別ブログのゲームブック攻略記事について
さて、現在のNOVAは、空想(妄想)タイムで、『暗黒の三つの顔』攻略記事を立ち上げました。
まずはアランシア編を完結させて、それから旧世界編、クール編をゆっくり仕上げて行こうと思っています。
そして、書いているうちに、『ソーサリー』4部作も空想(妄想)タイムで仕上げたらいいな、と気まぐれに思い立ちます。
『ソーサリー』の場合、始めたら4部作なので、途中で別の作品に切り替えたりしたら、記事書きの流れがおかしくなる。だけど、一気に(例えば1ヶ月で)全部終わらせることは分量的に難しい。
『ソーサリー』で懸念していたのは、例えば2巻のカーレを終わらせた後に、別の作品の記事を書きたくなった場合、どうすればいいのか?
『七匹の大蛇』をプレイするのか、それとも衝動任せに、突発的にやりたくなったゲームブックをプレイしていいのか。
そんなことを考えながら、得た結論。『ソーサリー』は番外編として、『王子の対決』などと同様に、自分のメインブログでじっくり攻略しよう、と。
ちょうど『王子の対決』が、戦士の書と、魔法使いの書で2人のプレイヤーで完結させたように、ソーサリーも戦士編と魔法使い編でそれぞれ攻略できるようになってるし、『暗黒の三つの顔』を完結後に、『ソーサリー』をじっくり進めたらいいな、と。
一方、こちらは1冊完結の作品をテンポよく攻略していけばいいかな、と。
そんなことを考えた今日この頃です。
ともあれ、自分が初めて解いたFFゲームブックが、『ソーサリー』なもので、この作品がマイベストFFということになりますね。ただし、4部作なので、どの巻がベストかと考えると、実は3作めの『七匹の大蛇』だったりします。
理由は、大蛇を順に狩っていくというシチュエーションが、ゲーム的に面白いのと、狩った敵の数に応じて、最後に成長できるというRPGらしさを備えているから。
もちろん、各巻ともに、それぞれの魅力があるのは承知しているのですが、ゲームとしては、各蛇それぞれの弱点が設定されていて、強敵でも、その弱点を突けば、あっさり撃退できる点もお気に入り。
ただのモンスター退治じゃなくて、情報収集の大切さを味わわせてくれた作品でもあります。
あとは、広い荒野の旅というのも、冒険しているって感じですね。
1巻のシャムタンティ丘陵もウィルダネスですが、こちらは集落と、その間の野外と、時々ダンジョンといろいろあって、まあ、普通の旅ものって感じ(それでも発表当時は、1冊にそれほどのヴァリエーションのあるゲームブックは斬新だったのですが)。
2巻は都市冒険ですが、どうも閉鎖環境からの脱出というシチュエーションは、80年代の自分の冒険イメージとはズレる感じで、あまりワクワクできなかった記憶があります。
冒険といえば、未知の原野を旅して踏破するってイメージがあって、それを初めて堪能させてくれたのが『七匹の大蛇』。
で、最後の『王たちの冠』はまた閉鎖環境に戻って、スローベン・ドアという関門を一つ一つ突破する面白さはあるのですが、最終巻で感動するというよりは、ああ、終わったかあ、という達成感と喪失感の両方を味わって、
でも、長編連作ゲームブックの楽しみは『ドルアーガの塔』に塗り替えられた。
そう、『王たちの冠』の面白さは、後発の『ドルアーガの塔』にきれいに塗り替えられた記憶があります。
ドルアーガの塔の思い出
この作品が出たのは、86年です。
自分がゲームブックを始めたのも86年。そう、リアルタイムです。
『ソーサリー』は85年だから、自分が始めたときには、4巻ともそろっていた。だから、初体験のブレナンの作品でゲームブックというジャンルに飛び込んだあと、ソーサリーも試しに1冊プレイして、それから次々と続巻を買い揃えていった記憶があります。
欲しいときには全巻すでに世の中にあって、偉大なる先達を後追いで追っていた。
