もあって、信仰するのはギャンブラーか一部の冒険者、そして反体制の革命家ばかりで、神殿も表舞台で堂々とってわけにはいかないようだ。どこかの賭博場や闇市に運命神の隠れ神殿があるのでは? という風評を聞いては、探りを入れてみたが、どうにもままならない。

 ただ、あれこれ南アランシアで過ごしているうちに、それなりの事件に出くわし、冒険も果たすなかで、俺もそこそこの有名人にはなっていったのだと思う。そう、国家の後ろ盾はなくとも、俺自身の名前だけで世間から知られる程度にはな。

 

 俺が市井の冒険者として実りは少なくとも相応に華々しく活動を続けている間に、カラメールも大きな事件があった。西の交易国アルケミスが点滅海の海上交通権を巡って攻めて来たのだ。レディ・キャロリーナという女性領主の統治力を舐めてかかったように見受けられたが、夫の死から立ち直って統治者としての資質を開花させたキャロリーナはライバル国の侵攻にうまく対処し、海戦での勝ちを収めることに成功した。

 しかし、一難去ってまた一難。今度は北のベイ・ハン国が侵略を目論んでいるという噂が流れてきた。カラメールの危機は終わらない。俺が地方の旅から再びカラメール市街に帰って来たとき、運命を変える新たな冒険の物語が幕を開いた。

 そう、『奈落の帝王』にまつわる陰鬱にして、国の存亡をかけた壮大な物語が。

 

『奈落の帝王』の背景ストーリー

 

リモートNOVA『そんなわけで、FFシナリオ「謎かけ盗賊」からゲームブック「奈落の帝王」につながる話を、リーサン・パンザ視点から補完してみたわけだが、背景ストーリーの中心は、レディ・キャロリーナの治めるカラメール国が周辺国からの侵略の脅威にさらされている状況だな』

 

アスト「背景に国家間の対立関係があるのか」

 

NOVA『表面上はそう見せかけておいて、実は国の内部の陰謀劇と、異世界の魔の手による侵略だったという展開で、外国の脅威に対して防備を整えようというキャロリーナの対応策が的外れだったという結論に』

 

ダイアンナ「敵は国の内部にいて、異次元の侵略者と通じ合っていたなら、外国相手の国防は全く意味がない話だね」

 

NOVA『物語が始まった時点で、主人公は国防のために何ができるか、という選択肢がいきなり示されるんだけど、時間を浪費するだけの的外れ策は全てゲームオーバーという形になる。常識的な国防策を考えると失敗するわけで、まずは敵の正体を探るという諜報策が重要となる。主人公の役どころは、軍人のそれよりも、密偵とか偵察兵を念頭に置いた方がいいということだ』

 

アスト「そういうのはソフィアが専門じゃないのか?」

 

NOVA『だから、いきなり殺されてガーンとなるわけだよ。昔からの知り合いのブラックサンドのソフィアという登場人物が出て来て、冒険に関わる重要人物になるのかな、と思いながら進めて行くと、いきなり殺されてビックリだ。大規模な国防ストーリーかと思いきや、実は連続殺人事件の謎を解け、的なミステリー展開を示すという』

 

ダイアンナ「ヒロインかと思ったら、実は被害者その1だったというソフィアさんか」

 

NOVA『あまりに気の毒だったので、前日譚の準備編で自分なりにイメージを膨らませてみたわけだが、未攻略のゲームブックでネタバレ解析もあまりされていない作品は、展開がなかなか読めないので、いろいろサプライズだったと思う。例えば、初期のFF(主にジャクソンやリビングストンが展開したもの)は、クラシックD&Dで言うところの、赤箱ベーシック(迷宮探検)と青箱エキスパート(野外探検)が中心だったと思うんだよね』

 

アスト「冒険物語としては、その辺が分かりやすくていいよな」

 

NOVA『その後は、領主として国家を運営するルールの緑箱コンパニオンと、時空を超えたイモータル(神さまレベルの超越者)への道を追求する黒箱マスターに手を伸ばすわけだが、物語規模としては、「奈落の帝王」ってコンパニオンレベルを通り越して、マスターレベルに達した感があるんだよね。1990年の段階で飛ばし過ぎでしょって話になる』

 

アスト「黒箱マスタールールが日本語翻訳されたのは1989年だったか」

 