だから、「早く続きが出ないかなあ」とリアルタイムで楽しみに待っていた初のゲームブックが『ドルアーガの塔』なんですな。
そして、『ドルアーガの塔』で地図を書いて、マッピング攻略という楽しさを初めて知った。当時はフローチャートの知識もなかったし、ゲームブックの攻略に際しては、記録よりも記憶が物をいった(キャラクターシートを除く)。
そして、FFゲームブックは『サソリ沼の迷路』など一部の作品を除いて、あまり整合性のある地図が書けないものだと当時は思い込んでいたし(FFにはFFのマッピング手法があることを知ったのは後年になってから)、
全60階建ての塔を、1階ずつ攻略して、地図を作りながらキャラクターを成長させていくウィザードリィ的な楽しさを、(自分にとっては)先に味わわせてくれたのがゲームブックの『ドルアーガの塔』です。
そして、全60階をクリアした先に、捕まった恋人のカイがいて、感動を増幅させてくれる。ヒーローが愛する女性のために試練を乗り越える冒険譚は、ドラマの基本ですが、ゲームブックのFFシリーズではほとんど見せてくれませんね。
無色透明な主人公の「きみ」だから、黄金騎士ギルと違って個人的ラブロマンスを入れる余地がなかったのでしょうが、他にも児童書向きのFFシリーズと、もっと年上の読者向きの東京創元文庫のレーベルの違いも大きかったのかも。
とにかく、ドルアーガは、自分にダンジョン探索(マッピング含む)の楽しさと、冒険ラブロマンスと、キャラ成長を初めて堪能させてくれたゲームということになります。
そして、そこから逆にさかのぼる形で(ウォーロック誌などの記事にも感化されながら)FFシリーズの楽しさも味わえるようになったのが、高校を卒業した大学時代ということですね。
どちらかと言えば、FFシリーズをじっくり追いかけるようになったのは、旬の時期(80年代後半)ではなくて、90年代にAFFや『タイタン』が出版されて、リプレイで再体験できるようになってからかもしれません。
この辺は、ゲームブックやD&DなどのTRPGなど、様々な楽しさがどっと押し寄せてきて、一つ一つの魅力を個別に分析していたわけじゃないので、同時並行でどんどん消化していったのだと思います。
で、FFよりも、むしろ赤い背表紙の和製ゲームブックの方を至高としながら、そこからT&Tとか、ドラゴンランスに移って行ったのが87年。
その後、88年の『モンスター誕生』で、ラブロマンスとは違う感動(自分の正体を探る謎解きの楽しさ)を味わったりしていたな、とか。
好きなゲームブック
そんなわけで、自分の思い出深いゲームブックを挙げるなら、原体験のブレナン、初FFのソーサリー、そして和製ゲームブックの頂点と言えるドルアーガ3部作となるわけですが、今プレイして同じ感動を追体験できるとは思えません。
こんな風に感じ入ったなあ、と思い出すことは、感動とは違うと思うんですね。新鮮さが足りん。
懐旧と、初体験の感動衝撃はまた別ですが、今は懐旧しながらの研究考察を続ける中で、昔に気づいていなかった部分を再発見して、感じ入ることもたまにありますので、それはそれで悪くないな、と思ったり。
で、『ソーサリー』とは別の意味で、面白かったな、と記憶するゲームブックは結構あるわけで、その筆頭が米ジャクソンの『ロボット・コマンドゥ』。
単純にジャンルが好きなのと、難易度があまり高くなくて、サクサクと楽しめた記憶があります。ただ、簡単すぎると、再プレイしませんから、内容の細かいところをよく覚えていない、ということになります。
ここでの未攻略作品で、プレイしたい筆頭はこの作品だと思っています。
あとは『サムライの剣』も、色物ネタとしてはいいですね。
あまり、記事書きの構成とか、ややこしいことを考えずに一発ネタとして考える分には、この辺がいいのかもしれません。
攻略記事でのベスト10
さて、コメント欄での話の流れで、不意に湧き上がったネタ。
自分のここでの攻略作品で、順位を付けるとしたら、どうなるか?
まあ、ベスト10の中に「アーロックが入らないことは確定」として。アーロックは、スパロボ界のカツと同じで、いくらダメと叩いても許されるネタ作品として重宝はしてますが、これが面白いという話には決してならない、という。
で、ベスト1は『危難の港』で確定ですな。
もう、作品としても傑作『盗賊都市』の続編としての歴史的意義や、FF旧作懐古の味わい深さもさることながら、当ブログのFF攻略記事のノリを決定づける重要度の高い記事。
主人公キャラのリーサン・パンザは、その後、『アランシアの暗殺者』や『奈落の帝王』にも続投。そして、娘設定のリサ・パンツァという派生ヒロインにもつながって、そこだけキャンペーン物語になっています。
うちのFF攻略ブログ記事がここまで続いた原動力と言える記事です。
ベスト2は『サイボーグを倒せ』です。
これだけで1つのカテゴリーを構築できる独立性の高いお祭り企画。4種のヒーロー全てを網羅した、手間暇かけた長期連載企画として、当記事でも最頂点に達していると思いつつ、ガイアグランプリという特撮時事ネタや、暴走めいた妙なノリで、読者は選びそう。
まあ、記事としての完成度ではなく、自分が楽しんで記事書きできたという意味で、主観的ベスト2です。
第3位は『死の罠の地下迷宮』になりますか。
リーサンの娘リサ・パンツァ最初の物語として描かれ、ただのゲームブック攻略記事を越えた2次創作小説めいたエンディングを構築。
リーサンの場合は、割と行き当たりばったりのその場ノリで記事書きしていった感じですが、リサの場合はだんだん主人公ヒロインとしてのキャラ性や、独自ストーリーとしての(原作からの)逸脱ぶりが意図的になって、物語性が膨らんでいった、と。
そこから、さらに膨らんだ『雪の魔女の洞窟』が、第4位になりますか。
ゲームブックを原作にしながら、独自脚色が濃厚すぎてバランスに欠けた歪さはありますが、そもそもゲームブックの主人公が敵ボスと一体化しながら悪堕ちの危機、という超展開に暴走。
いや、普通は悪堕ちしたらゲームオーバーするのがこういう作品ですが、『雪の魔女』はラスボスが物語半ばで倒され、それ以降はその残した死の呪いからの生還という形で、アランシア縦断の旅という変わり種。
その呪いを、主人公の体を乗っ取る憑依一体化という改変に置き換えることで、原作以上に波瀾万丈の展開にして行ったなあ、と。
で、その続編は『恐怖の神殿』と意図していますが、こういう話は書く方も気力の消耗が激しいので、タイミングを見計らっている最中、と。
『雪の魔女』とは別の方向で、小説っぽさを強調した5位が『トカゲ王の島』。
こちらはカニコングの聖闘少女キャサリンが主人公なので、もっとコミカルな幽霊剣と異世界転移少女の珍道中という形で始めたのですが、『死の罠』→『トカゲ王』→『雪の魔女』の順で個人的にはブラッシュアップされていると思います。
主人公は切り替わっていますが、リビングストンさんの作品発表順に応じた攻略順で、『トカゲ王』の幽霊憑依ネタがあればこそ、その延長で自分の『雪の魔女』がああいう話になったのでしょうな。
なお、『トカゲ王』の前のキャサリン登場編の『地獄の館』は、関連作ではあっても、よりゲーム的な「死んで、主人公交代しての解き直し」を繰り返した行き当たりばったりの攻略記事で、スタイルが大きく異なりますが、幽霊がよく出てくるオカルト志向の源流にはなってますな。
さあ、この辺りから、段々、自分の傑作を決めるのが難しくなって来ましたが、物語としての完成度よりも、ゲームとして楽しめた『アランシアの暗殺者』を6位としましょう。
FFコレクション3、通称リビングストンBOXの中で、『危難の港』の続編としてワクワクしながら真っ先に解いたゲーム。
『危難の港』がヤズトロモとニカデマスの善玉同盟で、悪のザンバー・ボーンに立ち向かうのに対し、こちらはアズール卿とサカムビット公の悪役領主同盟が見られる。ただ、サカムビット公はアズール卿ほどの悪辣さは強調されていないので、自分はこの同盟が遠からず決裂するという解釈で、話を構築していますが、ともあれ、この作品があればこそ、リサ・パンツァの『死の罠の地下迷宮』につながったと思うと、感慨深いです。
13人の暗殺者狩りは、七匹の大蛇狩りを彷彿とする展開でしたし、終盤のスロムのゲスト出演とか、ツボにハマるシーンも多くて、実に楽しくプレイできた一本。
7位は、同じくゲーム的に楽しめたという意味で、『サラモニスの秘密』。
ルール部分のエラッタという事故も含めて、リアルタイムならではのサプライズをいろいろ楽しめました。
独自の創作要素に傾倒しがちになって行った当ブログの記事とは別の方向性を、見出した記事だと思います。
それにしても、ロガーン様って物語の黒幕として、非常に便利な存在だなあ、と改めて実感した作品ですね。
8位は、最近作の『サソリ沼の迷路』。
双方向マッピングはプレイしていて楽しいし、善中悪の3つのストーリーもヴァリエーションが楽しいし、ゲームバランスも非常にいい。