NOVA『俺にとってのTRPG体験は86年辺りからのスタートで、最初のベーシックと続くエキスパートの冒険までは理解できる。コンパニオンの国家運営ルールについては、「へえ、そんなこともできるんだあ。何が楽しいのか、よく分からないけど」という高校生だった。俺の人生経験的に、そういうゲームのイメージが例として思いつかないまま、TRPGのモデルケースとなったロードスでも、「君主になったキャラは冒険を引退してNPCになる」といった形にゲームでは扱われていた。要は、かつての六英雄が君主になったり、最も若い王がカシュー王だったり、そういうキャラはGMが扱うNPCみたいなものだったんだな』

 

アスト「日本のTRPGが、アメリカの10年遅れで、プレイヤーも君主キャラとして領国経営をゲームとして楽しめるまでは成熟していなかった、と」

 

NOVA『コンパニオンルールの情報は、GMが自作のファンタジー世界をイメージするには有用だったけど、あくまで世界設定の資料であり、実プレイのイメージ源にはならなかったんだな。で、そこから、さらに神さま(イモータル)への道と言われても、当時はゲームとしてイメージが湧かない。まあ、冒険者としての究極のゴールといった感じだけど、実プレイのイメージが追いつかない。それが90年代頭になる』

 

アスト「イメージできるようになったのは、いつからだ?」

 

NOVA『スーパーファミコンで、1990年に発売された「アクトレイザー」をプレイした後、翌91年に「ファイナルファンタジー4」を体験してからだな』

NOVA『アクトレイザーで、神視点のファンタジー世界のイメージをつかみ、FF4で聖騎士パラディンから国王になった主人公をプレイした後、幻獣王リヴァイアサンや幻獣神バハムートといった異世界召喚獣の物語に触れたことで、王と神の織り成すファンタジー観の類型を学んだのだと思う。もちろん、既存の神話宗教のイメージソースや、小説、コミックなどの物語を踏まえながら、それをゲームという形で紡ぎ上げたのが、90年のその辺りからだということだ』

 

アスト「その時期辺りで、ラスボスが唯一神ということで、ちょっとした物議を醸した『真・女神転生II』もあったりしたんだよな」

 

NOVA『厳密には、大天使ミカエルらが作った偽の唯一神だったんだが、初プレイの時はそういう設定だと理解できていなくて、唯一神をラスボスにして大丈夫なのか、このゲームは!? とその宗教的背徳性に痺れた記憶がある。大天使がラスボスだった「真メガテンI」が92年で、偽の唯一神がラスボスだった「真メガテンII」が94年。まあ、その辺りになると、FF6からFF7にかけて、ラスボスのモチーフが堕天使というのが普通になって、聖書モチーフのフィクションも90年代半ばにはマイナージャンルではなく、サブカルチャーの中ではメジャーになっていたと思う』

 

アスト「その辺で、一神教多神教の神話観の違いは、ファンタジー者の間ではよく語られるようになっていたんだな」

 

NOVA『神話を題材にしたファンタジー世界を創作するうえで、その両者の区別は常識だと思うがな。そこを曖昧にしてしまうと、神の話は語れない。まあ、神と悪魔の善悪二元対立の話を背景にするなら一神教がいいし、多様性を許容する価値観を描きたいなら多神教の方が望ましい。その中で現実に基づいた話にするなら、多神教の中に唯一神信仰に基づく強大な勢力があるという形で、メガテンみたいな構造になる』

 

アスト「メガテン唯一神を奉じるのがロウ勢力で、多様な神話勢力の混成状態なのがカオス勢力に分類される形か」

 

NOVA『作品にもよるけど、西洋の教会がロウ勢力で、民間伝承の妖精やら東洋の神道文化がカオス勢力になっているのが印象的だったな。時代にもよるが、カオス勢力は反米的な国粋主義者として描かれていて、日本の神が堕天使ルシファーと同じ勢力として扱われるようなごった煮感覚が世紀末のメガテンワールドという印象』

 

アスト「コンピューターゲームメガテンだと、ロウやカオスと中立の3属性に、ライトとダークの軸をかけ合わせた9属性で、悪魔(神もモンスターもまとめてそう呼称する)の所属勢力を大雑把に表していたけど、その後、メディアミックス展開(小説やコミック、TRPGなど)を広げる際に、現実の神話宗教に基づいた神族派閥を詳細設定したんだったな」

 

NOVA『この辺のリアル宗教をフィクションの材料として一般化した資料解説本は、90年代にいっぱい出版され、現在の創作のタネ本として活用している作家も大勢いるわけだが(現在の若手作家はwikipedia他のネット知識も活用していると思われ)、TRPGではメガテンシリーズと、シャドウランが非常に幅広い資料となっている。現代風の世界観で、魔術や信仰を題材にした物語を描くなら、メガテンおよびシャドウランを調べると箔が付く、と個人的に考えている次第』