実のところ、邪悪ルートだけは昔、読んだだけで、解いたわけじゃないので、裏技とか、いろいろ新発見もできた感じですね。あと、昔は分からなかったプームチャッカーさんの凄さというか、大物商人ぶりを自分が大人になってから実感するという。
プレイ当時は、ワールドガイドの『タイタン』も発売されていなかったので、プームチャッカーさんの背景にある「大陸から渡ってきた商人」の凄さが理解できていなかった。
あのアズール卿は、クール出身の海賊貴族が武力でブラックサンドを乗っ取って領主になったという凄い経歴が『タイタン』で語られ、二つの大陸を股にかけた領主というと、ロードスのカシュー王かアズール卿かとなる。で、プームチャッカーも別大陸から来たという点で、サソリ沼付近でも最もスケールの大きな人物となるわけで。
米ジャクソンのキャラなので、リビングストンや英ジャクソンのキャラと違って、小説やAFFサプリで設定が掘り下げられる人物ではなかったけど、改めて考察すると奥の深そうな感じがして来ます。
9位は、意外にも『運命の森』。
初期の熟(こな)れていない時期の攻略記事なので、今読むと拙い内容に思えるのですが、ダークウッドの再探索をしながら、昔、一回解いた後は、じっくり探索していなかった森の各所をもう一度、調べ回って、完全解析の楽しさとか、思ったよりも奥の深かった森のイベント連鎖を実感できて、
いろいろと再発見を楽しめた記憶があります。
ソーサリー抜きで考えた場合に、ダンジョンや建物以外の野外探検の楽しさを初めて味わえた作品になりますしね。
後のFFシリーズの難易度のインフレに比べて、ピクニック気分で散策できる最初のダークウッドは良かったなあ、と。
巻が進んで、時々ダークウッドが舞台になることもありますが、その度に危険度が上昇している感じがあって、文字どおり〈闇の森〉感が増しているのですが、腕ずもう男とか、森で狩りをしている旦那とか、牧歌的な人間キャラはどうなったんだろう、と思ってますね。
まあ、それよりも気になるのは、巨人の襲来に見舞われたストーンブリッジ。
で、10位は『巨人の影』です。
ゲーム的な仕掛けとしては、『アランシアの暗殺者』の方が自分の好みに合っていたのですが、こちらは何よりも火吹山から復活した巨人が近隣の集落を蹂躙しながら、脅威をもたらすというスケールの大きさですね。
まあ、単に巨大怪獣が暴れているだけでは、よくあることと思えなくもないわけですが、「え? あのストーンブリッジが壊滅!?」という噂話のインパクトですよ。
いやあ、その話を聞いて、「マジかよ」と本気で驚き、ジリブラン王とか、近くに住んでいるはずのヤズトロモさんの無事を気にし出した自分は、立派にアランシアの現役住人してるなあ、と思いました。
たぶん、FFコレクションの攻略記事を書き始めた頃合いだったら、ここまで架空世界の事件に入れ込んで、非実在人物の安否を心配することなどなかったでしょうから。
仮に、それがリアルな事件だったとしても、自分のよく知らない街が地震に見舞われて、多くの人が亡くなったと聞いても、実感はできない。しかし、もし、そこが自分の知人のいる街だったとしたら? あるいは自分の推しの芸能人やクリエイターの故郷で、その心境を発信したりしたら? 知り合いや一方的に思い入れのある人物や土地に感情移入して、心配になることもある。その感情移入が、ファンタジー世界に対しても生じることを、この作品で久々に味わったな、と。
それまでは、攻略記事を書いていても、第一に来る感情はまず懐旧で、その次に再発見への喜び。それから、たまに新作を味わうと、新鮮さを堪能したり、意外な展開へのサプライズだったりして、そこから冒険している主人公の感情を想像したりしながらの新たなドラマを紡ぎあげる創作心の発露とか。他には、たまにコメントを通じての同好の士との交流感覚はまた違う楽しみですが、
それらとは別に、架空世界を実世界のように気にかけるイベントを久々に味わったな、と(キャラを通じてではなく、自分自身の気持ちとして)。
マリク師匠みたいに、冒険中に知り合って、主人公がお世話になった人物の死に対して、惜しむ気持ちは時々出てくる。そこを強調すると、ドラマが紡げる。ここまでは、記事書きしていて、普通にありましたが、巨人によるストーンブリッジの蹂躙は、少し感覚が違う。
これまで安泰だった世界が形を変えたような事件とか、ガメラ映画を見て、「仙台消滅!」という新聞記事が出たときの衝撃というか。そう、単に破壊されたのではなく、地図からその地が失われたような感覚。
この喪失感は、続編で「ストーンブリッジは無事に再建されました」という記述を見るまで、心に残り続けると思いますし、それだからこそ、アランシアの住人の一人に自分がなってるなあ、と感じるもの。
まあ、それぐらいFFゲームブックに、少年みたいにハマることができていることを、改めて実感できたって話です。年とって感性が鈍くなってるなあ、と思いながら、久々に敏感な想いの反応ができて、その点では喜ばしさを覚えたり。
でも、本当に、1年先でも、2年先でもいいので、ストーンブリッジ復興が話題に挙がって欲しいものです。
(当記事 完)