 

アスト「まあ、何を資料にするかで、その作家の創作レベルがどの程度か判断する材料になるからな。資料性の薄い作品だけしか参考にせずに、偏狭な知識で真似して書くだけじゃ、劣化コピーにしかならないわけで」

 

NOVA『2次創作と割りきれば、それでも立派な創作と言えるが、そこからどうオリジナリティを目指すかだな。逆に資料だけいっぱい持っていても、上手く整合性を考えられないと、ただのツギハギにしかならないし、結局のところは使える資料を適切に辻褄合わせするセンスと、それを読者に納得させる文章力と、物語を成立させる上手い落とし所を考えるストーリー構築力と……って欲しいものを言い始めるとキリがないけど、近年はそこにデジタルゲームの伝統的世界観(MMOなども含む)が基礎教養に含まれて、80年代〜ゼロ年代のゲーム的異世界がファンタジーの主流になっているようだ』

 

アスト「その辺のゲームをレトロゲームやリメイクなどで幼少期に楽しんだ層が、若手作家として目立つようになった時代か」

 

NOVA『ゴブリンスレイヤーの作者もそうだし、俺の世代が大人になってから楽しんだゲームを幼少期に触れて、大人になって懐かしくこだわりを持って再プレイする層が、異世界転生ラノベの主流作家なんだと思う。そういうのに今の年少オタクはスマホで手軽に消費しながら憧れ、俺たち懐古者は懐かしいなあ、と思いながら青春時代を思い出したりとか、まあ、いろいろ』

 

アスト「FFゲームブックのこういう記事は、どういう読者層が読むんだろうなあ」

 

NOVA『80年代から90年代にハマっていた層が、懐古感覚で読むんだろうが、例えば旧ウォーロックを知らない世代の読者さん(90年代生まれとかゼロ年代生まれ)が読んでいると、俺的には希少価値のように感じるな。その世代を楽しませるような記事になっているだろうか』

 

ダイアンナ「ゲームブック、何それ? へえ、何だか面白そう。FFコレクションかあ。今度、チェックしてみよう……って新規のファンがいてくれたら、大当たりだね」

 

NOVA『そういう若い読者のための宣伝には、ちっともなってないと思うんだがな。だけど以前に、「なろう系のファンタジー小説を書こうとしていて、ここのクラシックD&Dのイモータル解説が役に立った」的なコメントをいただいて、そういう需要もあったのかと感じ入ったりもしたわけで。俺が好きに懐古話をしていたら、それに興味を持ってくれる若い子が見えたりすると、それはそれで語り甲斐があるな、と』

 

アスト「で、『奈落の帝王』は最後に主人公がイモータルになるという斬新なラストを迎えるわけで、当時のTRPGにおけるイモータル観や神話伝承観に話が寄り道しているんだな」

 

NOVA『RPGの究極のゴールだと思うんだよね、神の座って。玉座ってのもそうだけど、アーロックは最後に惑星の王になり、本作では異界の魔王もしくは神レベルの超越者になる。何だか凄くて、理解が追いつかないってのが当時の感覚だったわけだ(未攻略ではあっても、最初の背景とか最終パラグラフぐらいは読んだりしてた)。どうして、未攻略だったかと今にして思うと、ラストがあまりに稀有壮大で、当時の自分の感覚としては「自分にはまだ早い」とか思ってしまった可能性がある』

 

アスト「90年代には、まだ早いと思っていた作品を30年以上経ってからクリアしたわけか。今度は、遅すぎやしないか?」

 

NOVA『90年代はゲームブック以外にもあれこれ楽しく、忙しく過ごしていたわけで。その時その時を充実できていたらいいんじゃないか。まあ、ゲームブックと神さまの話は「死神の首飾り」の時にもまた語ると思うし、今回はこれぐらいで』

 

アスト「では、次回から『奈落の帝王』の攻略開始だな」

 

NOVA『ああ。カラメールの街に久々に帰ってきたリーサン・パンザ。街は北方の国ベイ・ハンとの戦争に備えて、兵士たちは国境沿いに配備されており、活気がなくて閑散としている。そんな中で、東方からも謎の侵略被害に見舞われているという噂が聞こえてきた頃合いに、リーサンは領主のランゴール家からの召喚を受けることになった。召喚状を持って来たのは顔見知りの密偵ソフィアで、冒険仲間だった彼女に誘われたら無下にもできずに、リーサンは宮殿に出向くことになる。その宮殿でのシーンから、物語を始めるとしよう』

(当記事 完)